août.2011



le 31 mercredi
//いかんいかん// 芽を摘むことばかり考えていた。排除しての問題解決。それは最終手段だとしたら、僕はなんて度量の狭い男だろう。須らく最善の形で解決できるのに、なぜ復讐劇とは言い過ぎだけれど、ドラマチックな展開ばかり頭に浮かぶのか。。。

事がなければ、何もなし。心のありようは、そこに着地させるべし。


le 30 mardi
//いなくなった、あの人// あの人は、どうしたのだろう??? 次の駅で必ず乗る彼は、大変な読書家で座るや否や読みふける。  ところがある日を境に現れないる時期のズレた夏休みかと思ったのですが、引越したのか、どうしたものか。。
朝のお楽しみの一つがけえ去りました

//現れた、あの人// バス乗り継ぎの時代、そのバスの面々は一つの村社会。濃厚な他人。
もう会うこともないと思っていた、あの時は高校生の彼。目の動きから、少し足りないっぽいのですが、最寄りの駅で見かけること二回目。


le 29 lundi
//八月も終わり// 行きつく先。  多くの人の老後が、行ってからのお楽しみというか、
老人にならないと分からないように、たとえ自分のことであっても先のことはなかなか想像しにくいものだ。  でも、社会変動や国家財政とからむ自身の老後に比べて、試験前怠惰に過ごせば惨憺たる結果なのは、中間のかく乱要素がない分、確率は高い。

当てられるべき近未来に無頓着なかれ。

薬物に手を染めた。そういう未来になるのでしょう。
聞くところによると、大人の脳が子供になる。
つまり、大人の特性である「忍耐力」が低下し、ますます手を染め抑制が利かなくなると。


le 28 dimanche
//お持て成しアレコレ、最終日//
等々力渓谷に行ったのですが、腰を抜かしました。
公園と称して自然を一度焼き払ったうえでの再整備は都市にありがちですが
まあ、腰を抜かしましたよ。全く豊かな大自然がこの大都会にあるとは。




le 27 samedi
//お持て成しアレコレ// 武蔵小杉から川原湯温泉、そして戻る。




旨い寿司屋がありましてね、今回もまた。


le 26 vendredi
//アチラからコチラへ//
20:40、首都圏の現地指導から無地に戻ってきました。こんばんは。

夫人首都からの二泊三日、
この間、お世話になりました皆様に心よりの御礼を申し上げます。
ありがとうございました。

今日はあまり時間は無いのですが、
アヲキくん(22)についてだけは語らせて下さい。
++++++++++++++++++++++++++++++++++
アヲキくん22歳。目●に住むという好青年。

金曜日、僕は大衆演劇の早や着替えのように見事な行動で、
20時過ぎの新幹線なのに、いったん帰宅して風呂に入って
髪まで結ひあげて、ほのかに香を焚き染めるほどの熱の入れようは
22時に目●でイタリアンなお食事があるからなのだ。

夫人首都(大名古屋)から首都圏の現地指導をアナウンスしたところ、
何と嬉しいことでしょうか、お食事のお誘いがありまして
普段なら名古屋駅前の会社ですからね、そのまま新幹線に乗るところを
失礼があってはならぬと、身を正したというわけなのです。

失礼があってはならぬ。お腹グーグーで22時。
たぶん雰囲気台無しの飢えからくる食事の様は
立ち食いのきしめんのようで、みっともない。
そういう計算も働きまして、カロリーの低そうな駅弁を選び、
ビールも一本。ウヘヘ。


異変に気付いたのは表示ではなく、周囲の慌ただしさからであった。
静岡県で大雨。運転見合わせ。
この時は遅れても30分程度だと思っていた。
定刻より15分遅れでのぞみがホームに入ったもので。

東京へは友人も一緒。一本遅らして三人がけの横2列を確保。
その、のぞみが15分遅れてやってきたのだ。
ところが座ろうとしている席に
お洒落リーマンが鎮座しようとするではないか。
現代の座席システムでダブルブッキングなんてあるのか!と思いましたが、
チケットを拝見させてもらうと20:20分の便。
そりゃ20:20は過ぎているけれど、これ、アナタの座席では無いでごさんすのよと、追い出しに成功したような感覚満点の、我らの着座。

結論から申せば95分も足止めを食らった。
席に座ったは良いものの、大雨だから動きません!の一点張り。
そりゃ、再開の見込みは何時なんてのは言えないことは分かっているけれど、アナウンスも表示も、静岡と三島との間で。。。と全く同じ。その繰り返し。

アヲキくんと話したのは、
一体&全体どーなってるの??とどちらともなく。
その彼が饒舌なのは、95分+新横浜までの90分。
周囲の皆様ごめんなさい。

揺れない車内で駅弁を食べてビールも一本、でも動かない。
キオスクに戻ってはおつまみとビールを買い足し、
先ほど追い出してしまったリーマンさんは、、、後発の人たちは
座ることもできずホームで待ちぼうけなのは、
見ていて大変にお気の毒だけれど、僕だって迫る時間に焦りも募るのだが、
酒は進み気も大きく、全く動く気配の無い新幹線、諦めることにしました。

レストランはキャンセルして下さいと、メールす。


一体&全体どーなってるの!??
と、見知らぬ隣人と動かぬ車内、話すのは自然な流れ。
ところが、こういう短い会話の成立のあと、何か話そうとするアヲキくん。
僕らが二人なのに、たぶん孤独な旅も長かったのであろうか。

どこまで行きゃーすの?という問いは、品川で僕らと同じ。
じゃあ、どこから来ゃーしたの?との問いはアオキくんだけに。
こちらは、京都と奈良を寺社巡りの旅だったそうです。
「僕、何歳に見えます??」という問いには、ほほう、話好きな青年だと
28に思えましたが21と友人は答えたので22にしたら、22歳の浪人生。

あああああ。彼はひょっとして、味のある生き方していない??!!と
22歳の浪人生、旅の戻りに、興味も津々。
と、いうことは何年生まれよ!と聞くに平成元年。
その割には古風な趣味をしているじゃない!と申したところ
顔をほころばすと、28は失礼しました、その張りに、やはり22歳ですよ。無精髭はあるけれど可愛い顔したピチピチの肌。
僕は、民話とか民俗学とか神社に関心があって神主になりたいのですと!!!
でも、母親の実家はお寺さんだし、一個人の情熱で神主になるのは縁故も全くない彼にとっては、とても無理に近い話であるとも語る。だから22歳まで浪人しているのだと?? そう解釈しましたら、僕は開業医の一人息子、受かるまで浪人生とあっけらかん。心は神主、でも代々医者の家系で背負っているモノが大きいと自覚はしているけれど、青年時代の葛藤でしょう。語る彼の個性的な日々は、現実逃避の側面は大きいにしても、聞く僕には絶対戻ってこない日々の、気まぐれとか、勢いとか、根拠のない度量とか、何か小説を読んでいるような気分にもなるは、勉強をしに貝掛温泉というところの秘湯の宿に連泊することも度々。こういう生き方って、まるで明治の文豪じゃありませんか!?? だから、ウーマンお勧めの毒沢鉱泉神乃湯もお知らせしておきました。そして小説でも書いたらとも付け申すに、理系分野がまるで駄目という心から出る拒否反応とは違うのも、これまた面白い。旅先でいろんな人と話し、特に民話とかは地域の古老に聞きだすという彼。神主になるには???とかなり深いところまで調べてもいた彼。明日からは気も入れ替えるというのだが、そうでなくても良いような。

新幹線はいつの間にか動いていた、というのは脚色のような物言いですが、話に火がつくと、こんなものです。

アヲキくんは、東京の若者。東京に行く者の過度なお洒落警戒心は全くなく、普段着の東京人。その着こなしは夫人首都の普段着と同じであるが、何が違うかと申せば、現代の小型電子端末(と、表現すれば分かる??)
アレとかコレとかソレとか、都市生活者としては一つは持ちたいものを一通り揃えている。そして携行している鮮やかなオレンジのカバンが見たことも無いお洒落さ満点で、正直申しましたよ、やはり東京の人ってお洒落だわ、と。すると、これはですね、自転車乗りさんのカバン。あああ、ヨーロッパとかニューヨークとか、アジアで言ったらトーキョーとか、あああ、都市生活者とロードバイクの関連性。アヲキくんは、大東京はもちろんのこと、「輪行」も度々している言うから、この若者は一体&全体、何者じゃ!?と思ってしまう。


今晩の会食には物理的に無理な95分の遅延。聞くに二時間を過ぎると料金の一部払い戻しがあるとかないとか。それよりも今晩のお宿に間に合うのかと、品川-目●経由の武蔵小杉改め新横浜からの武蔵小杉に変更したのは、仕方ないにしても、あと少し時間があれば「申し遅れましたがアヲキと申します」と言う以上に後日の連絡の仕方も確保できたのではないかと。。。


彼が医者になったら、寄り道をした分、視野の広い名医になると僕は期待する。でも、言葉の節々に何時までも。。という迫りくる危機感というか時折見せる寂しそうな表情は、自由になれば全力で神主になっておくれとも言いたいし、人の心を救う神主になったとしたら、それはそれで一つの名医なのかもと思いましたが、アヲキくんには伏せました。
夏休みはこれでおしまい、明日から気を入れ替えなければというのだから。


金曜日の晩は、全ての予定が乱れ、何とか武蔵小杉について、某マイミク師と合流。泊めていただく前に1:30までお洒落焼鳥屋さん。それから、3:30ごろまで風の通る素敵なお宅で、いろいろと持て成しを受け杯も進む。我ながら学生の時のような勢いだと、現地指導の初日を終える。



今晩の日記はこれでおしまい。
首都圏のアレコレ、第一日目を終わります。


le 25 jeudi
//胆力// 最近、精力とかではなく胆力の維持と向上に気を向けます。
この世が競争社会なら、年金生活者になるまでは競争し続けなくてはならないし、
そういう精神力と申しましょうか、気合いというか胆力の有無はとても大切。

僕は、どちらかというと胆力はないほうで、全く意識を解放したり眠ったりリラックスさせて精神の維持に努めてまいりました。だから迫られてする勉強は、その取り組むまでの「胆力」が全くなく、いつまでもスタートできない自分。だって、寝ることから始める人間ですから。


le 24 mercredi
//理系にありけり// そういう反応は理系にありけり。
たぶん、先行する理系がそうであるように後発もそうなるのでしょう。
頭の構造が違うと思う。


le 23 mardi
//管さん、さようなら// この人は、結局何をしたのでしょうか???
もし震災とかなければ、今頃、何をどうしていたのでしょうか???   
首相が一年交替制なのは勘弁してもらいたいですが。。。
小泉さんを強く意識していたそうですが、
僕は反小泉なのですが、やはり人物の器として小泉さんの足元には及ばなかったと思います。もちろん小泉時代にはない国難の到来という災難に見舞われましたが、最高指揮官として人を引き付ける能力の欠如は露呈したと思います。


le 22 lundi
//8月が、長い// 気温の変動もあり、お盆の山登りとかいつもなら月末をあっという間に感じるものなのに、八月ってどうしてこんなに長いのでしょうか???
まだ10日近く残っているよ。


le 21 dimanche
//見だすと止まらない// 葵三代。これを何回繰り返しているのでしょうか。なのにまたまた見出しまして、いつ最終回になるのやら。。。同じく女太閤記も見出すと止まらないのですが、同じ時代というのに、今の江ときたら。。。


le 20 samedi
//アチラから、コチラヘ//
そういえば今から二年ほど前であろうか、
僕にはお茶で酔いしれる心地の、
なんとも有り難く素敵なお店がありました。

季節の終わりは、雨の日が多い。
何を着ていくか、イマイチ定まらず、あれこれ悩んでも
先取りは、必ず樟脳(しょうのう)臭いのだ。

金曜日、明らかに季節が変わろうとしていた。
夕方のそれは明らかに朝の大気とは違って、夏の盛りではない。
なんだか嬉しくて飲みに出かけた。
mixiって便利ですよね、そういう心的なウキウキ感を表明したらお誘いがありましてね、終電で帰りました。家に着いたのは土曜日の午前1時。
それからの僕は玄関で犬と寝ていまして、朝食は五時台に野菜とヨーグルトと果物というなんとも健康風味満点な内容ですが、脳内のクラクラ感は解消せず、歯を磨き正式な就寝へと自身を持って行くのでした。

昼、昼食を食べ歯を磨かないで昼寝。

16時前、ようやく起きまして、どうでしょう季節の終わりに降る雨は、きっと記憶にない土曜日、日長降り続けていたのは、庭を眺めてはなんとなく理解できるもので、「涼しい曇天」という僕には好きな一日をやり過した焦りはふつふつと湧きあがるのです。

手短にシャワーを浴びてウーマン号に乗り込む。

今年、都市開発の恩恵というものをダムの一斉放水のように郊外に住む僕は浴するのですが、高速のインターが5分のところにできたのは、450m先に開業した地下鉄の駅よりもインパクトが大きい。
愛知県瀬戸市というところは、日中に車で行こうものなら1時間はかかる位置にありました。名古屋の外縁は、市内から広範に散らばるものと、広範に散らばった多くの車が戻ろうとする集約の現象が見られるところで、どの個所も必ず渋滞する。ところが高速を利用すると、下界のイライラはもはや過去のもので気に留めるとしたらそれは覆面パトカーの存在程度。時間にして1/3-1/2程度で瀬戸市に着く。


涼しい曇天。涼しい雨の日。
その二年ほど前に通い詰めたお店で、僕はいろいろなお茶の香りや楽しみを学ばせてもらい、自宅でも堪能できるように一揃え買い求めたりもしました。ところが自宅というものは、そういう雰囲気に浸る以前に日々の雑多な現象をきれいさっぱり掃除しないと、お茶で酔えるどころか気が散漫になってしまう。掃除は諦め、瀬戸に行くのは、意図した喫茶店があるからだ。

陶芸を始める前から、この町は僕の心を引き付ける。
することが無い雨の日に傘を指しながら瀬戸市をぶらぶらして
古い家屋でお茶を戴いたのも今から思えば季節の変わり目だ。

それにしても、本日は出歩くのが遅すぎた。
行っては目的とする和菓子は売り切れていて、
別に顔を出した店は暖簾は出ているものの、
本日は終了したと残念がっている。。。。
どうやら古い商店街のこの町は
17時には日々の生業を閉じ、奥の生活に戻るのだろう。
意図した喫茶店は五分前であり、残念がっては、こちらも困るので遠慮することにした。

では、何のために瀬戸に行ったのか!?と自責の念にも耐えかねるはずだし、ここは何が何でもと歩みは名鉄瀬戸線の終着駅、尾張瀬戸駅に向かう。
コーヒーを飲み、それなりに小説を読み進めたところで目的は果たせたと店を出る。何軒か空いている陶器屋さんは今の僕にはデザインの勉強の場。申し訳ないけれど、熱心に見ていても買う意識は全くない。店の側にもそういう見分けは付くのだろうか、それとも閉店間際に残業したくないのか、どこに行っても僕は相手にされない。。。

空は夕方の本来の衰えと、濃厚な雨雲。
これよりも暗泥な曇天はあるのだろうかと、
雨は時折激しく僕は来た道を戻る。
日曜の参考に、茶器の類を熱心に見ていたことも手伝って
ふと、久しぶりに点ててみようと心が動く。
干菓子だけは名古屋に戻り買い求めたが、久しぶりのスポーツサロンもあったりと、点てるのは22時。邪道だがカロリー上、お供は漬物にしました。


曇天の休日が、とても好きだ。
季節の終わりの雨の日に、本当は、じっくり構えて
本を読み、飽きたところでカバンから色鉛筆を取り出し
陶芸のデザインをアレコレ書いたりするのは
時間としてはとても上質。晴れていると心が浮気する。

秋になるまでのしばらくの間、季節の終わりの雨の日は多いだろう。
避けては通れないその日が好きなのだから僕は幸いだが、
涼しい曇天、涼しい雨の日に皆はどう過しているのだろうかと
アレコレ思案するには、二杯目を頼み、
さらに長く座るべきなのだろう。



le 19 vendredi
//アイウエオ// 言葉は難しいですね。特にネット上のアレコレは、解釈の修正が利かない。会話なら、曇った顔をしたときに、イヤイヤ、そういう意味ではなくて って事を丸く収めることもできるのですが。 


le 18 jeudi
//一本取られた// 近くに行った帰り道、お客さんのところに顔を出しアレコレ話す。お客の惚れ込みようと言ったらたいしたもので、仕事では厄介な間柄になることもありますが、大したものです。自分の価値をここまで高めていたことは素直に評価しなくてはなりません。


le 17 mercredi
//負の連鎖、意固地で解消されず//
どちらにも原因があり、腹の立つことを強烈に思いつつ意固地になり今に至る。

だから言いました。
「アナタは、自分の力で二階(レベルとしての例え)に行くのも良いし、皆と協調して二階に行くのも良い。ただし二階に行けなかった場合は、その責は自分に降りかかるから、会社は怖いのよ」
「で、その時期と二階のレベルがどういうものか私はアナタには言わない」

もう一方には、
「聞かれたら親切に説明しなさい。でも、アナタに聞かず進んでいくというなら、それで腹を立ててはいけません。彼は二階に行くのに、どういう方法を採用するか、もはや彼の裁量。ただし二階に行く協力の申し出があれば拒否してはなりません。拒否や不親切は私が許しません」

意味するところは分かってもらえたと思うけど
「私は私なりに一生懸命頑張っている」というのだが、もう聞き流した。
半分目を閉じていても二階に進めればよいのであって、
どれだけ汗を流すのかは問題ではない。

一生懸命鉄を叩いたけれど伸びませんでした。
私は一生懸命叩きました。

男の意地で意固地になっているのか知らないけれど
コツを知らず力任せに鉄を叩いても、本人が疲弊するだけだと思う。
でも、今は本人に任せる時期だと思う。


le 16 mardi
//何やってんだか// 
陶芸に行きましたが、一個も作らず帰る。
挑戦はするのですが陰と陽のバランスが崩れているのか
粘土コネコネしては、まともに仕上がらず、くしゃくしゃと潰すこと10回以上、帰りました。

これでお盆も終わり。
三日働けば二日の休み。


le 15 lundi
//アチラから、コチラヘ③//
8/15 夫人首都に戻る。
戻る途中、陶芸でもしようかと愛知県陶磁資料館に行くのだが、
月曜は休みのようだ。より道したのに、何もせず家に戻る。
怠け者の犬が、それなりに喜ぶのは、
僕としては家を長く空けていたのだろう。
暑いと思うのだが、今日は暑くないという。
3時間ほど経過して、ようやく理解できた。




le 14 dimanche
//アチラからコチラヘ③//
4:30の朝食。皆がごそごそし始め、
僕も外に出て朝のうがいをしたのだが星が鮮やかだ。
ガスは完璧に去っている。
このうす暗い中、視姦しようとは考えなかった。
とにかく、聖岳の往復で出会うはずだから、すれ違う人には
必ず挨拶をしようと。電話の声はより鮮明に思い出せる。


便ヶ島分岐にデカリュックを置き、
身軽になった僕は軽快に山頂に登る。


ここで、静岡県は静岡市清水区の好青年と出会う。
彼は大変な好青年にも関わらず、これまた整った容姿で、
そういえば、昨日、すれ違いざまに挨拶したわ!と思い出し
話しかけるものの、饒舌な彼はやっとのことで僕を分かってくれた。。
↑↑美しき男(おのこ)ありけり

奥聖岳もピストンし、あとは分岐に戻るだけ。
僕は朝の出発が早かったのだろう。
降りるときには実に多くの人とすれ違ったのだが、
やはり声掛けの勤めはさぼらず、特に近そうな人には
さらにアレコレ話しかけるものの、一体&全体、
某師はどこに行ったのだろうか???

こうなれば、一刻も早く、下界に戻り電波界に身を置かねばと、
ある種、清々しい決断もできたのは、
静岡市清水区の美しい男子(おのこ)が、
同じルートで下山するといのも大きく作用しているはずだ。

ところが、彼は小鹿のようにひょいひょいと降りてしまい、
僕はときたら、一番の苦手は下り。
これまた悪魔のように続く下り坂に、痛めた指先は、今も痛いのだ。

ようやく、有名なゴンドラまで降りることができた。
あまりにペースが遅く、取り戻すために一切の休憩を返上したものの、
出来心でゴンドラに乗ってしまう。
籠に乗った僕はロープを引っ張り対岸に行くのだが、
水平に見えて、中央部までは楽だが、それからは登り。
これが腕が引きちぎれそうなほど重たくて、諦めたら真中で
誰かが来るまで僕は宙ぶらりんだ!!!と恐怖感に襲われる。
なんとか対岸に行くことはできたが、川には丈夫な橋があり、
特別な増水時に使うものであるとの、ガイドブックの記述を
正確なものであったと身をもって知るのでした。

残るは一時間ほどの緩やかな道。

易老渡に着いたころ、静岡市清水区の美しき男子(おのこ)が
日産のエクストレイルで出発しようとしていた。
聞くに、彼はここに至るまで、
すれ違う人とは立ち止ってお話をし、大休憩もとっていたとのこと。。。
ちょうど12時の話だ。

12:20。僕もウーマン号を走らせる。



下栗の近くでメールを拾う。
某師は易老岳で緊急の野営をし、
そこから少し動いたものの、
体調不良と判断し下山した旨が述べられている。
とにかく生きていた!!!と大安堵。
あとは余裕も生まれ、温泉で汗を流し、
当地自慢の山肉料理を待っている間に、返信をした。


名古屋に戻れる気力はあったものの、
当初の予定通り飯田市内のビジネスホテルに僕は入る。
15:30。定刻通り。

少し早いかな??と18時、いつもの小料理屋をのぞいたら
カウンターはほぼ満席。
聖から下山したと述べたら、時の人になりましたよ!!

この縦走ルートは僕も初めてですが、下山したら勝手の知った
それこそ何度も来たことのある世界。
山肉料理屋とこの小料理屋を紹介したかったのですが、
某師は下山途中にさらに怪我を負い、
とても僕と合流できる環境になかったそうです。

夫人首都と首都圏の人が飯田の、それも限りなく近くにいて、
結局は会えずじまいで、会ってもいないのにお互い解散という
実に不思議なマダム盆なのでした。



le 13 samedi
//アチラからコチラヘ②//
この日は朝早くからガスが出始め、
先を急ぐ僕には、直射日光の体力消耗もなく救われるのだが
やはり何ヵ所かのピークでは眺望も愛でたいのだが、視界ゼロ。
こういう時には、山頂で休憩することを見合わせ、
とにかく電波が通じなければ降りたところで小休止しようと
この選択が結果的にかなりペースを速めた。

山の形に格好の良い悪いはあまり感じない僕ではあるが、
上河内岳の山容は実に素晴らしく、
その存在は聖の価値をも高めていると、下栗の里のころから
一連の山並みを見ていたので、
ここでの視界ゼロは正直、悔しいものがある。
本来は大休憩するのに相応しい場所であるが
携帯の電波が拾えないことを確認して下山する。
その先の南岳でも同じだ。
つまり、今朝は5:30に出て、イガルザ岳、易老岳、
希望峰とこの間の二つのピーク、そして茶臼岳、上河内岳、南岳と
全てに電波が通じず、梨のつぶて状態のまま小屋に着いた。
13時である。

クッキーと緑茶の持て成しを受けた。

目の前はテント場だ。携帯は通じないので男子単身の、
年齢と身長の情報だけを頼りに、肌の色さえ知らないのに
皆さまを視姦してしまいました。。。

近くにいるのに会えない。携帯に頼った交友関係の脆さです。
やきもきしても仕方ないし、
とにかく寝よう。手を合わせる必要はなさそうだ。
いや、待てよ、「千曲川のスケッチ」を持ってきているはずだ。
薄い小説の少しだけ読み、眠る。



le 12 vendredi
//アチラから、コチラヘ// 
マダム盆は不思議盆。不思議⇒不可思議⇒摩訶不思議。

そもそも直前までお盆の内容は決まっていなかったのに
いざ、その決心がつくと手際良く、忘れ物はザックカバー程度で
8/11、僕は仕事終わって少しの仮眠の後、
ウーマン号を走らせればよいだけでした。 

その旨は、mixiに述べたところ、嬉しいことですよ、
某マイミクさんが、僕も車を飛ばして合流すると。
このお盆が、不思議なのは、僕と某師との巻きが異なる
二重螺旋のような近づいたり離れたり。

既に御存知の方も多いのですが、個人的な趣味に斜面集落探訪があります。
ネットで「斜面集落」を検索すると、僕のページがゴロゴロ出てきますが、
その中で究極の斜面集落と命名しているのが
長野県飯田市上村地区の下栗の里。
ここは秘境として、それなりに知名度も高く訪れる人もいるのですが、
その奥に、「屋敷」「小野」「大野」と、奥の院と呼ぶべき
斜面集落があり、もちろん以前に探訪しました。
そしてさらに奥に痕跡があるだろうと車を走らせたのですが、
遠山川に差し掛かる頃、恐怖のあまり撤退しました。
星の一生があるとするなら、道路の一生で
まもなく自然と同化する「崩壊」過程の、
それはそれは恐ろしい姿なのです。

登山口駐車場は、この奥にある。易老渡。
ここは僕たちの臨時集合場所でもある。
と、申すのはお互いの出発点も時間もすり合わせるのには
離れ過ぎていて、電波の届く第一集合場所は時間切れ、
僕は易老渡に行き、ウーマン号の色や形を教える。

ところが、僕でさえ、この道は恐怖であり
第一級の警戒心を持たなくては進むことのできない
隘路の中の隘路であるのに、後発の某師にとっては、
どうやら飯田インター降りてから未踏の地らしい。

先に進む贖罪の意識もありまして、
メールにて、易老渡までの道順を教えたのですが
我ながら簡単明瞭に伝えることができたのも
足繁く通った賜物であると納得するも、やはり心配は尽きない。

+【マダム・メール①】+++++++++++++++++++++
●飯田インター降りたら右折します。
●一キロほど行くと左手にサークルKというコンビニがあります。これより先に買い物できる場所はありません。
●天竜川にかかる弁天橋を渡りますので途中でバイパスを降ります。ご注意下さい。(飯田インター降りた道がバイパスです)
●橋を渡ったら右折します。しばらく進と斜め左にはいります。
【注意】橋から矢筈トンネルまでの区間は道路が整備中です。何カ所か右左折します。
【注意】「矢筈トンネル」「上村」方面の看板が必ずありますので指示に従って下さい。
●矢筈トンネルを出たら道なりに進みます。かなり走りますが、ていしゃばは右手にあります。行き過ぎないようご注意下さい。トンネルを過ぎたら一キロほど走り右手ですが、何本かトンネルがあるのでご注意下さい。

慣れない道なので、くれぐれも焦らず無理のない運転でお願いします。
●予定より早く着いたら、ていしゃばの畳の上で仮眠していますが、時間になったら車に戻りますね。

+【マダム・メール②】+++++++++++++++++++++

易老渡へは二つ目のトンネルの直前を右折。看板があります。これより先は隘路なのでくれぐれも焦らず、安全運転で。

++++++++++++++++++++++++++++++++

某師の情報も易老渡の途中で、
電波も届かなくなり、あとは想像に任せるしかない。
先に行くことだけは了解してもらった。

そもそも今年は単独での登山だと思っていた。
10年ほど上げ膳据え膳で僕は付いて行くだけだったのに
そういう関係というものは僕は望んだとしても
相手方は清算したかったのでしょうね。。。
まあ、そんな話はここに置くとして、単独と思っていたのに
挙手する人がいるのですよ。光小屋で会いましょう。


易老渡。6時には出発する。
お盆というのに、登山口までに神経をすり減らす
南アルプス南部の険しさときたら、人をふるいにかけるのか
あまりに人がいなくて、晴れているから良いものの
ガスがかかれば遭難してしまいそうな細々とした雰囲気が漂う。
つまり、東京の人はこのルートを選ばない。西に位置する易老渡。
登山道は最後まで目印が少なく、
時に人の踏み痕を探したりもするのだが、
それを読み取れるのもガスがかかっていないからだと思うのだ。

とにかく、登ることに単調であった。ひたすら登る。水場なし。
途中、なんどが携帯の電源を入れメールを調べたりするものの
快晴というのに電波には関係がないようだ。
四時間超のコースで電波をキャッチできたのは一度か二度だけ。


+【マダム・メール③】+++++++++++++++++++++
やっと電波が通じた。●6時閉店は仮眠かもしれないね。10時頃から開いていたらいろいろ聞けれるかも。

●二つ目のトンネルの直前についてですが、右折して山道に入ります。基本的に真っ直ぐですが分岐があり看板もすくないので、「屋敷」「小野」「大野」集落を目指して下さい。
これより先、かなりの悪路ですが軽自動車も登山口駐車場にありました。気は滅入りますが安全運転をすれば行けます。

【注意】隘路走行は昼間でもライト点灯、ハイビームで。相手が気づくことが大切です。カーブでは適宜クラクションを鳴らして相手に存在を知らせることも大切です。
+++++++++++++++++++++++++++++++


易老岳に着いた。
本来は左に行き、聖岳を目指すのだが、初日は右に進み光小屋へ行く。

僕は、標高の低いところは、
つまり山登りの初期段階は極めて調子が悪い。
ところがどうしたことか2354mの易老岳についても
セカンドで車をふかしているような、進んではゼーゼー水を飲み休む。
これから光小屋までは稜線で、今来たほどの登坂もないのに
やはり少しの勾配で立ち止まる。おかしい!!!!!
階段で言えば一階から二階の、
その差ですら立ち止っていたような気もする。

僕を救ってくれたのは、清らかな水場を目にするまでであった。
その流れは力強く冷涼で、まずは飲みほして
何本も空にしたペットボトルに詰め替えて、僕はシャツを脱ぎ棄てて
見れば人も驚くだろうが、人と遭遇しない自信がありました。
シャツを脱ぎ洗濯し、乾している間は、体や顔を拭きまして
まさか、ここで一通りの、粉をふく塩と脂をふき取れるとは、
なんと冷涼なことでしょう。(もちろん石鹸などは使っていません)

小屋まであと少しだ。
途中、イザルガ岳に寄り道をしここで待望の電波を拾う。
登山口から、小屋までの各区間のコースタイムなどをメールする。
拾ってくれるだろうか????
小屋は、お盆というのに一区画5人は収容できるところを僕一人。
少し寝て、自炊して、もう一回寝て、
見晴らしの良いところに立ちつくしては来た道を見るのだが、
陽が傾き始めた。とにかくイザルガまでもう一度行こう。
小屋では、39番のところに寝ていて、オレンジの長袖を着ていると
実は、お互い初顔合わせ。僕という存在を知ってほしい。
某師は、かなり遅れていることを知った。
テントを持っているから、そこは安心できるものの、
小屋に戻ってからも、一度、夢に出てきたけれど
僕の見た顔は勝手な想像の賜物にすぎない。
諦めて寝るしかないのだが、手を合わせた。

翌朝、主人に遅く来た人はいないかと尋ね、
該当する者はいなかったと知り、小屋の背後にある光岳登頂は割愛し、
もう一度、イザルガ岳に行った。

易老岳近辺で一晩を過ごしているはずだから、
先に行っているはずだろうと、相変わらず電波が届いていないけれど
聖平小屋までには、どこか一か所くらい通じるものだと歩みを進めた。



le 11 jeudi
//今日は早く寝る寝る運動// 明日は前夜ということで、興奮も手伝い眠りにつけないと予測がつくので、今日は早く寝る。9:30ごろには寝れる予定。


le 10 mercredi
//詰め過ぎず、不足なしで// 不測・不足の恐怖にとらわれて毎年、アレコレ積み過ぎる登山のリュック。今年は適正に行こうと、先ほど終了。
ドラッグストアでアレコレ買いました。それでも重たいが仕方あるまい。
お洒落、登山用品は帽子を新調した程度。
靴は、痛みはあるものの、これで行くぞ。
準備するのにも汗びっしょり。


le 9 mardi
//石井スポーツどこに行った??// なるほどね。そりゃ探してもないわけだ。。
明後日は、はやく寝る寝る運動。と、いうことで登山の準備も今日と明日。
なのになんだこの余裕感は。。。

と、石井スポーツを探しに栄を歩いたわけだ。
変な趣味があり、人の顔を見て薬物中毒患者かどうかを見極める眼力。
これを鍛えているわけだが、もちろん回答なんてのは聞けないので
怪しい人を見てしまう。

薬物中毒患者の末路
なるほどね、脳が幼稚になっていき、大人の特権である忍耐力を失うから、
ますます手に染めると言うわけか。


le 8 lundi
//理想の隠居// フランス人は定年の延長にデモでもって大反対。若いころから隠居する。これだから人生は豊かなのだと。日本はというと、年金の不安から65までは働かせてよ!と。

ところが心の内では、若いころから隠居したい自分もいる。もちろん裏付けとなる十分な資金力があってのことだが、その見込みがないので働くと言うわけだ。

季節に則った生活をしたい。
夏の設えをした日本家屋で日長、新聞を読んだり、そういう生活。


le 7 dimanche
//スタイリッシュも、時間切れ// 登山にもファッション旋風が凄まじく、これがお高いので流行に敏感だと軽自動車が買えそうな勢い。 もちろんホームセンターで売っているようなもので代用もできる。僕は代用派ですが、そろそろ一つづお洒落登山着を用意していこうかしら??

靴も今年が限度かも。
ノンビリ一つづ揃えたら冬山になりそうだけれど
一気に買う勇気もありません。


le 6 samedi
//日本の夏は暑くなかった// 記憶があるのは幼少の頃は夏の盛りでも32-3度。
それが中学-高校のの頃か34度台がではじめ、今は39度近くの日もあったり。

夏の盛りで32-3度、そんな夏を待ちわびる。
江戸時代や万葉集に出てくる一年の折々の愛でを今に狂うことなく味わいたい。

と、いうことで32-3度の夏はお盆の過ぎたら秋の気配を色濃く感じていたのでしょうね。


le 5 vendredi
//飲み飲みで飲み// 木曜も今晩も飲みまして、
明日は土曜というのに会社の人たちと野外BBQ。 
こういう時間の過ごし方は久しぶりだ。


le 4 jeudi
//聖岳// うむうむうむ。あの道を夜中に走り早朝の登山は危険だと思う。
8/12 聖光小屋 
8/13 早朝出発⇒易老岳⇒聖平小屋
8/14 早朝出発⇒聖岳⇒飯田で過ごす夜。
8/15 帰宅途中に陶磁資料館
8/16 陶磁資料館


le 3 mercredi
//出来ることなら、、、// できることならご自分で矛を収めてほしいし、
出来ることなら、ご自分から身を引いてほしい。

それができないときに僕の仕事になるのだろう。


le 2 mardi
//盆の中身は空っぽ// ボンボンボーンと時計が三つ。あれはポンポンポーンだけれど。
さて、そんな言葉遊びはどうでも良くて、ウーマンのお盆、何も決まっていないのですが、山に登りたい漠然とした欲求はあります。  ところが、今年の夏は天候不順で、なにかその、そんなに前から意気込む必要もないのでは???と思ったり。


ところが、これが誰かを伴うとなると、雨の日の過ごし方も含めていろいろと事前に頑張るのよ。単独行の良くない面だわね、この優柔不断さは。


le 1er lundi
//この旋律に戦慄//

最初から50秒間の、このメロディー。いかにも中国的で、僕は小学校の低学年に口ずさんでいました。東方紅のCDは前に買ったことがあるけれど、この曲は収録されず、ネット見た時は驚きましたよ。 中国の民謡でも何でもなく革命歌じゃありませんか!!!!!!!!!!

一つ思い当たる節は、今から30年近く前、NHKで年に一度か二度、京劇の公演を放映。
この京劇というのも僕は好きで幼少の頃、見入っていたのは確かな記憶。
まさかまさかの、革命京劇を放映していたってこと?????

こちらは記憶にありませんが、東方紅ラストの圧巻シーン。



 
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