mars.2013



le 31 dimanche
//小さな盆に// 1kgの粘土を買って、まずは小さな急須に湯のみ二つ。豆皿も二つ。これが収まるお盆を一つ。  この2カ月ほど作陶の悦びが減衰して何を作ってよいやら。。。 でしたが、ようやく道を見つけれました。
さてと、そんな道を見つけたのですが4月は言うほど作陶に集中できない。
次の土曜日は、最後の一枚、18きっぷで甲府日帰りを考えています。
雨の予報が嬉しいです。
6:12の名古屋発で11:39着。
14:47の甲府発で20:18着。
今回同様、車中では読みものに特化して過ごします。
外の景色なんてどうでも良い。雨が時折激しく降る感じで甲府日帰りの電車旅。
どっぷり寂しい時間ですが、上質な時間です。


le 30 samedi
//良きに分類される記憶// いつぞの日記かに人生の質とは【良きに分類される記憶の多少の前後】で測られるのではと書きました。

本日したことと言えば、記憶に残る。それはオリジナリティ溢れ年末には良きに分類される一つになっているでしょう。

18きっぷ使っての電車旅なんてのは誰にでもある。
ただ僕は読みものに特化した長距離電車旅をしました。
朝一番の地下鉄に乗り名古屋駅。そこから上諏訪。
温泉で疲れを癒し、下諏訪でも5km程歩いてリフレッシュ。
あとはまた長い電車旅。

9日分の南信州新聞を缶詰車内で読みました。
これがですね、実に楽しかった。

来週の土曜も読みものに特化した電車旅をしましょう。
考えているのは、甲府。上諏訪の延長なんだけれど。
3時間ほど滞在できるので、それなりに充実した滞在でしょう。


le 29 vendredi
//党中央委員会// そもそも何に怒っているのか分からない北朝鮮の瀬戸際外交。
勇ましい事を、つまり無慈悲発言ばかりしていますが。。。僕が思うに、月末の党中央委員会で何やら重大事項を決議するらしいですが、それは地上核実験ではないのかと思う。
場所は、黄海上の北朝鮮の島。これでビビらせて実利を得るような狡猾な外交をしそうな気もします。  

戦争をしたら体制が瞬時にして崩壊する。
拠り所は核兵器ですが、これは恫喝の道具で戦争のためではない。
ところが地下核実験だと相変わらず「この世で羨むものはなし」と同系のハッタリと認識されがちで脅すには力不足。
核兵器の恐怖を視野的にアピールするため地上核実験をするような気がする。

このような場合、世界は話し合う相手ではないと無視を決め込めば良い。
まあ韓国世論は委縮して左傾化しそうですがね。既に大いにクレイジーな国だからどっちに転んでも良いわけでして。


le 28 jeudi
//特殊体操で//2-3日前から特殊体操をしていますが、なんか効果覿面なのですよ。
来月、スポーツサロンも退会しますので、丁度良い代替体操でもあります。

さてさて子供みたいなのですが週末の電車旅が楽しみでしょうがない。
始発の地下鉄に乗ることから始まる上諏訪までの日帰り。
名古屋駅に戻るのが20時前なので、少しは人恋しくなれるのかなって。期待しましょう。


le 27 mercredi
//バッグに何入れましょう// 週末の電車旅は読み者の時間の確保。
祖母の葬式があったりとドタバタしていたこともあり、日毎郵送される南信州新聞が溜まり出しました。  週末の電車旅は名古屋⇔上諏訪の日帰りですが、18きっぷで過ごす車内では南信州新聞のほか、何か一冊陶芸の本でも持って行きましょう。
こんな時間の過ごし方、初めてなので今から楽しみなのであります。


le 26 mardi
//何している!??// ここ数年は交友関係に広がりもなく、そもそも聞くと驚かれるかもしれませんが、10年ほど週末の95%は一人で過ごす。強いて言えば誰かと会うつもりがない。あえて会う理由がない。この壁を越えて誰かと会う理由こそ、きらきらと輝く内容。
人が嫌いではなく、さして理由もないのに誰かと会う感覚がないのだ。

でも、脳裏に浮かぶのは、今頃何しているのだろうと浮かんでは消える面々。

まあ、僕の詳細と言うか保守派の変遷は、この日記を見れば一目瞭然。
会って全然変わらない人もいれば、映画になるような波乱万丈な人もいるのでしょう。


le 25 lundi
//変な話を// 朝の地下鉄でうすら薄らと寝たり起きたり。二人見ました。幽霊を。
二人とも紫で輪郭もはっきり。最初は女でうつろな表情で座っている35前後の小太り。次は痩せた男で55くらいかな。ともに自ら命を絶った人なのだろうと。怖いとか恐ろしいとか、そんな気持ちは全然ありません。ただ思うことは一つ、禁断のメガネを持つようになってしまった、これからいろいろと見るであろうと。

芸の自殺率は高い。もう3人4人と。
悔やまれる以前に、現実なのです。もう2度と見ることのない人。
でも、どうして、そこに至る道を進んでしまったのかと不思議でならない。
思い悩んだ極みがそれなんでしょうが、その極みは、はたして巨大な山だったのかと思う。
悪い人ではなかった。これが悔しい。
悪事を働いてのうのうと生きている人もいると言うのに、心が優し過ぎたのでしょうか。

実際のところ、宇宙は見えない構造が圧倒的に占めるらしい。
虫の目では見え人の目では見えない光の性質みたいに、僕らは見えている世界を全てと思うかもしれませんが、ひょっとしたら見えない蔓のようなものがグルグルと世の中を巻いているのかもしれませんね。


le 24 dimanche
//いつかどこかへ//4/10までに。
下諏訪日帰りはなかなか味わい深いものがあるし、決定かな。
と、すると残り一枚でどこに向かおうか。
神戸良いかも。それとも京都かな。奈良にしようかな。


le 23 samedi
//いつかどこかを//4/10までに。
ちょっと落ち着いたら、電車でぶらり旅をしてみたい。一気に溜まった南信州新聞を完全読破するには、電車の長い旅。

日帰りだと、名古屋⇔下諏訪なんて良いかも。下諏訪に着いたら温泉と諏訪大社と和菓子屋さん。これで南信州新聞は読破できるはず。


le 22 vendredi
//本日、荼毘に付されました//mixi日記より転載。

先日、大正3年生まれの父方の祖母が98歳で他界しました。
葬儀も終わりまして所感日記です。

先日まで身内の葬儀は昭和63年が最後でして、それ以前には57年と60年。
僕は幸いにして身内の葬儀を今回を含めてまだ四回しか経験していません。

身内といっても狭いエリア。
我が両親は見合い結婚で同じ村の組み合わせ。
だから昭和の三大葬式は小さな村の昔ながらの習俗に基づいて
それは大差なく似たような儀式を僕は強烈に脳裏に焼き込んでいたのです。
つまり、葬式というものは【土葬】であるべきと。

先日の葬儀で、僕は、いやいや我が両親も火葬に困惑してしまいました。

遅くとも昭和63年までは三重県の一定地域では
土葬が行われていたということです。
僕の死生観というのは昭和三大葬式で土葬により土にかえり、
いづれ草木に転じる一連の流れが確立していたので、火葬にはなにか輪廻が断絶されたような違和感を覚えるのです。

その昭和三大葬式は、例えば金田一シリーズの犬神家の葬儀(土葬)みたいに、遺族は頭に三角形の和紙を鉢巻のように巻き白装束で、そして棺を神輿みたいに担ぎ土葬場所まで長い行列を作り運ぶもの。

この土葬には先祖の知恵がありまして、結局はお墓は二つあるのです。
一つは土葬場所。もう一つはお寺に石のお墓。
土葬が連綿と続けばいづれ土葬場所もなくなりますが、そこは考えたもので大きな川の砂地を土葬場所とする。ここに穴を掘り埋め、木の卒塔婆を建てる。100年か何十年に一度かの大洪水によって、リセット。
(もちろん、土地に余裕ある田舎なので集落によってはリセットされない土葬場所もありますが)


昭和の葬儀では、それは自宅で執り行われていました。
今から考えると田舎の日本家屋は、そのような非日常の一大式典も自宅でつつがなく行えるような間取りなんですね。

あの頃の葬式は、現代のような葬儀社の行き届いたサービスもなく
親族の女性は台所(土間)で労働奉仕。
ひたすら葬儀に集まる男性陣のために料理の支度をするのです。
今回の式後の会食で親戚が言うには、
昔は、葬式でしか大酒を飲む機会がないから
ここぞとばかり飲んでいたと。ところが今はノンアルコール。。。。

僕が40になる頃のHPの日記には、
保守的な自分にとって30代は、なんとか家族・親族の枠組みが維持できたけれど、どんなに願っても40代は変化を受け入れる時と書きました。
これからも、どんどん枠組みの変化が訪れるのでしょうね。


さてと、田舎ってのは、住む者ほぼ全てが同じ宗教の同じ宗派。
ウーマン家は父母も曹洞宗。
葬儀では村の老婦人が梅花流御詠歌を唱和しましたが、
このリズムが、やはり僕の脳内に生き残っていて、懐かしく聞きながらも
この30年ほどの間で、
もはや消え去ってしまった諸々の習俗を静かに思うのでした。





le 21 jeudi
//二日分// 休むにあたって処理することが二日分。仕事の負担から考えると半日休をたくさん取った方が効果的なような気もする。
祖母ですからね、動揺とかありませんが、これがいつの日か来る親だったら、どんな気持ちになるのだろうか。そして最後には一人になるのだが、これは芸の宿命。


le 20 mercredi
//いったん帰宅//祖母の葬儀はお彼岸の時期と高齢化の山村にあって順番待ちを余儀なくされる。21日通夜の22日告別式。
今日はいったん戻りましたが、若干の買い物の後、家でじっと過ごしていました。
今晩は早く寝るとします。


le 19 mardi
//祖母他界// 本日、18時過ぎ、
大正3年生まれの父方の祖母が他界しました。合掌。

父上が散歩する直前、緊急搬送されたとの電話を受け、直ちに三重県の田舎へ向かう準備。
病院に着いたら、ご遺体は御実家にお戻りになられました、と。
それから夜中の二時過ぎまで、親戚や坊さんが集まっては今後の日程など忙しなく話す。

祖母は20の時、峠一つ向こうの村から嫁いできました。旦那は46の時に先立たれる。
我が父上にとっては、母親に育てられたという思いがとても強く、母に対する強烈な思いは死に至るまで途切れることなく持ち続けており、それは遠く離れていても月に二回程度は顔を出す、真摯な態度にも表れていました。

死に顔を見て、父上は一人頭をうなだれ、
「今まですまなかった、、、、、ありがとう」など話していた姿を僕は忘れることはないでしょう。



母上には、祖母亡きあと父上の最大の理解者であってほしい。
父上にあらせられては、筋トレを努め足腰をもう一度強く、長生きされて
最も大切にする女性を我が母上として欲しい。



誰もが100のお祝いをすると準備していたほどお元気であった祖母。
死はあっけなく訪れるものなのですね。

【その時がきたら冥土の旅立ちに、これを着させて下さい 平成6年。。。。】
と桐の箱が出てきて、遥かに若い頃だったのに、そんな準備を人知れずしていたのだと。
お坊さんが、そんな箱が出てくるはずと探したのです。また寺の老僧と生前、戒名も決めていたと。田舎の葬式は、その密度濃き内容に驚かされます。

今後の打ち合わせを坊さんとする。99ですからね、皆、笑いながら昔話などするものの、父の顔はやはりそれには付いていけませんでした。


父上の深き悲しみを同程度に理解することは無理でしょう。
ただ母をなくした父の悲しみを僕は深く全て受け入れ尊重したいと思うのです。

40になった時の日記に、家族・親族の枠組みが変わる10年間になるだろうと書きましたが、41になるまえに、喪服を取り出すとは。

改めて、衷心より哀悼の誠を捧げます。合掌。



le 18 lundi
//たぶん//人生とは、何を選択したにせよ一定程度何かには後悔すると思う。そう考えると、まあ、良いんじゃないって思えてしまう。

小さな喜び。小さな充足感。小さな達成感。大それた夢への距離感にモヤモヤするのではなく、足元の小さなアレコレを慈しみ生きてきたい。


le 17 dimanche
//良い日曜日です//
毎年行く、川売の梅。今年は初めて両親も招待。ムクちゃんもね。

朝早い出発で帰宅は正午。そのあとは家でゴロゴロ。作陶もせず、抹茶を何服か点て地方紙を読む。昼寝もする。岐阜ラジオも聞く。良い日曜日です。

春。いろんなイベントが山菜のように出てきます。多治見陶器まつりとかね。
18切符でどこかに行かなきゃならないし。


le 16 samedi
//タイヤ一つで//こうも変わるものなのですね。ウーマン号、三代目のタイヤ交換。
初回は、言うまでもなく付いていたタイヤ。ミシュランの静粛性を重視したタイヤ。二代目は車検の時に勝手に変えられたミシュランのスポーツタイプのタイヤ。あの頃は南信州の山道を毎週縫うようにドライブしていたので、驚きのにグリップ力でコーナリングを楽しんでいたものでしたが、いかんせん生来のケチ症が、その燃費の悪さに注目で、車内燃費メーターを都度見ては気を揉んでいました。それは今日の午前中も同じこと。

さっぱり冴えない作陶を終え、スタンドで給油。6月の車検ではまた勝手に変えられそうなので先手打ちました。タイヤ大商談会だったし。。。さらに言いくるめて6000円も値引きさせましたよ。全て込み込みで83000円。

突然訪れた待ち時間に、日進の小高い山など4-5kmエレガント・ウォーキング。

新しいタイヤで、とにかく驚く。
その軽やかな走りは新車のよう。

ただし、前のタイヤと違って接地面が少ないので燃費は良くなりますが
アクセルを踏んだ時の伝導性がやはり劣る。コーナリングも劣るし制動距離も劣る。
ただ、若干の違和感と注意力を持てば、通常は燃費の良さとして還元されますので
僕にとっては利になるタイヤなのです。

そういえば、まさか今、読んでいるとは思えないけれど
「近所のルノー氏」 彼は車好きで、タイヤはミシュランでなければならないと、とかく説いていたものです。彼がこの日記を読んでいたとするなら嬉しいし、まだこの車、のっているよとも伝えたい。


le 15 vendredi
//満たされる// ふと気がつくと、満たされることに遠ざかっている自分がいます。
その節制生活を何かと理由をつけて美化しているのですが、やはり心の奥底ではパーーーといろいろとやりたいわけです。

ただ僕には思うところがありまして節制生活に突入。僕は人以上に40の衝撃が大きかったようで、人生の浮いた浮かれたアレコレは40には持ちこさないと。40は老いの予行演習だと思っているくらい。(白髪染めもきれいさっぱり辞めました)

南信州新聞の購読はまさに老いのテキスト。これは素晴らしい選択をしたと思っています。

見渡すと、今だから出来ることだと体力のある限り若者のように動き回ることを選ぶ人もいますが、たぶん世の中の多数派はそうだと思うのですが、僕の場合、今だからこそ老いを想定した節制生活への慣れを先取りして実践。

なににそんなに恐れを抱いているのかと言われそうですが、僕の老いは、まあ芸の老いは程度の差はあれ大孤独との付き合い方。孤独スペシャリストの僕でさえ、老いの大孤独には構えてしまうところもある。よほど寂しさを紛らわす健全な趣味や選択を正しい精神状況において我がものとする。

老いはショックであると思う。認めずして崖から落とされる衝撃より、先に認めて徐々に慣れる。これが僕の選んだ道。若くあろうとは思っていない。老いてもなお自立できる体力を得ようと思う。


le 14 jeudi
//マダム宝// 毎晩、抹茶を点てています。2-3服していますのでオめめパッチり。
10日の日記にある器で楽しんでいますが、これが使えば使うほど良い器と実感。
最低でも重要マダム財。マダム宝も視野に入っています。
近々、名碗の誉れ展に展示しなくては。


le 13 mercredi
//なにしてる!?// (jack’d)豆の木は良く眺めるのだが、では何を思って眺めているかと言えば、郊外の大団地の窓にそれぞれの生活があるように、小さな枠の中にはそれぞれの生活があるのだと。この人たちは確かに今、生きており、実際、何をしているのだろうかって、不思議に思ったりします。
所詮、あの程度の情報量なのでその人を知るには氷山の一角なのですが、そのぶん自由に想像させてもらっています。


さてとさてとスポーツサロンは来月の頭に退会します。
それに代わる運動は日々の生活の工夫でもって無理なく自然に取り入れましょう。
仕事の行き帰り、途中下車して歩いたり。東山線本山で下車して鶴舞線八事で再び乗るみたいな。


le 12 mardi
//カタンコトンカタンコトン//電車に揺られて遠く旅をする。
特段、その欲求は無かったのですが、18切符を眺めていると、もう果てしなくそうしていたい気持ちになるのだから不思議です。

本を二冊と南信州新聞を数日分。
揺られながら、どこか遠くを旅したい。
それは3/23-24になるのです。と、確定するのは20の春分の日に終日陶芸なので、その次の週末を空けても半月ブランクは回避できるので。


【自己愛性人格障害】

判断基準
以下の5つ以上の項目に該当すること(DSM-Ⅳ-TR 精神疾患の分類と診断の手引きより)

1. 自己の重要性に関する誇大な感覚。
2. 限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。
3. 自分が"特別"であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人たちにしか理解されない。
  または関係があるべきだ、と信じている。
4. 過剰な賞賛を求める。
5. 特権意識。つまり特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由無く期待する。
6. 対人関係で相手を不当に利用する、つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。
7. 共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない。またはそれに気づこうとしない。
8. しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。 
9. 尊大で傲慢な行動、または態度。



le 11 lundi
//これに// ちょっとしたお菓子を添えてホワイトデーのお返しにします。


さてと、16日は終日作陶。17日は座禅後の作陶。20日も終日作陶。
23-24は旅に出ようかと考えています。
18きっぷ二枚で、ほとんど電車に揺られる旅になりますが、
車中、南信州新聞を読むなりして時の過ぎゆくままを楽しみましょう。

あれから二年が経過しました。
気がついたらその時が30分ほど過ぎていましたが、東北を向いて一人黙とうしました。
生活の全てが瞬時にして流され家族の枠組みが変わってしまった人たち。
この間、僕は陶芸陶芸と進歩を喜び表明もしていましたが、心のどこかで、やはり他人事のように思ってしまう自分がいるのだ。未曾有の大震災なのに。
生活費の再設計など只今取り組んでいるところですが、改めて義援金の捻出もどこかで図りたいと考えます。


le10 dimanche
//明日は// どこかでNHKラジオを聞きながら黙祷するとします。去年は作陶の手を止めて外に出て東北の方角を向き、黙祷。一年前、巨大な地震と、間もなく襲ってくるだろう巨大津波を思うと、去ってしまったことにせよ涙が止まらなかったのを覚えています。

この先、10年後も20年後も春の追悼は日本人に課せられるでしょう。
思えば、小中学校の頃、防災への戒めは関東大震災の惨劇によるものでした。それから阪神大震災に東日本大震災。未曾有の悲劇と言うものは人の一生で1-2回関わってしまうのが災害の多い日本の宿命なのでしょうか。



土曜日、完成品を持ちかえる。今回は良品がゴロゴロ。
特に下段は御深井の面持ちが。御深井釉は無いからラッキーー。

大震災が起きた年の最初の週末は不謹慎と思いつつも、先方も通常の営業活動をしているわけだから行くことも意味があるとして作陶していた。お客は少なかった。
一年目のその日は週末で、館内放送で黙祷をしましょうと呼びかけがあり、僕は作陶室から出て人のいないところで東北を向いて黙祷していましたが、では作陶室はどうだったかと言うと、何事もなくその時を過ごしたとのこと。明日は仕事中。朝から頑張って、心新たにその時間を設けましょう。


le 9 samedi
//白い空// 天気予報で、本日は曇りであると言われれば納得なのに、晴れなのに空が白い。中国から天然と天然でないごちゃ混ぜの、とにかく体に悪い物質の大量飛来なのです。

どうしたのでしょうか。作陶が未だ本調子になれず。

今月から梅雨入りまでの間、いろいろなイベントが開催される。
僕にとっては瀬戸や多治見の陶磁器関連のイベントなど、顔を出したい内容もチラリ&ホラリ。
だから作陶できる日は、それを大切に失敗なく過ごしたいものですが、いかんいかん。


どんなに白人願望の強い黒人であっても、祈りだけで肌が白くなるわけではない。
これが宿命と言うものなのか。

たまに、不意に、不本意に「しょぼ~~~ん」とする一瞬があります。
それに至る根本と言うか、そんなものに恨めしく思うこともあるのですが、やはり、どうにもならないというか、つまりですよ、ある事柄を成し遂げられたらと言う願望は、根本によって生涯達成されることなく老いていくのだろうと、それが宿命なのだと。
それを考えると、「しょぼ~~~ん」となってしまうのですが、上記、ある事柄ってのが悲劇的なほど僕にとっては非現実的であり、宇宙旅行のような感覚。だから、それに至る道程と言うか、そうあることによる利益とか全く想像できない。想像できないので、ある事柄は願望でありつつも現実的にいえば理解不能な恐怖そのもの。


le 8 vendredi
//靴下こそ//100円ショップで買うべきかと。なんとなんと!飲み会があると言うのに靴下には小さな穴があると気がついて、始まるまでの短い時間に大移動。急場をしのぐつもりで買った100円の靴下が、アラ、丈夫な造りじゃない!!って指先の感覚からして感動を覚える。

そもそも靴下は穴があいたら用済みになってしまうので、安いもので良いと考えるのですが、これが1000円で2-3足なのに昔から強烈な不満。100円なら10足だよ。10足あれば当分は問題なし。

その飲み会。円安の影響か供される食の質も量もいかがなものかと。


le 7 jeudi
//そうなのよ!!// 賃金が上がっても物価も上がってしまえば同じこと。仮に、この二つが達成されたら間違いなく消費増税を選択するので、増税後は可処分所得が減るはずです。
問題は、国民の相当部分において物価上昇率に賃金の増加が全く追いつかない現象が顕在化するでしょう。つまり消費増税以前に可処分所得が円安による価格高騰によって減少するのです。

10000円あっても、今後、以前の感覚で言うと8000円程度の買い物しかできなくなるかもしれません。12000円あって、ようやく以前の10000円の買い物が出来るのです。
ところが、今まで続いたデフレと超円高では、10000円を12000円なみの買い物ができる魔法の仕組みに変えてくれた。
要は、円高による国内産業の疲弊で、以前は支給できた日給10000円が8000円に減額されてしまう現象に問題があったわけでして。ところが、足腰の強靭な会社に勤めていたとすると、引き続き10000円な訳です。そんな彼らにとってはデフレ・超円高は大歓迎。


足元を見ましょう。僕は昨日の日記にも書きましたがスポーツ・サロンを辞めます。
考えれば考えるほど頭良い!!!と思えてしまう。
そもそもサロンに白羽の矢が立ったのは、その利用回数の少なさ。少ないが故効果も乏しく、それなら日々の生活の工夫で、その程度の脂肪は燃焼できると思うのです。

この節約分は、一月分の物価上昇分に当てて余りある数字。
多くの国民は、物価の上昇を嘆き、そんな街頭インタビューをニュースで見たりもするでしょう。
ところが僕はと言えば、買い物に何ら不自由しないわけです。おまけに後日ついてまわる賃金の上昇は物価の上昇にあてがわれることなく、そのまま可処分所得の増大になるわけでして、なんとまあ、この試練・変化を上手い具合に転じたことかと感心する次第。

毎月の支出に物価が20%上昇したらと考えて、その増加分の節約は今から見つけるべきなのです。これさえ見つけたら当面の危機は回避できます。無問題。
最も戒めるべきは、対策が後手になり、価格上昇に慣れてしまい問題意識が無くなってしまうこと。それは貯蓄の伸びを抑える効果しかありません。
物価が上がっても以前と同じ生活を涼しい顔して実践するためには、
今現在の支出を分析して、その20%を最も不必要な箇所から恒常的に削除するのです。

もはや物価は上がり始めているので、これに慣れる以前の見直しは急務ですぞよ。


le 6 mercredi
//サロンを一つ//辞めようかと。スポーツ・サロン。
そもそも行くにしぶしぶ重い腰。行く回数も月に5-6回。それなら地下鉄二駅分を毎日歩くとか、そちらの方が効果はあると思うし。
それと、生活の無駄な支出を改めている最中なのですが、やはり月謝に対する利用率の低さは仕分けの対象に登りますわ。。。。

これで浮いた金額は、今後予想される諸々の物価の上昇に消えるはずですが、それはそれで重い意味がある。何の対策もなしに賃金の上昇のみに期待をするのなら、それは変化を上手く利用できていない。まずは生活の無駄を排し、その金額を上昇分に当て、後日来るであろう賃金の上昇分に関しては、全くの私の自由。

もちろん、スポーツ・サロンに行かない自分への戒めは厳しく、体調の管理は今以上にせねば。


le 5 mardi
//難易度の高い課題// 好き勝手にしていて、とうとう最後通牒。カリフォルニアの三振即アウト法ではありませんが、残されたのは残り一コマ。次にルールを守れなかったら無慈悲にアウト。
そもそも最初から好き勝手にせずルールを守っていれば、こんな首の皮一枚にはならなかったのである。後がないという今の心境は、(間一髪の救済というより)アウト以前に既にある種の制裁が発動されている感覚なのでしょう。彼の思う「好き勝手」が許されない、一日と言うのは、つまり規範を守ると言う生き方は、放逐するよりも困難な課業なのだろうと、思ってしまう。

多くの人と出会うと、生来の規範意識の無さを携える人物は確かに存在する。
彼らは、人がためらう突破的な生き方で、時に大胆な成果を手中に収めたりもしますが、人生の好調期を過ぎてしまうと、たいてい人が驚く速さで没落を迎える。


le 4 lundi
//抗体反応// pm2.5なのか花粉なのか。何かを異物と認識し抗体反応が。
痰は、生来の肺の機能の弱さも手伝って弁の中に入り込み、咽る。
ゼーゼー咳をして客痰するわけだが、これを過度にすると肺は炎症を起こす。


仕事を馬鹿にする人は、仕事を必要とするとき、その仕事によって始末されると僕は認識している。今、会社を辞めるわけにはいかない!!!としがみつきたい時に平素の不品行を理由に引導を渡される。
その逆に平素、仕事に真面目な人は、人生の躓きや不調和も、その仕事によって救われる。
アナタの真面目さは知っていますよ。引き続き頑張って!!と。

どう転ぶかは全くの自由だし、立ち直りの機会も自由で長くあった。それを使い果たしたということか。


le 3 dimanche
//陰陽の変わり目// いかんいかん。ここ数日、心身ともにバランスが崩れて何かと不調。前にも書いたけれど、もはや冬の厳しさを必要ないとして体は春モードに移行しているのでしょうが、なにかと不調和がありまして、それら諸現象は生活の節々に良くない傾向として現れてくる。

今一度、呼吸を整えて心静かに見つめなおす時間を持ちましょう。今晩にでも。

そうそう、今日は伊賀上野に行って参りました。酒蔵まつり。去年、あまりの美味しさに感動した絞りたて原酒に今年はその感動もなく、そこにハンバーガーとは違う自然相手の手造りを覚えるのでした。。。。


人の歯車を狂わせる、小さな精神の石。
人は、何かしらのかかわりを、まるで時計の歯車のように各方面と噛み合わさって生活している。そんな人のリズムを狂わすことは簡単である。彼の歯車に小さな精神の石を置けばよいのだとは、もう7-8年前の日記に書いた記憶があります。
有体に言えば、納めることをしないで指摘し続けたり、嫌味を言ったり、時に恫喝したり。
おそらく、そんな言動を受けた側はたいてい調子を狂わすでしょう。一日中イライラやそのシーンが頭に浮かんだりと。  それは、あまりに効果覿面なので、実にお粗末ですが、そんな手段を平気で用いる人は意外と多くいる。

強迫神経症。心に思った事柄を、全て言うのは処世術としても人のマナーからしてもあってはならない。人は瞬時に思う否定的な他者への事柄を大半濾過して上手く回しているのだが、
時に、強迫神経症の持ち主は、思い立った以上、言わずに心が収まらないと、言い放ってしまう。

些細な出来事を納めず論破していこうとする人の姿は、あまりに奇異で記憶に残る。
彼らは、そこに気付かない。
強迫神経症の人に多くみられるのは、他者を馬鹿にする態度。
それは、自分を理解しない現実の、別なる表現。
自分を理解しないのは、周囲が馬鹿で劣っているのだと。

彼は、小さな争いごとに勝ち続けているのですが、
その姿は実に奇異で人の心に残る。
だから、彼は、大きな競争で負け続けるのである。馬鹿だと思い放つ相手こそ、認めたくない現実の意味ある勝者。


人の歯車を狂わせようとしても、怒らない人ってのは、たぶん、その者にとっては
ある種、不気味なものを感じるでしょう。
怒らない人が、怒ってばかりの人を追い詰める構図は、あると思うのです。

殴られたからと殴り返すのではなく、理性的に対応するだけで、道は自ずと開ける。
そういう意味で、正義は今の世にも燦然と輝く。
世の中は、やはり理性と正義・法理と規範で動いているのだから。
彼らは目立つだけで勝者としての存在感ではない。
理性的に心穏やかにして荒くれ者を成敗するのです。


le 2 samedi
//全くもってダメ// 半月ぶりのロクロ。全くダメでした。半月ぶりの悦びをもって行ったのに、これはどういうことでしょう。こういう現象はたまにある。もちろん、その逆もしかりで平均すれば「まあまあ」なとこらへんをうろうろ何でしょうが、休むべき日が分かっているのなら、他のことに専念したかったという悔しさは、あとからふつふつと湧いてくるのです。

寒の戻りの土曜日だけれど、作陶の最中、雪が舞っていたのには驚きましたよ。最初はなにか焚火でもしていて灰が舞って来たのかと。だって昨日一昨日は春でしたからね。


たまに死ぬことを考える。
と、いうと何を言う!!!になりますが、まあまあお聞きアレ。
死ぬにあたってのスタイルと言うか、どういう老化ののちに死ぬのかという、それは身体能力や住環境、誰が近くにいるのか、いないのか。。。

不思議ですよね。死んだら意識はないのだから関係ないのに、どんなに迷惑をかけず一人で生きていくと誓っても、即日の死体処理だけは願ってしまうのです。

現代日本では無理ですが、江戸時代なら、例えば相当においた後、死をも認識して、一人山奥で草庵を建て生活をする。いづれ死ぬだろう。死体は獣に食われるか白骨化するだろうし、草案は朽ち果てる。
これは僕の理想とする死への生活です。もちろん一人ですよ。(僕のする妄想は、世界旅行であってもいつも一人)

そんな理想の死生活を夢想する時間があるのなら、現代日本的な死生活を考えべきですが、こちらはちっとも楽しくないし今一ピンボケ。

と、いうのは何かの漢詩で、40かどこかの年齢を過ぎて、妻も子も捨て、一人山奥に草庵を建て酒とともに自然を愛で詩作に耽る。そんな内容に接した時の理想感は今でも僕に訴えかけるのですよ。

個人的には火葬は嫌なんです。人間は土に帰って草木の命になるのが当然だと思うのですよ。遺書に、土葬してくれなんて書いたら、読んだ方も困るはずだけれど、これは僕の心からの願いなんです。


le 1er vendredi
//今月のどこかで// 川売の梅の花。これは全国の梅祭で言えることですが、梅の花ざかりの梅祭で売り出される梅干し初め各種梅加工品は去年の梅なのね。当たり前ですが、採りたてではないのです。

そうそう、最近、スポーツサロンで何しているかと言えばストレッチ。
とにかく僕の体の硬さは将来、重大な身体事故を引き起こすと思うのです。
この体の硬さを実感したのは去年から始めた座禅。その座禅を始めた理由が厄払いなので、なんか物事ってのは通じているものなのですね。


 
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