juin.2012



le 30 samedi
//予定一つづつ// 六月の頭から二カ月ほど予定ばかりで陶芸に集中できない。
今日は、保険の更新手続き。夜は久々に飲みに出かけたよ。
金曜の晩にも試みましたが、睡魔が遅い起き上がれませんでした。

一年の半分が経過しましたね。


le 29 vendredi
//普通のご飯//

この食事にしてから、お米は、おじやなり茶漬けなり。
普通のお米食べたら、うっとりするほど甘いのでしょうか。

帰宅して風呂に入って都市生活者の夜でもやろうかと思いましたが
なんか疲れが優先されまして、、、もうそろそろ寝ようかと。


le 28 jeudi
//肉・魚なくても//

月曜日から始めた試み。精進の夕餉。
そうそうにネタ切れかなと思ったのですが、続きます続きます。

七月の最終日まで、週末に予定が入り過ぎ。。。。。
陶芸に集中できません。困った困った。


le 27 mercredi
//凹んでいる// 夕食を精進ものに変えただけで、お腹が凹みましたよ。
本日は膳も一つの簡素な食事。


最近は、夕食も簡素で早く眠る。食べてすぐ寝る。。。。


le 26 mardi
//痩せるぞ!!// 続けましょう。マダム精進料理。



le 25 lundi
//美味しい肉も//寿司も食べたけれど、
粗食にしたときの、採れたての人参の味わいは、一流と言われるところで食べる
手の込んだ料理にも勝る喜びを感じるものです。

本日の夕食は、精進料理。
すぐに影響を受けると言うか、、朝の座禅会でいただいた粥の味わいに心打たれて
庭で採れた野菜を中心に精進料理です。
もちろん、器は全てマダム焼。


le 24 dimanche
//人は勝手だ// 今朝は多治見で早朝の座禅会。月一ですが、来月は無理でもそれ以降は必ず参加しようと思っています。

座禅は瞑想。そういうものを実践してみたくなって参加したわけですが
途中から脳裏に浮かぶのは足のしびれ。
静寂の中に身を投じたというのに、それを邪魔するのも自分。


le 23 samedi
//40になりました。// 思いを巡らす全ての人に、心よりの感謝を申し上げます。
誕生日は週末ですから、少し旅に出かけました。
今の僕にとって陶芸は大きな柱になっているので、これをきれいさっぱり忘れて旅をするなんてのは、そういう考えさえ無い。
洗車したてのピカピカのウーマン号に乗って、今はやりのお洒落カフェ巡りと、陶芸に関する美術館巡り。夜は多治見で宿泊。

多治見ではお話に花を咲かすことができました。
豆の木で以前からメールのやり取りをしていたのですが、
近いことだし一杯やりましょってことで。


le 22 vendredi
//30代最後の日// 30代の日記を振り返っているのですが、今日が最終日39歳の自分です。
あっという間に終わってしまった30代。30代は維持した年。40代は変化を受け入れる年でしょう。 お陰さまで、30代は特段に変化というものもなく、生活は継続。明日から始まる40代。家族の枠組みは変わります。親しい者たちの死に接することでしょう。変化を恐れて守り通した30代も、10年が限度ということで、40代は、守り続けた反動の変化を受容しなくてはなりません。
そうは言っても、例えば親が無くなったとしても自身の生活は続くのであり、私は成長しなくてはなりません。私が私として存在している理由や価値を見出し、その種まきをするのが、これからの10年だと思うのです。

//39歳の自分は2011年6/23から2012年の本日まで// 何をしてきたのでしょうか。
陶芸の継続と進歩。あとですね、決定的だったのは、次に記す日記です。。。

2011年11月5日の自分。
//素晴らしいご縁に感謝//
本日は、午前に陶芸、昼から占い。
まず申しますと、この占いは会社の先輩の奥さまの方面から
殊のほか当たり有名で予約もままならないといわれる、その噂。
聞くに本能的に受けなければと思ったウーマン。
そもそも保守的で新しいこととか苦手で、まさか占いなんてのは
今までの僕なら聞くに関心は湧いても絶対に行くことは選ばなかった。
なのに、体の深いところが必ず行かなくてはならないと、、、と、叫ぶ。

以下、備忘録として。
やっややややや。。。アナタは!!!!と。

手相とタロットとそして彼女の心の目から見て言われた言葉。


アナタは皆を癒す人。皆を救う人。
社会の実に多くの人を助けてあげることのできる人。

どこに行っても、どの立場にたっても難なくこなし自分のモノにする人。

もはや世の中の本質とかを見抜く能力があり、例えば流行とかにはその先の顛末が分かるので乗らない。アナタは実に個性的な方面に興味を抱き、分かる人からとても称賛される趣味を持つ。

手先がとても器用で、前世の一つは職人。そして聖職者も見える。ただしアナタ自身が全く問題ないので、前世の影は薄いのだけれど、気づいてほしいとのこと。アナタは自分自身を深い愛によって慈しむと、もはや全てを知りうる立場になる。その扉は今日開かれる。そうなると本当に毎日が楽しいですよと。

私は、その人のレベルに合わせて話すのですが、アナタを見るとかなり霊的に踏み込んで高いレベルでいろいろと話します。

三か月前の問題はアナタの勝利で終わるでしょう。
アナタは本日をもって大きく変わるでしょう。
未来は全く憂う事もない。王道です。

金運も健康も知能も全く問題ない。実に聡明です。将来憂う事は一切ない。

結婚するとしたなら30に出会った人が最初で最後。
ただし、アナタは結婚しないことを望んでいるし、良き結婚生活は前世で何度もしてきたので今はその道を進むことを選ぶ。結婚はしないし、その道をマスターして生涯を終える。

アナタの悩みは女性に多い。男性がそう思うのは極めて珍しい。
ただし、それは問題ではない。アナタは難なくこなします。

実に学びの多い人です。

全くの王道を進んでいるし進む。

もはやどんどんアナタに引き寄せられるでしょう。周囲がアナタを放置しない。アナタは皆を導く立場になる。つまり大出世する。

アナタは苦労を苦労とも思わず継続してこなしている。それは今でもそうなのだが、苦労と気が付いていないくらい、「苦労」をこなす徳の高い人。

私はアナタと通じあいたいしアナタのようになりたかった。

アナタは気が付きもしませんが、既に多くの困難を乗り越えてきた人。

アナタは今後ますます多くの人を引き寄せます。
そして物事の全てを分かる人になり、
皆を、社会の多くの人を救う立場になるでしょう。

アナタが唯一するべきことは、アナタ自身を愛することです。
本日、その扉が開かれました。もはや凄い人になります。

霊気の本を少し読むだけでたちまちのうちにマスターしますし、私のようなことのできる人になります。

アナタが今日来てくれて私は本当にうれしい。

と、このようなことを一時間聞きました。

ここに一つ書き残しますが、
とてもパワーのある人ということで、
彼女の手が僕の手のひらの上にありいろいろと見る。

その間は5-10cmですが、右も左も空気なのに
何かとても弾力のあるものがあるのです。

それを言うと、それは私もアナタもパワーがあるからだとのこと。

世の中がどうやって動いているのかも知っているし、本日開かれた扉により未来のことは占えると。的確な判断を教えてくれると。

全くの王道を進んでいるので、次回も来ますか??とかも聞かれませんでした。

ご先祖様と前世の違いを聞いたら、ご先祖様は肉体の系譜。前世はアナタらしさそのもの。よって時が過ぎ親から離れていくのは当然のこと。アナタはアナタですから。アナタを構成する前世はご先祖様や両親とは全く別の系譜。



以上、備忘録。
僕個人の感想ですが、
彼女を初めて見た時、聖母マリアというと言い過ぎでしょうが
なんて慈愛の満ち溢れた人なのだろうと、
やはり成るべくして成る人がここにいるのだと思いました。


ここまで導いて下さいました皆々様と彼女に心からの御礼を申し上げます。





le 21 jeudi
//暑くない// 太陽の活動が低下しているというし、今年は暑くて辟易する日を感じない。それどころか、どことなく感じる冷気みたいなのがあるのですよ。

//38歳の自分は2010年6/23から2011年6/22まで// あの頃は何をしていたのでしょう。
川魚料理文化にすっかり魅了して、食べ歩き。陶芸をやり始めた年。初日でハマる。
東日本大震災。お灸の喜び。陶芸をする前から瀬戸市に興味津津。

2010年10月13日の自分
//神啓// その天才的発想や、発想の転換、たぶんそれは動物的な勘と表現する人もいれば、僕には神啓を受信しているのだと思えてしまう。

いつかは、このよう日が来るとは思っていた。
そうなって以来、今年かな、今年かな??と、その覚悟する感覚は一年単位と短くもなっている。

二週間ほど前からとても強く思うのは、
まもなくオメデタの知らせが届きます。
それは待ちに待った瞬間、アナタもそれを感覚として分かっているのでしょう。
新しい家族の増えるアナタにとって、時間軸は変わって当然だし、それは愛。


今回の一連の、その少し変なメールのやり取りとかは、
実は、このような着地点へのソフトランディング。これも分かります。
末尾が、シだけれど、本当はルなのも、あまりに古い話ですが
茶臼山に行った時から知っているのです。
そして最後までシだったアナタが、とても好きでしたが、
アナタがシで押し通したように、やはり僕にとっても都合の良い告白なのです。

好きは簡単に言えます。どれだけ深いかは、実は湯葉のようで表面が凝固しているだけであって、全然深くない。これが心地良かったのはお互いに言わない感覚。


このような展開になって、それはたぶんお盆のときに味わい深い思い出として再生されるのでしょうが、深い悲しみとか、衝撃とか焦燥感や挫折の感覚はアナタにないのと同じで僕にもない。会わないということが、会うより心地良くなったので、前者を選択する。
それはとても自然な感覚だし責めるつもりもなければ賛同さえする。


読まないけれど、本棚に残しておく本。そんな僕らのこれからは埃をかぶっていくだろう、
懐かしい、10年近くいったかな???



le 20 mercredi
//緊急昇進情報// 近々、役職が上がるとのこと。介護保険料の原資はココから。。。
働けれる事は喜びと、日々、その日の仕事に夢中で過ごしていたら、コツコツと階段を登っていたようで。

//37歳の自分は2009年6/23から2010年6/22まで// 何して過ごしていたのでしょうか。
34歳ごろから自分の行動パターンは完成されていて、斜面集落・南信州・飯田・天龍村グループとそれ以外の旅先が少し。あとは不景気を論じている。いかに不景気に順応するかとか、そんなことを書いてばかり。天龍村史を読破した年でもありました。

2009年11月25日の自分
//賢い自慢と、誤魔化しと// 良きに思われたいという欲求は
誰にでもあるでしょう。だから身支度に鏡が欠かせないのです。

しかし国民の意思伝達手段の最たるものがネットになった今では、
鏡に映る自分よりも、今食べようとしている、ステーキなり
買ったばかりのバックの写真が必要となってきています。

小奇麗にした自分の顔は二の次三の次、
いやいや最後まで出番がないかもしれません。

ネットを見れば、
どこに行った、何を食べた、何を買ったの報告大会。
(政治的宗教的な話題を避ける日本的な立ち居振る舞いでもありますが)

僕が思うのは日本人が最も豊かな時代は1970-90年頃でしょう。
あの頃は、働き口は沢山あったし
安定した収入が望め家も買えたし車も買えた。
携帯電話が500のペットボトルのようにデカクて高価でしたが、
そういう科学の進捗で豊かさは計れません。

滑稽と思うのは、豊かさのピークは10年以上も前に過ぎ去ったのに
あの頃でさえ躊躇する散財を
当たり前のように報告するmixiの週末の日記。

たぶん、日本国民は貯蓄をしなくなったのだと思う。
家を諦め車は必要ないという。
その代償としてのグルメ日記。

確かに円高や規制緩和で
安い食材は大量に入ります。

肉を食う負担感というものは、
今の日本人にはないのかもしれません。

ダラダラ書いていても結論は遠ざかるばかりですが、
雇用形態も変わり、それが結えデフレ地獄が始まり
安定した収入が望めない国民が、驚くべき勢いで増えてきています。

しかし、ネットの発達で国民一人ひとりが発信者になっている今、
支出の多少は外出の着こなしに似ている。

貯蓄はするべきだと思う。
そして集約した贅沢日に、
これでもかとデジカメで写真を撮ってみる。

二週に一回、三週に一回の
思いっきり贅沢日記で、全体を華やいで見せるテクニック。


だってよ、デフレが続くと見るのなら
回りまわって将来の収入は目減りするけれど
今の貯蓄は、将来の1.2-1.5-1.8倍の購買力を持つかもしれません。

将来、給料を含めて須らく下落していく時代を感じるのなら、
今、貯蓄して、将来に羽振り良く使えるという選択肢を
残すべきだと思うのです。



le 19 mardi
//素直なのは、疲れ。// 梅とりの疲れが出てきました。扁桃腺が腫れているというか、、とにかく早く寝ることに限る。

//36歳の自分は2008年6/23から2009年6/22// 秘境・夏焼集落に初めて足を踏み入れた年。伊那市の風情をマイミクさんにも紹介し、とにかく南信州方面を中心に出歩いてばかり。

2008年7月31日の自分。
//小さなサイズは戻らない// 来月もガソリンが値上がりします。しかし9月は値下がりに転じるでしょう。昔のままの安値の時代は無理かもしれませんが、ハイオクが150円前後で落ち着く時代も、ひょっとしたら来るかもしれません。

さて、お値段そのままでサイズは小さく。
そういう手段で原材料高騰に対処してきたメーカー。
しかし、原材料が値下がっても、小さなサイズを大きくする動きにはならないでしょう。  我々は、この原材料暴騰の時代で、大切な何かも失ったようです。


ガソリン価格で言うと、来月は5-6年前の二倍になります。
この間、給料(手取り)が二倍になったかといえば、程遠く、可処分所得は従前の生活スタイルを押し通せば激減です。

毎月の貯蓄分を減らして消費生活そのままなら、幻影としての豊かさは継続するでしょう。

この問題は大きいです。そもそも従前から貯蓄に手も回らない人々も多いと思うのです。彼らの辛苦は、怠惰から派生するものならともかく、真面目に生きていても、この状況なら、もはや国家的な救済策が必要かと思われます。

//新しい幸せの模索// 豊かさを実感する方法が「消費」なり「投資金額云々」では、この時代、貧しさ一直線です。幻影の豊かさを享受しても、将来は必ず自分に降りかかる。やはり貧しさ一直線。

新しい幸せの実感が必要だと思います。そこには投資金額の存在など皆無か少なければ、我々は物価高でも豊かさは目減りしないと思うのです。

例えば、自分で麦を育てる喜びを持つ。そして収穫。深く焙煎して自家製の麦茶を愉しむ。会社に持っていけばコーヒー代が浮く。 週末、部屋をきれいにして、自家製の麦茶をいれ、好きな音楽を流し、絵を描くなり本を読めば、それはゼロ円の偉大な楽しみ。

将来を考えると、物価高を甘受すれば、必ず予想もしない困窮が近づくと思う。 大不況が到来しても、3年は食べていける蓄えは必要だと思う。
前の大不況、失業に苦しんだ人をニュースなりたくさん見ましたが、蓄えがあれば、やがて好況にも接する。  あの焦燥感を歳をとってから味わうと考えると空恐ろしいものを覚えます。 

物価高でも貯蓄にいそしむ。これが生きる道なのね。



le 18 lundi
//蒸し暑い日でも// 天井の高い日本家屋で風の通る部屋。何も無い畳の部屋に寝転がり、ヒグラシを聞く。   これで十分涼しいじゃないですか。

//35歳の自分は2007年6/23から2008年6/22// 何して過ごしていたのでしょうか。
ガソリンが馬鹿みたいに高くなり、生活の倹約をしきりに唱えている。ところが、ありとあらゆるところに出かけて生活の楽しみをこれでもかと謳歌。 今思うに35歳が男の盛りであったのかと思える毎日でした。中国茶にも拘っています。仕事も一つの部署を任された年。

2008年6月5自分。
//飛び込み営業マンの売るモノは?// ヒト ひと 人。
異動になってから、ビルの一階に居ることになりまして、何かと飛び込みの営業マンと接する機会が多い。

その大半が、人材派遣業。  彼らが売り込みに来た商品は、ヒト。
しかも、安上がりのヒトなので、御社の利益になるとか・・・・

幸い、勤めている会社は工場のパートのご夫人を除いて正社員のみ。
続く採用も正社員のみ。 つまり、社員の身分として、正社員一種類だけ。


世の中に人材派遣業がこれほどまでに多いのも驚くし、
売り込みに来るほど、在庫を抱えているのか、飛び込みの多さにも閉口。


昔は体よく、断っていましたが、最近は、断りも正直にしました。
「そのような営業さんは多いのですが、我が社は正社員のみの採用なので申し訳ございません」と。


ところで、疑問なのは、人材派遣の営業マンは、一体どういう身分なのでしょうか???? 
人材派遣業を得意としている当社なので、実は私も派遣です。ご覧のとおり優秀でしょ!! っんん??


働き方が多様になった、と良い風に解釈する文句もありますが、
果たして労働者の利益につながったのでしょうか。

人材派遣の営業の多さに、この歪は、ますます大きな反動へつながるのだろうと危惧します。



le 17 dimanche
//神秘のエキス作りのために// 今年も行って参りました、マダム梅園。

今年は不作と聞いていましたが、まあ何とかこれくらいは確保できまして。
さて、田舎のスーパーで梅がどれだけで売られているかと見て回りましたが、、、
やっややや。本日の収穫は15万円近くの価値があったと。。。。



さて、こちらの写真はウーマン家本家。昔は何の遠慮もなく飛び跳ねて遊んでいました。その当時で言えば、もっとも濃いというか大手を振るえる間柄でしたが、今となっては、本家筋の代も重ねて、僕なんて、訳の分からん遠くのおっさんです。。。。。
mixiのつぶやきにも書きましたが、
【歳を重ねると言うことは枠組みの変化を受け入れること】 

総欅の玄関なんてのは、その価値を今になって知ると言うのに、裏口からこんにちは、
程度です。。。
家屋敷は変わらないのに、家督は変わり、大切にする順序も変わってくる。

//34歳は2006年6/23から2007年6/22まで// あの頃は何をしていたのだろう。。
プレイガールの旅行とウーマン旅行社の旅。それと一人でする毎週末の旅。
今の自分から陶芸を差し引けば、そこに残るのは34歳の自分と変わらない。
南信州の魅力もしっかりと体にしみこませ、デジイチ史上最高の一枚を。


あとデジタル録音機を買って音の風景を録音したり、
そうそうロシア製の機械式の時計を軽自動車は買えるくらい投資しまして、
今に残るは一つのみ。。
2007年6月15日の自分。
//怪しいのばっかり// 防災とのフォトメ。携帯用はまともなのですが、pc用は怪しいのばっかり。 以前にも書きましたが、HIV急増に対する啓蒙サイトなのですが、全ての情報を一ページに載せるので、見るもののpcが固まってしまうほどのスーパー激重。 啓蒙以前に嫌がらせ。伝えたいものがあるのに、相手のpcを固まらせてどうする。 この不親切を改善するつもりはないようで、人として如何なものなのか!?激しく疑問なサイトです。 また催眠術云々や、個人や組織でする売春など。
こんなのばっかりだと、純粋なサイトの宣伝は、もう無理ですわ。

その点、mixiは素晴らしいです。mixiで素晴らしい出会いを期待するなら、怪しい情報を発信しては幸せは自分の元に転がらないから。 


そうそう、僕が組体操&簡易組体操(要はsex)をほとんどしないことは何回か言いました。信じられませんが、すでに過去10ヶ月何もなしだし、過去数年も何回か。それも簡易式。 こんなことを書くのも変ですが、自己分析としてもう少し書こうかと。

つまりsexをしないことに、ある種の有用性を見出しているからです。
●性感染症予防の観点から
●不毛の日々が続くとノンケに戻れるかも?という期待感。

後者は笑い話のようですが、意外と真剣なんです。
両親の期待など考慮すれば、もしノンケに産まれていたら、大いなる心配事は存在しなかったはず。このsex断食を続ければ、色欲の流れが女性に向かうのでは?と期待しているからです。文字通り、体を張った実験。  しかし、DNAというか脳の神経回路の変更を求める僕の壮大な実験は、一生を費やして答えが出るのかもしれません。  やはり、無理でしたと・・・・

まぁ、大昔のお転婆は卒業して、その相手はお付き合いする人なので、そんな素晴らしい出会いがなければ、一生無理なのです。


はるか昔、恋多き人がいました。好きだと告白する相手が年に何人もいて、周りは、その言葉の軽さを揶揄いていたものです。でも、すぐに人が好きになれるのって羨ましいです。  僕は考えが硬すぎるのでしょう。

はるか昔の、少し手前、ちょっとばかしお付き合いしたつもりの人がいました。しかし、三人で行った日帰り温泉旅行は、自分の慕情が実にアホらしいものだったと教えてくれ、即音信普通状態に。




//ある農場指導員の話// 下らないプロレタリア文学風味を即興で書かせて。


州の農業大学を卒業して、私の務めが、生産の拡大と技術の向上だと知っていても、私は辛い。 熱誠な勤労態度が評価され、私はさらに広大な農地を管轄する別の共同農場に配置される。  

初の赴任地でのタチ穴との出会いは、私の大人としての初恋かもしれない。タチ穴は未だ中等人民学校の3年で、とても妻として迎える年齢でもない。

勤労義務としての技術支援以外にも、私は夜に農場の子供らに学問や音楽などを教えたものだ。日が経つにつれ、この自主活動の活き活きとした姿が村の人民委員会でも評判になり、村長は党への推薦状を書いてやると言い出す。それを躊躇する理由もなく、今や私は党員候補として、この一年、熱誠の程を集中的に監視されているのだ。だから、どんな苦難でも立ち向かい上位機関の命令に背くことがあってはならない。

この何もない村にあと5年も勤めていたなら、タチ穴を妻として迎えることもできたであろうに。しかし党は私を、2000キロも離れた中央アジアの乾燥地帯に送ろうとしている。私が大学時代に研究していた、「乾燥地帯における増産のための灌漑と小麦の品種改良」が目に留まったのだろう。 実際、論文の内容は何種類かの書籍の融合体で下らないものである。  しかし、候補員として、私の過去を洗ったのだろう。  乾燥地に赴任するのが最良だと、上位機関は決定を下した。  

一時は、大学当局を恨んだこともある。私の専門とは関係もないシベリアの寒冷地に機械的に送り込んだ配置を。  しかし、私は腐らなかった。腐らない私を党は救い出したのであるが、その時、私は恋をしていた。

タチ穴への慕情は私の心に留まっているだけだ。小心者で情けない恋物語。しかし、結果として、それで良かったと思っている。うら若き女学生に恋することは、タチ穴の父親の心情を害し兼ねなかった。それは人民委員会の推薦を白紙にしたかもしれない。タチ穴の父こそ、この小さな村の村長だからだ。


タチ穴への恋慕を、もっと高尚な何かに変えることが、大学教育を受けた私への試練なのだろう。赴任まで半年。この小さな村に残せるものはもっと残そう。きっとタチ穴への恋慕より、偉大で高尚で、それはタチ穴を含めた村人の生活をも豊かにするはずだ。 
私は、さらに勤労と自主活動に励んだ。この熱誠さに、村の人民委員会も「去っていくのは惜しい人物だ」と言ってくれた。何年も愛用していたアコーディオンも、使い方を教えて、この村に置いておくつもりだ。そして街の音楽を一曲でも多く教えたい。
村長は、前例はないが、君を名誉村民にするとの人民委員会署名の認定書を、手作りで書いてもくれた。  これに何の効力も特典もないのだが、いやいや、戻るにしても2000キロはあり、二度と顔を合わすこともないとお互いに知っているからこそ、立派な認定書を書いてくれたのであろう。小さな村から贈れるものなど何一つない、そんな後ろめたさもあったかもしれない、この手作りの認定書。


その半年が、まもなくやってくる。最大限、この村にいたのだが、やはり移動も考えれば、半月前が限度であろう。手配してくれたジープがぬかるんだ道をやってくる。私は、それに乗り、400キロ先の駅まで行くのだ。

別離の前夜、人民委員会主催の送別会が村の食堂で行われた。私のアコーディオンを子供らが弾いてくれる。タチ穴もだ。そこに特別な視線を送ってはならないと、私は誓ったのだが。     早く朝が来て欲しい。



この辛さは、移動距離に比例して消え去るのだろうか。
400キロのぬかるんだ道は、駅まで三日はかかるとのことだ。前夜の酒と車酔いで、私は本当に冴えない顔をしている。ジープを運転する軍人は、そんなことでは乾燥地で枯れてしまうぞと大声で笑いながら、タバコを燻らす。


この新しい共同農場は、さすがに緯度も低くて太陽が力強い。日に焼けるどころか、顔は真っ赤になって、新しい仲間は笑ってくれる。ここでもまた自主活動をし、子供らに勉強と音楽を教えている。人数も多く、なんだか教員になったような気分だ。  
明日、町の党委員会に出頭しなければならない。あの村で戴いた推薦状が今、この町の党委員会で、党員証となって私の元にやってくるのだ。 正装して、豊かに実った小麦畑を貫く道を、共同農場の車で進むのだろうと、想像する私の脳裏に、もはやタチ穴は存在していなかった。

党が切り開いてくれた未来は、断固として明るく希望に燃える。今、私が思うのは、明日の興奮であり、あの時の悲しみではない。
人生には、もっと偉大で高尚な何かがあると、党は私に教えてくれたのだ。明日の党員証を手に、それが具体的に描かれるであろう興奮に、過去の全ては実り豊かな道のりだったと実感することであろうよ。

おわり。


と、タチ穴(タチアナ)というロシア人女性の名前を使いたかったので、即興のプロレタリア風味の短編を書きました。誤字脱字があると思いますが、お許しを。



le 16 samedi
//何もできなんだ// 歯医者のあとの陶芸なので、本日は4時間のみ。釉薬掛けに成功は一個のみで、残りは失敗。。。割ってしまったものもあるし。。。
で、残り時間は作陶ですが、全くダメ。一個も仕上がらず。何度やっても、途中でつぶす繰り返し。

//33歳は2005年6/23-2006年6/22// あの頃は何をしていたのだろう。。。
シティーホテル一泊の旅は終了した年。 地方都市で過ごす週末や週末ドライブは毎週のごとく。デジイチを買い、旅行記のupの精力的に。

ただ、全体として何かを達成したとかそういう満足感は無く、その不甲斐なさを感じているものの、それはこれから続く毎日の始まりであった。。。

2006年3月29日の自分。
//賢い付き合い方// 友人の優劣を決めるのは道徳に反しますが、良い影響を受ける友人とは多く接するべきです。  そして良い友人は性差や性的趣向、国籍などを超えて存在します。  ある人の紹介文に「人として仲良くなるのにgayなんて関係ないよ・・」という文言は久しく僕の胸から離れません。

自分が憧れている、まさにその中に生きている人たちと出会う。

//好きなタイプは?と聞かれ・・・// 僕が答える内容は決まっています。「顔に寂しさのある人」 たいていの質問者を当惑させる返答のようです。

しかし、それは外見であって、実は内面のタイプは、これも一貫して答えは決まっています。  でも、それはつまらないものなので口外しませんでしたが、僕がフラフラふら~と心惹かれる人物の内面は、、


                   真面目。


怠惰で快楽に耽る週末よりは、私的な発見を追い求めたり、自己を向上させるための努力を惜しまない人。いやいや、そんな目標はなくて、ただ平素から、勉学や探求、知識の吸収を、楽しみと考えている人。  もちろん、アウトドアでは、健全に汗を流す人。特に山野を駆け巡る孤高な人、痺れてしまいます。



僕が好きになる人は、僕のことなんか眼中になく、ただ黙々と活動している人。そんな孤高な人に、少し声をかけることに成功したり、ちょっとした会話が成立したりすることが何よりもの喜び。その程度で満足するともいえますが。

//左⇔右//
習字(本文) →右
習字(小筆・名前を書くとき) →右
消しゴム →左
はさみ →右
カッター→右
ボールを投げる →両方
ボールを蹴る→両方
改札に切符を通す →左
うちわ →左
歯ブラシ →主に左
包丁 →右
フォークとナイフ →左・右
パソコンのマウス →右
電話の受話器を当てる耳 →左
携帯電話のボタンを押す →左
コーヒーカップ→左
缶ジュース・ペットボトル→左
タバコ→左

●以下は、やったことがあれば・・・

野球の打席→なし
テニスのラケット →なし
卓球のペングリップ→なし
チョークでの板書 →右
化粧 →左
紅→左
お札を数える→右
チラシ配りのとき一枚ずつ抜く →左
針に糸を通す→左
腕組み →左
腕時計をはめる腕 →左
ドアノブ →左
トイレで紙を使ったときの手 →左



le 15 vendredi
//32歳は2004年6/23から2005年6/22// あの頃は何をしていたのでしょう。。。

シティーホテル一泊の旅の熱意が明らかに冷めた年。これとは対照的に、ドライブコースも方々に東奔西走。斜面集落の驚きを初めて知ったのこの頃。
ネットでmona-fmを激しく聞いてもいました。
それと性病検査と脱法ドラッグに関して特に関心か高く書いていたものでした。
あと韓国のノムヒョン大統領の反日に嫌悪していたのも度々。
ウーマン旅行社も本格始動の年でした。それはmixiのプレイガールの人たちから旅の楽しさを教えてもらってのこと。

そうそう、我が家の可愛いムクちゃんがお目見えしたのも、32歳の出来事でした。以来、どれだけ噛まれたことか。。。

2004年12月25日の自分。
//騒音// まぁ、自分の住んでいるところは専門的に言えば第一種低層住宅専用地域。  ところが今日は遅くまで寝ているつもりが騒音で目が覚めた。     そうなんです。東海大地震に備えての耐震診断の業者が天井裏から床下までひっくり返して調べだしたのでした。      騒音で目が覚め窓の外を見ると冬の快晴。   さっそくドライブ心が目覚めます。   ただPCに向かって色々やって服にも着替えて何やかんやしていたら先日頼んだ入浴剤が25キロ届きました。              //炭酸水素ナトリウム// それは別名、重曹とも呼ばれる炭酸水素ナトリウム。温泉のツルツル成分であり、当然ナトリウムの塩分によって保温効果も抜群。      一応、薬局にも売っていますが、なにせ少量でお安くない。  それでも我慢して薬局の重曹を買っていたのですが先日ネットで調べて25キロを7350円で購入いたしました。  たちまちにして戦意喪失。ドライブは取りやめて、程なくして帰った業者のあとは昼下がりの入浴です。      大好きなんすね、こういう環境で入るお風呂ってのは。   つまり、まだ日の光十分な頃、窓から射し込む自然光のみで、風呂用ラジオからはフランスのmonaFM。(pcから受信して、それをトランスミッターにかけて再度風呂用ラジオで受信する)         今日は三度もお風呂に入りましたぞよ。



le 14 jeudi
//31歳は2003年6/23から2004年の6/22// あの頃は何をしていたのでしょう。。。
近所のルノー師という友達と仲良く方々に旅したものでした。
相変わらずシティーホテル一泊の旅をしているし、単独での山登りも年に数回。
程度の低い資格試験二級にも受かっているし、この充実差は、やはり若さ故でしょう。

2004年6月16日の自分。
//淫靡(いんび)な花// 花を愛でるといいますが、よくよく考えてみると花は淫靡。だって、葉や幹とは明らかに違う色彩。それも極限られた部分にしか存在しない。  思わせぶりに蕾が膨らみ、その過程を一々見せ付けるようにして、期が熟したところで花を咲かす。   それまでならともかく、花は顔を寄せれば、甘い香りを漂わせ、そして、その奥には甘い蜜があるという。   受粉させるために昆虫や鳥を引き寄せる、その手立て。   自らの受胎のために甘いお返しを用意している淫靡な花心。     
     
//映画・淫靡な花// 時代は昭和40年代、スラムとまでは言わないものの大都会の低所得者が集まる地区。  無風に近く暑苦しい夏の午後。  その瓦は波打ちトタンの壁は何故か規格品ではない不揃いな貼りつけ。     近くの、これまた似たような開けっぱなしの無防備にして不精な家庭の窓からはラジオから高校野球の中継が聞こえ、旦那の帰りもとうに諦めた女が不貞寝している。    そんな私の家の窓もどこも開けっぱなしで、せめてもの涼を求めるのだが、たまに日めくりを揺るがす風は人々のため息にも似た、この地区に滞留する臭いがあった気がする。       今日は母ちゃんのお出かけの日。水曜日と月曜の午前は母ちゃんはいない。   何枚かある安物の花柄のナイロンのワンピースに濃い口紅。きつい香水は、それは最後までその臭いのままだった。   そして、帰りが翌日にもなる日は、普段より美味しい折り詰めなんかを手に下げてくる。
   「なぁ、佳代ちゃん。母さん、今日の仕事はな、三日ほど帰ってこないでな。何かあったら橋の向こうの幸子おばさんの世話になったらええで」     そのどぶ川の向こうの幸子おばさんは、母ちゃんの姉さんに当たる人で、たびたび助けてもらった事もあるが、私が居る時は幸子おばさんも気を使うらしく、最近は歓迎されていないのがわかる。  どぶ川の向こうも、この地区に滞留するため息のような風が届くらしく、穏やかではないようでした。     今日の母ちゃんは、卸したての黒のワンピースに大輪の薔薇が胸から足元にかけて刷り込まれているナイロン製でした。  そして、三日の留守の許しを請うためか、私にも何の花か知らないけれど、ナイロンのワンピースをくれました。水色のワンピース。私、13歳。

    母ちゃんが仕事から戻ってきた。普段と変わらない。  段ボールにある造花の内職をやりつつ、片手間に濃い口紅をつける日もある。     そんな夏のどぶ川のフナの腐敗臭か、毎年この頃に鼻をつく風が日めくりを揺るがし、おもむろに切り出した。  その時の母ちゃんは針に糸を通すためうつむいたままで、でも、それが好都合だったらしく、なんども繰り返しながら私に言ってくる。
   「なぁ、佳代ちゃん。母ちゃん、なんで花柄のワンピース着るか知っとる? 花はな、甘い香りがするんだわ。それによう引っかかる虫がいて、たまに甘い蜜をやると、いろいろと誉めてくれるんだわ」    「なぁ、佳代ちゃん。幸子おばさんにも先生にも内緒で、次ぎの水曜日学校休んで、母ちゃんに付いといで。先生には母ちゃんがうまい事言っとくで」   まだ、針に糸を通す事をしている母ちゃんが、初めて私の顔を見て
、またうつむいた。     「何時までも糸を通しとったらいかんのだわ」


と、こんなストーリーで誰か映画でも作ってくださいよ。「淫靡な花」原作ワンダー・ウーマンで
。     


小説じみた2-3頁モノを良く書いていた。


le 13 mercredi
//あと10日// 本日は、30歳の頃を振り返ってみましょう。2002年6/23-2003年6/22。
日記を読むに30歳のお祝いに、volkswagen BORA-V5 2002を買って東奔西走の日々。
年の割には思い切った車買ったよね、と言われ、あの時、20年乗る車ですからと言い放ち10年目。頑丈な造りに
20年は十分に乗れます。そのあと電気自動車を買いましょう。

男の旬は30代前半なのかと、、、、あの頃の写真は今は無理。

それとシティーホテル一泊の旅も元気良く続けていて、どこにそんなに使える金があったのかと!?今も不思議。 明らかに収入が少ないはずなのに。守る考えがないと、こんなものかね。。。

30でしたか、遭難しかけた人を救いあげた奥穂高の稜線は。。。。
仕事しがてら某国家試験にも受かったのが、30。

なんでしょ、、、この勢いは。。。。

2003年5月20日の自分。
//何で雨なの?// 多くの人がぼやいたはず。何で雨なの????              //鎖国したら// もし、今の日本が鎖国したら、日本国と国民は自らも驚く潜在能力を駆使して難関を乗り切るのでしょう。経済封鎖でもいいし、とにかく外国との扉を閉める。      まず、疲弊した休耕田のある農村は活気付くのでしょう。とにかく食料の確保が最優先で、日本農業は科学知識も取り入れて蘇ると思う。   次ぎに、風力発電はじめ電力の確保に自然エネルギーを有効活用するでしょう。        燃料としては、たとえば微生物から何かを作るとか、メタンハイドレートとか、科学の粋を結集して、安価で大量に確保できる新物質を手にするはずです。     国民には【生きる・存続する】という緊張感から、勤勉に励むでしょう。失業者など存在足らしめる理由がなくなるはず。食料増産・農村再生に逆に人出不足になるのかも。     ビルの屋上は一様に野菜畑に変身し、街路樹には実のなる木々を。街中や田園の池や溜め池には、同時に淡水魚の養殖がおこなわれたりと。          現在は、生きていくため・存在していくための難易度が非常に易い。よって犯罪なども多発するのだろうか。フラフラしていたら死んでしまう。いやいや、そんな人間は非国民であるという認識を、社会が持つためには、鎖国というショック療法は極めて効果的だと思った今日でした。       非現実的だけれど、こういうシュミレーションって面白いです。キャンプしたら、みんな協力しますよね。サボっていたら、その晩は夜露にさらされてしまう。だから安心・安全の為に、皆が協力して働く。フラフラしていたら、誰彼となく注意し労働を促すはず。   ところが現在の日本国は、借金大国ではあるものの、国家としては立派なホテルのようなもの。住むにしても食べるにしても緊張感を要す必要がない。街中でフラフラしていても、一応、許されている。         日本国が、国家としてキャンプ生活を送っていたのは、何時頃までであろうか? 昭和の30年代までかな?    社会に緊張感がなくなるのは、国家建設の一つのゴールとして喜ばしい側面もあるのでしょうが、それが長続きすると衰退の道に入るのでしょう。     新しい国家目標。それに伴う緊張感を提示できなかったのは失策というか悲劇でした。   新たな緊張を提示せず、長い衰退に突入した日本は、犯罪とか失業とか別の意味で国民に緊張感を課しています。ホント、悲劇です。     今の日本にジワジワと広がりつつある緊張感は、明治以降の緊張感とは全く性質を異にしていますね。  同じ苦労するなら未来は明るい方が良い。そういう方針は、個々人が自らの責任で作り出す時代になったようです。



le 12 mardi
//今、火曜の日記を書くわけだが、//目覚めたら水曜日。一週間も早いわけです。

それにしても足が硬い。体が硬すぎる。
今日は昼に座敷に上がってランチでしたが、足の硬さを披露の上で座禅に行くというのだから大笑いされました。

//男の器// 大阪の通り魔と言い、最低な男たちの最後の華として無差別殺人の、その数を競う傾向が、どうもあるような気がしてならない。名を残すというか。。。。。
常識では考えられないのだが、ある種の「格好の良さ」を覚える傾向があるのだから、今後も同様の事件は起こるであろう。再発防止には、それがいかに見っとも無い事なのか視覚で公表しなければならない。
四つんばいになって肛門の検査を受けるとか聞きますよね。
その動画なり公表したら、ある種のヒーロー伝説は即座に瓦解します。

多くを殺して死刑になるのなら、それも男として名を残せたと倒錯しているのだから、
その前にセットとして辱めの何かを自動的に公表させられる制度を持てば、僕としては大いなる抑止につながると思う。肛門検査の動画配信を是非とも。


2009年12月25日の自分。
//利益// 利益を得るために個々人には給料以上の仕事をさせなければ会社は成り立たない。   もし僕が僻村で農業を営んだとしても、行商に求める塩や酒には、商品の原価以上にアレコレ上乗せされている。
それが必要経費ならかまいませんが設け分を加味する。

その儲けがあるからこそ、行商人は育ててもいない米を食べることができる。

皆、自分ではなしえないことを成す魔法として利益から得た金銭を行使する。

例えば厳密に全ての商品には上乗せ分を一割とするとしたなら、
世の中は回るのだろうか?
ひょっとしたら問題なく回るのかもしれない。
ところが、欲に駆られた男が二割三割と利益を上乗せして購買力を増すというアンバランスが分子間の流れを歪にされるのか?

いや、一律一割の利益であるなら、仕事の難易度が加味されず問題か?

経済って難しいですね。
経済学部は世の中にたくさんあっても
せいぜい新自由主義者が不景気は改革が足りないからという程度。

不景気の根本。不景気の本質を知りたいです。
飛ぶ鳥に、日本の姿は変わりません。
木曽川は今も昔も同じ場所を流れている。
なのに失業率が上昇したり加工したり、
浅間山が噴火して米が取れないなら分かるけれど
天候にも恵まれているのに不景気がやってくる。
その正体は分かっているようで分かっていないから退治できていない。


人の幸せは同じだという人がいる。
ひょっとしたら好景気不景気のボリュームは同じなのかもしれない。
ただ長く小出しにするかドばっと出すか。
好景気のボリュームに比例して
同程度の不景気が来るという法則があるのなら、
対策は打てそうですが、
実は対策を打つから歪になる。
到来する不景気を甘受して波の法則を読めるかもしれないのに、
国債を発行して無理にダムや新幹線を作る。
こういう人為的な好景気が積もり積もって大不況の根本と成すのか?

全く禅問答の世界です。

ただなんとなく思うのが、
不景気を克服するから後に大不況が来る。
風邪を引いたら自然治癒力で治すのが本来の姿であって
その都度抗生物質等で治していたら、
本来の抵抗力が弱まり大病の元になるのかと。。。。。


le 11 lundi
//座禅以前の問題// 足組めない。。。。。
2006年9月16の自分。
//日王と三国人// 天皇という威厳ある呼称を、どうしても言いたくない韓国人にとり、天皇を蔑称する意味も込め、彼らは日王と表現します。  日本国政府も再三再四に亘って天皇と呼んで欲しいと要請。金大中になり、ようやく政府公文書では天皇表記。  しかしマスコミなどでは相変わらず日王。
彼らは日本人の反発に対して、日王で相当な独自の見解を盾に、この不愉快を続ける。   韓国が嫌いな理由の一つに、平然と天皇を蔑称する韓国人の大衆心理があります。

しかし、彼らからすれば石原都知事の三国人発言は、お互い様なのでしょう。中国・台湾・韓国(朝鮮)人のみを特定とした非日本人呼称。彼らも再三再四の中止要請をした。しかし石原都知事は独自の見解を盾に一度は収めた鉾をまた取り出した。

相手が止めてほしいと要請する呼称を独自の理論で続ける不愉快。
その独自な理論に是なる部分があったとしても、個人や民族を特定する表現に、当の本人から不愉快の申し出があれば素直に是正するのが物の道理ではないだろうか。

例えば、会社で学校で、自分を指し示す渾名が不愉快な場合、その中止を申し出る。普通は聞くのが当然であって、悪気はないからと続けるのは紳士的ではない。

日王といい続ける韓国人の厚顔無恥で非紳士的な大衆心理というか民族性は大嫌いです。それと同じ強度で持って石原都知事を眺めることもあるのです。


le 10 dimanche
//三軒梯子// 今の僕にとって誰かと会える時間的な余裕は、金曜の晩か土曜の晩。
昨日は三軒はしごしました。 久々にたっぷり飲み食い。

//重みレス//
  • 僕の一人好きは、時に病理の域にあるのではないかと
    昔、真剣に悩みましたが、今ではその道を極めようと思います。。

    なんかね、人は知り過ぎてもいけないものだと。。。
    こう言うと語弊がありそうですが、
    日々、思うところを信じて生きる人との
    輝かしい接点があれば、僕はその瞬間でも長く満足するのね。

    愛する人と一緒に居ることが到達点ではないの。
    個の凄味って言うのかなぁ。
    その人の凄味は極めてほしいし、
    それを後日、近い距離で話してもらえればって思うのよ。
    決して相容れることのない二人で良いの。
    その人がその人らしく生きるのなら当然の結果だし
    僕にもその自由はやっぱり欲しい。

2004年6月24日の自分。
//母の悲しい顔// 先週末、両親は田舎に日帰り。そこで母は自分の母親と会いました。   両親が名古屋に戻ってから母の顔を見る。  その変化は僕にはすぐに分りました。   悲しい母の顔は30を過ぎた男であっても内心動揺する。    そんな悲しい理由を先日聞く事が出来ました。   年に何度も祖母に会いに行くのに、今回はじめて言われたのです。「死に際して」      そんな話しは地平線の向こうに存在すると思っていたのが、年老いてゆく祖母は、それとなく分っているのかもしれません。  自分の葬儀のあり方に付いて。   大切なもの言い残す事は、ここにしまってあるとか。。。         それから僕は母と色々話しました。 「死に際して」
  死に際して準備をする。   それは責任ある強い生の一側面でもあると思った。   避けて通らず、意思を明確にし、遺族を右往左往させない。    そんな、何時の日か来るであろう最終章を、事前に準備する。    それは生に余裕がないと出来ない事なのかもしれません。    責任ある祖母の今回の行動。力強く思えたのが、救いになります。

 そうではあっても、祖母の一日でも元気で楽しい毎日が続く事を切に願っていますが。    





le 9 samedi
//あらら// 土日の週末は陶芸に特化したいのですが、八月まで、かなりの予定が入りこみ、週に一度が精いっぱいの状況。。。。

歯医者に免許の書き換え、梅とりに交通社夫妻のご旅行。人間ドック。

この怒涛の予定を消化したら真夏です。
遅れた分の作陶に集中するけれど、
今一つ考えているのが、瀬戸⇒多治見⇒土岐⇒瑞浪の陶磁器の資料館や窯元を巡り、どこかの地方都市で滞在する、そんな旅のプラン。

ある日の土曜日。その朝。
自宅⇒朝九時に、土岐市曽木町の  で、朝のコーヒー。そのあと、ウーマン号を少し走らせ肥田町にある で味比べ。 もちろん、陶芸の知識を高める旅にしますので、本の携行は怠らず。 向学の場、その一は、瑞浪市陶磁資料館。中馬街道筋のやきもの。興味津津。

見終わるのは、昼過ぎでしょうか、隣町に移動して、次に向かうは、美濃陶磁歴史館
企画展も楽しみ。 となりにある織部の里公園にもよりまして、元屋敷陶器窯跡も見なくてはなりません。

土曜日の昼ごはんは、あえて決めないことにします。 当日の嗅覚で暖簾をくぐれ。

そのあと多治見入りしますが、にて、一休み。
多治見では、多治見市美濃焼ミュージアムでお勉強。
と、この日の向学は【古美術】なのですが、現代陶芸も見なくてはと思いまして、〆は、どえらい豪華な、岐阜県現代陶芸美術館  多治見市文化財保護センターは時間がないので後日ということで。

ここまで巡ればクタクタになるのでホテルにチェックイン。
夜は、街を歩いて旨そうなところを探しましょう。

日曜日の朝。
朝の座禅

9時過ぎに愛知県陶磁資料館に着けばよいので、のんびりと多治見でモーニングを楽しみましょう。 日曜は、どっぷりと作陶して、合間に企画展も覗きます。

と、土日と陶芸に関心のある者にとっては、国内屈指のコースになると思います。

市之倉さかづき美術館は7/27からの企画に興味があるので、多治見市文化財保護センターとの組み合わせで行くとしましょう。
瀬戸から東濃方面の陶磁器の旅は、宿泊したとしても一回で網羅出来ないことが判明。
それほどまでに濃密な歴史を重ねた地であり、僕の趣味と一致していることに感謝する次第。

2010年8月24日の自分
//不景気だし、釣りでもしようよ// 閉塞感というものは20年来のもの。
今の若者は、物心ついたころから不景気なニュースばかりで気の毒に思います。

失業したなら、そりゃ大事になりますが、
そうでもなく可処分所得の目減りを数年来、
いや未来にわたって感じうる環境に陥ったとするなら、
生き方も改めなければと思うのです。


不景気を論じるとき、それは一種のサバイバルのような活き活きとしたものを感じる。
飢饉のときに飢えをしのいだ救荒植物ではありませんが、
不景気は甘受するものではなく、真剣に生きる対策を考える。

まず第一に、生活を断絶してはならぬ。安易な転職は慎むべし。
生活の持続を100とするなら、失業で0 長引けば-100

生活を持続していけば安い給料でも貯蓄も可能。101-102-103-104と富の蓄積もできる。
生活の断絶は、0からのマイナス世界からの這い上がりで、
富の蓄積など夢のまた夢になってしまう。

ここ20年来の閉塞感を僕なりに考えると、生活の持続が多くの国民でとん挫している。
それは新自由主義の考え方で広められた派遣制度に他ならないのですが、
職を転々としていては、富の蓄積など夢のまた夢。

日本人が安モノに群がるのは、
その都度、生活が断絶し再設計を余儀なくされている国民が実に多いと思うのです。

会社が倒産してしまえば、それは諦めもつきますが、
夢や恰好、辛抱のなさで転職するのなら、必ず次の世界を固めたうえでの転職を。
安易な転職は、生活の断絶そのもの。
職が街にあふれているのならともかく、現状は求職者が街にあふれている。


次に、精神的充足を考えるべし。
可処分所得が目減りし、自身の生活が荒廃するようなら、
それは救いようのない姿を曝け出すもの。
贅沢は以前よりできなくなったとしても、それは金銭的な支出に比例する。
言い方を変えれば、賢くない生き方。

少しの金額で豊かさを感じる生き方を考えるべし。
自分自身を丁寧に生きる。
部屋を掃除して静かな環境で図書館で借りた本に夢中になる。


不景気で夢もなく、だからその代償としての過度な自由で
生き方を逸脱する若者の姿は不景気になれば世界の街中で見かける光景です。

最たるものは薬物。その前段階としての奇抜なファッションや規範の乱れ。
集団行動としては排斥主義。

僕は思うのです。
不景気になれば、本来救うべき者にさえ手も回せない社会的混乱が発生します。

若者に対しては、過度な自由を黙認し、
この不景気を生き延びてほしいと放任してしまいます。

不景気になると規範は乱れ、売春や詐欺の類で金を得る。
過度な自由です。

由々しきことですが、それでこの不景気を乗り切ってくれるのなら助かるというもの。

しかし、事態も好転すれば、真っ先に駆除の対象になります。
タトゥーなんてのはもってのほか。
好転してもなお、貧乏世界のヒーローはそのままでいる。
過度な自由の先頭に立っていた集団というのは、古代ローマ、
刺青が奴隷の生涯の印であるように、ある一定以下での生存を余儀なくされる。


不景気になったら釣りでもしましょう。

静かに忍耐力をもって待つ者には、
きっと大きな魚が晩御飯を豊かにしてくれます。



le 8 vendredi
//梅雨入り// 冷たい雨がしとしと降っています。この質感と雨音、良いですね。
今日は、会社で絶大な人気と権力を誇ってきたY夫人の定年退職の日。

退職記念丼を進呈!!!!

あの元気よく、上下の区別なく人を諌める声を聞けなくなるなんて全く持って残念です。

2007年7月5日の自分。
//アハハ すっかり忘れていました// 今週の土曜日は、夜に肉と酒の会があったこと、すっかり忘れていました。夜のそれまでの時間に、何かするなら何かして。   それと、三連休、4年ぶりくらいの東京。何で行くべきか、じっくり考えましょう。  今回の東京は「現地指導スタイル」ではないので、前回の東京のように、何人もの懐かしい顔に会いに行くスタイルではありません。そのような機会は、別に持たなくては。

ちょっと本気でダイエットします。
土曜日は、雨さえ降らなければ、mtbを取り出して時間まで体を動かしましょう。

それと次の日曜日はお誘いのオーディオ巡り。お互いに趣味が一致するので、じっと眺めているのかな。

//宇宙家族ジェットソン// ハンナ・バーベラの作品の中では上位のお気に入り。絵も可愛ければ、宇宙生活の発想も好き。あと異色極まるjonny questもハラハラ&ドキドキで好き。  日本のアニメが世界を席巻していると言うけれど、この分野、ハンナ・バーベラを凌駕しているとは思えません。

//ヒッピーが見るものは共通か!?//当然にして麻薬など摂取したことがないので、あくまでも想像です。  

アメリカのヒッピー文化を紹介する番組が7/14ヒストリーチャンネルで放映します。  僕が特に注目しているのは、彼らが描く絵。もしくは映像。サイケディリックというのか、どぎついピンクやら紫を使い、クネクネとしたデザイン。 この奇妙なる絵画は、誰彼となく似たり寄ったりの作品。   

そこで激しい疑問なのは、麻薬を摂取すると、誰彼となくそのような幻覚を見るのでしょうか??? この共通性は、物凄く想像力を掻き立てられます。もちろん不法なルートで摂取すれば答えは明瞭ですが、僕が誰よりも薬物を嫌悪しているのは日記を読む人には周知のこと。だから、それとは別に、この奇妙なる絵の共通性について知りたいのです。


もし、共通性だとすれば、とても面白いことです。
人間のある種の快楽は、共通の色彩デザインが付帯していることになるからです。

さらに考えを拡散させれば、
そのような絵画の部屋に人を閉じ込めれば、薬物を摂取せずとも、そのような境地に入り込むのでしょうか????

++++++++++

僕は快楽は脳細胞の死と比例すると思っています。
この説は、高名な学者の本にもあったので、正しいのでしょう。

人が溺死するとき、窒息の恐怖を緩和するため、人間は大量の脳内麻薬物質を放出し安楽死させる自己防衛策に出ます。これは命からがら救い出された人に共通するエピソードだそうです。

ボクサーがパンチを浴びる状況に、人間が発動する自己防衛策は、やはりパンチドランカーというか酩酊状態にさせ痛みからの解放を図る。

しかし、ボクサーが誰よりも早く痴呆になる傾向から察してみて、
自己防衛策、つまり痛みからの解放、それはより強い快感なのですが、現実は、快感とは脳細胞の死滅に起因するのでは?という考え方です。

アルコール中毒。薬物中毒。やはり快感という名の脳細胞の大量死の繰り返しにより、ゆくゆく痴呆に似た症状を発する。

快感は、恍惚。そのボ~~~っとした何ともいえぬ感覚に身を委ねている間、人間は蒸気機関車の石炭に例えるなら、脳細胞を死滅させてエネルギー源にしていると思うのです。

ただ、SEXや自慰など、その程度では痴呆にならない。薬物により、それらの快楽レベルを長時間脳に与える代償。それは、前述の比ではない大量死の繰り返し。


++++++++++


シンナー中毒患者の脳が、痴呆老人のそれと同じほど退化している恐怖。
ただ、シンナー中毒は歯がボロボロになり、見た目に恐怖を伝達し、
その形相から、多くの市民にとって抑止力にもなっています。あーなってはダメだ!


問題は諸々の禁止薬物。
手軽に摂取でき、歯はボロボロにならなくても
脳内で行われている過程は同じ


日本人にとって、薬物の起承転結はあまり知られていない。
警告文としての廃人になるとかはあっても、それは重度中毒患者の末期の姿。
その手前で留まる者の人生の損失は、全く知られていない。


薬物は摂取する。お洒落に用いたりSEXに用いたり。
しかし、コントロールできて廃人にはならず、日常生活も出来、仕事もはかどる者たちの損失。それを僕も知らないし日本人はほとんど知らない。

ひょっとしたら損失はないかもしれないし、
次のような損失があるかもしれない。

老後に備えて備蓄した金品。それを取り崩す頃に必ず訪れる痴呆。



le 7 jeudi
//カフェ飯行脚// 今日は仕事で岐阜県は多治見。余った時間がかなりありまして2-3時間、多治見の街をぶらぶら。陶磁資料館は小さいながらも展示内容が素晴らしく見入ってしまいました。週末作陶している人と遭遇。関心が一致すると奇遇率も上がると言うか。
そのあと、かなり立派な現代陶磁資料館に行きましたが、売店を見た程度で退散。

お昼は、カフェ飯というやつに挑戦。
値段の割にボリュームもなく、次なるところへ二度目のカフェ飯。
こちらも値段の割には、、、って感じで二軒で何とか満足なのでした。。。。


2004年3月17日の自分
//最近思うことは// 仕事で車を運転している時とか、最近、よく考えます。  考えて考えて出てきた答えは「真剣に人と付き合うことの恐怖心」です。     つまり、恋愛をすることに関して自分が抱いている恐怖心です。    人からすれば全く馬鹿げているとお思いでしょうが、自分でも、その理由が分からず困っています。     つまり、この恐怖心を育て上げたものが何であるのかを付きとめた時、なんか克服できたような。     で、ひょっとしたら「恋愛っていうのをやってみようかなぁ~」と思えてくる期待があるのです。       何回かフォトメを出し、チョロッとデートもしましたが、やはり正式なお付き合いに発展しそうになる前に、こちらから話を流してしまう。   それは彼が嫌いではなく、その先にある言葉にならない恐怖なんです。      全く馬鹿げていると思いますよ。   自分にとっては、恋愛とその後ろに恐怖心がセットになって存在しているのですから。  でも、挑戦したい衝動に駆られてフォトメとかだし、でも結局は自分から引いてしまう。   ご迷惑をおかけした人、多くみえます。  すみません。      今日は、車の中で、悩むのだったら、もうキレイサッパリ諦めようかとも思いました。【恋愛するつもりサラサラなし宣言】とかね。   気が楽になるのではと。   てか、そもそも、過去にご迷惑をおかけした人を考えれば、新規に挑戦する資格もないのだけれど。       ホントに思う。切望します。「真剣に人と付き合うことの恐怖心」  これを克服したい。      お見苦しい日記



le 6 mercredi
//なんで、、、// いつも思うのは、どうして僕は、こうも簡単に眠れるのか。
地下鉄では座れたら、次の駅を知らない。
家に戻って、なにかしていたら22時を前に限界。

いまも、こうやって書いていても、書く欲以上に睡魔が襲う。。。


2010年4月28日の自分。
//電車の旅// ふと、してみたいことを書きましょう。
あてもなく電車に乗って、それも乗り継いで長く長く乗って
どこかの港町とかに宿を取り、
そして小料理屋で酔いながら明日を思案する。


ラジオネタですが、忘れられないお便り。
昔、バイク乗りが公園で野営していました。
バイク乗りが一箇所に集まり宴会。
そんな酒宴とは一線を画して、少年がポツリと野営している。
彼らは少年を招き寄せ、話を聞くと、瞬時にして皆ひれ伏した。

バイク乗りは日本一周だの、アレコレ談義していたというのに
少年は今、ローラースケートで日本一周の最中だとのこと。


あるスタイルを長時間保持し続ける旅。
それは移動に喜びを感じる旅。

かつて真剣に世界一周航空券を取得しようとしました。
それは一度退社するということが前提なのですが、、、
今となっては挫折で救われたとでも言いましょう。

それは極端な例えですが、鈍行で長距離を移動する。
長距離のウォーキング。

そう、長く没頭すると、精神も没頭する。
ボーーーーっとした心地良さの中、時が過ぎている。



le 5 mardi
//午前半休// それが、どの程度時間を要するのか分かりませんでしたが、いちおう半休をとりまして三時間くらい栄でブラブラ。 
働いている時間の栄って、なんか閑散としていて不思議。
店は営業しているのに、やはり、ここは土日で稼ぐ街なのね。


2007年3月9日の自分。
//埃の正体は何??// 少し掃除をしないと床の隅に埃が溜まる。当たり前の現象ですが、その実、埃の正体が何なのか分からない。それらは複合して一つの埃の塊を形成するのですが、毎回登場する主成分で、あの綿のような繊維状の物質は何なんでしょう!?

//樹脂って何!?// 漢字からすれば木から採取される脂分!??  戦時中、松の根から戦闘機の燃料を集めた話は聞いたことがあります。脂分。それは理解できますが・・・・   樹脂で固めるとか、他にもいろいろと聞きます。今でも、そんな非効率でのんびりとした脂の収集を木からしているのでしょうか!???  樹脂の正体って何!?

//防腐剤って何なの!?// 自然の摂理からいって、食材は早々に腐る。カビが生える。昔の醤油は、放っておけばすぐにカビが生えたそうです。まぁ、世の中のカビが全て悪だとは限りませんが。  この摂理を覆す防腐剤って何なの!? 不老不死の薬!!!!?????

当たり前のように見聞きするものなのに、34年生きていても、未だまともに答えられないものが世の中には多く存在する。



le 4 lundi
//分かるのです// そういう些細な信号は実に大切。ところが慣れというか思い込みというか確率で、そうならないだろうと突き進み、そうなる。

本能的に最も鋭敏な感覚は生命の保持。
生命の保持に関して人は近々の未来は言い当てれるくらいの鋭敏な感覚を持っていると思っている。 ところが、そんな感覚が強すぎると、実生活で支障が出てくる。全てに身構え何もできない。  言い当てれる未来というのは、実に小さなメッセージが最大音量だと心得ている。
だから心は静かに、そういう沸々と湧き上がる、将来に対する何かの意思表示は、無視するより気に留めておくべきだと、僕は信じている。

この道をこのスピードで通勤するのは、危ないなと思っていても日々走る人がいる。
その方が明らかに時間短縮で利益をもたらすからである。
その利益に盲目になり、そんな警告も忘れていつの日か事故を起こすとしたら、
やはりこの道だと思うのです。

こんな調子じゃ、危ないと思うところがあるとするなら、
同じ心に、それを推し進めようとするもう一人の自分もいる。

食べ過ぎを危惧するのも、暴飲暴食を選ぶのもまさしく自分。
自分のことは自分が一番知っているから、食べ過ぎの危惧は、いづれ何かの答えとなって
「正解」となる。


2006年12月18日の自分。
//愛国を叫びゴミの分別には無関心// 国を愛する心は、ゴミの分別やポイ捨ての戒め、老人に席を譲ったりするなどの人間としての丁寧な行動から派生するものだと思う。  愛国を叫びつつ、治安は悪化し、シルバーシートに股を広げて座る少年たち。  この無様な社会を愛国心のなさから来るものと考えるのは、あまりにお粗末です。  国を愛する心の育成に、伝統文化の学習も結構。それなら日本史や世界史の未履修とかを断罪するべきです。国を愛する心を育成するのなら、老人に席を譲る心の育成・自然環境・図書館でのマナーなど基礎を教えるべきだと思います。  未履修問題で甘い対応をするように、基礎基本を飛ばして、次に急ぐ風潮は、結局意味を成さないもののように思えて仕方ありません。

思うに、保守勢力で深刻な分離現象が生じているように思える。精神的には回顧主義で愛国心や美しい国などという。しかし、経済面では日本的な勤労情緒など木っ端微塵にするかのような、かつての保守とは相容れない過度な競争感覚。 見方を変えれば極端な自由主義の不満を愛国心で封じ込めるとも考えられますが、そんな見事な連係プレーは存在していないと思う。

それよりも、保守勢力内での議論が出来ていないように思える。それは先代の政治スタイルの反作用でしょう。  保守勢力として何をするべきか?  新自由主義を信奉する勢力の拡大が経済のみの言及で保守の良心に及ばないところに問題があると思う。   愛国と叫んでも、この経済政策を推し進めれば、ネオナチのような国粋主義が広まるでしょう。それは日本的な情緒とは相容れない反愛国です。   

今でもいるでしょ。韓国人や中国人の排撃には熱を上げても、ゴミの分別には無頓着で納税の義務さえ怠る。  まったく愛国ではなく国賊です。でも、保守勢力の経済担当の政策は、彼らを生み出そうとしている。  本当に愛国を憂うなら、派遣労働の段階的な廃止など、成長率が鈍化しても保守の価値観を守る動きに出ると思うのですが。











le 3 dimanche
//爆弾娘// オウムの菊池直子、逮捕の一報。大都会の人の波に埋もれると、個人は探しても見えない存在なのでしょうか。

//良い機会// 今月の23日は40歳の誕生日。
30代は無事に経過した。家族の親族の枠組みは変わらず嵐は無かったものの、40代にこの平穏は望んでいません。望んだとしても無理でしょう。
いろいろと考えることも多いのですが、そのことに感謝したいのです。
私の考えると言う行為は、預けること。
預けるために精神を統一する。
それは案外手間のかかるものであり、目だけ閉じていればよいわけではない。

それと、陶芸なんですが、行ったら一個は瓶子を作ろうかと思う。ちび瓶子でも良い。
田舎に行くと、不貞外国人がお地蔵さんとかを古美術品として持ち去る行為が横行し、
その場所は意味があったというのに、今では台座のみとか、味気ないコンクリートの碑があるのみ。それを痛いほど見てきた。 小さな瓶子をそっと置き手を合わせたい。いづれ誰かが榊を入れるとか花をいければ、意味のある場所に、また信仰の血が流れる。
これは、僕が陶芸をやり始めてまもなくして感じ始めた衝動であり、今も続く。

私が陶芸をやり続ける意味は、実のところ、この衝動にある種の義務感があるからだと。


2010年10月13日の自分。
//神啓// その天才的発想や、発想の転換、たぶんそれは動物的な勘と表現する人もいれば、僕には神啓を受信しているのだと思えてしまう。

いつかは、このよう日が来るとは思っていた。
そうなって以来、今年かな、今年かな??と、その覚悟する感覚は一年単位と短くもなっている。

二週間ほど前からとても強く思うのは、
まもなくオメデタの知らせが届きます。
それは待ちに待った瞬間、アナタもそれを感覚として分かっているのでしょう。
新しい家族の増えるアナタにとって、時間軸は変わって当然だし、それは愛。


今回の一連の、その少し変なメールのやり取りとかは、
実は、このような着地点へのソフトランディング。これも分かります。
末尾が、シだけれど、本当はルなのも、あまりに古い話ですが
茶臼山に行った時から知っているのです。
そして最後までシだったアナタが、とても好きでしたが、
アナタがシで押し通したように、やはり僕にとっても都合の良い告白なのです。

好きは簡単に言えます。どれだけ深いかは、実は湯葉のようで表面が凝固しているだけであって、全然深くない。これが心地良かったのはお互いに言わない感覚。


このような展開になって、それはたぶんお盆のときに味わい深い思い出として再生されるのでしょうが、深い悲しみとか、衝撃とか焦燥感や挫折の感覚はアナタにないのと同じで僕にもない。会わないということが、会うより心地良くなったので、前者を選択する。
それはとても自然な感覚だし責めるつもりもなければ賛同さえする。


読まないけれど、本棚に残しておく本。そんな僕らのこれからは埃をかぶっていくだろう、
懐かしい、10年近くいったかな???



le 2 samedi
//忘れ物// 最近、モノを良く無くすとは先月末の日記にも書いたところ。
僕は、モノをなくすなんてことはほとんどしたことがない。そういう警戒感は持ち続けていたのに。今まで当たり前のように守られていた範囲が、加齢でしょうか崩れ去っている。
野生動物で言えば、獲物をしとめる嗅覚が衰え始めたということか。
昨日の日記にも書いたけれど、それでも僕は生きていくのです。
40でも50でも、その先ずっと。
老いぼれて何の徳があるのかと社会から疎まれるかもしれませんが、
それでも生きていくのだから、存在する意味を見出さなくてはと思う。

2005年5月27日の自分。
//オネエな僕が言うのもなんですが・・・・・// 最近、自分が芸でいることに不自然さを覚えます。   まず、芸であるのに彼氏が10年間いないまま。もちろん、誰かと共に過ごす夜なんてのも全然。ここ数年のsexの回数の少なさは誰にも負けない自身があります。   毎日更新するHPの日記も芸芸しい内容ではありません。   でも、誰かと話すときはオネエやっちゃいます。そういう風味のある語彙も豊富に取り揃えています。                            //事実は心地よいとは限らない// 一番恐れて、一番腹立たしく、一番警戒すべき対象は、リスキーなSEXに没頭して性病検査には無頓着な連中。    こんな無頓着な連中相手に受けて立つ側が無頓着ではあってはならない。   かといって、即席検査キットで調べるわけにも行かない。   誰かと付き合いたいという気持ちを引き止める最大の要因は、検査に関心のある人たちと無頓着な人たちを見分ける術がないことです。(←コレ、ホントに深刻)         
 
 前にも言いましたが現に感染した患者を差別するのは人の道に反し僕は反対します。  そういう時にこそ人間愛というものが発揮されるべきだと思っています。しかし、強調したいのは彼らが感染した疾病に感染しない努力や工夫を述べることは妨げるべきではないと思うのです。それを差別云々と解釈することにも僕は反対します。

まずは現実を調べるべきです。ネットという便利な発明によって図書館や最新のドキュメンタリーを待つまでもなく、現実が諸々の数値となって現れています。      深刻と受け止めるべきか海の向こうの話と聞き流すべきか。
僕は前者の考え方に至りました。

まもなくNLGR。 今年もまた検査に行きます。毎回思うのが、僕らの為に献身的な努力を注いで下さるボランティアの方々の熱意です。 彼らは僕らの一部が今もなお無分別でリスキーなsexを謳歌している現実を知っているはず。感染拡大は自業自得と見放しても甘受すべき側面もある。  それでもなお、僕らの為に活動して下さることに心から感謝するのです。



le 1er vendredi
//月間企画// 日々の雑念整理にいつもの日記は書きますが、色を変えて過去の気に留まった日記もご紹介。

今月は下旬から40歳!!!!!!!!
今一度、心身の修養をどこかで設けなければと思っている。
山に登るか長距離を歩くか断食するか滝に打たれるか瞑想するか。

ラジオで聞いた気になった言葉に、
そもそも動物というのは子孫を産んだら死ぬのが筋である。
驚きました。生殖が人生の果ての行為だなんて。

でも、利にかなっていると思う。せめて延長を認めたとしても子育てまで。
それより長く親の世代が生きていると、自然のバランスが崩れるような気がする。

ところが人間は、生殖は人生前半の華。あと2/3は残っている感覚です。
特に結婚したい人間にとって、生きている意味は何かと問われたら、
それこそ個人がしっかり回答を見出さないと、のちのち自己否定の糸口になりかねない。

結婚はしないけれど、僕は生きている。その意味は。
その意味はあるはず。その意味を期待されて、今日も明日も生きているのである。

2007年1月23日の自分
//塑像// 自分の世界に入ることは最大の自己防御。安楽。平安。それは他者から見れば寡黙で汗を流す姿。   塑像。 できることなら、誰にも邪魔されることなく削り取り自分の形に仕上げたい。

それは優しさや心配が元で言っているのは分かるのです。

誰にも迷惑を掛けず、喧嘩もせず心穏やかに生活しても、一人でいるという選択は大迷惑なのである。 いっそのこと私財の全てを投げ出して仏門にでも入りたい。そうすれば、一人でいてもありがたく思われるのだろうか。何の徳もない凡人が一人でいるという選択は、俗世の通俗に従えということらしい。

平和に生活をして、平和な心を持っていても、現実は心配の種で平和を乱す元凶と思われるのは辛いです。

 
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