令和4年8月août.2022


le 31 mercredi 水曜日
//一周忌//午前6:45、両親を玄関に呼んで、一年前、丁度この場所で昇天した可愛いムクちゃんに三人で手を合わせました。

これより、一年前の今頃はムクちゃんは何していたのだろう?と想いを馳せるには、それよりも古い記憶になりました。時は一時も待たずして流れ続けるものなのです。色褪せない思いは持ち続けても良い。だけれど私は、それを携えて前に進む。一時も休まず。


le 30 mardi 火曜日
//去年の今は//只今、19:38。去年の今は可愛いムクちゃんは生きていた。でも、明日のこの時間には一年前であっても、可愛いムクちゃんは、もうこの世にはいない。
 そんなことを、ここ数日、良く思うのです。でも、全く色褪せない
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だいぶと昔の写真です


le 29 lundi 月曜日
//石膏型//ここに来て、アレもコレも出来そうと興味が湧いてきました。新しい工房では、たとえ小さくても石膏の専用場所を確保したいと思います。石膏くずが粘土や釉薬に入ると悪さをするのですが、最初から排除するとその後の世界は何割も狭いものとなる。

石膏一俵25kgなのですが、これが税込みで6000円ほど。案外使うので、明日、2袋買おうかと思うのですが、貴重だと思うと失敗は回避したい。そう思うと事前に技法を改める。これが技術の習得に良い効果を発揮するのですね。

さて、新工房は、どうでしょうか25畳程の面積かも。この25畳で彼是設置するのですから、早々に狭苦しくなるとは思いますが、まずは私の第一歩となるのでしょうか。


le 28 dimanche 日曜日
//虫の音//今年は、少ない気もするのですが、お盆前後から夜になると聞こえます。
本日は、午後から施釉しようと考えていましたが、今一、気力がわかず読書しては転寝の繰り返し。

ここに20個の一輪挿しがある。これを半分に分けると10個と10個。
ところが20個を2で割ると、それは見事だ。

この一輪挿しは、大小さまざまで、個数を二等分すれば10個と10個なのでしょうが、毎回、前者と後者の総量は変わってくる。AさんとBさんの選ぶ、10個と10個は趣を異にする。
ところが、20個の容積などを一つづつ調べて、調べ上げた所で2で割ると、出た答えは、レーザーカッターで裁断したように、全く誤差なく二等分されるけれど、その姿は見ることはできないし、10個と10個で仕分けられない。何をやっても答えにならない。

見かけの半分と、真の半分。前者は10と10の答えを持ってくるけれど、後者には何の参考にもならない。
数学0点の私が思うのですが、計算の上では誤差ない世界でも、実生活でそれを見ることは不可能ってことは多いのでしょうか? つまりですよ、その完璧さを求めると人間の雑多な味わいが否定されるというか、人に三本目の手を求めることはできないし。

そもそも、-1×-1が1になることが分からないレベルです、私。1×1の人が1の世界に向くのと対極に進むべきと思うのですが同じところに到達する。結果は同じですが、見る世界も同じですが、鏡の中というのかもう一つ同じ世界が存在するの? そこでも私が頑張っているのなら応援しなきゃ。もしかして閃きってのは、同じことを考えているのだけれど、若干の誤差が生じて起こる現象かしら???


le 27 samedi 土曜日
//二種類目の睡魔//先週に引き続き浜松で古書店巡り。今回も良い本を買えました。

さて、本日の正午前、強烈な睡魔がやってきた。あと20分で目的地なのでなんとか到着出来ましたが、充電場所で先に昼ご飯を食べたら、見事に睡魔解消。つまり、あの眠気は脳内の当分の不足によるもの。

今朝の4時から動き始めて、一日二食運動は続けていますので朝食は割愛したまま。これで長距離運転に書店で探し物。海岸では2時間近く海を見てたり、完全に活動過多であったと思う。こういう緊急時のために、飴玉を舐めるくらいの柔軟性は持ち合わせるべきだと痛感。


le 26 vendredi 金曜日
//去年の今頃//在職していた頃は、変わらない日常に【去年の今頃】と思うことはなかった。

ところが退職してからの一年は、去年の今頃は?と折々に思い出す。今年はというと、去年の今頃は、可愛いムクちゃんは生きていて何していたのだろうと、これもよく思い出す。そして来年は一年通して瀬戸での過ごし方を思い出し、その次はというと、新天地での準備に明け暮れた一年を思い起こすのだろう。

月末はムクちゃんの一周忌。特別な祈りの時間は設けます。


le 25 jeudi 木曜日
//何度目の//次なる候補地での工房の見取り図を書いていますが、これ故、頓挫するとダメージも大きい。ですが、いつかは、これがたたき台になる日もあろうと、今日も帰宅後、雷鳴激しい中、製図です。

全体像が見えてくると、彼是思い描き始めます。ま、ほどほどに。


le 24 mercredi 水曜日
//42冊目//資料集も42冊目を仕上げました。これを工房の書架に並べたら壮観だと想像する。
少し進展がありまして、敷地内の別な場所に16坪程の建屋を作るかも。足りないと言えば足りないけれど、今より圧倒的に広い。まあ、いい加減この辺りで机上の構想から脱却したいものです。


le 23 mardi 火曜日
//大地の恵み//夏の信州お届け便。彩も量も抱えきれないほど。特に八重のヒマワリが本当に美しくて、これは名古屋でも栽培したいです。いつも、ありがとうございます。

野菜を、スーパーや八百屋ではなく特別なルートで頂くってのは、圧倒的な特別感があります。野菜の艶が違う。


le 22 lundi 月曜日
//夜は涼しい風//虫の声も流れてきます。
石膏に値段が高騰していてビックリ。失敗して上達する私にとっては痛い限り。要は、全ての原材料は購入金額以上の付加価値を生み出して世に出さなくてはなりません。
 技芸の上達は常の事として美への鋭敏な感覚も養わなくてはなりません。


le 21 dimanche 日曜日
//読書三昧//貪るように高松宮日記を。願わくば、食事の内容が知りたかったのですが、その方面は会食とかで済まされていて全く知りうることが出来ません。そもそも他人が読むなんて全く想定していないものですから。

夜は涼しい風が吹く。19時になったら、暗い。


le 20 samedi 土曜日
//高松宮日記//本日は朝から浜松に古書店巡り。ふと棚の上を見たら『高松宮日記全八巻』があるではないか。買うと三万は越える本が、美品で税込み1000円。この高松宮日記は今の生活が一段落したら買うつもりでした。新天地での余暇の慰めに、つれづれに目を通すには最適だと考えたからです。それでも1000円で買えるとは全くの驚きです。

物価高の現在、小さくなった商品とか値上がりした商品を買うより古書店巡りは如何でしょう?1000円札一枚で広大無辺な世界が広がります。物価が落ち着くまで、私のたまの買い物は古書。こういう時代だからこそ本棚を豊かにしていこうと考えるのです。


le 19 vendredi 金曜日
//たまには//

一輪挿しです。
釉薬も独自に開発。


le 18 jeudi 木曜日
//33冊目//1冊80頁の資料集も33冊になりました。いづれ時間の軸が変わるので、読み物は慰めになる。だから今はとにかく収集に努めます。

今日は午後から、久しぶりに乾いた空気。全線が南に過ぎ去りました。このまま順調に秋になればと思いますが、この温暖化ですから、せめて冬が冬らしければ秋は贅沢言いません。ってところです。


le 17 mercredi 水曜日
//虫の音//庭から虫の声。涼しい夜になりました。
窯出しは明日の朝になりました。どんなに経験を積んでも窯出しの期待感ってのは陶芸初期と全く変わらず。

無駄な時間はないと、つくづく思う。これが大学卒業の頃なら、倍から三倍の時間がある。
時間がないのに、意味ない妄想ばかり。決まったことの段取りなら良いのに、、その段を飛ばした先を思うのだから、貴重な時間に何しとる!!!というわけ。【今】この瞬間を一生懸命過ごす、この繰り返し。これこそお釈迦様が言う時の過ごし方ですが、分っているのに忘れる。そもそも知らない、と言う人より悪質だ。


le 16 mardi 火曜日
//最終日//どこまでを休暇と線引きするのは今の私にとって、曖昧なところが多い。広義で言えば人生の休日であり、夏休みであり、お盆休みでもある。そのお盆休みは本日が最終日。
結局、何処にも出歩きませんでした。家に籠って、今日はというと施釉して二度目の本焼き。
たぶん、前職時代でも同じ過ごし方をしていたと思う。


le 15 lundi 月曜日
//曇り空で//猛暑日。如何に温暖化が進んだのかと実感します。三重県は、海風が入るので湿度は高いけれど気温は抑え気味。ところが温暖化が進み、本日の名古屋の様な湿度高く気温も高い。亜熱帯の気候に近づいているような。

島崎藤村の『夜明け前』は膨大な物語ですが江戸時代の木曽路の食生活の描写とか、とにかく面白い。ところが読破しようとすると1年は越えると思う。新しい生活が始まったら、私は孤独な時間ももっと上質にしようと思っています。その一つが読書。それも薄暗くした部屋で。
 と、申しますのはスマホばかり見ていると、目の筋肉や瞳孔が固定されて違和感を覚えたりする。試しに、薄暗い部屋で本を読んだら、光る画面からの解放で、目がストレッチしている感覚がするのです。
 新しい生活のちょっとした喜びに『夜明け前』や読書の時間を設ける。祖母も曽祖母も本の虫でした。私もその列に加われるなら、なんて喜ばしいことでしょうか。


le 14 dimanche 日曜日
//22時で//500度。日付変わる頃に400度。明日3時に300度。6時に230度くらいでしょうか?
明日の8時頃に窯出しはできそうです。

今月はまだ一回しか充電を使っていない。どこか行こうと思っても、お盆で混んでいると思うと躊躇してしまう。


le 13 samedi 土曜日
//施釉//窯出しは月曜日かな。久しぶりの本焼成です。毎回、何かしら新しい試みをするのですが、今回も然り。これ故、月曜日が楽しみで仕方がない。反省すべき点もありまして、二回目の素焼きで大型プレートを5枚重ねて焼きましたが、3枚にひび割れ。こういうロスを限りなく少なくしなければ。

それにしても陶芸家は足が弱る。全然動かない。新天地では蹴ロクロは必須です。ですが、どこにも出歩かず誰にも会わず陶芸に専念するのは好きな時間でもあります。そんな時、ふと思う光景がある。今日は、10-20年前、深夜に車を走らせ遠く行くときの、蛍光灯に煌々と照らされた何も停まっていない会社の駐車場。夏なのに山間部の夜は冷気漂い、ただ青白い照明が煌々とアスファルトを照らす。


le 12 vendredi 金曜日
//躓く//一進一退、二度あることは三度ある、七転び八起き。右往左往。正直、一喜一憂の繰り返しで疲れてしまします。 最悪、御縁が無かったと、どこかの時点で仕切り直しは考えるべきかも。
 御縁ないなら、心機一転。それはそれで良いと思う。決まる話は決まるのだから、そうでない現実を顧みるならば、これは最初から決まらない話だったのだろう。

でも、まだ判断するべき時限ではないので、今はただ事態の推移を良き方向に落ち着くよう見守るだけです。


le 11 jeudi 木曜日
//小さな一歩//新工房の件ですが、話を進めようと思う場所を決めました。職住一体ではなく近接です。1kmほど離れた場所の土地になります。 近くに神社があるから、参拝は日課になりそう。

軌道に乗るまで、慣れないことの連続ですが、いつの日か心に余裕が出来て、そこから見る光景に美しさを覚える瞬間もあるでしょう。何が人生の贅沢かと言えば生活の範囲にいかに多くの美を見出すか。そういう水準に早く到達したい。
50にして動き出したので、時間の足りなさには危機感を覚えます。せめて10年早ければと思うことも多いでしょうが、それで現実が変わるわけでもなし。とにかく毎日毎日、一生懸命に生きて、同時に健康に留意して活動時間を少しでも多く確保するのが人生の主たる目標になってきました。


le 10 mercredi 水曜日
//15時頃//蒸し暑い一日でしたが、15時頃、異様な熱波というか30分くらい気温が急上昇した。それ以降は風が強く吹きだして熱くはあるものの、異様な熱気は過ぎ去りました。

明日は抹茶茶碗を作ります。この間、本日の作陶を乾燥させ良ければ夕方から二回目の素焼。
明後日は、窯出しを待つ間、一回目の素焼を施釉かな。


le 9 mardi 火曜日
//横に長い窓//河岸段丘の水田が広大に広がり、遠く山々を望む。そんな窓があったら、私は毎日、これは思っていたのとは違う光景だけれど、なんて美しいのだと、心にしみわたる充足を覚えるのでしょう。そして、まっ黒な雲が近づく不安げな光景も、美しいとさえ思うのだろう。

人生は不思議だ。48歳の時、魂の奥底から、別の道を歩むときが来たと、何の躊躇もなく私は変わらない日常という指定席を人に譲った。今は楽しき仲間と技量を磨き励ましあっていますが、それも残り半年です。幸せだと思う。実に幸せだ。味わい深く生きるという道を歩みだしたこと。全ての感情の最上位に充足とか情緒、幸せが占めているのですから。
だから、造形の路で塞ぎ込んだりする裏切りは私にはできない。引っ込み思案は魂に対する裏切りである。孤独であったり嘲笑されたり悪意ある話が出回ったり、かりに、そんなことがあっても私は草の根を食べてでも、土から美と価値を作り上げでいく。塞ぎ込むなど、それで傷つくのは私自身である。


le 8 lundi 月曜日
//瀬戸だけ大雨//午前中の大雨なので夕立とは言い難し。
先日のファイルですが只今31冊目を。今はとにかく資料を集め、読む時間は後日、作陶で指先を休める時間に宛がう。

最近は湿度が高い。なのに雨だけは降らない緑区です。


le 7 dimanche 日曜日
//ポイント//本日、車検終了日。引き続きこの車を乗ります。前の車に比べると費用は格安で済みますが、只今、移行期に付き支出は少なければ少ないだけありがたい。日産カードのポイントがたまっていたので車検代に回す。これは助かりました。

//二回り//遅れている。facebookで高校の頃の友人を発見すると、立派な家庭生活を送っている。これが一周目の遅れ。二周目はインスタでお互いに頑張る若き陶芸家が相次いで結婚の報告。もはやお笑いですが、だからと言って居心地悪いから芸の世界で安住すると鎖国政策をとれば私の志もこれまででしょう。結婚した、子供が生まれた、孫が出来たと浴びるように聞いても、そしてアナタは?と聴かれ相手方が言葉を失う姿を何度見たとしても、私はこの世界で生きる。

だからこそ、そんなことは些細な出来事と誰もが納得してくれる作品を作れるようにしたい。つまり、私の作品は手にする者にとって充足であったり喜びである水準に仕上げ、これを我が物にしたいと列ができるくらいの凄味のある作品に仕上げたい。つまり、私の作品の目指すべき水準は凄味であり、これは待ち焦がれるものであって、そして手に出来たときの大きな充足と手元にあることでその人の喜びに通じるもの。
 端的に言えば、私の作品は、人が立ち止まって見入る力を持ち合わせること。

美しき物を愛される物を、喜ばれる物を求められる物を、安心安全価値あるものを。


le 6 samedi 土曜日
//一冊40枚//のファイルがあります。一枚の袋に表と裏にA4を二枚納める。つまり一冊で80枚のA4が納まります。こつこつとPDFファイルとかをプリントアウトして只今28冊目。
陶芸家になったら、そう簡単にキーボードには触れない。制作の折、調べたいことがあるなら、このファイルは理にかなっています。

今の夢は時間の配分。作陶するときの喜び。手を休めて資料を読む時の喜び。作品集や図録を見る喜び。デザイン画を書く時の喜び。
作る。寝る。売る。食べる。調達する。整理。これらを一人でこなします。職住一体が理想ですが、職住近接でもありがたい。とにかく通勤時間とか、そういうものに24時間の一部を割く余裕はありません。次に作陶する上において、迷う時間もありません。引っ込み思案になる余裕もありません。精神は常に穏やかで良き状態で作陶に挑み、効果的な昼寝を加味し、食事の回数も2回にし、そういう時間も圧縮します。何事も濃縮した過ごし方が肝要であり、寝る前も効果的な祈りの時間を設け寝て居る私もまた私を後押ししてくれるようにします。
 この時点で既に確定したことは、この時点で既に無駄な時間は少したりとも存在しない。余暇や休憩は次の私が情緒的な枠に立脚するための調整だと思っています。情緒的というのは、その何気ない空間・時間に美や喜び充足感を覚える感覚だと思っています。この世界にいるからこそ、良き想像・創造が出来ると思っています。先日の毛沢東語録を高く掲げて勇ましくしても、心に情緒がなければ何一つ良き姿にはなりません。それは粗雑で殺伐としたもの。土法炉と同じです。


le 5 vendredi 金曜日
//食卓//何か起きる場合はたいてい。これは物理的な枠組みが変わらない限り無くならないだろう。どんなに乞い願っても強烈な不満を表明しても関係ないのだ。もはやこれは快感なのだろうか。極めて低俗というか劣化した関係なのだ。
 31歳に私は初めて訴えた。一時的には改善したものの長続きせず。来年、20年になりますが、この20年間も酷いものです。では31の時なんて言ったのかというと、「物心付いた時から今までずっと、、、」 つまりです46-7年こんな感じ。この反作用と言うものが、人を好きになれないという致命的なものですが、暴力や酒、ギャンブルに走らず、まあ、この一点で納まったのですから、万々歳ではなかろうか。

ということで、記念の本を一冊買います。高価な本で卒業記念と思っていましたが、良きものを後回しにする理由もなく。


le 4 jeudi 木曜日
//涼しい//もう少し雨が降らないと庭木が可哀そうなのですが、涼しい一日でした。

死後の世界は誰にも分からない。全盲の人が心に思う世界の色彩や輪郭は我々には分からない。
人が見る夢を見ることはできない。心に思うアレコレは、他人には分からない。
 でも、分からないことは確実に存在するとだけは言えそうです。そう考えると、死後の世界は確実に存在する。

本日は素焼き。一回では無理でした。二回目に間に合わせるため、週末は追い込みの制作をします。


le 3 mercredi 水曜日
//毛沢東語録//処分される本の主は、もう他界したのか、かなり古い本が捨てられようとしている。そんなに時間は無かったのでパット見て気になる一冊を持ち帰る。毛沢東語録。
これを手に持ち高々と上げれば紅衛兵になりますね。。。

こんな極端な本は例外ですが、私の欠損したところに、読書不足があります。両親(の姿)から学ぶのは、否定的な現象を飽和的に見た果てに自分なりに解釈したことであって、この二つの口から私に向けられた愛や成長の親としての慈しむ発言は無かったし、仮に在ったとしても、それを否定する毎日の否定的現象は冷笑に値する。だから、架空の話でも良い、親に代わって真心から心配や慈しむ言葉の泉に出会えたなら、今にある心の欠損は小さかったかもしれない。
 でも、私の青春時代は過ぎてしまいました。50にして言えることは、全てを包括して、それを味わい深い経験だと思うことにしています。今後、私が浮くのも沈むのも、過去の一切があっての事。もちろん浮くことを切望するのですから、過去の一切を慈しむことが出来ないのなら【味わい深い】ものとして、私の心に存在させようと、小さな知恵であります。これ故あっての、私だと。


le 2 mardi 火曜日
//速報//最新情報が入ってきました。土地の交渉、進捗無し。退職してから全く進んでいません。心の中では、別に死ぬのではないので、一喜一憂せず推移を静かに見守るのが最善なのかと。今は、とにかく技量を高めよと。

で、今、技量の向上に一生懸命なのかの言うと、狂気じみたところがない。私が到達すべき最初の場所は、陶芸における技芸の凄味。狂気じみた美。


le 1er lundi 月曜日
//夜は涼しい風//大地に熱が溜まり、毎日一度づつ最高気温が上昇しているような? 夕立がない限り40度もあり得そう。それでも夜は涼しい風が通り抜ける。

作業場が狭小なので見合わせていますが、広くなったら石膏型をしてみたい。製造方法も何通りか用意して身体の負担を分散させます。

 
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