令和4年3月mars.2022


le 31 jeudi 木曜日
//一年経ちました//去年の今日、3月31日は25年働いていた職場を退職した日。あれから一年経過したわけです。この一年は夢によく出てきました、先日も某氏。来年の今日は、何を書いているのでしょうか。

兎に角、私は私の道を一生懸命に。怠惰を選んだ瞬間、私は廃人も同様になる。
 人がする努力、もっと言うなら人生に存在する自分の時間を何に費やすか。私は50を前に自分に正直になったのですが、それは組織体の保護下でもなく、雨が降っても濡れるのも傘をさすのも自分次第。だから、尚の事、怠惰を選んだ瞬間、私は病人になり廃人になる。

今後、組織のために働くのではない、その労働の哲学は確固たるものを持たねばならない。陶芸が好きだからではなく、陶芸を生業とした自分が育て上げていくもの。

陶芸を手段として利益を得る。その利益で何をするのか。私利私欲なら神の加護もないであろう。利益率に拘り、より多くの利益を生みだした果実で、私は何をするのか。資本主義は高い倫理性が求められるとは言いますが、これぞ核心だと思う。より良き生産性と利益率。これを追及する根底に高い倫理性をもつ。生産する喜び、販売する喜び。この喜びを得られることに感謝して、その感謝の永続を切に願う者のあるべき行い。それは自分自身のためであってはならないのだと。誰かのために私は働く。そのその誰かを自分で見出す。明日からの三日間。近くのお寺さんで初めての販売です。この場に立てれることは感謝以外の何物でもない。


le 30 mercredi 水曜日
//歩留まり//釉薬や焼成の問題を細かく記入して以来、以前では奇跡の焼き上がりと喜んでいた輝きが安定的に焼けるようになりました。ただ、細かく分析して分かったのは、窯の最上段と最下段の温度差が避けられず、どちらかを選べば片方は失うことも分かりました。

四月からの出店の準備に今日も朝から忙しくしていました。自分のこととなると、こうも動けるものですね。

忙しく動いている分には何も考えないので良いのですが、今日も終わってみると、こんな時間の過ごし方は奨励されるものではないと。生産性を上げて余暇の時間を確保するか、、利益率を上げて労働密度の低下も吸収できるようにするか。

まあ、それは値札付けたものが売れてのことですが。シール貼るだけでは意味がない。その時点では労働の結果はゼロ円のまま。


le 29 mardi 火曜日
//豊川 西尾//西尾は小さな城下町。桜も満開に近く、なかなか素敵な散歩になりました。小一時間ですが、久しぶりに歩いた感じが足に来る。

さて、新工房では電動ろくろの購入は後回しになりそうです。手回し轆轤と、蹴ロクロ。そう、蹴ロクロで足の筋肉量を確保したいのと、手と足の複雑な動きで認知症の予防も期待しています。

父の老いを見ていると、足の筋肉量の低下が寝たきりの入り口とか生活の質の低下に確実につながると確信しました。ただ歩かない生活で、意味もなく歩くことを課すのは長続きしません。私の場合は造形に必然的な、そう、蹴ロクロに頼る造形。

明日は明日で忙しい。窯出しは午後からなので、それまでにすることと、午後からは施釉窯詰。


le 28 lundi 月曜日
//自分の事となると//昼過ぎまで瀬戸に居て、帰宅後から大変。14時から20:30までほぼ休みなしで施釉。そして何とか第二回目の本焼きに繋げる。

明日は、何もできないので豊川に行こうかと思っています。


le 27 dimanche 日曜日
//三回目とはならず//春の嵐も過ぎましたが、お練り祭りに行くことはありませんでした。4/1の準備に重きを置いたからです。

//富とは、価値とは//今日は考えながら値札を付けていました。そうしたら、もっと考えてしまった。
仮に100個を売り出すつもりだとして、その全てを0円と表示した瞬間、全てが人の手に渡ったとしても、全く富が生まれない。もう手元にないのに、何も生みださなかった。100個集めても価値はゼロ円なのに喜ばれて人の手に渡ったとしても、産みだされるものは何もなく、富も無し。0円。

 次に、一個を10000円として100個貼ったとしたら、手元にあるのは100万円の価値があるはずですが、それは全てが完売した時のことで、10000円があり得ないと見向きもされなかったら、自分が想定する最大限の価値は100万だとしても、産みだされる富は0円のまま。

そう考えると、とにかく人が貨幣との交換で引き取ってくれた時、始めて富が産みだされる。

そうなのだ。私は窯から焼き上がったとき、せいぜい生まれたのは美であって、どんなに美しくても人が貨幣との交換で近寄ってこない限り、そこから価値も富も生まれない。

商売は、どんなに努力しても人様あってのことなのね。


le 26 samedi 土曜日
//三回目は見合わせ//本日は、飯田お練り祭りのライブをずっと見ながら生活していました。
明日は晴れですが、計算が成り立たないので、家にいます。三回目のお練り祭りは叶いません。

明日は早くに起きて太陽光を利用して強制乾燥。昼前に素焼。それから前回焼き上げた器にシール貼りとか、不足の資材は購入とか。

今後の予定ですが、素焼の取り出しが28日の午後。28日中に、第一回目の本焼き。その取り出しが31日朝。間髪入れず二回目の本焼き。この取り出しは4/2の午後。

4/1-2-3と初出店なのです。


le 25 vendredi 金曜日
//差し上げる//庭は春の花盛り。一輪挿しをずらっと並べて、お花を挿して写真を撮っていたら、向かいのおばさんが出てきて興味深そうに。一通り説明して一つ差し上げたら、とても喜んでくれました。   

それにしても、朝から晩まで作り通し。
どうだろう。手が慣れたらスピードもアップして、一日で60個くらいかな。
一日、60個作り、歩留まりを50個とする。とりあえずの目標は、中サイズで一個2500円で売れるようなレベルに。

問題は、仮に売れたとしても、売り切る手段。これが全くの手探りですが、何事も一歩一歩進むことから始まる。

さて、生活に余裕を持たせるために私は何をするべきか。それは、一個を4000円とか5000円にしても売れる作品。そのための技量の向上。と、同時に歩留まりの向上も。そして売り切ることですが、それは5000円だとしても、お得と思われるほどの技量の向上。


le 24 jeudi 木曜日
//病み上がり//副反応からの回。咳や痰は出ませんでしたが、とにかく節々が痛いのと悪寒が酷くて。  それでも何とか治りまして、自宅で様子見ながらの作陶です。

昨日の入選のことですが、4/16から瀬戸市美術館で展示とのこと。
本日も、好きな町のラジオ聞きながら作陶です。さて、明日からの三日間は飯田で七年に一度のお練り祭り。土曜は雨なので、明日か日曜ですが、明日は作陶の続きをしたい。


le 23 mercredi 水曜日
//甘くみていた//三回目は初モデルナ。本日、噂された副反応が来ました。もう、みすみすインフルエンザに感染するようなもので、大変大変。ずっと寝てばかりいますが、これはこれで苦行です。

//入選//瀬戸で三年に一度の陶芸展、藤四郎トリエンナーレに参加したのですが、入選していました。入賞とはいきませんでしたが、自分の作品が美術館で展示されるのは、今から楽しみです。


le 22 mardi 火曜日
//転換点二つ// ①とうとうその日が来ました。62738kmで初めてのセグ欠け。

② お隣の敷地を測量していました。老夫婦共に他界されて、暫く空き家でありましたが、一度更地にして分筆し、我が家に迫りくる形で新築が二軒とか、、、、、
つまり、我が家での陶芸は、事実上、無理になるかと。

三重県の新工房では週に4日。名古屋では3日、作陶して、名古屋の三日では両親の世話をする考えでした。いつの日か、それも無理になると思っていましたが、スタートする以前に無理になりそうです。

でも、名古屋に三日は両親のこともあり避けることはできません。この三日を生産的なものにするため、名古屋にも工房を維持する予定でしたが、根本から見直しです。

では、名古屋の三日はどうすれば良いかと。これが最大の課題。生産性があり価値ある時間でなくてはならない。 上絵とか赤絵とかも考えていましたが、価値ある三日の、名古屋でできる新しい陶芸の形を最優先で創出します。

とにかく作陶と焼成は三重県に集約です。名古屋での作業は移動において破損の無い、その枠内で価値あるものを。


le 21 lundi 月曜日
//公園から聞こえる//今日も一日作陶。青空の中、近くの公園からスポーツの試合に興じる子供たちの声が風と共に流れ着いてきます。本日は昼と夜の時間が同等。そして明日からは昼が長くなります。

四月に初めてフリマみたいなものに出店します。近くのお寺さんの花まつりに。初めてのことをシュミレーションするのは楽しいのですが、ウクライナでは、今も祖国防衛戦争が熾烈を極めている。
時間を何に費やすかが人生の質を左右すると思いますが、私は自分の決めた道を進めるのに、ウクライナの国民は、ある日突然家を捨て避難したり、ロシア軍と戦う兵士となる。突然現れた侵略者に対する対応で、生活はもちろん夢や希望も破壊された。かの地にも芸術家は多いだろうが、国あっての芸術であろうし、今は一切を手放してライフルを持っているのだと思うと、平和に生きるれる特権のある者には、するべき事があるのだと痛感する。


le 20 dimanche 日曜日
//買いだめ中//四月から値上げするかもしれないと、勝手に読んで設備投資の先行作業。と、いっても手回し轆轤を5台とかヒートガンとか、絶対的に必要なものを買いだめ。

//ふと思った//今は、レールの上にいる。そのレールを一生懸命進むかどうかの日々で、迷いや迷子も関係ない。設定された道を進むだけ。でも、来年の今頃は、レールは自分が敷くもの。毎日、その時間が来れば多くの仲間に会えるという環境も、昔のことだ。

でも、それは私が渇望していた時間の有り様だと思う。今年で50歳ですが、誰かと付き合うこともなく、一人の時間をかき集めるがごとく、少しでも多く確保したいという生き方。ようやく、孤独を専業とした人生になります。

春になると思う。我が両親が、桜を見るのは、あと何回であろうかと。では、私が無限にあるかというと、奇跡的に長く見積もっても50回。20回かもしれないし30回、10回であるかもしれない。私の人生も、残りが多い訳ではないのだ。いや、とても少ないと焦るくらいで良いだろう。この道を20年前に選択するわけでもなく、50歳にしてようやく。

一瞬一瞬を、季節の移ろいを、その美を全身で受け止めて、残り僅かな、この時期にある自然の喜びを、漏らすことなく味わい尽くす。花には、若葉には、最も美しい瞬間がある。私が轆轤を曳く時も、新緑の輝きのように、この粘土にある最高の美を創出させてあげたい。


le 19 samedi 土曜日
//稼ぐということは//その先に、その利益でもって誰かを支えたり助けてあげる継続的な仕組みの基礎となるものなのだ。  その先を私欲に凝り固まるとしたら、ある臨界点までは最大限の利益を得るのだろうが、そのような仕組みは神も仏も望んでいないので、災厄は近づき来るべき時に崩壊するのだろう。

上記のように考えれば、利益率や生産性の向上などを考える行為は、とても喜ばしいことである。最大限の利益を生み出すことは奨励されるべきであり賛辞の対象でもある。肝心要は、その利益を喜捨できる心。

//喜捨//では誰構わず施せばよいかというと、そうでもない。世の中を見つめて、どこが困っているのか。困っている根本はどこか。どこを手直ししたら、より多くが救われるか。喜捨の最大効率。そういう困窮の社会問題の仕組みを解明する目も養って、喜捨するべき対象を見出す。その能力も大切なのであろう。それは最大限の利益を見出す行為にも通じていると思う。

時に賞賛される資本家がいる。人徳者とも言われる大資本家がいる。金持ち=欲深の悪者、ではなく顕彰碑が残されるほどの彼ら。 稼ぐことも人助けも真剣であったのだろう。

誰彼となく【居てほしい】と願われる人間であるために。


le 18 vendredi 金曜日
//大地震に戦争//なのに私は今日もまた無事に過ごせました。思うのです。人の一生が何の災禍なく、それで尽きるというのは、まずもってあり得ないと。

でも、無事平穏な日々は人の願い。私は思うのだ。その様な神の加護を得たいのなら、日々、人のために何かを尽くす存在であるべきだと。この人の存在が人を救うと神様が認めてくれるのなら、その人の生活は継続されるよう諸々の加護があると。
 私は、今、自分の事のみに専念している。それは今の自分には大切であっても、災厄に近づいた生き方なのだろう。私の選んだ生き方が、それが誰かの救いになるのなら、その時初めて災厄からの加護があると思っている。


le 17 jeudi 木曜日
//予言していた//2019年の三月の21日の日記。  この時既に人生の道を変えるべき日の到来を予見していた。

どんなに怯えたり不安であっても、極度の緊張さえも、腹の底からドスンとくる感覚。稀に、このような覚悟が来たりします。そうすると、突き進め!!!!と心の声がして、今まであった不安とかが不思議と消え去ります。

あれだけ生活の変化を恐れていたのに、守るのも、これが限界だと思った時、全くしていなかったアレコレに迷いなく突き進む、これが私の生き方なのだ。


le 16 mercredi 水曜日
//二年前//去年の今頃はあと半月で退職云々という内容ばかり。そらにもう一年昔の日記を読めば、マスクしていない人たちへの憤り。コロナの惨禍は、この年にはすでに。

明日は窯出し。ちらっと見たけれど、新しい試みは失敗していました。

さて、新工房ですが、内容が右往左往ですが、それとは別に考えているのが、太陽光発電。
陶芸で、一番の支出は電気代。これを太陽光発電で吸収する。売電ではなく自家消費。そういう陶芸家はいないのかな?と調べてはいるものの、なかなか出会えません。

おそらく設置費用が高額過ぎて回収できないのでしょう。ここに私の変な性格があって、精査すれば損なのだが、それとこれとは別と考え、設置以降の損得勘定を有利にしたいのです。設置までは大人の道楽。だから費用は考慮せずと。


le 15 mardi 火曜日
//頑張る意味合い//ウクライナにいるロシア兵。彼らは、今や国際社会の敵であるし、ウクライナ人からすれば侵略者。生活を破壊した憎悪の対象。
ところが、最前線の彼らの士気は低いと言います。その戦争に大義が無いし、そもそも戦地に行くとは聞いていなかったらしい。

それでも若きロシア兵は最前線で生きるか死ぬかの毎日。

人間性に大いなる疑義のある指導者のために、しかたなく勤めているロシア兵の「命」って何なのだろうと思う。彼らは明日死ぬのかもしれないけれど、そう仕向けた指導者は、世界中の人から死んでほしいと願われるような下劣な指導者。

人生は短い。ましてや若き日々は短い。下らない人間と付き合って時間を無駄にするなんて。ましてや、それで人生が狂ったり死んだりするなんて。

何かに頑張るのなら、頑張った結果、素晴らしい方向に進むべきであって、意図しないことに、ましてや大義も見いだせず付き従うなんてのは、後日の後悔になるのでしょう。
 そう考えると、人の上に立つ者は、よほどの人格者でない限り、他人がその人のために人生を捧げることはないと思う。ロシアがシリア兵を雇うのは、ロシア人がプーチンを見限っているからでしょう。身内だからこそ、その下劣さを知っており、知った以上、その人のために命なんて捧げられるかと。


le 14 lundi 月曜日
//6日目にして初//6連休でしたが、最終日に初めて休みました。本日は、朝から素焼き窯を点火して、それから多治見に行き、色々と購入。帰宅するか迷いましたが、馬籠にドライブ。残雪の恵那山がとてもきれいでした。あの大作を4回ほど読破したこともあり、40年ぶりの馬籠でしたが、夜明け前の集落の記述を思い出しては、本陣と寺の間の小川は、コレ!!!!!なのね!!!!と。確かに、この辺りからは伊吹山も見えるのか、などなど。一人、脳内で問答しながら散策しました。


le 13 dimanche 日曜日
//5日連続//流石に明日は休みます。つまり、何処かの陶器工場で働くような5日間でした。朝から晩まで。そこで思ったのは、生産にロクロだけでは身が持たぬと。タタラや鋳込みなどを考えなくては、身体の一部に負荷が掛かりすぎる。

それと一週間の、いやいや一日の生産性を高めなくては。
と、申すのは、例えば一週間に100個仕上げたと言っても、4週間で400個とはならない。施釉したり、時には売りに歩いたり。せいぜい生産に専念できるのは一か月の内で二週間程度だと思っています。

このように考えると、まず時間がない。解決策としては職住一体にして通勤時間をなくす。そして生産性の向上。

これは作るものをある程度絞り、手技に慣れを持たせる。試行錯誤している時間がないと。
次に、ある程度土を使って丈夫に作り、不良品をゼロに近づける。
そして、最も肝心なことは付加価値を高めること。


le 12 samedi 土曜日
//3回目//日程が決まりまた。初モデルナです。今から副反応にドキドキしています。

利益を考えるなら、小さくて見栄えが良いもの。これを追求せねばならない。大きいものの1/10なら、同じ窯でも10倍焼けるし、原料は1/10。かといって、値段の開きに10倍はあり得ない。

今日も一日工房に籠りました。明日もかな?


le 11 vendredi 金曜日
//20個//私の陶芸は人と違って手回し轆轤である。それは、こちらの方が秀でているからである。その一つに生産性もあると思っている。電動ろくろで一日20個挽けたと言おうものなら、落第!!と言われそうですが、手回し轆轤では、20個が完成品。

と、申しますのは瞬時にしてヒートガンで固めて底面の仕上げに入れるからです。電動ろくろは、その日沢山挽けても、それは表面だけ。三日後とかの乾燥後に底面の削り。

//黙祷//あれから11年になります。あの大震災と、その後の歩みは私の陶芸歴とも一致しています。何度も書いていますが、実に不思議に思うことがあるのです。全くの未経験なのに、あれよあれよと短期間に上達してしまった。それは周囲の人も驚愕するのですが、私は確信しています。
 亡くなられた多くの方の中に陶芸家もいただろうし、思い半ばで無念の死であったと。
ある時、私の作風と似た遺作を、何処かで見るのかもしれません。

14:46前には作業も中断して、東北の方を向いて黙祷を捧げましたが、両目から涙が溢れ、どうして、こんなにも涙が流れるのだろうかと。それは名古屋の生活では経験の無い涙の流れでした。


le 10 jeudi 木曜日
//歩かない//それにしても夢中になれるので、籠ってしまえば一日中。陶芸家は下半身が弱るとは良く聞きますが、当たっていますね。全く歩きませんから。

それでも都市生活者で通勤や通学があれば、かなり歩くのでしょうが、田舎に籠って陶芸に専念だと、本当に恐ろしい。


le 9 mercredi 水曜日
//二転三転//七転び八起き。
新工房の造営が、コロコロ変わってちっとも決まりません。何かが欠けていたり無理だったり。
昔は、コレだ!!!!!という強いこだわりを持っていましたが、今では成るようにして成ったところが神の思し召しぐらいに思っています。それが最善の形なのだろうと。

9kmほど離れたところに理想の環境があるのですが、では、そこにすればというと、いろいろと無理が生じたりもする。だから、どう転ぼうと転んだ先が最善だと思っているのです。今は、ただ足元を固めて。


le 8 mardi 火曜日
//明日から//6連休ですが、さて、どうしましょう。おそらく大半は作業場に籠るのでしょうが、どれだけ籠るのか。

もし、末永い交友関係を維持したいと思うのなら、それは陶芸を続けて、技量を高めて、その方面で会話するべき間柄に成長するべきであると思う。  僕たちは、陶芸という一点で偶然的に集まった仲間だ。本分を忘れた時点で、志あるものと無いものに分かれる。


le 7 lundi 日曜日
//最後の授業//一年間お世話になった先生の最後の授業でした。初めて私の顔を見たときは驚いていましたが、特別話し込むことなく、この日を迎える。

10歳ほど私の方が年上ですが、私はまだヨチヨチ歩き。
技法を高め高めて、良きが上にも良きものの精神で、歩く歩幅が自信を持った足取りになれますように。


le 6 dimanche 日曜日
//もっともっと作りたい//良き物を、美しき物を、愛される物を。
時間がない。生き方の軸を変えても、時間がない。軸を移したのが遅すぎた。
創作できる時間は有限である。仮に100歳まで生きたとしても80歳から100歳の20年間に作っているのかどうかイメージが付かないし、新しい実験をしているとは思えない。

良く動けて、あと20年。老いを感じて10年。の、30年程か!!!!!
私が、この世に生まれて子孫も残さないのなら、何か伝世されるような名品の一つでも作りたいのだが、30年の内に作れるか???!!!

全てを陶芸に集中しても時間が無いのだから、無駄な選択は絶対にしてはならない。行動の全てに情熱があるように。腑抜けた行動をしてしまうような、無駄な選択や付き合いは厳に戒めて。


le 5 samedi 土曜日
//志と目的は高く//志を同じくする者と陶芸の勉強中ですが、どんなに仲が良くなろうとて、遊び仲間であってはならない。共に高めあう仲間であるべきだ。

ただウクライナのニュースを見ると陶芸然り芸術や美術は世界が平和であってこその業態であって、この争いは他人事ではない。ウクライナでも陶芸家はいるはずだが、避難したり武器を手にして工房を離れているのだろう。今日も平穏に工房に籠れたことが、どれだけ幸せなことなのか痛感します。


le 4 vendredi 金曜日
//三連休初日//急須に特化して工房に籠ろうかと考えています。その第一日目は達成されました。
急須は不思議で、作れば作るほど勘を取り戻し、いつまでたっても合格品がそろいません。

前職時代、ボーーーーッと空想に浸る時があれば、その光景は、平日、好きな地方都市のラジオを聞いて轆轤を回す時間。その空想が現実になった平日のお休みでした。

瀬戸の多治見の、飯田の諏訪のラジオを聴きながら轆轤を回す。私にとっては至福の時間。


le 3 jeudi 木曜日
//普通の生活//東日本大震災の時もそうですが、遠方で一大事が発生しているにもかかわらず、我が生活はいつも通り。これが、不意に不自然に感じられる時がある。

今、一つの大きな国が消え去るかどうかの必至の戦い。祖国防衛戦争が繰り広げられているのに。
ロシアが目的を達成するのかどうかは分かりませんが、ロシアとロシア国民は今後、世界から数十年単位でファシスト呼ばわりされるのでしょうか。


le 2 mercredi 水曜日
//その姿は一生の宝//その姿は、もう見ることはありませんでした。でも、心に焼き付いた懸命なる姿は、私の一生の宝です。

彼らが進んだ道の、丁度、折り返しに、今、立っています。私も懸命に頑張ります。その姿に誰かが心動かされることがあるとしたなら、私の頑張りも誠実であった気がします。
志は高く、良き時の中へ。


le 1er mardi 火曜日
//志は高く、良き時の中へ//ご卒業おめでとうございます。
二年間、陶芸の思いを胸に懸命に頑張った仲間が本日卒業しました。卒業後は皆、それぞれの道を歩みます。志は高く、皆が良き時の中へ進まれますように。

何度も言いますが、我々は散らばったマッチ棒。近くの芯が仲間たち。でも、棒の部分はそれぞれ違う方向を見ている。時が来たら、皆、それぞれの道に行くのだ。どれだけ親しくとも励ましあっても時間軸が別になる。

でも、別れた先でもマッチの芯は待っている。人生はこの繰り返しだと思う。


 
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