令和2年5月 mai.2020


le 31 dimanche 日曜日
//六月からのことを考えると//週末の移動も自由になるので、六月の陶芸は平日により重きを置かねばならない。帰宅してご飯食べて、すぐに陶芸。3時間して入浴し就寝。これを4日は欲しい。

さてと、只今の陶芸は半磁土を使っています。二年前、工房を作る時にいろいろ土も買いましたが、今となっては絞られてきまして、処分する意味合いで作陶していますが、ケチなので、無駄なく使うことには変わらず。あと6個一輪挿しを作ったら、手土産用の天目茶碗をたくさん作ろうかと思う。これに金化結晶釉を流せば、これはこれで素晴らしい器になるのではと。

四国は梅雨入りですね。しばらく雨の季節になりますが、僕は幸いなことに、季節や天候にはそれぞれの美があるので、嫌な季節の到来というのはない。言うなら、寒くなりつつある季節は好きですが、全てにおいて好きなところはあるので幸いです。雨は雨で美しい。雨音を聴きながらする陶芸は、とても情緒的。


le 30 samedi 土曜日
//12分の動画//インスタの動画。昔は15秒で、それが一分に。そして今では無制限!!?? 12分かけて粘土の塊から一輪挿しを作る一切を動画にしました。ご覧あれ。@te696


le 29 vendredi 金曜日
//来週の金曜日でも//宣言が解除されても県外の外出は見合わせていました。六月からは、それも解除とのことですから、来週の金曜日は午後休でも取得して、早く移動するのも良いのかと。
どうでしょう。観音霊水は、まだ40L残っているので、大鹿村に地質調査と、伊那でソースカツ丼。それから権兵衛トンネル超えて二本木の湯に麹の購入。そんなルートを考えていますが、蜜が危ないなら、カツ丼と温泉は見合わせることにするのかも。

それにしても金曜日の解放感は好きです。


le 28 jeudi 木曜日
//嫌われつつ、そして助けよ//嫌われることは特別なことではない。これは個性が無視できない一つの作用としての結果。この人は嫌うが、好かれるレベルの信号も同時に出しているとの証明である。無視できない存在なのだ。ただ同時に、生きるとは助けることだとも思う。出来る範囲で、手が届きそうにないのなら祈る形でも、自分の生活が平穏に過ぎる感謝は、助けたり祈る時間の担保である。


le 27 mercredi 水曜日
//どんどん、作るよ//でも、全く売る努力もしなければ、売りたいという感覚が湧かない。ただただ好きなものを満足いく焼き上がりを求めているだけ。  でも、これは考えてみると幸せな陶芸の形態だと思う。食うに困らないということは、芸術を開花させると思う。そういう意味でパトロンという存在は芸術に必要なのでしょうが、僕には見当たらないので、勤める自分が陶工の自分を支える図式ですね。


le 26 mardi 火曜日
//対禿戦線//まさか自分の頭頂部が禿げ始めてきたなんて信じられません。禿は禿でも、こういう禿進行は最も醜くて嫌なのです。  と、言ってケチな僕が頭の上に車何台分の戦費を費やすこともなく、考えているのは、いかに安価で戦況が好転するのかという作戦会議。  どうやら血行の改善が禿戦線には効果的らしいので、それなら知恵と工夫次第で戦えるのではなかろうかと、今、少し実践中。


le 25 lundi 月曜日
///帰宅後陶芸//思うに社会主義国の労働者の一生は、毎日決まったことをして、特別な変化や扉というものもなく終えていく、、、そんな感じの毎日ですが、僕は幸せです。仕事して帰宅して2-3時間陶芸をして入浴して寝る。これが平日の5日間のうち何日実践できるかが、その週の個性というか彩なわけです。  本日もそういう過ごし方ですが、これが幸せなわけです。

僕は思う。何の根拠もないのだが60になったあたりで両親は既に他界して、真の孤独の扉が開かれるだろうと。どのようにして老い、老いてなお生きていくのだろうかと、ふと考えることはそういうことばかりですが、これが具体的ではない。ただ、定年したら体力のある限り旅行したりとかの生活は拒絶すると思う。長崎の出島ではないけれど、人との接点は陶芸の関係くらいでしょうか。芸が老いていくというのは、知恵や工夫のしどころではあると思うが、僕は華やかでなくても良いので味わい深いものでありたいと思う。


le 24 dimanche 日曜日
//お金使いません//この自粛期間中、多くの人は支出が減ったと実感していると思うのです。食べにもいかなければ遊びにも旅行にも。どうでしょう。ひと月に10万とか20万円でしょうか。それでは経済が回らないと、別の方面から激しい声も聴くわけです。

そういう僕は、工房を構えてからずっとこんな感じです。いただける10万円を遊興費に充てるとしたら、一年経過してもまだ手元に残っているような気がする。


le 23 samedi 土曜日
//一か月前//一か月後48歳になります。もう笑うしかありませんが、仕方のないことです。
自宅に工房を構えたのは出禁勧告を受けてのことでしたが、可決方としては瀬戸や常滑に貸し工房もあったわけです。ただ、あの時、迷うことなく湧きたったのが自宅に構えること。理由も、今後避けられない両親の介護と趣味を両立させる手段として。そして一年と数か月後、父上が車を手放す。これにより土曜日は2時間ほど買い物が行事に。

思うのですよ。出禁勧告がなく瀬戸に通い続けても、この段階は来る。そうなると僕は趣味に没頭できる貴重な土曜日が買い物でなくなると、いろいろと不満に思っていたことでしょう。今から思うと、出禁勧告は神の声です。


le 22 vendredi 金曜日
//迷うとしたら//昨日も今日も帰宅後陶芸。全く飽きません。迷うとしたら、陶芸に没頭している生き方ではなく、作品の方向性でしょう。

陶芸という一貫したものを持っていますが、その都度作っては焼いて反省したり喜んだりして次につなげる。決して同じところでグルグルしているわけではない。これが愉しさの秘訣なのでしょう。


le 21 jeudi 木曜日
//今日も帰宅後陶芸//帰宅後陶芸も積み重ねると、次の窯までの期間も短くなりますね。そして、新しい生活のリズムというか、水曜日は早く寝る寝る運動の日に充てて、それ以外は頑張る。このリズムが定着しつつあります。

まもなく宣言も解除で、また多くの人は再会を喜び集い旅行や会食を楽しむことでしょう。僕はというと、宣言前も宣言中も、解除後も全く変わらず。それは時間のあて先が変わらないというのもありますが、人と会わなくて成立している過ごし方に起因するところも大です。


le 20 mercredi 水曜日
//嘘と嘘か対決する嘘つきな国//俗にいう慰安婦のことですが、慰安婦だと宣わる老婆は、全く別人であると慰安婦団体の長が暴露し、老婆は30年間も、それを知っていながら私たちを集金マシーンにしていたと、集めた金は全く違うところで流用していたと暴露。韓国のことですね。

嘘つきの国での大事件には、どこを見ても真実がなく、架空の物語をでっちあげ、日本から金をむしり取ることを目的としていた。その金の分け前が話と違う!!と老婆が反旗。もっと驚いたのは、他にもいる慰安婦と称する老婆は中国から仕入れた役者みたいなものだと。

もはや韓国や韓国人は何言ってもダメですわ。とにかく日本とは縁を切ってほしい。この嫌悪は当然の帰結だと思いますよ。顔も躊躇なく整形する民族性。嘘をついても金が入るのなら相手を貶めても、その関係性を永続化させたいのでしょうね。真実なんて関係ないのでしょう。醜悪で俗悪です。


le 19 mardi 火曜日
//夕食後//夕食後、まだ外が明るいと、心理的負担もなく帰宅後陶芸にとりかかるのですよ。全く同じ時間に夕食を食べたとしても冬だと、こうもいかない。太陽光というものは、如何に人間を活動的にしているのかと、工房設置して2年経過して証明されました。

昨日は2.5時間、本日は3時間。


le 18 lundi 月曜日
//接点//お世話になっているお寺の和尚様がテレビ番組に。人は、生きるということは接点を持つということ。。。。。。。。。。。。

僕は、座禅とかするのですが、接点は増えなくても良いとか、必要最低限で良いとか、孤独に備えよ!とか、全く対極に位置していまして、恥ずかしい限り。ただ、僕が、この観念を変えるのは相当難義すると思います。

迎合する空虚より、充実した孤独を!! これに深く依拠しているからです。


le 17 dimanche 日曜日
//10個//その都度、その時の思いでデザインを決めているので、10個別々な姿ですが、、一日過ごして10個しかできていないという。

本日の硫酸マグネシウム風呂は2時間。入浴中にガツンと来る温熱はナトリウムがないだけ、それは感じませんでしたが、湯上り後の保温効果は絶大ですね。一つ良かったのは、ナトリウムの温熱が逆に知り得たことです。つまり硫酸マグネシウムは、お湯もさらさらとして何も感じない湯ざわり。なのに温熱を感じるのだから不思議です。


le 16 samedi 土曜日
//あらら、あらら。//午前中は買い物に付き合ってワンちゃんの注射。午後は、工房を掃除したら、今日は陶芸やめようと、、、お休みにしてしまいました。では何したかというとね南信州新聞を10日分ほど読んだ程度。それから取り寄せた硫酸マグネシウム風呂を3時間近く。

たいていの入浴剤は、硫酸マグネシウムと炭酸水素ナトリウムが入っていますが、今回は前者のみ。塩分の入っていない温熱効果。そして残り湯は畑にまけば肥料になるのではと考えています。


le 15 vendredi 金曜日
//三日目//平日の帰宅後陶芸、三日目です。水-木とお休みしていました。休み前の帰宅後陶芸は至福の一時です。轆轤回すことを9年3か月近くしていますが、未だもって楽しいのですから、これは生涯の趣味になります。初期投資こそ、そこそこの金額になりましたが、海外旅行に行くわけでもなし、国内旅行も激減したし、飲みにも出歩かなくなった。そもそも陶芸関連で誰かと会う程度で、こういう過ごし方をしていると、まだ一つも売ったことはないけれど、初期投資はすでに回収しました。


le 14 jeudi 木曜日
//この効果。//十分寝たので、本日はずっと頭冴えていました。この、効果の持続時間の長いことよ。寝るってのは、人生においてとても偉大な行為だと思う。十分な睡眠時間のある貧者と、常に寝不足の金持ちなら、前者の方が脳は幸せだし、人生そのものも幸せなのかもしれない。最強は、睡眠時間のたっぷりあるお金持ちでしょうが。


le 13 mercredi 水曜日
//本日は、//早く寝る寝る運動20時の日。季節の変わり目は妙に疲れる。まだ体が夏向けになっていない。そんなときは早く寝る寝る運動をして体力を保持して来るべき季節へ対応します。もちろん、帰宅後陶芸はなしね。


le 12 mardi 火曜日
//18-21//帰宅後、18時から21時まで作陶。昨日は2時間したし。これは喜びですが、平日は逆立ちしても3時間が割ける限度です。仮に平日に3時間を五日したとすると15時間。これは週末の一日分以上。まあ、流石にそれは体に堪えるのでできませんが。。。


le 11 lundi 月曜日
//早く慣れた者勝ち//とにかく週末まで5日働かなくてはならない。まあ、第一日目は終了しましたが、あと四日。長く感じるのでしょうが、はやく慣れて時が過ぎるのを待つしかない。そう考えると、僕は週末の陶芸に人生の輝きが最も増すような生き方をしている。ただ今週は平日も少しづつ作陶します。まずはカップのハンドルね。


le 10 dimanche 日曜日
//深い疎外感を感じる時//自粛自粛でストレスもたまる人は実に多いのですが、僕は例外中の例外で、全く我慢も不足も感じず、むしろ陶芸に専念出来て、それはそれで喜んでいてる。ところが、これは裏を返せば、自粛前の生活が既に世間で言う自粛のレベルに納まっている。だから段差もなくストレスもない。僕が深い疎外感を感じるとしたら、宣言解除後の浮いた雰囲気になったとき、引き続き、この生活を継続するという孤独の深さであるのかと思う。

まあ、それは僕が進んで選んだことだから文句も言えまい。


le 9 samedi 土曜日
//心行くまで作陶//陶芸の作業を施釉から作陶に切り替え。この間、諸々と掃除もしますが、それも終えまして、心行くまで作陶ができました。何度も書いていますがラジコで信州はsbcの武田徹のつれづれ散歩道を聴きながらする朝の作陶は、情緒的で喜びです。朝から夜まで陶芸。あれだけ専念した五日間があるというのに、今日は今日で、この充実を喜ぶのです。


le 8 vendredi 金曜日
//産業革命//磁器土でのハンドルの成形がイマイチでいろいろ試していましたが、一向に改善されず。帰宅後、ふと思いつき破壊検査みたいな感じで、従前の試みを破壊して再構築。これが驚くほどに上手く行き、産業革命ですよ。近々、解決策として糸鋸を買おうとしていましたが、その必要もありません。


le 7 jeudi 木曜日
//今日が//月曜日でなくて助かった。こうやって徐々に社会復帰しましょう。流石に5/11からは街にも人が増えるのではなかろうか。昨日までの五連休は作陶三昧の五連休。陶工はいったんお休みになります。


le 6 mercrerdi 水曜日
//この違い//明日明後日も休みの人は、今晩、気の緩みを戒め明日に備えるということはしないのですよ。引き続き、明日もゆっくり起きれば良いと。人間無いものには憧れるけれど、働く姿を羨ましく思っている人もいるはず。今あることに感謝して、そういう行動を心にいつも。

明日は家を出るのだから、感染症の警戒はレベルも上げて。


le 5 mardi 火曜日
//補給//以前から気になっていた釉薬の補充をしました。補充と言っても注文するのではなく、取りそろえてある原料から、長石が珪石がどれどれの量でと7種混合の秘伝の金化結晶釉。

それから吹き付けブースとかも掃除。ここでもケチが発揮されるのですが、飛び散った釉薬とかは拭き掃除してバケツですすぐ。バケツの底には各種釉薬が沈殿するのですが、僕はこれも一つにまとめて新種の釉薬として用います。自宅陶芸で釉薬の処理は悩ましい問題ともなりますが、僕は捨てるものが存在しないので苦になりません。

そろそろ棚板もきれいにしたいなあ。


le 4 lundi 月曜日
//朝からせっせと//釉薬掛け。ただ決まった施釉を大量にするわけではないので、とても時間がかかる。17時に点火。

陶芸の流れを書きますと、とにかくたくさん作る。目安は窯に一杯になるまで。ただ素焼きは重ねても良いので、本当にたくさん入る。そして素焼き。

このあと本焼きですが、これが4-5回続きます。この4-5回の間に休日が訪れる。施釉して点火すると窯出しは明後日。つまり明日は自由時間になるのです。

と、言うことで5日は自由時間ですが、釉薬作りをしようかと考えています。


le 3 dimanche 日曜日
//食品の調達//唯一の外出は買い出しだけ。昨日は朝から釉薬をせっせとかけて窯を点火。本日は、何をするわけでもないので買い出しができるということ。帰ってから南信州新聞を読んだり、風呂には3時間近く入っていました。なんだか、久々の休日です。心からのんびりと過ごすことができました。


le 2 samedi 土曜日
//9年の経歴//僕の陶芸の根本は【ケチ】 ケチからスタートして今に至る。
そもそも陶芸を始めたのは、週末ごとに繰り返される一人ドライブの散財を戒める意味で飛び込んだ。それから驚くほど上達したのですが、ここにもケチの概念がある。例えば粘土一キロでどれだけ楽しむかと考えると、どうしても薄くなる。薄く作るのも技量の一つであり、その方面は短期間に達成。ところが薄すぎて歪になる。

僕は考えた。薄く作って形状が安定するのは!???

急須しかなかろうと。ラッパ型だと、薄いのはその形状を維持するのは極めて難しい。ところが急須だと、アーチの構造で薄く作っても両者は近づきそして支えあう。これにて両者安定期に入る。
最高難度といわれる急須も、皆が驚く域には到達できるようになった。

ただ、ここの土は粗くて完成しても染み出すという問題は解決できず、急須からは撤退。

そして、この環境で、この粘土の塊から、最も高価なものは何ぞやと考えて本格的に作り出したのが香炉。ところが細密に作り出す行為が不興を呼び出禁勧告⇒自宅に工房を構える。

現在、金銀に頼らず高貴な輝きを醸し出す器に没頭しています。結晶釉になりますが、ありきたりな結晶釉ではなく、その輝きは金銀に近く、そして出来ることなら制御下に置きたいとも考えている。

以上が、作陶歴9年を経過した報告になりますが、一貫しているのは、ケチ。

自宅工房もまた、出来てしまえば、あとは安価に没頭できるのでケチの楽園でもある。stay homeと叫ばれていますが、この非常時においても以前から非常時レベルの過ごし方で、それは明けても同じこと。


le 1er vendredi 金曜日
//明日から//陶芸三昧の5日間。去年は10連休でしたが行動の制約がない分、何かと動いていたこともあり、言うほど陶芸に専念できなかった。明日からの五日間は、陶工として生きる人たちの日常の疑似体験。彼らの平日五日間。

//女の腐ったの//これを俺が言うのか!!と言われそうですが。。。まあ、一種の同調圧力なのでしょう。つまり、美醜の判断や個人の好き嫌いに同調圧力が入り込むと、それが見えてしまうと「女の腐ったの」になってしまう。救いようがない。そういう根本的なものに対する判断を他人の目を気にしたり、今は判断できない、、、となると、生きている意味ないじゃん!!と言いたくなる。

ただ、これは裏を返すと、同調に与しない生き方が目の上のたん瘤なのでしょう。美醜ではなく、好き嫌いでもなく、そういう生き方が気に入らない。保守的な自分ではありますが、そこの意味に関しては、保守の敵に位置するのかも。保守的な価値観は好きです。美的なものに関して伝統的な価値は重要視されるべきだと考えています。ただ現代生活において、それを実践してしまうものだから、生き方が斬新というか新奇。だから、気に入らない。

これが下手くそなものなら笑いの対象で愛嬌で済まされるのかもしれません。


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