見るだけの山を登る
2011年8/11-12-13-14-15

マダム盆は不思議盆。不思議⇒不可思議⇒摩訶不思議。

そもそも直前までお盆の内容は決まっていなかったのに
いざ、その決心がつくと手際良く、忘れ物はザックカバー程度で
8/11、僕は仕事終わって少しの仮眠の後、
ウーマン号を走らせればよいだけでした。 

その旨は、mixiに述べたところ、嬉しいことですよ、
某マイミクさんが、僕も車を飛ばして合流すると。
このお盆が、不思議なのは、僕と某師との巻きが異なる
二重螺旋のような近づいたり離れたり。

既に御存知の方も多いのですが、個人的な趣味に斜面集落探訪があります。
ネットで「斜面集落」を検索すると、僕のページがゴロゴロ出てきますが、
その中で究極の斜面集落と命名しているのが
長野県飯田市上村地区の下栗の里。
ここは秘境として、それなりに知名度も高く訪れる人もいるのですが、
その奥に、「屋敷」「小野」「大野」と、奥の院と呼ぶべき
斜面集落があり、もちろん以前に探訪しました。
そしてさらに奥に痕跡があるだろうと車を走らせたのですが、
遠山川に差し掛かる頃、恐怖のあまり撤退しました。
星の一生があるとするなら、道路の一生で
まもなく自然と同化する「崩壊」過程の、
それはそれは恐ろしい姿なのです。

登山口駐車場は、この奥にある。易老渡。
ここは僕たちの臨時集合場所でもある。
と、申すのはお互いの出発点も時間もすり合わせるのには
離れ過ぎていて、電波の届く第一集合場所は時間切れ、
僕は易老渡に行き、ウーマン号の色や形を教える。

ところが、僕でさえ、この道は恐怖であり
第一級の警戒心を持たなくては進むことのできない
隘路の中の隘路であるのに、後発の某師にとっては、
どうやら飯田インター降りてから未踏の地らしい。

先に進む贖罪の意識もありまして、
メールにて、易老渡までの道順を教えたのですが
我ながら簡単明瞭に伝えることができたのも
足繁く通った賜物であると納得するも、やはり心配は尽きない。

+【マダム・メール@】+++++++++++++++++++++
●飯田インター降りたら右折します。
●一キロほど行くと左手にサークルKというコンビニがあります。これより先に買い物できる場所はありません。
●天竜川にかかる弁天橋を渡りますので途中でバイパスを降ります。ご注意下さい。(飯田インター降りた道がバイパスです)
●橋を渡ったら右折します。しばらく進と斜め左にはいります。
【注意】橋から矢筈トンネルまでの区間は道路が整備中です。何カ所か右左折します。
【注意】「矢筈トンネル」「上村」方面の看板が必ずありますので指示に従って下さい。
●矢筈トンネルを出たら道なりに進みます。かなり走りますが、ていしゃばは右手にあります。行き過ぎないようご注意下さい。
トンネルを過ぎたら一キロほど走り右手ですが、何本かトンネルがあるのでご注意下さい。

慣れない道なので、くれぐれも焦らず無理のない運転でお願いします。
●予定より早く着いたら、ていしゃばの畳の上で仮眠していますが、時間になったら車に戻りますね。

+【マダム・メールA】+++++++++++++++++++++

易老渡へは二つ目のトンネルの直前を右折。看板があります。これより先は隘路なのでくれぐれも焦らず、安全運転で。

++++++++++++++++++++++++++++++++

某師の情報も易老渡の途中で、
電波も届かなくなり、あとは想像に任せるしかない。
先に行くことだけは了解してもらった。

そもそも今年は単独での登山だと思っていた。
10年ほど上げ膳据え膳で僕は付いて行くだけだったのに
そういう関係というものは僕は望んだとしても
相手方は清算したかったのでしょうね。。。
まあ、そんな話はここに置くとして、単独と思っていたのに
挙手する人がいるのですよ。光小屋で会いましょう。


易老渡。6時には出発する。
お盆というのに、登山口までに神経をすり減らす
南アルプス南部の険しさときたら、人をふるいにかけるのか
あまりに人がいなくて、晴れているから良いものの
ガスがかかれば遭難してしまいそうな細々とした雰囲気が漂う。
つまり、東京の人はこのルートを選ばない。西に位置する易老渡。
登山道は最後まで目印が少なく、
時に人の踏み痕を探したりもするのだが、
それを読み取れるのもガスがかかっていないからだと思うのだ。

とにかく、登ることに単調であった。ひたすら登る。水場なし。
途中、なんどが携帯の電源を入れメールを調べたりするものの
快晴というのに電波には関係がないようだ。
四時間超のコースで電波をキャッチできたのは一度か二度だけ。


+【マダム・メールB】+++++++++++++++++++++
やっと電波が通じた。●6時閉店は仮眠かもしれないね。10時頃から開いていたらいろいろ聞けれるかも。

●二つ目のトンネルの直前についてですが、
右折して山道に入ります。基本的に真っ直ぐですが分岐があり看板もすくないので、
「屋敷」「小野」「大野」集落を目指して下さい。
これより先、かなりの悪路ですが軽自動車も登山口駐車場にありました。
気は滅入りますが安全運転をすれば行けます。

【注意】隘路走行は昼間でもライト点灯、ハイビームで。相手が気づくことが大切です。
カーブでは適宜クラクションを鳴らして相手に存在を知らせることも大切です。
+++++++++++++++++++++++++++++++


易老岳に着いた。
本来は左に行き、聖岳を目指すのだが、初日は右に進み光小屋へ行く。

僕は、標高の低いところは、
つまり山登りの初期段階は極めて調子が悪い。
ところがどうしたことか2354mの易老岳についても
セカンドで車をふかしているような、進んではゼーゼー水を飲み休む。
これから光小屋までは稜線で、今来たほどの登坂もないのに
やはり少しの勾配で立ち止まる。おかしい!!!!!
階段で言えば一階から二階の、
その差ですら立ち止っていたような気もする。

僕を救ってくれたのは、清らかな水場を目にするまでであった。
その流れは力強く冷涼で、まずは飲みほして
何本も空にしたペットボトルに詰め替えて、僕はシャツを脱ぎ棄てて
見れば人も驚くだろうが、人と遭遇しない自信がありました。
シャツを脱ぎ洗濯し、乾している間は、体や顔を拭きまして
まさか、ここで一通りの、粉をふく塩と脂をふき取れるとは、
なんと冷涼なことでしょう。(もちろん石鹸などは使っていません)

小屋まであと少しだ。
途中、イザルガ岳に寄り道をしここで待望の電波を拾う。
登山口から、小屋までの各区間のコースタイムなどをメールする。
拾ってくれるだろうか????
小屋は、お盆というのに一区画5人は収容できるところを僕一人。
少し寝て、自炊して、もう一回寝て、
見晴らしの良いところに立ちつくしては来た道を見るのだが、
陽が傾き始めた。とにかくイザルガまでもう一度行こう。
小屋では、39番のところに寝ていて、オレンジの長袖を着ていると
実は、お互い初顔合わせ。僕という存在を知ってほしい。
某師は、かなり遅れていることを知った。
テントを持っているから、そこは安心できるものの、
小屋に戻ってからも、一度、夢に出てきたけれど
僕の見た顔は勝手な想像の賜物にすぎない。
諦めて寝るしかないのだが、手を合わせた。

翌朝、主人に遅く来た人はいないかと尋ね、
該当する者はいなかったと知り、小屋の背後にある光岳登頂は割愛し、
もう一度、イザルガ岳に行った。

易老岳近辺で一晩を過ごしているはずだから、
先に行っているはずだろうと、相変わらず電波が届いていないけれど
聖平小屋までには、どこか一か所くらい通じるものだと歩みを進めた。

この日は朝早くからガスが出始め、
先を急ぐ僕には、直射日光の体力消耗もなく救われるのだが
やはり何ヵ所かのピークでは眺望も愛でたいのだが、視界ゼロ。
こういう時には、山頂で休憩することを見合わせ、
とにかく電波が通じなければ降りたところで小休止しようと
この選択が結果的にかなりペースを速めた。

山の形に格好の良い悪いはあまり感じない僕ではあるが、
上河内岳の山容は実に素晴らしく、
その存在は聖の価値をも高めていると、下栗の里のころから
一連の山並みを見ていたので、
ここでの視界ゼロは正直、悔しいものがある。
本来は大休憩するのに相応しい場所であるが
携帯の電波が拾えないことを確認して下山する。
その先の南岳でも同じだ。
つまり、今朝は5:30に出て、イガルザ岳、易老岳、
希望峰とこの間の二つのピーク、そして茶臼岳、上河内岳、南岳と
全てに電波が通じず、梨のつぶて状態のまま小屋に着いた。
13時である。

クッキーと緑茶の持て成しを受けた。

目の前はテント場だ。携帯は通じないので男子単身の、
年齢と身長の情報だけを頼りに、肌の色さえ知らないのに
皆さまを視姦してしまいました。。。

近くにいるのに会えない。携帯に頼った交友関係の脆さです。
やきもきしても仕方ないし、
とにかく寝よう。手を合わせる必要はなさそうだ。
いや、待てよ、「千曲川のスケッチ」を持ってきているはずだ。
薄い小説の少しだけ読み、眠る。


4:30の朝食。皆がごそごそし始め、
僕も外に出て朝のうがいをしたのだが星が鮮やかだ。
ガスは完璧に去っている。
このうす暗い中、視姦しようとは考えなかった。
とにかく、聖岳の往復で出会うはずだから、すれ違う人には
必ず挨拶をしようと。電話の声はより鮮明に思い出せる。


便ヶ島分岐にデカリュックを置き、
身軽になった僕は軽快に山頂に登る。


ここで、静岡県は静岡市清水区の好青年と出会う。
彼は大変な好青年にも関わらず、これまた整った容姿で、
そういえば、昨日、すれ違いざまに挨拶したわ!と思い出し
話しかけるものの、饒舌な彼はやっとのことで僕を分かってくれた。。
↑↑美しき男(おのこ)ありけり

奥聖岳もピストンし、あとは分岐に戻るだけ。
僕は朝の出発が早かったのだろう。
降りるときには実に多くの人とすれ違ったのだが、
やはり声掛けの勤めはさぼらず、特に近そうな人には
さらにアレコレ話しかけるものの、一体&全体、
某師はどこに行ったのだろうか???

こうなれば、一刻も早く、下界に戻り電波界に身を置かねばと、
ある種、清々しい決断もできたのは、
静岡市清水区の美しい男子(おのこ)が、
同じルートで下山するといのも大きく作用しているはずだ。

ところが、彼は小鹿のようにひょいひょいと降りてしまい、
僕はときたら、一番の苦手は下り。
これまた悪魔のように続く下り坂に、痛めた指先は、今も痛いのだ。

ようやく、有名なゴンドラまで降りることができた。
あまりにペースが遅く、取り戻すために一切の休憩を返上したものの、
出来心でゴンドラに乗ってしまう。
籠に乗った僕はロープを引っ張り対岸に行くのだが、
水平に見えて、中央部までは楽だが、それからは登り。
これが腕が引きちぎれそうなほど重たくて、諦めたら真中で
誰かが来るまで僕は宙ぶらりんだ!!!と恐怖感に襲われる。
なんとか対岸に行くことはできたが、川には丈夫な橋があり、
特別な増水時に使うものであるとの、ガイドブックの記述を
正確なものであったと身をもって知るのでした。

残るは一時間ほどの緩やかな道。

易老渡に着いたころ、静岡市清水区の美しき男子(おのこ)が
日産のエクストレイルで出発しようとしていた。
聞くに、彼はここに至るまで、
すれ違う人とは立ち止ってお話をし、大休憩もとっていたとのこと。。。
ちょうど12時の話だ。

12:20。僕もウーマン号を走らせる。



下栗の近くでメールを拾う。
某師は易老岳で緊急の野営をし、
そこから少し動いたものの、
体調不良と判断し下山した旨が述べられている。
とにかく生きていた!!!と大安堵。
あとは余裕も生まれ、温泉で汗を流し、
当地自慢の山肉料理を待っている間に、返信をした。


名古屋に戻れる気力はあったものの、
当初の予定通り飯田市内のビジネスホテルに僕は入る。
15:30。定刻通り。

少し早いかな??と18時、いつもの小料理屋をのぞいたら
カウンターはほぼ満席。
聖から下山したと述べたら、時の人になりましたよ!!

この縦走ルートは僕も初めてですが、下山したら勝手の知った
それこそ何度も来たことのある世界。
山肉料理屋とこの小料理屋を紹介したかったのですが、
某師は下山途中にさらに怪我を負い、
とても僕と合流できる環境になかったそうです。

夫人首都と首都圏の人が飯田の、それも限りなく近くにいて、
結局は会えずじまいで、会ってもいないのにお互い解散という
実に不思議なマダム盆なのでした。

8/15 夫人首都に戻る。
戻る途中、陶芸でもしようかと愛知県陶磁資料館に行くのだが、
月曜は休みのようだ。より道したのに、何もせず家に戻る。
怠け者の犬が、それなりに喜ぶのは、
僕としては家を長く空けていたのだろう。
暑いと思うのだが、今日は暑くないという。
3時間ほど経過して、ようやく理解できた。