飛田
大阪飛田新地
2007年9/1-2


ソビエトがあった頃、西側の旅行客にはKGBの職員が付き添う内規があったそうです。
彼がカメラを構えたら、ここからこちらはOKだけれど、これより右はダメとか言われたそうです。
その右側に軍事施設があるわけでもなし。
ただ、その右側には労働者の天国とは呼ぶに相応しくない町並みがあるからなのです。

ここは、大阪の飛田。
そんなKGBはいないけれど、暗黙の内規を守らないと恐ろしい目に遭うとの噂。
自由民主の日本において、カメラの角度に気を使う唯一の町かもしれない。

「百番」と呼ばれる料亭だけは、文化財として生き残る選択をし、撮影も可。
これより右に左に撮影するのは、噂によると問題ある行為だそうです。


この謎めいた文化財は、いったい何のために存在したのでしょうか?

一階には大広間。
二階には、各々趣向の違う、小部屋など。

その昔、遊郭だった建物。

宴会のあとは、二階に上り、懇ろなる一時を過ごしたというわけ。

そんな男達の夢を具現化した遊郭は、
建物の細部に至るまで凝った意匠が施されていますが、
よく見ると、成金の趣味の域で、絵画の筆遣いも、雑。

この小さな和室は、渡し舟をイメージしています。
そんな旅情溢れる室内で、
男達は、もう一つの旅に出たというわけなのです。


室内にある陽明門を潜れば、金色の応接間。
ここは日光東照宮なのか!?
いやいや内裏を模して、清涼殿を少し変えて清浄殿という名のトイレにもする成金の高慢。



大正時代、成金が100円札を燃して、
その灯りで靴を探す風刺画を教科書で見た覚えもあると思いますが、
まさに、その頃の成金の夢と高慢の屋敷なのです。
時が経てば、そんな過去もお咎めはなく文化財となる不思議。