novembre.2014



le 30 dimanche
//のんびりに徹した一日// 午前中はお見舞いに行った。ただそれだけ。結局、どこにも寄らず帰宅して、あとはのんびりに徹する日曜日。

雑音の類と思われるかもしれない。それを聞く耳持たぬ人。脳で処理できない人。そういう人は話を転じようとしたり、分からないの一点張りだったり。お節介なのでしょうが、聞いてほしいこともありましたが、彼にしては残念ですが雑音だったのでしょう。 届かぬのなら仕方ない。

冬を迎える前に、今年の収穫はダメでした。どうしよう!!と慌てても、時既に遅しで飢えるだけ。不作の兆候はあるはずだし、冬を越す食糧を蓄えるサバイバルがあるとするなら、早い時点で解決策をシュミレートして当然。 生きる、生き残る上での誠実さがない。どうしようどうしようと慌てふためき援助してくれるのなら、大声で叫べば良い。しかし、今年の冬はその人もいないのだから、別なる解決策を考えるべきなのに。。。。。

祈り祈りと僕も書いてばかりいますが、事象に合致しない祈りは、僕のきらう呪文と同じで、結局、唇は動かしても、言っている意味は分からない。質的に一気に谷底に落ちるような低俗な域に達してしまう。  事象を見て、折に叶う祈りを捧げるには、事象を冷静に見つめる冷静さ時に冷徹ささえ必要なのかもしれない。


le 29 samedi
//暖か過ぎて//気味悪い。おまけに凄い雨降ったし。
明日は作陶を止めようと思う。お見舞いに行くのだが、瀬戸とは反対方向なので、無理していくと戻るのにも一苦労。
昨日一昨日辺りから、別の確信に似た感覚が湧いてきている。
彼の回復を復帰を祈り応援してきましたが、回復は望めないか遠い先の不明確な時期なのかと。そういう意味で復帰を強く期待するのも非現実的であるし、彼は別の軸を進み僕の人生とは縁遠くなっていく存在なのかもと、思えてしまうのだ。

ただ彼を知る身として、その別なる道は孤独や不安、無理解に満ちているような気もするし、出来ることなら従前に戻ってほしいと折に触れ願っているものの、もう僕の祈りでは無理な軸に彼は傾いてしまったと。それは今にしてみれば悲しいことであるが、長く深く大きな目で見るなら、早期の引退は是であるのかもしれない。

困った・困ったと表明はするものの、その先の考えは聞いた誰かが提示してくれるので、生きる術として彼は「困った」と良く言う。そういう知恵の無さや不器用さは本人の責任で片づけられない側面もあり、僕は甘い甘いと言われ続けるものの意に介さず、彼の困ったを聞いたつもりである。別な人生を歩んでも、彼は困った困ったと言い続けるだろう。そして誰かが解決策を提示してくれるまで、ジッと困窮に耐え続けているはずである。彼は生きる術として、解決策が提示されるまで、困ったと言い続けひたすら耐えるからだ。でも、それは路上生活者への扉を叩く様でもある。その困ったを身近に聞く人がいないからだ。

まだ元気なうちに、想定される生活の破たんにな備え、生活保護の申請の手順など知るべきである。そして、その枠に落ち着くことを、新しい祈りの文言にしなければと。そう、質的転換が迫り、僕の祈りも新しい事象に対応していかねばと。

役立たず!と追い出す人もいようが、僕はお役に立てなくなってしまった、と、そういう立場から、復帰の祈りを改め、新しい安寧り形を願うべき、そういう確信を明日、僕は持つことでしょう。


le 28 vendredi
//忙しい一週間でした// 日中、帰ったら夜の都市生活者として再び!!と思ってもいましたが、ゴロリできる環境に身を置くと、もう外出の気力は無し。


le 27 jeudi
//細野さんあたり//海江田ではダメね。彼の小さな躍進は維新や次世代・生活からの移動であって与党から議席を奪うのなら、細野さんあたりを党首にすべきだったのに、時既に遅し。


le 26 mercredi
//鉛筆削りが届いたよ// 

なんという官能的な削り具合だろうか。
この歳になって鉛筆削りを買うとは、、、これも、早めの大掃除の結果、大量に見つかった鉛筆の存在に起因します。

徒然に落書きをしたり、それもNHKラジオを聞きながら。南信州新聞に赤鉛筆で気になるところを線引きしたりと、絶海の孤島で独自の進化を経たような、僕の生き方は「変」
まあ、僕は「つるむ」ことは昔からしないので、変は人生に付きまとっている。
そこに嫌悪する人がいるのと同じように好いてくれる人も確かに存在すると、小学校の頃には気が付いていました。嫌われるほどの個性は、とても好かれる意味だし、今にして思うのは、そういう傾き具合が芸術的だったりするのよね。

まあ、ありきたりな人なんて、実は存在しないと思っています。人の内側は腰を抜かすほどの異世界。要は、人の目を気にするかどうか。

そそ、今年も紅白を見なくて何の苦もなく過ごすことができそうです。


le 25 mardi
//ラジオの時間// ネットラジオではなく、中波の音声。ベッドサイドには20年ほど前のsonyの高級ラジオがありまして、今でも素晴らしい音を奏でる。最近、テレビのニュースを排してラジオから得ようと、それは19時であり22時である。もちろんNHKラジオですよ。
聞きながら僕は自由なのだ。どこを向いていても問題がないのだ。これは素晴らしい。

アレコレ書く日記ですが、今年、忘れることのできない一節と言うか内容に、

【窮しない者は、窮する者に手を差し伸べよ。それが無理なら彼のために祈れ。窮しない者には、その役割が求められている。だから引き続き窮しないのだ。これこそ窮しないための黄金律である】 ウーマン師


le 24 lundi
//高杯(たかつき)//8個くらい出来上がる予定。安い串団子も高級和菓子に変身です。

三連休最終日。作陶もせず、ただのんびりと時間が過ぎるのを愉しむ。こういう時の過ごし方!!一年で一番不足していたような気がする。
昼寝なんて午前と午後に一回づつ入れて、なんとも爽快。

来月の末には今年をいろいろと振り返るのでしょうが、まあ作陶してばかり。週末も長い休みも三連休も。ところがsnsでは、皆さんいろいろと楽しんでいらっしゃる。もう、僕にはそういう楽しみは縁遠くなっていますが、皆の旅行記や食道楽日記などは読むと楽しい。昔は、あれほど斜面集落と叫んでいたものの、今年は一度も行っていません。中井侍の光景も、懐かしさと同時に変化を感じるのでしょう。感覚を開け過ぎました。

さてと、明日から4日の労働です。火曜日は何かと忙しいのですが、コレも含めて須らく最善の形で解決されることでしょう。


le 23 dimanche
//待ちに待った、変な感覚!!// 三連休中日。早朝座禅の日であり、その後、作陶。
変な感覚とは、今のこと。そう!明日はあえて作陶を止め、特に何をするでもない日にするのです。当初は中日に設けようかと考えましたが、多治見の帰りに瀬戸があるので、それはもったいない。さてと、明日と言うか、作陶を構えなくても済む今晩から、何して過ごしましょうか??

そうそう、鉛筆削りをポチっとしました。ハンドル式の鉛筆削り。実は、僕は鉛筆が好きなのですが、好きと言っても隅に追いやられた文房具。ここ数年、100円ショップのチビ鉛筆削りで済ませていましたが、この前の大掃除で生涯余りあるほどの鉛筆を発見しまして、とにかく使わねばと決意。さて、届いたら書き心地に悦を覚えるのですが、何を書くのかが問題。42歳の落書きになるのかも。

あああ。時間があるよ。


le 22 samedi
//お風呂入っていたら//緊急地震速報。第一声で長野県と聞き焦り、次に新潟県と言うので長野県北部と判断。しばらくして長くゆるーい揺れが。この波長の強烈版が東日本大震災なので、そこまでではないものの、遠くで酷い揺れがあったのだと理解出来る。

反省点は、警告音を聞いた時にガスを切るべきだったと。

明日は早朝座禅で陶芸の日。明後日は陶芸か家でのんびりに徹するか、迷っています。


le 21 vendredi
//新約聖書//読了。
大学祭で、友人がどこかのブースで二冊もらって、どうしよう!?と述べていたのを「僕が貰うわ」と引き受けたのが、この新約聖書。折に触れ読んだり、時にその存在をすっかり忘れていたり、この10年ほどは通勤の道中にいつでも読めるように持参していたりと、すっかり傷みも激しく、敬虔な信者が毎日読み耽る風合いにも似てきました。

20年を越えて僕の身近に存在した一冊。

半年ほど前から、最初から読み進めようと通勤途中に少しづつ。さきほど、ようやく読了し、この壮大な物語の全体像が理解できました。ただ、読み進めていく上で、旧約聖書の理解がないと分からない個所も多々あり、数日前、旧約聖書も手にしました。順序は逆ですが、明日からは旧約聖書を読み進めます。

昔から読まれていて、今なお何億人もの人が読み進めている本の内容は、【
知らないよりかは、知っている方が良い】そういう認識で読み進める僕は曹洞宗なのですが、宗派の別なく、心にジーーーンと来るものは素直に感じるべきだし、その内容を身に付けていきたいものだと思っています。

人の心に勝る偉大な存在は僕はあると思っています。


le 20 jeudi
//机・文机//ちょっと前まで、机は身近なモノを置くための場所であり、何かを広げたり、そこで何かを書いたりすることが、瞬時には出来ない状態だった。それが今では、読むための書くための、その時を待つがための贅沢な空間として待機していて、見た目にも非常に宜しい。


le 19 mercredi
//大いなる時間//プチ・ラマダンで夕食抜き。本を読むまとまった時間が平日に出来るなんて。読んでウトウトし、また読んで少し寝る。この繰り返しが心地良い。


le 18 mardi
//解散// また選挙だなんて、時間も費用ももったいない。それに身を切る議員定数の削減とか手付かずで、一体、何がしたくて解散なのか!? 国会で法案が通らない状況でもあるまいし。  要は、あり得ない金額を注いだ割には成果が現れず、説明がつかないから、やぶれかぶれで、こっちを見ないで!と目くらましに解散するとしか思えない。
きつく言いますが、僕は今の自民党に満足していたのですよ。久々の安定的な政治状況で、小沢一派のような党内に足の引っ張り合いもなく、良心に従い大胆に進めば良いと思っていたので、不用意に空白や混乱をもたらす今回の決断には、全く腹立たしい。18ヶ月後には退路を断って増税するから、それまで見守れ・信じろと言うならば、今の絶対的な勢力下で、単に景気弾力条項を発動すれば良いだけなのに。

まあ、それも考えたけれども解散を選ぶということは、【深刻な何か】を引き起こしてしまって、国民に投票(再信任)と言う連帯責任を負ってほしいがためにするのでしょう。
まあ、一言で言うと、大金は意味を成し得ずどこかに消えてしまった。この状況で借金を劇的に増やしてしまった、ということだ。


le 17 lundi
//夕食と言う無駄な時間//ラマダンをすると平日の自由時間が多くて、それはそれで有難い。夕食はそのものの時間と食後の怠惰な時間で自由な時間の質を低下させてしまう。
そろそろラマダンでもしようかな。

会場では撮影禁止だったので、家でパチリ。



le 16 dimanche
//心乱す失態// 僕は、自らの不始末で他人を迷惑がらせたりすると、人よりも過多に尾を引く。そういうタイプの人間は耐えることには向いているものの、自らの迷惑はいたって弱い。本当に弱い。失態の再現・不始末が湧いて出てくる。一向に消えない。

しばらく続きそうで、その度に精神統一したり聖書を読んだり仏典を開けたり、コーランを探したり。何かの波長があるとするなら、大きな波が押し寄せる信号は度々受信しているので、年内は第一級の心静かな時間を設けるべきだと思います。

今日は心静めるために景教厨子をつくりました。前々から作るべき衝動にかられていましたが、ようやく。

それから、土岐市のセラモールに作品の引き取りを。僕は美術展への挑戦は全然興味がないのですが、この前、陶芸仲間から強いお誘いがあり、面倒なのを我慢して適当に最近の急須を4つ選ぶ。奨励賞でした。で、最終日なので作品の引き取りに行くわけですが、展示を見るのは今回が初めて。なかなかの力作ぞろいの中で、我ながら素晴らしい躍進ぶりだと、自らに感嘆。

そういう意味では素晴らしい余韻に心浸れるはずですが、やはり心が乱れてしょうがない。この乱れが終息するまで僕は心を静めて祈ったり精神を統一しなければならない。今回は「祈りの声」を大きくしなければと思う。


le 15 samedi
//信号を無視し大火傷// 何度も書くことではあるが、思い立った行為の前に「それはよせ!」と微弱なる予知的な警告信号はあるのだがへ、勢いや好奇心などで無視した結果、とんでもない事態に巻き込まれる。そういうことは真実としてあるのだ!と。

あああああああああ。大火傷。

この他にも微弱信号は感じ取っているのだが、今、それに真摯に向き合うべきなのだと。本日の失態は、昨日の微弱信号を受け取れと言う第一級の警告なのだろう。

これから心静かに祈りの時間を設けます。須らく最善の形で解決されますことに感謝して。


le 14 vendredi
//会社の飲み会// こういう席に出たのも久しぶり。 今日を含めて、ここ数日、通常ではない話を聞く。大きなウネリみたいなのを感じるのだが、ここは安寧をもとめて深く祈り委ねる毎日を過ごすべきである。


le 13 jeudi
//寒さ大好き// ようやくです。そして如何に暖房に頼らず寒さ対策をするのかも好きだし、延ばしに延ばした先に点ける暖房器具の初稼働の少しついた埃を燃やす匂いも好き。

少し早いですが寝ることにしましょう。明日は金曜日。


le 12 mercredi
//心静かに// まさかまさかの平日に、日曜の夜並みの時間を設けるとは。ただ、今回も須らく最善の形で解決し感謝や安堵感を心から味わう喜びは何にもまして。

今、心からしたいこと。
寝不足の心配なく、ラジオ深夜便を聞きながら、部屋でアレコレしたい。
冬の寒い快晴の休日に、部屋でネットで地方のラジオを聞きながらアレコレしたい。
陶芸の心配なく、部屋でアレコレしたい。

年間を通して、「その他」に費やす時間が圧倒的に欠乏している。もはや衝動なのだ。部屋でアレコレしたい、が。


le 11 mardi
//また選挙するの!?// 絶対的な多数派を形成した与党なのだから、信じる道を進めば良いのに。つまりだよ、出来る環境なのに反対派の抵抗なんて無きに等しいのに良い成果を出せなかったのは、最初から信じる道が間違っていたのだと。結局、誰のために金をばら撒いたの!?

//最後のゴミ出し// 一連の大掃除も最後の一区画。ゴミ出しも一応最後になりました。
結局、見えないところにしまいこむ悪弊が、後日、山のようなゴミと化けるのですね。

//か弱き人を//救うために祈ることしばしば。だが、思うのだ。もし、僕が強ければ祈ると言う行為以前に救い出すことを自らの意思として実施できるのだ。自らに対する思いが少なすぎた。反省。


le 10 lundi
//あれを恥と思わずして// なんですか!あの習近平の小物感ときたら。大国の指導者なら堂々としていれば良いものの太子党の苦労知らずなのか緊張感であの無様。人間として器が小さいですね。ホスト国なのに。全く理解できない。前に韓国の大統領も失礼な態度にでたり中華圏には、あのような文化が在るのでしょうか!?

まあ、映像に残りましたから、いづれ恥を抱えて年老いるのでしょう。器の小さな政治家として語り継がれるのかもしれませんね。


le 9 dimanche
//心静かにしてる!?// 日曜日の夜になると何かしら不安もよぎる。しかし、それを抱えて僕は眠らない。月曜からの日々を須らく最善に過ごせることへの心静かな祈りの時間。

こういう些細な信号は大切にするべき。若さとか勢いとか酔いは、この予知的な微細信号の存在を消してしまい、時にしなくてもよい周り道を選んだりもする。人は自己の保身こそ、つまり生命の存続と安全が何よりも重要で、全てはそれに関連していると思う。目は耳は分析力は外敵や災難を予知したり避けることに本来、絶大な能力を発揮すると思うのだ。

心のどこかで、これより先に進むと危ない!と思ったのなら、それに従った方が良い。ところが、そうは思っても酔いや周りの雰囲気で踏み込んでしまった時、それは身と心に良い選択をしたとは思えないのだ。

不安なら、実際、不安の種はあり、下手すると発芽するかもしれない。
不安を感じても、それを消し去る術を持てない人は、たまにいるでしょ、妙に神経質だったり怯えていたり、人の顔色を異常なまでに伺ったり。彼は彼女は不安は知る能力があっても乗り越える術を知らない、これはこれで困った環境。

もっと大きな存在に正直になって、正直に申し上げて委ねてみる。僕はこうして不安な気持ちをその都度、取り除いています。
寄るべき偉大な存在は人によって違うでしょう。信じる宗教が違えば無神論者もいる。それはそれで良い。ただ、世の中には偉大な存在はあり、それを何で見出すかは人それぞれ。
この重要な問題に、アナタは○○に帰依しなさいと言うと悲劇が生まれる。
呪文は唱えても意味が分からなければ車の騒音と同じ。意味も分からず帰依しても幸せは訪れないと思う。

多くの宗教書を読んだり、神社仏閣から伝わる雰囲気に接してみたり、そういう経験をたくさん積んで、その先に何かしらの共通点が見えてくると思うのです。心がぞくぞくしたりジーンとする感情が現れた時、ちょっとそれに正直話して、解決を委ねてみると良いと思う。

宗教、つまり信仰は大切なこと。これの有無は人生の質を大きく分けると僕は信じる。
ただし、それは自分が納得して見つけだすもの。先祖伝来の宗教は、死者を弔う儀式としてあるのであり、心の平安は自分のスタイルを築けば良いと思っている。

今現在解決できない問題は、実際自分で解決するには難渋を極めると思う。退散でも放置でもなく、大きな存在に委ねる。委ねた瞬間、心の解放は得てしまうのだ。


le 8 samedi
//本を読むのに抵抗が//綺麗になった机周りで本でも読みたいと思っているのですが、その前にその前にアレコレと何かを見つけ出しては、最終目標に抵抗する僕がいる。

知っているだけで四人になりました。残る記憶では皆さん元気に輝いて明るく美しく。
これは強く言いたい。
今ある苦しみが永遠に続くと錯覚してはいないか!?
それに絶望して意を決するなんて、全てを悟ったようで全くダメです。
今後一年、苦しさに耐えてみる。いろいろ考えて自分は成長しない、自分はダメだと思うかもしれないけれど、一年とはアナタだけでなく周りも変わるのです。八方塞が一年を越えて続くとは思えない。何かしら解決の窓口が、新しい人生の入口が開けるはず。
待つこと自体、それは既に解決を実践している果敢な行動なのです。


le 7 vendredi
//21時からのステーキ// その前に周年で顔を出しての食事会。初老が挑む内容ではありませんが、楽しかったので良いのです。実に良かった楽しかった、美味しかった。

帰りは一駅乗り過ごして、贖罪の運動と言うことで、つま先歩きで家まで帰る。

来月の末には、今年の私的10大ニュースを書きますが、今年は事あるごとに、老いてから何をしているのだろうか!?と想像してしまうのだ。老いて外出もままならず一人生活を維持するのにも大変だとしても命は続く。その時、何を見、何を思うのだろうか。会話は成立するのだろうか。


le 6 jeudi
//落ち着きすぎて//落ち着かない。 心地良過ぎて、落ち着かない。
土曜日、クラトコに行こうかと考えていましたが、今年は見合わせ。行ったら行ったで散財しそうなので自分に対する戒めです。今週は4日の労働ですが、なんか忙しすぎて三連休の余韻は全くありません。とにかく動いてばかりの感覚なのです。


le 5 mercredi
//大掃除、おおむね終了// 結論!! 僕はゴミの中で生活していたのだ。。。。
その当時は必要としていて、用を済ませたら次回の出番まで待つとする。これがゴミの発生源。次回はないのだ。その次回に、もっと良いものとか方法が見つかるのだもの。

まあ、毎日毎日出るわ出るわ。大量消費社会を証明するかのような山のようなゴミ。
これで、年末年始の休みは大掃除に忙殺される心配もなくなり、心から欲する時間の過ごし方が出来るのですよ。毎週末、作陶をしていると無性に何もしない休日が欲しくなる。ところが技量の保持を考えると感覚の開きは致命的。結果、毎週末顔を出すのですが、そこが休館日なら諦めも付く。当初は、この休みにねらいを定めて大掃除をする予定でしたが、思うに冬の快晴のお休みに僕は思う存分、のんびりに徹することが出来るのだろう。


le 4 mardi
//自信を持つこと// やはり、行きつく先は哲学なのだと。その人は大の恩人で、今の僕がいるのも彼の指導のおかげ。彼は慎ましく消費文化から一定の距離を保ち、貧しいながらも信じる豊かさを既に自分のものにしている。栄耀栄華と並走する虚しさを見破っているのでしょう。
京都の大学出身と聞いていましたが、「の」は必要ないとのこと。
何にでも成れそうな彼ですが、彼は慎ましい生活を何よりもの財産と心得、豊かな時間に今日も存在している。


le 3 lundi
//何年ぶりでしょうか!?//徹夜しました。日曜の夜、22時ごろいつもの瀬戸に行き、登り窯に陣中見舞い。ところが、ところが人の手が欲いらしく、朝の九時まで手伝うことになりました。僕も薪をくべたりといろいろ参加しまして、とても楽しいひと時を過ごすことが出来、また一つ、この世界の深みに入った気がします。

本日はもちろん作陶もお休み。全くさわやかな空。この休みを好きに使えると思うと心弾みますが、家に帰ったとたん、11時から20時まで就寝。そして22時まで起きていて、まもなく寝ると言うわけ。


le 2 dimanche
//土曜日なんだよ!//昨日の頑張りは労働と体が認識したらしく、今日の夜、大河ドラマを見るとは全く納得がいかない。三連休の気がしません。さてと、今日も作陶でいったん帰宅。帰宅して掃除して仮眠して大河ドラマを見て、今に至る。これから外出しますね。うふふ。


le 1er samedi
//平日以上に忙しい// 作陶終わってから大掃除の続き。なんか疲労困憊、休日の感覚がしません。そしてまた山のようなゴミ。連日、こんなに捨てるものが出てくると、僕はゴミの中で生活していたのか!と思ってしまう。あとね、隅っこに溜まるホコリって、あれは何から構成されるものなの!?

 
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