février.2015



le 28 samedi
//叫び声// 作陶をしていて、駄々をこねているのか泣き叫ぶ女の子の声。たまにいるので、気にしないのですが、泣きやむどころか音量は大きく、そして病的な陰欝な棘を含んだ叫び声になり、皆が気にし始める。とうとう見かねたお父さんが、抱き上げて外に連れ出そうとするのだが、ここで皆がまた驚く。おチビちゃんではなく、小学生の3-4年。
顔は、いたって「普通」なので、これにも驚かされる。
ただ甘く育てたから、こうなった!では説明できない光景で、やはり彼女は非福祉の風貌ではあるものの、精神には福祉が必要なのであろうと。

かりに福祉の領域でも、彼女は不平不満で泣き叫ぶ、その図式は非福祉でもありうることだが、あの陰欝で病的な棘のある叫び声を息が絶えるまで続ける様は、昔ならキツネがとりついたとお払いの対象であったはず。

さて、陶芸をしていて為になるのは様々な老人を見れること。このような老いをしたいと憧れる人もいれば、技量はあっても、こりゃ嫌われて当然と思う人もいる。


le 27 vendredi
//内向的な金曜日。何週目!?// 平日は仕事して、自由な時間は寝るまでの数時間。DVD見て、特別何かをするわけでもなく。金曜日は、これに+2時間程度自由時間が増える。結局、今週も出歩くことなく余分にDVDを見ただけ。そう言えば外食したのは、今年に入って2回だけ。  院須田を見ていると、僕の時間の過ごし方は、やはり全く人と違う。接点のない焦りとかはありません。何を食べているとかの報告ではなく、何を作り上げたのかの報告なので、それは電源を切っても時間として僕に存在する。


le 26 jeudi
//うつわ百花繚乱//届きましたよ!!どこを探しても見つからず古書サイトでポチっと買うものの、届いたのは新品!! 届いたその日に読破しました。何年たっても読破出来ない本が山とあるのに、この違いはいかに!?


le 25 mercredi
//鉄分//鉄分が不足していたのかも。南部鉄器で湯を沸かさなくては。
確かに足が引きつって目が覚めることがある。左足ばかりだけれど。


le 24 mardi
//2kg//の粘土で、そう、土曜日の話です。この量の粘土で、碗を作りに作る。先週、久しぶりに碗モノを作りましたが、下手過ぎて笑えてしまう。単純な構造故、難しい。

と、もう週末のことを考えています。僕は平日は働いて、この間、作陶の思いを篤くして、週末は轆轤の回転に悦を覚える。そりゃ景気悪くなりますわな。買い物しないもん!!!!!

このような生活なんですが、今月末も過ぎると4年目になるのです。

つくづく思う。実に個性的だと。皆さんもですよ。
日本人は個性がないと言われた時代もありましたが、ウソ!!
僕の周りを見渡しても、時と共に各々の興味に没頭する生き方で、昔の交流ゆえにたまに再会する時がある程度。その間は、皆それぞれに全く違う世界に浸る。これが楽しい。
もう、全く違った軸で生きていてほしいし、自分もそうありたい。

なぜ生まれたのか。何故、今、生きているのか。そして明日も生きるだろうと眠りにつくのか。
意味があるのね。その意味するところを感じ取り、今に活かすなら、きっと毎日が楽しいはずだし、時間は大切なのだと思う。

以下に記すは、僕の死生観というか生命観というか。どうして生まれて生きているの!?という僕の答え。

僕は42年前、生まれた。そしてあと、○○年後に死ぬ。
大前提になるのは死後の世界は存在すると言うこと。これが在るから語れるのですが。
僕の魂は、死後、別の世界に旅立つ。その世界がどういう世界かは、あまり意味を成さない。
まず、人の死の数だけ魂が天国に行くとしたら、天国は過密になる。これは暴論だと。
僕は思うのだ。天国の調和を成すためには、魂の節度ある循環が前提にあると。
つまり、天国の密度を一定にするため、人は死に魂を捧げるが、再び、誰かの命となる時、その命を構成する魂は一つでは絶対にあり得ないと。
つまり、僕は42年前に産まれたのだが、数多くの魂を内包して誕生したのだと。そして僕の生涯の時間で、これら多くの魂を溶解させ、一つにして天国に捧げる。だから、天国は過密にならないし輪廻というか循環の立場からも自然。

どうして生まれ、生きているの!?という答えは、生きている間に魂を一つに融合して天国に捧げるため。僕は僕の内にある多くの僕を溶解させ一つにし死ぬ。これが生きている意味。
だから、多くの事柄について、心静かに自問自答すると、多くの自分の秀でたところが必ず最善の答えを用意してくれる。

さて、天国と多用しましたが、神や仏の世界ではなく、その世界は、人間の本能なのだろう。多くの魂を溶解し一つにして、その答えを捧げる繰り返し。この繰り返しこそ、人間の本能。つまり、進化なのだと。

だから、僕は死んだ後も、誰かの命になるのですが、その時は同居人も多く居て、そして個体が消える時、僕の命(前世という個性や才能)は完全に消えるのである。

見る人は、人の前世を見れるものの、前世の前世は見ることはできない。アレコレ言い出したら、それは別の同居人を述べているだけ。

以上、誰かに教えられたわけでもなく、毎日日記を書いていたり瞑想したりして導いた僕なりの答えです。なんか揺らぐところを全く感じませんので、たぶん真実なのでしょう。そう是認するので、自分自身って、とっても素晴らしいし才能は多岐にわたって深く有能で、なんでも自分に応えてくれる存在でもある。

限りなく増え続けるとか減り続けると言うことが僕には不自然なのです。
この不自然を、人の死=魂の数と単純に考えると、まさしく限りなく増え続ける不自然。あり得ないし、無理なのです。人の死と魂の循環を調和に満ちた自然なものにすると、やはり上記のような答えに落ち着く。


le 23 lundi
//魔法//この手の曲は大好きです。



うつわ百花繚乱。探しに探し求めて古書として注文しました。
時間が足りない。それも圧倒的に足りない。そうそう、次の土曜日で陶芸歴が4年になります。


le 22 dimanche
//早朝座禅⇒//作陶。毎週末、陶芸に勤しんでいると月に一度の早朝座禅が、もう旅行気分ですよ。
土日の成果は、コレ!

全く、話にならん。集中力がまるでない。何をやってもソワソワ。失敗の連続。


le 21 samedi
//全く話にならん!!//作陶が、全くダメでして。心ここに非ずというか、何をしてもダメ。
不思議なのは、行ってから、そういう事実に気がつくのです。着くまでは不調のフの字も感じないのですよ。こういうのがたまにあるから不思議。僕がクリアするは、このような事態に陥っても、凹みを浅くする術。行ける時間は限られているのだから、精度を高めるしか対処が無いのです。


le 20 vendredi
//また4話//dynasty 時間の使い方がアホだと思う。寒さを言い訳にしていますが、金曜日の晩ぐらいは、たまには出歩いても良い気もするけれど、、、、夜の都市生活者、全然やってませんです。


le 19 jeudi
//光の春//春は光からやってくる!と言いますが、日も強くなり長くなりましたね。そして、このあとムズムズと来るのだ。春は花粉もそうだけど、ここ2-3年は中国からのpm2.5が新たな恐怖。空気が粉っぽくなるのは、実感できるし恐怖そのもの。

そして花粉も過ぎれば、そろそろ陶器まつりとかクラフトフェアとか、小さなお楽しみがいくつかあのまして梅雨になる。


le 18 mercredi
//先週の今日は休みだった// そればっかりを考えていて水曜日も終わる。要は、今日、作陶できたら何しようかと。世の中には、と言いつつ、職場でもそうですが、休みの日にすることがなく思い悩む人がいるのです。全く信じられません。つくづく、もったいないと思いますよ。


le 17 mardi
//脳ミソ、スポンジ!?//割と真剣にそう思う人がいます。呆け老人をイメージすると分かりやすいのですが、例えば電話で伝言たのむね!と老人に伝え快諾しても、そこで記憶が消滅する。もちろん、老人ではないですよ、その人は。
良く分かりませんが、週末の度に大麻とかを、15年20年と摂取している人は、脳みそがスポンジのようになるのではなかろうかと、割と真剣に妄想する。確かめる術がないので想像するだけですが、明らかに若いのに、それは無いでしょ!って行動をするし、本人に自覚がない。呆け老人のそれと同じで。


le 16 lundi
//体温// 暖房もケチっていますが、思うに体温が奪われると保温に努めようとし、布団の中に行くよう眠りを誘発させる。十分体温が上がり、布団から出るとテキパキいろいろとこなせる。僕の非生産的な平日の夜は低体温が原因ではなかろうか!?
もっと保温に努め、どちらかというと汗ばむくらいで丁度良いかと思う。

駅から家まで、ヒールの無いハイヒール歩き。つま先だけで歩いて帰るとか、負荷をかけて体温を向上させると、その後の時間が有効になるのではなかろうか!? 明日から実験です。


le 15 dimanche
//時間がない!!// 陶芸関係の本は読みたいし、美術館も巡りたいし。もちろん作陶もしたいし。また本を買ってしまった。これは落ち着いて読みたいのだが、まあ平日の夜しか無理だわな。 この平日の夜の時間の使い方が下手糞すぎる。ちょっと眠たいからと、ウトウトしたら二時間とか、ダラダラDVD見たりとか。

ただ、目的外の無意味に近い時間の貪りも、リラックスという意味では必要なのでしょう。
これを短時間の内で達成したいのです。


le 14 samedi
//楽しいーーー//
いや~ 水曜日の休みって偉大ですわ。もう週末。
明日も作陶でしょ。で、季節に一回か二回程度、別な何かをするけれど、その半分は陶芸関係。クラフトフェアとか展示会とか、○○焼祭とか。先の話ですが、毎年これから始まるって感じです。


le 13 vendredi
//4話見るなんて。。。// こんな金曜日の晩も、病んでいるようで。
まず飲みに出るには寒い。この先、花粉が飛んだら、見合わせるし、もうちょっと先の話になりそう、夜の都市生活者は。


le 12 jeudi
//溜まる一方!!//南信州新聞。dynastyを見始めてから、どうしましょう!! テキパキ動けば両方ともこなせれるのだが、ダラーっとするのが常で。


le 11 mercredi
//720円//粘土は買いだめしているので、利用料の720円のみ。これで終日40の大人が楽しめれるのだから、なんて経済的でしょうか!!!!!!!
この土の塊が、美となり価値となる日は来るのだろうか!??


le 10 mardi
//三話連続// もう少し、有効に時間を使いたかったのですが、dynastyを三話連続見て、寝ると言う。。。


le 9 lundi
//いや~参った//岐阜県は土岐市でも南半分は愛知県境の高原地帯。雪景色でしたもん!!一時間到着が遅れたら遭難していたはず。

火曜、雪景色だったら出社も困るし、無理無理車を会社に戻す。で!! 久々に飲みに出る。
これも水曜日が休みの気楽さが故。


le 8 dimanche
//脳を潤す轆轤の回転。//ようやくです、ようやく!! やっぱり陶芸は楽しいですね。心底飢えていたのが分かります。ああ、楽しい楽しい。愉しい愉しい。

昨日の話ですが、20代とかは、皆、似たような過ごし方、似たような趣味、似たような行動範囲で、だからこそ良く集まり良く出かけたものですが、それが30代40代とそれぞれが思う道を進み、たまに合流して旧交を懐かしむ。そんな話をしながら登りました。これから当分は陶芸の世界で、芸社会とは接点も疎遠、古い友人との交流も途絶えますが、この途絶えている間に個々が活き活きと好きな時間を過ごしているからこそ、また会っても楽しいのでしょう。
また会いましょう!は大歓迎。次いつにするは、ちょっと待って!かな。まあ、こればっかりは人それぞれなんで、会う会わないで会う人間も決まっていくことでしょう。今度の水曜はお休みですが、もちろん作陶。されから先の週末もずっと作陶。次に会う時は、やはり作陶において何かしら成長した自分で合流したいものです。そういう会わない時間の進歩を大切にしたい。


le 7 samedi
//痩せるため!!// 本日は日帰りで低山ハイキング。と、言いましたが奥沼津-沼津アルプスの縦走路。どんなに高くても400mにも満たない、地図の上では可愛い山の連続ですが、息も絶え絶えの激しい山登り。もうビックリの連続です。

低い山は好きです。思えば、岐阜県は関や美濃の低い独立峰を登りまくったこともあります。太古は島で全体が隆起してあの形になったのかと思うし、もっと昔で言うなら海底火山だったのかと。そういうことを考えて登る低山ハイキングはとても楽しいです。


le 6 vendredi
//さらに一日// 明日は別件で作陶も見合わせ。さらに一日伸びるのですが、我慢我慢。
準備は完了なので、あとは寝るだけですが、なんかもったいない。もう一を見ましょう。dynasty


le 5 jeudi
//隣の宗教// コーランは上中下巻と買い揃えたものの全然読んでいません。さて、浅い知識で言いますと、ヒンズー教にはブッタも登場し位は低いものの神様として登場する。コーランの中にもイエスが登場するらしい。と、言うことで、世界の大宗教も外縁は混ざるところがあるらしく、古い教えから派生する性格上、どうしても隣り合わせの存在なのでしょう。こう考えると、突き詰めた先は同じなのかもしれませんね。人間が神の存在を感じうる脳の震えは、同じだと。その震える先の能力も同じであり、それは偉大であり救いであると。


le 4 mercredi
//夢に出る// 陶芸を始めて~1年くらいの黎明期、あまりの楽しさにしょっちゅう夢に出てきました。さてさてさて、今月末で4年になりますが、夢に出ましたよ。この間、ほぼ毎週末行っているので、いくら4年経過しようが、半月のブランクは堪えるらしく、禁断症状というか夢に出てきた!!


le 3 mardi
//DYNASTY// 最近、見始めました。見終わるのは、いつになるやら。やっぱり、コレ、面白いわ。もっと英語の知識があれば、さらに楽しめれるのに!! 日に、二話とか見ちゃっているんですよ。南信州新聞たまるいっぽう。


le 2 lundi
//山は最初に// 僕の仕事は月曜日が一番忙しい。よって月曜日に有休をとる三連休は、考えにも及ばない。前日に飛行機で帰る旅行も、けっこう焦るものがある。ただ旅を終え翌日のハードな月曜をこなせば、あとは下るだけの平日、楽なのです。山は最初にある方が気も楽ですし、休み明けのダレた気持ちも強制力を持ってリセットさせてくれるので、これは良いのかなって思うのです。


le 1 dimanche
//横に長い新潟・縦に長い長野// 暴風雪っていうものを初体験。雪が暴力的に降る。横殴りで!! 特急しなので帰りましたが、木曽路もかなり南のところまで雪景色で驚きました。

地下鉄が延伸されるまでは、バスに乗り継いでの帰宅でした。これはかなりのストレスで、。時間も1時間を越える時もある。日曜の夜なんて本数も少なくなりますからね。それが今では半分の時間で帰れるのですから、なんと有難いことかな。 明日から仕事! がんばりませう。

歳とっても気合いで済ますことがあります。それは旅の後片付けは寝るまでに済ます。今回もしかり。ノンビリはこの後で。

 
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