令和5年10月octobre.2023

le 31 mardi 火曜日
//雨の中//天気予報を見ると冷たい雨の中、テントの中で一日中過ごすことが想定されます。それは全く売れないけれど、その場にいると言うことで、多くの参加者は今から悲鳴を上げているのでしょうが、実は少し楽しみでもあるのです。誰も来ない。冷たい雨だけが降り続く。どうやって過ごそうかと思案する時、電子書籍と何かの勉強くらいはと思うのです。特別感から言うと満点の状況です。この制約の中、いかにして意味ある時間にするのかが、大きく捉えれば人生逞しく生きれるかどうかの試金石。貼るカイロは沢山持参して、低体温症にならないように。地面はぬかるんでくると思うので、足を置く台は何かで代用。それと常に食べて、体温の保持にも努める。今回は売るというより、遣り抜く工夫が特に必要かと思います。


le 30 lundi 月曜日
//多治見に行くと//瀬戸を通過する。瀬戸を越えなければ多治見に行けない。見慣れた街を過ぎる時、私はこの街で2年間過ごしたのか?あれは本当のことなのか??と、まるで夢見心地のまま過ぎ去った日々が、夢物語であって幻のように思えてしまう。と、申すのは、瀬戸時代が幻でなければ、退社したあの時が、もう遥か昔に位置するのだが、未だに前職の人間模様とか夢に出てくるのです。私にとって、前職時代は未だに心に隣接しているからです。

でも、笑い話だと思うのが、どんなに隣接して夢に出てきても、既に私の知らない人が何人もいて、新しい事柄が話題にあって、いやいや私のことなんて話にもならないのに。あちらはあちらで新しい時代を歩んでいるのに、私にはその情報が全く無いから、今でも退職時の枠組みがあってこその夢なのです。

大きく歩みだしたと思っていたのに、その歩幅は小さく現実はそうでもないと。


le 29 dimanche 日曜日
//大垣に行くには//国道23号で長島まで。それから堤防道路を北上して大垣まで。夜明け前、揖斐川の堤防道路を北上していました。堤防道路には街路灯の無いので、ただただ月明かりが美しい。養老の山の上に、大きな月が。その光の筋が揖斐川を横切っている。電気の無い時代の、月夜の絵画を見ているようで、本当に美しかったです。


le 28 samedi 土曜日
//土曜日とは//久々に家で寛ぐ土曜日です。今日は買い物に出かけました。これも久しぶりの土曜の買い物。前職の頃はこれが当たり前でしたが、何時の頃からか全ての用事は平日に済ませる生活になったので、土曜の外出、しかも買物は新鮮でありましたが、結論から言えば避けられるなら避けるべし。ただただ混んでいて渋滞するだけというのが感想です。

余暇で例えますが、仮に都心で過ごすにしても平日でありたい。百貨店でも美術館、古書店でも旅先でも、人の静かな平日に寛ぎたい。
大学の頃、将来、平日休みの選択など絶対にありえませんでした。そんな少数派の時間軸だと誰にも会えやしないと。ところが、あの頃は気が付きませんでしたが、私は孤独癖が顕著で、今の時間軸がとても心地良いのです。


le 27 vendredi 金曜日
//お風呂で思ったこと//お風呂の真ん中に堤防を造ったら、波は堤防の手前までしか届かない。真ん中の堤防が無くなれば、その先に広がる。
太平洋の荒波は伊勢湾を北上し名古屋港の岸壁にぶつかる。でも、どんなに波が高くても太平洋の荒波は琵琶湖や諏訪湖には到達しない。

太陽の光が届くのは、間に遮るものがないからだ。遠くの銀河の様子が観測できるのも、地球との間に遮るものが無いからだ。一つの空間。天の川銀河とアンドロメダ銀河は、全く別なる存在だと思っていましたが、共に一つの容器に収まっている仲間。こう考えると、空を見上げて宇宙を想像すると、理論上は、どんなに遠くの最果ての宇宙の果てであっても、地球との間に遮るものが無い。

波が到達するのは満たされた液体があっての事。
雷鳴が届くのは満たされた空気が揺れるから。
何かがあるから、それに乗って伝達される。
太陽の光が届くのは、宇宙に見えない
気体らしきものが充満しているから、それに乗っかって伝達されるのだろうか?
真空でも光は届きますが、気体がないだけで
空間はある
宇宙の空間がペシャンコにならず維持できているのも、最果ての星の光が観測できるのも、
何かが満たしているからだと考えると、圧倒的に目に見えない何かに覆われているのが現実で、人間が視認できる現実は、砂粒一個くらいのボリュームなのだろう。

その何かは人間には見えないけれど海に生きる魚が海水を、我々が空気を認識しないで生きているように、実は、空間とはAとBの間の事ではなく、
その間に充満する何かがあるから始めて存在するものなのだろう。それがなければ、AとBは分離することもできず間が形成されない。

本日の結論は、空間とは気体・液体・真空に関わらず、空間が
維持できること自体、圧倒的な無(と言わせてもらうが)が充満してはじめて成り立つのだろう。

余りに遠くの星が観測できるのも、その間に遮断するものが無いからだ。地球と最果ての星の間には、空間が崩壊することなく維持されている。圧倒的とは、この現実。

見える関係性とは両者の間に距離・空間の存在が維持されているから。この力が無ければ合一であり見える関係性にはならない。つまり、存在とは、存在を許して下さる、他と分離できる空間あって初めて可能であり、その性質は地球と月の間と地球と宇宙の最果てとの間であっても全く同じモノ。この世の中で最も広範囲に影響を及ぼす何かしらに地球も満たされていますが、それは認識できないけれど厳然として存在するのではなかろうか。

空間とは、空間を維持する何かしらに満たされて、はじめて可能であるとするならば、人間は全く根本的な大前提になる物質さえ認識できていない。


le 26 jeudi 木曜日
//電動ろくろ//電動ろくろを新工房に運びました。昨日、頑張って窯詰したので、待ち時間を有効に使ったことになります。帰宅後ちらっと覗いたら、二度焼きが必要な最上段。明日は余熱あるうちに、もう一度窯を焚きます。


le 25 mercredi 水曜日
//ほぼギックリ//本日は午後から怒涛の窯出し&施釉。19時まで要しました。この前の土曜日、終日北風を浴びて、軽いギックリ風の感触。ところが本日の午後に頑張りすぎて、ほぼギックリに。

//同調//ラジオって、例えばNHKの729Mzに合わせると、まず受信機が微弱な同じ電波を発するそうです。そして電波塔から流れてくる本流と合体して放送が聞こえる仕組みだそうです。これを同調というらしい。私、昨日知りました衝撃の事実になります。


le 24 mardi 火曜日
//12時から12時まで//素焼の窯出しまで、本日12時から24時間は待つのみ。ようやく迎える安息日。

ですが遠出するわけでもなく、日に二度の父上の健康回復運動の付き添いと、若干の昼寝と、16時からの入浴。読書はこれからとします。

そうそう、浜松での話ですが、道路隔てた向こうのビルが前職の本社とそっくりな作り。全ての階から、顔を出され「アイツがあんな所で何か売ってる」と好奇な目で見られているような錯覚に囚われました。


le 23 lundi 月曜日
//本日のみ//明日の午後に素焼の予定なので、明日は朝から天日干し。よって、小物薄物なら今晩と明日の午前中で乾くと読んでいますので、20:30まで作陶しました。


le 22 dimanche 日曜日
//出店は楽しい//日陰は本日も同様。私の作品は、光線が強ければ強いほど良いのが分かりました。それでもお買い上げくださった方々には、感謝申し上げる次第です。

浜松では古書店にも顔を出しまして、数冊買いました。帰宅してからの楽しみといたします。


le 21 samedi 土曜日
//浜松で泊まる//いつもとは違う場所での出店。今回は浜松で宿泊。翌日も朝が早いので飲み歩きとは行きませんが、負担も軽減され助かりました。

東西の大通。申し込んだときは酷暑で日陰が期待できる南側を希望しましたが、一日中日も当たらず北風も強く、これは作戦失敗でした。


le 20 vendredi 金曜日
//平成30年7月//今のスマホをいつ買ったのが、この日記で調べてみたら2018年でした。只今、5年と四か月です。先日、新機種が発表されましたが、この間に3回もモデルチェンジ。流石に買い替え時期かとは思いますが、壊れたところもなく、ただカメラ性能が時勢に取り残されているくらい。

ただ物持ちが良いと、他の機材も時を同じく一斉買い替えとか、そういう危険性もあるので、リスク分散かな。


le 19 jeudi 木曜日
//一週間が//早い。単調な生活が続いていた前職の頃もそう感じていましたが、瀬戸時代も終えてこれからは見知らぬ地平、時間を長く感じるものだと思っていたのですが、最近一週間があっという間に終わってしまう。

こういったものの、令和五年は沢山の思い出があり過ぎて、とても長く感じます。大学4年の卒業と入社の年並みに全てが新鮮の繰り返し。

本日は安息日の予定でしたが、22時まで制作でした。


le 18 mercredi 水曜日
//我慢しました//使っているスマホの新型が明日発売。すぐに店頭に行くことはしませんが近々買い換えようかと思います。壊れないスマホとして有名ですが、本当に壊れなく耐久性は大満足。ただカメラの性能が時代に取り残され、発信も大切な仕事の内ですから、これを機会にと思います。

本日、実験焼成の窯出し。思いもよらぬ光景が広がっていました。意図した結果でないのは残念でしたが、おそらく1000年陶芸に専念しても、これを目指すことはないので、全く嬉しい授かり物となりました。この新しい結果を新しく美しい表現に昇華していこうと思います。


le 17 mardi 火曜日
//頭の中//毎日座禅をして痛感するのは、人間は常に何かを考えている。時に睡眠中であっても夢という「無」では無い活動が脳内で展開されている。これが犬ならどうであろう。犬であっても、何か感じながら生きてはいるが、人間のような言葉が無いので、その思考の領域は圧倒的に単純で小さい。チンパンジーなら犬よりかは大きいと思うけれど、やはり人間よりかは圧倒的に小さい。

共に目が二つあり鼻があって口もあるのに、思考領域は雲泥の差。これこそが人間の本来の価値なのだろう。ではもっと単純な生物はどうであろうか?彼等も一生のうちで一回くらいは願ったりするのかもしれない。もちろん言葉にならない思いではありますが。というのは、もっと乾燥に強くあったなら枯れなかったであろうと願って死にかけた植物があるから、その後、乾燥に強い進化が生まれたのだと思う。人間は常に考えますが、単純な生物は、一生の内で死に瀕して一回だけ考える機会があるのかもしれない。

ところが進化の現実を見ると、純粋に強く願うことは達成されて今の世界があるとするなら、願いは叶うことになる。考えることは叶う。

では人間はどうであるかと考えれば余りに考えてばかりいるので支離滅裂で相殺されることが甚大なのだと思う。片や転職したいと思いつつ、その先の不安も描くなら、既に相殺していることになる。願い事はあっても、その実、現状の保持を別で考えているから、大した推進力もなく何も変わらなくなる。

人間は言葉を持ち、余りにも広大無辺な世界すら語れる能力を持った。犬猫のように、もっと単純な生物のように純粋な願いのみを終始持ち続けるのが、訓練抜きでは極めて困難になっているような気がする。彼等は思考の幅があまりに狭いが、狭い世界なりに彼是雑多な妄念が湧かないから、最終的にはその問題を克服した進化の形態があるのだろう。

人間は月面生活を思うことも出来れば上司の失敗を思い描くこともある。一人の人間が到底同時に叶えることの出来ない世界を始終縦横無尽に考えているから、俺には夢があるんだ!!と言ってもなかなか現実化しないのだろう。その辺りは精神修養なる訓練が必要と思われるが、夢にブレーキを掛ける雑多な出来事は、ただ単に存在していると、それ以上考えないことが重要であって、言い換えるなら、真の思い以外はやり過ごしてこその、犬猫の純粋さなのだろう。


le 16 lundi 月曜日
//今週の予定//片付けのあと若干轆轤を。本日作ったものを明日の午前中には乾燥を終え午後には素焼に入りたい。水曜日に窯出し後、窯詰、点火。金曜日の午前中に窯出し。
今回も然りですが新しい実験も行います。毎回、何かしらの試みを加えますが、これあっての今の私です。


le 15 dimanche 日曜日
//傾向//本日も土曜と同じ傾向でした。格安品は、たしかに耳目を引く。反面、他は見向きもしない。売り上げの底上げに繋がるかは会場の雰囲気に左右されるのでしょう。公園のお散歩コースに出店するなら設置も良いのかもしれませんが、買い手に意気込みある会場では、これは見合わせるべきでしょう。結果としては、今回の会場では良い効果を発揮しましたが、これは半期に一度程度に抑えなくては。


le 14 samedi 土曜日
//初の試み//出店料が無料と言うこともあり、これは還元せねばと言うことで、今回初めて格安品を販売することにしました。全くあり得ない値段設定ですが、このような冒険的試みは無料だからこそできるもので、傾向を知る上でも役立つ実験です。

結果は8-9割が格安品。もし正規品のみだと惨憺たる結果ですが、こういうお散歩コースの出店は今まで苦戦していたので、良い知見を得ることが出来ました。今後は格安品にせよ値段設定は精査するべきだと。改善の余地あり。


le 13 vendredi 金曜日
//作戦変更//明日の出店ですが、駐車場から設営場所までは人力での移動。多くの場合、至近まで車を入れれますが、こればかりは仕方がない。急遽、設営形態を変更し、若干の軽量化を図ります。片道250mを3-4往復は必要かな???
それでも、どう順応するのだろうと、これはこれで楽しみなのです。


le 12 jeudi 木曜日
//冷たい雨//日曜日の出店は、小さなテントの中で冷たい雨を感じながら、ただひたすらじっとしていると思います。雨だから出店取りやめは同義に反するので、こういう日は本でも読んで、瞑想も良いかも。

御嶽山の駐車場で一人テントを張って寝ることの素晴らしさは、この日記の15年ほど前に書いてあると思う。外は厳しい環境で、テントの中でじっとしながら細やかな安楽に有難味と情緒を覚える。まるで子宮の中の安心感のような気持になる。次の日曜日は、そんな一日となりそうです。


le 11 mercredi 水曜日
//どう関わっていくのか??//私は、孤独愛好者であり、それは徹底している。一人でいる時間に全く寂しさを感じないし、かえって邪魔される心配もないと考えると、孤独こそ最善であると強く思う。

でも、陶芸家として生きていく上では山奥に一人というわけにもいかない。私は接点が無いと生活が頓挫してしまう。今さら何を言っているの!!と言われそうですが、これまた焦る気持ちとかなくて、自ずと道なり接点は広がっていくものであろうと確信している。

この前の多治見は面白くて、どう見ても窯元の主人とか製陶所の社長とか、そういう人が一般人のように近づいては買わないのに目つき鋭く注視しに来る。この点では、我が釉薬に感じるものがあったと思っています。

心すべきは、常に誰も見たことの無い美しい表現・美の創造。こういう放射でもって相手方と接点が構築していきたい。


le 10 mardi 火曜日
//特別な特別便//信州お野菜直送便の特別便。いつもは頂きに上がるついでにお話にも興じますが、今回は早々に切り上げる。採れたての落花生は、時間との勝負。如何に短時間の内で茹でるかが最重要事項。

とっても美味しかったです。いつもありがとうございました。


le 9 lundi 月曜日
//半日お休み//本日は午後からお休み。二日続けての雨ってのも久しぶりな気がする。
こういう天気に陽気は9月に体験するものですが、9月は全く真夏で、夏は4月には汗ばむ陽気ですから、5か月は夏。そのうち一年の半分は夏になるのでしょう。


le 8 dimanche 日曜日
//二日目//正午回ってから雨が降ってきました。一部商品は雨の下だったのですが、水滴が作品に点々と。淡い太陽光の下のそれは、心奪われる美でした。

何人もの方が、見たこともない釉薬だと、特に嬉しかったのが窯業関連で勤めていた人が感嘆してくれたこと。
 地球上にまだあるだろう誰も知らない新大陸を発見することが、人生の夢だと語ったら、そもそも常識が無いと一蹴されてしまう。でも、誰も見たことの無い美を創出することは、現実離れしているとは考えていません。極めて現実的で、これこそが私の進む道で普遍の思い。我が制作の思想。この軸に型は決して変えることなく常に情熱的に持ちつづけ励みます。

美については色々語ってきましたが、私が思う美は、心奪われる事。例え親しい人が今先ほど亡くなったとしても、力ある美は一瞬であっても人を魅了させ、悲しみさえ消してしまう。美は、耐えがたい悲しみであっても、陵駕する力を持っている。そんなまだ見ぬ力ある美を具現化するのが私の天命。


le 7 samedi 土曜日
//市之倉初日//今日明日と岐阜県多治見市市之倉で出店。
浜松に比べれば圧倒的に近いので身体的負担も少なく快適でした。御縁を頂いた全ての人に御礼申し上げます。

本日はテントも張らず太陽光の元で出店。我ながら美しい輝きを放つ釉薬なのですが、色々と考えました。
 人間の視認できる光の幅は狭い。得も言われぬ美しさは、可視光線に隣接する反射を脳のどこかに感じているからなのかと思ったり。と、申しますのは、私の釉薬は「含み」があって跳ね返す幅が広いと思っています。その美しいと思う焦点が曖昧で、なかなか言葉に出来ない釉薬なのですが、言葉に出来ないというのが核心で、これが可視光外の技であるからと考えたのでした。


le 6 vendredi 金曜日
//why?//何故、生き方を変えてまで、陶芸の道を選んだのか?一時の熱に浮かれての行動ではない。では何故?????

その辺りを言語化せず、何を作りたいとかどうしたいとか、そう言うことばかりを考えているのですが、こんなに考える時間があっても、何故、私は陶芸家となったのか??この何故を問われたら、的を絞ってストライクなものの言い方が出来るであろうか。

確かに熱き思いはあるのですが、その思いと何故の回答が果たして一致しているのだろうか?

今晩は時間があるので、座禅三昧。何故の答えを言語化して心に刻みます。


le 5 jeudi 木曜日
//出歩かず//貴重なお休みでしたが、終日、家で大人しく。午後、椅子に座りながら90分ほど昼寝していました。今焚いてある窯で二種類の実験をしています。最上段を見たら想定外の消しゴム効果。思っていたものとは180度違う方に動きましたが、これはこれで、そういうものだと認識し、今後発展させていこうかと思います。


le 4 mercredi 水曜日
//明日のために//明日は終日お休み。新聞や本を読んだり勉強も。なるべく早い時間から始められるよう、今晩はもう寝ますというところですが23:17

本日は二回目の本焼成。頑張りました。


le 3 mardi 火曜日
//奥さん、お醤油貸して//釉薬の大調合、最後の珪石が300g足りないと判明。これが瀬戸や多治見なら、作家仲間に珪石貸してと言えるのですが、我が近所に珪石など誰も持っていないので、急遽多治見に行きまして他にもいろいろ買い込んできました。

そういう意味では予想外の出費だったので、週末の古書祭りは行かない方向に。


le 2 lundi 月曜日
//漸く//本日本焼きの窯詰。ようやくこの段階に来ました。本焼きが始まると、窯出しまでの時間が自由時間になる。

漸くと言えば、もう一つ。涼しくなってきました。一つ警戒するのは夏の疲れが出る頃で、季節の変わり目では、思い切り早く寝て身体を次の季節に順応させます。そういう意味での早く寝る寝る運動の日も必要になってきますね。


le 1er dimanche 日曜日
//本が読める//お昼ご飯を食べてから作業開始。窯出しして、余熱あるうちに窯詰。再稼働。それと工房の整理。あとは待つだけなので、ようやく本が読めるのですが、既に一回、程なく眠ってしまった。

もっと腰を据えて美しいものを造りたい。そのために細々としたものを作っていると思う。全ては道程の、何処を見ているのか。

人間に視認できる光線の幅は狭い。これは良く知られていることで、虫の目だと、また違った光景らしい。ここで考えたのだが、今いる空間で人間の目に見えない個体は存在しないはず。見えないものにはぶつからないから。でも、例えばある種の生物からは、この空間で、気体の密度の濃淡をはっきり視認出来ていたり、それぞれの物体から後光が射していたり、電磁波の粗密とか波長、同じ人間でも笑っている人と怒っている人の色彩が違うのかもしれない。
もし、虫のメガネがあったら、今いる光景が全く違って見えるのでしょう。こう考えると、今現在とは広範の見えざる世界と同居しているというか、広範な世界の人間に都合の良いところだけ見ているのでしょう。私たちは確実に見えないものとも共存している。






 
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