令和5年2月février.2023


le 28 mardi 火曜日
//幸せとか、//本日はお休み。まだ定期が使えるので地下鉄で御器所まで。そこから鶴舞まで青空の元、ウォーキング。古書店巡りでして、今回も良い本に出合えました。帰りもまた、同じコースを歩く。

暖かな春の日。空は、明日は霞むのでしょうが、今日はまだ快晴の青空。長く歩くと、自分と対話する時間が生まれるもので、時に歌い出してみたり、心は訳もなく幸せに包まれました。平日の休みは、まるで私にだけ与えてくれた特別な時間。心は休日なのに、皆さん働いていて、公園にしても本棚の前に居ても、何をしても人が少ない。
 もともと一人が好きで、何をするにも単独行動。でも前職の頃は、週末における単独行であって、大学の頃のような、世間一般も閑散とした中に一人気ままに過ごす時の流れは久しぶりで、私の琴線に触れます。細い路地を入ってみたり、歩道橋から遠くを眺めたり、空も街の雰囲気も、世の中の時間の流れは平日なのに、仕事でもなく空を見上げて歩く感覚。

深い深い充足感を覚えます。なのに夜、フランスの音楽を聴いていたら、そう、陶芸をする前、足繁く通っていた南信州に向かう車中において聞いていたフレンチポップスの旋律が、一人ハンドルを握るあの時の感覚が蘇ってきて、妙な感覚。これからも一人歩んでいく緊張感みたいなものに襲われました。

何て言うのかな。私の望んできた一人歩む世界が本当にやってくる。幸せである反面、大笑いする幸せとは別で、上質な孤独を存分に味わう充足感であり幸せ。そうそう、夜中、一人ハンドルを握り早朝に中井侍に到着して、そこは観光地でもなく、ただ私が好きな風景があるだけの所。誰かと共有するわけでも無くて、一人眼下の天竜川を眺め、鳥の声や飯田線の音を聴きながら、ボーっと眺めているだけで深い充足感のある幸せに浴する、あの感覚。

これからは大笑いして目に涙を浮かべるのではなく、深い充足感を覚えて目頭が熱くなる、そんな喜びの世界なのでしょう。それには何時も一抹の緊張感があるのね。ようやくたどり着いたのだと。

味わい深い良い二月でした。ありがとうございました。


le 27 lundi 月曜日
//搬出日//11時頃には会場は何一つ残っていない状態になりました。全てを瀬戸に持ち帰り、そして、その瀬戸も何も残さない状態に仕上げていきます。

朝、お会いする知らない顔見知りさんとも、あと二回接点があるかどうかです。これを過ぎると一生涯会わないのかもしれません。昨日の日記にも書きましたが御縁は濃淡をつけて近づいたり遠ざかったり。ただ、今後の私の人生で、毎日、少しの接点ですが気になる人との出会いとかは、もう存在しないと思います。

都会の時間軸でそれぞれが動く中で、たまたま同じ空間を共有する【知らない顔見知り】さんは都合、32年間の細やかな楽しみでもありました。時代時代、必ずその様な人は存在し、そして挨拶もなしに私の目の前から消えていきます。でも、また新しい気になる人も現れるのだから、飽きもしない毎朝の通勤通学でした。都市生活者であったから当り前に存在していた朝の光景も、居を田舎に構えるとなると、遠い街の思い出となるのですから、人生は映画みたいですよ。その代わりに、夏の朝の鷺の声とか、季節季節の心地良い音や匂いが、【知らない顔見知り】さんの変りとなって、私を慰めてくれるのでしょうか?

まもなく慌ただしくなる三月です。


le 26 dimanche 日曜日
//最終日//会期中1722名ものお客さんが来て下さいました。御縁を頂いた全ての方に御礼申し上げます。

御縁って不思議です。沢山の御縁はもとより、御縁無かったのも新しい御縁の形。縁は常に濃淡をつけて近づいたり去ったりするものであり、これは当たり前のこと。私のすることと言えば、真面目に信じる道を進み、その先で出会う人、出会わなくなった人、今できる精一杯な真心をお届けできる人に確実に届けれるように。


le 25 samedi 土曜日
//五日目//本日、二月の最終土曜日は私の陶芸12周年記念日。この間、陶芸の情熱は衰えるどころか、人生の軸として只今大黒柱を立てようとしています。天が私に授けてくれた道だと、つくづく感謝する次第です。

控室には差し入れが山の様。糖尿病になりそうなので、明日は食を控えて挑みます。

五日目終了後、仲の良い陶芸仲間とお食事を。今後は同業の仲間として、切磋琢磨の関係です。
この仲間だけは知識の交換に何の躊躇いもありません。進む道は決まった。恥じ入ることの無いよう、陶芸家として自立できるように天の道を歩みます。

いよいよ明日が最終日。何時になく早く過ぎ去った一週間でした。


le 24 vendredi 金曜日
//四日目//本日は12時間超栄に滞在。充実な金曜日も終わり、いよいよ明日明後日のみ。
朝一番に叔父さんが来て下さいました。考えてみれば世界に70億の人間がいる中で、叔父さんと私は遺伝子的に極めて近しい存在。なのに何にも知らないことに気づきました。受付の係もあって、叔父さんの行動を遠くから眺めていて知り得たのは、絵が好きだと言うこと。今後、私の陶芸に絵の好きな叔父さんと上手くコンビが組めないものか、遠くから思い眺めていました。

今日は、別な先生から講評がありました。初回の先生は、侮蔑じみた冷笑を頂きましたが、今日の先生は、嬉しい言葉を。
 どちらも正しい。それぞれから純粋に思った言葉を頂く。だから、一人の意見で舞い上がったり塞ぎ込んだりせず、常に私の作品には冷笑する人も存在し、そして隣に賞賛する人もいると、私がこれより先の道を選べば良いのだと。一生懸命陶芸に励めば、きっとこの構図で安定すると思う。特にSNSなどの発展で、存在を認知してくれる人は圧倒的に広がりますが、広がる分だけ、良きも悪しきも諸々の声は湧き上がるでしょう。たまたま一方の声だけが届いたとしても、それが世界の色ではない。舞い上がる必要もなければ塞ぎ込むことも必要ない。

第一報が、嫌な声なら隣に存在する世界との出会いを願う。逆に第一報が朗報であったなら、これが当り前に存在すると思うな!と今後の戒めにするべきであって、何であれ私に学ぶべきところは多いのです。


le 23 jeudi 木曜日
//三日目//本日は兄夫妻が来てくれました。天皇誕生日と言うこともあって、岡本太郎展の帰りのお客様が多く流れてくれました。

毎朝、早くに栄に到着。コーヒーを楽しんでからの美術館。明日は30分早く家を出て、もっとノンビリしようと思います。
この二年間は倹約の日々でしたが、会期中だけは贅沢をしています。瀬戸には着ない上等な服や靴を毎日品を変えたりして背筋を伸ばしています。

残る会期も三日間。これが終われば、本当に一つの時代が終わります。明治と昭和に挟まれた大正のような、短い一つの時代ですが、文化の薫り高い日々でもありました。


le 22 mercredi 水曜日
//二日目//本日は朝一番から交通社夫妻が、続いて両親が見に来てくれました。そうそう前職でお世話になった喫茶店のマスターも。明日は祝日、どんな方とお会いできるでしょうか?

御縁の有る無しを思います。どんなに願を掛けても縁が無ければ接点はない。その逆に、ふとした御縁から、その先が広がることも。だから、そういう御縁の有無は有るがままに任せて、その先を運命に任せる方が人生は劇的に楽しくなるのではと、こう思うのも展示の舞台に立ってのことです。
 難しい顔をして選挙の票読みをするのではなくて、どんな人が立ち止まって、名刺を貰ってくれて、声を、後々の返事を、と有るがままに身を任せる先の、御縁。

明日の御縁を明日の流れに任せる。そういう機会があることを心より幸せに思います。


le 21 mardi 火曜日
//初日//楽しい時間を過ごすことが出来ました。二時間の講評は腰に来ましたが、疲れと楽しき出会いと、あっという間の初日でした。

普段、交流のあまりなかったデザインの外部講師とも親しく話す。帰り際には、インスタを見たと横浜から駆けつけてくれた方も。豊かな出会いの二年間でしたが、最後の最後まで濃密でした。


le 20 lundi 月曜日
//搬入日//朝から晩まで大忙し。統括する立場ですが、前職の経験を存分に発揮。去年より規模が大きいにもかかわらず早く終えることが出来ました。

幾度の大失敗を乗り越えて展示台に設置した我が作品。照明が当たり光輝くのを見ると、陶芸ってのはどんなに失敗しても、それを乗り越える喜びがあるものだと心に響きます。

とても疲れましたが、明日からは別の意味でまた疲れるでしょう。体力勝負です!!


le 19 dimanche 日曜日
//良い本買えた//午後から街に出る。喫茶店で濃いコーヒーを二杯に濃厚なチョコレートのケーキ。それから古書店を二軒。良い本が買えました。

私にとっては、久しぶりの都心で過ごす週末。今になって気が付くのですが、田舎の人間が年に一・二回都会に行くのを楽しみに待つように、私は、どんどん都市生活者としての立場を捨て去ろうとしている。
例えば多治見あたりの山の中で生活する者が名古屋への通勤に難渋して、とうとう都心に居を構える。彼からすれば人生の後半は都市生活者として生きるのだが、生まれも育ちも名古屋人の私は、この逆で人生の後半を田舎で過ごそうとまもなく動き出す。何方が幸せかなんて測れませんが、人生とは不思議なもので、無いものを手にした時から後半戦がスタート。


le 18 samedi 土曜日
//多治見五軒//東信美術館⇒岐阜県現代陶芸美術館⇒多治見美濃焼ミュージアム⇒意匠研究所⇒ギャラリー・ヴォイス。全て陶芸関連です。

春になったと思うのは、パラパラ降った雨のあとの車の汚れ。土砂降りなら洗い流されるのですが、ただシミになるパラパラとした雨。ノンビリできるのは今日明日まで。明日は懐かしい喫茶店にでも行こうかと思っています。

さて、三月から何する人ぞ!??なのですが、燃え尽き症候群になる余裕はありません。健康診断や各種手続きなど。それに荷物の整理に掃除。ふっと我に返るのは5月頃かしら?

退職してから今の今まで慌ただしい毎日でした。これは別の意味合いで継続しますが、生活が落ち着いたら新たな実践を心待ちにしています。それはというと自己研鑽というか修身。毎朝、決まった時間に座禅をしたり、禅僧のような食事も試みたり、英語の勉強も再びと考えています。

//名画でした//いつも朗らかに、工夫の喜びで生活はもっと明るく楽しく。


le 17 vendredi 金曜日
//アル中でした//昨日の男はアル中だったそうです。ビールの空き缶が7-8本点在していたとのこと。
 なんというのか、酒にしても薬物にしても当初は快感を得るため。それは思い通りの効果を得るのでしょうが、摂取し過ぎると、怒りとか恐怖に包まれる。なのに止めることなく摂取するのだから、腐った食べ物なのに、敢えて食べる大馬鹿者のような。ある段階から快楽とは違う結果になるのに、どうして懲りもせずと考えるのですが、中毒患者は、ババしかないババ抜きに参加する分別の無さ。廃人ですね。

//尿漏れの放置した//それも相当期間放置した匂い。
朝の地下鉄ではドアの横に座る。とある駅でドアの横に立つ人が。私には杖が見えたが、同時に激烈な匂いに襲われる。次に電車が止まった時、杖を口実に席を譲り、その場を去るつもりでしたが、まもなく出るのでと遠慮される。  他の席は空いているのに移動もできず付き合う。

結局、数駅付き合い、彼は去る。

肝臓が悪いような肌の色をした、その50代の男は生まれ持った身体異常を支えるため杖を使う。衣服は浮浪者ではないものの薄汚れており、介助者はいないとみえる。生活保護の受給者であろう。
彼は、小便を足すのにも難渋して衣服に含ませ、洗濯する習慣もないとみえる。

私は、その男を何度か見たことがある。幸い離れて見ていたのだ。
こう考える。彼は、その身体異常から、座ると立ち上がるのも困難で、いつも数駅ドアの近くで立つ。早い時間の妙な移動は、朝の炊き出しに参加した帰りであると。ただ、路上生活者ではないもののその生活水準は困窮の域であると思う。一人暮らしなのだ。そして行政サービスを受ける知恵というか人間的関わりが欠けていて、なのに彼として精一杯生きているのだ。
 私は祈った。生活の質が上向くような、人間の関わりに恵まれますようにと。

残り数日の電車利用。これを持ちまして毎日同じ時刻に乗り目的地に向かう通勤・通学は私の人生から消失する。それを悟ってから味わい深く乗り降りしているのですが、本日、私が彼に会ったのは、彼のために祈ることが必要であったからだろう。良い出会いであったのだ。

私も老いたころには、親身になる身内もこの世に存在しない。小便をするにも難渋する日が来ると思う。その日が来ることを当然に思い、到来日が少しでも遅くなるように、生活全般の管理は大切だと思う。そして今一度、今朝の彼のために祈ろうと思う。善良な心であっても、不器用故、身体の故障のため、本人に落ち度がなくとも降りかかる災厄を背負う人はいます。見た目の不精さで嫌悪したら、自らも同じ道を歩むと思う。生活に、今のような方と偶然な接点があったら、やはり彼のため改善を思い祈りを捧げることは、人としての道理だと思います。

本日は瀬戸で移動の最終確認。


le 16 jeudi 木曜日
//その後、捕まったらしい//その男を見るのは二回目。前回は朝から一人怒鳴っていた。アル中なのか、異常なのですが、叫びのトーンが鋭い怒りで印象的。  今晩、尾張瀬戸駅前で同様の叫び声。直ちにLINEで注意喚起をしましたが、10分後に、その人、警察に捕まっていましたよと別な人から連絡が。

一つ怖いのが、お酒。これからの生活で飲酒による充足感が生活の一部になったら、私の人生は転落する。これは確実である。ただ、上質な飲酒はたまには楽しみたいのですが、組織生活を脱した私は翌日を考慮して、今晩はこれまでという抑制効果を失っているので、本当に怖い。


le 15 mercredi 水曜日
//猿投の威容、仰ぎて我ら♪//8:27~8:30まで毎朝流れるのが、この歌です。これを録音して、新天地でも毎日同じ時刻に流し、最低でもこの時間には仕事人であるべきだと自らを鼓舞するために。

その録音を、まだ早い、まだ早いと思い後回しにしていましたが、とうとう残り僅か、いつかを実行する段階です。今は連日、大忙し。ただ夜遅くまで制作というような頑張りの段階ではなく、移動の準備とか。全く面白いですよ、ハレの日を頂点だとすると、その後に余韻とかはなく花火みたいで、見事な組織運営をしたとしても頂点過ぎた瞬間に解散。同じ面々で何かをすると言うことは二度となくなります。あとは、瀬戸で培った技量を各々が思うところで発揮するだけ。

私が、陶芸を始めてから、ずっと思い続けてきた一人で黙々と製作する、夢にまでみた光景の到来でもあるのです。細かく言うと、その現場を構築するのに数か月以上は要しますが、前職の頃、仕事が空いた時とかガラスの向こうの青空を見て、目を閉じ何か深刻に思案している振りをしながら、私は、その様な日常が来ることを思い描いていました。寝る前も同じで、運転している時も、寝ても覚めても、そんな日が来ることを、少女漫画の主人公のような夢見心地の心境で、よく思い描いていたものです。

いつの日か、それが実現した時、日常のありふれた瞬間に経験したことのないような充足感とか人生の不思議を覚えるのでしょうが、それを語る相手もいない環境なので、私は幸せな思いを土に伝えていくのだと思う。そして聞こえるのは、風の音とか遠くに聞こえる車か近鉄の走る音くらいでしょう。


le 14 mardi 火曜日
//10日もない//地下鉄や名鉄で通うことも、10日も無いでしょう。車で行く日も多いです。荷物の撤退があるので、残り数日ですかね。ある日を境に、その時間のそのドアから乗る50の私服の男は存在をなくします。と、同時に、いつもの時間のあの場所に座る人、あの駅から乗る人ともお別れです。

知らない顔見知りには、一言も声を掛けられませんが、いつの日か作品を売る私との偶然の出会いから話が弾む夢のような展開はあるのでしょうか?


le 13 lundi 月曜日
//世界で会いましょう//その先生の最後の授業がありました。卒業したら、瀬戸や名古屋で会うのではなく、世界のどこかで会いましょう!!!と別れの言葉。素敵です。

教授陣からすれば、この人は見込みないけれど、そうも言えまい、とかはあると思う。数年に一人、天才と呼べる生徒もいるそうですが、そうでない多数派は、良い意味で予測を裏切りたいと思います。

僕らは陶芸が好きで好きで上達を願ってその門を潜りました。まもなく解放されます。教えてくれる人は居ませんが、自由になれます。自分で考えて、自分で進む。嬉しいことではありませんか。いつか見た夢の日常に到達するのですから。

瀬戸を去ったら、次なる目標は大きいです。それは【日常が落ち着くこと】
通勤通学はないけれども、工房があって作業して、研究して実験する。そういう新しい日常を少しでも早く実践できるように。


le 12 dimanche 日曜日
//養心文庫//紫禁城養心殿には三希堂なる書斎があって、私文庫に三希の文字も考えましたが、これには意味があって実際の私の生活とは関係ないので却下。単に本棚を○○文庫と命名するだけのことで大袈裟なのですが、その部屋は書斎でもあり寝室でもある。この本棚で心が養われるなら、養心殿の養心が丁度良いと、手許の本棚は養心文庫とします。

【造弁文庫】
陶芸関連の本・各種美術書、自著の制作ノート等、工房内で必要になる本を納めます。

【養心文庫】
上記以外の書籍を収蔵。


本日は珍しく読書していない。歯を磨いたら少し読むかな。


le 11 samedi 土曜日
//模擬展示//臨時で瀬戸に一日中。本番さながらの模擬展示を行いました。先日ご報告の大失敗によって、お見せしたかった作品は世に存在しませんが、生き残り部隊を集めて、まあ何とか形にはなりました。よくぞここまでと愛おしく思えてしまいます。失敗と成功は縦糸と横糸のようであった瀬戸での日々。 本番当日を楽しみに迎える心の余裕が生まれました。

//ノートの種類//
【雑記帳】 思いつくままを認めたり書き上げたり。アイデアとかデザインとか。
【失敗録】 特に意味を与えた失敗は詳しく分析し記録に残す。
【図案帳】 毎日一点、図案を書く。
【釉薬調合帳】 調剤の記録。
【○○工程帳】 一作品につき一冊。左に書き込み、右は余白メモ。例えば一輪挿しを作るにあったって、帳面上完成しうる詳細な工程を書く。後日、派生形を作る時などは、右余白頁を活用。

//名称は楽しい//工房の名称を施行前から考えています。開業届の名称とは別に、私はそれを【造弁處】ゾウベンショ として考えています。ちなみに元は紫禁城内にあった宮廷工房の担当部門になります。よって工房内の本棚は【造弁文庫】

残るは自室の、非陶芸・美術本の本棚になりますが、【御手許文庫】が一案です。ただ自らに御の字を付けるのは宜しくないけれど御文庫のような響きは魅力的です。
これは未定故、当分続く私の楽しみになります。


le 10 vendredi 金曜日
//尊敬する先生//最後の授業でした。74歳の先生はとてもお若い。常に新しいことを考え挑戦し、未だご本人も周囲から学ぶ事の方が多いという。本日は授業という内容でもなく雑談。

私「先生は慌ててものを造ることはないのですか?」

先生「慌てる人は無駄が多い。作る前に考えず、作りながら考えるから。作ると言うことは、作る前に徹底して工程やデザインなどを考えて、それに最も多くの時間を割き、決まったら、あとは決まった手順で手を動かすだけ。これはほんの僅かな時間でできる。つまりモノ作りは、作る前の真剣な思考を言うのだ」

この言葉を得たことは生涯の宝です。
先日私は大失敗をしました。それ故、この質問が出来たのであるから、私は幸多き人間だと思う。


le 9 jeudi 木曜日
//荒れ狂う女//午後から美容院へ。駐車トラブルがあったらしく、男女の口論に。男性が苦言を呈したところ、40代の女が一旦従うものの、急に怒り出し10分ほど叫び続ける。面白い心理がありまして、最初は純粋な怒りでしょうが、3-4分経過すると、どうしてこんなに怒っているのかを周りの人に理解してもらいたい内容の怒りに変わりつつある。心のどこかでバツが悪いのか、正当化するための怒り。 女が店を去った後、客も従業員も呆れること一様。それで話が弾みましたよ。

良い大人が、怒り出すことによって自己の心理を他者に理解してもらおうとの行動は、見ていて情けないものがあります。でも、この人は所かまわず平然と行うのだから、平素からトラブル頻発の人なのでしょう。双方に言い分があっても、つまりお互いに正しいと思っているのだから、意見が衝突したとしても、相応の振る舞いはあってしかるべきです。つまり聞く耳あってこその抗議。これを大の大人が怒りの一方通行で表現しようものなら、その人に正しいところが多いにしても理解はされないでしょうし、別な詮索もしてしまいます。何かの弱さを隠すために一方的に吠えているのだと。

 生活が苦しい。学がない。所得が低い。家庭環境が悪い。実は討論が苦手。そもそも非を認識している。相手の言うことが理解できない。負けた後の振る舞いが想像でいない。発言に嘘が含まれている。

人間観察は面白いもので、例えば大人が眉を顰める行動をしたなら、それを後押しする心の内はあると言うことですね。

//忘れる前に//昨日、大失敗を認識した時、私は心の奥から【早く瀬戸を去りたい】と鋭く感じました。これは何の制約もなく束縛されず自由に作りたいとの気持ちの表れです。あれほど瀬戸を去る日のことを名残惜しく思っていたのに、心のどこかでは去る日を願っているのだから驚きです。
 
でも、早々に去るのだから、慌てようもありません。本日は【失敗録】を認めました。どうして失敗したのか、技術はもちろん環境や心理的な側面も含めて記載しました。詳しく記すことにより、この失敗の記録は宝典となります。


le 8 mercredi 水曜日
//私は敗れた//最もお見せしたかった三つの作品が全て大失敗。他のも釉調がおかしく、まもなく始まる展示において私はとても寂しい思いを連日味わうことになるでしょう。
 高慢であったのかもしれない。出来る出来るとの思いは何の根拠もなかった。細かな点を挙げれば致し方ない所もありますが、全員が同じ条件で難なく成功する人もいる。それが出来なかった。やはり高慢であったと思う。私の失敗は、見る人からすれば「当然のことよ」と思うかもしれない。高慢が故、嘲笑の対象であるし、そう思う人も多かろうと。

残念であるし悔しいし諦めもありますが、考えると最大の収穫であったとおもうのが、最後の大失敗。俗に言う卒展で私は全く納得のいかない展示をせざるを得ない。この二年間は何であったのかとさえ思う。幸い恥の概念はありますので、羞恥を浴び続けるのが最後の行事内容となります。

でも、私はこれより一人陶芸の道を歩みます。これからの人生を考えて、今、何が最も必要であったのかと考えると、それは成功ではなく失敗なのでしょう。それも並の失敗ではなく数か月の努力が一瞬にして散った大失敗と数日づつく恥辱の時。忘れてはならないので、心して挑みたいと思います。


俯瞰してみた。世にいう美大とか芸大、いやいや頑張ってみたものの発表会で失敗してしまった人たちの思い。

彼らには、二つの道が用意されていると思う。引き続き挑むか、引退するか。私は前者の列に並ぶであるから、この行列の彼らを愛おしく思う。成功するべき時に失敗したものの、諦めず前を進む人のことを。

会期期間中足を運んで下さる方には申し訳ない気持ちが湧きますが、これを含めて瀬戸での二年間をご覧ください。晴れの日に苦が虫を噛む一人の陶芸家が、後日、越えられなかった山を越えるかどうかを含め、数章にわたる物語の第一章であります。


le 7 mardi 火曜日
//喜び//四連休最終日。曇天で湿り気を帯びた空気、寒くない。冬が終わったと感じます。今後寒さが来たとしたら三寒四温なのでしょう。晴れても霞空、そんな春もまもなくだと思います。

明日の窯出しは、大いに不安な気持ちもあって落ち着きません。先日の面罵事件ですが、その人が気づかなければ、また怒り出すのかもしれないし、明日になってみないと分からないことが多過ぎます。瀬戸を去る日が一か月を切ったというのに、落ち着くどころか盆に正月の大忙し。色々と一挙に来ています。

この四連休、忙しいのに長いお休みがあって、否が応でも先々の事を考えて、全く具体的な姿がない現実に、どうしたものかと思ったりしますが、瀬戸を去るのは一つの喜びを秘めている。

楽しい仲間と笑いながら作陶する日々は二度と戻りませんが、考えてみると、今後私は好きなものが作れる。瀬戸に行く前も好きに作っていましたが、その好きなる範囲、つまり技法を多く習得したことにより出来る表現の幅が広くなりました。
 これは後日、改めて記載しますが、私は私であって瀬戸に通ったから作風が変わったわけでもなく、劇的に何かが出来るようになったわけでもない。まるで前言を翻すようですが、学び得たことは劇的ではなく小さな工夫や技法・知恵を多く知り得たこと。これを今後に活かせる喜びです。

まだ工房の一畳さえ出来ていないというのに、新しい場所で穏やかな日の、嵐の、夜の静けさの中で好きな形を作り上げていくときに感じる魂の底から溢れる充足感を早く味わってみたい。

//文庫//金沢文庫とか御文庫とか。文庫は書物の保管場所を言います。退職してからの二年、基本的に瀬戸通いの毎日でしたが、他に変わったことというと、山のように古書を買い求めた日々も挙げたいものです。この理由は以前に言及しましたが未だ衰えず先日も追加購入を。
 この山には二つの側面があって陶芸・美術関連とそれ以外。二つに分けてもそれぞれが山であることに変りがありません。よって書架を二つに分散して、前者は工房に、残りは自室に。これを○○文庫と命名したいのです。

工房は【陶志文庫】【技芸文庫】【造弁文庫】or【造弁処文庫】
それ以外は【御手許文庫】  今のところ、このように考えています。


le 6 lundi 月曜日
//新しい休み//四連休三日目。本日は浜松に行く。途中砂鉄をとってからの浜松ですが、去年お世話になった古書店は店を閉じられたので中心街にある別なる店に。こちらも贔屓の店です。ただ浜北と違って半額になることもなく、好きに任せて買う行為は出来ません。2500円の買物なので僅かな数量でしたが、古書店の魅力は拾い物があったりすることです。そういう確率の高い本屋でして、今回も素敵な買い物ができました。

さて、私は世間が働くその日に休んだのですが、道の駅も海岸も、浜松の中心街も週末の賑わいが無くて、いつもとは違う、例えるなら大学の頃、カレンダーとは関係なく休んだ頃の感覚を覚えました。これからは、私の休日は、世間が仕事に没頭しているときに閑散とした繁華街で過ごしたりするのかと、いよいよ瀬戸を離れるその日を思わざるを得ません。

//賃上げ//物価高に少子化。企業は社員に魅力を感じてもらいたく、つまり社にいて欲しいから賃上げの動きがあちこちで。それも過去に例を見ない上げ幅です。そうでもしないと若い子の確保は無理だし、今いる社員も疑わしくなってくる。強調したいのは、その上げ幅。驚いてしまいます。
ところが全ての企業がこの上げ幅が可能かと言ったら、それは無理で、今後ますます明暗が分かれるのだろうと考えてしまいます。と、二年間も収入がなく、その後も全く未定な私が、世の賃上げを語るなんて笑い話ですが、私も早く生産性のある人間にならなくてはと、最近、沸々と考えますが、その場所づくりから始めるので、今年の収入も見込み無しですね。だから本日感じた不思議な休日の感覚を日常のように感じるのかと思うと、空恐ろしいし、もっと上手な時間の過ごし方をしなければと、夢にも出てきそうです。


le 5 dimanche 日曜日
//クラシック//今日はノンビリな一日でした。今から80年前は、2/5(金)。復刻版ではなく80年前当時の朝日新聞をじっくり読んだりと。最近、読む時は深く頭に入るよう、歌詞のある音楽とかラジオとかは選択せず、海外のクラシックを流すFM局を真空管アンプに繋いで部屋で響かせています。

冬至の頃に比べれば日の光にも強さを覚える暖かな日曜日。まるでホテルのロビーにでも居るような感覚になります。何かに迫られることもなく、ただ古い新聞や南信州新聞、それに古書を取り出してお茶を飲みながら過ごす心地は、なんと贅沢なひと時でしょうか。

さてスシローの事件について、最近、それをしたのが私だったらと思うと、今頃、自殺をも考える心境だろうし、家族を含めて同じ考えかもしれないと。実際、昨日、はま寿司の前を通りましたけれども昼時というのに駐車場はガラガラです。同様の形態にも飛び火して彼のした犯罪はあまりにも罪が大きい。厳罰を望む強い声も分るけれど、あと、もう一押しで自殺するかもしれないと勝手に想像すると、この件に関して私の意見は不鮮明になってしまう。ただ、今頃、発狂しそうな心理状況に家族を含めて追い詰められているのだろうが、自ら蒔いた種であるし。。。。
 
お釈迦様が生きていれば、自殺だけはするなと言うでしょう。人の心で許しがあるかもしれないし、いや全くのゼロ回答かも知れないけれど、選択できる立場にはないので、進むべき道は罪に向き合えと言うことでしょうか。


le 4 samedi 土曜日
//似た者同士//本日は多治見に赴く。多治見の専攻科の修了展がありまして、私たちよりも一足早くの晴れ舞台。多治見と瀬戸は山を挟んで北か南の関係です。この両隣の町にそれぞれ専攻科がありまして、二年前に入学した者は、まもなく卒業となります。

この二年間、どの様な思いで今に至るのだろう? 出来ることなら活発に語り合いたい仲間でもあったはず。山を挟み北で学んだか南で学んだかの違い。それぞれの特色などきっと語りつくせない話題の山はあったはずですが、まもなくそれぞれが解散となります。今後はどの様な人間関係が構築されるのでしょうか?面としての関わりはありませんでしたが、個々人の出会いがどこかであるのかもしれません。

さて多治見に赴く途中、また不思議なことがありました。チャリティーツーリングのゼッケンを付けた自転車乗りが道路の左側に五台ほど。たったこれだけの光景なのに、私は心の深い所から目を赤くして急に涙が出てくるのです。笑い話に聞こえますが、初めての経験は小学校の頃、足助の祭で山車を挽く集団を見た時。私は私利私欲を超えて集団で何かをしている人の姿を見ると、急に涙が溢れます。
何度もあるこの不思議を昔の日記で、孤独を愛する私にとって手に届かないところの人間模様に心が揺れたと分析も済ましたが、本日は別なることを思いましたので今書いているのです。

私の命には複数の魂が共存しています。その主たる先導役が平素の私であり孤独を愛する私でもあるのです。では、何故涙するのか?
それは私を構成する魂の一つに、その様な私欲を超えて集団で何かをやり遂げる事の楽しさを知っている魂がいるからだと気が付きました。ところが現実の私は、この魂に何の慰めもしない生き方を貫き通してきました。それに気が付いたのです。この魂は、あの楽しさを味わいたいと渇望していたのだと!!

一見、相反する心の内ですが、魂は命の中で調和を保ち融合するのが寿命だと思っていますので、平素は孤独でも心は穏やかなのです。でも、この魂を慰める新しい何かをする生活を穏やかに取り入れたら、経験もしたことのない桁違いな平安とか充足感を思えるのかと、そう考えるのです。
ひょっとしたら幸せな人生は、私の想像を超えた規模で存在するものなのかと、唖然とした喜びを受け取るのかもしれません。

これは今までにない考えであるし忘れてはならないと思って書きました。今後、新しい生活が始まれば、私欲を超えた汗や奉仕を何かの枠組みに参加して楽しく時を過ごす一面も持ちたい。だから、この記述は色を変えますね。



le 3 vendredi 金曜日
//23時前//帰宅。最も忙しかった一日が、卒業間際でありました。

今朝は、一番に面罵されたのですが、まあ取りつく島もなく面罵し去っていった人がいたのですが、昨日の心の持ちようで、これが人生最後の面罵かもしれないと思うと、貴重な体験であったと怒りも沈みます。これは前職の時代から強く思っていたのですが、皆正しい認識の上で行動する。だが正しさは人それぞれで衝突することは世の常。その時、怒るだけ怒って相手の言い分を聞かない態度は、最終的に発言者に不利に働く結末をもたらすと、私は経験上そう思います。その意味でも、良い実地の調査なのかと考えるのですが、早々に枠組みが変わるので、その答えは分らずじまいなのですが、良しとしましょう。

これから私は組織の中で働くことは無いでしょう。ある種、苦言を呈されるとか、その様な外圧もなく独善が進む恐れもある。上記の面罵は内容は別にしても、これが人生最後の面罵かと思うと、大切に心にしまって、後日、傲慢になることへの戒めにしましょう。


le 2 jeudi 木曜日 
//どんな時も幸せ//残された時間は僅かなのに大失敗。他にも???な出来事もあるし、なかなか思うようになならず、焦る気持ちを抱え名古屋へ戻る。あまりにソワソワするのでインド仏教系のサイトを見てお釈迦様の良き教えは無いものかと探してみたら、仏教徒の目指す生き方は、どの瞬間でも幸せである生き方をすべしと書いてありました。

本日の私を例にとってみたら、心の中で騒ぐ慌て虫を見つける良い機会であったし、明日改めて心落ち着かせて復旧すれば良くなるであろうし、今後の人生を考えたうえでも急ぐときに動き出す慌て虫との接し方を知る良い機会であったと。

帰宅できたのは21:45 

遅く疲れた身体を地下鉄に揺られながら、これを幸せと考えるならと、周りを見渡す。
実にたくさんの人がいるではないか!! こんなに多種多様な人の存在を感じられるのも都会ならではの事。社会の趨勢を知れたり、大半はスマホ見る人の中にあって本を読む人の風貌には、皆整っている共通点があったり。これも残り一か月だと思うと、例え遅くとも地下鉄で通えることは幸せであると思うのです。


le 1er mercredi 水曜日
//早くはなかった//この歳になると、時の経つのは早く感じられるものですが、今年の一月は早く過ぎてしまったという感覚はありませんでした。年初から怒涛の忙しさが続き、月末に漸く一段落。これによって過ぎた日々が異常に忙しかったと認識したのか、一月はそこそこの長さを感じる月でもありました。

でも二月です。来月の頭には瀬戸を去る日がやってきます。今は規則正しい生活ですが、この後、どう過ごすべきなのか、もはやレールなどはなく全ては自分自身が切り開かなくてはなりません。でも、その前に工房の準備もあるし、新しい秩序を得るまでに数か月とか一年は全くの中途半端。その恐ろしさは、今であっても感じるものがあります。

今月の末には展示会があります。兎に角、与えられた時間を一生懸命に過ごすのみ。


 
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