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//涼しい夏の日に// 台風六号が東にそれた途端、西高東低なのか寒気が大量に流れ込み、つい先日まで今年の酷暑は何日ぞ、、、と恨めしく先を想像していたのですが、どういうことでしょう、まるで冷夏のような涼しさです。
それは北からの向かい風なのに確かに後押ししてくれた。僕は今年二度目の彦根⇒木之本38kmエレガントウォーキングに、土曜日の4:20分、冷涼な琵琶湖岸の大気をまとい北へ向けて歩きだす。もう何度となく歩いたコース。地図を片手に昔でいえば「追分」にあたる分岐の箇所を不安に思うことなく立ち止まる必要もないのは、歩みを普段に増して軽やかにし、とても快適。
時折、パラパラと小雨を感じ、日の出前の朝というものは濃い雲の下にあるのは東の空が明瞭に物語る。でも、それは夏のウォーキングには幸いでもある。なにせ直射日光がもたらす体力消耗というのは、ウォーキングの充足感を達成したときにようやく味わえるだけであって、歩いている最中というのは、よほど明媚なところでもない限り苦行に近いものがある。 知恵は付くもので、日の出前にいかに距離を稼ぐかも、いわば反作用から生み出されたものであるのだ。 確かに日の出の時刻は過ぎたのだけれど、東から射す夏の太陽は濃い雲の中にあって、冴えない写真は仕方ないにしても、やはり体には心地良い。歩いている楽しさを、疲れないというのは心底感じ入るものなのだ。 何かを考える余裕というものが当然に産まれ、陶芸のデザイン。北ベトナム防衛網の対空ミサイル。色欲なこと、法外な欲に基づく贅沢な生活への妄想などなど、琵琶湖岸を歩いているのに、往時を偲んだり、見る地理に興味を覚えたり、やはりこれも何度目か故でしょう、全く頭に湧いてこないのです。六時五分前まではラジオも聞かず、波の音は聞こえるのに、これまた聞き流しているようである。ヒグラシは聞こえたのだが。
朝のNHKラジオというものはニュースや天気予報に接する第一義的な価値より、健全な朝を認証してくれているかのようで僕は好きなのだが、どうしたことか6:30からラジオを一時的に消すのは何年も前から自然とすることであり、僕はあのラジオ体操のケタタマシさは、健全な朝の情緒に反するものであると感覚的に拒否しているのです。
やはり、その間、波の音は聞こえるのに、聴き流している。
(つづく)
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A
//つづき//
そういえば前日は名古屋市は中村公園に用があり、そこにある豊国神社に参拝したものだが、今、長浜城のある豊公園に入ろうとするとき、まるで秀吉の出世街道を歩いているような、ご利益を感じるのである。中村の藤吉郎は貧農の子で泥にまみれて、鮒や泥鰌などを食べていたのは想像に難くないが、はたして長浜城主となったとき鮒ずしは口にあったのか??と、ようやくここにきて風景と思考の連鎖が現れる。
38kmものコースを何度も歩いていると、休憩に適した場所、折々の限界で倒れこむように入る場所、と自然発生的に産まれるものであって、先ほどの豊公園もその一つではあるが、一つの通過儀礼として近くにある英霊を祭る神社には麦わらも脱帽して深く祈る。そのあと豊公園でおにぎりを食べるのだが、前回も見た自転車おじさんはやはり太った猫を10匹ほど引き寄せている。広い公園で人との距離感は皆、疎なのだが、このおじさんは二倍以上もの疎を放っており、まっすぐ歩く健康人も手前からかなり大きく迂回している。
彦根から豊公園までは琵琶湖岸の道で、雄大な琵琶湖は左手の先に必ず存在している。湾曲する浜辺に沿って道もまた弧を描くので、歴史ある道なのでしょう。と、申しますのは豊公園から先は、地図の上では琵琶湖岸沿いを歩くのだが、左手の先に琵琶湖はなく豊な樹林なのである。それは開拓地を思わせる真っ直ぐな道からも想像がつくように、戦後の干拓の上に整備されたものである。それを物語るものとして右手の先には何箇所か○○内湖というものが存在している。琵琶湖の飛び地のような存在となってしまった、元琵琶湖の姿でもある。
話を左手に戻して、その先、50-100mには琵琶湖はあるのですが、干拓地と湖の緩衝地帯は開発の手から逃れ、葦が茂りそして土壌が豊かになるにつれ木々が茂り、もちろん、公園として整備されている個所も相当な割合なのだが、折り重なる木々の向こうに見る琵琶湖は明媚の主役をまるで北海道のような広大で美しい一直線の道に変えるのである。これから進む真っ直ぐな道もそうだが、東を見ると、これまた真っ直ぐな道が緑の中に伸びている。北海道との違いを言えば、かつては、あの辺りが浜辺であっただろうと思われるラインに見る古く堂々とした日本家屋の群れであろうか。
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