伊勢神宮は年中無休の24時間営業だと思っていたら5時過ぎには閉鎖するとのカナコ女史からのアドバイス。
この頃にはお腹も空いて何か食べたかったのですが、とにかく間に合うように最も近い駐車場に車を停め、五十鈴川の橋を渡ったのでした。

伊勢神宮に訪れる度に日本人の美意識は、余分なものは排除して、最低限の存在が構成する空間にこそ美を覚えるのかと思えてしまう。 
   特に伊勢神宮内宮は神道の頂点。仏教に例えたら何々宗の総本山なのに、全く着飾る訳でもなく、それを喧伝する訳でもなく、静寂の中に佇んでいました。
  訪れた時間は遅く、人も少なく、それに照明も最低限。美豚同志が「本来、日本の夜はこんな感じなんだねェ」と言ったのには深く感銘。


伊勢神宮の本を読んだことがあるのですが、伊勢神宮には本殿の他にいくつもの別宮があります。
中でも第一の別宮である荒祭宮(外宮なら多賀宮)は、本殿・正宮がおおらかで寛大な神様だとしたら、
その別の面である荒ぶる心を御祭りして(鎮めて)いるのです。 
  ご神威もまた格別だと言われる第一の別宮。   全くの暗がりを玉砂利を踏みしめ、これまた、しっかりとお参りしました。

日本人なら、この説明のつかない厳かさは理解してもらえると思います。
神道の神威は、一重に自然と一体化していると思いました。
世界の宗教は、その建造物や偶像の巨大さや装飾に神威を求めていますが、
神道は、それこそ朝靄の立ち込める境内。
それは全くの自然で、時代を超越する明日もまた繰り返される当然の姿。

厳かな気持ちを心に残し内宮をあとにする僕ら。


グググ〜
心が満たされたあとは、お腹の空きようも強調されるのか、グググ〜〜

話としては、伊勢から北上して松阪で松坂牛を堪能する。それ相当の出費を覚悟していました。
ところが松阪の市街に入る手前で、増築に増築を繰り返した怪しい焼肉屋を発見。となりには松阪牛の卸もあり、
統一感のまったくない店舗であっても車が結構停まっている。
食通の僕らにとって、それは美味なる所と(((!)))ときました。

その名は焼肉のオーシャン。
食べ放題で一人2400円。時間制限なし
とにかく三人とも脳の満腹中枢が反応する以前に食いまくりました。
自分は「ハラミ」が大好きで、もう、山のように。
それに野菜もとりたてで新鮮。
全く松阪牛の業者と農家が
マニュアルとかで洗練されることなく、ただただお客さんの為に田舎流にもてなしているところに大感激。
それは味噌汁とかデザートが手作りの家庭の味だし、野菜は隣の畑から取ってきた新鮮さ。  
三人は「焼肉のオーシャン」を目的としたツアーを改めて実行する事を深く誓い合う。


食うだけ食ったあとに残された課題は二つ。
ナンナン伏見本店への手土産と温泉。

夜の早いこの地方では、もう赤福は手に入らず
結局は名古屋にも支店がある美味しい洋菓子やさんでプリンを購入。

途中、スリルを味わう特別コースをたどり
長島町にある「長島オートの湯」で汗もサッパリ。

高速を乗り継ぎ、ナンナン伏見本店に着いたのは11:45。
夜の1時まで滞在し、美豚さんを自宅まで送り
家に着いたのが深夜の二時。

日が昇り目が覚めたのが12時。
この日は両親に頼まれて熱田神宮に送迎を。
待ち時間は三重から来ている友達と交流し
回転寿司で13皿食べました。
全く、思いもつかない展開になりましたが
気の合う仲間だけあり、完成度の高い旅となりました。


食うだけ食った後には深い贖罪の念が・・・・・
有体に申せば戒律を破った修道女のような心境ですが、
「焼肉のオーシャン」の発見は何にもましての大収穫でした