穏やかな早春の日曜日。斜面集落をひたすらに登る。

一人、時間をかけて中井侍を探索。
場所は伏せますが、離れた場所に、神仏混合の祈りの場所がありました。
大きな岩に、真一文字の切込みがあり、そこに数多くの石仏が並ぶ。
そして、岩の上には神社がありました。
ともに、今でも信仰が途絶えることなく、木の札に一家の安泰を託すのでした。

一人、時間をかけての探索は思索の旅でもあります。
日本における仏教は一族血統の安泰と魂の鎮魂。
神道は集落の安泰と農業などの豊穣。
心と共同体の祈りを見事に住み分けているものだと、一人色々と考える。

そして、この中井侍の斜面集落も、昔でこそ落人か何かと信じていましたが
歩いてみて思ったのは、これは谷底に住む民の日照を求めた結実と答える至りました。
確かに不便で落人のそれと似ていますが、
斜面であっても、それは川沿いの道から見える。
そして、その斜面は南や南東など、日の光を求めて開墾されています。

次に、岩の上の素朴というか原始的な神社に。

我が父上も、育ちは山奥で、集落に「山の神様」があったそうです。
日本は、集落の数だけ勧請した社や祠があったのでしょうね。
廃村になり、その集落の消滅とともに、いつしか忘れ去られる。
まるで雀が集落のないところには生息しないのと同じで
日本の小さな神々と仏も、民の動きにあせて移動するのでしょうか。

民俗学的には、ここの神社の例祭は静岡県の浜松市水窪町あたりと共通するそうです。

それにしても、純粋な関心で訪れたにせよ、後ろめたい気持ちで一杯でした。
集落の人は、僕の姿を安心して見るはずもないと。
最近の治安の悪化で、信仰の対象である石仏を
骨董品的価値があると(それが信仰の対象ですら分からない人々の仕業か!?)、盗み転売する輩。
ドライブのレポは書いたとしても、これからは、このような古いものに関する記述には、場所を伏せるなど細心の注意も必要ですね。

この老婆は、もう何十年と、変わることのない
この光景を見続けたのでしょう。
田舎の生活を揶揄する人もいるけれど、
それが、とても贅沢で幸せなのだと思う。


中井侍の集落を歩いてみて思ったのは、車道を作ったために
耕地の20%は喪失したのではないかと?
カーブの連続が、それに拍車をかけます。
 あっ。猿に威嚇されました。

こうして、僕の中井侍の探索は終わるのでした。
このとき、明日は月曜なので帰ろうかとも考えましたが
あまりに天気が良いので、さらに車を飛ばしまして、
究極の斜面集落であり「日本のチロル」とも形容される
今は飯田市になった旧・上村(かみむら)の下栗の里へと行く。

この中井侍の集落に、土産物屋とか民宿があるわけでもなく
無人販売店さえない、誰かが来るなんて何も期待していない
小さな集落に僕はすっかり魅せられました。
ドライブ記は、もう何十本とupしていますが、
この小さな集落の素朴な素晴らしさを誰よりも詳しく載せれたらと
今回は熱を入れて写真も多く2ページでの構成。

世の中の誰かさんが、中井侍に関心を持ち
足を運びたい気持ちに応えられればと思う。

だからこそ、声を大にして言いたいのは、
北に位置する水上橋を
利用するのであって、南の平神橋は車では
絶対に勧められません!