スポーティー・エレガンス
食後のサイクリング
名古屋市緑区・扇川と鳴海宿
2007年2/18

兄夫婦の姪っ子が4月から小学生に。
幼稚園最後のお遊戯発表会のあとは親族巻き込んでの食事会。
何かにつけてイベントになるのです。(僕は食事会のみ)
鰻を食べたあと解散。食べた分のカロリーは消費できたでしょうか?
本日のライド、21.6キロ。
鳴海という地名は全国にどれほど知られているのだろうか?
伝統工芸の有松・鳴海絞。 
高級陶磁器で有名なNARUMI (今は緑区に工場はない)

そんな鳴海を擁する緑区には扇川が流れており、
古い文献を読むと、江戸時代、水量は豊かで上流の熊野神社まで
船で遡上できたとのこと。

戦後、大規模開発により、丘陵地のほとんどは住宅と化し
また河川改修の名目により、直線の水路として生まれ変わる。
水量は激減。すでに役目は大雨の排水路。

日本は、浮世絵など、全国に数多と昔の光景を伝える資料が残っています。
ここに水車小屋があったのも、昔の絵から割り出したそうです。

日本は髷を結い、サムライの国でしたが
文化的には独特の成熟と進歩を歩んでいたみたいですね。

歴史ある鳴海。神社仏閣はいたるところにあります。今もなお、旧東海道の細い道も残っています。
鳴海は元々は名古屋市ではなく愛知郡鳴海町。同じく愛知郡有松町・知多郡大高町とともに名古屋市に編入。
昔の感覚で言えば大高は知多の国だったんですね。

戦災にあわずして、都市化の波に飲み込まれる。
鳴海の戦後は道路拡張との戦いでした。
遅々として進まない拡張工事。
しかし、町の中心には明治期に開通している
名鉄名古屋本線鳴海駅がある。
バスは駅に向かう。しかし鳴海の町は狭い。

その名鉄名古屋本線も去年、念願の高架になりました。
開かずの踏み切りの向こうは
地価が下がるほどの地域を断絶する線路。
しかし、無くなってみて思うのは、この古くて狭い町に
当たり前のように聞こえていた踏み切りの音。
風情の一つがなくなりました。
日本の街における電線は景観論争の主要議題。
景観を台無しにするという声は大きいです。
左の写真に電線がなければ、空はすっきりとしているでしょう。

しかし、狭いが故に独特の味わいを出している鳴海に、
このゴチャゴチャとした
電線もまた風情の一つとしてみることもできます。

自転車で訪れてみる、名古屋市は緑区鳴海。
狭い道を走ってみたり、止まりたい所でカメラを構えたり、
和菓子屋の数を数えたり。
探訪するに、最も相応しいのは「徒歩」 次に自転車ですね。
自動車なら、まずは近寄らない日本の古い町並み。

鳴海の宿場町から
北に500mほど
緑区では一二を争う格式の
成海神社。


その争っている相手は
今回は行きませんでしたが
氷上姉子神社。
ヤマトタケルの奥様が神様です。
熱田神宮の前進でもあります。

神様に優劣を決めるのは
不遜ですが、
やはり僕は後者に
軍配を上げますね。
歴史ある鳴海の町もサヨウナラ。歴史のない造成地に戻りましょう。