令和5年1月janvier.2023


le 31 mardi 火曜日
//花//車で瀬戸に行く途中、その道の脇に花束があります。それに気が付いてから、私は横を通る時は、止まっていれば手を合わせるし、通り過ぎるのなら心の中で合掌します。江戸時代で言ったら、何か不幸の起きた道の脇にはお地蔵様が置かれるのでしょうが、その花束は私にとって路傍の地蔵様。
 いつしかその花束は定期的に新しいものに交換されていることに気が付きました。そして私は手を合わせることは欠かさないにしても、またある時から色々とお地蔵さまに語り掛けるようになっているではありませんか。今では、まもなく瀬戸に通う日々も終わりますが、私が陶芸家として軌道に乗ったら原材料の調達で、またお会いできることもありますと、そうなること切に願っていますとお話もしています。それと同時に、生き生きとしたお花があってこその出会いであって、ご家族の平安も祈ったりしています。
 不思議な御縁だと思います。全く見ず知らずの間柄なのに、今では心の内を明けてしまう存在。一人ではないし心強いとさえ思ってしまします。


le 30 lundi 月曜日
//トラブル//楽しみにしていた窯出しが想定外の電熱線の切断で生焼けのまま。テストピースを入れていましたが、二度焼に回す緊急事態。本日の結果を見て大胆に動く予定でしたが、限界まで待つか見切りで動くか悩ましい限り。

昨日の続きですが、孤独とは清楚であって上質でなくてはならない。これが私の目指すべき美学になります。世捨て人のような孤独は単なる敗北者の姿であり、凛として清楚、上品で美しくあり充足した日々であるべきです。どれだけ充実していても汚いようでは人生の質が劣ってしまうので、常日頃から昨日拝見した青年のように、と相当妄想を入れていますが、良き毎日を過ごして参りたいと思います。

今朝、誰もが受かると信じていた仲間が不合格であったとの知らせを聞く。彼はこれを機に陶芸から引退すると述べていて、それはもったいないと再考を願うのですが。。。。
 【策士策に溺れる】という諺がありますが、この二年間でその策が裏目に出てしまうことが何度もあり、皆、正々堂々と亘り合えば道も開けただろうと述べています。面接では事前に誰が一番の実力者か下調べし、当日は5人いた面接官の中から、その人だけしか見なかったそうです。一人一票だとしたら、そういう不自然さが不利に働いたのかもしれませんね。


le 29 dimanche 日曜日
//美しい青年//本日は楽しみにしていた名古屋古書会館での買物。浜松のようにメートル単位で買物はできませんでしたが、なかなか良い仕入れが出来ました。中でも昭和17-19年の朝日新聞を大量に買いまして、これが読んでいて飽きない。今後の私の慰めになります。

さて、一人の青年がいる。大学生でしょう。古い哲学書などを三冊ほど手にしていましたが、すっかり魅了されました。まず美しい孤独を演じれる人。それは豊かな時間だと容易に想像が付く。じっくり見て回る日曜日も素敵だし、帰宅してからも読書で過ごすのかと思うと、この青年は孤独であったにせよ凛としていて上質な時間を過ごす美しい人だと、妄想が止まりませんでした。

その倍以上生きて、同じことをしても見向きもされない歳となりましたが、
孤独とは上質で美しく充足するものでなくてはならないと、大原則を確認したような青年との出会いでした。

明日から月曜日。大きな山は越えましたが、失敗してはならない丁寧な作業は続きます。良品を一つでも多く、これが明日から始まる五日間の課題です。


le 28 samedi 土曜日
//穏やかな//土曜日です。朝から地元の八百屋に顔を出して、それから常滑に行きまして諸々書籍を持ち帰る。午後は昼寝などしてのんびり過ごし早めの入浴も済まして今に至ります。明日は名古屋古書会館にでも行けたらと考えています。

どういうことでしょう。戦前の本になると、途端に読書欲が増す。これは私の保守的な性格も大いに手伝っています。例えば歌謡曲のジャンルでいうと、まず「新しい」のは自動的に除外さます。私の中に新しいものは水準が低いという物差しがあって、では、どのくらい遡れば心に沁みてくるかというと、令和も平成も対象外で昭和歌謡になります。これは本でも同様で最近の作家は読むに値しないと勝手に思い込んでいる。古いほど読む価値が増すので、明日は戦前の本を探す事でしょう。

この心理の分析すると、私の良く聞くフランスのmona-FMに説明が可能です。彼是20年近く聞いていますが、私の満足は自分で探すのであって、【流行】に満足は存在しないと、それは幼き頃からの確固たる思い。親の教育方針は、こと流行に子供を躍らせず、良きもの(往々にして田舎臭く地味)を持たせる事でした。端的な例は遠足のお弁当。可愛らしいお弁当箱でも格好良いものでもなく、竹皮に包むお弁当。
 
親からしても流行には無頓着で、子供の頃の私は流行り物を一切持たせてくれませんでした。テレビゲームなど我が家にはありません。よって、そういう方面の話題に私は全く乗ることはできませんでした。子供ながらに、話題に乗れていないなと感ずることはありましたが、これで貧乏じみた惨めな子供に転落してはならないと、強烈に自我を保つ心理が働きまして、行きついた答えは【独自性】 人と違うことを堂々と説明し楽しむ生き方。よって時に強烈に嫌われることもありましたが、小学校の頃には、嫌われる事は良いことだ!と達観もし説明もできました。嫌われるくらいの個性があると言うことは、私には存在感があって、嫌う人間がいると同じくらい好きになってくれる人もいると。
 実際、この考えは当たっていて、個性的でありましたが集団生活から脱落することもなく、いやいや総じて笑ってばかりの楽しい学生時代でした。
 中学になってからは、不良の格好に憧れる同級生も出てきましたが、私は中学も高校も校則は徹底して守ることにより、いつも監視の対象外で、その方が自由で気楽だと、これまた楽しい日々でした。ここまでくると、嫌悪の対象でもなくなり、そういう者だと独自の空間が私に出来上がり、例えば不良学生からしても私のことは
対象外で、仲間に入れるとかイジメるとか、そのような事から超越した存在であったと思う。


と、色々書きましたが、このような言及は20年越えの日記であっても初めてではないかと思います。だから、この個所は色を変えますね。

人とは違う時間軸。これを楽しみながら過ごす確固とした信念。物おじしないことは大切で、私は収入の面で言えば安定を手放しましたが、別なる能書きで凛とした生活を選ぶのかと思います。余暇が古書。しかも古きにそれを求める。話は共有できませんが、競争相手がいるわけでもなく、これはこれで楽しいことであると笑いながら話のできる人物でありたいと思うのです。


le 27 vendredi 金曜日
//さらに一時間//早く帰宅出来ました。精神的緊張のピークが昨日であり、製作上の残る峠は施釉のみ。これはテストピースの焼き上がりを見てから本格的に稼働するのですが、いくつかあった峠に比べたら終点も見えてきたので心理的に余裕も生まれます。

いづれ落ち着いたら日記を振り返り、何月ごろから戦時体制であったのか読み直してみたいと思います。不思議なもので、前の週末の記憶がない。休みであるものの、この後来る焼成で緊張もしていたのでしょう。休んでいたという記憶が全くない。  明日は休養に徹します。古書を読み仮眠も楽しみたいと思います。


le 26 jeudi 木曜日
//安堵//窯の蓋を開けました。1250度の熱で歪んだり釉薬が垂れたりくっ付いたり、見る者には大失敗と受け止められましたが、不思議と動揺することもなく修正で復帰できると達観している私がいました。
実のところ、不思議は他にもたくさんありまして、瀬戸で体験する折々の事柄を、私は遥か前、夢の中や日常の頭の中で瞬間的に見ている覚えがある。

数時間の修正作業の結果、無事展示できる作品となりました。越える峠は何本かありますが、今回の窯は最も険しい内容で、これが無事に済んだことにより精神的にかなり余裕が出てきました。

夏の終わりから、今週が山と、それが毎週繰り返し。週を重ねるごとに内容が厳しくなり、来週も相当に忙しいのですが、最も大変な週はやはり今週でしょう。その答え合わせが本日だったのですが悲嘆に暮れる内容でもなく、大いに安堵しています。今日は一時間早く帰宅出来ました。


le 25 mercredi 水曜日
//10年20年//第一級の寒波です。10年に一度とか。でも考えてみれば10年前も20年前も30年前も温暖化が叫ばれています。50の私にしてみたら、子供の頃の冬は、この位の寒波の波状攻撃だったと、久しぶりの厳しい寒さに思い出も蘇ります。

明日、窯出しになります。無事なのか惨劇が展開されているのか窯の扉を開けるまで緊張が続きます。


le 24 mardi 火曜日
//祈るしかない//最も大きな窯でオブジェの焼成。無事に焼き上がるか、窯の神に祈るしかありません。どれだけ思いを投影したとしても1250度の世界で、その形状が保てるのか経過を確かめるわけにもいかず、後日の窯出しまで全く祈るだけになります。

一つづつ峠が過ぎてホッとするとともに、まだ数回峠を登らなくてはなりません。全てを越えた時、私たちは瀬戸を去る。去る方向はそれぞれで、二年間の空間の再現は不可能となります。人生の間奏曲は残りわずかです。楽しみ味わい一生懸命に最後まで。


le 23 lundi 月曜日
//忙中閑ありか??//これ以上作陶はしないと決めたら、久しぶりに心に余裕が出てきました。人によっては、まだ追加も可能だと言うのですが、その可能性に乗るより次の工程を丁寧に仕上げていこうかと思います。

//楽しいとは、技量があるから//と、お風呂に入って思いました。良い形が思いついたら轆轤を回し作り上げる。楽しくて仕方ないのは、思いを形に出来る技量が備わっているから。
と、お風呂で思った根拠は、石膏型でこのような形が出来たなら!!と閃いた訳ですが、間髪おかず形に出来る技量があったら、その後も楽しいのでしょうが、、今の技術では、その思いを石膏型に出来ない。だから心苦しいものがあったり諦めたり。もう、瀬戸でそのような技量の向上は望めませんが、落ち着いたら石膏型の三つ型以上を作れるように勉強しなくてはと思います。


le 22 dimanche 日曜日
//頑張る高校生//午後から瀬戸の窯業高校の卒業展示を見に大曽根近くまで。3年間の全てを出し切る晴れの舞台です。想像以上に上手くて拍手の連続です。
この後、それぞれの道を歩むのでしょうが、皆が皆、素晴らしき人生を歩めるよう願うばかりです。

帰宅後、強烈な睡魔と疲労感。小一時間ほど仮眠をしたら体調も回復し、今に至ります。夜の時間はノンビリしようかと思うのですが、ふと私も瀬戸を去ったら、どの様な時間を過ごすのだろうかと思ってします。先ほどあった強烈な疲労はあるのだろうか?疲れる程頑張るのだろうかと。

夢や希望を胸一杯収めているのに、半面恐怖の感情もあります。私には怠ける自由が否応なく付いて回るし誰も諫めてくれない。全ては私自身の心の有り様だと思うと、それは強烈な恐怖の感覚でもあります。自分を律することは大切なのは分りますが、私は組織に属さない生き方を選んだ。何かに属していれば転落するまでに幾重の予防的な働きがあります。それが全く無い。グレーの領域がないのである。律することを止めた時、それは即怠けていることになる。遊んでいる間に誰も肩代わりしてくれない。そのような、扉一枚向こう側が転落する断崖絶壁。健康問題然り交通安全も。安全な生活が、とても脆いのに、宿命として改善されることなくついて回る日々。

私はそれを選んだ。成功を望む思いと同じく安心安全・健康な日々も節に願う。生活が頓挫しないように、日々、瞑想による心身を整える時間。よく噛み慎み深い食事内容。いかなる時でも慌てず安全な運転が出来る心構え。無理をしない「心の待った」を聞き取れる純粋な気持ち。そういう生活を維持する心構えを日々忘れないようにする生き方。

救われるのは、修行僧的な実験の日々になりますが、楽しみでもあるし私は好きです。瀬戸を去る日と引き換えに、そういう生活が始まると思うと、私の全ては私の采配如何によります。マラソンを走りきる采配のように、存在そのものがとても自分らしく。


le 21 samedi 土曜日
//轆轤納めプラス//本日は自宅陶芸。色土を用いての作陶になります。薄い作りの茶器を午後から作りまして、これにて展示に向けては本当に轆轤納め。急ぎ素焼になりますが水蒸気爆発も懸念されるので、まずは窯の中にミニ火鉢を。棚板を組みまして、この上に夕方、太陽光乾燥を終えた作品を置き、今度は温熱にて乾燥させる。夜に信州お野菜便(いつもありがとうございます)の引き取りがありまして帰宅してから火鉢を撤去、窯を稼働させ素焼焼成。作った当日に素焼させる超特急仕上げです。

連日の頑張りですが、とうとうこの数日手の甲から血が滲みだす。甲の皮膚の薄い部分が、度重なる手洗い等によって、潤いも喪失、掛かる事態に。
 来週からは、施釉三昧になりますが、何でもできる環境から、一つづつ時間切れで新しく何か造形したいという思いは叶えることはできません。瀬戸を去る日を感じざるを得なくなりました。


le 20 vendredi 金曜日
//深い充足感/●瀬戸に到着後7:35より皿の高台削り。⇒盃1個⇒染付納めのつもりが失敗⇒昼食⇒再度、染付。瀬戸での染付を納めました⇒盃二個・銚子の蓋修⇒休憩⇒皿の高台削り⇒盃7個⇒香炉台⇒大型プレート⇒夕食⇒オブジェ施釉⇒香炉蓋。これにて瀬戸での轆轤納め⇒名古屋行きの荷物の準備⇒23:17瀬戸発⇒0:04帰宅

オブジェの施釉は別の所で一人、フランスのmona-FMを聞きながら。懐かしい曲が流れます。週末の度に斜面集落など方々動き回ったときに聞いた思い出の溢れる曲。あの頃も一人でハンドルを握っていましたが、施釉も一人。
 その時、不思議と豊かな感覚、深い心の充足を覚えました。素晴らしき仲間と過ごした時間、ここで学べた多くの事、48-50の頃に全力で夢中に没頭できる、まるで再び訪れた青春のような日々。そして、この後、一人で生きていく道が開かれること。まるで私に用意された映画のよう。分っていた事なのに、一つの時代、それは間奏曲のような人生の大いなる時代時代に挟まれた、細やかな日々なのですが、まもなく終わろうとしている。この輝かしい間奏曲が終わるまで残り一か月と少しなのですが、人生の間奏曲として、きっと素晴らしい旋律を奏でてくれることでしょう。


le 19 jeudi 木曜日
//見えてきた轆轤納め//瀬戸に陶芸を学びに二年近く、ロクロ挽く作業も明日で終了。轆轤納めです。明日は23時まで作業可能とか話が出回る。

私は慌てると【慌て虫】が這い出して、雑に邁進し結局全て霧散することがある。慌て虫が動き出したら、デンと構えなくては。そういう認識も手伝って、本日は短い時間でも追い上げました。明日は轆轤納め。悔いなく全力を出し尽くします。


le 18 mercredi 水曜日
//一斉に//慌てだす。  最終の締め切りは分かっていても、段階ごとの締め切りは皆頭に無くて、まだ時間はあるだろうと思っていたところ聡明な青年が、ヤヤヤ、今週でおしまい!!!と第一段階の〆を言い出して、皆さん大慌て。明日明後日と最初の山です。


le 17 mardi 火曜日
//0点!!//本日は0点でした。全く進展なし。寝込んでいたなら分りますが、朝から晩まで必死なのに、0点。明日は雑念なく真剣に、時間を大切にして取り組むしか方法がない。焦る気持ちを抑えて確実に。


le 16 lundi 月曜日
//サスケ//3-4-5歳の記憶です。母入院の折、母方の祖母の家で暫く生活していました。大正元年の日本家屋で、この経験が私の美や伝統を愛する心の礎である。土間に面した黒光りした板の間が台所。そこで食事をしたのですが、孫のために買ってくれたお茶碗は、サスケの絵でした。何かの漫画であったと理解したものの、それがサスケであったと知ったのはつい先日のことです。いやいやサスケとカムイ外伝の二つの図柄でした。

50年の人生を振り返ると色々あったと思う反面、変化を極力恐れ、色々のイの字一文字くらいの小さな生活であったのかもしれない。早々に親元を離れ、全国を点々とする生き方もあるのに、私ときたら両家の因縁を一人背負うような道なのですが、不思議と生まれた時からこうなる運命であったような気がする。分別もつかない幼い頃に、こうなるような事をどこかで思っていたことは記憶にあります。


le 15 dimanche 日曜日
//撤退//浜北で買った一冊を読了。良い日曜日でした。

昭和50年発行 
斉藤芳郎 著 『撤退』

戦線を拡大し、補給も頓挫している状況で不足分は現地で調達せよ!という軍部の方針。壮絶な体験記ですが、これは戦闘ではなく飢えと撤退の記録。徴兵され、その体験の圧倒的割合が死をも覚悟の撤退の連続であり、内容に圧倒されると同時に、指摘される日本軍の兵站軽視を痛感させられます。

地獄を経て生き残り、心に刻まれた地獄は葬り去り、大成する。あれだけの体験をしても、強く生き続け戦後の精神の在り方までは書いてありませんが、思うところは多いです。

今、生きているのは、一度も死ななかったから。当り前ですが、死んだら、それでおしまい。壮絶であっても、死を選ばなかったから生きている。その壮絶さが、今に生きる者の比ではない。


le 14 samedi 土曜日
//ノンビリしました//しとしと雨の降る土曜日。古書三昧。日頃の疲れを十分に癒すことが出来ましたし、明日も似たような過ごし方。月曜からまた連日朝から晩までなので、休める時は心底の休養を。

あれほど本を読まなかった私なのに、この変化ときたら驚いてしまいます。これからの生活を思うと、趣味の陶芸が業となるので、新しい趣味は古書になりますが、これはどんどん増やしていきたいものです。そういえば祖母は本の虫でした。曽祖母も、兄も。遅ればせながら私も仲間入りしそうです。引き続き良い趣味のある生活になりそうなので、私の人生も悪くないなと、まだスタートする前から思ったりしています。


le 13 vendredi 金曜日
//朗読//youtubeで朗読を選んでは聞いています。何か作業していても視野が奪われることもなく、それでいて読めば疲労困憊してしまうほどの分量であっても、スラスラ頭に入ってくる。NHKラジオの劣化ぶりも甚だしく聞くに堪えない低俗な内容。よほど個人で朗読をUPしている人のチャンネルの方が豊かで情緒的な時間を過ごせます。

本日は久しぶりの雨。冬が緩む雨。これから三寒四温で春に向かうのでしょう。


le 12 jeudi 木曜日
//俳句//今、地下鉄では東京帝国大学の学生が卒業記念に自費出版した小冊子を読んでいます。

昭和11年三月発行
松島博 著 『蛍光録』

浜北の古書店で買った冊子。調べると三重県の松阪辺りの出身で、シベリヤ抑留から無事に帰還され、その後は三重県内で活躍された博識の人です。この蛍光録には、氏の第八高等学校(名古屋市)と東京帝国大学在学中に出筆した文献が印刷されています。面白く読み進めている最中ですが、ホトトギス派に属して俳句を嗜む氏が、最近頭角を現し別なる方向性を謳い始めた水原秋櫻子に対して反論しているところ。

私からしてみたら、思うに任せて17文字を作り出せば良いのに、当時は、その作り出し方の有り様に百家争鳴。了見が狭い時代とも思えるし、日本語を極めつくそうとする者たちの闘いの日々とも読み取れます。

私の好きな古書は、このような自費出版であったり、銘々所属する団体の発行物で皆が寄稿す形態。敗戦前の市井の日本人の思いを読み取れる古書は、何にも増して読み進めて楽しいものです。不思議なもので、きっと驚くべき経過を辿って私の元にある『蛍光録』。いづれ私の新生活の場に移し替えますが、それは氏の故郷の近く。


le 11 mercredi 水曜日
//太閤通行//この前乗ったときは中村区役所行だったのに。路線が伸びたわけでもなく、最終駅名の変更なのですが、かなりのインパクトを覚えます。
 明日も味わって、電車を乗り継ぎます。昨日の続きですが人生最後の通勤通学。これ以降、規則正しい生活があるとするのなら、全ては私の心の線引きとなります。あえて引く必要があるのか今のところ分りませんが、おそらく私の性格で言うと、怠惰への怯えも手伝って時間割を作ったりもするのでしょうが、何れ現実に即した修正は迫られる。ただし起床時間だけは絶対防衛線みたいな線引きは続けるのでしょう。

今も鮮やかな記憶は、退職した日よりも、その次の朝。律せねばと何かに縛られることもないのに早く起きた朝。あの緊張感は今も新鮮であり、再び味わうことでしょう。人生の選択や指針に先の答えは分りません。ただ怠惰より律した方が道は開けると信じるからこそ、特段の理由がなくとも早寝早起きを選びます。

これから1ヶ月半ほど平日の自由時間は15分ほどになってしまいます。思いを形に!!


le 10 mardi 火曜日
//人生最後の//俗に言う冬休みは本日が最終日。明日からは人生最後の通勤・通学。毎日同じ時間の同じドアから乗り込み座る。何度も書きましたが、そこには知らない顔見知り。その毎日が長くなると、一人また一人居なくなり、と、同時に新しい常連さんが加わります。
 そして気づいたのです。この通勤通学の独特な光景は都市生活者に特有なものだと。

思い返せば、時代時代にお気に入りな、知らない顔見知りさんはいるもので、いやいや居ないためしはなかった。私は、毎日同じような繰り返しであっても、無意識なうちに「素敵」を探していたような気がする。宮本輝の『真夏の犬』を知ったのも、素敵さんの本の背表紙が見えたからです。さらに書き加えるなら、単独行動ばかりの孤独人間であるのに、素敵探しから人との接点を維持しようとしていたのかもしれません。だから知らない人なのに私にとってはとても大切な存在でありました。一瞬なのに。

そういう勝手な出会いも、50歳で最後となります。今後の生き方は、職住一体であって、仮に移動があったなら車であり、単発。人恋しくなったら、18きっぷを手にして私は電車にひたすら揺られ、車窓ではなく、目に入る人の姿を懐かしむのでしょうか。

通り面した喫茶店の窓からは行きかう人を眺めることも出来るけど、それさえ都会の特権だと、今、あらゆるものを手放そうとするとき、気づいていなかったものに驚かされる。


le 9 lundi 月曜日
//奥が深い//本日も急須作り。自宅陶芸はいったん中断となります。時間があればもっと専念したいし、ここに来て思うのは、コレコレを改良すればもっと上達するだろうという、攻める頂を見出したのに時間切れ。
 これほど作って思うのは、思いに任せて造れるのも今だけなのかもと、近づく三月を前に寂しい気持ちもあります。今後の私は、思いに任せては【余暇的陶芸】であり、業としては相当絞られた範囲を毎日になるはず。だからこそ、毎日描く図案日誌が大切なのか!! あれだけは自由だから。

この二年間は移行期で、この間に新工房も完成させ、ロケットスタートの4月を考えていましたが、4月から物理的な移行期になりますので、起業時期は相当先にずれ込みます。今年のどこかで落ち着いたら合格点と言うことでしょうか。少し怖いのは、人生にこんなにも長い休みがあって良いのかと考えたりしますが、その後の年間休日は一桁に納まるだろうし、まあ流れに任せてその時々を大切に取り組むしかないのでしょう。こう考えると救われるものもありまして、そもそもこの二年間に技術の習得と新工房立ち上げは最初から無理であったのだと。今は習得に重きを置けと言うことです。


le 8 dimanche 日曜日
//22時まで//作業場の籠り22時まで急須作り。展示まで急須に割ける時間も明日一日のみです。
毎回、造り出すごとに勘が戻り、専業でもない限り、たまの急須は20個くらい造った後に全く問題なく造れるのかと。そこまでの時間はない。困ったものだが仕方ない。

//食生活//新生活になっても食生活は一日二食にするでしょう。それと良く噛んで食べることに専念したい。時間をかけてよく噛み食事する。新生活最大の喜びは、これなのかもしれない。胃腸の負担を減らすためにも咀嚼行為を最大限に。良く噛むと、自然に嚥下する。これを徹底出来たら、諸々改善されそうだと思うのです。いくら食材にこだわった食事内容でも、その場を早く離れたいとの思いで流し込むように食べていた自分なのですが、そんな悪習にこれ以上付き合う義理もないのだろうと半年前から心の奥で思ったりしています。そういうお付き合いは、もう十分しただろうし、本来訪れるある種の寂しさを相当な割合で減少させてくれます。


le 7 samedi 土曜日
//泣いても笑っても//この三連休は家に籠って急須に専念いたします。本来ならば瀬戸で作るべきものですが時間もない故、自宅にて宿題のような。本日は三個でした。朝が寒く、起きてからすぐに取り掛かれないところが問題で、明日こそはおんな太閤記を見終わったら作業場に籠ります。

須らく最善に運んだら、週の二日三日は名古屋で作陶し素焼まで。この名古屋滞在時間で瀬戸や東農方面に原料を調達したり歯医者などに行ったり、この方面での販売活動も手がけ、両親の買い物や諸々の世話も。残りは三重県の窯で作陶に専念し、時に販売活動にも。この定期的な移動の最中に到達地で入用な食材など買えば時間のロスも少なくなる。と、書けば大変な毎日のように思われますが、仕事していれば5日のうちにこの移動距離以上の運転もするはずだし、日常の気分転換にも適した時間であると思う。

生活が落ち着いたら、山の粘土が作陶に適しているか調べたいし、マンガン系の鉱石の採取もしたい。寂しくなったり落ち込む暇もないだろうし、そもそも古書の時間を割けるかどうかの日常になりはしないだろうか?

どのみち生活を改め老いる者への世話もしなければならない。自分の生活が何かに縛られていたら、それは困難であったろう。選んだ答えは、それから逃げない生活軸を確立するために、残る時間は陶芸に専念する内容であるが、意味するところは、老親の世話だけの人生だと自らの輝きも失せる。それはするにしても、残りの時間は私が心からしたかったことに専念することによる精神の安定。そう、介護と精神の安定を両立させるための私の知恵です。今は、須らく最善に運べるよう、世話が本腰になる前に陶芸の技量を習得する時間。これが間もなく終わろうとしています。


le 6 vendredi 金曜日
//本の修復//古書と修復はつきものだと思いますが、どうやら年代からして細い糸で頁を束ねて一冊の本にしている。これが背面にボンドなら再び同じことをすれば良いのですが、糸なので同じような復元は無理である。特に戦時中、敗戦後5年程度の本は、特別な扱いの本でなければ、その糸も紙質同様脆いもので、大変に細い。よほど丁寧に扱わなければ空中分解の危険性もあるのですが、その紙質を楽しみながら読み進める行為は、負担を掛けるようで予想外の事態が頻発です。

最初の対処は、和紙に糊を貼り亀裂部分を補強するのですが、元来、糸で閉じているので、次から次へと同じ事態に。これを繰り返すと分厚くなり、本来の幅に収まらなくなり、まるで酷い活断層のような断面になってしまいます。

これではダメだと次なる対処法を考えているのですが名案が湧きません。貴重な本だと買い漁った私が本の破壊者であってはならない。新生活の休日は古書の修復という全く予期せぬ過ごし方になりそうです。


le 5 jeudi 木曜日
//美しい夕焼け//16:30頃、西の空を見たら、空は青いのに浮かぶ雲には夕日が当たり橙色。冬至から半月ほど過ぎ、16:30頃の空が明るいと気が付き、そうです、これから日が長くなったとの会話から春が始まる。

思うのだが、戦争が終わり日本に戻る引き上げの兵士。彼らのその後の有り様なんです。状況によっては敵兵以外にも弾が当たったと思うし、命を懇願するものにも銃剣を当てたかもしれません。この行為を責めるつもりはありませんが、これらの記憶がある兵隊さんは、その後を生き抜くために如何様な精神であったのかと。この記憶に打ち勝った人たちの、壮絶な体験はしたけれども、清算して戦後を勇ましく生き抜いた人のことです。

それら記憶に負けた者は戦後の生活も別の意味で負け続けたと思うし参考にはならない。如何に清算し、そう、負い目を追わない自己処理をして戦前にも増して活躍した人のことです。内心の内心にまつわる話なのであまり世に出回りませんが、大いに活躍した人は、当然トラウマとして絡みつく記憶さえも粉砕する強靭な心の持ち主だと思うのです。

こういう内心の伺える古書にはまだ出会っていません。


le 4 mercredi 水曜日
//残り僅か感//朝から瀬戸で作陶。志同じくする者との時間も残り僅か。新年はそれを否が応でも味合わせる不思議なものがあります。話す内容がこれからの事ばかりで、人によっては一次審査の合否待ちであったり、それは受かったと、その先の話をする人も。私はというと大幅に遅れている、実質ゼロ回答な現状を語るのみですが、嘘をついても仕方ないことですし、さてさてどんな顔して最終日を迎えるのでしょう。

と、糸の切れた風船みたいなことを書いていますが、人生の大黒柱はありまして、それは陶芸と共に進む。こればかりは不動の人生指針です。陶芸をどこで、どの様な環境で取り組むかの輪郭が全く持っての膠着状態。サヨナラの日に次の場所を言うに言えない居心地の悪さは覚えることでしょう。これは想定外の出来事でした。

ただ今は目の前の製作に追われているので、膠着状態を打破する時間的余裕もないので前進は望めない。惨めなサヨウナラは確定です。


le 3 mardi 火曜日
//急須三つ//昨日今日で急須三つ。作りもいまいち。金曜日から始まる三連休は自宅陶芸ですがこの続きなります。今年は元旦から毎日一案の図案日誌を描いています。昨日は二日目にして忘れそうになって、就寝前に焦りました。

そうそう正月明けの三連休が来ると思い出す過ごし方があります。年賀状は頂いた人に寒中見舞いを送る、そんな時代がありまして、この三連休に旅先で書く、これが目的で焼津とか方々出掛けたものです。今となっては届ける人もいなくなり絶えてしまった年中行事と言うことで懐かしい思い出。

//一年//昨年の日記を読み返したら、この日、近所の幼馴染の死を知る。その前日に亡くなられたと言うことで、正月の二日(今年は三日)はその友人を想い少し手を合わせる時間を設けます。これは私の新しい年始の有り様として、故人を想い生きさせてもらえることの感謝の日にしたいと思います。


le 2 lundi 月曜日
//初夢は//変な夢でした。内容も良くない。まずリーフの電池容量がさらに低下し航続距離が短くなって生活に影響が出ると嘆く私。次が不思議なのですが、なぜか前職の本社ビルの地下とか一階に居て、退職したのにのこのこと立ち入っている。そうしたら社長が出てきて何で居るんだ!!みたいな攻撃的な態度に。夢の中ではありますが、あーあ関わってはいけないと立ち去る私。
それからの内容は以前にも見たような。名駅周辺の光景ですが、変な一角に入り込み、そこは戦災を免れた入り組んだ路地のある区画で、もはやスラムに近い光景。

さて本日より一日二食運動再開です。空腹時間を長く設けて腸を休めるのが意図するところ。午前中は本を読んだりしていましたが午後からは9/25以来の自宅陶芸。今日明日と、次の三連休は自宅にて作陶です。

今月の22日日曜日は旧暦の元旦です。来年は旧暦の正月も何か個性的な過ごし方をしたいと思います。と、申しますのは仮に50にして御節だの正月飾りだの本格的に学んだとしても年に一回だけの事、覚えるには条件が厳しい。よっておさらいとして旧正月にも同じことをする。新暦は名古屋で、旧暦は三重県で祝うとか。


Nouvel An dimanche 日曜日
//あけましておめでとうございます//昨年の五月から始めた一日二食運動も、お正月の伝統に従い朝日を受けながら御節。昼前に兄上一家が来て、今も居るのですが食べて飲んで昼寝するだけの元旦。まあ、一年に一度であるし、来年の元旦は何かしら過ごし方に変化もあろうし、本日はただただノンビリ過ごしています。

今年は生活の基盤を含めて大きく変わる年ですが、今現在、具体的な姿は見えてきません。ただ瀬戸に通うのも3月まで、これが確定しているだけです。幸い、最後の追い込みで目の前が忙しく進捗具合に一喜一憂する暇もないので、とにかく素晴らしく、見る者の心に残る作品を作り上げようと思っています。

本当に激変する年は今年なのです。どれだけ長く働いていたとしても退職した年ではありません。何かに属すれば、組織の暦があるわけで、それは案外楽なのです。心するのは何れにも属さず自らの暦に従って動く時。先の話と思っていましたが梅の花が散る頃には誰も守ってくれない私です。

分っていたことがいざ近づき始めると、諸々心して日々を重ねなければと思う次第です。
本年も宜しくお願いいたします。



 
→→→先月の日記←←←