令和3年8月août.2021


le 31 mardi 火曜日
//可愛いムクちゃん、昇天ス//本日の午前6:45。喉の渇きを癒し終えてから、息を引き取る。
平成17年(2005年)4月3日に我が家に来てからの生涯を、本日終えました。     合掌
                       


5月から寝たきりで、いろいろと介護をしてました。それは機能回復の知恵や工夫みたいなところもありまして、一時は介助さえあれば少し歩けるほど回復しましたが、やはり全体の老化は進む一方で、その改善も一時的でした。

命の限り生きました。体内に炎症反応が拡大したのでしょう。目ヤニの異常分泌から始まって、とうとう、この二日ほどは目ヤニも出なくなり、そのかわり排せつ物が、膿。それは死臭なのでしょう。首の力も無くなり、一昨日からは横になったまま、介助しての水分補給。

それでも、ムクちゃんの瞳は訴える。それは動物的本能の訴えで、私に通じる。
おむつを替えたり、水を飲ませたり。首もフラフラのムクちゃんでしたが、嬉しそうな顔はします。

その訴えは今朝にも。おむつを替え、膿を拭き、ムクちゃんは嬉しそうな顔をしました。
そして抱きかかえる形でミルクを。この後、目が瞳孔が異常に広がり硬直して息を引き取りました。家族三人が見守る中のことです。

5月からの介助では、思う存分、ムクちゃんを抱きかかえることができ、ここ一か月ほどは、赤ちゃんの抱っこ癖みたいで、抱くだけで大喜びをする。私には、深い充足を覚える日々として、心の中に生き続けることでしょう。

それから、八事霊園に行き、焼却炉の中に吸い込まれる段ボールの中のムクちゃん。
この三日ほどは、危篤の域で、思うだけのお別れの祈りも捧げていたのですが、やはり涙は溢れるものです。あの抱っこする感触は、抱っこして笑うムクちゃんを見ることは、もう、あり得ません。


枠組みは変わる。保守的な私は常にそれを恐れていましたが、去年の9/1に祖母が亡くなり、いろいろと決断して、只今、大きく動いています。そして大いなる存在も、今日、一つ亡くなりました。八事霊園でムクちゃんを抱えたときの、首はタラリとして、まったく支える力がありません。この二日ほどの弱々しい首でも、実は筋力が働いていたのだと分かるほどの無抵抗。顔や毛並みはとても良く、今でも息をしているのではと思えてしまう感じでしたが、あの、無抵抗な揺れるがままの首に、もはやこの肉体に命はないのだと、諦観というか達観。

ここに思うことが一つあります。ムクちゃんは、最終的には瞳で訴えるのでしたが、それは確実に的確に伝わる。純真な、動物的な純粋さの心の脳内の訴えは、言葉を発せなくても相手方に伝わるものだと確信しました。これは最後にムクちゃんが私に教えてくれた大いなる宝です。

私は、これからも生きる。その道は定年とか捨てた私の選んだ道。いづれ近親者が一人また一人と、この世を去るのでしょう。それでも八方塞になることなく、選ぶ道は切り開かれる。心から、そう思う、そう念じる純粋な気持があれば。

長くなりましたので、最後に。
ムクちゃんの授けてくれた宝とは、いついかなる時も、心に純粋な情熱や気持ちを持ちつづけ、道を切り開けと。その気持ちがあれば、そうなるものだと、可愛いムクちゃんは、純真な純粋な気持ちの大切さを忘れてはならないと、私に教えてくれました。

本当に、ありがとうございます。


le 30 lundi 月曜日
//この夏//陶芸進捗具合はインスタグラムで詳述していますが、この夏は良い粘土との出会い。新しい試み。そして新しい釉薬の開発と夏休みだからこそ出来た大進歩。それはムクちゃんの介護との両立。ますます小さくなるムクちゃん。五月から、ずっと寝たきり。


le 29 dimanche 日曜日
//人とは違うこと//結果的に、そういうことであっても臆することなく堂々と進むことは素敵です。信じているのですし、そもそも情熱や考えがある。

ところが、考えなんてない。その場の雰囲気とは常に逆のことやケッタイナことを言う。これに意味を持つのですから、全く意味不明。それが嫌がらせではなく、注目が集まる素晴らしい戦略だとして考えている。

人とは違うことに執着して、人から煙たがられて、人から愛されようとする。自己愛性人格障害の一種なのか?


le 28 samedi 土曜日
//九月からどうなるの!?//愛知県も、とうとう感染爆発。9月から学校とかあるのでしょうか?と、申しますのは、仮に9月少し過ぎた後に、やっぱり全校閉鎖とかしたとするなら、9月から定期を買った人は悲劇ですよ。その見極めが全く出来ない。

今日も平熱で推移しました。


le 27 vendredi 金曜日
//ファイザー二回目//本日は9:00から二回目を摂取で、終日、家で大人しく。幸い、全く副反応と呼ばれる症状もなく平熱で推移。

いやー、朝から晩まで陶芸もせず、ずっとゴロゴロ。いつ以来でしょう。


le 26 jeudi 木曜日
//天日乾燥//さてさて、どれほど蒸発するのか。土づくり。今回は黄土がないので、とても残念ですが、弁柄投入で朱泥なんてのを作って急須とか。。。それをオール瀬戸で実行してみたいのですが、なにせ黄土がない。

たぶん、困った人は多いと思う。


le 25 mercredi 水曜日
//暑くなりました//本年二度目の梅雨明けでしょうか。暑くなりました。明日も明後日もどんどん暑くなるそうで。。。。

明日は泥漿を乾燥。ただアルカリ成分除去のためクレープ生地のように太陽光の下で薄く延ばして、の繰り返しをしようと思います。


le 24 mardi 火曜日
//美しいもの、良きもの//毎日、原土精製で数時間。美しきもの、良いものを作るために心底より没頭したい。時間が足りない。そもそも数時間の時間は作れるのだが、いかんせん、その頃には身体が疲れている。

明日は250目の篩を買おう。


le 23 lundi 月曜日
//素晴らしき粘土//少し前購入した粘土が、お値段以上でビックリ。一生分買いだめしたいわ!!!!!
きめが細かく、とにかく使いやすい。もう、驚きの連続。

今週は原土精製と施釉と成形と素焼。ただ金曜日はファイザー二回目。


le 22 dimanche 日曜日
//長雨につき//原土を天日で干す行程は省略。ちぎって雨水に浸す。アルカリ除去は、乾燥の工程で太陽に晒し行います。

篩を通した粘土を炎天下においてアルミボウルの中で薄く伸ばして太陽に晒す。この工程をしなければ。


le 21 samedi 土曜日
//土堀り//原土を取りに朝から瀬戸へ。改めて思うのが、ほら貝粘土は特級の素晴らしさであったと。もう瀬戸では良い土は取れないと聞きますが、それは本当のようです。

謎に満ちていた木節粘土が理解できて、それは良い経験でした。蛙目粘土は、ほら貝にはありませんでした。それくらい飛び抜けて良い土の取れるところに生まれ育ったのは、これは私の運命です。


le 20 vendredi 金曜日
//お野菜とお花//そして楽しい会話。いつもありがとうございます。
私の人生の豊かさにおいて、彼らとの出会いは上位に位置するものです。この出会いが無かったら、日本の美しさや素晴らしさは、実は全然知らずに育っていたと、強く思うからです。
豊かな経験から発せられる会話の楽しみ。遠くない将来に、旅行にてそういう時間が持てたらと思います。


le 19 jeudi 木曜日
//梅雨が二回で、このあと秋雨!??//この長雨は二度目の梅雨なのか秋雨なのか。温暖化で、まさか、この後に秋が来るなんて信じられない。
それにしても温暖化の影響は降水量からも顕著ですね。この土地は大丈夫という先祖からの知恵も、日本人が経験したことのない温暖化によって、それは意味をなさないところも出てくるでしょう。本当に安全な土地ってのは、奪い合うくらい少ないのかもしれません。


le 18 mercredi 水曜日
//再び掛川//豊橋から浜松辺りまで洗車機の中を運転しているような感じでした。線状降水帯ですね。

今日もじっくり展覧。じっくり眺めつつ、不思議なことに何を何かの細部を見て取ろうとしているのかではなく、ただただ眺めて脳内に映像を焼き付けるよう、ただただ飽きるまで眺めていました。

本当に美しい。あの美しさを私の手で出来得る限り近づけていきたい。それは陶芸の分野になってしまいますが、陶芸の技であの美しさを表現したい。


le 17 mardi 火曜日
//明日にしました//20日から静岡県も緊急事態宣言下に置かれるそうです。
明日も大雨だそうですが、掛川に行きまして再び金工展を見に行きます。200円で実に素晴らしい内容。金属の世界ですが学ぶところは相当に多いです。


le 16 lundi 月曜日
//幻の輝き//今の釉薬研究は、以前、実に素晴しい輝きを見せた釉薬の再現なのです。その釉薬の一部ではありますが革新的なところが市販の釉薬であり、完全な独立状態ではなく、自分なりに分析して自立しようとしていたました。ところが、それの再現にはいまだに至らず。ただし、この過程で自分なりの新釉も開発出来ました。ただ、あの幻は必ず再現せねば。

人と違うこと。それが良きこと、美しきこと。


le 15 dimanche 日曜日
//黙祷//これは痛感するのですが、歴史教育の上からも厳しく問い詰めるべき内容は、何故、ここまで追い詰められての無条件降伏だったのか。
アメリカには負ける!!!!と確定できた時点で、降伏への手続きを取れば、日本には素晴らしい木造建築や街並みが今でも残っていたはず。焦土と化すまで負けを認めない、偏屈や偏狭は二度と繰り返してはならないし、そういう意味での検証はないままですね。


le 14 samedi 土曜日
//9月から//デルタ株の感染爆発。9月から学生も電車に乗り込んで、数百人単位で学校で集えば、この先どうなるのでしょうね。。。。。
感染者の動向からすると、学校関連に規制がないのは、なんか変です。でも、そういう通達はないし。  合唱部とか吹奏楽部なんてのは壊滅でしょうね。


le 13 vendredi 金曜日
//最近はというと//祖母の初盆関係で三重県に顔を出すのと、連日の窯炊き。
今、金色系統の自作の釉薬が三種類。銀色は一種類。それらは、どの様な条件下で美しくなるのかと実験の連続。

そういう実験用にはテストピースなるものが用いられますが、私は造形の技も高めなくてはならない。毎回のことですが、全力で作って全てテストピース。

世間で言う、お盆休みに、釉薬の資料整理だけはしようと思う。


le 12 jeudi 木曜日
//世間はお盆休み//今年は長いところで、この週は全てお休みなところもあるのでしょう。僕は定年というものを消し去ったので、稼動すれば死ぬまで働き詰め。いやいや見向きもされなかったら、長期失業者。お盆休みの長短を問う感覚なんてのも、失念しそう。

退社してから思い出したのですが、入社して間もない頃、会社が嫌で嫌で。その頃、大きな会議で退職金の改定の説明があり、25年働いてから支給計算は100になり、それ以下だと、年数に応じて割り引かれると。実に実に不思議なことですが、あの時、こんな会社25年働いたら辞めたるわ!!で、1/10の2.5年くらいはのんびりさせてもらうわ!!!!!!!と、怒りながら心の中で叫んだことがあります。

理由は別にあったにせよ、全く同じ歩みを踏んでいるのだから、人生は不思議というか暗示的。


le 11 mercredi 水曜日
//つづく雨//この先も、雨、雨、雨。天気の全てには美しいものがあり情緒的で私は好きです。長雨の好きですが、こと陶芸の進捗には抑圧的な効果を出してくるので、いやはや。秋の長雨というには早すぎるし。もしや、この後、本当の梅雨明けの様な酷暑になるのかしら??

そうそう思ったのです。日本に豪雨をもたらす前線が到来しても到達する前に降る雨は、海。全く害はない。狭い陸地に災害は発生しますが、これも海は近い。
ところが中国大陸はというと、内陸で大雨が降れば、極論を言えば海へ到達するまで悪さをする。雨水の逃げ場が等しく海だとすると、中国での大雨は内陸に巨大な湖を作るようなものなのかしら。


le 10 mardi 火曜日
//意味ないのに//前職のことは思っても考えても、私の人生には、もう全く意味をなさないのに、夢にまで出てきて困っています。その夢の中には必ず枝分かれした、もう一方の親分が出てくる。
夢占いをするなら、枝分かれの影響力は、今後、幹に現れるのかと。

さて、思い出すので面白いことがあります。日中、意識ある時に思い出す前職の顔が、実は限られていて、全く出てこない人もいる。と、そんな事を書いていても、私の生活に全く意味をなさないので、こんな未練がましい感覚みたいなのは消えてなくならないかしら。


le 9 lundi 月曜日
//良きもの、美しきもの//素晴らしい展示を見るのは、創作の意欲を高める。技巧がその水準でなくても、出来ることなら、この手で似たものを造って手元に置きたいと。そういう挑戦や思考錯誤は技量の向上にとっては何にも増して効果あること。

だから、たまに素晴らしい工芸などは目にして、その作者の凄味の爪の垢でもという渇望は欲さなくてはならない。昨日の金工展、この余韻は強いものとして長続きしそうです。


le 8 dimanche 日曜日
//伝統工芸・日本金工展//朝から掛川に行きました。なかなか風情ある街ですね。
200円で見られる展示ですが、圧倒されました。あまりに食い入るように見ていたので、館の人から、芸術関係の人ですか?と尋ねられる。   今は過渡期ですが、「陶芸を志しているところです」と応えることができました。収入はゼロですが、人生の舵を切ったのだと、それを初めて口外したのだと、ちょっぴり嬉しくもあり。

こういう素晴らしい展示を見ると、大いな励みになります。陶芸陶芸と言いますが、漆芸と金工は日本工芸の両雄です。陶芸は、どうしても、これらより下位に位置すると、いつ見ても圧倒される美に、そう思えてなりません。漆芸も金工も挑むわけではありませんが、だからこそ、陶芸において少しでも漆芸や金工の美に近づけたり、何かしらの要素を反映させたいという思いは常に強烈にあります。


le 7 samedi 土曜日
//香良洲町歴史民俗資料館みたいなところ//本日は、掛川に行く予定でしたが、急遽変更が加わり三重県へ。若干の余裕があったので、三角州の香良洲町に行ってみた。そして歴史民俗資料館のようなところにも。

初めて知ったのですが、昭和17年から、この地形の約1/3を航空隊予科練の敷地にしたそうです。その予科練の資料がかなりのボリュームであり、見応え十分でした。

当時、最新鋭の機器などは、携帯電話の進化を遡るような、それよりも、もっともっと面白い内容でした。当時の溶接技術とか、航空機関連の機器類の表示板とか。今でも遜色ない合金を使って、ただ、表示が全て日本式なのも興味深い。ここは、また訪れたいところです。


le 6 vendredi 金曜日
//ファイザー一回目//右肩が50肩。と、いうことで右に打ってもらいました。副反応で治ればと期待するからです。。。

なんとか月内に二回目も。九月からは、ある程度は恐怖感も緩和しますが、だからと言ってマスクは外せませんわ。


le 5 jeudi 木曜日
///買い忘れで//また多治見。こんな事が可能なのも電気自動車だからです。ガソリンが馬鹿みたいに高くなっていて、もし以前の車だとすると、恐怖映画よりも恐ろしい光景です。

その帰り美術館も二館寄る。良い展示だったのでしょう。途中から強烈な睡魔に襲われる。
見ることは簡単で疲れもしませんが、見入るとなると展示の途中のソファーで仮眠するほど疲労困憊する。それは心に憧れる美しい形状を留め置きたい、必至の脳内作業なのです。

明日はファイザー一回目。


le 4 mercredi 水曜日
//施釉の日//昨日調合の釉薬を使いまして、施釉。今回も全力で作って全てテストピース。
釉薬の開発も造形も、私は高めなければならない。

それにしても暑いです。今年はクーラーを稼動して睡眠を深くしています。以前はそんな考えはありませんでした。クーラーがないと寝れないなんて、人間として不自然だ!!!と強く考えていたからです。そんな挑戦もしましたが、今年はいかんせん、なかなか寝付けれずクーラーに頼っています。


le 3 mardi 火曜日
//諏訪・飯田・瀬戸・多治見//せっせと釉薬調合。諏訪や飯田などのコミュニティーFM曲を聴きながら作業する心地は、以前、夢にまで見た環境。そういう意味では、一つ理想の環境は手に入れたのか。平日の何気ない時間の流れで陶芸に専念できる環境は、そうそう鮮明に思い出す、あの時の憧れ。  こう考えると私は、憧れの世界がタワーマンションの最上階でもなく、実に実に庶民的。

もう少し、欲を持っても良いのかしら?


le 2 lundi 月曜日
//買っちゃう買っちゃう//贅沢はできぬ身となりましたが、陶芸関連だけは大人買いしてしまう。何処かの化学工場とか言われそうな、例えば、マルマルが30kgとか。個人では手元に置かないレベルです。

今日は多治見に赴き購入。明日は本格的な釉薬調合。そのためのバケツも7個買いました。
増える一方の釉薬ですが、使わないものを、使うようにして、多少なりともスリム化もしなければ。


le 1er dimanche 日曜日
//燃えとります//久々に来た来た!!!と思える創作欲は金曜日から。それがちっとも衰えず、今回は長続きしそうな予感もする。

今は釉薬研究。長石を、個人ではなかなかありえないレベルで使用しています。

日曜日というのに、日曜美術館が放送されない。もしやパラリンピックでも!??
さてさて、私は家で作陶するときタブレットが目の前にあって、つねに動いています。美の感覚が高まるような、そんな動画を心がけています。最終的には手が動かなければならないのですが、それ以前に素晴らしい発想や意欲がなければ。そういう素地は浴びるほどの良きものや美しきものの飽和状態の中から得られるのだろうと。


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