淡々と言う言葉が好き
それは
そう、それは、
少し手に入れることが出来たから

昔は激しやすい性格だった気がする
沢山の損をした気もする

いろいろ遠回りをして
悔しい思いや辛いことも経験して
なんとかまぁ、淡々とすることの
大切さを知ることが出来ました


淡々

自分の考える淡々とは
冷めた感情ではない

自分の考える淡々は
動じない心

汚い言い方すれば
「ほくそえむ余裕」


怒り焦りは無策の産物

そう言い切ったのに
最近また無策だよ


淡々とするために
淡々とスタートできない
自分



重い腰ともいうけれど

簡単なんだよね
すぐに取りかかれば

なのに
それ以前に何かすることを
探し出してでも見つけ出す




自分の身は可愛い
タラタラとするのも自己防衛だし
「ほくそえむ余裕」もまた自己防衛

前者は
厳しい自分からの防衛
後者は
世の中の理不尽からの防衛


両方は選択できない


淡々とするためには



季節の変わり目だからとは
言いたくないけれど
最近、少し不安というか、寂しいというか

昔から気になる人の
順調な
日々の生活

自分の遅々として進まない明日の姿


一人は、一人で居ることに関しては
得意中の得意
寂しさなんて感じたこともないのに
変ですよ

季節が変わるから?


例え、一人で年老いたとしても
自分は絶対に乗り切れると
確信に似た自信があったんです


不安かな


何でだろ


日々タラタラと過ごしていても
挽回のチャンスはいくらでもあった

そう思っていたのに


そうではないのかな?



贅沢なひととき その@

贅沢なひととき
冬の全くの青空
週末の午前中
寝不足感を残す訳でもない爽快な目覚め

濃い目のコーヒーのために豆から挽いて淹れる
小さな儀式

PCからはフランスのFMラジオをライブで聞く

そう、聞きながら
メールとかBBSとかの返信をして
まだまだ続く午前中を実感して
昼前の午(前)睡

ベッドに入り窓を見れば
快晴の空に
たまに流れる真っ白な雲
そして名古屋空港へ高度を下げる飛行機を遠くに見て
あえてOFFにしなかったフランスのラジオ局

流れゆく音楽の数々の中に
夏の早朝、長野の高原を飛ばしながら聞いた曲が
今も新鮮に耳に響く

贅沢なひととき
そんな午(前)睡は
目を覚ましても
まだ正午前



漠然として嫌なこと
漠然として不安なこと
たまに来るそんな思い

穏やかに穏やかに
それらを打ち消すために
目を釣り上げる必要もないし
逃避に継ぐ逃避を重ねる必要もない

穏やかに穏やかに
呼吸を落ち着かせて
いつもする深い瞑想

絶対の信頼と絶対の平安

もう何度もその奇跡のような素晴らしさを実感しているのに
たまに訪れる不安とか苛立ち

レールを敷いた自分
強制される訳でもなく
贅沢のためでもない

ただただ心の深い所から発する信号のようなもの
これが真実であり答えだと思う

そう、人間は近未来の自分のことは
大なり小なり予見できているはず

レールの上を順調なら
そうは思わなかったはず

絶対の信頼と絶対の平安
そのためにも今一度



●大陸の高気圧がもたらす乾いた空気と全くの快晴。
遠く目をやると山々には残雪が白く輝く。
それなのに今居るところは風も心地良く菜の花とか草花も鮮やか。
例えるなら3月の下旬から四月中旬にかけての岐阜や長野の田舎道。


理想とする光景を書いてみる

それはいつか見た遠い日の記憶であったり
思いを馳せる憧れであったり



昔の自分は、
って言うのは控えたい

昔は出来て今は出来ないもの
そう数え上げることが
後ろ向きで馬鹿馬鹿しくもあって

でも、昔はスラスラできたんです

今日の夕方
僕は南に真っ直ぐ伸びる堤防道路を走っていた

川面にはオレンジに輝く
夕陽が照らし出されていて
山は紫

空はまだ青くもあるのだけれど
でも低い角度が眩しくて

そんな真っ直ぐに伸びる道を
ただひたすらに

昔の自分は
思う気持ちを書き上げることができたはず

いとも簡単に
字余りって訳でもなく
思うところを書き上げる

比べたくないけれど
今日見た光景を
上手く言い表せれる自分は
今はいない