décembre.2007


le 31 lundi
//順位なし私的2007年十大ニュース//
●最後かも?と思わせるお盆の山登り。    ●年末に異動
●中国茶のある生活      ●再び会えた湯俣   
●フィールド・レコーディング入門     
●今年もまた生き仏のような敬虔な日々。   
●ガソリンの高騰や物価全般の高騰を受け、全てにおいてケチになる。
●地方都市で過ごす週末    ●真空管アンプで音響革命
●黄砂や40度。身に迫る温暖化。

思いを巡らす全ての人に、感謝の念と、
より素晴らしい2008年をお祈り申し上げます。

また、僕の知らないこのHPに来られる皆様方にも、
同様に、お祈り申し上げます。

ありがとうございました。

le 30 dimanche
//試作品//  

le 29 samedi
//一年の疲れを流す// 朝昼兼用で味噌煮込み。ホワイト・チョコ一枚に夜は牡蠣鍋。その間、ほとんど寝ていて、16時には第一回目の入浴をし、休養に徹した一日になりました。

一度目の入浴で天然お洒落染め(ヘナ)
二度目の入浴で洗い流し。
でも、今晩は、何となくスーパー銭湯に行きたいのね。どうしましょう。

仕事持ち帰ったといっても第一日目は全く手付かず。

le 28 vendredi
//引き返す// 仕事納めも終わりまして、近くの名古屋 観光ホテルでコーヒーとケーキ。そして解散となったわけですが、再び会社に戻る。忘れ物。引継ぎの仕事を持ち帰らないと、必ず年明けに忘れているようで、意を決し戻る自分。  と、言うことで、基本的には、休みといえども家に居て記憶保持の作業に努めているでしょう。

最近は、「働く」ということに関心がある。 労働形態。  既に、派遣への危惧は何度も言及しています。  あの制度を放置すれば、日本社会はゆくゆく質的に従来の感覚とは大きくかけ離れたものになるはず。

某大学のY教授は、新自由主義の推進派で、その理論としては永続なる日本社会の競争力の確保。  ただ、不思議なのは彼の唱えるものと彼の立場の乖離。 教授は、授業の質も落とさず、研究の質も落とさず、今までどおり働いてなお、自ら進んで非常勤になれば整合性はあるものの、人に非常勤(正社員⇒派遣)を勧めておいて、彼は終身の身分保障があるそうです。


さて、こんな世界を考えてみた。 気候的にはイランのように地下水はあり降水量は僅かですが、努力すれば緑化も可能な気候帯。  しかし、孤島であり、面積も大きく、温暖化に対する緑化の効果も絶大な島。 (薬物の輸出を許さないという意味で絶海の孤島)

そんな島に薬物中毒患者を強制隔離し、彼らには自由に生きてもらう。つまり大麻の栽培も自由。必死で働くでしょうね。ところが、その島は貨幣経済は存在しない。  釣りをして、食べれる分の農業をして、あとは大麻を自由に栽培。吸引。

このような世界は成り立つのでしょうか?
大麻を摂取して、その果てに怠惰や人間崩壊がなく、ただ脳内に薬物が満たされ快楽に浸れるだけなら、そこは争いもなく、人を狂わせる金銀財宝・貨幣もない。ただ、誰に規制されるわけでもなく大麻が手に入り、「脳内の快感」によって社会が構成される。

ある意味、パラダイスだと思う。ここの住人は大麻さえあれば全てはパッピーなのですから。飢え死にしない程度に農業をし、あとは快感に浸る昼下がり。労働は必要最低限で、残された時間は全て快感の中。

大麻を摂取して、怠惰になることなく人間性も崩壊しなければ、とっくにどこかの団体が、そんな世界を構築しているでしょう。

しかし、怠惰になって人間性が崩壊するのでしょう。だから、この世界は存在し得ない。いづれ最低限の労働意欲もなくなり、ただ摂取する欲だけが残る。このアンバランスは争いの元で、パラダイスに内紛が起きるのでしょう。




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昔は、勤労は、報われるものでした。よって働かざるもの食うべからずという論法も成り立っていました。ところが現在は、働いても報われない。不安定な身分から生じる精神的なストレスも、相当なものだと思います。

報われるから厳しい労働にも立ち向かった日本人。その果実なくして、ガンバレと言うなら、まるで機械が壊れるまで働けヤと言っているようなもの。


僕が思うに右派におけるヒューマニズムの欠如が、根にあると思います。今、産業界でこのようなことを唱えれば、古臭い親父の感覚と一蹴されるのかもしれません。  もちろん、経営者に富が集まる流れは右派として否定することはないでしょう。しかし、それにもかかわらず、労働者の福祉を考えていた、言い換えれば経営者としてのヒューマニズムが以前はあったと思うのです。ところが労働者派遣制度として赤の他人の参入により、考える素地もなくなり、救われることもない最下層が産まれる。  我が社に来るアイツは向こうの会社が面倒見るべきで、もはやヒューマニズムの対象ではない。ところが向こうの会社は、ヒューマニズムを持ち合わせれば経営が破綻する殺伐とした業界。いやいや、向こうに会社としても、生身の人間は手元にいないのでヒューマニズムは産まれない。




「愛」  働くにしても学ぶにしても、社会の中で生きていくうえで「愛」を感じることができるか?

愛の対象にさえなれば、我が社で働くアイツが、実は働いても報われない現実を社長は座視しないはず。 社内にいても別の人。これこそが愛の断絶で、彼を孤独に追いやる。 


働くということは、生きていくうえで根本を成す。労働なくして、人は長く生き長らえない。  

話を進めれば、奴隷制度まで飛びそうですが、雇用する側(A)と、される側(B)は、やはり目の届く範囲ないでなければ、人は単なる機械に成り下がるのかもしれない。A−Bを結ぶ直線に、新しい不真面目なAの参入(奴隷商人)により、Bを深い孤独の淵に追いやる。 

もちろん、奴隷商人ではないAが、その働きを認めて、直接雇用となる例もあるでしょうが、そういう例外を持って多数の孤独を黙認するのは、やはり法制度としてのヒューマニズムに欠けると思います。

le 27 jeudi
//食い納め// 明日は仕事納めなので、本日、仕事帰りの食い納めをしました。  素敵な先輩と、大衆の風情と銘打った七輪の炭火焼肉。それから最近お気に入りのカクテイール・バー。

昔は、週に2−3回は名古屋 観光ホテルのディナーブッフェに行っていましたが、趣向は変わるというか、この頃は、これが定型になっています。

それにしても今月は節約に徹したというか内に篭ったというか、蓄財の一ヶ月でした。出歩かないと、こうも財布の中身が豊かになるのですね。

今から5-6年も前、タバコをやめてから、財布の中身に劇的に100円玉や500円玉が増え、こうも変化するものなのかと驚いたことがあります。

仕事は休まず、休日は休養に徹したら、はっきり言って金の出所がなくなる。驚きの蓄財をなすお局OLとかは、このような生活スタイルなのね。たぶん。

le 26 mercredi
//腹が減ると、、、// エネオスの看板がスシローに見えてしまう。



理想の風景はどこだろう???

山ばかりを目指す。
しかし、こんな海岸線があれば状況も変わるはず。
海岸線も背後も開発されず、誰もいない環境。

ところが、どんな僻地に行っても海沿いには道があり、道からは車の音がして、そして集落も点在する。

次のアクションを起こすには、飽きるほどの孤独を経てから。

これが飽きないので困ってしまう。

まもなく12月も終わり。家と会社以外で話したとすれば、床屋さんで一回。お茶屋さんのマスターが二回。その程度。

le 25 mardi
//初夏の音・海の音// 久しぶりにウーマン・音のコレクスィオンを取り出して聞き入る。真空管アンプの方で再生。心地良いですよ。

さて、IT弱者な僕は、自分が録音したファイルをHP上にて公開させる術を知らない。どなた様か、ご存知の方がおみえでしたら、是非ともご伝授下さいまし。

le 24 lundi
//悪魔博士// fantastic 4 つまり「宇宙忍者ゴームズ」 その中に登場するしぶとい悪者に悪魔博士がいます。 彼が好きです。なぜなら日本語吹き替えがハテマタ名古屋弁だからです。
宇宙忍者。そもそも設定内容に強引さがあります。そしてキャラの強い面々。 変身して強い正義の味方になるのは、世界各地に点在する子供番組に見受けられる光景です。

まず透明人間になるのは良しとしましょう。
全身が炎になって空を飛ぶのも、黙認できます。

しかし残り二人はどぉよ!?
時に手や足がゴムのように伸びて相手に追いついたりできる
四人のリーダー。さすがに首が伸びるシーンはありませんが。
そして極めつけは、変身した姿が、、、、、、、「岩」

ついでに言うならオープニングの曲がダンサブルで素敵。

le 23 dimanche
//不敬でした// 本日は陛下の誕生日というのに、それに気づいたのは夜。家から一歩も出ず、一円も使わず、それでも忙しかった日曜なのでしたが、昨日働いたので、土曜日の感覚がしてしまいます。明日も休みだし。

明日こそは外出しましょう。スーパーへ。
買いたいものは、スガキヤの袋入り味噌煮込み。

//20年// 都市高速や地下鉄の路線図を見ると、高層ビルの数を数えると、名古屋と大阪には20年の差があると昔から思っています。

さて、それは前段の小咄。

本題は、日米の20年の差。
もっと差があるかもしれませんが、日本の諸現象はアメリカが経験したもの。そういう轍をこれからも踏むと考えるなら、米国の現在の姿は僕らの将来です。 そして確信するのは程度の差はあれ、必ずや、そうなると。

今を働く勤労者は、定年まで仕事の保障に気を揉むでしょう。そういう時代が到来すると確信しています。気を揉むというのは、悲しい現実が身の回りに展開されるという意味です。

医療制度も崩壊し、年金も限りなく怪しい存在となるでしょう。他国の安い労働者に移管できるのなら、躊躇なく仕事は流れるはず。

それでも命は続くし、豊かに暮したい。

しかし、豊かに暮らすということが、親の世代よりも遥かに困難なものとして、つまり多数は親よりも貧しく暮らすはずです。

それでも豊かに暮したい。
薬物に走るものは増加すると読んでいます。
ホームレスではないけれど、スラムに近い町が大都市に存在すると思います。
自由な表現やファッションを楽しむ目くらましで、貧困に浸る者のがさらに増えるでしょう。

それでも豊かに暮したい。
やはり貧乏を楽しむ発想の転換で、豊かさを手に入れるべきなのでしょうか。

ぼろいアパートでも、一棟まるまる気の合う仲間で借り切るスタイルが流行するとか。そして最も身近な社会福祉は仲間達で解決するとかね。

とにかく多数は親が手にした豊かさは享受できません。  今は実感できないと思いますが、親も居なくなったころ、親が過ごしていた老後のレベルを味わうことは無理な話です。

そういう時代が必ず来ると予見するのですが、では、どう対処するべきか!?
今から気を揉むよりも、到来して慌てる方が、それはそれで人生をどれだけ楽しんだかの時間量として、一つの解決策。

楽しい時間量として、今から備えるか、今のうちに楽しむか、アナタならどうしますか?

le 22 samedi
//真夜中の味噌煮込み// 自主的な土曜日出勤。結局、目途が立たず、仕事を持ち帰ることにしました。この三連休はあってないようなもの。

夜の8:20まで黙々と。それから遅くなってすまなかったのですが、お茶を。そして晩御飯は夜中になって、味噌煮込み。

あ〜〜〜〜〜 なんて美味しいのでしょう。
あの美味しさが、日本列島津々浦々に伝播しないのが不思議でなりません。



ロウソクの明かりって素敵です。


le 21 vendredi
//カクテルが好き// もっといろいろと勉強しなければ。強いお酒を美味しく変身させ、それをチビリチビリ飲み、そして語り合う。

世間は三連休と言いますが、もちろん僕も三連休ですが、明日は会社に出る予定。


今年もあとわずか。毎年、年末には私的10大ニュースを考えていますが、質的に今年は少し変わるような予感。

le 20 jeudi
//李明博大統領// 韓国に保守派の大統領が誕生。 まず最初に前代・前々代の左派政権は、保守派も驚く民族主義であった特殊事情は頭に留めておくべきです。

結論から言えば、「まっ、無理でしょう」
前大統領の過激な民族主義と連動した反日政策。保守派の大統領が誕生したからといって、大阪生まれだからといって国民的な心情が友好に走ると思うのは無理です。

もともと隣国は敵対するものであって、故に努めて冷静であるべき政治的な判断があってしかるべきなのですが、前大統領は努めて日本に攻撃的でした。全く躊躇するとか、何かの緩衝的なものを用意するとか、そんなのは全く考慮せず反日に努める。

僕が思うに、90年代、北朝鮮の党の経済理論が破綻し、彼らが求心力に朝鮮民族第一主義を掲げたことに呼応するかのような、反日。つまり前大統領は、何かしらの教義に基づいた、全幅の信頼を置いた民族主義。

本来なら左派政権は民族主義に対しては抑制する立場ですが、彼が暴走した「確信」を北に見るのです。

le 19 mercredi
//朝の息は物語る// ハッ サン国王。 昨日今日に限らず、朝から酒臭いのですが。  さすがに朝からは飲まないと思うけれど、朝に残る酒を毎晩飲むのも如何なものか。  あらゆる側面から生活が破綻な気味な国王。あの返済に応じず、しかも不遜で横柄な態度。よって国王なのですが、その秘密ももはや皆の知るところになりました。

さて、社内には、国王も一目を置く酒好きがいます。毎日ビールを浴びるほど飲む。しかし彼は生活は破綻していません。

ともに酒好きで、どちらも軽い依存症の域だとは思いますが、後者は酒が好きで楽しく飲むのが、ちと度が過ぎる。一方前者は何かを忘れたいために飲むのかもしれません。

朝の息は物語る。ニンニクの臭いなど、夜遅くに食べてしまうと残るものです。
昨日は、メンマを度が過ぎるほど食べてしまいましたが、幸いにして匂う食材でもないので、それは私だけの秘密。

le 18 mardi
//詫びを入れる// 明日から新しい部署。それは仕事上の叱責であったにせよ、特に口やかましく言ったであろう彼に、去るに当たって詫びを入れた。それをせずして、いやいやそういう感覚なくして新しい仕事で意気揚々とする様は慢心以外の何物でもない。

明日からの祈りの文句は新しくなるし、感謝の心はいつになく持つべきであると肝に銘じるべき。慢心が故の仕事は、必ずや「精神の石」(←要検索)を置かれる。
それと、労働に貴賎なし。賎への嘲笑に同意するなら、必ず報いを受ける。今までにも、「労働に貴賎あり」と内容で蔑視し嘲笑する者に、その末路はたいてい同じ方向を辿っている。

ついでに言うなら、先日のワーキング・プアの特集。この分野は個人的に大変に関心がある。さて、このような言論がネットには多い。NHK職員の高給をもって語る資格は無しとする向き。  
高給取りが生活保護以下の問題を語る資格があるのか!?という主張。

これは大変に愚かで危険。もし、そのような声に押されNHKが沈黙を選んだなら、大いなる支援者を失うだけである。誰が国民に訴えるのか!? CMを気にする民放に全面的に託すことはできるというのか。

現実は、最下層で苦しむ「声も出せれない階級」
その苦しみを告発し代弁するのに、何故に足を引っ張るのか。
そのようなネットの方向付けに、別な意図を読むことはできないのか!?


僕が思うのは、新自由主義の流れに批判的であったにせよ、反対が生活の防衛にはならない。もちろん政治的機会に意思を表示することは大切であるが、だからといって明日が大きな政府の懐の中でもない。

まず考えるべきは、新自由主義も推進する側には正義があるということ。一方の正義を修正するのは、単に選挙の1-2回で変わるわけがない。そして加えて言うなら、地球規模で言えば新自由主義も、ある意味、前例のない規模で下層国へ富を分け与えている。そういう意味で恩恵にあずかる国民も居るわけです。

問題は、先進国家で、「用済みの切捨て」が行われるようになり、それは過去になく増し、切り捨てられれば貧困になるという、ショック死に近い下落幅。

もし、
その下落幅を縮小し、それでこの問題を黙認するという国民的な合意が形成されたならば、貧困にはならないけれど、以前あった豊かさが今はない、そんな国民が大量に発生するでしょう。僕が危惧するのは推進する側の譲歩が、このライン。生活保護以下は問題で、それは認め是正する。その代わり、多数の国民に生活保護以上の、あるポイントまで下落を味わってもらう。

この流れは、今を生きる勤労者の人生で遭遇する潮流です。定年までに不況の二つや三つ到来すると思っているし、到来すれば、下落運動は大規模に展開される。

そう信じて疑いません。

では、どう対処するべきか。
まず、正社員なら安易な転職は慎むべき。再考して、再々考して、さらに親や兄弟、頼りになるべき人、全てに相談するほどの慎重さを持つべきです。
そして社内において、職人的な何かを手にする。仕事に職人的な要素を加味できるかできないか。それで守るべき側に入れるからです。
個人的な努力としては、やはり新規なる知識や技能の習得に邁進するべき。


定年までには必ず不況に遭遇します。
その時は、今より歳をとっている。若くはない。しかし命は続く。
職人的な技量を手にする社員であり、
それとは別に新規なる流れに乗れる自分でもある。

労働に貴賎あり、と、嘲笑する者に、職人的な素地はないでしょう。

ただ働くだけなら、社内にいても意味がありません。労働ではなく勤労。
その姿に真面目さがあり、真面目さとは業務の改善を追求する姿。

保守派な僕は、このように考える労働哲学です。

転職が盛んな昨今。それを繰り返す者に、深く極めるという感覚があれば、石の上にも三年です。意味があり報われるでしょう。それは職人に似た忍耐や探求でもあるからです。
ただ単に嫌なことがあり転職を繰り返すのは、一方の彼らが既に入学した職人養成専門学校の扉を何年経ても入らないということです。

そして不況は必ず訪れるのです。

le 17 lundi
//ホーミー// 読経のような低音の声しか聞こえないと思いきや、なんと高音の音も出ているではないか!???

ネットでホーミーのやり方を読み、風呂に入り試すのだが、未だに高音が出ない。ただ低音だけ。そんなことなら読経でもして徳を高めればよいものの。

//斜面集落// その驚きと、引き込まれるような魅力は僕の旅行記に何度となく書いています。  斜面集落。  検索しても344件しか出てこない。
どうりでmixiのコミュにもないわけだ。

来年の春、僕はいつも一人で訪れる南信州秘境地帯を一人でも多くの人に紹介したいと考えています。特に佐久間ダムから飯田までの最秘境地帯の静かさを知ってもらいたい。  中井侍を歩いて欲しい。下栗の里も見て欲しい。いやいや名も知らぬ、一世帯、二世帯ほどの小斜面集落の存在を見てもらいたい。 歴史的な、民俗学的なものは何も知らないけれど、とにかく愛知県の近くに、驚きの光景があることを見て欲しい。

le 16 dimanche
//素敵な日曜日// 早くに目が覚め空も青空。掃除をし、好きな音楽を聴く日曜の午前。この一時に起きていることが、とても素敵。

冬の青空は好き。今月も週末は三回目。次の週末くらい寒い空気に包まれた青空なら、知多半島の先端までドライブでもしましょう。 

もろもろの物価も上がりましたが、こんな内向的な週末を2-3設けたら、半年くらいの物価上昇分はカバーできているはず。こんな逃げ道を発見したなら、如何に居心地良く過ごすか。

今、日曜の14時前。穏やかな時間が続きます。
日も暮れると、そろそろ意識の上で明日からの仕事を考え、夜には明日からの仕事への無事を祈ります。
そんなお勤めを感じさせない日も明るい、あと2-3時間を、もっと素敵に過ごしましょう。


私怨などの怒りは戒めるべだが、
憤りに基づく、その根本に対する怒りは持つべきであり、
改める力となす。

le 15 samedi
//細々とした土曜日// 目覚めが良く、朝一番で洗車とブリス。昼寝に3時間要し、夕方、家族で寿司。23時まで部屋でゴロゴロ。25時まで夜食とお茶。寝たのは深夜3時過ぎ。

12月は、どうやら貯蓄の月みたい。

この前、カードの申し込みをしました。年収や会社名、役職などを書きます。
驚いたのは、同じ働くにしても、正社員であるか派遣であるかの別があり、派遣なら、派遣元と派遣先。何年目とかの詳述も。

やはり労働者派遣制度は抜本的に見直すべきです。足腰の弱い日本国民を作り出し、企業は潤うかもしれませんが、それは行く行く日本の足腰を弱める。人件費は高くても、毎回難関を突破したのは日本人の努力と智慧。それを発揮する以前に安い労働者で解決する方向性は危惧する次第です。

既に久しい以前から派遣労働者が増え、棒茄子にまつわる喜悲交々は安易に口にするべきではない状況が生まれています。

le 14 vendredi
//不思議に思うのは、、// 酒って少し飲みすぎる程度が翌朝の目覚めも良い。  ただタバコの煙が髪に服に染み込むのだけは我慢なりません。

この金曜日は、飲み屋街も年に一番の稼ぎ時でしょうね。

//好きな時間// どうやら僕には、それを追求する願望が強い。
快晴な午前の光の具合が最も好きで、13:30までは、概ね好き。
次に、23:20-45のNHKラジオ深夜便を聞く一時。

特に午前の光の具合が好きなので、休日、家に居て、その光を楽しみ、お茶を飲み本を読むのが至福であります。

僕は外出するなら、午前の早い時間までで、それを逸すると、特に午後になると出歩く気が完全に失せる。

le 13 jeudi
//圧縮した眠り// 眠たいときに短い睡眠を適宜取り、目覚めは甦生。次の仕事は捗る捗る。  よって夜のメインの睡眠に、その質を云々しない。

ところが今後、睡眠は夜のメインの睡眠のみ。日中、食後でも睡魔に襲われないような圧縮した眠りを取得したいものです。

それと本を読む機会も増えることでしょう。この時間を有意義に楽しみたい。

さっ、ラジオ深夜便が始まりました。スリープタイマーにして情緒的な夜の一時をベッドの中で楽しみましょう。

le 12 mercredi
//若者の生活を忘れた// 若者は何をして過ごすのだろう? 男性ホルモンの減少か何なのか分かりませんが、考えてみると、この2-3年、若者の感覚を失ってしまった。  満たされる時間は、ワイワイガヤガヤでなく、ジワ〜とシンミリ。 今、NHKラジオ深夜便11時台を聞いていますが、思うのは、「今日は聞けれるありがたみ」 

勢いを実感するのが充足とは思わず、
時を大切に過ごしていることを充足と思う。


そろそろ小説でも書きたいものである。
思うことは「戒め」 
快楽や自由や豊かさは追求するものの、その手段が違法であったり反道徳の帰結は、やはり困窮の果ての破綻であるべき。
実際、そのような流れに乗るのが道理であり、多数派ですが、そういう帰結は表沙汰にならない。昔話や童話が訓戒であるように、優先席で老人を前に席を譲らない若者の帰結は語られるべきである。

le 11 mardi
//記念すべき日に感謝// 僕が平日にその日の仕事を無事平穏に執り行えるよう、毎日欠かさず祈っていたとは、何度か書いた記述。詳しく言えば、平日の朝、そして日曜の夜。 それがいつから続いたのかは、このHPが始まる以前。20世紀から。

この祈りは効果絶大で、10年間、願いが叶いました。
明日から引継ぎで、そして仕事内容も変わります。無事平穏を祈る気持ちは変わりませんが、文言も変わります。

社会人としての自分は続きますが、とりあえず今までの10年間の無事を、心から感謝申し上げるものです。ありがとうございました。


神や仏が居るのか居ないのか、と問われれば、居ると即答します。
では、それが何なのかと言えば、同じもので自分達の心の中に居て、大切に育て上げることも出来る存在。別に手が千本あるとか、そういう形ではなく、形はなく、意識。

それは誰にでも存在し、信じるものは活かせば良い。

哲学的に言うなら、深い内在は大洋、宇宙。
深く大切に、脱力するように丁寧に祈るとき、それは深い内在との対話になりますが、深く行けば行くほど、孤独の世界ではない。

感謝することに尽きない。

le 10 lundi
//Vシネマ// フィルムでなくビデオテープで作られた映画。それは理解できます。  全く不思議なのは、何故Vシネマはヤクザ映画ばかり扱うのか。そういう掟なんてないのに、今やVシネ=893映画。

//しばらく小学生レベルになります// ここ10年、生活において好きなときに昼寝のできる環境でした。この昼寝の効用は素晴らしく、生産性の高い人間として午後に再び甦生します。

今後、昼寝の出来ない環境になりますが、屍のような午後になるのでしょうか????

昼寝せず、午後も爽快でいられるようにするためには、早く寝る。そして昼ごはんを抜くかほとんど食べないようにする。

十分な朝食をとり、昼食を抜けば、午後はある意味甦生します。断食において内在している生きる力が発揮されるのと同じ理論です。

どうしてもお腹がすいたら、ブドウ糖でも摂取すれば良いし。案外本気に考えています。

le 9 dimanche
//災難と検索してみた//  HP内検索で災難と検索してみた。
2005年5/1
//ローマ法王// 僕は仏教の曹洞宗であるからカトリックは異教にあたります。   しかし、そうは言ってもローマ法王の容態は気になるところ。    日本仏教界の最高指導僧に比べると、その献身度は大阪の天保山(世界一低い山)とチョモランマ位の差があることでしょう。   つまり、その位、法王は献身的に世界の人に平和のメッセージを発信する生きた宗教人でありました。   カトリックの最も権威ある人物が人々の前に出て、お経のような今は死語となった言葉の羅列ではなく、現在、人々が語る言葉でキリストの愛を説いていたことは 、異教徒の僕にとっても大変感銘を受ける姿です。             //脳細胞に働きかける救いとは??// いつかの日記にも書きました。日本の仏教は体たらくだと。  つまり、聞く者読む者にとって今は暗号となった意味不明なお経を唱え、写経すれば御利益があると思わせるやり方は、既に生きた宗教ではないと思うのです。    怪しい占い師が変な宝石や壷を売りつけ「幸せになる」と言っているのと同レベルだと思うのです。   僧侶達は仏典を研究し釈迦が何を云わんとしていたかを、現代語で平易な表現で広めることこそ、「毎日の勤め」だと思うのです。    救いを求める者が、意味不明なお経を暗誦できるのと、仏典の現代語訳を理解できるようになったのとでは、脳細胞に働きかける度合いが違うと思うのです。   理路整然と釈迦の思想が理解できれば、今後の人生にどれだけ有利に働くことでしょうか。災難を回避するべき術を得られることでしょうか。   危機に際してナムナムナム〜〜〜と唱えても、人は利口にはなれません。   その点、ローマ法王は人々の前に顔を出し人々が語る言葉でキリストの愛や世の中の危機にメッセージを発信したことは素晴らしい限りです。   組織のトップが奥に篭もり権威だけで生きているのとは違い、ローマ法王は大権威ではありますが、伝えたい事を人々の前に出て伝えてきた日々に、そのお言葉は今後も輝く珠玉となりえるのでしょう。
2004年 3/2

//0.5秒の預言者・0.5秒の未来予想// 今日は昼過ぎに指を怪我してしまった。イタタタタ〜〜〜 でも、不思議なことに、その怪我をする0.5秒前、「そんなことをしては指を怪我するぞ!」と警告信号を受信したのですが、勢いと「まさかっ」で無視したら、ものの見事に怪我をした。   皆さんも似たような経験があると思うけれど、人間は安全に関しては個体の生命維持にかかわる重大事なので、このような長くて3秒ほどかもしれないけれど、未来を予見して警告する能力が備わっているそうです。  大方の場合は、勢いと「まさかっ」で
災難をこうむってしまうのですが。             //マズローの欲求五段階説// @生理的欲求 A安全への欲求 B社会的欲求 C自我の欲求 D自己実現の欲求 Dに進むにつれ高度な欲求。   さて、自分を振り返ってみると、「安全への欲求」に物凄くこだわる性格であると分かります。  本当は、更に飛躍して自分を高めなければならないのですが、〜何かして傷つくかもしれないのなら、何もしないで確実な安全を選択する〜         この次元からの脱却。まずは自分を突き詰めなければ・・・・・・     【何もしないのは確実な安全ではなく、長く続くであろう試練と苦痛と辱めの日々】と論法を転換しなければ。   何もしない近々の安全は延々とつづく身の危険。  
2004年 7/28
//二度来そうな// 只今接近中の台風10号。  極めて珍しい動きをしています。天気は偏西風の影響により西から東へ変わるのは常識なのですが、この台風は東から西に動いている。   この手の珍しい動きは、夏のはじめの台風にフィリピンや南大東島当たりで発生して台湾・上海方面に行くのに見られますが、やはり珍しい。   真夏の台風は迷走台風と呼ばれますが、まさしくソレです。    まぁ、逆送のメカニズムは強力な高気圧に邪魔されて、その淵を通る時に「逆走」現象が見られるのですが。     さて、この台風10号。自分が思うに、そのまま朝鮮半島や中国大陸に行くとは思えない。   ある程度は西に逆走しますが、九州あたりで日本海上を偏西風に乗り東へ、二度災難をもたらす気がしてなりません。
2004 2/5
//告白// かの悪名高き2チャンネル。   同性愛版に僕が立てたスレッドが二つあります。まずは、 【虚飾】 百貨店のある生活 5店目 【プチブル】 の初代スレッドである【お買い物】百貨店のある生活【ブルジョワ】。  もう一つは ( ( ((モーホーの休日U)) ) ) の初代スレッドである( ( ( ((ホモの休日)) ) ) )です。    驚いたでしょ。       さて、2チャンネルには色んなスレッドがあるけれど、一つ腹立たしいものが。  詳しくは書きませんが、まるで個人攻撃の道具になっている。それは僕の良く知る人であり、言われていることは全くのデタラメ。ある日突然に湧いて出てきた災難だとは思うけれど、ここは心静かに。    お釈迦様は言う。「人にする悪口は空に唾を吐くようなもの。それは届かず自分に降りかかる」と。   そしてキリストは「復讐は神のすること。アナタは仕打ちを受けた人であっても愛をもって接しなさい。それは彼にとって頭の上で火を焚くように辛いことになるのです」みたいなことを。     悪口の類は降り返ってみれば自分の立場を脆弱にします。悪口や批判をしとおして事を成した人なんて聞いたことがありません。   許せる心の狭い人。他人にきつく当たる分、世間はその人に厳しく当たるでしょう。
2004 8/18

●人は親しむべき友と、親しむべきでない友とを、見分けなければならない。親しむべきでない友とは、貪(むさぼ)りの深い人、ことばの巧みな人、へつらう人、浪費する人である。   親しむべき友とは、ほんとうに助けになる人、苦楽をともにする人、忠言を惜しまない人、同情心の深い人である。    不真面目にならないように注意を与え、陰に回って心配をし、
災難にあったときは慰め、必用なときに助力を惜しまず、秘密をあばかず、常に正しい方へ導いてくれる人は、親しみ仕えるべき友である。    自らこのような友を得ることは容易ではないが、また、自分もこのような友になるように心がけなければならない。よい人は、その正しい行いゆえに、世間において、太陽のように輝く。
2006 10/15
//酷いことを言う!// 例え話に持ってくる事例が10年位前になるのが、嫌だわ。

さて、それは別として、10年前、自称・霊感の強い彼は、僕の友達と縁を切れといった。彼と付き合うと
災難というか貧しさが付いて回るよ。と。

その時は酷いことを言うものだと思った。もちろん、聞き入れず、従前のごとく友達と付き合う。  しかし、結果的に、その友達の生活に対する価値観が僕とはあまりにも離れていて、別れることになってしまった。

似たようなことは、お釈迦様も言う。悪友ほど悪い存在はなく、縁を切れと。  彼は、仏陀の生まれ変わりだったのか!?

仏典いわく、悪友とは自分を堕落させる存在みたいです。

現代の価値観で、友達を上下に選別するのもいただけない話ですが、このような冷静で冷徹な考えは、忘れてもいけないのでしょう

HP内検索機能があると、本当に便利。
膨大な量の日記。でも、
災難という単語は6回のみの使用。
意外と少なく驚いています。

何故、災難を調べたかって!?
災難除けです。知って除けるる災難かな。

le 8 samedi
//それなりの土曜日// 目が覚めたら快晴。冬の青空は好きです。

ガソリンがアホらしく高い。つまり、来月もしくは再来月に若干の下落に転じると読んでいるので、先月満タンにしたタンクのまま年越しをしたいのです。今、入れるのはアホと解釈しているのです。

目が覚め、ステレオシステムの配線を若干変更。真空管アンプでもウーマンステレオシステムの全てが再生できるようにしました。
昼前にヘア・サロンに行く。
そして13時過ぎに上前津にて中国茶。
15時を過ぎた辺りで店を出て、駐車場に向かうまでの間に、前々から気になっていたインドネイシア・コ−ヒ−店で豆を買う。

家に戻って、インドネイシアのコーヒーを手元に、レコーダーに溜まった、映画や大型テレビドラマ。大河ドラマを5−6時間ほど見入る。

「ブラジルから来た少年」 劇中、ドーベルマンが吠えるシーンがあったのですが、それを聞いた我が家の愛犬も吠え出す。 吹き抜けから下階を見れば、可愛いムクちゃん、見上げて吠えている。

ウーマン・ステレオ・システムの良さが証明された瞬間。

le 7 vendredi
//新しいエンジンの提案// 車は詳しくないので、既に存在しているかもしれません。僕はケチでこの原油高、とうとう究極の経済運転に到達しました。これは危険が伴うのでお勧めはしませんが、格段に向上します。

ニュートラルに切り替え。

ただ、安全面のため、ブレーキを入れる前にドライブに移行してエンジンブレーキも利かせ本来のブレーキも入れる。

これが面倒。

そこで提案。

アクセルを入れたら駆動し、本来はアクセルを離してもギアは噛みあっています。それをアクセルを離したとたんニュートラルになり、ブレーキを踏んだと同時に最寄のギアを噛み、そしてブレーキも連動する。もちろんアクセルを再び踏めば、最寄のギアにかみ合う。

理論的には難しくもないと思うのですが、現状ではアクセルを離してギアが噛んでいるので、惰性走行の距離かニュートラルに比べ4−5割も短くなる。よって向こうの赤信号まで、何度かアクセルを踏む無駄が生じる。

戦時中、ガソリン節約のため、ニュートラルの惰性走行が奨励されていたそうです。

le 6 jeudi
//大衆の風情// この七輪の焼肉屋は本当に旨い!! 美味しい店は、また味わいたいから足を運ぶ。

飲食店で、常に新規開拓をする人も珍しかろう。
そういう人には、新しい何かを求める探求心には敬服するが、
美味しい味をもう一度味わいたい、幾重の堪能にはいささか欠けるのでしょうか。

それは温泉なり旅先であっても同じこと。
僕は完全に幾重の堪能派です。良いと思った所には、飽きるほど通って次に移る。  だから名古屋圏-大名古屋圏の週末でも未だに飽きないのでしょう。

ただ、突き詰めれば、新しい興奮より、慣れの安心に重きを置いています。
慣れるまでは苦痛だけれど、慣れてしまったら安心を感じ取り、人が飽きる長期間であっても、僕は安心を選択し喜んでいる。


僕にとり、【安心】というキーワードは富や美、ましてや愛情よりも遥かに超越した「生きる」の次に大切にする核心的心情。

生存願望は誰もが等しく持っているならば、次に選択する候補として自由枠の第一位が【安心-安全】

そして得た答えが、【安心−安全】を追求すれば、それは自ずと一人で居る世界。険悪な関係が長く続いた両親の姿を見ていたので、パートナーと共にする生活は、安心でも安全でもない恐怖や怒り、悲しみに、恨み辛み。体験から得た答えが、唯一の解答ではないと知ってはいても、他の模範解答が全く想像もつかない。

le 5 mercredi
//ノンビリしたい// そろそろ毒沢にでも行き、ノンビリしたいのだが冬はドライブが怖い。     のんびりしたい。  いつも一人でノンビリしているのですが、なんかもう山奥とか、誰もいない大自然の中でテントを張り、ノンビリしたい。

そんなノンビリを嫌というほど、味わいたい。


コレは一つの信号。休養せよ。
ただ、忙しい社会人。しかし体は欲する休養。
この場合、平日の合間合間に瞑想をし、起きているけれど
寝起きのような脳の再生を図らないと、
いつかは自己防衛が働き、欝として社会の忙しさから離れようとするはず。


先週末も、その前も確か誰とも会わなかった週末でしたが、
今週末も誰とも会わず静かに、本当に静かな環境に身を置きたい。


一つの理想を語るなら、山奥の寒い冬の山小屋。そこには僕一人で、細々と農業をし、越冬用の食料を切りくづし、囲炉裏で暖を取り、早く布団に入ったりする、ホントに静かな山奥の家。

こんな姿を夢見るのは、一つの精神疾患だと思う。
極度に排し、一人でいようとする。

と、いって実生活では誰よりも饒舌で、それが故、疲れるのでしょうか??


最近、誰かと会うのがイベントレベルに達している。
週末にわざわざ誰かと会うのは、それは一つのイベント。

さらりとした感覚で友達に会うことは、もう久しくありませんし、そう仕向けたのでしょう。

le 4 mardi
//新しい祈りの文言// 毎朝、何度かその日の無事を願う祈りの文句を心で唱える。それは平日限定で、無事平穏は仕事にたいして。 もう、何年も同じような文言でしたが、新しい文句を考える時期が来ました。

それは意外と科学的で、ただ願い事を羅列すれば良いのではなく、理路整然とした確信に基づいて。


本日も、仕事は完璧で、正確で、最も効率的に執り行われたこと
感謝いたします。ありがとうございました。

私の指示は、的確で迅速で最善であり、皆が快く受け入れてくれ、
全ての業務が完璧で、正確で、最も効率的で執り行われたこと、
心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

これに引き続く一節か二節、また心静めて考えましょう。



以前の日記にも書きましたが、車に愛着を持ってハンドルを握る人と、テクニックに過信するだけの人、事故率が違うはず、と書きましたが、何事も、そう、毎日の生活、仕事などにたいして愛着を持ち真心を持って接すれば、事象も私に報いてくれる。

自信あるがゆえ、粗野になったり粗暴になったりしては絶対にダメ。



新しい分野に足を入れたり、そういう時に、不安を感じない人は、まずいない。それを克服するために何が必要か?

日頃から聖書や仏典に目を通して良かったと、心底思います。

le 3 lundi
//葵、徳川三代// 大坂城炎上。小川真由美演じる淀殿自害。2000年の大河ドラマ。

CSで録画しました。今から7年前。

あの頃、このドラマを見ては、小川真由美の怪演を語り合い真似していたものでした。それから程なく決別し、付きまとう彼に最後通牒を出したり。

と、突き放したのに、未だに意識に残る彼。それが色恋の対象ではなく大の親友と思っていたので、今もそう思うのでしょうか。

ただ、その今でも残る意識は、小説の後半を想像するもの。彼の生き方ははっきりとしていて、その先にあるものも、道理があるなら鮮明であるはず。

le 2 dimanche
//内向的になろうぜ!!// 楽しんでいます。 本当に僕はケチだと思う。ガソリンが以前の1.6倍。幸い全ての物価が1.6倍ではないけれど、1.2-3倍に向かうでしょう。例え、2.0倍になっても、僕は経済的打撃を回避できると思う。

爽やかな日曜の朝、思いの外、早くに目が覚める。 
真空管アンプで音に酔いしれ、旅先の地方紙に目を通す。
机上には、ウーマン中国茶一式揃えを出し、
いろんな茶葉を味わいつつ、聴きながら、読む。

午前の光は、特に好き。

大好きなホワイトチョコを少し戴く、そんな午前10時や11時。


土曜日も似たような時の過ごし方。
そういう内向的な週末を嫌悪する人もいるけれど、僕は邪魔されたくない。
今、暇?と聞かれれば、答えは、忙しい。


どんなに物価が上昇しても、こんな週末を月に1-2回設けたら、帳消しを上回り、貯蓄にもなる。

それを苦し紛れに実行しているのではなく、楽しくてしょうがない。

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とても忙しいのが分かっているので、顔を出すのもメールを出すのも、あえて見合わせています。ガンバレは誰かが言っているはず。僕がすることは年度末まで静かにすること。 (たまに顔出すかもだけど)
時間があれば睡眠に回し、栄養価の高いものを食べて下さい。ガンバレ!

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ウーマン中国茶一式揃え 
今現在、朝から三種類もの茶葉を楽しみました。
角陶板は小さな世界。
机の隅に置くと、何かを読んだりするのが楽しくもなる。










旅先で買った地方紙に目を通すのが好き。ホワイトチョコが好き。
真空管アンプ、大好きになりました。

この週末は、実に内向的でしたが、とっても居心地が良かったです。

le 1er samedi
//居心地良い部屋に// 外に出れば、値上げ一色。いかにしてエレガンスに生活防衛に努めるか。

部屋を掃除して、好きな音楽を奏で、それを先日の真空管アンプで聞く楽しみ。本を読みその世界に没頭すれば、ゼロ円なのに楽しみの尽きないこと。
契約しているスカパーに面白そうな映画を見つけ見入ることも大切。

手元に居心地の良い世界がないと、それは辛い人生かも。安楽は外に出て。例えばギャンブルや酒しか楽しみがない人は、見ていて哀れです。金を手放せば、相応の楽しみは手に入る。それは薬を飲めば風邪が治るのと同じ。薬を飲まずして風邪を治すのと同じで、家にいても一人でいても十分に楽しく、さらに言うなら邪魔されたくない。そこまでの昇華。

例えば絵を書くことが楽しみな人は、本当に強いと思う。作詞作曲でもよい。脳内の活動から何かを生み出す人の、一粒万倍日のような力強さ。

退屈と思えば、これほど辛いものはない。そういう工夫のない人は、退屈を避けるために雑踏に消える。

//世界エイズデー// そろそろ検査受けましょう。やはり定期の検査は身を律する効果が大です。 ところが昔読んだ何かの啓蒙パンフレットでは、何度やっても陰性だから大丈夫と省みることなく陽性になった人の告白が載っていました。  そういう「麻痺」も考えられるけど、やはり定期の、最低でも年に一度の検査は必要。

ネット婦人警官として思うのは、やはり5meoが人を狂わせていたと思います。アレが麻薬となり規制されて、どれだけ掲示板の文言が正常化されたことでしょう。もちろん中毒になった人は、闇で不法行為を続けているかもしれません。しかし、さすがに麻薬となれば足を洗う人も多くいたはず。あの規制がもっと早ければ、狂いの中で感染した者を大幅に減らすこともできたことでしょう。よって5meoの拡販&攪拌と感染拡大は相当な因果を持っていると思うの
です。
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