juillet.2015


le 31 vendredi
//これが40ってことよ。//金曜日の晩に、出歩こうという気が湧かない。たまに湧いても家を出るに至らない。 この、たまに湧く感情も、珍しくなり、波に乗っかれたらと思っても、結局家でゴロゴロ。


le 30 jeudi
//割とどうでも良い病、発病//要所要所を押さえる。と、言っても仕事と陶芸と睡眠時間と、あとは健康程度で、そのほかのことは割とどうでも良いと、たまに思うのだ。今もそう。割とどうでも良い。


le 29 mercredi
//未来見る//水素自動車のミライ。場所柄これを3回位見ています。全く新しい車なので新しいデザインですが、調和がない主張なので残念。やはり車体など相当部分を共通化しているので、敢えて差異化を設けようとすると不調和が目立つのでしょうね。


le 28 mardi
//暑いは//エネルギーなんでしょ。暑さを集約して、塊にする技術とか出来ないのかしら!? 冬に徐々に溶かす。寒さも氷りに集約するのが限度なの!?
例えば、米粒でも、マイナス250度だとしたら、夏に開放してどのくらいの面積が過ごしやすくなるのだろうか。


le 27 lundi
//リトマス試験紙//トイレに常備し、その都度、尿の酸性具合を調べます。いつも、7を示す色。これより低くしたいのですが、がぶがぶ水分取っても劇的に数値が低く成るものではなさそうですね。


le 26 dimanche
//浮かれとった// 今日は終日、絶不調。行くと7時間格闘するのですが、最後まで回復の兆し現れず、ただただ疲れただけでした。こうと分かっていたら、最初から行かなかったのに。


le 25 samedi
//身体は覚えとる//

週末旅行に行くと、陶芸は半月ぶりになってしまう。それは一年の1/24の期間を連続して非作陶になる、最も恐れるべきこと。ところが!!! 今回は調子良く、平急須なんぞ作りました。コレ、難しいのですぞよ。


le 24 mardi
//茶葉か焼き物か//仮に、18切符で作陶が出来ない場合、それはそれは有意義に使わないともったいない。一つは、急須に入れる茶葉を買い求める旅。茶どころに行く。もう一つは陶芸のお勉強。備前とか、ゆっくり見て回るべきか。


le 23 jeudi
//どこに行こうか//あと三回使える18きっぷを手にしました。どこに行こうか!? 幸い、会社は名古屋駅前なので金曜日からスタートすることもできます。 一度乗ってみたいのは、敦賀から姫路までの新快速。あり得ない長さの非特急。 仕事終わって新幹線で姫路まで。翌朝、敦賀まで行き、寿司を食って彦根で泊まって、翌日に帰宅。でも、これをすると陶芸が出来ない。。。


le 22 mercredi
//早く寝る寝る運動//そう言えば、睡眠の質が深いのか、最近、早く寝る寝る運動をしなくても、日中、言うほど睡魔に襲われない。夏は適度に汗をかくので、そういうことが睡眠の質に左右するのでしょうか!? とにかく良いことではあります。


le 21 mardi
//三連休明けは//月曜と火曜の仕事が同時に襲ってくる。さて、目も回る忙しさと思いきや、そうでもなく、ちょっと拍子抜け。体は、まだどことなく硫黄の香り。


le 20 lundi
//実にお見事//山形からの帰りは新幹線。東京駅で乗り換えです。乗り換え時間は短いものの、同行者の見事な采配で、待ち時間もなくのぞみに乗れました。あれは僕では絶対に出来ない。これに限らず、交通関係では卓越した能力で、いつも安価で最短で快適な時間を提供して下さいまして、感謝しております。
感謝で忘れてはならないのは、ゆうすけ夫妻。毎回、必ず言うことですが、この出会いがなければ生涯縁もなかっただろう、極めて良質な訪問地に案内して下さり、伏して感謝申し上げるのです。皆々さま、どうもありがとうございました。


le 19 dimanche
//実に素晴らしい//

今回の旅もいつものメンバー。二泊目の宿も山形県内で、たぶん今までで一番余裕ある行程ではなかろうか。山間僻地の極みみたいなところにある温泉ですが、建物の作りも食事内容も、もちろん温泉も非の打ち所がありません。

さて、今回の旅は台風に振り回されました。初日は新潟県の粟島のはずでしたが、事前にキャンセルして蔵王。同行者曰く、台風の恐怖は、こちらの温泉宿にも及ぶのではなかろうかと戦々恐々としていたそうです。そりゃそうだ。あの一本道は台風がきたら水没する。

結果として言うと、粟島の往復のフェリーもキャンセルにならず、当初の計画通りで行けれたのですが、こればっかりは仕方ありません。タイフーンですもの。てか、7月に台風って来るものでした!??


le 18 samedi
//斜め蔵王//

初日の宿は、温泉だけは秀逸としておきましょう。あんなに斜度があるのに客室として提供している強気なところがビックリ。


le 17 vendredi
//やはり重かった//帰りは、これに土産の酒が加わるのだから、重さで言えばエコノミーでは弾かれるボリューム。 高速バスに乗りまして、いざ松本へ。


le 16 jeudi
//一年の色分け//仕事 睡眠 陶芸の三色に、明日、特別に一色加えます。旅行!! 昔は、陶芸の枠が旅行だったのですが。昔は良く会っていた人も、月日と共にそれぞれの方向に進むものの、やはり年に一度であっても、こうやってお会いできる機会があるのは、大人の友情ですね。


le 15 mercredi
//午後休万歳!!//三連休対策として釉薬を施し、陶磁美術館の展示にも行き、帰りは100円ショップと和菓子屋にも寄って帰宅する時間が、いつもより早いのだから、もう0.5日の休みといえども偉大ですよ。半休二回で1日有休なんで、半休を倍の数取ろうかしら!?


le 14 mardi
//待つほどに//イランの制裁緩和で原油が安くなるだろうし、中国のバブル崩壊で需要は減るだろうし、そしてシェール潰しで中東は安値放出だし、なによりロシアへの制裁として価格を低めに誘導しているし、ガソリンは待てば待つほど安くなります。


le 13 lundi
//苦手というより//不得手。 今度の金曜から旅に出ます。逃げる気持ちはないのですが、結果は毎回惨憺たるものがありまして、何かと申しますと、旅の準備。人の三倍くらいの重量なんです。アレもいる、コレもいると。今回こそは身軽にしようと思うものの、毎回、肩が悲鳴を上げる、米でも入っている!?と。 明後日は午後休だし、今回こそは身軽にしましょう。


le 12 dimanche
//暑い暑い//でも、クーラーはつけぬ。これからは毎朝少し早く起きてシャワー浴びないと。
今日は午後から興味ある講演会に顔を出す。ところが人間の睡魔とは、陶芸を取りやめて参加したにもかかわらず襲ってくるもので、肝心なところが聞けずじまい。


le 11 samedi
//夏は来たけど//クーラーはつけぬ。
本日は、珍しく作陶もお休みの土曜日。所用を済ませて家に戻る。家での所用に取り掛かる。たったこれだけのことで、先日、両親が罵り合ったのかと思うと、情けなくて情けなくて、それからエンジンが休止してしまい。ほとんど寝ていました。意識を共有させるとか、問題の程度をお互いに認識して詰める行為を一切せず、自分の言うことが正しい、相手方はいかに無頓着かと、僕が裁判官なのですよ、お互い目の前で言いあう。それが食事時なんです。僕の人生は、この不毛な体験の繰り返しで、これがあると、もう何も考えたくなくなり、目の前の課題とかそういうものも関係がない。自分の人生の質の向上とかも全く関係がない。ただただ塞ぎこむ。罵り合いに鋭い恨みがあるのですから。信じられませんが、僕はこの両親から生まれたわけで、お互いの批難の50%の成分は僕にも存在すると思うと、悪いところで構成されたのが僕じゃないか!!となるのです。

結婚しないことに後悔の日も訪れるだろうと思うものの、定期的に、結婚は最悪の選択だと認識させるのが、我が家の日常の光景であります。


le 10 vendredi
//何か言われると思いましたが、、、// 虫歯は一か所で、今回の治療はこれにて終了。。
//僕には縁のないこと//インスタで、友達みんなと仲良く写っている写真。それが氾濫しているのですね。僕は仕事と睡眠と陶芸ばかりの生活なので、そういう写真は全く別の世界。生活に友達が溢れているのか、そう言う写真を撮るために友達が集まるのか。まさか後者じゃないんで、みなさんの生活は、本当に賑やかなのでしょう。


le 9 jeudi
//脳の何割かを停止させるスイッチ//起きているのですが、相当な部分は働かない。きっと防衛態勢に入っているのだろう。守るために籠らせるのだから起きていても生産性は相当にダウンするのであろう。記憶によれば、自分の幸せとかそういうものは全く関心が無くなるのですね。どうでもよいと。 今に、恨む恨まないとかの低俗な話は蒸し返さないけれど、生い立ちの相当部分に、上記期間は確かに存在していた。それは事実です。今でもなお、ふとした時に思い出し、我に返るとスイッチを消して籠っている自分を発見する。他の人でも、そんなものなの!?なら、特別に思う必要もないのだけれど。。


le 8 mercredi
//株はやらねど//大丈夫!? 僕の理系脳は、算数と数学の境界で止まっている。割り算より難しい計算を使わない日々。。。。 微分とか積分、代数幾何とか、その意味を説明せよと求められたら割り算より難しいモノと答える始末。。。高校の頃は、0点取りましたよ。留年しそうになりました。30過ぎても夢でうなされていました。だって2-3回ありましたもん!!危機が。

ただ、数字は嘘をつかないとは思う。帰ってこないお金の額は、決して消えない。


le 7 mardi
//大成したら//轆轤を回すのは大好きだ!! いつの日か、まるで趣味の域でする陶芸が、結構なお値段のする価値を生み出し、それがひっきりなしに求められ、僕は楽しみながら財が増え続ける環境に身を置いたら、きっとお金を使う暇がないと思うのだろう。

財は増え続ける。

さて、気の毒な老人は目にする。老いた人には優しくしてあげたい。
でも、その全てが同情できるのだろうか!? 老いに至る今までの道に慈悲や慈愛が欠如した者に、今の老いは当然の報いでもある。それはそうだと思う。

児童養護施設にいる子供たち。彼らは無条件に100%同情できる。その不幸な環境は本人ではどうにもできないものであるのだから。

もし、財が増え続けた折は、僕は児童養護施設に寄付をし続けたい。遺産が残るなら全額寄付したい。 虐待や育児放棄、貧困下での生活破たん。これに曝される子供たちに何の罪がありましょうか!! 子は親を選べれない。その親が子を虐待して保護されているのなら、彼らは100%同情できる対象である。一方、虐待していた親が老いて生活が困窮しているとすると、それは報いであるのだし、僕の出来る限られた援助の向かう先ではない。

僕は今後、老人の顔にそれらを見分けられる術を持ちたい。深い皺は苦労の跡か放蕩の果ての困窮なのか。老いた顔に鬼は生きているのか!?


le 6 lundi
//不愉快公にして良い!?//世界遺産での韓国の妨害工作。なんとか登録できたので、この不愉快はいづれ沈静化するのでしょうが、まあ、なんていうのでしょうか、もはや修復不可能な段階に達しつつあるように思う。韓国にも言い分はあるのでしょうが、日本国民は、【韓国は、もはや日本に対して妨害が目的で行動する国】と広く認識された大事件である。

両国民の関係が良好になるためには、疎遠であるべきと僕は前々から思っていた。ところが最近の韓国は、疎遠でありたいのに韓国に関係のない分野でも日本の喜び事や前進に関しては、やくざの言いがかりよろしく全力で妨害してくる。疎遠でありたいのに、そうさせてくれない。この不愉快は我慢なりません。やはり、韓国は国是として日本に対する妨害をする国に変質してしまったのだ。その理由がサッパリわかりません。おそらく非学術的な民族主義が蔓延して反日の目的が韓国の利益に反しても問題なく、ただの憎悪で行動しているとしか思えない。

韓国が理性的なら、反日も韓国の利益の範囲で行われるのでしょうが、今は憎悪で邁進しているので修正も歯止めの方針転換も期待できないと思う。これからも日本人が反吐出るほどの不愉快を喜びとして国家総動員で反日行為に勤しむのでしょうが、早い段階で国交を断絶しないと、接点大きいが故に戦争に発展しかねないと思うのです。物理的に疎遠になって沈静化しないと、日韓は紛争や戦争に発展しかねないと。平和のためにも思いますよ、日韓は国交を断絶して疎遠という名の冷静さを取り戻すべきだと。


le 5 dimanche
//ダメな人は、イイところがあっても//やはり、ダメ。再三書くことですが、歳をとれば、誰もが皆、人格者になると幼少の頃は思っていました。老人は尊敬に値するものであり、若き者には傾聴に値する人生のアレコレを述べ、その振る舞いは見て得るところも大と。

ところが、ダメな老人は、良いところがあったとしても、やはりダメなんです。ただ、人生の経験でそういう人の割合は少なくなっていくものだと思う。老人になりたいていの人は人格者になるのだが、落後者は現実としている。その人が死ぬまでの時間に人格者として昇天すれば良いのですが、はたして、どうなんでしょう。

現実に、人格者ではない老人は存在する。老人になってなお、その性格は、やはり落後者なのでしょう。もし、落後者のまま死を迎えるなら、質の悪い、それからの世界を歩むのだろうと思う。

思うのだ。死後、○○家先祖代々の墓に入るとしたら、そこにご先祖様が勢揃いしているかというと、僕は違うと思う。落後者とそうでないものが、死してから進む道が同じとは思えないのだ。死んで家族のもとに行くなんてのは、そうであってほしいけれど、そうとは思えない。

//死ぬまでは生きている//確信しているのは、死の質は、その後の世界の質でもあると。穏やかに死ぬ、例え孤独死でも感謝の念を持って死ぬ、そういう善良な心持の死は、それから進む道も自信を持って進めば良い。ところが憎しみを抱いたり後悔したり呪いながら死ぬと、それらに相応した道が用意され進むしかない。

今から書くことも、今まで書いてきたことも、何かの引用ではなく僕が勝手に思うことですが、妙に確信を得ているので記すだけです。さて、続きです。

死ぬまでは生きている。大災害に巻き込まれたりして不本意な死に遭遇しても、瓦礫の中で死を認識してからの心持ち、つまりこれまでの感謝の念や神や仏を思ったりして挑む死は、死んでからも、その続きがあって、その道は感謝や良き思い出、慈悲の世界が続いていると思う。

これと反対で、呪ったり怒ったり恨んだりしたまま死んだ場合、その続きの道も用意されていて、死後も怒ったり呪ったり後悔したり。(落後者は、この感情で死に接する確率が高い)

そして考える間もなく死んだ場合は、死んだということを認識せず、認識しないまま、続きの道がある。

それぞれに、死に際して思う続きの道が用意されていて、その道を進むのだ。死んでから後悔しても別の道には進めない。僕の確信はここまで。

さて、その道の先は全く分かりません。魂の行きつく先です。俗に言う天国とか地獄というのは行きつく先までの道の状態であり、ここまでは想像がつくのです。

勝手に想像しますが、魂というのは生前の記憶の集合体。その記憶をどこかに運ぶのです。そこには人間の記憶が次からづきへと集められ、分解されそれぞれに仕分けされる。人の進化や本能というものは、コレだと思うのですね。 例えば地球の温暖化で人間が新しく生前に対処する能力を身に付けた。そういう人が大量に発生して死に、その記憶を魂として運ぶ。新しく生まれる人間に、対処能力が自然にそなわる不思議、つまり進化の不思議はコレだと。

まるでSFの世界ですが、こういうことを考えたりすると、輪廻転生に立脚しないと説明できません。想像はつきませんが、案外、広大無辺の世界のことだと思っていても、死後の世界は見えないだけで、そのドラマは宇宙の果てでもなく、僕らのすぐ身近で起きているのかもしれない。


le 4 samedi
//来週の今日は//人間犬。今、体重がどれだけあるのか、さっぱり分かりません。明日にでも調べて緊急対策に入ります。ガッテンのスーパー緑茶試していますが、糖や脂肪の吸収を抑えるとのことで、おそらく血糖値の急激な上昇を防いでいるのか、食後、腹もちがよいのです。全然お腹空かない。あら、不思議!?


le 3 vendredi
//濃縮したボケー//未だ到達できず。帰宅後、したいことはあっても、取り組まない。では寝るかと言えば起きている。そして何も出来なかった嫌悪感が溜まって寝る。この繰り返しなんです。ボケーっとする時間は、どうやら心身の健康のためには必要みたいですが、濃縮して短時間で済ませたい。


le 2 jeudi
//半年ぶり!?// 仕事帰り飲みに出た。昔は週に3日はこんな生活で、それを10年近く(?)続けて痛風の気を感じ、ぴたりと止めて今に至る。焼き鳥は大好きなんで、久々に味わうと、次いつにしようと思うのだな。。


le 1er mercredi
//梅雨らしい梅雨//今年は上品でしとしと冷たい感じの雨が続く梅雨。でも、それは温暖化にあって異常な光景。冷夏そのものへの序章なのでしょう。後半戦のスタートです。
 
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