令和4年12月décembre.2022


le 31 samedi 土曜日
//2022年私的10大ニュース+次点//順位なしの10本と次点の一本。
●浜松にて古書を買い求める一年。
●可愛いムクちゃんの歌を毎日歌ってる。
●9月末から瀬戸での陶芸に一本化。
●一向に進まなかった新工房建設。
●あれほど繰り広げられた家での嫌な光景が、全く無かった初めての年。
●父上の笑っている夢を見て以来、積年の蟠りが訳もなく消えた。
●初めての出店。三日で5万円の売り上げ。
●日々丁寧に書き綴るHP日記。
●一日二食運動。5月から夜食べたら次は昼ご飯。
●50歳になった。
半世紀この世に存在してきたことに感謝し、生きていることに、ただひたすら感謝。
【次点】こちらの活動は、お昼ご飯を食べた、それ一回のみ。

思うに、今年は守られている一年でした。それは退職後もところ変わって属するところがあるからです。でも、来年の今日、2023年を振り返る時、私は今年とは全く違った思いを、ここに書き記しているのでしょう。

それを想定して、今年は古書を10m程買いました。最初の内は陶芸関連の本でしたが、それ以外の美術書に広がり、それも買い終えてからは、今後到来するであろう心の隙間を埋めるべく私の上質な話し相手として古書、これこそが答えだと、興味のある分野を集中的に購入。70-150年近く前の本を集中的に。これも読み慣れると案外スラスラと頭の中に入ってくる。

その古書ですが最大の魅力は特別感。今手にしている本は歴史的なもので流行作家のそれでもなく、年代物のワインを楽しむような豊かな時間。歴史を経た紙の感触は、思いのほか上質なものもあれば統制経済下の粗悪品もあり、いやいやあの時代、特別なルートで上質紙を手にしたと思われる、頁を触ることそれ自体が物語です。

年末年始のテレビ番組とかは、特に大晦日ですが壊滅状態。情緒的なものがない。紅白は、劣化も甚だしく数年来見ていませんが、今年は特に酷い有様と聞きます。人間は勤労など活動的な時間を終えてから如何に情緒的な時間を確保するのかが肝要かと思っています。いつか人生は過ごしてきた時間の【質】なのだろうと痛感する時が来ると信じている。日々一生懸命なのは当然ですが、休息を余暇を如何に上質に過ごすのかが、豊かな人生なのかなと、積まれた古書を眺めながら考えるのです。

痛感するのは、人生は散らばったマッチ。マッチの芯はその人そのもの。マッチの棒は、その人の進む方向。たまたま今、時を同じく集う仲間がいますが、志同じでも向かう方向は違う。時が来れば僕等は別れる運命なのだ。その先にも、また時を同じくする仲間が現れもしましょうが、仮初の姿です。仮初の積層が人生で、私は今年50年を重ねたと言うことになります。

来年はまた違う景色を見ているかと思うと、
今がとても愛おしく思えます。
思いを巡らす全ての人に安寧がありますやうに。
ありがとうございました。



le 30 vendredi 金曜日
//忙中閑あり//買い物行ったり掃除したり。でも、いつもより古書の時間が多く持てました。年内の自宅作陶は取りやめと決めましたので、なんとも贅沢な時間後転がり込んできまして、内容はというと京都三条ラジオカフェ聞きながらの読書。

昨日の佐藤慶太郎の本から、その人は筆まめで毎日方々にハガキを送っていたと。この一節に、何て贅沢な時代だったのかと思いを巡らせます。年賀状のような虚礼ではなく、我々が日々メールするような感覚でハガキを送り続ける毎日。それは毎日届くことにも通じますが例えばガラスペンに思いを認め送る。届くハガキは揃えたら文庫のような知の往復書簡。
昔の人だから発信は細々としたもの、ではなく、その気になれば時間差は生じましょうが相当量の情報伝達が可能です。そんなペンとハガキと時間差の通信の日々って贅沢だと思います。文机は毎日向かうだろうし、袂に火鉢、卓上に湯のみ。今を見ると、書くために特定の場所があって赴くってことが全くありません。

浜北には行きませんでした。あのお爺さんの古書店は本日をもって50年の歴史を閉じました。最後の最後に出会うことが出来まして、不思議な出会いに感謝するばかり。今後を思うと本は必要だと古書店行脚。9月の終わりに、浜北のお店に立ち寄り、以来閉店までこの店に専念しようと足繁く。
今は積んであるだけの古書の山ですが、工房と寛ぎのそれぞれの場所に書架を置き、日々の慰めに読み耽りたい。

来年を思うと、また新しいことの連続です。どの様に私の道は定まるのか、それを楽しみに。そう、この古書の山が如何落ち着くか、それが来年です。


le 29 jeudi 木曜日
//佐藤慶太郎//昭和27年の本を読了。九州の偉人で、赤貧の幼少期、学はあっても貧しさ故、学べぬ辛さ、石炭商として頭角を現す。石炭王になる。健康のため全てを手放す。有り余る資産は適切に管理し、方々に寄附する。全てを寄附し一生を終える。

感銘を受けたのは、貧しいからと言って援助はしない。努力しても才能があっても貧しさゆえに生きる道を閉ざされる者に援助する。自業自得的な貧民には援助はせぬと。そして、奨学金は返さなくても良いが一つだけ約束してほしいと。それは奨学金を受けた者は返済は必要ないが、将来、大成したら、私と同じように、才能があっても貧しい故に苦しむ者を見つけ出し助けること。

他にも興味深く読み進めました。読むべき本は多いけれど、良き内容のものは二度三度味わって読み直したいものであります。

本日は、年末恒例の大掃除。トイレと風呂は私が受け持っていますが、6時間ほど徹底的に。自分の部屋は、春以降、順次、三重県に荷物を移動させるので、汚いままですが。

明日30日は、浜北の古書店が50年の幕を下ろす日。いつも買い忘れが浮かび、再度、伺うのですが、実は今現在も該当するものはあります。でも明日伺っても、結局、買い忘れは思い浮かぶのですから、先日、菓子折りを持参したのを、やはり私の最後とするべきなのでしょう。

人が見向きもしないものに没頭するのは、私の生き方の特性でありましょう。25日の日記にも書きましたが、本日も古書を読む心地は、特別な特別な特別感が手伝って、良い時を過ごしているなと充実感も深いです。新しく生活の場を整えてウーマン文庫を完成させたいものです。夢は、陶芸で疲れ果てた身体を癒す場にウーマン文庫があること。少し転寝を楽しんだ後に、広き日本で、今この本を読んでいるのは私だけだろうという、特別な心地をもって何かを選び頁を捲る。


le 28 mercredi 水曜日
//仕事納め//なるものは、二年前が最後でした。でも、本日は瀬戸で陶芸を勤しむ本年最終日につき、一応年の区切り。講話とか表彰もありませんが。
それでも正月休みに挑む材料を自宅に持ち帰りますので、ところ変わっても同じことなのですが。

9月終わりごろから自宅では作陶していません。諸々と迫るものがあり瀬戸での作陶に主眼を置き、自宅は手指を休ませる療養場所と割り切りましたが、とうとう最後の追い込みになり正月休みも返上というわけです。

明日は、掃除や買い物が済んだら自宅作業場の片付けなどして、瀬戸での続きを致さねばなりません。

去年の今頃の記憶は鮮明です。二年前はというと思い出すと鮮やかで、意を決し始めた頃で文具店でデッサン用の鉛筆を買い、とにかく毎日、デッサンを何枚も何枚も。


le 27 mardi 火曜日
//只今、21時前//夕食も入浴も済ませました。平日なのに古書の楽しみが多い一日なのです。最近、古書の魅力を書いていますが、小学校の頃、私は読書が嫌いでした。ましてや国語の時間に読むことを指名されたら、それは恐怖でしかありえません。今から思うと、一種の学習障害だと思うのですが、読み次の行に移行する時、それが同じ行であったり違う行であったり。それと、漢字が少なくひらがなが続く文において、それはどれほどの単語が含まれているのか、つまり、続くひらがなの何処までが一つの単語なのか分らなくなり、話す言葉は、ただ、ひらがなを一つづつ潰していくようなもので、これでは文章の内容などさっぱり頭に入ってきません。

なのに、小学校のある時期、国語辞典に興味が湧いて、寝る前など、新しい単語に出会うことを楽しみにし、そして本を閉じ寝る頃には、覚えたての単語を使った演説じみたお話劇場を上演していたものです。

因みに兄は読書が好きで、そんなことを昨日母上と話ていたら、文学部でもないのに教授から国立国会図書館への口利きみたいなものを貰っていたと知りました。その道は選択しませんでしたが読書好きなのは人にも分かるほどだったのでしょう。


le 26 lundi 月曜日
//お休みを頂く//本日は戦線離脱。粘土触らぬ一日でしたが、朝から常滑に行き今後必要になる頂き物を。大きな石膏鉢が5個になります。これは今後の粘土再生や原土からの粘土精製に大活躍する予定です。あのサイズの石膏鉢はそもそも売っていないし、仮に市販されていたら一個3-4万はすると思う。田舎の山には昔壁土を採ったと指さすところがあります。今はすっかり藪の中ですが、開墾して粘土を造り出したいものです。

帰宅してから父上のpcの再設定。結局、パスワードの郵送待ちなので、解決は年明けになりそうです。さらにmanacaで少し買い物をして、マイナポイントを今更ながら取り入れる手続きを完了。貴重な平日休みでしたが、諸々の懸案を動かして、活動的な一日でした。

明日明後日と瀬戸で陶芸。それ以降は自宅にて専念。明日明後日は、特別な香炉を作り、自宅では急須かな。現在のところ、どんなに慌ただしく動いても無収入なのですが、この期間に怠惰であったなら、その後も似たり寄ったりだと思う。

今日も古書を読み漁っています。面白いのは明治から戦後間もないころの日本の文芸界。各自が思うところを好きに書けばよいと思うのですが、例えば歌の世界では○○派とか時代時代に集団が形成され、他といがみ遭う構図があるのです。そして文芸批評家という相撲の行事みたいな人間が、これまた思うところを書き、人の文章に色々物申す。文芸界としては百家争鳴で盛んなりしところ喜ばしい時代なのでしょうが、いくら作家であろうが歌人であろうが批評家であっても、時代の先導者を気取ったりしていても、今でいう個人主義の感覚はあり着けれなかったのかと思います。


le 25 dimanche 日曜日
//空青く海輝いて、白き富士//足繁く通った浜北の古書店に最後の顔だし。今回は1m程の古書と、骨董二点を買う。そのうちの一つがウランガラスの器だと思うのですが、いかんせん見極めがつかないので次回の信州お野菜直送便にて鑑定してもらおうかしら?

そのお店は30日まで営業だとのこと。帰宅して一冊買い忘れたことに気が付いたのですが、忙しい時期だしやはり本日に羊羹を添えてお別れの挨拶をしたのは正しかったのでしょう。古書と言っても最近のは全く無く150-70年前の本が主体です。それを積み上げてメートル単位で買いに買い続けました。生活が落ち着いた時、私の書架はウーマン文庫として一つの自慢になると思っています。

組織に属するという生活から卒業し、会う人は限られ、生活は陶芸とその亜流の枠内に収まるだろう。書架は二つ用意し、陶芸・美術の棚は工房に。毎日、30分ほどは手指の休息のためにも読書したい。残る棚は、それ以外ですが、こちらは自分の部屋に。仕事を終えた私の慰めとしたいのです。でも、読むことに没頭するのは回避したいと思います。眼球の休息も必要だし、そもそも買い集めたのは今後の長い私の生活の慰めなので長く楽しむべきだからです。ですから150-70年前の本は、大切に味わって、時に読み進めた折の発見や驚きはHP日記やインスタに載せながら、発信の楽しみも平行に味わいたいと考えています。

昔から流行とかには全く無関心で、良きとしたものが独自であれば、それを紹介しながら深めていきたいのが私の在り方でした。思い返せば、シティーホテル一泊の旅・地方都市で過ごす週末・斜面集落探訪・エレガントウォーキング、そして陶芸。このうち陶芸は職となりますので別格になりますが、続くものとして【古書を味わう時間】が私を彩ることになるでしょう。こうやって文字に興すと、やはり私は風変わりであると思う。そして善きことであったと強く思う。


le 24 dimanche 土曜日
//初雪が大雪//大人の雪は、本当に神経が磨り減る。前職の頃、雪対応の苦労を思い起こします。今後も雪が積もれば、あの記憶は脳裏によみがえることでしょう。でも。、今はそんな緊張感もなく眺めることができますが、そういう緩やかな感覚が続いたとしたら、これは問題で、雪の日にも通常は守らればならぬ【通常】を持ちたいものです。

//人間の魅力//意外な一面を知ると益々親近感がわきます。勿論、通常にも好感が持てることが大前提ですが。54:30~


le 23 vendredi 金曜日
//�一棹の羊羹//これを持参して浜北の古書店に伺います。本日、瀬戸の和菓子屋で求めました。これが最後と思って二度三度延長しましたが、とうとう再度の延長も叶わくなります。まもなく50年の歴史を閉じます。通い出したのは9月。それから足繁く顔を出しては、買い求めた古書も今では一つの山として我が家に存在しています。

そして春からは、この古書の山も私と共に新天地に移動です。陶芸を生業とする男の、せめてもの余暇の慰めに、話す相手も限られる私であっても劇的に広がる世界なのです。

今日の寒さは質が違った。底冷えしそうな寒波の到来を予感します。


le 22 jeudi 木曜日
//なるほど!!//少し前まで何も変わらないことを切に願ってきた。と、同時に心の中には陶芸への思いが満ち満ち溢れていた。変化は恐れるものの寝る前に思うことは陶芸で成功すること。
 でも一向に陶芸は私の生活の隅に追いやられていた。当り前だ!変化を拒んできたのだから。なるほど!!願いはいつも叶うわけだ。安定を望むことを最上位に置けば、陶芸に陽が当たらないのは当然の事。既に安定を望む願いは叶えられてきたわけだ。それも強固に。

矛盾とは恐ろしい。進むも阻むも全て自己に起因する。矛盾無き思いと行動があって、人は願いが叶うのだろう。相反する思いがあれば、上位に来るものが下位を押さえつけるので、結果的には生活は変わらず。

人生が大胆に動く時、、それは思いにも行動にも矛盾がないとき。


le 21 mercredi 水曜日
//笑いながら//目が覚めた、午前3時30分。もう一度寝たけれど、何かしら楽しい夢を見ていた。
でも5時過ぎには起床し、6:15分の地下鉄に乗り、目的地には7:35に到着する。これは瀬戸に御縁頂いてから毎日欠かさず。でも本当は8:45に到着すれば良い。思えば、高校も前職も、いつも圧倒的に早い。クラスで一番です。心理の奥底では、何か大きな困難に遭遇しても遅刻しない余裕を通勤や通学に加味しているのです。 これは私の体に染みついた体内時計ですが、職住一体となると私はどういう朝を迎えるのか全く持って想像が付かない。なんの強制力も働かない状況で、私の朝は、生まれて初めての新しい事態を迎える。

帰宅するのは、毎日、21:30頃。それから夕食とお風呂を済ませると、23時前になり、それから日記を書いて只今、23:10。  本日も10分でも良いから古書を手にしたい。おやすみなさい。


le 20 mardi 火曜日
//信州お野菜直送便//そのお知らに気づいたのは今朝のことで、本日は朝から計画的に珍しく瀬戸を早く去る。 いつもありがとうございます。

二度目の帰宅は、いつもの帰宅時間と同じでした。そう思うと、毎日よく頑張っていると思います。明日は今日の続きを完成させて木曜日の中間報告に回したいと思います。まあ、それは問題なく行けるでしょう。良品を少しづつ積み上げて。


le 19 lundi 月曜日
//調子上がらず//困ったものですが明日賭けるしかありません。帰りの電車では妙に眠たかった。今晩は、もう23時ですが、これより直ちに寝ようと思います。でも15分くらい何か読みたいのだけど。

つい最近まで読書は苦手でした。本を読まない生活。ところが古書店に通いだし戦前の、100年越昔の図書も慣れるとスラスラ読めるようになり、手にする本の特別感も手伝って、とても楽しいのです。私が斜面集落の特別感に浸ったのと同じ流れを覚えます。誰も見向きもしない何かに没頭するのは、流行とか関係のない時間軸はあくまで私自身。楽しくて仕方ない。


le 18 dimanche 日曜日
//のんびり過ごした日曜日//朝からしたことと言えば、買物に二軒。戸外の活動はそれだけ。あとは古書を読んだり、栞に庭の紅葉を、その美しいのを選んだり、香を聞いたり。昨日の雨もやみ晴れてはいましたが、寒いというより冷たい一日でした。

明日から月曜日です。怒涛の一週間。これに備えて手指は十分休めました。ロクロ回して良き形に仕上げたいと思います。
 さて楽しき仲間と集っていますが、残り少ない日々、喧嘩する相手ではないのに余裕がなくなり、言葉の先が尖ったりもします。この手の人間トラブルはつきものですが、上手に回避するためにも、言葉数は減らしてより集中する時間を長く設けるのが最善でしょう。黙々と励む五日間と致します。

全く想像が付かないものに、今後私は誰と御縁を持つのだろうと、そのお顔がさっぱり輪郭さえも思い当たらないのです。瀬戸に至る前、25年の職を去りました。当り前にあったここでの人間関係はその後の日常で反映されることはありません。それと同じことがまもなく私の身に訪れます。前の人間関係は、極稀な接点が時に水面下から浮かび上がるだけ。でも幸いなのは、今も昔も日常多くの仲間と楽しく接している。この感覚のその後が全く想像できないのです。
 何かに所属することから卒業した私に見える世界が、憧れでもあるのに、その輪郭さえ掴めないのです。話す相手は流れゆく雲であったり、歩いては付いてくるお月さんであったり。いやいや、新しい世界なりの人との交わりも始まるのかもしれません。

正直、今現在、多忙の極みで、こんなことを言ってられるのも日曜日の特権ですが、例えば転校や転職する人は、その先の人間関係を想像すると思いますが、果たして今後の私に人間関係が存在していくのかという、かなり根本的な問題なのです!!


le 17 samedi 土曜日
//冷たい雨//本日は午後から多治見の美術館へ。途中、瀬戸のアピタに寄りましたが無料普通充電サービスが1/26で有料化するとのこと。とても残念極まる告知なのですが、如何した訳か妙に落ち着いている。それはこの二年間の9割方を無料の恩恵に欲せたことに、運が良かったと感謝するくらいで。

冬らしい冷たい雨がしとしと降り続ける土曜日でした。火鉢の炭火を横に昭和24年の『作家の生と死』なる本を読み始めました。何冊が同時並行に挑む読書様式ですが、これはこれで気も楽で心地良いのです。


le 16 vendredi 金曜日
//嬉しきこと//引き続き御縁を頂くそうで、本人は殊の外喜んでいたそうです。
あの決断をするにあたって、これにより良きことは何かと考えていた時、かなり上位にあった事案なのですが、須らく最善の形で進みました。彼の母上の葬儀では、守り続けることを誓いましたが、去ることで叶えられた結果となりました。本当に嬉しい事です。

怒涛の一週間は終わりました。


le 15 jeudi 木曜日
//いつの日か//去年に引き続き今年もおごってくれてありがとうございます。私も瀬戸を去って生活を自立させ、このご恩はお返ししたいと思います。まずは私の成功を。私利私欲ではなく恩返しのためにも大成功を。

思えば12月も中旬。この前師走入りしたと思ったのですが。今月は月末に活動できるわけでもなく、時間は限られています。やるべきことは多過ぎますが集大成です。


le 14 mercredi 水曜日
//新しき本を//昭和17年、東海夜間中学の教職員生徒の冊子『明星』を読み終えました。地下鉄の限られた区間での愛読書。その内容は美しく秀でたものでして、また後日改めて読もうと思います。感動と発見の連続でした。これより明日から何を持参しようかと選ぶのですが、楽しい時間です。寝る前の15分くらいの今日の自由時間。


le 13 mardi 火曜日
//冷たい雨//11月にあってほしいのですが、本日は朝から冷たい雨がしとしとと。今は名古屋⇔瀬戸を忙しく行き来していますが、その必要もない頃、そうです通勤時間が無くなった新しい生活で朝から冷たい雨を感じたなら、それはきっと詩的な時の流れなのでしょう。

思えば「詩人」とは不思議な存在です。陶芸家なら粘土から何かを作り出すし、画家なら絵を仕上げる。作曲名なら楽譜を書き上げるでしょ。でも詩人は誰もが話す言葉を、小説家のような長大な努力もなく、短い文字数で言いたいことをお洒落とか情緒的に書き記すだけ。それで一つのジャンルを構築するのですから驚くばかり。  さて、その詩人ですが、日本にプロの詩人って存在するのだろうか。詩を書いて、それで飯が食える人。

いや、詩人で飯は食えないと思いますが、詩人と名乗ることは、最も手短な芸術家の手段と思えるのです。今使っている言葉を用いて、アナタなりに、そう恥ずかしがらず何かしらの短文を書くこと。そうすれば自身を詩人と称せますし、臆することなければ、それで芸術家の一員です。


le 12 lundi 月曜日
//早速忙しい//でも良いのだ。この環境でもまれるのも残り僅か。今週も、寒暖差に驚いたりしているうちに、あっという間に週末でしょう。頑張る仲間たちは家に持ち帰ってでも励むそうですが、私は手指休める休養日と考えているので、どうでしょう多治見の美術館とか楽しみで仕方ない。

なにかその、少しでも起きて自由時間を確保したいのですが、眠たいし、明日の事を考えると今すぐ寝なくてはならない。おやすみなさい。


le 11 dimanche 日曜日
//歌が生まれて、そして//誰にとっても人生はドラマだと思う。特に好きなのは19:30~

私が地方紙に目を通したりコミュニティーFMを聞くのは、街ですれ違うような名も知らぬ記憶にも残らない人であっても、その人には熱く語りたい思いとか活動とかがあって。
 実に素晴しいと思いませんか?情熱とか輝きとかは、画面の中にいる人の特権ではありません。通り過ぎる人の頭数だけ世に存在していると思うと、ドラマを持つ人々の交わりが今日であり明日である。毎日はとても愛おしく大切な時を刻みながら、その実、私たちは素晴らしい輝きや情熱を持っている人と接しているのだろう。

本日は午後から香を焚きながら、古書を。理想な休息の在り方です。

明日からはまた連日励みに励みます。良きとする思いが形となりますように。瀬戸で頑張るのも残りわずかです。切羽詰まった日々ですが、どうでしょう?なんと尊い日々なのか。この歳にして青春のような時が刻めるのも、これは私のドラマです。毎日、何処か粘土で汚れた私の帰り道、大いなる誇りの道、堂々と渡る人生の道。

冬の青空や海を見る時、深夜に信州の国道を北上する時、誰もいない朝一番に高原の頂に立っている時、そんな過去を何かの折に思い出す時、深い充足感と人生の質とオリジナリティを感じます。その様な佳き人生の引出しを一つ増やすのでしょう。瀬戸の日々。この二年間。


le 10 samedi 土曜日
//香を聞く//本日は浜松。贔屓の古書店も月末で50年の歴史を閉じる。この店は骨董も取扱っており、素晴らしい作りの江戸期の煙草盆を買い求めました。帰宅して、灰を詰め火鉢から小さい炭を一つ埋め込む。そして先日手にした謎の香木を添えると、これまた甘く雅な香気が漂いました。香を聞くと、脳が活性化するのか、聞く時のみの儚い嗅覚の世界を、必死で読み解こうとし言語化の作業をする。小さな小さな小片で豊かな時間が流れます。一生分楽しめますので、工房での休息の慰めにしようと思います。

7日の日記にも言及した、この謎の香木は香木として用いているわけではなく、相当昔の何かの木箱の一断片です。これに虫食いのあとがあり、おそらく分泌物の作用もあって、香木でもないものが香木に変じたのかと勝手に解釈しています。

明日は多治見を考えていましたが、一日ゆっくりしたい気持が疲労と共に湧き上がっています。お休みなさい。


le 9 vendredi 金曜日
//21時//只今、12/10(土)の0:08です。21時の電車に乗って帰宅すると、食事や風呂などを済ませば翌日になってします。だから明日は何しようかと書くと日曜日の内容になってしまう。

金曜日はいつも以上に頑張りましたが、モノになりませんでした。ただ、失敗は改善点を提示してくれて、月曜日の楽しみとします。
浜松と多治見には行きたい。でも休息も必要。一つは翌週かな?


le 8 jeudi 木曜日
//月とか陽の光とか//帰宅の道すがら、月はとても美しく、来年の今頃は、どこで見上げているのかと思いを巡らしたり。

温暖化で季節の進みが狂ってしまい、古書を読む中で想像する折々の風景も、どうでしょうか2か月は巨大な夏の影響で押しやられている。でも、秋に見る月や陽の光は温かくても全く同じ。往時と変わらぬ自然を賛美する項目が、もはや月と陽の角度、これしかありません。

12月の、この空気は、きっと10月とかにあったものなのかもしれません。12月は冬だと言ったとしても、本来あるべき日本の情緒では、この位の寒さは10月のどこかに当てはまると。


le 7 mercredi 水曜日
//慣れ//連日、瀬戸滞在時間が12時間を超しています。ところが人間には耐性が出来得るもので、慣れの効用とでも申しましょうか、それが当り前の感覚を覚えるのです。

何の木か知りませんが、それを加工するときの摩擦熱で湧きたつ香気が、殊の外、良いのです。謎の木片の加工は中断して、これを香木として持ち帰ることにしました。あと一分で23時になります。10分でも良いから古書を手にして寝たいものです。それと、まだ手許の本が少ないように思えて、さらなる充実を図りたいのです。


le 6 mardi 火曜日
//昭和10年の待ち時間//入江侍従長の日記を読んでいます。今でこそ待ち時間があるとスマホを見たりするものですが、この人の日記では斎藤茂吉や芥川龍之介全集などの読書。
 浜松の古書店は、年内にもう一度行きます。戦前の待ち時間を再現するような、昔の小説など手許に置きたいのです。

今日も頑張りました。明日も丁寧に一つづつ積み上げていきます。


le 5 lundi 月曜日
//今日から丁寧に//後塵を拝していた分野に関して10月の後半から総動員体制で追い上げ。ようやく追いつく。今日の午後からはその他の分野ですが、慌てず丁寧に。公募展で入選するくらいの丁寧さで、こちらも頑張ります。

前職では25年間、どんな日であっても5時台には家を出ていましたが、実は瀬戸通いも同じでして、この時期は夜明け前の道を歩く。帰宅するのは今の方が遥かに遅い。3時間ほど遅い。でも、ある日を境に、その様な環境は田舎者には縁遠い話になる。だからこの多忙を味わって日々を過ごそうと思います。


le 4 dimanche 日曜日
//のんびりしました//遠州灘の砂を10g。この中から0.85gの砂鉄が採れました。結構な含有量で驚いてしまいます。陶芸関連でしたことと言えば、これだけ。あとは古書の修繕とか、本を読んだり火鉢に当たったり。赤切れした指を休めるためにも、この週末はのんびりしました。

明日からは、また怒涛の追い込み。新工房の進捗など、全く持って進んでいないし、前は彼是思っていましたが、それさえ考える時間も無くなりました。今はただ一生懸命作り上げ、そして瀬戸を去る日を迎えるまでです。

金曜日は無駄遣いをしましたが、この週末は良いこともありました。団栗の笠は言うまでもなく、不調だった真空管ラジオの、その不調箇所が分かり改善できたこと。


le 3 samedi 土曜日
//団栗の笠//本日は昼から3時間、跪いて地面に顔を寄せ、せっせと団栗の笠だけを集める。自宅から1.5kmの山。一切の喧騒もなく鳥の声だけ。全く見事な落葉盛んな里山の風情。そうは言うものの、この1.5kmの間に地下鉄の駅もあるのですから、よくよく考えてみると恵まれた住環境なのでしょう。

午前と夜は古書を修復して、読書。良い土曜日でした。


le 2 vendredi 金曜日
//大失態//定期切れているのにマナカの残高で拒絶されることなく一日が過ぎ、帰り際その事実を知る。1700円程の無駄な出費。これには激しい戒めが必要です。来週は、買い物をしない期間といたします。

怒涛の一週間が終わりました。一日、12時間ほど瀬戸にいました。遅れ気味な諸々の分野も、かなり追い上げることが出来、深い充実感を覚える金曜日の晩。どうでしょう。12時間の滞在時間。3時間の移動時間。残りは9時間。睡眠に6時間。起床から家を出るのに0.5時間。残り2.5時間。この2.5時間に夕食とお風呂と、hp日記を更新すると、自由時間は多くて1時間。その自由時間から読書の時間を割こうとしても30分が限度です。

明日明後日は、休養と読書で過ごそうかな?と、言いつつ粘土こそ触りませんが陶芸関連の何かはしているはず。


le 1er jeudi 木曜日
//あらら。//pcの画面が治った。動作もサクサク、全く問題ありません。今日から12月。そして漸く寒くなりましたが、これも一過性だと。暖冬は、全く風情がなく寒さを乞うのですが、エネルギーの節約から考えると、これも上手に付き合うべきかと。今月末は私的10大ニュース+次点の日ですが、今年もまた特徴的な記述でしょう。

一つ歳をとったと思うのは、5-6時間の睡眠でも問題なくなったこと。活動的な毎日ですが、行き帰りの電車でも熟睡することなく、それでいて日中睡魔にも襲われない。5月から一日二食運動で、半日強胃腸を休めた効果なのか、前職時代より調子が良いです。

今日は30分ほど読書が楽しめそうです。


 
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