令和5年4月avril.2023


le 30 dimanche 日曜日
//今日こそは//日曜日らしく過ごそうと思ったのですが半日が限度でした。昼から6時間ほど作業場に籠る。4月が終わりますね。今月は出店から始まって、間髪入れず飯田にも。それが終わって三件申し込みましたが、一件は落選。とりあえず5月は前半と後半にありますが、毎月、決まった所を考えなくてはなりません。

本日作業していたら、今の活動パターンは今だけのようにも思えて、何でもそうですが全てを慈しみ感謝して取り組んでいこうかと。と、申しますのは、新工房が出来たら、また生活のリズムは変わるだろうし、今は今なりに、今後は今後なりに。

//透明な揺れ//これは初めて書くことですが、何年か前、ある神社の奥宮で祈っていたら、目の前の光景が、水の中に居て向こうを見るように、透明な揺れ、透明な波、透明な振動のように揺らぎを通して見えるのです。最近で言えば、天龍村の某所で祈っていたら、全く同じことが起こりました。平素の生活で、このような事はないのですが、心を込めて祈る時など、目を閉じても明けても眩暈ではない揺れる感覚を覚えるのです。揺れの時と場所が、このようなものでありますから、良いことには違いありませんが、日々の瞑想でも、この位に精神を高めなくてはと思います。
 
 全く違った人生の道を選びましたし、私には祈ったり願ったりすることがこれからも尽きません。あの時、今までの道を同じように進むのであったら、特段変わることもなく、今も同じことを続けたのでしょうが、先に信念を別なる道のスタートラインに置きまして、肉体はあとから持っていきました。今、信念と肉体は新しいレールの上に位置しますが、これからは自分でレールを敷いて進んでいかなくてはなりません。ここに私が祈ったり願ったりする理由があるのです。常に先々を思って、こうありたいと思うなら、また同じように信念を先に新しい立ち位置に置いて、肉体の到着を待つくらいに、心はいつも志高く。


le 29 samedi 土曜日
//椅子に座って//大型連休の初日という人も居るのでしょうが、全く曜日感覚が狂ってしまいまして、土曜日なのに、終日、仕事。  今、日曜日なのですが椅子に座っていたら睡魔に襲われて、それが深い疲労感がともなって、椅子から起き上がる気力も湧かず。

瀬戸通いを終えてから、終日の休日って、無いような気がする。労働の強度が上下するだけで、一日の何時間かは何かしら励んでいます。


le 28 vendredi 金曜日
//牛乳から//クリームチーズを作りました。大昔、同じことをしましたがカッテージチーズ止まりだったのですが、今回は泡だて器を用いまして、美味なるクリームチーズに仕上がりました。ホエーは野菜スープに使いましたが、どうやら塩と野菜を投下すると漬物になるそうです。飲めばあっという間に無くなる牛乳ですが、チーズに変身させたら、本当に楽しくておいしくて末広がり。

1Lの牛乳で一週間ほど楽しめそうです。煮詰めることだし、期限迫った安売りの牛乳でも良い訳だし、今後も楽しみ。

//別なる試み//別なる工夫。別なる表現。別なる。。
嫌な事とか塞ぎ込むとか挫折するとか、今後、こういうことにも出会うでしょう。出会わないと決めにかかる方が愚かなので、出会うと想定して生きていくとして、例えば相撲で言うならば、嫌な相手との事を考え続けても、それで自分が強くなるわけでもないのだから、相手は同じだとしても相撲でない別なる競技を考える。 なんだか新規に面倒に思えても、相撲に拘っていたら越えられないんだし、相手を凌駕する別なる試みに身を任す。きっと、面倒と思うことを先に片づけて、新しく進む道の、まずは玄関先から掃き清めることの方が重要なのだと考えます。


le 27 jeudi 木曜日
//整形顔//これはとても皮肉なことですが、そう思ってしまうので書いてみますね。インスタとかで典型的な韓国や中国の整形美女が普通を装って近づいてきても、その整形顔が醸し出すイメージは国際ロマンス詐欺のような怪しい接近だと瞬時にして私に警告してくれる。全く皮肉ですよ。整形して美女となったのに、今じゃあ典型的な犯罪の顔として認識される。これが私だけではなく広く一般化されると、コメディ映画のような展開で面白いのかも。

本日は本焼きを。明後日に窯出しです。
明日はホームセンターに行きまして板などを買います。出店の諸々の準備ですね。

3/3に瀬戸通いを終えました。まもなく二か月が経過します。この間、新工房があるわけでもなく、小さな小さな名古屋一号窯で出来うる範囲のことをしています。この環境で作ったものが、どのくらいの力を持っているのかと、それを知る機会は既に二回ありましたが、まもなく三回目です。名古屋一号窯は、作陶環境からすれば相当制限された内容ですが、制約ってのは、人を成長させるものだと、これは他の経験からしても言えることです。有難いことに新工房では制作環境は格段に向上しますが、私もそれ以上に進歩して窮屈に思えるくらいになると、知恵の力が働いて、また良き前進も見られるでしょう。今はただ、今の環境で出来る最大限の事をと考えています。


le 26 mercredi 水曜日
//今何してる?//今、昼休みです。本日は午後より釉薬の製造。この続きは、夜に追加です。

//20時の追加//午後から、16番結晶釉の補充作業と、試作を一点。労働の価値は質と量なのでしょうが、本日は小さな試作一個の価値でもって、一日の勤めを果たしたくらいの内容となりました。
ただ、これを素焼に回すのは、当分先の話になってしまいます。また一から作りだめしなければなりません。

//モヤモヤ//不完全燃焼というか脱皮前というか大爆発前というのか、何だかここ最近、モヤモヤしている。不満とかではなく、表現しきれていないことに対する地下の部分のモヤモヤ感が地表に現れた感覚です。魂は今、猛烈に表現したいものがあるのですが、新工房が出来ているわけでもなく、暫くの辛抱が続きますが、造形の答えは出ていまして、迷うことなく作りたい形状が私には控えている。次元の異なる表現。もっと高貴な表現。圧倒的な表現。


le 25 mardi 火曜日
//春の嵐//今晩、深夜電気料金になったら素焼を始めます。
土曜日から連日忙しくしていますが、それもこれも、今晩の素焼に間に合うように諸々頑張りました。明日は、轆轤は回さない別な過ごし方をします。


le 24 lundi 月曜日
//とにかく動く//あと2か月で51歳。この歳で陶芸家デビューなので、大前提として私には全く時間が無い。だから、とにかく動いて、失敗も成功も早めに体験する。付け加えれば動きながら考えています。恥ずかしいとか格好悪いとか、そういう感覚はすっかり無くなっています。あの手の感情は、余裕の副産物であり、時間の無い私にとっては、取り付く島もないと言うことです。

ここ数日は、「オマケ」みたいなものを作っています。心を込めて良い仕上がりになるように。以前にも言いましたが、生活が成り立つようになったら、私は利益の一部を喜捨することにしていますが、その様な日の来る目途が立っていないので、今出来得ることの喜捨みたいなものとして、オマケを心を込めて沢山作っています。立ち止まってくれた人、お買い上げしてくれた人に振る舞いを。今の私は、縁こそが全て。良き御縁になるように関心を寄せてくれる全ての人に明るく感謝の気持ちを込めて喜捨の品をお渡しします。

話変わりますが、この歌ってのも傑作。
この歌の旋律のように滋味深く優雅に華麗に生活を謳歌して参りたいものです。


le 23 dimanche 日曜日
//クタクタ//本日は10時間の作陶でしたが、今、披露がどっと押し寄せています。

今朝は久々に前職の枝分かれした職場に訪問している夢を見ました。実はこの手の夢は何度も見るのですが一貫しているのは、こんなに従業員を抱えているの!!と拡大している様に驚く夢。その反対に、もう一方の幹に当たる夢は全く見ません。ところが日中にたまに思いうのは、もう一方の幹に当たる会社のこと。もう二年も昔のことで私の事なんか忘れていることでしょうが、どういう訳か日中は前の職場、夢では枝分かれした所を見るのです。そのどちらも、今の私には全く関係の無いことなのに。


le 22 samedi 土曜日
//コレコレ//12時間超作陶していたので、只今、疲れがどっと押し寄せて来ています。そう、この疲れ。瀬戸時代、毎日この疲れと共に帰宅しました。昨日のモヤモヤは見事無くなっています。こういう健全な疲れは、本当に心地良いですし、このあと瞬時にして熟睡するのも快感であります。

もう少し文章を追加しようと思いましたが睡魔に勝てそうになく、これより就寝とします。お休みなさい。


le 21 vendredi 金曜日
//金曜日//金曜日は明日だと思っていました。曜日感覚が無くなっている。明日も轆轤三昧としましょう。

健康体操をしたのですが、なんだかモヤモヤしています。スカッとするような疲労感もなく、このモヤモヤはエネルギーはあるのに使い切れていない心身のアンバランスにあると思う。寝る前までに健全な使用をして心地良い疲れでもって眠るようにしなければなりません。

今週は二回三重県に行きました。田舎の道は観光名所ではありませんが美しい春です。来年の今頃は生活の拠点が三重県で、週に何日か名古屋の二重生活。これが基本であって、出店ある日は、どちらかの拠点から動き出すわけです。心を込めて美しいものを造ります。広告宣伝費など計上できませんので、真心こめた器が嫁ぎ先で良き輝きを放ってほしいです。評判が評判を呼ぶように真心込めます。

それと一つ夢を語ります。私が陶芸家として成功したら、山奥の日本家屋を購入して別荘としたいのです。そこで作陶はしませんが、芸術家の心の静養を得る場所として、茶など点てる家。美杉村のどこかに。


le 20 jeudi 木曜日
//筍掘り//ほったらかし竹林に行きまして筍を掘ってきました。一昨日も三重県でしたが本日も。
さて新工房が完成したら、旧美杉村にある昭和元年の廃屋を取り壊す段取りになりました。少しづつ壊れていき、それを眺めながらも壊してしまえば元に戻らないと思うと決断も出来ず、とうとう修復不可能の域まで崩壊が進んできました。壊したら、相当に良い建材が出てくると思うので使える限りは再利用したいと思います。

見て見ぬふりをして私一人になった時、存在の重みに耐えかねると思うので、同意せざるを得ませんでした。

私の理想は幼き頃の光景。ですが、多くの日本人が故郷はもはや藪の中という人も多いのでしょう、それでも今を生きていくのですから、私も新しい理想を具現化できるように思いと行動を一致させなくてはなりません。


le 19 mercredi 水曜日
//気の巡りは//血の巡り、だと思う。今朝は昨日の疲れが祟ったのか7:30まで寝てしまいました。健康体操の時間も過ぎていたので見合わせる。実は昨日は早朝出発で、そもそも出来なかったし、その前は黄砂で屋内避難。なんか覇気もなくダラーとしていたのは血の巡りが悪かったからでしょう。血の巡りは気の巡り。気の巡り血の巡り。

なんだか全体を覆うモヤモヤ感はあるものの、新しく主軸となるようなものの開発に乗り出しました。と、言っても現行品が品薄になることもないので、つまり、どっさり在庫があるので、この間を利用して商品開発というわけです。

突き詰めると、急須に夢中になっていた、あの技術の派生形でありますから、昔の努力も活かされているわけです。

それと、食器は努めて作らない方向で進もうと改めて実感。


le 18 mardi 火曜日
//打合せとか//申し込みとかで全く土に触れませんでした。明日も数時間しか触れないと思う。
あああ、古書を読む時間も無いです。

大人になると動じないものですね。全く振るわず挫折しそうな日々も続くであろうと想定しています。不安というものもなくて、自分で道を切り拓くのは、このようなものであるよ!と構えることが出来るのが大人の特権なのか?
そういう不格好な日々を味わってこその未来だと思っています。


le 17 lundi 月曜日
//昼前の、昼寝//10時頃かな?グッスリ仮眠したら疲れが消え去りました。
今、次なるところを考えていますが、如何せん準備不足。そもそも今後の屋号などをどの様なものにするのか全く考えていません。具体的すぎて活動を縛ってもダメだし、読み方難解でもダメだし、訴求力の無い意味不明なものもダメだし、分り易くて嫌味でなくて活動が思い起こされて覚えやすいもの。そんな屋号は、うーーむ難しいのです。

それと毎月一回の企画を詰め込み過ぎても破綻するし、閑古鳥企画も避けなければならないし、お門違いなところに顔を出すのも宜しくない。ただ、これを来年から始めていては遅すぎるので、不格好ですが良いスタートではあります。

●活動拠点からの距離 ●人口規模 ●企画内容にマッチするか ●開催時間(特に終わりの時間) ●企画者に集客の努力があるのか? ●出展料 ●過去の活動風景 ●開催期間(季節なのか通年なのか) ●絞り込んでも参加したい企画かどうか? ●参加者の構成や年齢層は?

情報収集したり考えたり、粘土は触らなくても陶芸の枠内。

理想は、月に三回ほど出店が固定化(冬季はお休み)したうえで、取扱い店舗があって、年に二回程度の個展があって、オンライン販売もある。こういう流れで一年が経過したら、またその先を考えていくのも楽しいのでしょう。


le 16 dimanche 日曜日
//第一歩//飯田にて出店してきました。製造⇒販売⇒収益の、さらに付け加えるなら奉仕の循環の始まりです。結果は惨憺たるものでした。帰りの車内では、その分析をしながら名古屋まで。

【敗因分析】
●9:30-13:30の時間において、客の大半は飲食目当て。そもそも、ここで買物を楽しむ感覚はなさそうです。
●子連れ客が9割の企画において陶器の販売は粗相になりかねないと敬遠される。
●両手塞がるママさんばかり。

【対応策】
●不適合な企画には早々に見切りをつける。
●この条件でも売り上げを伸ばしてみる工夫と果敢な態度。
●一回のことで全てを語っているのでは?継続の効果を知るべきでは??

本日は早朝から、これより陶芸家として歩み始める報告をして参りました。第一歩目の本日の結果は上記の通りですが、学びの観点からすれば大収穫でした。いづれにせよ私は立ち止まらない。惨憺たる内容であっても塞ぎ込んではならない。何かしら考え決定して動く。

昨日は、どえらい立派な事を書いても翌日は思いもよらぬ結果とか、商いは面白いです。どちらに転んでも何かしらの要因が働いてのことです。その要因を分析することが最大の収穫であったと、これが本日の結論です。


le 15 samedi 土曜日
//神仏の御加護//神仏が、この人には引き続き今の生活を継続してほしいと思ってくれるような生き方をするかどうか。

昨日の日記の続きですが、先ほどスラスラと頭に湧いてきたので一気に書きますね。

私はこれより命続くまで、生産⇒販売⇒収益の商行為を輪廻のように繰り返します。と、宣言したものの、この考えでは長続きしないでしょう。神仏が愛想尽かすからです。
 私には収益の先が無く私欲で終わっていることに早晩愛想を尽かすと思うのです。私が神仏の加護を得るためには、収益の先に奉仕の心が無くてはなりません。私の得た利益で誰かが救われる仕組みを作る。これがあるからこそ生活の継続を許して下さると思うのです。

しかし大前提は、私は一連の商行為によって生活が成り立つ経済的体力を確立した上でのことです。誰かの援助を受けつつ他の誰かを支援するなど道徳に反します。まずは全力で自立すること。


① 生産⇒販売⇒収益の商行為繰り返す。⇒早期に陶芸家として独立出来るように頑張る。
② ①の確立後、収益の一部を奉仕に向ける。
③ ②の奉仕先は吟味に吟味を加えて自らの意思により決める。
【重要】最も大切だと考えるのが奉仕先の吟味。万人を救える金銭でない限り、我が喜捨の最大効果を真剣に考える。例えば10万円を生臭坊主のいる寺に差し上げるのは愚かの極み。その辺りの鋭敏な感覚を養うことは、今後の商売上の鍛錬にもなるとも考えます。研修費用みたいなものです。10万円で誰を救うのか? 麻薬中毒患者? ギャンブル依存症? 社会問題にも関心を向けて、何処に喜捨すべきか真剣に考える。自らの意に反して辛苦を味わい涙を流す人に思いを寄せなくてはならない。

こういう一連の流れを絶やすことなく繰り返すことが陶芸を
命の限り継続できる仕組みなのだと、神仏の御加護を得る仕組みなのだと記します。

私は神仏の御加護を励みに大陶芸家として存在したい。


生産と販売を命の限り繰り返す私の商道徳と哲学は上記のものと致します。


le 14 vendredi 金曜日
//良き作品を//今日は諸々の準備で作陶はできませんでしたが、粘土に触れるなら、もっともっと美しきものを作りたいと、その思いが強まるばかりです。

魚は多くの卵を産みつける。その中から一匹飛び出して好きに海を漂う。なんやかんや言って今まで組織に与していて、何処に進もうか選んでいるようで指定されていたと思うのですが、とうとう、私は一匹の魚になった思いです。何処に行こうと選んでくれる人もいない。だから同僚もいなくなった。

これからは一人の独立した陶芸家として、同じような陶芸家と親交を深めるか、有難きファンを見つけるのか。でも彼らは親しくても、いつも遠くに存在する間柄になるのでしょう。
 それは私が求めていた姿でもある

日曜日は飯田ですが、出店以外にも目的がありまして、それはお地蔵さまにお参り。今から10年ほど前でしょう、南信州新聞で由緒を読んで以来、5回ほど参詣しています。あの時から一貫して陶芸家として生きていくことを願っていました。お礼参りと今後の決意を報告に是非とも上がりたいのです。幸せだと思うのは、こうやってお話しする相手のいること。一人は好きですが絶海の孤島に生きているわけではないと考えると、幸せだし心強いし有難い。

そう、それと一人知らない道を行くのですから、私は道徳心を持たねばならない。商道徳を越えた商いの哲学と道徳。強く確立するからこそ迷いも無くなると思うのです。私は作り、販売し、利益を得る。この生涯繰り返す果てしなき行動に、一寸の迷いなく果敢に取り組めるよう哲学と道徳を確立し、私は内面も強くしなければならない。


le 13 jeudi 木曜日
//睡眠戦略//本日の作陶は芳しくありませんでした。原因は睡眠不足だと思われます。午後に15分程度と仮眠をとっていたら、このような事態は避けられたと思われます。

明日から飯田の準備をしようかと思います。

さて先々の話ですが、春や秋はマルシェが多い。このような時期は出店に専念するとなると、それ以外の時期に大量の在庫を揃えなければならない。それと何個売ったら10000円を越えるかのラインを下げる努力は必要です。それには自分の価値を高めることなのですが、立派な人は1個で既に超えている。例えば二個売ったら越える人で、そのために金銀に頼る戦略と、越えるのに三個必要だけど金銀は使用しない作品。見た目の華やかさと内実の問題は精査しなければと思う。
 でも、オブジェなんですよね。全く興味の無かったオブジェなのですが、これこそ売れる作家の破壊力ときたら圧倒されます。


le 12 mercredi 水曜日
//15分温め//朝、読書の時間(7:00-8:30)に妙な睡魔と悪性の疲れが湧き出してきた。これは変調の初期症状と、直ちに布団の中に15分体温上昇兼仮眠の時間。すると、ものの見事に体調が良くなりまして、本日も通常営業。

夜、クローズアップ現代で株式などの不労所得で生活を維持し、早期リタイヤする人の特集を放送していました。一方、私は不労所得もなく死ぬまで陶芸を続けなければなりませんが、救いはありまして、陶芸が心底好きであること。今日も22時まで轆轤を回していましたが、残業とか仕事の感覚が無い。とにかく美しいものを作るために彼是試行錯誤。

明日は黄砂が酷いので朝の健康体操は室内かな。


le 11 mardi 火曜日
//一つの夢が叶うとき//前職時代から窓の外の青空を見ては、飯田の街で作品を売りたいと昼なのに夢を見ていた。この夢は瀬戸時代でも折に触れ湧き上がってくる。
 その夢がまもなく叶えられようとしています。好きな街を陶芸の仕事で訪ねる長い長い思いも、これから一つづつ叶えていくのでしょう。

でも、叶ったら叶ったで、その次を用意しなくてはならない。こうやって私の過ごし方に規則性みたいなものが現れてくるのでしょう。


le 10 lundi 月曜日
//新緑//毎日のことですが朝起きると座禅をしまして、それから40分程度の健康体操を家の前の公園で。今、新緑が美しいのです。これからどんどん生い茂り厚みも増してくるのでしょうが、私の大好きな季節です、新緑の頃。


le 9 dimanche 日曜日
//こうして//今日も、なんやかんやで仕事しました。同じ事をしていても前職時代なら、それは仕事とは言わず趣味である。あのころ五日働いて二日陶芸でありましたが、今では五日陶芸(仕事)二日陶芸(仕事)。結局、本日も朝から晩まで。こうやって曜日感覚が無くなっていくのだろう。

今年の春は新工房が出来るわけでもなし、出店の準備も時間がなく、良い季節なのですが、商いの視点で言うと「取り逃がした春」です。先日までは、なんとか昔の在庫で整えましたが、明日からまた制作に戻ります。


le 8 samedi 土曜日
//終わりました//先週の土曜日から始めた出店、本日で終了。この間、三日お休みで稼働日の一日は売り上げ0円という日でありました。総じて言うなら学びの多い日々であり、収益以上の利益であったと考えます。今後は、この出店を精査して次回に活かそうと思いますが、成功も失敗も後回しにせず早く経験するものだと強く思います。失敗回避に作戦を練ってばかりより、いち早く失敗して教訓を得る方が得策だと思うのです。

明日は戦後処理。片付けです。

少し前、年間休日が激減すると書きましたが、今、私は仕事をしている感覚が、ある意味ないのです。作る時も売る時も喜びであり、疲れるのですが、それは昔、週末に活動しすぎて疲れるのと同じ感覚なのです。幸せと思いますが身体が資本。日々の行動は何事も慎重に。

あと利幅は大切だと思います。右から左の商売なら、多くて~30%なのかもしれませんが、私は製造から販売まで一貫しているので90%以上を目指さなくてはなりません。とても強欲的な発言ですが、種明かしすると数多く売れる訳でもないので、生殺与奪ラインは90%以上にしなければ生活もままならなくなる。つまり、最も簡便に作り、しかも高貴な雰囲気を醸し出す製品を、これでもかと追求しなければなりません。そういう工夫も実の楽しい。

この立場になって、あたらしい陶芸の喜びを感じています。今の今までは、その人の作風や技巧だけでしたが、漸く、この作家は、あの作家は、こういう工夫・作戦なのだと、彼らの生きるが故の叡智に思いを馳せるのも、興味深くて楽しいのです。それは秘中の秘なのでしょうが、頭隠してではありませんが、どうして、この形状なのか、この売り方なのかと拝見すると案外答えは出ているように思えるのです。

何故、あの人は金銀を使い続けるのか? 
金銀は裏切らないからである。


le 7 venndredi 金曜日
//暖かな春の雨//新工房から見える景色は平野の終焉。小高い山が遠くに見える、都会2割・田舎8割の環境です。来年の春の暖かな雨の日は、工房でそれを味わっているのでしょう。

陶芸の志は強烈で、でも同時に生活環境の変化には同じ強度で恐れ、10年間、身と心はそれぞれ正直な気持ちでしたが背反した世界でありました。でも、諸々のきっかけが私を陶芸に傾け、物事が一気に進みました。変化を恐れた私が経験したことも無い大変化を今味わっているのですが、陶芸の志の深さが私を不安ならしめることを防いでくれます。と同時に貯蓄の大切さを強調したいです。長い人生の途中で、別なる自分への強い憧れが出現した時、貯蓄は人生の再設計を力強く助けてくれます。私はリーマンショックを見た時、定年まで同じ規模かそれ以上の恐慌は体験するものだろうと認識し、以来、恐慌が到来しても景気は循環するので、回復の時期までの数年間、問題なく生活できる貯蓄は必要だと励んでいましたが、今、それを活用している訳です。一方、備蓄米を自身の都合で供出した私でありますが、これと引き換えに私は「定年」というものが無くなりました。10-15-20年後、することないから旅行三昧という老後は、手の届かない夢として来世にお預けになります。

来年には落ち着いて「再就職」なのでしょうが、退職金はありません。退職が無いからです。


le 6 jeudi 木曜日
//イマイチ//久しぶりの本焼きがイマイチでした。これが上手く仕上がると、自分で言ってしまうのですが貴金属のような輝きになるのですが、全く遠い姿に唖然としてしまいました。

自分では楽しいから何度失敗しても再起するのですが、やはり透明釉と違って相当に難しい釉薬を実践しているのでしょう。「これだ!!」と決めてから4年ほど研究しているのに、まだ到達点が見えません。でも、この頂に立てた時、私は私だけの表現を手にすると思っているので、まったく断念する気になれないのです。


le 5 mercredi 水曜日
//これも有難し//本日売上0円。一日居たのに全く売れず。悲しいとか焦りや僻み八束水(やっかみ)みたいな感覚は不思議と湧き起らず、こんな日もあるわな!と達観。それでも現実として売り上げ0円なのですから、0円に至った要因は明日、時間をかけて分析します。

さて売り上げ0円男の私ですが、ある申し出を断りました。○○を作って欲しいと。今後も、このような話も出てきましょうが一律にお断りするつもりです。その申し出のために月の何日を割くかと考えると、知らないことに挑戦するより、私の作品を作る時間に割くべきであると判断するからです。

昨日の日記にも書きましたが分身の術は使えない。使えないからこそ上手い身の処し方を考える。
生産期間において朝から晩まで毎日身体を動かすと、指先が疲弊してくる。施釉も同じく手荒れする。傷んだ個所の治癒は安静なのですが、この期間を商いとする。と、疲れたから休むのではなく、別な過ごし方を選択して、なるべく仕事をするように工夫しなければならない。おそらく年間休日は、前職の頃の~130日とかは絶対にありえない。激減は必至。


le 4 mardi 火曜日
//性に合っている//陶芸は大好きだ。そして今思うのだが売るための工夫・心理学的なものも大好きだと。20年超のHP日記を見てもお分かりのように、私はアレコレ考えてばかりの毎日。今、生産の仲間はいない状況で、つまりお喋りの相手もない状況の中でも私の頭は結構刺激に溢れている。

●今までは町工場の主人のような知恵と工夫。生産は性に合っている。
天井と床下の空間が私の豊かさの指標。これを如何に拡大するのかが思案のしどころなのです。これが本当に楽しい。
安価な原材料から、如何に高貴な雰囲気を醸し出せるか。
如何に手間数を削りそれを具現化させるか。
歩留まりを高めるに都合良い形状。
破損や不良を未然に防ぐ形状。
釉薬の開発は重要で、素晴らしい釉薬を持ち得たなら、あとは彼らが輝き続けてくれる。広告塔。

●路面店の商店主のような知恵と工夫。商いは性に合っている。
通り過ぎる人の最大時間は2秒。でも存在感が輝いていれば、手前から注視してくれる。2秒を何秒まで延長できるかの知恵と工夫。
近くまで来て立ち止まってくれるかの心理的工夫。
興味ある人に話しかけて会話が成立する心理的タイミング。
購入に至ってくれるよう、如何にして導くかの、肝。

一年は365日しかない。私は分身の術を使うことはできない。
上記、二つの主人はとても大切なのですが、1年、この二つの顔だけではダメである。
私には目指すべき高みがあって、その志を具現化する日々も持ち合わせるべきでして、それに研究者や哲学者・詩人も、あらゆる側面がお互いを支え合って大いなる高みに到達する。だから、全てを真剣に効率良く取り組んで次の私にバトンタッチしなくてはと思うのです。

今、全ての責任は私にあります。上司が社長が新入社員がと誰かのせいに話を向けることも出来ません。だから全てを考えたなりに実行できる喜びも伴うのだと考えると、とうとう私は一人で立ち上がるのかと深い気持ちにもなるのです。

何故私は陶芸をするのかと心に問えば、道を誤ることはないでしょう。心に語り掛け、私を律する。選んだ道ですもの、深い深い喜びの道。


le 3 lundi 月曜日
//ある男の物語//風変わりなお寺には、色んな大人が集まる。その中で異彩を放ったのが刺青を隠さない男女。これから催す劇団員の一員らしい。とんだヤクザ者が来たものだと思っていたのですが。

彼のパフォーマンスは人形使い。全く見事なものでした。それから舞台を飛び出して子供たちを喜ばせる姿。女の方は妻らしいが、多くの知人に再会したのか交わす挨拶も礼儀正しく驚いてしまう。
40代の男が今に至るまでは多くの物語があったと思う。色々な道を歩み、劇団に出会って一つのパフォーマンスを習得し、人生が豊かになったのであろうか?もし小説を書くとしたら彼の半生は大変に読み応えがあると思う。

新年度が始まりました。新しく何かに属したなら、新しい時間の流れが始まるのでしょう。私は、これより自分で決めなくてはなりません。制作と販売。今現在の最大の願いは、大まかでも良いので作家としての年間通しての時間の流れを知りうること。これは落ち着いて2-3年目のことですから50台半ばの話ですよ。そう考えると私には時間が無い。焦る必要はないけれどのんびり構える時間は持ち合わしていないのだ。


le 2 dimanche 日曜日
//良い勉強//売れる時も売れない時も理由があって、それを探るのは良い勉強になる。つまり成否を恐れず経験しなければ勉強の土台に立てない。そういう意味においても勉強二日目。

まだ本格稼働には至っていないので、今は色々と実験的に動こうと思います。

この二日間で学んだことは、
●キッチンペーパーを持参すべきでした。新聞紙でも良いのですが、やはりお買い上げいただいた後に緩衝材的にも包んで袋に入れなければと思うのです。
●男性受けする商品も2-3割用意する。
●上記と主軸に親和性のある世界を。
●これを可能ならしめるのは食器の分野である。
●時期を置かず第二弾も動くべし。


le 1er samedi 土曜日
//驚くべき話、続々//出店初日、地元史に詳しい老人とお話が弾む。
●地図には無いが豊田工業大学辺りに戦時中、高射砲台が設営されていたとのこと。
●大府に飛行場があってB29が飛来すると2機編成で追撃 高射砲と連動
●撃墜を目指すのではなく、B29が高度を下げて正確な空襲を妨害するよう、下降しないような射撃であったこと。
●緑区滝の水には開発前に落差10M程の滝が二つあったのですか?との問に、実際にあったと証言してくれた。水量も豊富で滝ノ水公園辺りだそうです。
●その滝ノ水公園は伊勢湾台風の瓦礫置き場として有名ですが、これに限らず製陶所の不良品とかあらゆるゴミが山になっていたとのこと。たびたびタバコの不始末や自然発火で、滝ノ水というと濛々とした黒煙の印象だそうです。
【追記】滝の存在は、ゴミ置き場以前の話。そのゴミ置き場は滝ノ水の谷底を埋める形で始まった。滝は、その谷の一方の側面にあったとのこと。
●その集積所の近くに朝鮮人夫婦がやってきて豚を飼い始める。腐ったものを煮てから餌とするので悪臭甚だしかったとのこと。
●これに関して、朝鮮部落に発展したのかと聞いたら、この夫婦一軒で広がりは見せなかったとのこと。
●相生山にはB29による8個の投下爆弾のクレーターがあるとのこと。
●以前の日記に書きましたが、私が小学校低学年の頃、もちろん陶芸を始める以前に、その場所に露頭していた純白の粘土層を、これは上質な粘土で陶芸に用いたいと、立ち止まって垂涎の思いで眺めていた不思議な記憶があるのですが、資料を見てビックリ、まさに同じ場所が鎌倉時代の相生山古窯群でありました。
●戦争で中断されたのだが愛知県の調査で草薙剣を写した写真があって、その資料を実際に見たとのこと。石の箱の中にT字の(銅)剣の写真。←◎草薙剣と称する別なる存在を写したものかと私は思うのですが。あの時代に、それはあり得ないと考えますが、戦争に備えて万が一の資料収集だったのでしょうか?


 
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