décembre.2014



le 31 mercredi
//2014年私的10大ニュース(順位なしの10本)//
●大幅に下がる年収 ●とうとう一度も行かなかった斜面集落探訪・地方都市で過ごす夜
●土岐市美術展奨励賞受賞 ●倹約の日々 ●より傾倒する作陶生活
●一回だけね。そーいうの。 ●ウーマン号修理頻発 ●新約聖書読破
●桁違いの大掃除で、ゴミの山を見た ●死を覚悟した便秘

いろいろ在りましたが、無事にこの日を迎えることができまして、今思う全ての人に感謝を申し上げるのです。こういうことを、大晦日にもう何年も書いていますが、これはこれで、とてもありがたいことなのだと。

来年は、特に何をする!!と息巻いてはいませんが、生活における作陶への傾斜・傾倒は、引き続き邁進していくことだけは間違いありません。

今年は、増税対策と、数年来続くボーナスの減少傾向などを加味して、質素倹約闘争というより、慎ましやかな日々に喜びを見つける生き方の実践でした。それは老いの先取り。
いづれ老いた時、狭まりゆく世界に深い奥行きを見つけ精神の安寧に成すためにも、今から、似たようなことをしているのです。

思えば、一貫していることは、僕は自分の生活と同時並行に進む相手を全く求めていない。これだけは徹底していて、人は違って当たり前、同時並行が愛の姿というのなら、そんな愛はアホらしくていらない。来年も、我が道を進み、折々に「季節の人」と交差するのだろう。それは僕にしては素敵な生き方ではないか!?

今日も、どこかで心静かな時間を設けましょう。

カウンターは回る。アナタのことを書いています。
今、大晦日の14:23です。アナタは何して過ごしているのでしょうか!?
窓から見える景色は、アナタの書く字の癖と同じくらい知りたいことなんです。



不思議なのです。僕らは、落したマッチ箱から散乱したマッチ。好き勝手な方向に頭を向けている。僕の生き方はアナタとは違い、アナタの生き方は、もはや僕には想像すらできないくらい違うものだ。だけど、好き勝手に向くマッチであっても、時に重なり合っているところがあって、それが今の僕とアナタなのかもしれない。一瞬、劇的な出会いがあるのかもしれないけれど、それは過ぎ去ってしまうもの。 そして、また何かの折に誰かと劇的な出会いの瞬間が訪れるのでしょう。生きるとは、この繰り返しなんですね。
だけど、アナタの部屋から見える景色や、字の癖は、そんな一瞬を癒してくれる想像力を僕にかきたててくれる。

部屋の向こうに、山が見えて、アナタの字を見てアレコレ思いを巡らせれば、それは大外れでも、なにかもっと交差する時間の帯が太く感じられるのです。

そんな、どれだけ思いを巡らしても正答の届かない想像を、僕はたまにして、それが楽しい。
だけどカウンターは回る。アナタの部屋から見える景色は何ですか!?

 町のはずれで、集落と山の間で、その間には田んぼがありますか?
 見えるのは家々の屋根だけど、遠くコンビナートの夜景なんか綺麗なところですか?
 窓を開けたら、隣家の壁で、ただただ空気の層があるだけですか?
 階下の国道は煩いけれど、海が見えるよ!
 自分の住んでいるマンションと似たような姿を見るだけなんだ。
 見える半分は畑で、半分は工場。
 コンビニとその駐車場。あとは田んぼに遠くに神社。
 
会う・話すだけが交流ではなくなった現代。こうやってカウンターを回してくれる人は、何
十億人といる全くの他人とは、もはや別なる存在。特別です。

今日は、特別に設ける心静かな祈りの時間。思いを巡らす全ての人に捧げます。
一年間ありがとうございました。幸せな時をありがとう。


le 30 mardi
//買い物を少々// 合間合間に昼寝。明日は大晦日で、何かと準備などあるし、実際のところ年内自由な日は本日が最後なのですが、こんな過ごし方で終わる。今年の年末年始は、節約に努めて過ごすと誓っていたので、まずは合格点なのですが、浮いた時間の過ごし方が低質で反省は来年に持ち越です。


le 29 lundi
//都市生活者// 仕事納めの3日ほど前から、風邪に似た症状。風邪薬を飲むわけでもなく自然治癒力で治しているのですが、鼻の詰まりは味覚の減退。都市生活者で味わうコーヒーに、どれも落第点を。本来は、そうでないのだが、我が鼻の詰まりは、コーヒーの豊かな表現を無にするのだ。

待ちに待った過ごし方の割には、なにか心満たされず。


le 28 dimanche
//家の掃除と昼寝// 出歩こうかと思いましたが、まあ、こんな過ごし方。最近は、体温保持のために、特にすることがなければベッドの中に避難する。それは眠りに通じる行為なのだが。


le 27 samedi
//作陶納め// まずは昨晩のことから。昨日は帰宅してからすぐに寝た。ずっと寝た。一年の疲れをこの眠りで癒すために、すぐに寝た。
さて、本日は作陶納め。
一年52週として土日は104日。たまの祝日や夏季休暇を加味すると114日くらい?
100日は作陶していますね。その本年最後が今日でありました。
何を語れるわけでもない自分が、ようやく人に自慢できる分野を切り開くことができまして、なにかしら救われた思いがします。

//道具改め// 今年で三回目。作陶納めの夜には風呂場にて、一切の道具を洗い清める道具改めの儀式。刃物は研ぐ力の入れようで今年も3時間近く格闘。毎年同じことを書いているのでしょうが、多くの道具を洗い清めても、使う道具はごくわずか。手になじむというか勝手知る道具についつい手が伸びるのです。


le 26 vendredi
//仕事納め// 今年は9連休。ありがたやありがたや。
???と思うこと多しな一年でもありましたが、???と付き合うことで飯を食えたのも事実。
と、申しましても大過なく過ごせたことには感謝しなくては。


le 25 jeudi
//年末によみがえる嫌な記憶// 確かなところでは二年連続でしたからね、それから2年は逃避というか対策をして、まあ正常化は5年目。
嫌なことや不機嫌を怒りでもってリセットできる人は恵まれています。勝手でもあります。

不意に思い出すのだ。それはまるで不幸を期待するかのように、また招来するだろうと思い、そうなったところの心のありようを、まだ現実化していないのに先行するのだ。
全く無駄だし無意味だと思うけれど、僕の人生において、これに限らず、不経済の先行上映は多々あり、時を無駄にし過ぎている。これに関して怒りがあるかと言えば、憤りなんですが、だとしても発散する術がないので、心にしまいこむ。そして折々に不意に思い出しては味わう繰り返し。


le 24 mercredi
//何を成し遂げた、の、、、//院須田チャン。どこを見ても何食べた!の写真ばかりなので、僕は何を成し遂げたか。まあ、作陶の成果を中心に、これからもupしていきましょう。

//風神の門// 霧隠才蔵 才蔵 サイゾウ そう。さいぞう。
アナタだったのね。 この間、何年!? 2-3年!??
そういう意味においては、良い意味だ。


le 23 mardi
//毎年、天皇誕生日にいうこと// アナタだったのね!!!!
今日は火曜日、天皇誕生日。毎度のことですが瀬戸に行き作陶。
普段は週末の僕ですが、火曜の休みは、そんな僕みたいな人と、火曜日に来る人との不思議な出会いの一日。つまり、僕の作る作品は、その人たちも知っているのですが、それを作っている人ははじめて見るという一日。たぶん、去年も一昨年も同じことを書いているはず!!

これで作陶できるのも残り一日ですが、ここにきて冴えが凄いんです。
これも毎年の傾向。

年内に予定されていた旅行は中止となり、これはこれで良かったのです。
初日に作陶したら残り8日間は、非陶芸の休日。年間通して、またとない休暇なので、地味だけど滋味深く良い時の過ごし方を心がけようと思っています。


le 22 lundi
//人より贅沢と言えば// 毎週末通う陶芸で、僕の急須は山のように。毎晩、出来上がりの急須を試すべく、新しいそれに茶葉を入れ湯を注ぐ。たぶん、これら一連の行為は、世の中に稀にいるだろう急須マニアにとっては贅沢この上ない行為なのかと。
僕が人に自慢できることと言えば、これだけ!!



le 21 dimanche
//山一つ越えて// 早朝座禅の日。凍結を心配してアメダスを見る。春日井市は5-6度に対にして山一つ向こうの多治見市は1度。実際に行ってみると、峠を越えて多治見市に入ったとたん、一面の濃霧。ここは盆地の街なので、こういう現象が発生するのでしょうか。とにかく霧ではなく濃霧。濃い霧。

今年は5月に、日にちを間違えて行ったのと、2月だったかな?凍結を心配して見合わせた二度の欠席を含めると10回参加した早朝座禅。折々に祈ることがらがあり、来年も参加しなければと思う。

作陶に関しては、昨日、某指導員が、ウーマンの急須だけは自分も造れないと聞きまして、100個近く作り、2014年も終りに近づいて、ようやく凄みを表出できるようになりました。

僕は、ケチなので、物凄く薄く作る。これが技量の向上に寄与したのは間違いないのですが、薄くて安定感のある形は、円に行きつく。だから、薄いなりに強度が期待できる急須や香炉など多く作るのでしょう。


一つ、旅行をお断りした。これはこれで良い選択だったと思う。これで年末は地味に好きに過ごします。


le 20 samedi
//ある指導員のサヨナラ// 聞くところによると三月以降契約を更新しないそうです、。干されたのではなく、自分の世界に専念するから。それはお目出度いことだけど、残念でもあるし、これから寂しくもなるでしょう。長く通っていると、利用者の方が歴史を語れるのですら。。僕も成長しなくては。


le 19 vendredi
//今日の方が疲れた// 大渋滞。都市高速は通行止めで、昨日の仕事を回復させようといつになく車が溢れるものの、圧雪の個所などあって、どこもかしこも大渋滞の極み。

さてさてさて、時に思うのは、「富」について。
特に陶芸をしてから、富や価値の不思議を思わざるを得ない。
粘土の塊を成形して、それなりのレベルの人は、元来、土の塊であったものを価値あるものとして世に出すことのできる不思議。
その不思議を考えると、やはり農業に辿り着くのは毎度のこと。
土を耕し水を撒き、太陽の恵みによって、食べれる種子がワンサカ。江戸時代は、それこそ米が富のバロメーター。

不思議なのです。元来、どこにでもあるはずのものを、手足を動かし汗をかいて、ある程度の時間を注げば、答えは、価値や富。

まず第一に農民が自家用以外に生産してくれるので、陶芸家は田んぼの管理をしなくても良い。そういうふうに、皆、それぞれ自家用以外のものを生産し世の中は回っていく。

物凄く長くなるので、書きませんが、本来の富は、自家用を上回る労働の果実の交換。その交換の分量が価値であり富なのだ。そして銀行が、投資という応援をし始めた。灌漑水路の資金を援助して、本来考えられなかった富の開拓を共に進め、両者とも益を得る。

矛盾を感じるのですよ。今、こういう投資などの勢いが、実働の果実を遥かに凌駕してしまい、誰もかれもが、規模も小さくなった実働の「将来の果実」に期待をし、援助という名の投資をする。応援する人は多いのに、選手は少ない。

危惧を感じるのですよ。余りにも多くなった応援団。ここに応援団内の便宜を図るビジネスが登場し、数少ない選手を探したり、得体のしれない労働に確実性を見出したり、とっくに破たんしているのに、儲かると言い続けて融通を利かせる業者。

選手は疲弊し数も少なくなる。一方、応援団は、いろんな窓口から参加する。儲かる期待もなくて応援団には参加しないので、彼らの期待は破綻した時、怨嗟になるのだろうと思う。
怨嗟は、そのモデルを推進した時の政府などに向けられるので、破綻の事実は無きモノにしたいと、アレコレ思案し工作するでしょう。

本来の富は、自家用を上回った他者に必要とされる労働の果実。
僕が、必要もされないのに作り続ける陶器は、趣味だからこそ済まされるのであって、これが仕事なら、負債を生み続けている。(これ以降、例えですが)だって応援団から、交通費や利用料の援助があるのだもの!! 期待には絶対に応えられませんがね。誰が僕の労働の果実が他者に必要とされると宣伝したのでしょうか!? それは嘘です。作るけれど、ちっとも売れませんから。 


le 18 jeudi
//大人の雪は、勘弁!!//23cm 9年振りだそうです。大雪の名古屋。
子供の頃は、そんな大雪の日は、積もることを期待して、何度も夜に外に出ては確かめていた。全く逆になるのですから、、、、積もることに恐怖して、何度か確かめる夜の雪。。。

朝、まさか、こんな景色が広がろうとは。

年末の忙しい時期に、都市部の交通はマヒ状態。
穴恐ろし大雪かな。


le 17 mercredi
//偉大なラジオ// やはり偉大である。帰宅してからNHKラジオでもってニュース等の情報源と成す。テレビを視聴する場合、頭が固定されるので、他のことが出来ない。ところがラジオだと大幅な自由があるので、聞きながらアレコレできる、なんと素晴らしい変化かな。

さて読破した、島崎藤村の「夜明け前」
あまりに面白いので、読破した瞬間、再び読み始める。
南信州新聞を読み、本日もまた読者文芸から心に響く歌を、ノートに書き写す慰めの時。

僕は、願望の一つに、老人への憧れがある。もちろん自分が老人になって、独居老人になって、人生の最終盤、いかに知恵を働かして豊かに過ごすのかの実践。その喜び。

昨日の日記で、今年のボーナスで買ったのはノートを四冊のみ、と。
このノートに、南信州新聞の読者文芸欄から和歌や短歌を書き写しているのです。ロシア製の鉛筆の書き心地と、CARLの鉛筆削りの冴えに喜びをみて。なんと贅沢な時でしょうか!!
一冊のノートが書き尽くされた時、それは膨大な量の詩の転記なのですが、徒然に捲っては読み流す行為の贅沢さは、ボーナスで何かデカイものを買った時の充足感にも勝る、そういう老いた時に役立つであろう計算が既に成り立つと信じているので、今から証明してみるのです。来年は、陶芸に、上記のような過ごし方をして、慎ましくも実践した者のみが味わえる大いなる充足と贅沢感を持って日々を送ろうと考えております。
今後とも増税だの円安だの、いろんな憂い漂う日本なのでしょうが、貨幣の束縛から離れた豊かな生き方を、語れるくらいの実践者として自分が成れたなら、幸せなんだろうなあ~


le 16 mardi
//慰め・楽しみ・喜び// 今年のボーナスで買ったのは、ノートが4冊。これだけ!!
丸善に行き、少し値の張るノートを4冊のみ。

この前に鉛筆買ったでしょ。鉛筆削りも買ったでしょ。
でも、何を書く訳でもなく。。。
そこでノートを買ったのですよ、縦書きの。

日々の慰めに南信州新聞を購読していますが、ここに読者文芸の欄がありまして老人たちの歌が載っているのだ。それは老いの心象を先取りする時間であり、たまに、その侘しい時の過ごし方に美しいものを感じる短歌。先ほど心に残った幾つかの歌を、ノートに鉛筆で書き写す。
この時間が慰めであり楽しみであり、贅沢でもある。


le 15 lundi
//お茶受けは干し柿//



こういう素朴な甘みを噛みしめていると、慎ましく過ごすのも良いではないかと思うのだ。
いづれ年老いて時を過ごすのだから、その時に慌てることなく、静かに豊かに過ごす術を今に磨かなくては。それと、たまに思うのだ。今でも一人で過ごすことが多いのですが、無性に孤独で過ごしたいのです。たぶん先日の旅行で諸々と近い時間を過ごした反動でもあるのでしょう。なんか全ての予定を断りたい衝動です。静かに好きに過ごす時間の、なんと大切なことか。

そして、自分の孤独の核に邁進する心理が病理の域ではないのかと、また嫌悪し始める。


le 14 dimanche
//干し柿// 一泊二日の旅行は三重県は志摩あたり。二度も寄った産直は、破格値で、いろいろ買いましたが干し柿もまた格安。いろんな家庭の干し柿は色や形、大きさといろいろで、4種類も買う。 あれだけ安い産直は、なかなかないですぞよ。大量に買うなら、再び遠出しても良いかもね。


le 13 samedi
//母70にして// 昔の家族の枠組みで旅行しました。複雑な言い方をしていますが、兄は奥さんも子供も別に用事があって参加せずなので、昔の家族そのものの枠組み。

もともと家族揃って旅行することがほとんどない家庭でした。夏休みとか終わり、ドコドコに行った!?とかいう会話も、なんか好きでなかったし。お盆とか正月は、三重県の田舎に帰るのみで、家族旅行は5本の指に収まるくらいの、少ない思い出。

母、70にして祝いの旅行。思ったより気兼ねもなくて楽しかったです。血の繋がりって瞬時に昔に戻すのですね。


le 12 vendredi
//帰宅から就寝まで//5-6時間。5時間だとして、夕食と入浴で1.5時間。
残り3.5時間をダラダラして過ごしているわけです。
読みたい本、理想の過ごし方など頭に描くのに、それより上位にダラダラがありまして、一通りダラダラしないと次に進めないのですが、毎度、時間切れ。。。

この悪弊は昔からで、よほど強い意思が働かない限り、何かを成し遂げることが出来ない。
来週からは、ダラダラを戒めようかと。
平日を如何に活かすか!!


le 11 jeudi
//好きな人// ああ、懐かしや。大学の頃の好きな人。顔本で写真を見る。太ったのは僕も同じことなので人の事言えませんが、一目で分かりました。

卒業して会ったのは名古屋駅で一度きりの偶然。もう10年は前でしょうか。
岐阜に住んでいましたが、実家のある兵庫県にお帰りになったようです。
人それぞれにドラマあり。彼が岐阜から兵庫に移る決断や要因は、彼の人生の中で大いなるドラマの一つであったと思う。

不思議ですね。人生のある一時期、とても親しい間柄や濃密な関係になったとしても、時が経てば、それぞれの時間軸の中で人生を歩む。マッチ箱のマッチをバラバラと床にばら撒けば、それぞれに重なり合う箇所がある。青春の一時の光景は、その重なり合いで、結局、それぞれの人生を振り返ることなく進んでいくのだから。

今、良く会う人も、定年や転職や何かのきっかけで、さっぱりと会わなくなるだろうし。
僕の、これからはどういう人生なのだせろうか。誰が去り誰と会い、何を思い何を見ていくのか。  


le 10 mercredi
//済ませました//最近の選挙は、期日前投票。今回は、思いを託す政党もなく苦労しました。なんか潮の流れがコレで良いのか、行き過ぎではないのか、とか、そういう意味合いでの投票になり。。。。。

帰り、アレコレいろんなお店を見て回る。
結局、服を二点ほど買ったのだけれど、靴なんて買おうと思ったけれど、前に買って履いたこともない靴の存在を思い出し、急きょ取りやめ。欲しいものはコレクスィオンのようにどんどん買う癖があり、いかんいかん、使わなくては。
あるモノを使い切ったのちに買い物をする。こういう消費パターンになればモノが溢れることもないし貯蓄は増えるだろうし。分かっていても、なかなか。。。

今年は振り返るに何の買い物をしたのだろうか。
大型家電もなければ、値の張る服もない。
年初に、お洒落カバンを買ったのと、増税前に2-3年分の粘土を買ったのと、車の修理費用。あとは2-3の旅行代くらい。全部合わせても50万円程かも。。。。。。。。。。。悔む無駄遣いがなかったのは良しとしますが、なんか慎み過ぎる感もある。

ところが、来年も粘土経済学を実践することでしょう。
陶芸の1kgの粘土(焼成代込み)の充実した価値を基本にすると、全てがアホらしくある。
このアホらしさを大切に、無駄遣いを戒めるとしましょう。


le 9 mardi
//DYNASTY//このDVDを見るのも、年末年始の楽しみにしましょう。
さてと、明日の夜は期日前投票に行きましょう。その帰りに夜の都市生活者を。


le 8 lundi
//今年一番//仕事の密度は今年一番でした。コレ、続けたら、きっと痩せられる。

旧約聖書を少しづつ読みまして、まもなく創世記が終わる。何が面白いのかって、神様の有難さと言うよりも、物語なんですよ。きっと大昔に、似たような家族の移動とかがあったのかと思うと、歴史物語は読んでいて楽しい。

12/27は作陶終い。28日は何して過ごそうか!!
名古屋かどこかの街をブラリ歩きして、時を過ごす楽しみ。


le 7 dimanche
//調子良い!!// 手の込んだものを、これだけ作り釉薬もこなす。

茶筒なんて、僕が思うに今のところ一番難易度も高いのに、最後の45分で、すらすらと作ってしまう。

今月の27日が陶芸最終日。27日の夜は毎年恒例の【道具改め】一切合切を洗浄します。
28から8日間は何して過ごしましょうか。
実は、口に出すのも恥ずかしいのですが。巷で流行りのカフェ巡りなんてのもしてみたい♪

まず、じっくりブラリ歩きしていない街を書くとするなら、
一宮 半田 岡崎 蒲郡 豊橋 豊川 春日井 刈谷 桑名 美濃加茂

もう一度訪ねてみたい街は、
岐阜 四日市 津島 多治見 土岐 瑞浪 中津川 関 美濃

明日から、具体的なルートとか考えなきゃ。


le 6 samedi
//風雪//どこぞやから、風雪の流布。バーーーっと雪が舞い込む土曜日。
大人になって何が変わったかと言うと、平日の雪の恐怖。降るなら週末にして!!!と懇願したいのが大人の雪。今日の風雪合格点!


le 5 vendredi
//120円// 半年ほど前、実感のないアベノミクスに対してネット上には120円になれば、快進撃で復活すると、まるで申し合わしたかのようなコメントが多々見られました。
今、120円です。おそらく130円をまてばと、妙な風説の流布が飛びかうかもしれませんが、仮にそうだとしたら、どんなに円安になろうが期待した効果はないと思うのです。

思うのは、日本に工場を置いた方がもうかる!としても少子化で労働力の確保が問題であるし、移民解禁など、いくら自民党が大勝したからと言って、なかなか出来るものではない。要は日本の工場を拡大したり呼び戻したり新設するとしても動かす人がいないのだ。人材確保に毎年難渋するよりか、ベトナムに新規工場を開設する方が、【気が楽】


le 4 jeudi
//15分は何時間?//1/4時間。ブーーーー 5-6時間。
一昨日の夜、地震がありましたよね。僕は23:05に寝たのです。
すぐに熟睡。揺れが収まって時計を見たら23:20 この間15分ですが、暫くの間信じられませんでした。脳の爽快さは本睡眠を終えたような深い熟睡感を済ませていたからです。

帰宅して、部屋が冷え切っている。僕は布団の中にもぐり体温の上昇に努めました。
怠惰な時間なのですが、上昇後活動的になったのも事実。
寒さは精神をピシッッとさせるイメージも付きまといますが、実際のところ内部体温の低下は活動を委縮させるのだろうと。要は僕はケチなので、部屋全体を暖めて体温の回復を非経済だと思いまして布団の中へ。。。。。睡眠もとれますし、なかなか良いですぞよ。


le 3 mercredi
//静かな時間を返して!!//選挙には行きます。そういう関心は人以上だと思っています。
残念なのは、平日夜、NHKラジオを聞きながら好きなことをする情緒的な時間が、選挙に関連したアレコレで騒がしいこと。

一昨日あたりから、左腕と左首が痛むと言うかコルと言うか。
僕は左の神経がどこかで圧迫されているような気もするし、左半身の老いは早いと言うか、左半身に負担を強いて生きているような気がする。
白髪は右に多いのだが、残る全ての不具合は左なのだ。

さてさて、年末年始何して過ごそうか思案日記。
作陶は楽しいけれど、作陶を諦める休日もまた楽しいのだろうし、そういう機会は年間通して年末年始のみなのだから、なおのこと輝く存在なのだ。

東濃地方都市群巡り。JRで中津川まで行ったら、恵那⇒瑞浪⇒土岐⇒多治見と戻りながら風情の違いを楽しむ。

瀬戸市で過ごす休日。岐阜市で過ごす休日。四日市市で過ごす休日。
豊田市で過ごす休日なんてのも楽しいかも。

そういう街に行ったら、とくに何をするでもなくブラブラして戻るだけですが、そんな慎ましやかな過ごし方も陶芸が始まれば得ることすらままならない。

気になるところはたくさんあるけれど、行ける期間は、この間のみ。半田市も面白いかも。


le 2 mardi
//熱烈歓迎!寒波御一行様// やはり、冬はこうでなくっちゃ。
殆ど夏至辺りに産まれた僕ですが、自分の好きな感覚に、陰に進み陰に極まる、そういう谷底へ向けた一連の流れが好き。

夏は夏の終わりの秋の気配。秋は晩秋、冬の気配。どんどん寒くなるのが好き。日の短さに季節が終わるのを感じるのも大好き。年始より年末が好き。老いるのも全然苦じゃない。

ところが春の気配や夏の気配はちっとも嬉しくないので、僕は咽喉・淫行いや陰行的な性格があるのです。

陶芸を始めてから、余暇における作陶への純化が毎年高まっている。
とうとう一度も斜面集落にも飯田にも行かない年となりまして、なんかプロの道を進んでいるような気もするのです。

さてと、年末年始は作陶もお休みで、強制的に隔離された状態。
年間を通して、またとない期間でもあるので、有効に使いたいし、そのために大掃除も済ませたし、さてさて何して過ごしましょう。

泊まらないにしても岐阜や四日市など地方都市でボーーーっとする時間は欲しい。
2014年も極まる頃にようやくやってきた自由時間なのです。


le 1er lundi
//無意味に消えた540円// 理由は聞かないでください。ただ悔しくて悔しくて。
こういうアホな消え方の悔しさは、どこかでそれ以上の倹約を迫られる。
戒めとして、昼は100円のパンを一個のみ!!

僕は同窓会とか全く興味が湧かない。それは、それ以降の人生を卑下して会いたくないとか、そういう類ではなく、意味あるのは、今とこれからの人との接点。
確かに同窓会で生じる接点の復活は意味があるのかもしれませんが、今に生きる過去とのつながりは、在るのなら、既に別の接点であるだろうし、やはり懐かしさで集まるこの手の会合は好きになれない。

今日は世界エイズデーなんですね。
死なない病気になったとたん、危機感が薄らいでいるような気もする。思うのは、例え死ななくても一生涯の投薬や通院の面倒は、在るより無い方が100万倍良い。生きていく上で取り組むべき課題は多いのだから、面倒は在るより無い方が何かと良い。


 
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