décembre.2008


le 31 mercredi
//2008年私的ニュース10本// 順位は無いけど10本用意します。
毎年、恒例の一年の振り返り。

さてと今年はというと、、、、、

まず、その前に、今、紅白を見ているのですが、
出演基準が全く分からない。
豪華なステージを見るのは楽しいのだけれど、
全くヒット曲も出していないのに、
どうしてこうもステージで堂々としているのでしょうか。


それでは2008年の振り返り。

●ガソリン暴騰に他を切り詰める生活。
●南信州に点在する斜面集落に今年も心奪われ、
 ガソリンが高くても通いつめ、人にも紹介できた一年。
●富士山に登ったよ。簡単に登れたけど、下山は足にきました。
●仕事に邁進した一年。
●通風の気を感じた、行き過ぎた食生活。
●一人で過ごす週末の特に多い一年。
●派遣切りや忍び寄る不景気など、変な社会を自分なりによく考えた一年。
●mixiを通して、初めてお会いできた人たち。どうもありがとう!
●静岡県浜松市天竜区夏焼集落の驚き。←これは別に一本の特別賞!
●いくつかの年中行事中断の一年。 毒沢や大白川、紅葉のR418など。

このような一年ですが、全てを超越して、
もう何年も続けていることがあります。
これは僕の日常の「癖」にもなっていますが、
それはというと、【心静かな祈りの時間】

特定の神様仏様を指定して帰依するわけでもなく
ただただ心を静かに、願う姿を描き出し、充足した気持ちになるまで
ただただ心を静かに。本当に静かに。

このような時間が、持てることの幸せは、心の深くから感じるものです。

安寧な日々が続けれましたこと、これは奇蹟だと思う。



思いを巡らす全ての人に、感謝申し上げます。
ありがとうございました。来年もヨロシクね。


le 30 mardi
//まるで相撲の番付表// 家に着いたのは17時。
頭から離れない光景は、歌舞伎町のホストの写真。
芸能プロダクションに所属しているわけでもなく
言うならば裸一貫。

さて、衝撃的だったのは実力の世界。
顔写真は人気者が大きく、小さい人は、本当に小さい。
相撲の番付表と同じです。

ただ、そこはあくまで素人の顔。
えっと思う人もいれば、あっと思う人もいる。

le 29 lundi
//パレスホテルでの優雅な休日//

大東京二日目。楽しい時間。
その詳しすぎる内容はmixi日記に詳述。
まっ、お会いしたのもミク人脈ですからね。それで良しとしましょう。

丸の内界隈の雰囲気は大好きです。
大東京なのに、この空の広さは何なの!?

やはり日本の顔として、相当額の国家予算を投下しているのでしょう。
完璧で美しい。


ところが、まるでニューヨークのセントラルパークで寝ているような都市生活者の優雅な休日と思われていた姿は、住む場所の無い人が、日の光を浴びて芝生の上に寝ているもの。


来年は、何らかの形で、同じ働く者の連帯の証として
彼らの助けになることをしなければと思っています。

いろいろと調べて、意に沿う団体に寄付とかをするのも
職のある者の勤めなのかと思うのです。

勤労に不真面目な者の末路は、当然の制裁だと思うけれど、
勤労の意欲があってもなお、路頭に迷う者には
政治主導の救済が機能していない現実を見るに、
もはや個人の行動が待ったなしなのかもしれません。

今年は、勤労のあり方を考える一年でした。

le 28 dimanche
//旨い寿司も忘年会も二回目// つい最近の感動が、まだ、この辺りにあるというのに、この日は同じ会場での忘年会。
もちろんその前に、あの寿司屋にも寄る。

東京は、新幹線で片道約11000円。
こうやって宿まで提供してもらえると、とても助かりますし
なにより東京が激しく身近に感じられます。

ありがたいことは、翌日がお仕事なのにお誘いいただけたこと。
この御恩、忘れることはありませぬ。

le 27 samedi
//仕事納め明けの出勤// お客様は神様。大晦日でも元旦でもお客様のためなら、海の向こうだって。

いや、堪えます。休めばいいのに。


まさか、どっぷり夜が更けるまで仕事するとは。

明日は大東京。
楽しみ楽しみ。

le 26 vendredi
//社長賞// 仕事納め。今年もあとわずか。こんな年の瀬に大ニュース。
社長賞他二つも賞をもらいました。

一年前、異動があり覚えることに必死な毎日。
ただ、それを繰り返していたら社長賞を。

僕を支えてくれた多くの人と、無理を聞いてくれた多くの人に、ただただ深い感謝を捧げるだけです。

来年は、利益還元の宴会をしなければ。。

肝要なことは、驕らない。久しからずなんて洒落にもならないし。

le 25 jeudi
//今年は床屋にいけない// ボサボサのまま年越しになりそう。
こんなボサボサで東京行きなんだから。
今年は、ガソリン価格の暴騰と下落で一喜一憂。
ただ暴騰の期間の方が圧倒的に長かったので生活防衛に四苦八苦の日々でした。

よって、出歩くこともままならず。
そんな内向的な一年を変えてくれたのは某マイミク師からのお誘い。

東京なんて、どこか海の向こうの街かと思っていたのに、
なんと身近な存在になったのでしょう。

le 24 mercredi
//目頭の熱くなるニュース// 風呂に入ると、たいていNHKラジオを聴きます。22時台のニュース。一時間枠のニュースで内容は多岐に亘り深くまで紹介。 貧困相談のニュース。 反貧困ネットワーク代表の方が電話口で本日の電話相談の内容を紹介。電話が殺到し、ここでさえ門前払いになる人のほうが多数を占めたそうです。  アナウンサーが機転を利かし、そのような人のためにも、これからどうすれば良いのか、ここでお話下さいという。
彼は、まずは諦めずに役所に行く。  ●●の役所は●日まで。◆◆の役所は●日まで窓口が開いている。 と、親身に説明。
僕がジーンと来たのは、この先。

それでもなお、お困りの方は、●日から日比谷公園で炊き出しを行い、寝食と簡易的な医療を・・・・・と。

彼の必死さは、その先に路上生活者の死を感じているからでしょう。




大地震が起きると、NHKは特別編成で放送します。
各種の窓口を紹介し、
それでもなお、お困りの方・・・と緊急避難的な救護場所など案内もする。


大地は揺れないけれど人心は乱れている。
それを現場の最前線では、以前にない危機水準と把握しているのでしょうか。


つい二年ほど前テレビでは、竹中や八代が、この改革(←規制緩和)は、日本を強くするためと強弁していました。既にその頃からワーキング・プアの問題が盛んに指摘されていましたが、規制強化の救済ではなく、派遣の全面開放のような緩和で持って強い社会の実現を目指すと言っていたのです。

簡単に崩壊する勤労者。そして彼らの救済と再生。
それに要する費用を考えれば、まるで護岸工事を疎かにした結果の莫大な復興費用のようなものです。




以前の生活を、10とする。
解雇されて、0とする。
失業して、-10とする。
そして救済を受けて、0とする。
救済からの再生で、10に戻る。


簡単に崩壊しない勤労者の平穏な日々なら、
10の生活が11に12に13に。
緩やかだけれども富の蓄積も進むでしょう。

彼らが、12や13の生活をするなんてのは、限りなく遠い話か、
もしかすると無理なのかもしれない。


今は、派遣切りなどに関心が集中していますが、
今後数年のうちに話題になるのは
もはやかつての購買力は復活しないのだろうか?という問答でしょう。
どうしたら日本人は、以前のように買い物をしてくれるのかと。


労働者派遣制度を放置し、雇用と失業の繰り返しを黙認していたなら、
国民に富の蓄積はならず、弱々しい買い物だけをする社会が形成されます。

そんな消費者の集団行動は、結果として各種企業に対する宣戦布告にもなると思うのです。

負の連鎖を断ち切るには、次に経済が回復したとき、この派遣制度を廃止できるかによると思っています。


le 23 mardi
//戒めだけでは// 連日、というか今年は悲観的な日記が多い。ここで弁解を含めて詳述させてもらいますが、僕は悲観主義者ではありません。ただ、この種の否定的な物事には、何故か看過することができず拘ってしまうのです。

不景気の種を見つけたら、その先を想像する。

名古屋駅前に260mと210mのビルができますが、そんな未来予想図よりも、大量発生する失業者と社会のあり方とかに関心が湧くのです。

不景気の種もない頃、大阪は釜ケ崎を見学しました。大学の頃です。
その時、勤労に不真面目な者の末路を見て、心に深い戒めと成したものです。ある種の懲罰的な姿。自業自得。ただただ自分は、その負の連鎖に入ってはならないと勤労に関して不真面目であってはならないと決意したのです。

ところが、来年からは勤労に真面目でも路頭に迷う人は多いのです。
それは自業自得でもない。そんな不条理が我らに隣接するのです。

日々の楽しみや贅沢を考えたり実践するのも楽しいけれど、
その忍び寄る淵を、やはり垣間見ることをすべきだと思うのです。



大学の頃、阪神大震災のボランティアに行きました。
もえあがる自己犠牲の精神ではなく、大都市に住むものにとって
大都会で起きる地震後の姿は、見るべき義務があると思ったからです。


公務員でもない限り、何かの理由で失業する可能性はあります。
少しの可能性があるのなら、失業後の世界を、何かしらの形で見なければならないと思うのです。そこから得られる答えは多いと思います。

一人で生きていくものと、共稼ぎのもの。そういう最小の単位から言って、防衛力は結婚しているものの方が強い。

夫婦共々失業のくじを引く可能性より、私個人が引く可能性のほうが高い。
やはり、勤労に真面目であっても失業する場合もあると心に刻み、その姿を焼き付けることは、今後10年の行動指針になりそうです。

le 22 lundi
//ピンクタイフーン// 頭から離れません。どうしてくれようか。

//彫刻セット// が欲しいのです。ちと本格的なものを。
それで何を彫るのかといえば、仏像。

では、何故、仏像を彫るのかといえば、不景気だから。

不景気だと仏像?という向きには、ご利益。

そう、仏像彫ってご利益を。



来年、経済がひっくり返って貯蓄に専念する非常事態になったとしたなら
暇な時間は仏像を彫ろうかと考えています。
魂をこめて彫れば、笑いが止まらないほど金が入ったりして。



まっ、そこまでは冗談というか大げさなのですが、暇が続いても精神が平安でいられる工夫は平素から備えておくべきです。
失業に限らず、誰かの死とか老後とか。
孤独に耐えるのも試練の一つ。それに耐えうるものとして彫刻は身に付けておくべきかと。

le 20 samedi et 21 dimanche
//mixiから転載//
少し成長したと思うの。編集する全体に公開
2008年12月21日21:47
東京は、素通り。

ウーマンにとって、東京は大東京で見るもの全てが衝撃の連続。
巨大な屏風を立てたようなビル群が、あちこちに存在しているのも、
それは未来映画を見ているような光景。

だからディズニーランドとかまだ一度も行ったことがないの。
東京そのものが、まずは見るべき場所で、だから何年経っても、
先に進めないのね。


少し成長しました。


新幹線で東京駅に着きましたが、東京は、素通り。
そのまま渋谷から、路線価の高い東横線に乗り、品の良い某駅まで。


まずは得意の一人ブラリ歩き。
と、言っても、朝から何も食べていなかったので
ただ寿司屋を探しにブラブラと歩く。

写真
特上握り3000円也。3000円ではありえない鮮度とボリューム。
   驚きました。
「ウミャ〜ウミャ〜」と主人や奥さんに愛想振りまいていたら、
別に二貫もサービスで握ってくれました。   

少し成長したのです。



旨い鮨を食って上機嫌になったところで忘年会へ。

初めてって、何でも緊張するものなのよ、と母は娘に言うものですが、
私、全然緊張していなくて、ダラ〜〜〜っと寛いでいました。
初めてお会いする方も多くいるのに、アナタ呼ばわり。


真夜中、歯ブラシを買いにマンスィオンを出ました。
小銭持って外へ。
五分で戻るつもりが、その五分で奥様は寝てしまい、
私、マンスィオンに入れなくなってしまったのですね。
何せ防犯の設備は完璧で、奥様が許可してくれないと入れないの。

許可も何も寝てしまえば、無反応じゃない。  




ただ、今回の忘年会に、極ご近所の方も参加しておられて、
私を助けてくれたこと、ここに伏して感謝申し上げます。



朝、九時前に奥様に電話したら、
目を覚ましたら、居ないし、
朝の散歩にでも行っていると思っていたそうですわーい(嬉しい顔)


写真
日曜も素晴らしいお天気。それに冬とは思えない温かさ。
翌日は、初めての横浜。

これがまたビックリの連続。


名古屋で言う海は、都心から最も離れていて、工業地帯。
そこに行く目的がある者のみ訪れる場所で、
門戸が開かれた場所とは言いがたいものがあります。

ところが横浜の港ときたら、公園のような港。
日曜の昼下がりを楽しめれる場所なんです。

名古屋にも限りなく小さな、そのような場所も港にありますが、
やはり全てを囲ってしまう工場群があるのです。
だから、開放感や門戸の広さは比較対象になりません。


その横浜の公園のような港に隣接するホテルや商業施設。
まあ、なんと素晴らしい街づくりなのでしょう。


と、驚いてばかりの日曜日も、そろそろ帰る時間。

横浜の街の魅力は、もっと知るべきだし、
東京にも行きたいし、なにせ、あの寿司屋に行きたい。

口笛さえ吹いてくれたら、歯ブラシは持参の上、新幹線に飛び乗るわ。


楽しい週末を過ごすことができまして、
奥様はじめ、皆々様に御礼申し上げます。ありがとうございました。


le 19 vendredi
//不況を考える//のは、実は好きです。何かの潮目が変わり市中は激変する。別に隕石が落ちたわけでもないのに生活が変わる。

本質を見るに、それは江戸時代の不況とかを学ぶのも良さそうです。
不作でなく不景気は到来するものなのだろうか!?

今、知りたいのは、石高の江戸時代にあって不作でもないのに不景気があったかどうかの事実。

le 18 jeudi
//100年に一度// 今回の金融恐慌は100年に一度の大不況と言いますが、もしそうであったなら、恐慌が発端の戦争とかも心のどこかで覚悟するべきなのでしょうか。  

会社の業績。前年度比101-103%の業績の拡大。このような緩やかな拡大を経験していたとします。

不景気が、前年度比の97-8%の程度なら、ボーナスの減額で対処できるのでしょう。  それが80%なら不支給。75%なら人員整理とか倒産とか。

100年に一度の不景気というのなら、所属する会社の業績が今後、1/2程度に縮小するものと、こちらも心のどこかで覚悟するべきなのでしょうか。

失業なんて関係ない!と言ったとしても、業績が1/2以下に落ち込んだら、会社も存続できないでしょう。

皆が皆、職を失えば、気恥ずかしさもないのかも知れません。
しかし、そんな世の中が到来したら、自国が選択しなくても他国が戦争という突破口に活路を見出す可能性はあります。

不景気が、生産調整で止まっていれば回復も早いでしょう。
ところが人員整理。雇用問題まで悪化した。

今後、5年ほどは不景気だと思っています。

つまり、一度生計が破綻した者にとって、従前の購買力まで体力が回復するのに、とても1-2年で済む話だとは思えないからです。

阪神大震災で全壊や半壊した家。
それを直す費用は最優先。
地震前の贅沢は、やはり5年は見送っていたでしょう。

失業して路頭に迷えば、それは全壊と同じ。
彼らが旺盛な消費者になるなんてのは、5年でも早いのかもしれません。

あまりに脆弱な勤労形態を造り、今回の不景気で一斉解雇。

このためらいもない解雇は、全国津々浦々に半壊−全壊の家庭を生み出します。 故に、日本は5-10年は活況を呈しない国になると思います。その後、高齢化が進んで、おとなしく生き続ける日本となるでしょう。

家電メーカーも自動車メーカーも、そしてマスコミも、日本には数が多すぎるものとして、体力なきところから淘汰されるはずです。

法的な規制があまりに弱く失業者の大量発生。
どうも、仕方ないと放置するのなら、やはり法を改正する議席の割り振りを求めるものとして、日本国民は自然に動くはずです。

一体、小泉や竹中・八代が信じた新自由主義はなんだったのでしょう。

le 17 mercredi
//完全雇用を目指して// 産業を振興して完全雇用を目指すのは自由民主党の政治綱領に明記されているはず。卒論に引用したもん。

産業を振興して。というところが自民党らしい。
これが対局の某党なら、
労働者の数だけ国家は雇用の場を保障する、でしょ。

そういう意味で、責任政党だと深く思うところもあったのですが、今はもう死に体ですね。先日の日記にも書いたけれど、自民党が選挙で下野するのは確実。それが復活の目途の立つ敗北なのか、今後10年はありえない敗北なのか。

le 16 mardi
//二兆円の使い道// 二兆円のバラ播きなどせず、もっと有効な使い道は無いものでしょうか? それを介護の現場に回す意見はよく耳にします。

では、別な意見として挙げたいのは農業振興。
二兆円で大々的な遊休地の耕作を。
円高なので輸入食料との競争も一段と激しくなりますが、
自給率の向上は国家的な使命だし、何より安全な食材は国民の支持を受けられるはず。

国家が農業動員をするイメージは戦時中、もしくは文革後の下放のようで否定的な観も付きまといますが、路上生活者を増やさないためにも必要と思うのです。

人口が都市部に集中し、農山村の文化の維持も今が最後のような気もします。二兆の金は農業振興に使って欲しいものです。

le 15 lundi
//世の中がひっくり返っても// 夏焼は残る。
静岡県浜松市天竜区夏焼。
この夏焼集落は、筆舌に尽くしがたい凄みがあります。
例え、日本国が戦争をしたとしても、世界が大恐慌になっても、
山河に一遍の変わりもなく生きて行けられる地。

今年、積年の思いが通じ、夏焼集落を探訪することができました。

田舎暮らしは憧れても
夏焼で生きていけるかどうかは、別問題。
強い精神性と農業と医学の知識が求められます。

le 14 dimanche
//意味の無いことを真剣に考える// 田舎暮らしの家を構える。その横に水田を作る。水田の向こうは里山。一番南を家として、里山が北。
さて、水田の向こうに植える木々は、実のなる広葉樹。
銀杏と栗を沢山植えます。
銀杏の大量の落ち葉は、天然の肥料となって水田が肥えることでしょう。

と、全く実生活に関係のない妄想を、真剣に考えるのです。

新しい部署になってから一年。
去年の今頃は覚えることが山積して必死でした。
そりゃ今でも緊張感はあります。
ただ、少しは要領もつかめて、休日出勤ばかりの一年前とは大違い。

こんなことなら京都行きに参加するべきだったのに、
やはり仕事には構えるところがあって、万が一を優先してしまいました。

平日は、本当に忙しくて、瞬く間に夜になり週末。
そして迎える土曜日は休養に当てて、11-12月の週末は、結果的に貯蓄に専念。

年末の休みとか、少しプランを練りましょうか。

le 13 samedi
//青空に昼寝// 今寝たら、土曜日は台無しになる!と思っても、温かいベッドでする午睡は10-20分で終えられるものではありません。

ま、こうして休養に徹するのも悪くは無い。月曜からは、どうせ嵐の5日間。

//肉体と魂// 私という存在に、先祖の面影は色濃く残る。それは髪がクセ毛とか、諸々の身体的特徴。当然といえば当然で、私にも、アナタにも当てはまる。

さて、それは肉体的な水脈。遺伝子の流れ。
そこに私という魂が宿るのです。

魂。つまり私の心。思考。これは独立したものなのでしょうか。
魂すら、先祖の延長線上だとしたら、私の死後の行く先もたいてい想像が付く。

//いやいや// いやいや、魂とは、実は物凄くさめた物で、そこに神聖なものは無く、クセ毛同様の遺伝的な要素。富栄養湖に微生物が湧くように、受精卵の分裂から齎される一つの要素。

魂が肉体の上位に位置するのではなく、肉体と同様の細胞分裂の帰結なのかもしれません。

私という人間が歳をとり円熟したとしても、その極みは後世に全くの影響はもたらさない。  生殖を成した時点での、人としての成長が、後世に繋げる唯一のバトン。  死後、魂が別の肉体に辿り着くなんてのは全くの慰みで、正当なSEXその瞬間。たったこの一瞬のみしか、先祖と自己の情報を後世に与えることのできる唯一のチャンス。  つまり、私の肉体にある先祖の情報は、先祖が性交をした若き頃のものであって、歳をとり円熟した精神性とはまったく関係がない。

と、ふと思ったので忘れないうちに。

le 12 vemdredi
//旨くなったわ〜〜// 昔は週に1-2度行っていた某ホテルのディナーブッフェ。  1-2年ほど前、味がガクンと落ちたことがあります。もろもろの原材料価格が高騰し、お値段そのままで食材のグレードを下げたのでしょう。
その時、ちょっとした恥をかいてしまい、以来、通うのをやめました。

昨晩、久々に行ったのですが、味が復活していて、また行ってみようと思った次第。

来年から、ホテルの客室単価も下がるでしょうね。
またシティーホテルで過ごす週末を復活させようかしら。

le 11 jeudi
//ふふふん// ふふふん。  いい加減、見っとも無い真似はやめないと。
コレは自分のこと。

種をまかず、収穫もない秋。
他人の食卓を見て、美味しそう〜 招待して〜
と言うのは下品で低俗。

うまくやり通しても相手は見透かすはずだし。  ふふふん。

飲み会があっても僕は昔から席を移動しない。
話があるなら自分の周りで盛り上がるはずだし、
そうでなければ、そうである。

le 10 mercredi
//ひょっとして見間違えた!?// 秋葉原詣でをしたら、その群集と歓声。そして某掲示板に書かれる親麻生・親自民、反小沢・反民主の書き込みが日本国世論の趨勢と誤認したのではなかろうか。

惨憺たる支持率。

解散の時期を見事に逃しましたね。
これで自民党の下野は、ほぼ確実と見て間違いないでしょう。

またまた国民の信も無く総理を変えるのも、流石に無理だと思っているはずだし、進むも地獄・退くも地獄。

小泉路線の破綻と同時に、現与党の役割はひとまず終わったと思う。
同じ枠内で修正しようとしても、この破綻の勢いには対処できない。

自民は下野するけれど、与党復活の可能性がある落ち込みか、
今後、10年はない落ち込みか、この多少を占っての解散になると思う。

le 9 mardi
//ケチ道// 今年は、不気味なまでのガス代の暴騰に対処すべく、諸々の倹約を図りました。 故に、200円になってもドライブを楽しむ。

さて、来年こそ遊び半分ではないケチ道を極めなければならないのでしょうか。バブル後の不景気を目の当たりにして切に思ったのは、二年無職でも食べて行けれる蓄え。

今はまだ不景気の淵ですが、来年は路頭に迷う人の姿を多く見るはずです。

慎ましく豊かな時間の過ごし方を極めましょう。



結局は、潮の流れの大半は傍流で、危機意識を持つからこそ萎縮する。
職はあっても戦時体制。これが社会の趨勢になるのだから、ますます景気は悪くなります。



さて、一時金のばら撒き。これって愚策だと思う。
だってよ、未だにどう支払うのか支離滅裂な説明。
それが二兆円にも及ぶという。

この金を、派遣の大量解雇に備えた新たな雇用の創設に注ぎ込んだなら、失業給付も抑制されるわけで、国家財政も助かる。

le 8 lundi
//器// 器に水が溢れたとき、はじめて限界を知る。満々と水を湛えていても、溢れなければ全く水量なんて気にしない。溢れて初めて己の容量を知る。

悲しいしと思い始めたり、寂しいと思い始めたり、
人恋しいとかいろいろ思い始めるとき、
私の器も孤独で満たされ過ぎたということか。

最近まで、つい最近まで、全く平気だったのに。

le 7 dimanche
//今日も青空なのに// 時間の使い方が下手。
部屋の中でモジモジして、僕は日曜日を何して過ごしたいのだろうか。

ある種の不完全燃焼は、的を得た捌け口さえ見つければ、大いに前進はできると信じている。

以前も、能動的な内向を楽しんでいましたが、それには意味がありました。
最近は、見失った果ての内向。ダメだと思うのです。

と、言って、趣向とかけ離れた空間に身を置きたくもないし。

静なポジションに身を置いているのに
とてもバランスが崩れている。

le 6 samedi
//こんなに快晴なのに// 何もしないことを選択しました。
何もしない土曜日。部屋にいて、コーヒーを楽しんだり、午睡をむさぼっては本を読んだり。 

こういう時間も好きなのです。
でも、心のどこかに誰かに会いたいというか、少しドキドキするのも期待したりもするのだけれど、何せ家から出なければ何も動き出さない。


毎日を頑張り過ぎるのかもしれません。
だから週末は静養に当てて自己のバランスを保つ。


こんなに怠け者の日記を書いていて、
今一番したいことは、歩くこと。
とにかく歩きたい。

le 5 vendredi

//同志// 仕事で、価値観も同じで緊張感も共有する。僕を含めた三人で仕事帰りに飲み食い。    なんというか情が沸きますね。彼らと仕事をともにできるのは大いなる喜び。

突き詰めれば責任感の多少の違い。
頑張ったけれどもできませんでした!とは決して言わない。
常に業務を完全解決。そのための辛苦は惜しまない。
それを当然と思っている。

ただ三人が三人とも目を吊り上げて引っ張るのは宜しくない。
人はそれぞれで、見守ることが前進に繋がる場合もある。
周辺からギャーギャー言われると思考が停滞する人も居る。
個性を見極めるのも大切な仕事で、
通り一辺倒な対応は今の時代、失格だと思う。

le 4 jeudi
//電波は同心円ではないの???// 1431khzの岐阜放送。夕方になると、名古屋にいても和歌山放送が混信する。そりゃそうだ、周波数が同じだもの。

さて、岐阜の中心地、岐阜市は岐阜県の南端。そこから電波を発するのに、名古屋でも聞き取りにくい。この間は平野でさえぎるものさえないのに。  出力が弱いのは周知の事実だけれど、これを考えると、電波は向かせる方向に届くものかと思えてしまう。

つまり、南端の岐阜市だから、広域をカバーすると思えば北側に発すればよい。  そんなことは可能なの????

電波は同心円に広がると思っていたのに、和歌山放送の混信で疑いは益々深まるばかり。

それとも同心円だけれど、出力が驚くほど弱いのか。それをカバーするのは県内各地にあるミニ鉄塔からの出力とか!???

le 3 mercredi
//気が付けば18時の幸せ// お昼ごはんを食べて、気が付けば18時。繁忙とはこの事ですが、時が過ぎ去るこの速さ、それはそれで幸せなのかもしれません。


痛切に思うのが芸術的な素養が一切ない私の軽い存在。
時を過ごすのに、本を読み、たまに駄文を書き寝る。
そうでなくて、芸術的な活動。できることなら私の手の動きが、脳の感性が、一つの価値を生み出す、そこまでの境地。


衣食足りて礼節を知る、は名言です。
まさしく私の生い立ちは、衣食足りた程度。その先の豊かさがない。


人が、何かの楽器を奏でていた頃、私は一体に、どのような時間の中に身を置いていたのでしょうか。

le 2 mardi
//色欲な女// きっと彼女にとって、恋愛のない期間は絶えられず、次から次なのでしょう。  その彼女は、一つの家庭を崩壊させ、当然今は謹慎するべき身なのに、相談事といえば、新しい恋を始めようかと。。。 もうコンパにも参加しているらしい。   家庭を崩壊させてまで、その男が欲しかったのなら、一つの筋道も見出せますが、その男を待つことも無く、次を考えている。

そういう女は、小説や映画の世界かと思ったら社内に居たなんて。

「本当の愛」とか錦の御旗を掲げ次へ進むのでしょうが、その軽すぎる身の処し方に、行く末は、きっと重い荷を背負うのだろうと、年寄りは思うのです。

le 1er lundi
//奇病ではなく// hiv/aidsの感染爆発を目の当たりにすると、もはや、どこにでもある難病の一つなのかも知れません。  海の向こうの得体の知れない奇病、という時代ではなく、難病の一つ。しかも、他の難病よりも感染者数が遥かに多い。  ただ、今でも偏見や制裁を恐れて隠し通すだけであって実際のところは多いはずだし、水面下は想像を超える数なのでしょう。

感染の事実は早く知り、適切な治療を受けるべきだと思う。
手遅れになって事実を知り、世を去るなんてのは、仮に身近な人だと思うと、悲しみで耐えられない。

人はいづれ死に、結局は何かに起因している。

それであっても、私はアナタと老後まで楽しく付き合いたい。
あの頃、あんな人が居た。
そんな感傷に浸ることなく、定期の検査と、然るべき道。

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