octobre.2007


le 31 mercredi
//二つのスタィール// お酒を飲む、理想の二パターン。その一は、カクティールをチビチビと飲む。もう一つは赤提灯で串と共に飲む大衆の風情。

一つの夢を語らせていただくなら、好きな人と行く地方都市の旅。
福井県の敦賀でも、大野でも。長野の飯田でも伊那でも、そんな地方都市の赤提灯に入って好きな人と焼き鳥を食べビールを飲むのが、僕のささやかな夢。

言い分けではないのですが、一人で行くスタイルの多い自分。
何で誘わないの!?とは良く聞く質問ですが、答えもあるのです。

それは地方都市で過ごす週末も、山登りも、僕のするスタイルは特殊で、逆に誘われたほうが、その都度断りの理由を考えそうだし迷惑かと、思考の先物投資。

地方都市に行けば、店の数も少ないし、商店街に下ろされるシャッターも多い。ホテルもきれいとはいえれないかも。それでも満足に転じれる理由付けは、やはり恋慕。好きでもなければ苦痛以外の何物でもない時間。

奇特な人を求めるならば、恋愛は別として、そういう寂れた風情が好きな人の発見。もっと奇特な人は、その寂れた風情は好きでないけれど、アナタと過ごす週末は、どこにいても好き、という人の発見。

どのみち、確率の少ない作業でするだけ損って思うので、やはり僕はまた、一人で過ごすのでしょう。地方都市。

le 30 mardi
//おんな太閤記// DVD全集買おうかしら?? 何度見ても面白い。(ビデオ録画一部のみ)  大河ドラマ「秀吉」も好きだったので、コチラもそろえたい。

そもそも滅び行く美というか大阪城落城のストーリーが好き。淀殿も好きだし、何より増してすきなのは北の政所様でもある高台院。

京都はほとんど行きませんが、高台寺は見てみたいものです。


//終末期医療// 積極的な治療を放棄して、痛みの緩和に主眼を置き、安楽なる死に誘導する。そんなテーマで、どこぞの医師の話をNHKラジオで聞きました。先生は、その対象となる人たちを例として、がん患者とエイズ患者と呼ぶ。  既に医療の現場では、エイズ患者の死というものが、現実として多く見られるのでしょう。

その段階に入れば、一ヶ月ほどで天に召されるそうです。癌は遺伝の要素もあって天命の感もあるけれど、防げれるHIVの感染拡大は残念でなりません。報道によれば、検査して初めて知る段階が既にAIDSの場合もよく見られるそうです。

le 29 lundi
//ハッサン国王// モロッコの王様。イスラーム系の名前ですよね。ハッサン。ところが僕は、何日か前に書いた彼のあだ名とします。ハッサン国王。

社内で数百万借りて、返す意思がなく、収入が入れば、誠意を見せるどころか飲みに走るその態度は、もう、王様です。

でも、そんな王様は、間もなく破産するであろうから、ハッサン国王。


僕が、彼に注目するのは、以前、僕も別な男に10万円を貸したことがあるからです。
ある日、貸す前提が崩れ、彼は二年の期限が来る前に返済しなければならない状況に自らの身を置いたのですが、彼もまた僕の前でエヘラエヘラ笑い、あのCDを買った、このCDを買ったとか平然と話す。返す意思が全然ないのだ。
何とか取り戻しましたが、当然返すべき金額を請求されたときに慌てふためく彼の姿。それが耐久や窮乏の日々なら同情湧くのですが、好きなものは買い好きなものを食べる道楽を目の前で繰り広げられれば不愉快千万。


どんなに信頼しているからといって、貸した金が戻るのは、大変な労力がいること。戻らない確率もかなり高い。よって貸すほうが馬鹿なのだと言われるのでしょう。

le 28 dimanche
//プレイガール最高司令部からの指令//
関係各位は、その意味するところを胸に刻み、来るべき日に備えよ。

●11/某日の集合場所は、11:00に西友・諏訪城南店
集合してから最初にするべきことは、楽しいお買い物。
ウーマン、長年、旅をして思うのが、食品の味噌・醤油コーナーに行き、地元産の味噌など買うのが、安くて実用的で美味しいお土産であると悟る。

ちなみに最高指導者の勝手で、ウーマン号は西友到着前に一軒、店によります。どうしても欲しいCDがあるのです。平安堂諏訪店 
近くなので、行かせてちゃうだい。

●お買い物のあとに、お食事に入ります。
お食事処は、【イール亭 おおいし】 場所はコチラ⇒
開店時刻が11:30なので、先に買い物を優先します。

買い物が、終われば、岡谷インターから中房温泉に行きますが、
時間的な余裕があれば、神乃湯に浸かりましょう。
時間に余裕がなければ、片倉館になります。

le 27 samedi
//元気の源// この週末は、強いてすることはヘア・サロン。あとは全く予定を入れていませんが、この予定を入れない時間は、とても大切な「用」なのです。僕にとり、月に一度は何もしない土日を設けることは、心身ともに疲れを癒す重要な用事。  遠くの山奥に湯治に出かけるのもいいけれど、家にいてノンビリに徹することは精神衛生上、大変に大切な行為だと認識しています。

楽しさも必要。しかし、忙しいのと楽しいのは親戚で、脳はフル回転。これを続けて、オーバーヒートになるとき、意思に関係なくエンジンが止まる⇒欝。
そう考えると、欝は一つの防衛機制なのでしょう。

と、勝手に解釈。


//うー// 日 立のwooo 調子悪すぎ。ほとんど使っていないのに、DVDの読み取りの不具合。全く、1tetaの高い機種買って、このざまです。
こんな不具合は多発しているのかとネットで調べたら、皆さんも困っているようです。次に買うとき、このメーカーは選択肢から自動的に外れていることでしょう。

le 26 vendredi
//中古オーディオ巡り// どうもMDデッキが調子悪い。買い替えも視野に入れています。今や、MDも最新の録音媒体ではない。新品を買うよりも、はるかに高級な機種が格安で出回っているはずと読んでいます。またブラブラと見て回りたいものです。


今週は、胃腸風邪風味の胃のダルさが完治せず長引き、会社が終われば家に直行。胃がだるいので食も細く、おかげでダイエットに成功しました。65キロ!! 

le 25 jeudi
//人生、破綻への道  その三// その三につづくとは。 金曜日の晩、彼は飲みに出かけたとのこと。  この心理は探ってみる価値はあると思う。
●社内に、複数の借金を申し出て、その額は数百万。
●返済義務があるに関わらず、その意思がない。
●その意思がなくて、さらに平然としている。
●驚くことに、返済に回せるだろう金があっても、飲み代に消える。
●隠密に飲みに行くわけでもなく、特に債権者に隠す感覚もないようである。

給料が入り、本来なら返済に回すべきであるが、その当然の義務さえ霧散できるのがアルコールの害悪であろう。ただアル中の域内ではなく、憂さ晴らしの段階。

この驚くべき不遜な態度をいかに説明すれば良いだろう。
基底に、我侭勝手に育ったことはあるだろう。善悪に基づく○×は彼には存在せず、自分が思えば○であり、そういう勝手が相当期間許されていたはず。
飲みに行きたいから、飲む。返済したくないから返済しない。
僕が不思議に思うのは、返済したくないから返済しなくても、そこに後ろめたさを感じない不遜な心理。  もともと不遜ではなく返済の目途の立たない額に、全ての感覚が麻痺しているのかもしれない。  ところが仕事はそつなくこなしていて、全くの自暴自棄とかアル中ではないのだ。

いろいろと考えてみて、僕が思うのは「寂しさからの回避」

返済義務が生じたなら、飲み会のお誘いがあっても断って一人帰るのが筋だけれど、豪快で強がっていても、その実、寂しく、だから誘いの中に入っていく。

彼にとって酒を飲むの(飲みながらのマージャンとかも)は寂しさへの回避であって、それは何にも増して優先される。 
寂しさを回避するための付き合いが、収入の範囲を突破しても、寂しさは彼に大変堪える心理的な脅迫なのでしょう。常に付き合いが欲しくて、(不幸なことに、そういう人的接点のスタイルが豪快に飲むという以外を知らない)借金をしてまで飲む。

寂しさからの回避が、借金をしてでも最優先の行動規範であり、それを阻害する返済は必然として下位になっている。この「寂しさからの回避」は、彼にとって絶対善であり、世の中が今は×でも、彼にとっては年中無休で○なのである。そんな我侭な育ちも後押しして、彼は善なる飲み行為を改める意思はないようである。
返済は絶対善を阻害するもの。だから、そんなつもりはサラサラないと。



ただ、彼が何故に孤独でいる時間を強度に恐れるのかは不明である。

彼に、借りた金は返すのがルールと説明しても行動は直らないでしょう。
孤独でいる恐怖の解消。これが確立できて、初めて返済の義務感に駆り立てられるのでしょうが、そんな時間的余裕はなさそうです。


こんな不遜な態度も、雨漏りのようにいづれは伝わる。それは「接近禁止命令」となり、「なんだか急に無愛想なの!」と彼は大変な恐怖に襲われ、それを癒すために、もっと金のかかる人的な接触に居場所を求めるでしょう。


この強度なる孤独恐怖症を克服しない限り、彼には借金の返済など意識にも昇らず、そして新規なる借金をしてまで誰かといたいと思い続け、故に人生が破綻するでしょう。


人は、ひとりでは生活できない。とは良く聞く言葉。
しかし、常に誰かいなくては生活もきない。も、大問題のようです。

le 24 mercredi
//人生、破綻への道  その二//
明日、子供たちに食べさせる米もない。そういう貧窮からする借金は、一つの美談にも成りそうですが、そんな同情のできるストーリーは実際ほとんどないのかもしれません。

中毒といってしまえばそれでお仕舞い。
先日、大阪から発信されたニュースで、生活保護を貰ったその足で西成に行き麻薬を買うのが生活のスタイルで、毎月支給日を楽しみにしている!というトンデモニュースを読みました。  中毒だから、どうしようもないと言えばそれで終わり。

収入の範囲内でする道楽なら何の咎めもない。それを借金してまでする。中毒だから。 
 このイタイ行いを、これで切り上げれば良いものの、グルグル螺旋階段のように続けるものだから負債は膨らむ一方。

そして、借金の返済のための借金をし、とうとう、利子のつかない友達金融にまで手を出したらしい。それは社内の人間に、当座の資金を貸してくれ!と懇願する行為。ところが貸す相手は、それは一時的で、困窮に困り果てた先の行為など見分けもつかない。明日も出社するし、目の届く範囲だから返すだろうと。

彼は、財布忘れた!少し貸して!!のような当座の資金としての小口を集め、そして何人かに深刻な話をでっち上げ大口を手に入れる。



驚いたのは、同じ社内にいるのに、全く返す意思がなく、未だに生活を改めることなく道楽に耽っているとのこと。
まったく、道理に反し許しがたいのですが、中毒患者なのだから仕方ないのでしょうか。


返すべき小金が入ったら、返済するべきが人の道理ですが、麻薬患者のように道楽に走る。結局のところ、彼の意思は返済ではなく、継続できる道楽なので負債は益々増えていることでしょう。

人を欺いて続ける道楽の果てに何が待っているのか、まもなく分かるはず。
(関係者は、回収を急ぐべきだと思うのですが、穏やか過ぎて、そちらも問題だと思うのですが)

le 23 mardi
//人生、破綻への道//
まずは今年の5/8からの日記。

le 8 mardi
//M岡くんの呪い// と、勝手に命名している。M岡くんは、呪いながら去って行ったであろう。  たまたま某氏と仕事を組んだのだが、その某氏がちょうど左遷にあったタイミングで、全ての憂さをM岡君に晴らしていた。とても、アン・フェア。  もともと某氏は体育学部卒業で豪傑で豪快なのですが、だからといって全てに男らしくなく、明らかに他人を非とするにはアン・フェアなのに、ムシャクシャするから非と決め付けるところがあった。  それはM岡君に限らず、過去に数人見ていたので、某氏のそういう性分は間違っていないだろう。  古いタイプの日本男児かもしれない。飲み会なら、明日の事を考えず豪快に飲むのが男の甲斐性とでも言わんばかり。  

どうしてM岡君の呪いなのかは、ハッキリしませんが、身から出た錆だとしても、彼は呪いながら去っていたのは確かなので、何かが働いたと勝手に解釈。  彼の豪快な生活も、どうも最近は帳尻が合わないというか自転車操業。そんな噂を聞く者に、何かの出来事を見聞きするならば、それも関連して解釈するのは凡人の常。 また、悪いタイミングで、もう一段の左遷を喰らい、全てに頓挫しかけている一連の流れを、やはりM岡君の呪いと命名せざるを得ない。


+++++++++++++++++++++++++
長年働いてきて、それなりに眼力がついたなら、こういう見立てをします。
仕事上、特に過失がないのに、些細な過失なのに、サディスティックに怒りをぶつける人がいます。第三者から見て「やりすぎじゃない!?」と思う行為をする人に、生活は平穏ではないのかもしれません。

今になって分かるのは、市中の消費者金融で返済に四苦八苦している者は、会社内でそれは悟られたくない。しかし、ムシャクシャする。

今のところ二人、そういう人がいて、この見立ては正しいのかと思っているのですが、いかがなものでしょうか。

その二人は、ともに負債を抱えていて、共通することは手短な弱者に当り散らしている(一応、仕事上にして怒りの表現を正当化しようとしている)

個人の負債など、特に会社内では隠し通したいもの。
それが漏れ伝わるのだから、火の車なのでしょう。

le 22 lundi
//風邪の見分け方// 3年ほど前に、年の変わり目に胃腸風邪になり四苦八苦。当初は食中毒になったと信じて疑わなかった。

僕にとり胃腸風邪の歴史は浅く、極初期の兆候で、通常の風邪なのかどうか見分けるのは大変に難しい。

それ以来、冬というか、寒くなると年に一度くらい胃腸風邪風味に襲われる。

それでも僕は自力で治す。まさにそれは考えることの楽しみ。

普通の風邪なら、極初期の兆候で、特性のスープを作り、日本酒やウイスキーなどのアルコールと共に飲み干し、発汗を促して睡眠に入れば翌日には治っています。

ところが胃腸風邪は、その歴史が浅く、苦労しています。
自己流治療法は、未だ確立していませんが、発汗を促す行為は、根本の治療には向いていなく、どうも胃を空っぽにして自然治癒力に任せるしかないようです。  

しかし、それでも早く治したいもの。今一番知りたいのが、乳酸菌飲料や梅肉エキス(←コレは効くと思う)を飲むタイミングとその量です。

それをやっても、胃腸風邪は一晩では治らない。
この場合の治癒は、発熱や悪寒とかではなく、胃のダルさ。
もともと極初期に対処するので、平熱の域だし咳もしない。医者の見立てによったら「お元気ですよ」なんです。しかし、現実には胃がダルいので、いかに市販薬や処方薬に頼らず治すかが、知恵や工夫の見せ所。まだしばらくは、自分を実験台にしていそうです。

//TAKARAZUKA SKY STAGE// スカパーをe2byスカパーに契約変更をしました。その日の晩には、e2byが見れる。手続きはpcで。便利な時代です。

なんだかTAKARAZUKA SKY STAGEが見れるのです。
何と素晴らしい世界でしょう。こういうショーとかレビューは大好きです。

歌劇団のレベルとしては国家公務員、熱誠党員がその職務に就く、某国のそれに比べたら、見劣りもするのでしょうが、全てが女性で構成される世界は大変に華やかなものがあります。

le 21 dimanche
//和歌山の風情 その二// mixiからの転載


親愛なヒロシ邸では、お行儀良く寝ていればよいものの、
掛け布団は、蹴飛ばしたり、丸めて抱き枕にしたり、育ちの悪さが出てしまいました。(親愛なヒロシ邸には客人用のベッドもあるのです)
夜中には、猫の声がして、何で僕の家に猫が居るの!!っと、
寝ぼけながら「ぅん、も〜〜」と威嚇したのですが、
私はこの日、和歌山の女(ひと)。
人の家に泊めてもらって、人の猫に威嚇するのだから、
なんと無礼なことでしょう。


写真は昨晩のですが、朝も朝食から引き続くお茶の時間を楽しむ。
写真
mixiが始まる前の、その昔。ネット界を賑わした面々を挙げてみては
思い出し笑いをする朝のひと時。



この日は、13:30の南海特急に乗るまでの短い和歌山。
まずは、JRで何駅か離れた、これぞ近畿の農村集落!というような、
古(いにしえ)風な場所に行く。
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この集落の中に、一際大きな構えの文化財でもある家屋があり、
その中で蕎麦を楽しむことができるということで、
それだけのために足を運ぶ文化的な生活。


親愛なヒロシ同志の、最も特筆すべき魅力の一つに、
彼の交友関係の広さがあります。
彼を介して、ジャンルを問わず新しい人たちに会えるのも
今や楽しみの一つであります。

この日は、教壇に立つSっ気風味満点の一般青年も同席しまして、
彼からも面白い話をいろいろと聞く。
親愛な同志に集まる人は、前回も同じでしたが、話すことに積極的であり
初対面でも窮する感覚がなく、とても助かり、楽しいのです。



さて、この古風な蕎麦屋は、小皿に五枚蕎麦が並べられる。
最初の一皿は、塩のみで味を確かめて欲しい、と言うほどの自信の店。
蕎麦は信州に行けば、コンビニのように蕎麦屋がありますが、
この店も、なかなかに美味しい、十割り蕎麦なのでした。

小さな無人駅の近くにある、この古風な集落。
そんな集落が、今でも沢山点在するのは車窓からでも確認できます。
古風な集落を結び、もっと時間をかけてブラリ歩きするのも、
近畿の楽しみ方なのかもしれません。


帰りの車内でもいろいろと話す。
10年は昔、逢坂の某所で肌を許した人の後日談とか。
僕は、明るいところで、その彼を見たとき、
「宝石のように美しい人!」(古文的に言えば、玉のやうに美しきなる男オノコ)
と眩暈をおこし、御堂筋で倒れそうになったのですが、
人の輝きは外面(そとづら)で判断するものではないと、
具体的事象を前に、全面降伏するのでした。


そんな人を見る目のない僕が、車内の向こうの座席で気になる娘を発見。
彼女も、どこぞの無人駅から乗ったのでしょう。あの古風な集落の娘かも知れません。
しかし、その娘は、何かと難しい年頃で反抗的。
【和歌山市にさえ行けば私は輝く!】と、CDラジカセを横に置き、
化粧をし始める。
とても高いヒールのブーツ。大きすぎるサングラス。
そして、最後には胸を強調するように寄せて上げる。
南米の低所得者達の踊りでもマスターするのか、
彼女は、僕たちと同じ、和歌山駅に下りるのでした。


少し離れれば、十分に古風で、
それでいて、和歌山は大阪への入口。難波へは北に70キロ。



何もかも新しい和歌山の旅は、13:30の特急を前に、ここに終えるのでした。


前の晩、布団を蹴飛ばして寝たツケでしょう。少し悪寒がして、痰もからむ。あの娘は、さらなる胸の露出に気を使うのに、
35歳の僕は、一番上のボタンまで締めて、丸まって、
少しでも暖かくしようと名古屋まで寝たり起きたり。

明日は仕事。まるで夢幻のような和歌山の旅でしたが、
風邪も大事には至らず、一晩で治し、
火曜日にして、ようやく二日目を書き終えるのでした。

どうも、ありがとうございました。


le 20 samedi
//和歌山の風情 その一//
mixiからの転載。デジイチでも撮影したので、それらは特別頁にまとめましょう。



10/20-21の週末は、マイミクでもあらせられる親愛なヒロシ同志の
ご招待により、和歌山県は和歌山市に地方都市の風情を堪能する。

そもそも愛知県民の僕ととり、和歌山は、新宮であり、
ホテル浦島であって、那智勝浦や熊野三山なのです。
三重県も南は僻地というのに、それよりも南に位置していて、
結局のところ2−3年に一度は訪れていますが、
毎回コレが最後だと変に納得して戻るの最果ての地なのです。


ところが、僕がイメージする和歌山は、
和歌山県民からしても言い得て妙な感があるらしい。
そもそも県の人口の半分近くを占める和歌山市民も、
よほどの強制力がないかぎり、平素の生活に新宮方面を考える意識は
脳の表層には上らないとのこと。

裏口入学のような和歌山入りを改めて、正当な方法で、
つまり、難波から南海で南下する和歌山入り。
しかし、僕にとっては、どちらも遠い存在ではある。
家から名古屋駅まで小一時間。名古屋から難波は二時間。
乗り換えに30分。さらに特急で一時間。
名古屋駅でも30分ほどは待ったりもする。(近鉄で寝れるのが助かる)


和歌山の西海岸。和歌山市駅に降り立つと、親愛なヒロシ同志が
迎えに来てくれました。最近は、大阪の飛田でお会いしたので、
そんなに間隔は開いていなく、それはそれで、とても嬉しいことなのです。

まずは同志お勧めの西本ビルへ。

親愛な同志は近代建築に関心があり、
また、それらの再生方法を考案するのに既に実績のある人物なのです。
彼にしても思い入れのある、このビルで、軽めのお昼と甘いものを。
写真
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朝早くに家を出たのに、和歌山まで5時間。
お茶を味わっていたら、光の色彩に夕暮れの感覚が出てくる三時ごろ。

それから雑貨屋を見て回ったりして、
和歌山市内のリゾート地でもある、和歌浦に行く。
大変に風光明媚なところで、この素直な感覚は万葉の詠み人も愛で、
そして、大阪市民の手軽なリゾート地として開発し
挫折した歴史も刻まれる、大変に風味豊かな海岸。

と、いうのも、その昔の、増築に増築を繰り返したようなホテル。
そんなのを沢山作ったのに、人々の娯楽は多様化し、
鉄道の利便性は、さらに南の白浜に人を誘導し、
風光も明媚な海岸なのに、それほどの宿も必要はなく、廃墟ホテルが列を成す。

そんな和歌浦の夕暮れ。まさに、浦のとまやの秋の夕暮れ!?
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と、辛口な表現もしましたが、リゾートとしては挫折しても、
そこに居を構える人々のなんと贅沢なことでしょうか。
廃墟ホテルが、一通り更地になって、居住を主とした再開発が進んだら
住むことに資金を捻出できるそれなりの層の集まる
品のあるエリアになるかもしれません。


和歌浦の散策も気が付けば日没で、それから少し店を見て、
(雑貨屋と和歌山の飛田のようなところ)夕食の時間となる。
同志もいろいろと考えてくれましたが、
僕の唐突なリクエストにも見事に応対してくれて
大変に美味しい焼き鳥屋に行くことができました。
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僕は、地方都市には一人でも行きますが、こういう赤提灯に入るのが大好きなのです。
そして、すぐ近くのコーヒー屋にて口直し。
これまた可愛らしい、誰が見ても芸受けするマスターのコーヒー屋さんで一杯。
こんな素敵なお店が軒を並べるエリアも、
その昔は、ストリップ劇場があったような場所らしい。



地方都市で過ごす週末の醍醐味は、今現在の町の盛衰もさることながら、
その町の辿ってきてた悲哀や栄華の残影を見つけ出す瞬間なのかもしれません。



僕だけ酔いに任せて、助手席に乗り、今晩のお宿は、親愛な同志邸。

親愛なヒロシ同志とはmixiの始まるはるか以前からの知り合いで、
こうやってお会いするのも二度三度ではありません。
やはりそれは、同志のする会話の深さや面白さに惹かれたり、
ご自身そのものの魅力から発せられるものでしょう。

ヒロシ邸でも興に任せての会話と、お茶を楽しみ、
11時も過ぎるころ、睡魔の到来と共に就寝。

この地方都市で過ごす週末の風情は翌日曜日も続くのですが、
その日記も長くなりそうなので、明日にいたしましょう。

どうも、ありがとうございました

le 19 samedi
//老いの妄想// 今でさえ独り身なので、老後も孤独でいると思っている。それに対する寂しさは、既に慣れているので感じないでしょう。

ところがここ数日、あるシーンが頭に浮かぶ。何かの映像に感化されたというわけでもなく本の中の一節でもない。ふっと浮かんでは、残影の長い思い。

老人になり、ひとりでアパートで生活する。それは慣れているので寂しくはないのだが、ところがある出来事をきっかけに無性に寂しくなり大粒の涙を流す。


何かの角に足をぶつけるとか、とても痛い体験をする。
床に転がり、とても痛い体に手を当て、苦痛にもだえるとき、
この痛さを誰かに伝えれるわけでもない自分の孤独に、
既に両親もいなく、親戚とは疎遠で、一人畳の上で苦しむとき、
「なんて孤独なんだろう」「なんで孤独を選択したのだろう」と
大粒の涙を流すのでした。

le 18 jeudi
//耳の不思議// 僕は新型デジタル録音機を買って以来、音の風景を集める。ここに実に不思議な現象が起きるのです。

例えば、人の声が入ったとします。しかし、人の声は入っているのに、いざ再生すると何を言っているのか分からない。しかし、その場に居る僕は判別できる。

ここまではさほど不思議ではない。人間の意思ある耳は、聞こうとする音の分野だけを意図的に拾い上げる。

不思議なのは、録音したものをスピーカーで再生して、聞き取ろうとしても、どんなに意識を澄ませても、生でそれをするのとは比較にならないほど聞き取れない。

le 17 mercredi
//ラジオに涙して// NHKラジオ、健康相談。15歳の少女の鬱病。
応対する精神科医も、アナウンサーも、その奥に控えるディレクターも、気を利かし、極めて異例で長い時間、三時のニュースをまたいで、相談に応じる。

いろいろと先生は話したいことはあるみたいですが、多くを話すと、彼女は大切なことさえ聞き忘れると、そこまで気を利かして、とにかくアナタがするべきこと、守ることを何度も優しく念を押していました。

強度のストレスが脳にかかり、緩和されずに萎縮する。その解放。

【やらない編】
●嫌なことは絶対やらない。
●楽しいことでも、体がついていかなくなったら、おかしいな?と思ったら、直ちにやめる。

【やる編・守る編】
●睡眠は、絶対にとる。翌日寝坊しても良いから、睡眠を最優先。
●食事も絶対にとる。食べたくなくても、介抱されても良いから食べる。
●上記二点よりはトーンダウンですが、休養をとる。

どうやら、寝ることにより、脳のストレスを解放し、
食事から得られるブドウ糖や栄養素による脳の回復力を
何よりも重要視しているみたい。

そう思うと、僕は、欝を自然と治癒する生活パターンです。

あの寝起きの脳がジーンとする開放感。
あれこそ、ダメージを修復した感覚なのでしょう。

le 16 mardi
//スカパーからe2byスカパーへ// 近々に契約を変更。  日立のハードディスクレコーダーにCSデジタルチューナーが内蔵してあり、それに一本化すると録画とか何かと便利。  従来のスカパーは解約しましょう。  でも、便利になるための手続きが面倒。  まっ、これにより従来のチューナーが要らないので、少しスッキリします。

//棄民世代// 最近の就職戦線は、いつになく戦況が宜しいと。  この好況を、失われた10年15年で辛酸を嘗めている彼らの救済に回したいものです。しかし、現実は底辺で辛苦を味わった寄り道を人生の落伍者として、疑わしくみる傾向は、口では改めよと言われても是正される向きもない。

人生の経歴に、ニートやフリーターが続けば、まともな就業にありつけず、人生の経歴に、派遣社員が続けば、婚姻にも支障をきたす。

こんな荒波に呑まれた世代がある程度の厚みを成して層を成す。

彼らを棄民世代と名付けよう。

棄民世代でも、新たにやってくる年下もこのような状況なら、それも新時代の潮流と黙認できるのかもしれない。しばらくは、そんな現実が続いてきた。

ところがである。棄民世代が成し得なかった「まともな就職への機会」を、最近の新卒はバンバン手中に収める。

僕は、これを大変に危惧します。少子化と団塊の大量退職。今の新卒が貴重なのは、好況でなくてもありうる構造。それに好況が後押し。この構図は、よほどの不景気がないかぎり数〜十数年は続くでしょう。

まさしく棄民世代は、今の財政状況では、バブル期と現在の新卒の間に埋もれる、救済するには手間暇のかかりすぎる厄介者。


一つの構造として、棄民世代を、低所得労働者として日本に根付かせるなら、移民政策をとらない日本として、それなりに価値のある層でもある。

つまり、全体の2-3割を下層民として存在すれば、今後も日本の豊かな資本主義が成立すると。

そんな内国民差別を許さなかった欧州は、豊かな社会を支える層に移民の枠を設けた。  日本は、民族的に、移民を奨励する土壌はないので、移民枠に棄民世代を与えるのだろうか???   戦後の労働運動や度量のある保守政治によって、国民は総じて豊かになり、総中流と呼ばれるようになった。しかし、皮肉にも、総中流では豊かな社会を維持できないのかもしれない。総中流になって社会全体の豊かさを下げる方向に持っていくのを政府も財界も拒否した。  ゆえに更なる豊かさのために、どうしても奴隷的に働いてくれるある程度の層が必要ではあるが、移民を日本は受け付けない。

派遣やフリーターなどの低所得層は、ハブル後の緊急避難措置によって産まれた新労働形態なのかもしれないが、今となっても、それなれに「価値」を見出しているのなら、棄民層の救済は、あってないようなものかもしれない。


日本は、棄民層によって、更に、ある程度の治安の悪化ももたらすでしょう。しかし、そんな忌み嫌う世代があるからこそ、豊かな日本を底辺で支える嫌な仕事もしてくれる。

この根は深いと思う。

倫理的にも、僕は棄民世代の国策的な救済は急務だと思っています。
しかし、経済論的に言えば、それをすれば、救済の代償としての総体の低下を国民の側も受け入れなければ。

つまり、バブル以前は、総中流と呼ばれても欧米のそれに比べれば激しく見劣りして、ゆえに競争力も確保されていた。
それがバブルによって、日本の豊かさは、以前の金持ち国家から金持ち国民に移行し、そのまま続くかと思いきやバブルの崩壊。

あたらに生まれた低所得棄民層が、黙々と工場で働いてくれれば、日本の競争力は今後もある程度確保できるだろうという、悪魔のようだが、それなりに筋のとおった考えも成立し、採用しようとする向きもあるのでしょう。


国家としての長い戦略があるなら、棄民には棄民の働き方があって、技術の継承や新技術の開発や新日本の期待は、棄民後の世代に託すのも、世代間分業として、日本丸を沈没させないための一つの方策かもしれない。

そういう理路整然としたものがあるならば、移民を採用せず、国民が等しく幸せになる方向の、理路整然としたものを我々も考えるべきなのでしょう。

我々は救済すべし!と時の問題を取り上げるが、相手側が国家百年の計での思慮に基づいた棄民だとするなら、我々はなんと勉強不足であったことか。


勉強不足といって、勉強を奨励して、既に限界も感じているのが、僕が棄民と定義した、そのような下層な国民は、どの時代にも必要悪として存在し、彼らをこの世から救済しようなんてのは、制度的に無理な話で、それは時代が証明している。  

零れ落ちた富みで救済する、その低いところで上下する闘争の歴史。
その雫を大河の流れとする闘争か、全く新しい経済学の確立なのでしょうか。

とにかく、日本国民の倫理として、ネットカフェ難民とよばれる彼らの救済は急務でしょう。棄民層の役割の変更は、誰かが取って代わるのか、そのものがなくなるのかは僕には分かりません。

増大する下層民の不満の鬱積を大麻取締法の緩和で取引するような暗澹たる下層社会の容認たけは絶対に避けるべきです。

実際は、低いところで上下する闘争であり、政府の最近の政策転向でありますが、その上下がいかに上に行くのかを積極的に注視して、場合によっては投票によって、さらなる方向づけをしなければならないと思っています。

le 15 lundi
//木酢液// もくさくえき  白川の道中、道の駅で割安だったので二本購入しました。一本2リットル450円。

芋をアルミホイルで包んで焼き芋をする。芋の皮の、あの独特の酸っぱさ。


もともとは木炭を作るときに出る煙を冷却することにより採取できる何かと有用な液体。  その香りは、焼き芋の皮の独特の香りに通じます。


何年も前から、コレは使えると思い、お風呂に入れたところ、温まり具合が全然違う。  ところがネットで、木酢液を調べても、どこもこも販売目的。中立的な立場で、生活の体験談をUPしているHPはなかなか見当たりません。

  

le 13 samedi et le 14 dimanche
//mixiの破壊力と創造力// HPはその破壊力の前に、各戦線で後退。破壊する一方、作り出す力も絶大。

この週末はマイミクのしんくんを筆頭に、11人で美濃白川のコテージで泊りました。去年に引き続き二回目。

住んでいる地域も全く違う。平常の接点もない。
それても、スムーズに合流できる。mixiは偉大ですね。


楽しい週末の予定も終わって、家に戻ると次なる週末の段取り。
次は和歌山で過ごす週末です。愛知県民にとり、和歌山は新宮であって、和歌山市は最も離れた僻地のような場所。  99.9999%は全く逆な発想なんでしょうが。

親愛なヒロシ同志が、部屋を一つ提供してくれるので、宿泊の問題も解決。
予想外に浮いたお金で、一つ時計でも買おうかと思案中。

おもちゃのようなロシア製の腕時計。おもちゃみたいに動かなくなりました。
この時計はこの時計で意味があって、壊れても良い時計として手荒な使用に耐えてもらっていました。そのような時計が急ぎ必要となるわけです。

le 12 vendredi
//素通りの宵祭り// 13-14と例大祭。その前日の晩に、山車は町内を練りあくる。こんな風情が名古屋駅前の一角に生き延びているのです。

今晩は、それを見ようとカメラも持参したのに、直帰の憂き目。

家に戻り、11-12キロジョギング&ウォーキング。


この前の三連休も、緑区の大高でお祭り。
農耕民族の日本は、秋に収穫祭をします。

例えば、無人島に仲の良い人たち何人かで開拓する。
必死で必死で働かないと、飢え死にしてしまう。
冬に食物は育たない。蓄えを!

だから土日という感覚もない。

年に休みと言えば、正月と、そして稲刈りも終えて一段楽したときの収穫祭。

とくに秋の休みは嬉しくて嬉しくて。そんな昔の光景が頭に浮かびます。

普段は粗食に耐えるのに、この日だけは米のご飯に、お酒もだす。


現代ではスーパーに行けば、何でも買える。
しかし、昔の生活に、僕のDNAが回帰するのでしょうか?
そういう生活の憧れがあって、思い出すかのように眠る前に上映する。

le 11 jeudi
//嫌いや苦手に理由はない// トマトが嫌いな人に、問い質せば、せいぜい「まずいから」が精一杯の答えでしょう。トマト嫌いな人に、その理由はあってないようなもので、無性に嫌い、生理的に受け付けない。まずい以外に表現する気も湧かない。

その者にとって、トマトの美味しさは一生縁がなく、トマトの栄養素も同じである。

これがトマトだから良いものの、トマトが集団行動や叱責や管理された時間になると、とても大変。

これらが嫌いな人に問い質しても、無性に嫌いなので、僕らが納得する理由は得られないのかもしれない。嫌い以外の表現を探す気も湧かない。



自分の病理を挙げると、それは理想の世界を描く妄想であっても、その世界に僕だけ一人。誰かと理想郷に居るなんて、まず考えない。理想郷には居ても、何故か不思議なことに僕だけ一人。

こういう人間に、恋愛やベッドの中のアレコレを欲する考えがうまれても、世間のそれに比べれば驚くほど脆弱な信号。

別な例えをするならば、定職に就くべきであると知っていても長続きしない。どうしてもできない。無性に受け付けない。でも、それが周囲を落胆させていることに気が付いているので、自分が嫌になる。

結婚しろといわれても、それが理想と分かっていても、どうしてもできない。誰かと付き合いたいと思っても、無性にはねつける自分がいる。

その答えは何なのか!?と苦悶したときもあったけれど、
突き詰めれば単純そのものかもしれない。

トマト。

le 10 mercredi
//ありがとう// 本日はHPを開設してからの6周年記念日になります。
mixiと違って、この世の中の誰が見てくださっているのか全然分かりませんが、確実に存在するけれど、私には全くの未知なる存在のアナタに、心より御礼申し上げます。


重ね重ね申し上げるのは、日記には僕の性的な所属を含有した内容もたまにありますが、それは世間で言えば特殊ではありますが、門戸は広く持ちたいと思っています。  「ノンケ」と呼ばれるノーマルな人たちとの交流が、自然に発生すれば、とても嬉しいです。


そんな特殊性はとても小さな存在で、それをもはるかに凌駕する何かの共有とかが図られれば、サイトも続けてきた甲斐もあります。


さて、本日も金山から家まで競歩で帰りました。
長く歩く利点の一つに、下らないこと、脳内冒険とかを長々とやれる楽しみ。
今日は、長野の田舎で塩とかは買うとして、他を自給自足にするには、どれほどの田畑が必要で何を植えるべきで、病害虫に対する自然的な撃退策は何ぞや、とか・・・
不作の年に備えて、穀物の貯蔵法とか、山間でのたんぱく質の確保とか、野菜の貯蔵法とかを延々に考えていました。

とても、楽しいひと時だったので、まもなく寝るのですが、その続きを考えることにしましょう。

le 9 mardi
//金山から競歩で// 熱田のイオンあたりに用事があって、仕事帰りに寄る。金山駅から徒歩で10分ほど。 用も終わって家路に就く。家まで競歩。1h15m。 平日の出来事なんて印象も薄いのですが、こういう出来事があると、語れる火曜日。

//もっとも印象に残る肉の一つ//  道に突き出した黒い鉄板に、何の肉だか、2センチ四方の薄く、妙に綺麗な白い肉を、これでもかと炒め、滅菌も兼ねているのだろうか? 鉄板に押さえつけるように焼き、品質にOKが出れば、これは良いと、鉄板の周りに陣取る労務者に分け与える。 

厨房は鉄板の背後に畳一枚。1.5畳ほどの店舗は駅前の一等地なのに、安く提供できるのか、労務者で賑わっている。 そして酔いに任せ、店の前の道路で、心地良い寝姿を維持して睡眠を楽しむ。  
歩行者が路上の頂点であるこの界隈は、頂点が故の存在の勝手と自由で、道を居間にしたり、寝床にしたり、食堂になってもいる。

ダイエットをすると、美味しい食べ物ばかりが目に浮かぶ。

そんな美食の探求の、その流れの中にあって、
ふっと浮かぶのは、十分に炒められた肉の味とコップ酒のひととき。

le 8 lundi
//高校生は超人か?// 冷静に考えて、授業が始まる前の部活動があって、そのまま授業。そして夕方からの部活動。人によっては自転車通学で、夜には大学に向けての勉強もする。

そりゃ、たらふく食べても太りませんわな。

そう考えると、僕の体は代謝も衰え、「冷たく」なっている。
ボイラーでどんどん燃やす生活にしないと。


外はシトシト雨も降る。
内向的な三連休も終わろうとしている。

明日から仕事、毎度のごとく精神統一の時間。

仕事が、生活が、無事平穏に過ごせれるのは、
高い山に登る、何かで優勝する、そんなものとは対極で
地味で目立ちませんが、
それを維持するには、物凄いパワーが必要。

le 7 dimanche
//0円の日曜日// 昨日に引き続き出費はナシ。  本日もデジカメ見つからず。天気も悪いしライド先で雨が降ったら洒落にもならない。それでも僕の務めはダイエットなので一周一キロの家の前の池をウォーキング6周。ランニング5周をこなす。

本日は、両親の寝室の箪笥が地震が起きて倒れると圧死の危険性もありそうだったので、上下に分解する。

明日は、僕の部屋で危なさうなものを耐震化させます。

危機を煽るわけでもありませんし、風説の流布でもありません。
例えば、テレビで占い師が、預言者が名古屋で大きな地震が発生すると時期も指定すれば、当たらずとも対策を講じるのが人の常でしょう。

日本に住んでいて地震対策は避けるべきではないし、そのためのきっかけであるなら、外ればかりの占い師のお告げでも大歓迎。

10月の前半の後半の雨の日。

le 6 samedi
//猩々(しょうじょう)文化圏// 朝一のライドはコンパクトデジカメ紛失による家宅捜索で出鼻をくじかれる。  最近まであったのに。
帰ってきてからするつもりであった洗車をこなして気を紛らわす。そして昼寝。15時も過ぎて、僕の務めはダイエットであると遅めの出発を決断。もちろん師崎は無理。とりあえず常滑市は北部の新舞子までピストン。それでも往復50キロありました。

もともとは連綿と続く大地に、脈のような丘が連なり、川が流れ、自然の境界線が発生する。

しかし、モータリゼーションは、地政学的な境界を無視して、例えるならアメリカの州の境界線のように強引。

国道23号線は、知多半島最北東部の文化圏を見事に分断してしまった。そして現代の市界区分。

そんなのがない昔、緑区の大高から東海市の名和あたりは、風俗的にも似通った文化圏を形成していたと思うのです。

猩々(しょうじょう) 緑区の鳴海から南の大高にかけて、人間を二回りも三回りも大きくした、「着ぐるみ」があります。熱田神宮の前身といわれる緑区の大高にある氷上姉子神社の例大祭にも登場します。

調べると、全国各地に猩々は分布しているのですが名古屋近辺では、特にこの地が色濃く根付いています。

自分が勝手に思うのは、伊勢神宮の御神物の絹の衣服も、人間のそれよりはるかに大きいらしいです。
昔の人は神様を人間に例えるとき、それは一様にデカイ存在で猩々はまさしく神の化身だと解釈しているのですが。


さて、自転車で旧知多街道を南下する。巨大なバイパスや市界の表示を超えて、東海市に達したのですが、現代の境界を2-3越えたのに、その街道沿いの古い町並みにある公民館には、秋祭りに出される猩々がありました。

市の名前は違うけれど、猩々文化圏としてのエリアが存在すると認識したとき、地元の歴史や地理を学ぶのも楽しいものだと改めて思いました。



le 5 vendredi
//質素なる休日前夜// 三連休を前に、金曜の晩というのに、静かに帰る。今回のダイエット闘争は、口だけではなく、けっこう本気。
明日は、早く目覚めて知多半島は師崎まで。

もともと三連休はあえて予定を入れませんでした。過去にも未来にも予定が目白押しなので、努めて何も予定を入れず、外出するなら車も使わず。質素であり倹約にも努めたいと。

こういう三連休は、これに徹すればとても意味があり満足。
少し散在も過ぎていた頃だと思っていたので、ダイエットは金銭面でも実行です。

le 4 jeudi
//東京へ、大阪へ// 11/7までには大阪へ。東京にも行きたい。 今年するべきことと言えば、音の風景集め。

今年の年末年始は珍しく9連休。カードのポイントも9万ほど溜まっているので、ヨーロッパ往復航空券も余裕でもらえる。たが、またとないチャンスに老いを感じる。

つまり、めんどくさい。  パスポートも切れてしまって一からの手続きも面倒。
パリやウィーンにもう一度行きたいのですが、久々の外国となると、いろいろと調べたり会話の勉強もしなければ。  めんどう。

音の風景集めをしたいのです。パリで。  でも、めんどう。
昔は、一人で彼方此方出かけたのに。

le 3 mercredi
//プレゼント作戦// 三連休にするべきことはMTBで中距離ライド⇒ダイエット闘争。  部屋の掃除。  読書。   それとこの前の志摩の海の音が比較的良く録音できていたので、それをプレゼント用に仕上げたい。


志摩から戻って、寝るときは毎晩波の音を再生しています。
このような自然の音が、心境に応じて音楽を選ぶように、種々取り揃えたいものです。そのために新型デジタル録音機を購入したのだし。

まもなく寝るのですが、また波の音を聞きながら眠りにつけれるのは、とても幸せです。

le 2 mardi
//回転寿司では、、、// スシローに入って食べたいものは、マヨネーズ系ばかり。「シーサラダ」「タラマヨ軍艦」「軍艦甘海老」  無性に食べたい。


//300円あったら// マックポーク二つにマックシェークのバニラ。


//食べ物はない// でも、生きるために動く。  こういうとき、体内の脂肪分が溶け出すのでしょう。 日本人の歴史で、飢えに苦しまず生きられるのも100年ほど。動物性脂肪を手軽に取れる時代は30年ほどでしょうか?

DNAは飢饉に備えて、体内に脂肪を蓄えようとする。そんな流れを変えるのも難しい。

le 1er lundi
//漫画のようなお話// 飢えに苦しむと食べ物のことばかり脳に浮かぶ。 そのような現象が顕著で笑ってしまいました。 

緊急ダイエットを実践しています。お洒落コーディネーター氏とお話に興じた月曜の夜ですが、食べ物の話ばかり。あそこのアレは美味しいとか。いろいろ。  早くも喪が明けて、いろいろと食べたいわ。

料理番組に、「粗熱を取ります」と、聞きます。僕のダイエットも3キロくらいは粗熱。これからが本番。ゆっくりジワジワと攻めていきましょう。
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