秘境 夏焼集落 その二

右へ曲がると道の姿は、あまりにも細くなり、自動車での進入を拒否する。

まさか、平成の世にあって車輪の文化を否定する所があるとは、、、、、
道は、やがて階段状になってしまった。それが隧道と集落を結ぶ唯一の道であるのです。



トンネルを出たら目の前にあった天竜川も眼下に。
遠く写真で見たように、夏焼は日当たりも良好な斜面集落なのです。


昭和29年に工事が始まり31年に完成した佐久間ダム。
遅く見積もっても、昭和31年に、この夏焼集落にはモータリゼーションの波は到達していなかったのです。
自動車が無い頃、道といえば、この程度の幅で十分に用が成せたのでしょう。

夏焼集落の進歩は、その時に全てが終焉してしまう。

日本の集落の原風景を考える上で大変に貴重な存在だと思いました。

なぜなら、山奥に車を飛ばし、秘境巡りと称しては
やはり、その場所は、久しい以前にモータリゼーションの波に飲まれてしまった水没地だったからです。

思いをめぐらせば想像は尽きない。

きっと江戸時代とかの道も、街道でも無い限りは、この程度の人が歩くに適した幅だったのでしょう。
不必要に広げる無駄な工事もせず、小動物が山に獣道を作るように
人が歩き踏みしめられた道が、家から家へ、集落から集落へと続いていたのでしょうか。


人の生活に、信仰の場あり。
斜面集落を巡っていると、人の生活の最上段に信仰の場所があります。
お地蔵様や小さな祠があったり。
地図にも記してあった神社のマーク。斜面集落巡りのもう一つのポイントです。

ほとんど空き家で、厳しい自然が迫ると思われる夏焼での生活。
そこに手入れの行き届いた祠を見たとき、思わず目頭が熱くなってしまいました。

生活の継続を願うとき、その祈りは切実で、物見遊山な都会人が思う以上に
敬虔な気持ちで神仏に帰依しているのでしょう。

そのとき、静かな生活を邪魔しているのだと分かりました。
手を合わせ、夏焼を後にします。


限界集落という言葉が、最近、よく聞きます。
あと10-20年もすれば地図から消えてしまう数多くの集落。

斜面集落に興味を持ってから、その向かう先は、代表的な下栗の里のみではなく、中小の集落にまで広がりました。

まだまだ記録に残したい斜面集落が、このあたりには数多く存在します。
大学の研究者でも学芸員でもないけれど、
なぜか、そうしなければと思う衝動が僕にはあるのです。