令和7年8月août.2025 le 26 mardi 火曜日 //集中制作期間//秋は出店の機会が多くなるのでまとまった制作の時間がありません。よって夏に作りだめをするべきですが、8月も後半になってしまいました。 粘土は一袋で20kg この一袋からどれだけの価値を産み出すかが陶芸家の腕の見せ所。 美しく、多くの陶芸家は手掛けない分野で、私だけの表現を確立する。その美しさは圧倒的でなければなりません。圧倒的に美しいから作品自体が美のエネルギーというのか情報を発信する。私は一人だけれど私の作る作品の美が圧倒的に美しくなれば、作品は自立しその美を拡散してくれます。 le 25 lundi 月曜日 //美しく優美に颯爽と// そんな作品を作りたいですね。 全く歌いたくなってしまうような仕上がりで、世界中の人に見てもらいたい作品を。 例えば世界中の人が熱狂する音楽があります。でも、少し前はこの世に姿形さえありませんでしたが作曲家の才能は、これを具現化させたのです。つまり人の寶となるような美しい旋律を、無から有を産み出すように、この世に具現化させる。全く素晴しいことだと思いませんか? 芸術家の列に並ぶのなら、世界中の人が熱狂する美しきものをこの世に具現化させます。それが私であると誰が予見できたことでしょう。 le 24 dimanche 日曜日 //私の自由時間//本日はギャラリーと古書店を巡る日曜日。全く持って素敵な過ごし方。 私にとって自由な時間は、第一に古書店巡り。これは瀬戸時代以前には考えられませんでした。あの頃、卒業後の孤独を考えた時、陶芸に関する資料・書籍の収集は最優先と思い、方々の古書店を開拓。そして浜北に、まもなく閉店する古書店を発見して通い出す。全品半額でしたから。一通り、陶芸関連の書籍を購入後は、更なる孤独に備えて生涯の慰みものを確保すべきと、気になる古書を買い漁る。そして、それは明治から終戦以前の日本の書籍であると、どちらかというと骨董的博物的な意味において収集。 制作に専念して、休息する時に書架から一冊を選び取る。そんな工房生活。私の選んだ人生です。 豊かでエレガントで芳醇な日々を。 le 23 samedi 土曜日 //心地良い疲れ//陶芸をして疲れる。それも納得した制作で疲れるのは、とても心地良いものです。全く簡単な形状が作れない時もあれば、本日の夕食後はかなり高度な形状なのにスラスラと仕上げる。この不思議は制作する手と潜在意識の一致の有無。表の意識と奥の意識が一致する時は爆発的な生産性になります。ところが一致しないと一日専念しても全く作れず。よって、私は他からの注文で制作することはいません。高慢に思われますが、私にとって出来るとは、常に出来るとは限らないからです。私が心することは、常に精神の一致でもって制作し圧倒的な美をこの世に提供することです。 le 22 vendredi 金曜日 //健康のため//本日もまた南信濃へ湧水汲み。観音霊水になります。陶芸家にっとって恐ろしい病は血管の疾患。脳梗塞とかである日突然神経が麻痺してしまうと、その時点で今ある制作は出来なくなります。特に夏場は発汗で血液ドロドロになりやすい季節。勤めて観音霊水を飲むようにしていたら、かなり減ってきましたので、本日200ℓほど汲みに上がりました。ここの水は全く秀でていて、心筋梗塞や脳梗塞の予防に大変良いそうです。 それにしても平日のドライブは最高ですね。どこに行っても何しても混んでいない。 le 21 jeudi 木曜日 //名刺と古書店巡り//依頼していた名刺を引き取りに外出。その帰り古書店で15冊も購入。暑い日でしたが、地下鉄24時間券を購入して街歩き。 久しぶりに歩いたので疲れました。この程度で疲労感を覚えるとは考えものです。 le 20 mercredi 水曜日 //25000円//作陶で調子が悪い時、最終手段は一輪挿し。形状が安定しているので調子の波に関係なく作れる。本日は夕食後から一輪挿しを。と、申しますのは、それまでが散々で、これで撤退したらなんの生産性もないと判断しまして。それで無事に売れたら25000円の売り上げになる生産はしました。もちろん、この中から焼き不良もあれば、売れないものも出てくるのかもしれません。そういう要素を排除しての25000円分。 最低生産額は決めていかなければなりません。毎日粘土に触れるわけでもなく、その意味においては作れる日に多く作ることが絶対防衛ラインになってきます。どうでしょう?作陶に一か月10日とすると、25000円分では少なすぎる。繰り返しですが全てが良品になるとは限らないからです。 極論を言うと、一年に一個。それも一個1億円で売ったとすると、それだけで生活はできますし、帳簿の記載、申告も全く簡単です。薄利多売を旨とすると、想定外の忙殺とか雑務の嵐がやって来るでしょう。自らの生活の質を上げるとするならば価値ある作品を目指さなくてはならない。 le 19 mardi 火曜日 //テキパキと//最後の仕上げをして窯詰めし素焼。それから口座統合の手続き。さらにgooglePhotoのデータを外付けHDに移行。全て後回しできる内容ですが、やり切りました。週末も盆も関係ない生活ですが、それでもお盆明けは皆が働いていると思うとダラダラするわけにはいきません。ただ異常な暑さなので11:30-15:00くらいまで大休憩を取っています。昼寝もします。 明日はまた一から制作です。碗にするかマグカップにするか、たぶん轆轤回しながら決めると思います。昼寝するのだから朝は早くから取り組みましょう。 le 18 lundi 月曜日 //信州お野菜特別便//いつもありがとうございます! この前の特別便より半月ほど経過しているのかな?? なのに本日の方が格段に暑い。暫く40度に迫る暑さが続くようです。 そろそろ素焼をしなければ。明日は、いちど窯から出して、再度、効率的に窯詰め。そして点火しましょう。 株価が異常な高騰です。なにか相応な理由でもあれば納得ですが、そんな話は聞かないので、扇動するだけ扇動した後、暴落させて利益を得る仕手戦なのかしら??こういう実態とは縁のない操作による高値って、まるでトランプさんの大口が、いつの日か辻褄が合わなくなり身内からも大量の離反者を出すような、そんな感じ。 le 17 dimanche 日曜日 //圧倒的に美しきものを//私の業態は和菓子屋さんに似ていると思う。洋菓子でも良いのですが。と、申しますのは、原材料を仕入れて他には無い美味しさの和菓子を作り訪れる人に販売。饅頭をもって皆に売りつける行為もしない。ただただ作って訪れる人を待つだけ。ここで最も重要なのは、その饅頭なり羊羹が評判になるくらいの美味しさかどうか。これをクリアしたら、人は自ずと入ってくる。 その評判とは、例えば私が女装して店頭に立つことではない。和菓子なら美味しさ、陶芸なら圧倒的な美しさ。扱う商品で勝負です。 だから私は常に志を高く圧倒的に美ししい作品を作り続けなくてはならない。考えてもみれば私が生み出す美は、私の命の枠内である。私が死んでしまったら再現できない。だとするなら、もっと美しくもっと価値ある作品を、この世に産み出そうではないか。 するべき事は後回しにせず、何事も全力で挑み、休息では全身の力を抜いて休む。 le 16 sammedi 土曜日 //削りのタイミング//世間のお盆休みもこの土日で終わりになります。私はというと夏季休暇とかお盆休みとか存在しませんが、おかしなことに仮に存在していたとしても陶芸に専念しているでしょう。 最近、お碗を作っていますが、削りの段階で失敗する。作品の乾燥具合が行きすぎたり至らなかったり。この辺りの調整を完璧にするのがプロなのでしょう。もっともっと精進しなければ。それにしても陶芸が楽しくて楽しくて。 この碗作り、ようやくその段階に来ました。これからの私に必要で頼もしい形がお碗。結晶釉は流れることで美しくなります。お碗の斜度は流れ道。美しいお碗が多くの人の宝物になりますように。私の結晶釉のお碗こそ私を代表する作品になると心の底で思っています。でも、その時期は今ではないと、相当待ちましたがようやく解禁です。 昨日は戦後80年、玉音放送が流されて80年が経過します。当時の日本人を想像すると、負けてしまった悲しみと衝撃は、その放送を聞いたときは雷に打たれたような心持ちであったことでしょう。でも、その日の夕ご飯では、負けたことより明日の事を考え始めたと思うのです。戦争は終わった。さて、どうしようかと。 今まで秘めていた彼是を実現しようとか、こういうふうに生きてみようとか、日が経てばたつほど明日の生き方に新しさを模索したと思うのです。母方の祖父の弟は、あのインパール作戦からの帰還兵。昨日、母から聞いたのですが、生きて日本に戻ってきたと、これからは好きに生きると言っていたそうです。だからでしょうか?いつもニコニコしている印象しかありませんでした。 80年前の8/15。国民は、雪の中に蕗の薹が現れるように、あの日、日本国の歴史上、最大規模の意識転換のあった日。一斉に、新しきことに焦点を当てた日。そういう意味では、8/15の日本国民の心理を考えると陰が極まり陽に転じる大転換の瞬間であったと思うのです。8/15は敗戦ではありましたが、各自自由な夢を描き始めた転機となる日。8/15は良い意味でも特別な一日。ということで昨日は役所に行きまして書類を提出。 le 15 vendredi 金曜日 //二日のうち一日は//出店はたいてい土日の二日間。ふと思ったのですが二日のうち一日は出店料に経費、税金で儲け無し。二日目の頑張りが私の手取り。でも使うと10%は消費税で消えます。 今もなお前職の収入に遠く及びません。ですが不安に思うこともなく、自らの技量で粘土から価値を産み出す証明は成されているので、とても心強いのです。これが前職のままなら、在籍しているから得られる収入で私の能力とは関係が無い。ただ仕組みの一部として存在するから得られる収入。この差は大きい。伸びしろ無限大。 さて最初に戻るのですが、出店活動の50%は消えてしまうと考えると悲しいものですが、二日目は全て私の取り分と思うなら、これまた頼もしいお話。伸びしろ無限大。 私の活動を振り返ると、会社組織の企画部門・製造部門・配送部門・販売部門・経理部門に取締役の全てを兼任。ただし営業部門はありません。幸い、欲しいと思ってくれる人が寄ってきて買ってくれます。販売はしますが売り込みに行かなくて良いのは効率的だと思うのです。この図式がさらに顕著になるよう作品の質を高め続けなければなりません。 話変わりますが、明日から毎日15分は掃除します。清掃作業員も兼任。 le 14 jeudi 木曜日 //カラスと遊ぶ//カラスの鳴き声がすると、いつも同じ声で真似をします。私が工房の中に居て見えない位置関係でも真似をします。今日、私がメダカちゃんを見ていたら、カラスが面白い声で一回鳴く。私も同じ声で返す。空を見てもカラスはいません。そうしたら二回目も同じ声でなく。私も返す。もう一度、空を見上げたら、一番近い電柱のてっぺんに居ました。私はカラスに両手を振って挨拶したら、恥ずかしいのかカラスの方が大空に飛び立ちました。 le 13 mercredi 木曜日 //55歳のつぶやき//9モソの話し。どの地域にも癖のあるハウリング発信者はいるもので、某地域の彼は55歳。躁鬱の気もあると思うのですが、ある時期は連日、毎日何回もお相手探しのつぶやきを。それも奔放で淫乱な文言。ところが数日経つと、恋は一途の真面目な投稿。もちろん日に何度も内容は変えて。そして数日、静かだと思ったら、今度は全く相手にされない嘆きを投稿。こうやって誰にも相手にされず死んでいくのかと。 これは全く他人事ではないと思う。芸の特典と言えば妊娠の心配もない自由で奔放な性の営み。よって性感染症も芸を中心に蔓延したりもします。ところが、どれだけ性に解放的な芸世界だからと言っても歳を取れば、その対象から除外されていくものです。あまりに奔放で人生の伴侶を見つけることなく、とうとう相手にされない年齢に到達した芸もかなり存在すると思います。そこで手あたり次第探す作戦に出たり、恋一途な真面目路線に走ったりしても、人の記憶は残酷なもので、ああ、このオッサン都合の良いことばかり言ってるわと、ある意味、定点観測の対象になり下がる。 この話の要点は、確かに芸の特典は奔放な性の営みではあるものの、それは時限的特典。人生の身体的魅力ある時期に奔放な性のみに関心があって全てを捧げる者の、確実にやって来る破綻。それは容赦ない。 私は、誰にも相手にされない到達時期の遥か以前から誰にも会っていないので、浮き沈みはありません。ただ私に陶芸というものが存在しなければ、今、人生の深く暗い谷の淵を歩く、そんな感覚も持つことでしょう。 そこで老いた芸には幾つかの道が用意される。 ●もっとも賞賛に値するのは、そういう身体的魅力の限度が到来する以前に人生の伴侶を見つけた人。 ●何時かは見つかると、老いてますます盛んになるお相手探し。なかには詐称してでも若く偽ったり。 ●芸の歓楽街のある大都会に移り住み、住居と飲み屋を行き来する日々。 ●芸活動は自然消滅し、引き籠って生活する人。もしくは何かに依存して破綻に進む人。 ●境遇を同じくする芸の友人と連絡を取り合い生活する人。 ●芸活動は自然消滅するものの、既に生き方を確立している人。 人生はいつも芳醇な物語である。当の本人は全く思えなくても、小説家ならきっと読み応えのある作品にするでしょう。どのような芸老後を送ろうとも豊な物語なのである。 私もいつか寂しいと感じる時が来るのかもしれません。あまりに孤独を謳歌しているから一人でいることに寂しさを全く感じないのですが、それでもいつの日か寂しいと思う感情が湧くのかもしれません。ながながと書きましたが、私には夢中に取り組めるものがある。それを命尽きるまで専念するだけの事。 哲学は必要ですね。目の前の事象を現実を、豊かに解釈する術を与えてくれる。それは生命の強さにもなる。 le 12 mardi 火曜日 //猛暑去ったら蒸し暑さ//これは私の持論ですが、気温も37度以上になると高温が故、大気が膨張し結果として湿度が下がる。40度とか日陰に居ても皮膚に刺さる暑さですが、そこに蒸し暑さは存在に無い。ところが33度とか34度とか大気はそこまで膨張しないので湿気は集り湿度は上昇する。蒸し暑くなるのです。 //タトゥー・薬物・sns・陶芸//私の持論ですがタトゥーをした途端に幸運や成功が舞い込むわけでもなく、個人の能力・才能が開花するわけでもない。頭が良くなり容姿が端麗になることもない。それを身体に彫り込んだからと言って、何か運気が上昇するわけでもない。 麻薬でも同じだと思うのです。薬物を摂取したからと言って幸運や成功が舞い込むわけでもない。才能や能力が開花するわけでもないし容姿が端麗になるわけでもなくて身体能力が向上するわけでもない。ただ良い気分を強制的に取り入れているだけで、麻薬が、その人を幸せにするわけではない。その証拠に、効き目が切れたらどん底に落ちるらしく、本当に幸せな人には、そういう遅れるものの必ずやって来るどん底とかありません。一種の薬物詐欺ですね。 snsでもちょっと似たようなことがあります。面白おかしい動画を見たり配信したりゲームに没頭したり。流行りのダンスを披露したり悪戯動画を挙げたり、注目を浴びるため悪態をついたり誰かに迷惑を掛けたり。こんなことに没頭しても、自分の能力も才能も運気も開花しないと思います。一部、例外はあると思うけど、やはり総じて自らを磨く努力から避けているようにも思えます。 そして陶芸。何かをして私を幸せにし、幸運や成功が舞い込むとしたら、私には陶芸以外ないのだと思う。明日もまた粘土を触れば、答えは無限大。それも良き方向に果てしない伸びしろがあると思うのです。何に時間や関心を宛がうかというなら、私にとっての陶芸は、幸運や成功、能力や才能の開花、総じて言うなら幸運が舞い込むと思うのです。だから陶芸をやる以外の答えが無い。 le 11 lundi 月曜日 //憧れ//憧れの拗ねた気持ちが嫉妬なのでしょうが、そういう拗ねたところが一切なく、ただただその技量と成功に憧れてしまう人がいます。拗ねたところが無いは、なかなか人間にとって難しく、得てして知ってはいるけれど会ったことはない人に限定されがちになります。知ってしまうと、その栄光と成功に拗ねてしまうのが人間なのかもしれません。 ですが、もっと悲惨なのは嫉妬すらしてもらえない存在に気付いてくれない、もしくは嘲笑。 これらは、ある一本の線上のどこに位置するのかによって受ける人の心理だと思う。 ある一本の線の左端と右端は成功の度合。右に移行すればするほど成功する。左半分に嫉妬は存在しない。右半分に嘲笑は存在しない。左端は存在すら気づかれない石ころ帽子の世界で右端は嫉妬さえ到達しない憧れ。 le 10 dimanche 日曜日 //作っても作っても//失敗ばかり。これではないと分っているのに作ってしまう。縦横比を治せとの指令なのに無視している。心技体が一致していない。 //一番好きな大穴// 数あるライブ映像の中でも一番好きかも。 le 9 samedi 土曜日 只今、8/12 遡って記述 //直感の極限活動//この途上で生み出されるものが芸術品だと昭和15年の『學生と藝術』に記載がありました。ドイツ人学者の引用ではあります。なるほど極限まで直感と一体化し活動すると、私の手から生み出されるものは芸術品になるわけである。夢中に没頭と同義ですね。 つまらなく思ったり、心此処に在らず、邪な思いとかで制作しても良きものは産まれません。あっっもうこんな時間!?と感じる没頭を。 le 8 vendredi 金曜日 //党員継続//振り込まなければ自動消滅だったのですが、どうやら総裁選挙を実施するとのことなので継続のため党費4000円を振り込みました。さて三重工房では近くの温泉を利用するのですが図書館も併設。ここに自民党機関紙『自由民主』と共産党の『赤旗』が置いてあり読み比べたりしています。軍配で言えば圧倒的に赤旗。自由民主は週一の発行で情報量も少ない。一方赤旗は、日刊の地方紙以上に紙面も豊か。このあたりに共産党の組織の分厚さを感じます。内容は私の考えと全く逆ですが読んでいて面白いのが、党中央幹部会??での8月の活動討議内容とか、ツッコミどころ満載なのです。資本論の面白さを国民に展開する活動とか。こんな感覚では選挙に負けますわ。 ですが、政党たるもの機関誌は発行するべきというのが私の持論です。政策集団なのですから日々文字にして発信する党内部での熟成みたいなものは伝わるべきだと思うのです。 //釉薬大調合日//いくら三重工房が大きいからと言って、釉薬原料まで移動させたら流石に手狭になる。よって調合は名古屋で行い、三重ではそれをバケツに入れ水を注ぐだけの状態にしています。本日は三種類、調合しましたので近々三重に移動させます。それと釉薬調合ノートも不測に備えて写本を三冊つくりました。 le 7 jeudi 木曜日 //信州お野菜特別便//いつもありがとうございます!! ブルーベリーって目に良いと言うじゃない。沢山いただきました。これはもう明日からの作陶を勢い良く進める気付け薬みたいなもの。他にも色々、山のような恵みをありがとうございます。 これはpcから見えるでしょうか??私のthreds インスタの投稿が一部を除き反映されています。 //あの頃//小学生の頃、幼稚園での交友を懐かしんだり、今何をしているかと考えることはなかった。この図式は大学まで当てはまる。大学の頃、高校時代の交友を懐かしんだり、あの人は今何をしているのだろうかと考えることもなかった。ところが今はどうだ!???つい最近まで前職の夢は度々見たし、今頃何をしているのだろうと考えることもある。瀬戸時代の皆の動向も気になっている。今を全力で生きれば、そんなことは気にならないはずである。今を全力で生きれば、新しい世界も見えてこよう。振り返ったり、毎日が同じであるなら、今を全力で生きていない証拠である。 le 6 mercredi 水曜日 //梅肉エキス//寝る前と、寝起き、それと昼食前に毎日耳かき程度の少量を飲もうと思います。 と、申しますのは一人陶芸家として生きていくうえで最も恐ろしいのは脳梗塞、心筋梗塞などで半身不随とか制作が出来ない病に突発的に襲われる可能性。出来ることなら避ける努力を日々の勤めにしなければと、最近思うようになってきたのです。 //出会い//元来の孤独主義者ですが、陶芸家として人との接点があるからこそ生きていけるわけです。その接点の大前提は私の容姿でもなければ話し方でもない。私が作り出す作品から生まれ出る関心であり会話である。これが接触の最初で、これに続くのが話し方であり容姿であったりもするのだろう。 まずは人が関心を寄せる作品を作っていかなければならない。会社で言うのなら取扱う商品の競争力、その向上。これが存在してこその人づきあいだと思うのです。 素晴しい作品を沢山作る道。素晴しい力作を多くの人に見てもらう道。どのようにして多くの人に知ってもらうのか、重層的に展開していきたい。 //僻地の孤独主義者//つくづく思うのが産地で作家活動をする諸々の特典・有利さ。上記に述べた出会いを支援する構造が行政レベルから民間迄充実している。私には全く無いのだが、ある時、私の作品の美が従前のレベルとは違って多くの人に認知される瞬間が到来すると思っています。それが全く想像できないのですが、ある時、突然に。とにかく陶芸家は美しいものを作り続けなくてはならない。それは各自が持つ技術の枠内であるのだから、その枠の向上は各自の才能と努力。結論を言えば制作に邁進する以外の道はありません。 私が競争する相手は、夢の中でも制作しているような鬼気迫る陶芸家たち。皆が皆、自らの美を具現化するために魂の炎を燃やしている。幸せと思うのは、私の生き方が、彼等と切磋琢磨する土俵にあること。これほど有難く幸せなこともない。 le 5 mardi 火曜日 //41.8度//群馬の伊勢崎では41.8度だそうです。熱いお風呂と同じ。これを異常とも思わず温暖化対策を考えない政治家は、この地球から立ち退いて欲しいです。温暖化対策を太陽光パネルの大量設置に向かわせることに反対するのは賛同できます。ですが、これを正当化するために温暖化懐疑論とかは全く幼稚。パネル大量設置には反対するものの、二酸化炭素吸収技術とか国家を挙げて取り組むとか、とにかく今の異常な暑さに高度な危機感を持ってもらいたい。 私は自由業になったので、この異常な暑さに労働時間を変則的にしています。勤めていたら絶対に出来ませんが、11時から15時までは昼食と昼寝。15時からはお風呂、それから夕食までは読書。この日中の大休憩の前後に朝は早く、夜は遅くまで制作活動に。 le 4 lundi 月曜日 只今、8/5 遡って記述 //一泊二日の三重工房//制作はすることなく、資料を名古屋へ持ち帰るのと工房の日除けをdiy それにしても暑い日でした。腕から汗の名残、塩の結晶がざらざらと。 こうも身体から塩が出ると、可視化できると、塩辛いものを罪悪感なく食べることも出来そうです。 le 3 dimanche 日曜日 //こっそり堂//インスタをやっていると、自らは伏せながらも動向を知りたいというアカウントが散見されます。傾向からすると、こっそりの最大の理由は何らかの知り合い。私はそういうのを気にしませんのでブロックすることもありません。ただ損していると思うのは、中には名乗り出てコンタクトを取りながら見てくれる人もいます。そういう人と新しい私と、昔とは違った関係性も生まれ、場合によっては新しい展開もあったり。 これは心の広さだと思うのです。生まれ持った気性ともいえるでしょう。例えばコロナ禍で接触制限しながらも仕事をしていた時代、諸々の制約もありました。今は解除され間口も広くなったのですが、心の狭い人というのは、今でもなおコロナ時代のように接触に規制を加えるような、そういう会社は無いとは思いますが、今でも仮にあったとするなら異常性が際立ちます。そういう心狭そうな会社とか人物に新しい出会いとか取引はないとおもいます。 le 2 samedi 土曜日 //いろいろと//お話して痛感したのは、トップの度量、了見。つまり心の広さなのですが、これが狭いと社運も傾くのだと。ありとあらゆる事例というかお話を聞いて痛感しました。 私は一人なので、私の心の広さが私の全てになってしまいます。私は作ることと売ることがとっても好きで一年を回していますが、この活動の途上で素晴しい出会いもあります。縁あって世界が広がるのなら喜びの羽を広げて羽ばたきましょう。 まずは美しいものを創る。これで人が振り向いてくれて寄ってくれてお話も弾む。 le 1er vendredi 金曜日 //やり残したことは//赤福を店舗で食べなかったことだけ。本日は朝一番で12か月点検のため車を預ける。夕方取りに来ると言って、そのまま地下鉄へ。それから名刺を作ってもらうために打合せ。ギャラリーで器を買ったり、古書展巡りでは良書に出会えたり、両親の頼まれごとも済ませて再びディーラーへ。 全く暑い日でしたが、工房から出て街中を歩くのも素敵な過ごし方。 |
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