septembre.2013


le 30 lundi
//暑すぎ。。。// 順調に秋が来たと思っていましたが。。。。

//対前年度比// 陶芸をやり始める前と比べて支出は格段と減った。ところが、それで二年と数カ月。前年度比に比べての、、、、大勝利!もいづれ通用しなくなる。陶芸の削減効果は出尽くしてしまったのだ。僕が考えるのは、陶芸は富を生む。こういう流れ。この流れに転じさえすれば、それは無限大の世界です。

突き詰めた倹約も行き場を失ったのなら、反転攻勢と言うわけです。


なんで、そんなに節約に血眼になるの!?と言われそうですが、
実は、コレ、楽しいのです。楽しいからやっている。社会情勢も背景にありますが、それにもまして節約は頭を使うし、「お金」の存在や意味、もっと広く言えば世の中のことを考える良い機会だし、行きつく先を見破っている気もするので、誰よりも早く手を打つ優越感ってのもあります。

では、どうして増やそうとしないの!?と聞かれそうですが、
これは言葉にはなかなか言い表せません。そもそも「富」とは労働の実業の結果生ずるものであり、投資という側面支援は、あくまで労働の富の一部に期待して正常な訳でありますが、今や投資と言う側面支援の美名でもって、労働者は富を享受する立場から投資者への提供者として、虚業が実業を上回っていると考えるのです。

虚業に群がる人が多くなりすぎてしまった。IT革命の副産物でしょう。
もはや虚業世界は、ちっぽけな実業の富に期待できないほど肥大化したと思っているし、虚業が虚業に投資するような、ありえない輪郭も見て取れるのです。しかし、富と言うのは労働の実業の汗によって生まれるものであり、この伸びは微々たる毎年の積み重ねが正常であって、現在の群がりはおかしい。無いピザに群がる、実業の経験もない人たちの破綻というのは、あると思う。

数字は嘘をつかないし、こと紙幣に契約書に印刷されているお金の数字は、人の記憶に時に恨みを持って時代を越えて迫りくる。借金を返さない人に対して忘れることが出来ない債権者は、昨日の晩御飯の内容は忘れても、10年も20年も覚えていて返済を迫る。

そもそも、今の労働量で期待される富は、そう多くない。
なのに労働もしないで裕福な層は肥大化している。
誰かか自己責任の名で、将来、莫大な損を受け入れない限り、歪みは溜まり綴ると思うのです。おかしな数字は正常値に戻ろうとするはず。正常値に戻る大反動こそ、○○で損失、その額の桁の違い。


le 29 dimanche
//充実の週末// 粘土は買いだめしているので、一日につき、1500円だとして3000円。
全て込み込み価格で二日で3000円。
この破格値で精神が満ち満ち満たされるのですから、僕は消費税が50%になったとして、つまり4275円の世界でも、「なんで、そんなにニコニコしているの!?」と言われそう。

ともすれば、この日記は陶芸のことと倹約の精神論で一年が消化されそうですが、
僕たちが心すべきは、何で心を満たすのか!!!!!??なのです。
お金は、あまりにも簡単に、いろいろなプランを提供します。
でも、知恵はお金に頼らず解決策を見つけ出す。ココなのです。

僕たちは資本の流れの中で生きている。
手にしたと思っているお金は仮の姿だと思えば良い。ありとあらゆる口実で引かれるし、
そもそも社会は、そのお金を利用しての便宜交易なのですから、使わざるを得ないシステムに組み込まれています。
お金は使ってこそ意味がある、と。確かに若い青年には自己投資も意味があるでしょうが、老後を視野に入れると自己防衛に重きを置かざるを得ない。
貧すれば鈍すではありませんが、年金を怪しい金融商品に預ける老人の心理は、貧するが故の盲目もあったとは思う。どこかで冷静な判断が求められる時、貧していては道を誤る。貯蓄しましょう。


le 28 samedi
//ある若手陶芸家の弁// 支払いを抑えれば(安い収入でも)生きて行けれるんだよ!と。
ぼろアパートで生活している。寝るだけだからボロくても良いのだ。
起きている時は生産活動。工房を借りて生産し、時にクラフトフェアなどで売り歩く。

何かと僕に訴えかけるのです。
起きている時は生産活動をし、寝ることに関して、その意味を果たすなら、投資は最低限に。

起きている時は労働に専念し、その疲労は癒すことに専念する。つまり寝る。
この組み合わせを何よりも優先させれば、支出が割って入る余地は必然的に減少する。
それでも眠る必要もなければ働く必要もない時間は発生するもので、それを余暇とするなら、
その活動が結果的に第二労働(価値を生み出すもの)となるもの、もしくは、それに掛かる費用が格安で済み、さらに両者ともに精神的にも充足していなければならない。

僕は、ある種の合格圏内に入ろうとしているのかも。
労働して寝つきは良い。そして週末は陶芸で売ったためしはないけれど費用は格安。そして精神的にとても充足しているのだから。

と、書き続けるのは、日本国の現状として、
国民の財貨を今まで以上に吸い上げなければ国家の存亡にかかわるので、
だましだましでも結果的にはキューーーっと吸い上げる。

日本国民である以上、公的な枠組みでの吸い上げには従わなくてはなりません。
ところが私的な活動でも、セックスと睡眠の快楽以外は消費税がついて回る。
この消費税が厄介で、財貨の効果を味わうと必ず付いて回り、年々悪質になる。

でも、対策を打つ領域は、どう考えても私的な箇所。つまり消費活動の領域。
明日考えよッッ


le 27 vendredi
//偉大な三連休の余韻//四日働けば週末の四日目も終了しました。

変な妄想をする。
芸であるから、死ぬ時は一人。それなら一人で即身仏になれないものかと。
山の斜面に穴を掘り、人一人がようやく出入りできる穴だけ用意する。
中に入って蝋燭をともす。
内側から石積みし完全に防ぐ。
これに当たる数日前から断食し、胃を空っぽにする。

そして念仏でも讃美歌でも、祈り昇天する。

でも、そんなことしたら捜索願出るし、事前に宣言すれば、
迷惑を被る人がいるかもしれない。

孤独死と言うと、あまりに否定的なイメージが付きまといますが
一人死にゆくものの死への礼法は執り行いたいのです。
そのためには老いて死ぬ少し前に、自殺ではないけれど
自発的に昇天する一種の儀式は必要なのかなって。


le 26 jeudi
//只今、睡魔が襲っています。。。// 間髪いれずベッドに潜り込むのが最大の幸せであり、支出もゼロ。ですが、僕はエレガンス廉価版のさらなる高みを追求しなくてはなりません。
ケチの大義は僕が日記に書き綴っていますので、もはや具体的な方法論。策。

ケチの反面、支出を継続するものに【南信州新聞】の購読があります。
好きで契約しているのだから、これを最大限活かすのは、時間の有意義な消化であり、その先にあるのは睡眠への誘い。満足して寝るのだから、特に不満を感じないのだし、それはケチのストレスを霧散させる。

現状では溜まりつつある新聞を読み追いつく作業ですが、これからはエレガントに読み満足する行為へと変えていかなくてはなりません。これこそ支出の最大限の活用である。支出して支出を抑える、ケチの極意。

帰宅してシャワーを浴びて小奇麗にし、素敵な場所で新聞を読む。
それに関する支出を劇的に抑える。

労働は収入への行為であり、その労働の疲れを癒す時間は睡眠でありたい。
そこに非消費者としての有利な立場がある。極論から言うと働いて寝て満足し、また働けば、労働の果実は、最大になって手元に戻る。
しかし、その果実が甘いのかどうかは、実際に消費行動によって確かめられるのであって、今後、増税により水漏れのような果実の横取り現象が発生する。
もし、増えつつある残高を眺めているだけで天にも昇るような心地になれるのなら、その人は、年収400万円であっても、1200万円クラスの結果を残すことでしょう。

何に満足し何で時間を費やすかは、とても重要な問題。これに最大限の英知を結集させ、消費に頼らず悠々としてエレガントで満足いく飽きの無い過ごし方を確立しなければ、増税や値上げでガボーーっと追剥の様に吸い取られてしまいます。
生活が苦しいな――という感覚は、最も遠ざけるべき最大の目的なのです。
この生活が苦しいなぁーーー これは怖いですよ。ストレスですもの。どうにかして解決しなくてはなりません。我らには労働の疲れを癒さなくてはならないのに、さらにストレスの癒しまで加わったら、何かに逃げるという手段を取りかねない。この場合、過度な飲酒ですが、それは破綻の入口。    

【何に満足し何で時間を費やすか】 極めて重要。


le 25 mercredi
//甘くてクリ―ミー// 年間を通しての間食代ってのは総計すると卒倒しそうである。
甘くてクリーミーなモノが特に好き。
この支出を抑えるアイデアが浮かばない。自力では代替商品の確保が困難であるからだ。
養蜂が出来るのなら、蜂さんに働いてもらうのですが、いかんせん家庭菜園レベルで糖分の確保なんてのは無理な話だし、油分は落花生しか思い浮かばない。

黒砂糖の塊にバターを付けて食べたら、きっと旨い。
これをマーガリンに置き換えても旨いはず。

表題の件、解決するならば、それは昨日から続く質素倹約闘争ってことだけれど、
僕にはこの程度しか思い浮かべれない。

チョコレート買って満足するのを、上記マダム菓子で代用するなら、
きっと安上がりではあるはず。

あとは甘くてクリーミーなものを精神修養で嫌いになるとかの方法しかない。。。。。


le 24 mardi
//質素倹約闘争// 税金・保険料・手に触れる全ての物が値上がりする。

今日は頭働かないから、明日以降にするとして、もっと壮大なロマン溢れる倹約計画、質素倹約闘争の展望を描かなくてはならない。
何かをするとき、それが怠惰でなければ、いづれ減衰する。その減衰を防ぐためには浪漫溢れる意味合いを賦与しなくてはならない。倹約が浪漫。

倹約とは、何かを中止する、少なめにするということ。
僕は中止に重きを置きたい。車の平均速度で考えると、信号で止まっている時の全体の下げ圧力は絶大なものがある。だって0kmなのですから。100年待っても1mmも進まないのが、ゼロ。停止・中止・廃止。

間もなく到来する値上げ圧力に対して、小手先だけの対応では、もはや限界もあると思うのです。ここは思い切って大型の何かを1-2回中止することにより、半年とか数カ月分の防衛に当てたい。 自分の生活にとって大型の消費行動は、10年超続く日記を振り返れば見えてくるはず。まずは、ここに手をつける。そして何もないポカーーーンとした空間とか時間に浪漫を見出すのです。この考えを昇華させると、浪漫のための行動が、結果としての倹約になるのです。

何も考えない国民にとっては、苦痛であるか、馬鹿を先行させ何も感じないふりを続けるか。
まもなく財布のお金の自由度が減ります。金に頼って肉体の精神の安楽を求める構図は思慮や知恵によって解決せねばなりません。

【おやつ】 自分にとって、おやつの、つまり糖分と油分の調和を楽しむための出費が多すぎる。山羊を飼ってミルクを得て養蜂で蜂蜜なんてのが理想ですが、それは都会で生きていくには無理なので、別な方法で糖分と油分のマリアージュ問題を解決していきたい。


le 23 lundi
//飛行機//楽しい旅も最終日。ギリギリまで遊んで心に余裕なのは飛行機で戻るから。

あっという間にセントレアで待ち時間なく名鉄特急。
皆さま、どうもありがとうございました。


le 22 dimanche
//道路の向こうに//桜島。道路の向こうは活火山。二度モクモク噴煙が上がるのを見ました。現地の人は動じていない。灰が降る。なのに平気な人たち。

思いのほか大都会の鹿児島、気に入りました。市電も良い味出しているし、また来たい街です。


le 21 samedi
//気候が違う//夏。蒸し暑い。太陽の角度が高い!

年間を通して霜が全く降りないらしい。これは植生上決定的なラインで、もう南国そのもの。
山の雑木林を見ると、野生化してしまったバナナが実をつけている。


le 20 vendredi
//奇遇で言えば人生最大級// 九州に旅立つ金曜の晩。晩御飯は大津SA エスカレーターで「あら!」と声をかけたのは緑区の極めて親しいお友達で、今は中国に赴任中の彼。
お互いに旅の最中で、方や世界各地を旅している人と、いつもは瀬戸に籠る僕が大津で会うなんて、奇遇も奇遇。

目を覚ませば九州も鹿児島。お二人の運転手に感謝の限り。


le 19 jeudi
//ボリューミー// 少ない粘土で、いかに重厚感を出すのか!?
これが僕の課題。それは外縁をどのように見せるかによるのですが、未だコレ!といった技法が見つけられない。 例えば軽量な急須は持ってみないと分からない。立体なので、イマイチ淵の厚みが分からないからである。
器の、皿の淵は、ある意匠で重みを感じてもらえるはずだと信じているので、しばらくは、これを忘れずに取り組みたいと。


le 18 mercredi
//人は勝手に伸びる枝// 自分にとっての太陽が、どこにあるのか、それは時として変わるので、人は他者から見れば好き勝手な方向に伸びていく。何かの集まりも、一人また一人と関心が他に向いてしまったら去るものも続くだろう。その逆に訪れる者もいるのだが、やはりいづれは去る。

人は去ったり近づいたり、
電子の衝突みたいに好き勝手な方向に飛んで行っては近づいたり。

関心は、刻々と変化していくのだから当然なのだし、去る人は一つ進歩したのだと思う。


le 17 mardi
//ある閃きを//形にする作業は白昼夢。仕事中、ある閃きが閃光の様に脳内に。これが形になるのか思案する火曜日でした。
思うに、僕が何か新しいものに取り組む全段階として、この閃き⇒思案という過程がある。

だから夢から覚めると、
寝ながらにして作陶のことを考えている自分を見つけるのでしょう。

その勇気も度胸もないから、陶芸一筋の道を選べない自分。
でも、限られた環境の中で、価値や美を創出していくのは、粘土と言う塊に意思を加えていく以上に面白味があるのかもしれない。


le 16 lundi
//雨にも負けず風にも負けず//一時間見合わせたものの、本日も作陶。
帰り際、台風が呼んだ北風で、もう秋。



台風の風で落ちた山栗を拾い集める。とても小さな実だけれど炒ると甘くておいしいらしい。
明日は天日で干して明日の夜に楽しみましょう。

秋からは祝日も多いし、あっという間に歳も暮れるのは毎年のこと。
この間、実に楽しい企画が目白押し。


le 15 dimanche
//鬼// 愛知県には瓦と言う焼き物の町、高浜があります。瓦の一つに鬼瓦。
その鬼をモチーフにランプシェードを作ろうと瓦職人も呼んでのワークショップ。
前日、ランプシェードのワークショップのお誘いを受け本日参加したのですが、鬼が必須のテーマとは考えにも及ばず、ぶっつけ本番に鬼を作りました。

目や口から光が出るのです。
鬼瓦は魔よけの意味があるそうですが、僕が鬼と思い浮かべて何も考えず一気に作ったこの鬼は、僕の心に住む鬼が姿を現したもの。焼成で鬼は焼き殺され、造形としての鬼は新たに魔よけとして生きていくことでしょう。織部なんで緑の鬼になります。


le 14 samedi
//せともの祭// 朝、二時間作陶をしてせともの祭へ。
歩きに歩きました。 今、心に残る展示は、中心部の人の大河の中ではなく、遠く離れたところの関連イベントの中にあるもの。

今年は、いろいろと買いました。人との接点に重きを置いた買い物。
そしてもう来年のことを思うのですが、来年は、自分の作陶に技術的な訴えを持つ器。
と、テーマを決めて巡ります。ちなみに去年は動せず買わない!

人との接点で言うと、やはり僕には入れない世界がある。
どう転んでも、どんなに情熱があっても僕は消費者であり、この祭りのもう一つの側面は作り手のお祭りでもあり、そういう世界を見るにつけても僕はやはり消費者なのだ。


le 13 vendredi
//不思議// 斜面集落探訪に明け暮れていた頃、それは、ある中国茶を供する店にも足繁く通っていた頃。  その時、店のオーナーがクラフトだの骨董だの、手造りのアレコレだのと言うに、僕は全く理解できなかった。どんなに聞いても心がなびかない。

なのに、今の僕ときたら、斜面集落探訪も見合わせで、かつて店主の言っていた世界にどっぷり浸っているのですから。

明日からせともの祭、そしてその後に心なびく催しを時系列に記憶して。


le 12 jeudi
//ドケチ哲学// 増税に反対ではありません。半ば国際公約になったものを直前で反故にする風潮は戒めたい。ですが、僕個人としては進んで節約に努めます。

単に節約と言っても、そこに哲学が無ければ、美学でも良い、そういう高尚なものを賦与しなければ、いづれ志も忘れ怠惰な消費生活者の一員になってしまうでしょう。

まず、どこで支出しているかを分析する。
僕が潮流を変えるとすれば、やはり週末です。今は支出項目である趣味の陶芸。
これをどこかの時点で支出に見合う収入に転じなければなりません。最終的には支出を上回るですが、それは欲深なので今は求めないとして、幾ばくかの売り上げを計上しなくてはなりません。

では、陶芸に年間いくら支払っているかと言えば、
平均的な一日の支出。
使用料 720円
粘土・焼成代 440円
色粉等 600円
交通費 700円
その他 300円
計 2760円。

2760×104 年間287040円。

30万円としましょう。  この30万円は、ただただ慰めとして消えているだけ。
陶芸2年と半年ですからね、いかに慰め量を減額するか!?

さてと、売ることの見通しさえたてれない場合は、月に一回作陶休業日を設けます。
家から一歩も出ず、疲労を癒し、それこそ平素読みたかった本を読む時間に当てます。
これで2760×12の年間33120円の支出の抑制につながります。
撤退ではありません、意味のある休養日。


le 11 mercredi
//気になる年内の催しは!?//
【九月】
9/14-15 せともの祭
9/21-22 セラパーク楽々市

【10月】
10/12-13 アトリエ参道
10月5日(土)~13日(日) 常滑フィールド・トリップ2013
10月10日(木)~14日(月) ぶらり常滑急須の里めぐり
10月12日(土)~14日(月・祝) 美濃焼祭
10/12-13 市之倉 陶の里フェスティバル

【11月】
11/2 
修道院ワインフェスタ
11/9-10 赤津 水野 品野 秋の窯巡り

【12月】
12月21日(金)~23日 常滑年末チャリティー陶展


le 10 mardi
//自宅に工房を構えない限り、、、//作陶は土日祝日のみ。100%専念したいところですが、そういうわけにもいかず、80%を前後する参加率でしょうか。
作陶日の上限は限られているので、僕が目指すべきは作陶の質。
初段で慌てず、あえて時間をかけて全体として失敗を制す。
こういう逸る気持ちを制し粘土の具合に素直になれる自分があったなら、極論で言うと週末の一日でも満足いく姿になると思うし、それでもって外に出て見聞も広められる。

まずは平日に十分な睡眠を保持し、特に水曜-木曜は【早く寝る寝る運動】を実施。
週末に疲労感なく参加できるように。

秋は魅力的な企画が多すぎます。
ただね、見聞を広め刺激を受けると、それを消化できない自分があって、これはこれで良い意味での失敗の要因。そこを越えることに意味があるので、やはり初段の失敗を前提に見聞は広めるべきでしょう。

どうして、こうも傾倒するかと言えば、「極み」
趣味ですからね、妥協を排して取り組むこともできます。ノルマなんて無いのだから。
そこに「極み」が僕に触れてくるのです。
美の確立と崩壊は極みと言う紙一重。
紙の厚さを誤り欲を出せば崩壊するし、怯えのあまり早めに矛を収めれば、有体な作風になってしまう。偉そうなことを言いますが、この極みは初心者から触れられるもの。
下手は下手なりに今時点での到達の極みがある。そこに触れられたなら、極みは凄みに転じるものだと僕は確信している。

欲と弱気をどう制するのか。作陶は、道に通じるものありけり。


le 9 lundi
//旋風!おうちカフェ風味//注視しているのが若手作家に良く見られる傾向の作品。これを説明するのに便利な言葉は「売れ筋」  そういうものに傾倒する理由は理解できるので致し方ないにしても、あまりに迎合し過ぎの面が否めず、そんななかにいる孤高の作家の器に僕は立ち止まってしまう。

土曜日は、車で行くか瀬戸電か、とにかく早くから花火の時間まで歩き倒してカロリー消費も兼ねるとしましょう。日曜日は多治見で座禅で、その帰り、美濃焼ミュージアムとか見た後に赤津焼辺りを散策して作陶かな。月曜日は終日作陶。


le 8 dimanche
//世界の一等国//小-中学校の頃、世界には同一都市で二度もオリンピックを開催する国もあるのだなと、日本も例えば東京が二度目のオリンピックを開いたら、名実ともに世界の一等国になれるのにと思ったことがあります。

東京で決まり。

さてと、これに関しては事実を歓迎するのがウーマンの考え。

仮に落選したら原因は福島の汚染水。⇒国民的糾弾
そして当選した今、福島の汚染水は絶対に隠蔽出来ない国家事業に。

どのみち、力強く汚染水問題が解決に向かうのならオリンピックの決定に喜ぶものなのです。
もはや穏やかな日本国民をこれ以上誤魔化すこともできず、オリンピック成功のためにも汚染水問題は「外圧」を利用して解決してほしいものです。


//慎ましい生活の最大級の行事// 来週末はせともの祭です。
去年よりも色濃く、今年は温泉仲間の旅行以外は、2-3の弔事の他は全てが陶芸。せともの祭は、特に買い漁るわけではありませんが、見て回ってとても楽しい。

正直言えば、どの家庭でも食器類は余るくらいあり、あえて買う必要はないのだけれど
買ってもらわないと一方の生活も干上がるので、買ってもらえる工夫や努力がそこにはある。
安いから買ってもらおうとする作戦や、今風、手の込んだ作に見せての量産品とか。。。
いろんな思惑があって見る器の姿。通り過ぎたり戻ったり、楽しい。

明日からの一週間は、焼き物に関するウーマンの熱い思いをいつも以上に。。


le 7 samedi
//保守派の特別デー// 本日の作陶。新しい事に挑戦する日。ふだんもそれなりに試行錯誤を繰り返していますが、本日は全く新しい形に挑戦したり、遠ざけていたことの再開。

書道具を少し。水滴に硯。

たまに見る水滴にドーナツ型のものがあります。往きの車でふと造ってみようと思い、漠然とイメージし、作れる!!と判断。 で、さっそく取り組むと、簡単簡単、腸簡単。
水滴三つに硯一つ。タタラで皿四枚。


le 6 vendredi
//読み終える// ようやく一冊読み終えました。帰宅してシャワー浴びて夜の都市生活者。
と、聞こえは良いものの、喫茶店でケーキ食べながら読み耽っていただけ。
30代は、たぶん飲みに出歩いていたはず。良く食べよく飲み良く喋り。

//そろそろ次の爆発// 直感的にHIV/AIDSの感染爆発がそろそろ表面化しそうだと思うのです。と、申すのは一時、自重したかのように思えましたが、長続きせずで、見えない感染のバトンリレーがグルリぐるりと。 心の底では『?』と思っていても、時間切れで症状に出て医療の報告対象になる、つまりAIDSからのスタートと言う人が、そろそろ大量に出現するのでは!?と。 


le 5 jeudi
//明日は金曜日//なのに木曜日だと昼過ぎまで思い込んでいた。今週、一日分の記憶が無いのか!? 金曜日の晩は、最も自由な時間。睡魔の襲来が来ないことを祈り、いまから予防睡眠に入ります。


le 4 mercredi
//災害に強い地下鉄// バケツをひっくり返したような豪雨。会社は名古屋駅前ですが、名鉄やJRなど利用する人は足止めの果てに激混みの電車へ。地下街にも水が入ったと言いますが、地下鉄は正常に運転。ただし、物凄い混みよう。唯一動いている地下鉄に人の流れが集中しているみたいです。

//割とどうでも良い病//また再発の兆し。なんか、割とどうでも良い。ふと思うのは自分の終末。どう老いて、どう老いも極まり死にゆくのか。
そこには泣き叫ぶ相手はいない。言葉さえ発せずとも暮れていく毎日。
でも、それは心のどこかで追い求めてきた究極の平安の姿でもある。
この屈曲・曲解でもって僕は終末の心に、汚物で汚れるかもしれない自身の姿にも、平安を感じるのだと。

言い争いの存在しない絶対の条件が、孤独には保証されているのだ。


le 3 mardi
//夕方から涼しい風// 南風なんで湿度はあると思うのですが30度を何度か下回ってきましたので、不快からの解放、心地良い。この夏は馬鹿みたいに暑かったですが、秋雨前線は8月末から停滞し、暑さがぶり返さなければ平年並みに秋が来るのかしら!??

日本海の水温が高いらしい。
近年の豪雪は水温が高いが故の水蒸気の大量発生に伴う大雪。
思うのだ。ならば春に大量の雪解け水が発生する。それで日本海の水温が低くなり、±ゼロにはならないものかと。それでも着実に上がっているとするなら、どこかから熱が移動してきているのでしょうか。

NHKスペシャルで大地震の特集を。
こういうのを見る度に、実は災害に一番強いのは江戸時代の街並みなのかと。
確かに、簡単に壊れる。瓦礫は燃やせば灰になる。そして新しい材木で家を建てれば再建完了。簡単に壊れ、その場で更地になって、瞬く間に立て直す。

コンクリートが日本を覆い始めてから、それは無理な話になってしまいました。


le 2 lundi
//明日から// 帰宅後を意味ある時間にするため、帰宅してすぐにシャワー、もしくは風呂。
少なめに食事して(入浴と前後するときもあり)20分ほどの仮眠をとる。
19:30までに日記を書き上げ、南信州新聞を遅読の時は二日分読み、その後初めて自由時間とする。只今、22:34。ウダウダの果てに書いています。


le 1er dimanche
//華やかな九月// 



9-10-11月と作家さんのクラフト市とか産業祭とかでおおくの器と接する機会があります。
こんな日は作陶とも距離を置くので、これからは行ける日はとても大切に取り組みたいものです。思えば、何しに行くかと言うと技術の減衰を防ぐため。新しい事より、急須に器にと、今の自分の技量を確認する作業。それで時間があれば新しい事に。


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