avril.2007

le 29 dimanche et le 30 lundi
//年中行事、大平宿// さて、戻ってきて驚いたのは、HPのinfoの中央のロゴから始まる写真の数々。最近まで「南信州秘境巡り」と題していました。
なぜだか、upに不具合が生じたのか写真が出鱈目。あまりに見苦しいので、家について早々、大平に変えました。

le 28 samedi
//雨が降ったので繰越です// しらびそ高原も分杭峠も行けれませんでした。しらびそは連休後半の快晴の日に狙いを定めて行きます。分杭峠は、どうも人気スポットぽくて静かでなさそうな雰囲気が嫌なので、行く気が削がれる。大鹿村の中央構造線博物館には行きたいのですが。

le 27 vendredi
//連休後半に// 明日から前半の三連休。天気悪いじゃない! 僕が当初考えていたコースは眺望が素晴らしいので天気が悪いと全く訪れる意味がない。  もう、頭から晴れると信じていたので、うーむ。困った。

le 26 jeudi
//5月はお便りキャンペーン// って受身なのですが。 お便りを出すという行為は、とても勇気のいることだと思います。 何か一言言いたいのに、自分にその資格がないというか。  所属する世界。性別。年齢などの差を意識して、一言添えるのを躊躇する。  もちろん、最大の要因は見ず知らずの者が物言いをして良いものなのだろうか!?という躊躇い。  そんな誰もが意識してしまう壁を、5月は取り払っていることを強調して、お便り、キャンペーンでもしようかと思っています。   僕が芸である理由で何か言いたいのに躊躇っている。そんな方もみえると思います。 毎日、こうも独善的な内容の日記を書いていたら、なおのこと。  世の中に、どれだけみえるのか見当も付きませんが5月はお便りキャンペーン。

//意味のない注意書き// トップページには、同性愛に関する記述云々の注意書き。  そもそも、その一言を書き足す必要はあるのか当初から迷っていた。人間としての交流は、そんなくだらない障壁で限定されるものではないと思うからです。  実際、僕の書く日記や旅行記など、同性愛とは全く関係がない。  

ただ、知らない人が読んで、色恋の話なのに、どうも合点が行かない・・・という解釈の補助のための参考的な書き込みは必要かなとは思いますが。

le 25 mercredi
//mixiには不向きなウーマンの持論// 凄く気になります。80キロあった体重が60キロに!とか・・・ そういう体験談もありますが。

まず第一に、科学的な作用でも未解明につき神秘的。なんか宗教じみて頭から否定するのは、とてももったいないと思う。

僕が興味をひきつけられるのは、中央構造線上という地学としての関心。
それと、仮にこの地が言われるとおりの通常ではない磁場があるなら、身を挺して実感したい。巨大なピップエレキバン!?

磁場の屈折というか緊張的な均衡は確かだとして、そこに身をおくと、何かの変化があるのか、とても知りたいです。
例えば全身を覆うピップエレキバンだとして、そこに居ることにより全身の血流が良くなり、毛細血管も広がれば多少の疾患は治癒できるような気もするのです。


さて、ここからは僕の持論です。

乗れない一輪車に乗れる。体で覚えるといいますが、乗れないものが乗れるようになった変化は、僕は
乗るための新しい感覚のための専用回線が脳内に構築されたときだと思っている。

では、その専用回線を構築するために何が必要か。!?
転んでも転んでも挑戦すること。これも一つの方法だと思います。

しかし、僕の持論を言い続けるならば、転換の決定打は脳内の回路。それを作り上げるための体得。

ただ、一輪車に限らず、大勢の前でのプレゼンに躊躇しないとか、結婚式のスピーチとか、、、いろいろと不得手なものを克服しようと人は努力する。

もっと分かりやすく言うなら、勉強。嫌々する勉強は、三日坊主。社会人のする自主的な勉強なんかは、とくに顕著。なんの強制力も働かないから。

すぐに挫折する。

そう、まだ回路が形成されていないから、すぐに挫折する。

人間、何かの目的を果たすために、回路のない行動を継続するのは実に苦痛。

新しい勤務先へ、いつもより90分も早く起きる。慣れという回路が開設されるまでは、早起きは実に苦痛。


もちろん継続して挑戦する体得は大前提。しかし、この回路が設置される以前の苦痛な期間を短くする方法があると信じています。

それは瞑想。全く何も考えない(←実に難しい)
何も考えないことを、しばしつづけ。脳内に、一点の灯をともす。それは一輪車に上手く乗っている自分であったり、勉強の継続の効用であったり。

実は、人間は聖徳太子でなくても、通常においても脳は一つではなくあらゆることに活発に動いている。そんな雑多な環境では新しい回路は作れない。


新しい回路を作るために必要なものは、脳の安静。そして静かなる環境において、丁寧にイメージする。




話は長くなりました。分杭峠。

もし、この気場というところに行けば、全身にエレキバンを貼る環境だとする。そして、それは血行を良くして毛細血管を広げる。


ここに、もう一つの回路開設の助けが現れたと思うのです。

実は、瞑想状態の脳は、安静であっても、血流は滞るどころか活発化していると思うのです。(瞑想するときの頭の独特な感覚)

静なる活発。


分杭峠で、かりに瞑想したとするなら、瞑想の効果とともに血流の活発化。

そうなのです。脳に新しい回路を開設するという行為は、脳にとっては運動量の激しい行為なのかもしれない。なぜなら、そう簡単に回路が開設されたら、人間は危険な癖まで習得し、生命は危機に瀕する。

まずは脳は慎重を求める。

人間の根本な欲求は生命体の保持(安全)だと思うのですが、それを否定することは考えにくい。脳は、何度も繰り返し慎重な態度で、生命の安全に問題ないと判断したとき、回路開設を許可すると思う。一輪車に乗っても良い!

この慎重は、脳に心があるのではなく、開設するためのエネルギーが多く必要(没頭しているある程度の時間量)ゆえの例えと思ってください。


ここまでの話をまとめます。
何かを習得するのは、脳に新しい回路を開設したとき。

その回路は簡単には開設されない。開設には膨大なエネルギーや、
それに没頭しているある程度の時間量が必要。

この没頭しているある程度の時間量を決定的に減らす助けが瞑想と脳内の血流の活発化。

この二つを同時になせる場所が、まさしく分杭峠だと思うのです。


mixiでは精神的指導者と、おふざけで名乗ったりもしますが、ここに市中の神や仏は存在しません。 分杭峠での瞑想が、全くの非宗教的。 だから、何かしら世の中の不思議を宗教的と決め付けて避けようとかするなら、それは勿体無いことだと思うのです。


さて、効果があるかどうか調べるためにも僕はGWに行きます。前半にいけなかったら後半にでも。
まぁ、僕は効果があると信じています。

ここで疾患が治癒したと色々と聞いたりもしますが、「病は気から」に属する病と、冷え性なら効果があるかもしれませんね。

もう一度言うなら、分杭峠で瞑想することは、科学的だと思うのです。

le 24 mardi
//分杭峠// GW後半戦にもじっくりと行ってみようかしら。もし、驚くべき気場なら、ありがたい話です。ラジウムの全国一も近くにあるし、名古屋は便利な場所です。

確かに、科学的に見ても、質の違う大地と大地が物凄い圧力で擦れ違っている場所に磁場の変化があるかもしれません。

方位磁針は100円ショップで手に入れます。

le 23 lundi
//エリツィン死去// 夜になって一報が入る。この人に関しては、ソ連邦という一つのロマンを破壊した張本人であり、僕は好きではありませんでした。 しかし、ソ連邦がなくなって今の世界があるのだから、稀代の破壊者というところでしょうか。彼は政変も落ち着いてからの奇行が実に目に余った覚えがありました。アル中だったのでしょう。行く先々の政府首脳も困惑気味なのが、いろんな映像に残っています。彼は破壊者として、その存在は歴史的な価値があったと思うが、政治的な知性はフィリピンのエストラーダ大統領並だと思っています。  二代目の大統領が復古調で、初代の勝ち得たものを次々と否定していました。中国の現・前総書記の対立のように葛藤があったかもしれません。彼自身の能力は劣だとしてもカリスマとしての反体制の求心力に誰かが担ごうとしていたのかもしれません。想像が勝手に膨らむのは、二代目はKGB出身。もしやもしやの・・・・と思ったり。

le 22 dimanche
//定かでないっっ// 外出と言えばスーパーに行っただけ。さて、今日は何して時間を消化したのか定かでないっっ。
土曜日のように昼寝したわけでもなく。 したことと言えば、饗応の準備と夕食後、ドライブ記をupしただけ。そうそう洗車に30分。
午後から雨降りでしたが、こんな日曜日も良い時間だとボケーっとしていたのは覚えているのですが、一体何をしていたのでしょうか!? 本を読むわけでもなく、掃除をしたわけでもなく、ジョギングもしていない。昼寝もしていないのに、ぼんやりと日曜が終わるのでした。

le 21 samedi
//実によく寝た土曜日です// 一日の大半を睡眠に費やしました。それ以外でしたことと言えば、饗応の準備のための物品の購入と部屋の掃除のみ。

//饗応の準備その二// 

竹ざるに敷く、笹や杉の枝

●鶏肉のささみを茹でる→練り梅肉を塗布→青紫蘇で巻く→囲炉裏端
●その練り梅肉の残りは、梅茶漬けにでも使える。

●ちくわの一方に切り込みを入れ開く→とろけるチーズを入れる→七味唐辛子をふりかける→丸く戻す→一本を三等分ないし四等分切る→串刺し→囲炉裏端

●揚げ豆腐をちくわの形状のような長細く切る→それを三等分ないし四等分切る→串刺し→田楽味噌を塗布→山椒→囲炉裏端

●乾麺の蕎麦(よって蕎麦湯なし)→ざる蕎麦→出し汁はゆうすけ先生の天麩羅の付け汁にも。よって大根おろし。

●餅 一人二つ程度。焼きあがったら刷毛で砂糖醤油の塗布→海苔で巻く。好みによりバターを餅に練りこむ。

●アスパラベーコンまき
●生椎茸・しし唐・しし唐・生椎茸の串刺し。
●かぼちゃ ●小粒ジャガイモ(味噌田楽orバター) ●たまねぎ
●エリンギ ●あれば銀杏 ●汁用のほうれん草
●下仁田ネギ(多めに購入) ●ズッキーニ ●ミニトマト ●パプリカ

●生イカは、長方形にしてUの字で串刺し
●海老大を一匹
●ホタテ
●子持シシャモ(一人二本から三本) 岩魚があれば岩魚優先

●串焼きよう鶏肉各種
◎ネギマ ◎とり皮 ◎鶏肉 ◎ささみの梅肉しそ巻き

●串焼きよう牛肉各種
◎牛串焼き ◎牛肉・プチトマト・牛肉の変わり串

●串焼きよう豚肉orソーセージ

●寒いので温まる汁
赤だし 鶏肉 切り餅の残りがあれば、 ほうれん草を入れる直前に入れる。 焼きあがった餅(一人一個) 七味唐辛子 

一口大の鶏肉を入れ、煮立ったら、ほうれん草を順序良く。そして、出来上がりの直前に赤出汁でとぐ。 椀に焼きあがった餅(一人一個)を入れ、出来上がった鶏肉汁を注ぎ、好みで七味唐辛子を。

敷物に使う、笹野は杉の枝を取りにいく。●枝切りバサミ
青竹が手に入りそうなら一本頂く。椀と菜ばし。 ●紙やすり
部屋の掃除

竹ざるなど、しっかり洗う。
串焼きの準備 同時に風呂の準備

なお#師のおやつの時間にあわせ、茶の準備も。この茶は明日の分まで、多めに作る。

風呂に入ってから、夕餉。

最初に鉄鍋を下げて直火にて、赤出し汁の準備。餅も焼く。
出来上がりと同時に、串焼きのスタート。鉄鍋は上に上げる。
●まず最初に、鶏肉のささみを茹でる。茹で上がりを鳥汁に使う。
よってささみの梅肉巻きは一番最後に作る串。

串焼きは、一人用にコースの竹ざる。×9
あまった、お変わり用の串を別に竹ざる。

天麩羅の前に、蕎麦の提供。そば用竹ざるは天麩羅用に。

お腹がすいたとのリクエストがあれば、ご飯を炊く。梅茶漬けでも。

le 20 vendredi
//謎の解けた日// 恥ずかしい話ではありますが、我が両親は仲が良くない。離婚を勧めたこともある。正確に言えば、仲の良くない日々が長く続いた。それを恨んだときもある。脳裏から消し去ろうとしても湧き上がる言い争いの声。結婚はもとより、誰かと一緒になる恐怖感も、つきつめればここに起因すると分かっている。もう、とにかく怯え震え悲しくて。そして誰かと一緒にいるのはトラブルの元、実にアホらしい行為と曲解もしていた。一人こそ最高の安全な形態であると。。。

どんなに辛い思い出でも、理由が分かると緩和されるものですね。

今日は謎の解けた日。僕のあずかり知らないところで、一つのドラマもあったのですわ。これが全てではないけれど、大いなる理由の一つではあったはず。 両親は、それを僕に知らせなかったことは、、、本当は知りたかったかもしれないけれど、、、それはそれで無用な心配をさせたくない愛情であったと感謝しています。 一方的に苦しめられていた被害者だもの、だから人生の方針も我がままであって良い、なんて、こちらも曲解していました。

自分が苦しいとき、それは自分だけでない。僕を包み込む家族なり何であれ、やはり苦しい。  こんな当たり前のことを今になって知りました。

今の今までは、理由も定かではなく、この嫌悪と憎悪は、もう生理的な反発だと、二人の遺伝子から生まれた僕は混乱していました。しかし、そこに理由が存在し、故に僕は今、大いに救われました。

それは今から20年ほど前の出来事だけれど、長い謎解きも、やっと終わりを迎えました。 感無量というか、我侭も卒業かな。無性に親孝行がしたい。


でも、こうなるとは予想外だけれど、こういう方向に自分は流れるのだということは分かっていたのです。 A→B 結果、こういう流れは決まっていても、こういう寄り道をするとは予想外。 Bに辿り着きたいという祈りは形を変えて僕を導いてくれます。精神的方違え。


今、こうして生活ができることに感謝します。

le 19 jeudi
//Hunting High and Low// a-haの曲です。僕のお気に入り、lausanne-fmでよく流れる。  最近、この東洋の旋律に似た要素と宗教音楽のような荘厳さを兼ね備えた構成が好きで、なんか手に入れたい一曲になりました。

//アンフェアでも、身から出た錆// アメリカの大学で起きた虐殺事件。いくつかの掲示板を見ると、韓国人が犯人と判明してからは、堰を切ったバッシング。その勢いがすさまじく、閉口してしまいます。今回の犯人と韓国人全体をリンクする画像や動画。これらは時期も全く別ですが、いかにも一緒に梱包して、見るものに不快感を増徴させています。とてもアンフェアだと思う。

しかし、閉口してもなお開口して言いたいのは、過去の常軌を逸した韓国人の反米画像や反米動画は、身から出た錆です。この殺人鬼とは全く関係がなくても、利用されてしまう過去を持っていたことは甘受するべきです。

アメリカ人からすれば韓国人は中東の反米国並みの印象でしょう。
こんなことを平気にするので、窮地に追い込まれたとき、これが傷口を広げるのです。怒りの表現が下手な人は損をします。

この、怒りの表現という言葉は、最近、僕がよく考えることです。
それは先日の日記にも書いた日本における日常の光景。
上の写真のように、怒りを、視覚(過激なパフォーマンス)や音量(罵声)で表す根本原因は言語能力の欠如だと思う。とにかく怒り心頭なのですが、それに見合う紳士的な語彙がないために、大声で罵声を上げたり他国の国旗や人形に火を付ける。それは先日見た自動車に蹴りを入れる男性と同じです。
人間は怒りを感じ、徳のある人は鎮めることもできますが、そうでない凡人は怒り信号を体外に放出します。 語彙の豊富な凡人は、それを紳士的表現にて抗議の意思表示をしますが、そうでない人は・・・・・ ともにガス抜きはするのです、凡人ですから。

まるで発作のようです。爆発する怒りのエネルギーを適切に処理できる言語能力がないので暴力で表現しガスを放出する。心と体と知識のアンバランス。反抗期の少年のよう。 アウアウアウと言葉にならない怒りが堰を切ったようにこみ上げ、バカヤローと相手を殴る。  たまに大人でも、この程度の事件で新聞に載ります。 こう考えると、人の心の穏やかさも言語能力というか国語教育に左右されるのでしょうか。 学ぶべきときに国語能力を身に着けないと、大人でもパンチでしか抗議の意思表示ができない。


ただ、エンコリなどを見ると日本人のするネガティブキャンペーンも度が過ぎます。抗議という限度を超え攻撃。いづれ、その過去が何かに利用される不測も考えるべきです。

それにしても、一時は中国人説が流れ、迅速な動きで在米中国大使がCNNに出演して、中国の困惑と遺憾と哀悼の意を表明。  後に、正式に不快感を表明しましたね。

le 18 mercredi
//秘密DVDを製作中// 内容は秘密。ムフフ。

//L字型// 部屋の机周りはL字型。一方はPC 他方は勉強用
久しく一方しか向いていないのですが。 皆さんの机周り、PCの置き位置が気になります。

//この感情を大切にしたい// 何曜日の夜の何時かハッキリしませんが、NHKラジオでラジオドラマを放送している。どうやら作者は同一人物のようで、25〜30代の男女の出会いを、一話完結で色々と流します。 若者の恋愛でなく、若者を過ぎた年齢の男女の出会い。それは知的な出会いで知的な話の展開。  産まれて34年。恋愛小説なんて一冊も買ったことがない。読んだことさえない。僕が恋愛が不得手なのは、そのような感情の枯渇。あまりに非現実的でアホらしい字列と久しく信じていた。  ところが、ほんの少しの信号ですが、この作者の本が市販されているのなら手にしたいと、34年生きていて初めて思う今日この頃。 ●吉峰 真琴さん

le 17 mardi
//銃社会// 大量殺人と暗殺未遂。朝と晩に驚くべきニュース。とくに長崎市長の場合は、個人の錯乱ではなく何かの理由があるはず。それは解明するべきだと思う。 アメリカの事件も犯人はアジア系と報道され、これが日本人なら、個人の錯乱であっても国家のダメージは計り知れないと思っていた。結果は、韓国人で、そのダメージを今後ジワジワと感じるでしょう。 錯乱した個人と国家は別と分かっていても、人間の心情は同一線上で見てしまうということです。  

まずは長崎市長になんとしても甦生して欲しい。そして32名の学生に手を合わせます。

それにしても、合点がいかないのは、途中で正気に戻ると思うのだが。学生を一列に並べて殺したといいます。狂気は長時間も持続するものなのでしょうか? 
池田小学校の事件のように、狂人の狂気は常日頃なのか!?

le 16 lundi
//少し安堵する// 昨日の日記の動画は戦慄を覚える内容。mixi日記にも書きました。そうしたら、それぞれに思う幅はあっても、皆さん長文のコメントを寄せてくれる。 この長さに、少し安堵しました。恐ろしい現実ですが、それを恐ろしく思ったりする人の多さと深さ。

le 15 dimanche
//我らの生活に隣接する貧困// 

//饗応の準備//
無洗米 出汁入り赤味噌 味付け塩コショウ 七味唐辛子 練りわさび
濃縮出し汁 茶葉 醤油 砂糖 白玉うどんorスガキヤ味噌煮込み 切り餅
バター 海苔 

鶏肉(味噌煮込み用) 鶏肉各種(焼き鳥用) 牛肉各種 豚肉各種 

ホタテ 子持ちシシャモ ウナギ イカ 海老 ハマグリ 

下仁田ネギ プチトマト 厚揚げ 卵10×2パック 木綿豆腐 ズッキーニ
ちくわと明太子 たまねぎ エリンギ パプリカ 銀杏 椎茸 蒲鉾

竹ざる 割り箸 竹串(たくさん) 紙皿(平 深 大小) 紙コップ ハケ
アルミ製茹で用ざる ボール 

日本酒 ビール ソフトドリンク

紙やすり

le 14 samedi
//素敵な土曜日// 本日は、家で待機する用事があり、そんな時間を掃除などに費やす。  昨晩の嵐も過ぎ青空と北からの涼しい風。
久々にmona−fmを聞く。今日はあちらのサーバーも安定していて、音切れしない。

le 13 vendredi
//怒りの表現が下手すぎ// 今日、トラブルを見た。 その自転車に乗る男は怪我をした様子はなく、危うい思いをしたか、転んだ程度だと推定される。
前の四駆の女が、駐車場から車道に出るとき、歩道を軽視し、車道の直前で停止し安全確認をするものだから、自転車の男は危うい思いをしたのだろう。
過失は女にある。  しかし、抗議する手段が、車の側面に思いっきり一発蹴りを入れて立ち去る稚拙さ。

最近、食品添加物や環境ホルモン、欧米型の食生活で怒りっぽい人が多くなったような気もするが、最大の原因はゆとり教育に代表されるように活字離れや、教育の二分化により、自己の主張をまともに表明できず成長した人間の大量生産。  これでは某国のように、怒りの表現を直線的にしか表明できず他国の国旗に火をつける下劣さと同じです。

怒りや不満を抱いたときは冷静になりにくいもの。ここに教育や忍耐の過去が現れると思う。この過程を軽視したものは、罵声か暴力でしか表明できない。

しかし、それをしてしまえば、下品で過度なゆえ、相手方にあった非も自身に近寄ってくる。

怒りや不満を抱いたとき、いかに温和に相手方に抗議するか。

さらに宗教的な感覚で言うなら、相手の非に寛容ならざるものは、いづれ自身がした過失にも激しい責めを負うでしょう。   この連鎖を断ち切るには、どこかの段階で相手方に非があっても許すべきなのです。

le 12 jeudi
//ウーマンの国への拘り// HP内検索から適当に検索。
日本116件 中国49件 韓国32件 北朝鮮40件 
ロシア18件 ソビエト20件 フランス44件 イギリス10件 英国13件
アメリカ47件 米国41件 台湾9件 ドイツ16件 スイス18件 スペイン2件
オーストラリア1件 インド26件 ブラジル2件 カナダ6件 イタリア13件
満州2件 ベトナム7件 イラン23件 イラク50件 エジプト0件 フィリピン4件
インドネシア3件 パキスタン3件 アフガニスタン1件 南アフリカ0件
メキシコ1件 キューバ3件 大日本帝国2件 フィンランド0件
アイスランド0件 ポルトガル1件 トルコ2件 中央アフリカ1件
シンガポール1件 香港3件 モンゴル0件 ペルー3件 ナミビア0件
エチオピア1件 バチカン2件 イスラエル9件 オーストリア1件
チェコ5件 ポーランド0件 アルバニア0件 ルーマニア4件 マレーシア2件

le 11 mercredi
//書く気が湧かない// いや〜 珍しい心理。 今日は、嫌なこともないのですが、なんか書く気が湧かない。書く内容が思い浮かばない。

でも、これは僕の人生の一部分の記録となるはずなので、あえて書こうとするならば、何かの花粉で昨日から眼が痒い!

le 10 mardi
//新しいサービスのご案内// 僕のHPの文字量は莫大な量に達していると思う。自分でも過去に何を書いたのか定かでないときがある。そんな時、HP内の検索かあれば助かるのにと思って、今日、便利なサイトに出会いダウンロード。

infoの頁の下段と、日記目次の頁の左欄に検索ができるように設定しました。

le 9 lundi
//心の釣堀// 過去の一切合財を全て心の釣堀にしまい、そこに糸をたらす。まだ生きている記憶の人間が針にかかる。

心に残る人達E
長く心に残る人達に笑いはない。僕が生き残らせ続ける彼らには、何故か明るく健康的なものとは正反対。

○阪の治安の悪いコアにあたる部分は避け、その外周を友人の車で見学。夏の夕方の商店街。窓は閉めていたので、その町の特有な香りがあったかは定かではない。なにせ外周のゴチャゴチャとした商店街。

そこを横切ろうとする自転車に乗った若い女が現れる。
車を止め、彼女に道を譲った。この街にしては思いやりに富む行動だったのか、彼女は満面の笑みを浮かべ会釈しながら通り過ぎた。
その彼女の骨と皮だけの細すぎる腕。顔や首。
拒食症なのか、それとも何かを摂取して食をも上回る充足感に浸り続けた結果なのだろうか?

街路樹なんて概念はほとんどなく、でも、ジャングルのように少しの土地でもあれば、何かを建てたり建てましたり、道路さえ埋め尽くさんばかりの商売の勢い。風通しは悪く、空調の排熱を直に浴び続ける街。それで熱い熱いと。地球温暖化が人間の自業自得なのを、まさに狭小で体現した劇場。
そんな街に住めば、人間の生き方の多様さも黙認されるのだろう。何かに怒り、何かに追われ、何かを追い続ける街に、商売と関係がなければ、どんな生き方をしようが関係がない。だから彼女は存在し続けれるのだろうか?

le 8 dimanche
//政党の力。政党のイメージ。//統一地方選挙に行きました。中選挙区制。それも5人くらい当選してしまう。だから有力な政党は候補を複数出す。はっきり言えば誰がどの主張をしたのか全然把握できていない。この場合、やはり所属政党のイメージが判断材料になる。最近の、その政党は健全な主張を展開しているか!?とか。  さて、誰が当選するのでしょうか?

変な世の中になりました。小学校に行けれるのも選挙の日くらい。それ以外に行けば通報されそう。 六年間通った通学路をとおり小学校まで。



家の近所であっても、生活が変われば、年を通して全く足を運ばない方角ってのもある。桜が見事でした。

投票を済ませ、これまた近所の公園に桜を見ながら家に戻る。僕のジョギングコースでもありますが。 
やっややや、僕を呼ぶ声が!  父上でした。

↑ マウスを当ててみて。

le 7 samedi
//週末はコレ!//→

le 6 vendredi
//偏屈な中毒患者・・// 分煙と叫ばれつつも、実際は受動喫煙の害は酷い。受動喫煙を嫌う人間がブログに喫煙者への苦言を呈する。 ところが偏屈な喫煙者が噛み付いた。好きでこうなったわけではない。アナタの理論は排除の理論だ!

なんとまぁ。タバコを吸う者の100%は、それは有毒で依存症があると熟知の上であるはず。  こんな前段階を無視して、自分はニコチン中毒でこれからもタバコを吸う。喫煙者には近づいて欲しくない、というアナタの理論は排除の理論だ!と、さも被害者のように言う始末。

喫煙者が問題ではない。要は偏屈が問題だ。  実際、中毒であるにかかわらず、全体を見れば、喫煙者は非喫煙者に対して慎みを持つべきが相当なのに、彼は対等でないのは差別といわんばかりの勢いである。だって好きでニコチン中毒になったんじゃないんだもん! この中毒の気は抜けきらないから、あっちに行って!って言うのは差別・人権侵害・排除の理論・・・・・

一人、こんな偏屈な理論を展開すると喫煙者全体への偏見や憎悪が深まる。

実際、ニコチン中毒で止められないのは理解できる。その毒気は一生ものだと理解できる。仲良くするためには、やはり時代の進歩に合わせて喫煙者は非喫煙者に慎み深く、一歩も二歩も謙って迷惑をかけない、隔離した場所で吸うくらいの気合があって初めて共存できると思う。

アナタが喫煙の権利を主張するその煙は、確実に他者に被害を与える。隔離した場所で吸うことの徹底ができないのなら、やはり近寄って欲しくない存在である。それを表明するのは差別なの?

le 5 jeudi
//大衆の風情// 大衆の風情と命名した炭火焼屋がある。今日もまた素敵な先輩と大衆の風情を味わう。思えば、昔は名●屋観光ホテルのディナーブッフェに通いつめていたのに・・・変わるものですね。

あ〜 食いすぎた。飲みすぎた。動物性油脂を過多に摂取した。
本来なら帰宅して5キロのジョギングをしようと思ったのに正反対の行動。

//心の釣堀// 過去の一切合財を全て心の釣堀にしまい、そこに糸をたらす。まだ生きている記憶の人間が針にかかる。

心に残る人達D
彼が英語を勉強しカナダに留学しようと考えたのは、女性にモテるためだった。彼曰く、外国の女性は外見で判断しない。心の美しさを見て愛してくれる、と。  そう言われれば、外国の恋愛は日本よりヒューマニズムに溢れるような気もする・・・・
その彼は自身でも認めるように、女性に例えたなら不美人の極み。格好良くも可愛くも美しくも無い。だから心で勝負するためカナダに行こうとしたのだが、周囲の評判は性格の悪さも云々する。

彼に関して記憶に残るとするならば、イタリアはローマのとある広場で善良なイタリア人男性と友達になり、誘われるがままバーに行き、ボッたくられたと。僕は、個人的に騙されるほどの純粋無垢さが好きだったのですが。
カナダでは一花咲かせたのでしょうか!?

le 4 mercredi
//心の釣堀// 過去の一切合財を全て心の釣堀にしまい、そこに糸をたらす。まだ生きている記憶の人間が針にかかる。

心に残る人達C
彼は一昔前の典型的な日本型サラリーマンかもしれない。毎日、同じ電車に乗る勤勉さ。彼に関心が湧き始めたのは、「毎日同じ」が他にもあるからだ。
同じ時刻の電車は述べた通り。彼は座る車両も席も全く同じ。始発駅から乗るのだろう。  そして、感心するのは例外なく眠りこけているのだが不思議と降りる駅の直前には目を覚ます。また、安眠の姿勢も体得したようで、手の組み方も独特で全く同じ。 勤勉で感心する一方、なんか哀れで、でも毎日見れる光景に安心感も湧いてくる。

le 3 mardi
//ローカリー・クラブ//なんて作ったら面白いかも。まっ、僕の旅のスタイルは特異なので参加者はいないでしょうね。

//新聞を読んで// 今でも放送しているのでしょうか? NHKの日曜の朝の番組。新聞を読んで。  大学教授とか作家が主要紙の一週間を論評する番組。  昨日も今日も先週末買ってきた長野県内の各地方紙をテレビ欄と番組案内以外は一言一句もらさず読破。  とくにネットは欲しい情報のみ選択して満足する傾向が顕著ですが、それに慣れきった脳には良い体操となりました。 

これで読破した地方紙は下諏訪新聞・市民タイムス塩尻・市民タイムス木曽。

明日は、たつの新聞。それ以降は長野日報と岐阜新聞になります。

//心の釣堀// 過去の一切合財を全て心の釣堀にしまい、そこに糸をたらす。まだ生きている記憶の人間が針にかかる。

心に残る人達B
特異な偏執や性癖の「お手上げ宣言」にトラウマという言葉がある。トラウマだもの、仕方ありません。以上。

彼の執着は特異な域で、饒舌で楽しいイメージを早々に瓦解するほどの威力を持つ。  それはお金にまつわる話で、犯罪ではないのだが、とても嫌悪する拘り。  改めることもなく、故にそれが理由で二度転職し、今頃、四度目の五度目の就職活動をしているのかもしれない。

彼は金を盗んだりはしないが、金こそ人間の上下関係の決定打であり、今の自分の位置を知りたいのか、常に他の人間の収入、ボーナスの額を聞いて回ってはランク付けする。

湧き上がる衝動だもの、抑えられません。どうしても他人の給料明細の中身を知りたい。  彼は知恵を使い、正面突破で戦果を挙げたりもした。「ぶっちゃけ、いくら?」 

しかし、偏執狂の彼、情報の収集に終わりは無い。  経理部門の女の子を取り込み大量に聞き出す大戦果も挙げた。


早々に皆は嫌い始め、彼は去っていったのだが、嫌われた原因を他にみているようで、つまらない会社だのといいながら去っていった。


形を変えた万引き犯のようなもの。盗めるものがポツンと存在するとき、何度警察につかまった過去があろうとも手が伸びる。

あ〜、他人の収入が気になる。気になって気になって仕方が無い。


彼のその後は、別の会社に就職はしたとだけ聞きましたが、新天地での顛末は、聞かずして外れることも無いでしょう。

le 2 lundi
//書くことと読むこと// 技術的には書く方が難しいのだが、現在はpcで漢字も適当な記憶で十分対応できる。よって書くという敷居は大幅に下がった。

僕は文を書くという行為は稚拙な内容であっても頓挫せず繰り返し、その時間投下量は他のそれを大幅に上回るはず。書くことは簡単で楽しい。ワープロの、pcの登場は、書くという作業を話す程度に易くした。

一方、僕は読むという行為は不得手である。
とりあえず逆説的な話をすると、高校の頃、現代文は得意で、●●●の赤本とかでも毎回ほぼ満点だった。(英語と数学が破滅的に苦手で・・・以下略)  

つまり、赤本の現代文を読むという行為が、正当を得るためという目的があり、故に、関心の無い内容でも読もうとする。  そして時間をかけて読めば、相手は日本語ですから、分からないはずがない。焦って読むから意味不明になる。 それはパズルのようなもので、難解といわれる現代文の試験問題は、ソレとかアレが今読んでいる字句の直前ではなく、変な所にある。それがDNAの螺旋構造のようにグルリぐるりと回っては出会い離れていく。そして結末へ。

しかし、僕は読むという行為は苦手である。目的が無ければエンジンがかからないので関心の無い分野は手付かず。例え読んでも意識は散漫。それと読む姿勢って気になるのです。ベッドに寝ながら読めば早々に疲れる。

やはり試験って偉大です。

読むということは不得手。今読むそれに点数などの評価は下さらない。何故に関心の無い分野を読もうものか!?


読むこと、それ自体に近々の価値を求める自分が打算的で嫌です。これが抜けきらない以上、僕は読書の楽しさは語れない。

le 1er dimanche
//権兵衛トンネルと伊那市// 毒沢からの帰りは、今回、初めてのルート。諏訪から伊那谷に入り、それから中央アルプスを貫通する権兵衛トンネルを通って木曽路へ。

伊那市のゴチャゴチャとした雰囲気は、戦災に遭わずしてモータリゼーションに突入した町の攻防と一目で分かる。  

この旧市街から中央アルプスに向けては広大な裾野を高度も上げる。  この光景は実に雄大。そして振り向きはしませんでしたが、背後にある南アルプスの眺めも絶景であると予想がつきます。故に、次回は権兵衛トンネルを通って伊那市に入らなければなりません。

伊那市には、ローメンやソース焼きそばなど独特の食文化があり、都市の猥雑さも魅力に溢れる。  なんとなく思うのは、今や南信の中核都市は飯田に代表されますが、伊那も自尊心があって対抗しているような気もする。

次回の地方都市で過ごす週末は越前大野と決めていましたが、今年は雪も少ないので残雪のあるうちに伊那に行くべきであると、何階級特進の扱いに変わりました。 もしやもしやの来週末かも。。。


そうそう。僕は糸の切れた凧のように気分次第でフラ〜と出かける。名古屋に住んでいて、週末に都心部で騒ぐこともしない。土日は山の中にいる。それが自然のスタイルになりました。そこで思うのは、僕はもう週末は田舎というスタイルが当たり前になりましたが、他の皆さんの週末の過ごし方が気になる。

週末、田舎に脱出しなくて、何して過ごすの?

//この前の握手の相手は?// 選挙カーの声が聞こえます。  前回は民主党から立候補して、彼のポスターは小沢一郎氏と固い握手を交わす。  そして落選。  今回は自民党から立候補。
人の価値観は変わっても当然なので、これを節操無いと批判したくはありません。  しかし、彼にとり、民主党から自民党に鞍替えした、つまり自民党に存在する民主党を上回る魅力については語られるべきではないでしょうか? 自民党にはコレコレがあるので今回は自民党から立候補したと。

//中国の不愉快が分かる// 過去におけるチベット人権決議などの米国議会の動きに関する不愉快を遅ればせながら理解できました。
今回は従軍慰安婦で対象地域は主に朝鮮半島ですが、僕が思うに中国の意図が働いているでしょう。  韓国はこの現象を喜んでいますが、だからといって米国はもはや韓国を向こう岸に放置したので、これを単純に米韓接近と解釈するのは不自然です。  いうならば、韓国を隠れ蓑に中国系が背後で動いていると思う。    さらに米国言論界で日本バッシングは急拡大。これを韓国系の説得だけでは無理だと思うのです。あの大統領に米国を動かす魅力も信頼もない。  米国を牽制するために中ロの接近は顕著です。その作用をさらに際立たせるため、日米離反の一助として韓国を題材にロビー活動をしているのではないだろうか? 今の中華経済力には米国であっても無視はできない。  

中国は資源確保のためにも海洋進出を国家の機軸と考え始めました。それを見事に阻むフィリピン-台湾-沖縄-日本。  この防波堤を是が非でも切り開くために日米蜜月はなんとしてでも打破したいのかと勝手に思ってしまうのです。 韓国を取り込んでも太洋へは出られない。 資源が枯渇するほど、日本という存在が目障りになる。

この流れで、いづれ沖ノ鳥島は岩という国際キャンペーンをするでしょう。今も昔もしていますが、それを第一級の工作活動に格上げすると、さすがの日本も硬化すると、今は適当にボールを投げて様子見をしています。しかし、遠くない将来、キャンペーンをするほうに利があると判断します(オリンピック明けか?)。 全く小説のように飛んでしまった話をしますが、日米が離反すれば、沖ノ鳥島も「岩」と国際判断を勝ち取れるのでは?と目論んでいるはずです。  北京が、純粋に人道的な問題で米国議会に対しロビー活動をするわけがありません。  何か利がありロビーする。  それを僕は海洋進出だと勝手に思っているのです。




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