令和3年4月 avril.2021


le 30 vendredi 金曜日
//あれから一か月//先月の月末退社をしました。あれから一か月。何かと忙しくて振り返ったりする余裕もありませんでした。どうでしょう。あの人たちは何しているのかな? 元気なのかな??と職場の同僚をふつふつと思い出す日が湧いてくるようなら、私の生活も少しは慣れてきたのかと。

長くも感じた四月でしたが、やはり不思議なもので終わってしまったら一瞬です。


le 29 jeudi 木曜日
//自宅湯治//昨日の件でホッとしたのか堰を切ったような疲れが出てきまして、これは自分の経験から申せば養生に徹するべきだと。  本日は自宅湯治に切り替えました。

さて、以前していた梅肉エキスの水蒸気深呼吸を復活させます。医療崩壊した時に変異株に感染。そして重症化した場合、それは死を意味する。これは全く海の向こうの話ではなく大阪辺りの話。

//どういうことでしょう//退職してから三つほどある経験ですが、それは何かをしていることを既に経験していたのか夢の中で見ていたのか、そっくりそのままを再体験している。今の今まで、こんなことはなかったのに、退職してから三件ですよ。


le 28 mercredi 水曜日
//なんとか//昨日の大失態は、朝一番で何とか解決しました。ただ、これが時と場所を誤れば、本日は終日、右往左往していたはず。  やはり自己に対する叱責というか懲罰は避けられない。良かった良かったではなく痛い戒めを。

どうだろう。今年のGWは何かしらの気晴らしでもと考えていましたが、それは一切禁止とします。


le 27 mardi 火曜日
//反省//いづれ私は一人になる。こんな脇の甘いことをしているようでは、ただただ反省するしかない。  正直、アホだと思う。

滝があれば打たれるくらいの大失態。


le 26 lundi 月曜日
//燕は昇る、②//嬉しいのでしょう。分け隔てなく接することが嬉しいのだと思う。私には信念がある。好きで不器用になったわけではない人に、分け隔てのない愛を。彼や彼女にとっては、そのどうしようもない不器用さで散々イジメられ距離を置かれた悲しい記憶が心にあると思っています。私がこれに加勢してどうする!!!!!!!!!! その澄み切った輝かしい瞳は、話していて本当にステキな人だ。


この感覚は一貫しているので、不逞外国人や反日在日等には激しく嫌悪もします。法を犯して日本に入国したり不法滞在して、尚且つ犯罪行為や利敵行為をする民族などは、積極的な意思で悪事を働いている。同情の余地はない。そもそも援助や努力とは、民族が貧困から脱却して、その土地で住み続けることだと思う。よその国が良さそうだからと移動していては、その国はいつまでも貧困である。移民に国境を閉ざすのは人倫です。


さて話は戻りまして、今度食事でもしましょうと。嬉しいですね。


le 25 dimanche 日曜日
//不安はないの??//不安とは、不安を感じるから。そもそも今を一生懸命生きていたら、不安を考える余裕さえない。変な意味で慣れが出てきて芽生えたのが不安だとしたら、本末転倒。
するべきことは後回しにせず、その折々で接する人に愛を、困っている人に労わりを。これをしていたら、不安になる余地もない。  何かが抜けている。

体調管理は万全に。コロナが怪しく迫りつあります。


le 24 samedi 土曜日
//たまに思う//ところが全く意味がない。人は何故、意味がないことを、時に真剣に考えたりするのだろうか。意味があるのは、今、この瞬間。 

では、今のこの瞬間を一生懸命かというと、意味の無いことを考えたりしている。つまり、今するべきことをしていないのだ。


le 23 vendredi 金曜日
//期日前投票//区役所に行く用事があったので、そのついでに名古屋市長選挙の期日前投票に行ってきました。

国会議員は、国と国民を、市長は市と市民の発展に勤しむべきであり、その観点で投票しました。
怒涛の一週間が終わりました。と言いつつも明日も明後日も忙しい。


le 22 jeudi 木曜日
//日が長くなりました/二か月後の極を目指して、毎日少しづつ伸びていく。つくづく、暦のいびつさを思う。太陽の満ち欠けで決まったらよいのに。年の始めを、日が最も長くなるか、その逆。そして春と秋の中間点のどこかにあればと思う。


le 21 mercredi 水曜日
//燕は昇る//つくづく、もっと早くとも思うのですが、このタイミングだからこそ出会う人たちもいる。一番恐ろしいのは、何もなかったかのように決断をせず内に籠り続けること。それをしていたなら、私は今見る景色、人との出会いは一生無かったのだろう。新しい扉を開けたら新しい世界が広がる。今となっては当たり前のことですが、今の今まで知りませんでした。

分け隔てなく接する心。それが出来ない人もいますが、その人たちは、これから、それ故の苦労を背負うのだろうと眺めるばかりです。好きじゃないから無視するとか、こういうアホな基準で行動する人ってのは、おそらくアホ過ぎる理由でもって人生が頓挫していくのだろう。ただただ眺めるばかりです。


le 20 mardi 火曜日
//好きでそうなったわけではない//度重なる忠告やドクターストップにも関わらず放蕩の果てにアルコール中毒になった人たちに対しては、私は冷淡である。薬物中毒でも同じことが言えます。避けることはできたのに、それを選択しなかった結果は本人が甘受すべきで、社会の抱擁は最後尾に在るか無しかの対象。

しかし本人の意思とは関係なく何かしらのハンディを背負った人に対しては、私は放っておくことはできない。日々繰り返すとしても、その不器用さを責めてはならない。何かの御縁で出会ったなら、私は彼らが気になって気になって仕方がない。もし、彼らが理不尽な不利益の対象になったり、攻撃されるようなことがあったら、昔から盾になってきたものでした。格好の良いことを言いますが、ただ単に放っておけない心理が働くのです。

そして不思議なことに、私は居場所が変わったとしても、その様な人とのご縁を頂く。それを私は嬉しく思う。彼らは純真で瞳は澄んでいる。とても美しいと思う。


le 19 lundi 月曜日
//瞳は訴える//マスク姿なので、その人の為人は、まさに瞳に凝縮される。不思議な御縁を頂きました。お隣の天白区で陶芸をしていらっしゃる方。その人の生き生きとした純真な瞳。

幸いなのは、新しい世界は決して孤独ではなく、美しい輝きをしている瞳を持つ人たちと多く出会うことです。 収入は絶えましたが、良い時間を過ごしているのだと、今、この時間がとても美しいものなのだと。

人は、まず、心なのだと思う。 そして、心から出る言葉なのである。陶芸用語で【土殺し】という言葉はあるけれど、まさか対人関係で、その手の言葉を耳にするのなら、それは異常な環境です。一つの立派な答えが出ています。付き合う道理など端から存在しない。


le 18 dimanche 日曜日
//冬が来たよ//朝は晴れましたが、通り雨が降ったと思ったら、まるで冬が来たような鉛色の雲が北から南下して降り出す。風も冷たい。平湯温泉辺りでは降雪だそうです。

今日も一日陶芸。瀬戸行は見合わせました。
面白いもので、作りたい形はあるのです。しかし、それは今ではない!!と作らない私がいる。この気持ちには、いつも従うことにしています。今年は公募展とかにも挑戦しようと思う。


le 17 samedi 土曜日
//雨音聴きながら//買い物の付き添いと作陶の土曜日。雨は激しく冷たい日曜日でしたが、お天気で気になるのが台風。現在フィリピンの東ですが、この時期であり得ない強さ。やはり地球の温暖化は顕著だ。

陶芸頑張りすぎて、只今、全身筋肉痛。


le 16 vendredi 金曜日
//届かん!!//退職したら、その後の手続きに諸々の書類が必要なのですが、ちっとも届きません。まあ、届いてから動くとして役所が苦言を呈するなら、苦言を呈したいのは私の方でした!!と返答します。 

実質的な被害・損害がないので漫才みたいな受答えも可能ですが、この間、万一の事で実害が生じたら、話は別になるので、ホント、早く届かないものか。


le 15 jeudi 木曜日
//やはり。//この移行期で、諸々することはあるのですが、その一つに陶芸技術の習得があります。それは新しいことを学ぶ行為ですが、どういうことでしょう、初めて知ることなのに、既に全く同じシーンで習ったような瞬間的な記憶が頭に湧いてくる。

コロナの第四波が迫りつつあります。今度は大阪から。まあオリンピックは無理だと思うし聖火リレーなんて茶番ですよ。

明日は金曜日。土曜日は雨というし瀬戸行は中止かな。


le 14 mercredi 水曜日
//筋肉痛//腹筋が筋肉痛なのは良いでしょう。これで痩せれたら万々歳なのですが。
特に何が変わったかというと、平日における昼食が粗食になったこと。
この週末は瀬戸で陶祖祭りですね。行くか行かざるべきか迷うところです。私の本分は、物見遊山ではない。ただ、見聞を高めるのなら行っても意味あるのですが、贅沢は厳禁。


le 13 mardi 火曜日
//ビックリしたこと一つ//某所である話を聞きました。それは特殊な内輪の話でしたが、どういうことでしょう、後々思い出したのですが、その話、その話し方、その声、全く同じ記憶が5年か10年か前に私にあった。

これは一体どういうことでしょう。


le 12 lundi 月曜日
//あの人たちは今!?//これは地下鉄が延伸した時にも言及しました。同じ内容です。勤めていた時は、いつもものすごく早く出社していましたが、それは乗るバスや地下鉄もラッシュ前の時間帯。

さて、どこのどなたか知らないけれど、朝早い時間の同じ車両に乗る人は、小さな村社会。知らない人なのに、とても強い連帯感。それは、その時間になくてはならない顔なのです。ところが、ある日を境に挨拶もなしに見なくなる人がいる。最初は風邪なのかな!??と思ったりしていましたが、ついに現れることもなく。

そんな事を思い出しました。アレ、いつも座っては、すぐに眠りにつくあの人は?????と。そんな私ですが、今日も朝から忙しく。


le 11 dimanche 日曜日
//久しぶりに//新しい粘土を用いまして、久しぶりにロクロ。決断をして以来、諸々にすべきこともありますが、陶芸の幅も広げています。技法の習得とか、知識とか習得すべきことは多いです。

まだ名古屋に住んでいる分、瀬戸は近いので学べるときに沢山学び、あとは知識が生涯の伴侶に。

澄んだ瞳は、特別なものではなく、志高い人が集まれば、そこにいる皆の瞳は全て澄んでいる。特にコロナ禍でマスク姿。瞳の訴えは大きいです。魚の腐った目になってはならない。志高く、澄んだ瞳で人と接して世の中を見て。


le 10 samedi 土曜日
//釉薬調合//これで良いと思う釉薬を調合しましたが、それを試すには窯に納まりきれないほどの作品を作ってから。そして思考錯誤するには、今のような繰り返しなので、アレもコレも試したいけれど、なかなか先に進まないのも正直なところです。

【本日の考察】黒燻釉は使用前に酸化被膜の除去を。使用後の七色は厚みの成せる技。

そうそう、昨日の記述にもありますが、笑ってしまうのが、一つの理想に誰もいない山奥で陶芸に没頭する。これは心の奥底にある願望です。では、それを売るに当たっての人との関わりはというと、全くそんな欲求がないのです。私のする陶芸の究極的なところは、土から美しいものを作りたい。では、それを世に広めるための欲求はというと、さっぱり湧いてこない。


le 9 vendredi 金曜日
//寒の戻り//10日早ければ、桜も長持ちしたのに。北風の強い日でしたが、冬の様な快晴は、それは気持ちの良いものです。

つくづく私は陶芸馬鹿だと思う。今後の人生も、これこそが大黒柱。どこに行こうが流されようが、それは陶芸の成分の濃いところ。そういう環境に移っていくのだ。親子の縁も、それで変わるかもしれませんね。

究極的には、誰もいない山奥でも良いのだ。一切の人との関わりを絶っても良いのだ。


le 8 jeudi 木曜日
//無駄遣いはした、無駄な時間はない//4000円近くの無駄遣いをした。今の私にとって無駄遣いは始末書もの。よって今週末の多治見行は見合わせます。気の緩みを許すも許さないのも自分自身。

さて、良いことと言えば、無駄な時間はないと言える今の環境。細かな時間も無駄にせず。


le 7 mercredi 水曜日
//良いお天気//退職してから一週間が経過しました。この間、出費は10万円ですが収入はゼロです。そういう危機感は持ち合わせなくてはならない。ただ、何時かはしなくてはならない決断だったので、一週間前に退職したのは正解だったのでしょう。問題は、今日のこと明日のこと。

もし、気づかないふり見て見ぬふりで60歳や65歳に、しぶしぶ認め動くとしたら、それは最悪だと考えています。動く勇気は、老い過ぎてもダメなのだ。


le 6 mardi 火曜日
//瀬戸二往復//午前と午後に一回づつ。

さてさて、釉薬の変調を危惧していて、それなりに分析しているのですが、どうやら酸化亜鉛の割合が減っているのではと思う。問題は酸化亜鉛を投入するのか結晶釉として加えるのか。

おかしいと思うのは、その気になれば毎日を日曜日にもできるのに、新しい釉薬の調合は土日にしようと思っている。他にするべきことを優先させるという意味です。

そろそろ今回の窯の総括をして次回に向けた制作も進めなくては。


le 5 lundi 月曜日
//おかしい//一年以上試行錯誤して作りだした釉薬の発色が、ここにきて違ってきた。微妙に成分が変わったのだろうか。  今日は彼是考えていたのですが、修正するというより、作り直して別の切り口から再構築すべきなのかもって。。。 これまた、どえらい寄り道になってしまいますが。

退職してから毎日、早寝早起きです。まあ、律しているのかな。

明日は瀬戸に行きます。


le 4 dimanche 日曜日
//日曜の夜という感覚を大切に//しとしと雨が降ります。この雨が上がれば、あの木が桜の木だったということを知るのに、また一年の歳月が必要になります。毎日を大切に。

これが老人の域なら、桜を見るのもあと何回だろう。。。。というのかもしれませんが、かくいう私も100回残っているわけでもない。50回なら万々歳で、それ以下も十分考えられる。だから季節を毎日を大切に。その折々の美しさをくみ取れる心を。

次の週末は多治見陶器祭です。二年ぶりなので是非とも行かねば。勉強という意味で。

明日は朝から生産的なことをします。


le 3 samedi 土曜日
//お休み//土曜日になりましたので私も休みを取りました。今日は窯が冷める時間を利用して豊川まで。帰宅してからは夕方の入浴で、まもなく晩御飯です。この後は釉薬の勉強でもしましょう。

そうそう、昨日一昨日と疲れが出たのか20時前後には寝てしまいました。25年の疲れが、この程度で解消できたのは素晴らしい。定年退職ではないのだから、日本一周とか身分不相応な選択は身を亡ぼすだけ。 ただ、貧すれば鈍すてはなってはならないので、小遣い程度でもネットで売るという行為は、そろそろ始めなくては。


le 2 vendredi 金曜日
//NN328号//昨日のことですが、図書館に行って地元の発掘調査書などを読みました。驚くべきことが!!!!!!

以前にも書きましたが、僕に陶芸家の前世がいると硬く信じる体験として、小学校の3-4年生の頃、家の近くの造成地で露出していた純白の絶品たる粘土層を見るや否や、これは焼き物に良い。この粘土は良い。これは使わなければならない、、、などの内からの叫びがありまして、暫くその前で凝視していたことがあります。今でも覚えているは、そこから去りがたくて去りがたくて。

その場所が、NN328号窯と呼ばれる古窯跡の至近であったと。私の前世は、まさにこの窯で働いていたのではなかろうかと。

こういう何か結ばれているような体験とかも手伝って、私は選んだ道の見通しは、全く不明瞭ですが、恐れというものはありません。私がこの世に生まれた理由が、まさに陶芸の道だからです。

さて、本日はというと一日施釉。もはや生業としての陶芸。
とにかく、これより二年間は準備期間なので、実験的な焼成や、陶芸そのものの学習と習得に専念いたします。知識こそ、生涯の伴侶、我が同志。


le 1er jeudi 木曜日
//日曜日じゃないよ//いつもの地下鉄に乗る必要はなくなりました。その気になれば、木曜日を土曜日や日曜日のようにして過ごすこともできる。それは簡単にできる。とっても恐ろしい。

本日できる諸々の届け出とかは完了しましたが、あとは書類来てからのこと。昨日は多くの贈り物を頂きましたが、一番有難かったのはネームプレート。表面は黒で裏面は赤。会社では休むと裏面になる。

ともすれば曜日感覚も無くなり、怠けることが日常になる可能性もある。自分を律するためにも、例え家に居ようが、このプレートが表面の時は、私は生産的なことをするべきである。

さっそく、初日から先方と齟齬があり不確定なところが出てきました。腐ることなく、最善の形で納まるように昼は精進して夜は祈りながら寝るとします。


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