令和3年7月 juillet.2021


le 31 samedi 土曜日
//朝から晩まで//良きもの、美しきもの、そういうものを、次から次へと生みだしていきたい。
この思いは、ちっとも納まりません。いつも頭のどこかで無意識に考えている。

憎まれたり、嫌悪されたり、嘲笑や侮蔑であってもよい。そういう側面も強烈に浴びてこそだと。
嫌われることは、ちっとも恐ろしいことではないし、嫌われる領域に隣接した世界の素晴らしさを、それらは暗示している。

とても風変わりで、結局、やっぱり風変わり。そんな生き方や発想、発言は、とにかく嫌う人は嫌う。万々歳ではないか!!! 確実に忌み嫌い侮蔑する人がいるとするのなら、確実に、それとは違う世界も存在するということである。最も恐れることは、存在を感じてもらえないこと。それは隣接する世界への足場さえない。

私は、これからも風変り。迎合する空虚より、充実した孤独を。


le 30 vendredi 金曜日
//火が付いた//朝から訳もなく、創作欲に火が付いた。心の奥底で、創り出す感情が動き出した。
こういう衝動は、素直に応じなくてはならない。ここ半年ほど行き詰っていた釉薬開発も、なにかしら解決するのでしょう。いろいろと良き方向に動き出すことを、私の心の内は先に知っている。


le 29 jeudi 木曜日
//どういうことだ?//ワクチン接種の効果でしょう。老人は感染していない。なのに、それを埋めるかのように若者が。まるで感染定数を埋めるかのようです。デルタ株が若者の健康をも突破するのか、それとも神の意志のようなもので、老人がだめなら若者に???

と、いうのは、もし老人にワクチンの接種が進んでいなかったなら、今現在の感染は、老人+若者なのか、それとも老人で事足りて至るのか。。。。。


le 28 mercredi 水曜日
//お礼参り//ようやく行けました。


どうして、この場所に、これなのかは以前の日記にも書きましたし、ごく親しい人にはお話もしました。写真でお見せするのは、今回が初めてです。

線香を焚いて、手を合わせて祈る時、脳内に走る磁場というのは相当なもので、通常他では感じることはできない。なにかしらの通信というか祈りの交換は出来ているのでしょう。
この地には、慰めるべき事柄があった。その思いで始めたことなのに、いつの日か、私の心の内をお話しするお相手にもなってくれまして、あの日からこの日まで、そして何時かの私は、、と聞いてくださる。
とても心強い。


le 27 mardi 火曜日
//お誘いが来た!!//ワクチン接種の案内が届きました。早速予約をしまして、ファイザーを摂取することとなります。この後、ワクチンが枯渇すると聞きましたので、なんかギリギリ間に合ったというか。東京の感染爆発は、いづれ愛知県にもやってくる。なんとか波の前に対処できるような。

ただ、効き目は減衰するというか、アメリカでは三回目の摂取云々とも聞きます。ワクチン奴隷になるのも困りものだし。  

見合わせる考えもありましたが、それはワクチンがいつでも摂取できる環境においてのこと。先細りが懸念される今、見合わせは出来ぬと予約しました。


le 26 lundi 月曜日
//ハンコ//印象文化は好きです。とても好きです。ところが、本日、ハンコが滲んでいたとして差し戻し。身分証明書があって本人と証明できても、それだけでは駄目なのです。そりゃ淘汰しようとする声も出てきますわな。

この夏は、行く行くと言いつつ後回しにしてきたお礼参りに参じます。思えば10年と5か月前に陶芸と出会って以来、その直後から、ありとあらゆる場面で神仏に陶芸の道に進めますよう祈っていたものです。私にとって、この陶芸の思いを成し遂げることこそが生きるという意味であり、機は熟したと判断したのでしょうね、五か月前、2月22日に辞表を提出しました。今後も、色々な分かれ道も出てきましょうが、私は陶芸が出来るか否かで判断することでしょう。そういう意味で、人生に迷いは無くなった。幸せなことです。


le 25 dimanche 日曜日
//南信州//名古屋から南信州は、とても近い。近いが故、足繫く通っていたものです。さて、今後、三重県に拠点が移るなら、信州は、とても遠い存在になる。その代わり、奈良が近くなるのですが、私は信州の大自然が本当に好きなのだ。

そういう束縛もなく、ただ夢想の中で、私は理想の隠遁地を描いたりしていたものです。瀬戸市と飯田市は、本当に住んでみたかった。今後待ち受ける、窓から見える景色は、信州のそれでもなく伊勢平野。夢想の光景からは全く該当するところもないのですが、それを美しいと思える日が少しでも早く来ますように。


le 24 samedi 土曜日
//地方大会//漏れてくるテレビの音声から、無観客というのは、高校野球の予選を三重テレビが完全中継するような、そんな雰囲気。

開会式直前の混乱。五輪後に政治家は何が原因だったのか追及してほしい。どこのどこが元凶で、どういう意図が働いていたのかと。それは、莫大な税金が投入されて、このお粗末。江戸時代ならお家断絶並の醜態なのだから、原因と意図だけは、その結果を国民に知らせてほしい。


le 23 vendredi 金曜日
//30秒だけ//おそらく全ての面に関して1964年の東京オリンピックの方が秀でていたと。それはコロナの混乱ではなく、国家の祝典を成功させる純粋な国民の心意気と、国家の一大事業で我が名を馳せる個人的な欲望との、決定的な力量の差。

私はイマジンあたりを30秒程見ましたが、あまりにも安っぽく閉口。そもそもオリンピックの開会式など見ていないことに気付く。良く言われる北京五輪の開会式も、結局、未だに見ていない。ロンドンも。


le 22 jeudi 木曜日
//名目は!?//今日は、前夜祭、準備の日?? 四連休の初日らいのですが、なんと報告すればよいのか。。。 私は変わらずですが、それは人生の異常事態。まあ、生き方そのものを変えるので、これはこれで仕方ないのですが、やはく戦線に立ちたいものです。

新しい環境は、田んぼから流れる風を受けて、静か。遠く、近鉄の踏切の音が聞こえてくる程度なのかもしれません。そこに私は、土から美と価値を生み出したいのです。


le 21 mercredi 水曜日
//オブジェ//そういうものには全く興味も関心もなかったのに、【格好良いものを造る】とライン引きができたとたん、なんかスラスラと作れるから不思議です。

世間は明日から四連休。オリンピックも始まりますが、この歓迎されない空気は、どういうことでしょう。コロナ抜きにして精査したところに、日本の病理の真髄が見えてくるのかもしれません。


le 20 mardi 火曜日
//白濁の湯//まあ、ヘドロというのでしょうが、表面ではないところ。嫌気性微生物の分解でしょうか、それは黒泥の様な色で、臭いは硫化水素。それを湯船に溶いたら、あの秘湯の湯になるのでしょうか。  以前、湯俣でも、表層を取り除くと、これと同じ黒泥に硫化水素。

本日は大掃除。ヘドロと化した粘土の底の物語。


le 19 lundi 月曜日
//どうなってるの!??//無関心から敵意に。とワシントンポストでしたっけ。東京五輪の右往左往。あの人物というより、彼を推薦した人も、高い倫理観の持ち主と擁護した人も、何一つ批判しなかった組織委員会も連座制の対象ですよ。

あんな悪行を直前になってリークされるのだから仕組まれた爆弾みたいなもの。五輪を成功させたいという純粋な思いなど最初からなく、利益誘導とかその他の思惑に満ち満ちた足取りで、まもなく開会式。

日本国は二度とオリンピックを誘致できない国になるのかも。大会を運営する能力に欠如しているとして。自浄力もない罪深い国賊ですよ。


le 18 dimanche 日曜日
//日傘//夏に、それをさしたら、どれほどの冷却効果があるのでしょう。と、いうわけで、この夏は男性用の日傘を用意することにします。8月は炎天下を1kmほど歩くことが決まっているからです。

今日は一日、作陶三昧。また瑞浪に粘土買いに行かねば。
因みに明日は祝日なの? まあ、そんな事を気にする立場でもなくなりましたが、卓上カレンダーではお休みです。


le 17 samedi 土曜日
//夏空//可愛いムクちゃんを盥に入れて行水。そのまま軽く吹いて紫外線消毒を兼ねて太陽光乾燥。暑さにも耐えられるというわけ。夏の間は、これをしていこうかと思います。

今日は一日、資料を整理して文献を漁る日。


le 16 vendredri 金曜日
//東京オリンピック//全く実感わきませんね。この混乱にコロナの要因は最たるものなのでしょうが、ではコロナが無ければ順調かというと、そうでもない。国家を挙げた企画でも、この有様。そりゃ戦争にも負けるはずだし、原爆落されるまで気づかないふりをしていたのも理解できる。


le 15 jeudi 木曜日
//トリエンナーレ//とあるトリエンナーレに申し込みました。こういうのにも果敢に挑戦しないと。
文献も漁っています。新しい試みも。挑戦もいくつか。

漫然と生きているってのは、もう十分経験済み。何事もないのが一番の幸せみたいな考えは、安定的な収入あってこその妄言であったと、今、反省しております。とにかく必至。見失ったら、目の前のこと一日一日生きることを一生懸命に。


le 14 mercredi 水曜日
//今年の梅雨は//熱海では土石流もありましたが、あれは盛り土の影響もあり、雨量云々で言うと、今年の梅雨は10数年ぶりかの、情緒的で穏やかな降りのような気もします。

最近の夕立は時ならぬ寒気の影響であり、梅雨前線で考えると久しく味わっていない穏やかな梅雨だと。来る夏も、その様であった欲しいのですが。


le 13 mardi 火曜日
//東京の人//それはあまりにも過密都市が故の行動なのでしょうか。コロナと共に、そんな行動なのですが、あれだけ緊急事態だのと、地元の東京で叫ばれているのに、全く無頓着で全国各地を旅して、臆することなく報告している。ちょっと、どうなのかなって思うのですが、それは過密都市に住んでいないから、そんなことが言えると指摘もされそうで。

と、申しますのはコロナ以前は七月の三連休には大型の旅行をしていたと。今は研修の身なので、分不相応な生活はできませんが、あの旅仲間と久しく会えていないのは悲しいことです。まだまだ辛抱は続きますが、それも私が選んだ道です。


le 12 lundi 月曜日
//視線を逸らす人//これこそが料簡。料簡の狭さよ。おそらく無意識に出ると思うのだが、そのような人に、何かその無限な可能性というか頼もしい将来というか、そういうものは感じられない。明日の天気を占うよりも、桁違いの長期予報ですが、精度は確実だと思っている。

さて、お陰様で私は毎日、ニコニコ笑いながら生活しています。それもこれも移行期間の期間限定だと思っています。真の笑顔溢れる生活は、これより先に試されるのですが、視線を逸らす人間に転落するのではなく、多くの人と笑顔の交換ができますように。


le 11 dimanche 日曜日
//そろそろ梅雨明けかな//もう、20年も30年も紅白歌合戦を大晦日に見ることもなく、いやいや裏番組と言われる民放の下らないものも見ない。  あの、愛知万博も内覧会に行ったのみで、結局は行っていない。

私の一生は、流行というものには全く無頓着で、それに迎合する努力や時間は空虚そのものだと思っている。何が言いたいのかというと、たぶん、オリンピックも見ることなしに陶芸に没頭でしょう。
まもなく夏です。梅雨明けです。セミが鳴き入道雲がモクモク。暑い夏の到来ですが、陶芸以外の過ごし方が思い当たりません。

例えば戦場で生き残った人は、その選択は魂の奥底から導かれたものだと思う。どちらを選ぶか進むか降伏するか玉砕するか。生き残った人はアレコレ考えることもなく、その様に進んでその様になって今に生きる。その不思議な選択に不安も後悔もない。全く導かれるようなものであると。

それらを衝動と表現する人がいるかもしれません。魂の奥底の叫びを救い上げれるなら、と思う。
きっと、それは発信しているのだから、気づくべきである。
漠然と、このままでは駄目だ!!!と思うのなら、それは正しいのでしょう。そして、このタイミングで決断しないと!!!!!!!!と思えてくるのなら、それはその時に実行するのが最適というか最初で最後であるのかもしれない。   生き残らなくては。


le 10 samedi 土曜日
//私には、、、、が無い//今現在、私を代表する形状や作品が存在していない。結晶釉に没頭していますが、あらゆる形状に関心が湧き、コレコレの形を安定的に大量にとは行っていません。それはとても大切な分野ですが、興味の先が分散して、本人も困り果てている次第。

ただ。この二年間は技法の開発に主眼を置いているので、それならば素晴らしいものをと、とにかく頑張るしかない。


le 9 vendredi 金曜日
//高山//訳ありまして、この時期に飛騨の高山。滞在時間は4時間の日帰り。何も買わずして戻るのも貧乏くさいので味噌と醬油を。

外国人は十指に満たないのですが修学旅行生が案外多くて驚きました。ただ、彼らが春慶塗など買うわけでもなく、日本人さえ見向きもしなくなった伝統工芸品は、ここ数年は中国人によって支えられてきたのでしょうね。


le 8 jeudi 木曜日
//この夏に//新しい作風を確立する。金彩や銀彩に取り組む。今の実験をさらに進める。
この、何か一つでも実行せねば。それと、陶芸で漆芸の様な表現。この大それた目標にも。

美とは、とにかく時間を要する。


le 7 mercredi 水曜日
//ムクちゃん、おはようさん//一命はとりとめましたが、老化は認めざるを得ない。今、90代の老婆の様な姿なのでしょう。願わくば、ムクちゃんが死を受け入れる時に昇天すればよいのであって、息をしている瞳を開けているなら、その命を大切に守り明日に繋げるのは家族の役目。


le 6 mardi 火曜日
//一分一秒//ムクちゃん、今日も挨拶しましたよ。目の前での発作なのでマッサージで助かりましたが、心臓発作は、やはり一人で迎えたなら、それは死を意味するのでしょうね。

脳梗塞もそうですが、やはり知識として前兆現象のイロハは知っておくべきであり、怪しいと思ったなら、自ら119番する度胸は必要なのでしょう。


le 5 lundi 月曜日
//死への道程//幸いに、ムクちゃんは息しておりました。ただ、動物(人)が死ぬ過程というのを最初から見た気がする。これは記録として認めねば。

ムクちゃんは、
①遠くを見て急に怯える。(実際は至近の壁ですが)
②そして何かが近づいてくると認識し怯える。
③次に、それが近づかないように動かない体でも必死に後ずさりする。
④それから何かか乗り移って、全身が痙攣し始め口から泡を吹き出す。

⑤心臓マッサージで、急場をしのぐ。

【考察】死とは、迎えに来るものなのだと。
    自らの意志で魂が肉体から離れるのではなく、何らかの存在が魂を抜き取りに来る。

   生への執着が上回っている状況に、それが訪れると、死への道程は苦しいものであり、心身共に諦観し生への執着がない時に受け入れるとすれば、それは穏やかな死なのだろう。

その境地に達するためには、精一杯生き抜く果ての世界なのだろう。
死に怯えるのではなく、精魂使い果たして生き抜けば、自ずと穏やかな死が得られるのだと、そう思いました。


le 4 dimanche 日曜日
//三重テレビニュース//それを三重で見る時、私は何を思う人なのか。あの空の広さ、独特の湿気。田を抜ける風。

幸いにも、今、多くの仲間に恵まれている。ただ、二年後には三重で、それこそ一人で陶芸をしていることになる。もともと一人が好きなのですが、それは人に恵まれての渇望なのかもしれません。人を望むにも一人な時、はたして私の孤独癖は本物なのだろうか。

来年は50歳。芸としての老いを、どう迎えるのか。これは多く接する情報となります。今はどこどこに行き何を食べたかの報告ばかりですが、これからは、そこに老いの余生の過ごし方としての旅であり食である。死ぬまで何も考えないのか、前もって考え情緒的に迎えるのか。

私は定年を迎えるという選択肢を放棄したので、体の続く限り陶工として生きたい。旅は個展のついでなら、それは理想的な生き方なのだろうから、もっともっと精進して人に愛される器を目指さねば。

美しいものを作ろう。とっても美しく深みある美。いづれ私は死ぬ。子孫を残すこともない。しかし良き美を産み出せば、それは末永く残るのかもしれない。私の命の渇望である。

//饕餮//トウテツ。悪夢を食べてくれる中国の怪獣。本日は兄家族も来て、可愛いムクちゃんも寝たきりですが嬉しい顔をしていました。見送ってから、おむつ交換。その時、ムクちゃんの表情がこわばり、遠くを見て怯えている。そして逃げようとしている。それから全身がけいれんして口から泡を吹く。

心臓マッサージでなんとか息を吹き返しましたが、未だ怯えている感じもする。饕餮がムクちゃんの悪夢を食べますようにと御願いしたら、不思議と、それから穏やかに。

明日の朝、ムクちゃんが息をしているのかどうか定かではありません。恐ろしい思いをせず呼吸は穏やかに。


le 3 samedi 土曜日
//笑い声が聞こえる//それは嘲笑の笑い。そういう妄想というか視点は事実であろう。私も傍観する側なら、蔑む笑いは出ていると思う。【何だったんだ、アイツは!?】
私は笑われて当然の選択をした。

陽の目が出るまで、この感覚は大切に持ち合わせなければならない。これに耐えてこそ、いや、気にすることなく邁進してこそ、それなりの結果も出てくるのだと考えている。今は知識を得たり実験したりで何かを発表できるわけでもなく、私の内に籠って頑張る姿は嘲笑されて当然だろう。

私が最も恐れることは、気にするべきことは、私が頑張らなくなった時。その時、私は私を蔑む。


le 2 vendredi 金曜日
//先人の上に立て//昨日の日記にも通じますが、一人で頑張るのではなく、先人の研究を調べて、その上に何かを付け足す。改良する。オリジナリティーは、先人の研究を調べ上げたうえでの改良に徹するべきであり、五里霧中のような頑張りは必要ない。狙いは定めて。

ただ、実験はそれに生涯専念したとしても、足りない。私は実験するために退職したのではないのだから、期限を区切って、私の世界を表現できる釉薬や技法は確立しなくてはならない。


le 1er jeudi 木曜日
//些細な発見//一生の宝。  只今、陶芸の知識を詰め込む日々なのですが、時にとても単純な工夫というか知恵が、激しい衝撃を伴い襲ってくることがあります。たった、そんなことで、こんなにも便利になる!!!!!!とか。

こういう出会いに遭遇すると、今現在の選択が正しいのだと実感する。一人で頑張っていたら、きっと死ぬまで気が付かない知恵や知識が、実は山のように存在していて、私は、これを貪欲に身に付けて。来るべき日に備えなければと思う。

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