janvier.2008


le 31 jeudi
//一言爆弾// その一言命取り。言わないに徹しましょう。それが最善の策。
えっ、次善の策????
言われた者には言い返す権利があったとするならば、
言い返す権利を留保し、言った本人が忘れた頃に行使する。
これは実に恐ろしく、遥か昔の「ムカッ」を、
例えば権力あるものとの話し合いの席に、あたかも自然の流れのように密告する。そこに当然の権利感があって、呵責ない。

だから、言わないに徹しましょう。

アイツは言い返さないから、何でも言ってやれ!
と、他人を蔑んでいたなら、忘れた頃に一言爆弾が破裂します。

人生の歯車が狂うとき、それは誰かが知らずして置いた精神の石。

le 30 mercredi
//もう一段の倹約// どうやら物価の上昇は僕の考える領域を突破したみたい。例えるなら、月一の床屋さんを一ヶ月と一週間にすれば値上げを吸収できると考えていましたが、一ヶ月と二週間になるような気配。

偏屈と言えばそれまで。僕は絶対にこの流れは認めたくないので、徹底的に抵抗するでしょう。

不思議なことに人間は慣性の生き物。

倹約に慣れると、その生活は苦でもなく普通。故に、物価高において貯蓄の残高は増える。

問題は、貧相な、苦境を呈した倹約は生き方の指針に反する。
到達する世界は、ケーキを食べて倹約をする。

le 29 mardi
//大中華の、触れる者として// 朝鮮が中国の属国であり続けた歴史。小中華は現代になって否定する。しかし事実は事実で理由があるはず。ある本音を聞けて、それは立派な理由だと思った。強大な中国。完全に制圧され漢民族に同化する恐怖よりは、属国として民族の保持を選択した。これは恥ずかしい理論でもなく賢明な選択だと思う。ところが、事実を全く否定するものだから、執拗な反撃を受ける。

//資格に生きる人、逃げる人// これは一種の麻薬のようなものだと思う。現実の世界、貧しいも豊かも、デブか痩せか、健康か病弱かは、現時点の正にソレ。資格の勉強をして未来を豊かにと考える向きは多い。しかし、実際に取得して活かさなければ意味がない。   将来は豊かと信じ邁進する過程は、実はまだ貧しい領域。その認識は持つべきである。  努力を放棄するのは本末転倒ですが、ソレが報われるのは、努力の期間ではない。
努力の期間に、架空の豊かさを信じて散在すれば、計算の立たないお金の流れは取立てとなって跳ね返る。

le 28 lundi
//欲張りすぎて全て台無し// 山海の珍味が揃う一流ホテルのブッフェで欲張りすぎ、最後に全て台無しになる。それは極端な例えですが、欲張りすぎての本末転倒は間々ある。

日本人が豊かになったということでしょう。親の世代なら、楽しむときに全身全霊で楽しまなければと、余暇とは正反対の戦闘的休日


バブルの利点を挙げるとするなら、その果ての苦境は別として、日本人の舌が肥えたこと。このとき初めて贅沢を知り、それは苦境の時代に突入したにせよ生活のパターンは後戻りできない。知らなくて済んだ世界を知ったという意味でバブルの背伸びは良い側面だと思う。


安い大衆酒を浴びるように飲み酔いの世界に入るのと、
上質の酒を味わって酔いの世界に入るのと、   この違い。


何事も欲張りすぎては全て台無し。
アレもコレもソレも制覇したいけれど、コレを省くことによる時間の質的向上を僕は重視したいです。

le 27 dimanche
//パロディーとしての讃美の本// あまり利用したくない某古本屋に行く。そこで何冊か買う。金氏朝鮮(親愛なるヒロシ同志命名。借用をお許しあれ)の最高指導者を讃美する本。批判や告発の本は何十冊と手にしました。古本だし真実とは正反対の本も面白そうと購入。著者は親戚でもあり政治局員でしたが急逝した人。

もはや経済も学術も農業も国土開発もてんでダメな金氏朝鮮を讃えるとしたなら、精神論しか余地がないようで、人となりやエピソードが沢山添えられている一冊。

//祈りと瞑想と畏怖の念// 明日、何が起こるか誰にも分からない。直接、我が身に降りかかるのか、変化球なのか。それを恐れる気持ちは、たぶん定年するまで絶えないでしょう。ただ、内向的とか否定的な性格ではありません。安寧を願うばかり。  しかし、預言者でないのだから未来を確定することも無理。そこで選択が迫まれる。無頓着でいるか、祈るか。

ここに祈りの科学が問題となります。「祈れば叶う」のは一抹の真実なのかもしれませんが、なぜ叶うのかの道程を知らなければ訴求性が皆無で、低質な祈りになります。  賽銭を投げお祈りする程度のレベル。

それをここで述べたところで無意味になります。それは自分にとってガツンときたものだから。

非宗教的な人は、祈りの科学を否定するでしょう。あってもなくても同じこと。あれば神のご加護といい、なければ信心が足りないというだけ。

はたして、それだけでしょうか?

これは是非とも統計を取りたいものです。
一つの種明しをすれば、丁寧に祈る人、もしくは瞑想する人は、
翌日を粗暴に扱わない。

大舞台の前で呼吸を整えるのと同じです。

そう。何かの発表の前に、何かの競技の前に、
精神を統一する人と、緊張だけの人。
これは統計を取れば明確な差が出ると思います。


と、収入も学歴も恋愛も、てんでダメなので精神論に日記を書く余地を求めるのです。

le 26 samedi
//クタ&ヘト// クタクタでありヘトヘト。 土曜、目が覚め、一時間ほどベッドの中で、湧き上がるように仕事のことが頭に。本日はアレしてコレしてと・・・

アレをしてから11時過ぎに一人会社に入る。これはこれで快感。
仕事が終わったの、21:30頃。まっ、そのうちの何時間かは掃除でしたが。

変なことを申しますと、前任者が掃除の苦手な人だと、
掃除するだけで褒められるのです。

ただ、それは最初の特典。これからも続くと考えてはならない。

夜、久々にカナコ女史とこまめ夫人に会う。もう何百日と会っていないけれど、以前のように接してくれた、同じ周波数の人間ってなんて同化が早いのかと思いました。

le 25 vendredi
//前にも言いましたが、、、// 酒を飲むなら旨い酒。湯に浸かるなら、良質な湯。世の中の一流品を手にできる身分ではありませんが、そうであっても「こだわり」は追求したい。
それは100円寿司でも当てはまる。100円だけれど、期待以上の味。

地方都市の商店街。苦境に直面するのはどこも同じ。座して死を待つか、それとも何かしらの「こだわり」を表面に出すか。

結局、パイの小さくなるこれからの時代、生き残るには普通でいてはダメ。

潔く、在日外国人専門店にすれば、数十年忘れていた活況を全身で覚えるかもしれません。

考えてみると、時代の進歩は、人を簡単に外に出すと思っていたのは間違いのようで、ジワジワと内向的に。

正確が暗くなるという意味ではなく、高速のネット環境があれば、家に居て孤独は感じないし楽しい。

それに新自由主義は、結局国民の体力を弱め車の購入を綺麗サッパリ諦めさせる。そして誰のせいでもありませんが、元気な年寄りも、いづれは外出を控える。

加速度的にパイは小さくなるでしょう。

それでも外に出て、何かを体感したい。この欲求に答えるためには、やはり普通では無理でしょう。

le 24 jeudi
//確定の土曜日出勤// 自主出勤。なんか異動が決まってから、まともに休んでいるのって2-3回の週末だけなんですが。
そもそも掃除をしたいのですが、その暇がない。第一の理由はコレ。
机周りが汚いと、それは業務上の過誤を誘発する温床。
平日は忙殺されて、ソレさえできない。ソレを他人任せにすることもできない。土曜日出勤確定です。

第二は、月末に届けられる請求書の確認。これが膨大なの。
これも平日は忙殺されて後回し。慣れれば、こんな失態は演じないと思いますが。

明日の仕事は、誰にも分からない。未知の世界。正直、怯えます。だから真剣に取り組むしかない。はやく慣れて、コツとか勘が側面支援してくれて、衝撃も緩衝材が一枚も二枚も加わるような自分にならなければ。

le 23 mercredi
//巨大な魔法瓶// 魔法瓶というネーミングも凄いね。
さて、巨大な巨大な魔法瓶がありまして、保温効果を高めるために地下に埋設。そこに夏の40度の気温を溜め込み、冬に放出すれば、なんてエコなんでしょう。

さて、文系の僕が知りたいのは、熱交換システム。気温が40度で、地下のプールの水温が10度だとすると、文系の頭では40度までは暖めることもできると思うのです。

理系の皆様が読んでくれていたら教えて欲しいのですが、外気は40度ですが、そのパワーを凝縮して沸騰させることは物理の法則で可能なのでしょうか????

le 22 mardi
//官製デモ// 日本人に滅びの美学があるとしたら、チャウチェスク最後の演説であるブガレストでの官製デモは、美学以外の何物でもない。地方の炭鉱都市での反政府暴動が、確かBBCかなにかで世界に配信される。その事実は逆輸入され、ルーマニア全土の国民が勇気付けられる。
慌てた共産党中央は、文化宮殿のような建物の前の広場で、政府支持の官製デモを開催。もちろん民心は上の空。制裁が怖く参加しているだけ。
大統領の演説が始まる。ところが群衆の中からブーイングが湧き上がり、チャウチェスクは、手を挙げて宥める仕草をするものの、ブーイングはやまず、それは反政府デモに質的変換。
この一部始終はテレビ中継される。そして、ブーイングが鳴り止まないと判断したのか、そこで中継の強制遮断。
カメラは回る。
大統領夫妻は、人民文化宮殿らしき建物の屋上からヘリで脱出。

なんという美学でしょうか。滅び行く者の抵抗の姿は、旧体制は、僕にとってとても美しい。

le 21 lundi
//来週からダイエットしましょう// 今週は、食べ納め。
去年の年末、ダイエットに成功したのに、年末年始で太り、未だそのまま。
異動で仕事が忙しくなると、もはや残された時間は寝るだけ。
そう考えると、やはり兵糧攻めしかないようです。

タバコをやめるとストレスが溜まり、食に走る。
だから禁煙した人は太ると聞きます。

タバコは久しい以前に止めましたが、この法則は残っているみたい。
ストレスなんでしょう。そんなに自覚していないけれど、
食わなくて闘えるか!と言い訳して食べてばかり。

le 20 dimanche
//貧困は、自由との交換物// あまりにも馬鹿で、チャラチャラして無軌道で道理も辛抱も無く、昼夜関係なく好き勝手する自由は、貧困で居続けるための交換物。

これほどの自由はなくて、門限があり、勉強時間があって、起床時間は午前六時。前者のチャラチャラとは自由の幅は雲泥の差。これは貧困にはならないための交換物。

しかし、こんな低水準の享楽競争は10年ほどで幕を閉じる。
やはり大人の自由は、金で交換するもの。この法則は長く続き、前者のチャラチャラにとってはモヤモヤの日々が続く。

あの時の自由は、まさしく貧困で居続ける交換物だったのだ。



贅沢品が欲しい。体で払える期間は、その実、短く、
それからの日々は、誰かに因縁を付けたりドロボーをしたり。

le 19 samedi
//唯一の会話// おそらく週末を通して家族以外の会話ときたら、床屋さんでの他愛ないアレコレが全てでしょう。  それでも退屈せず生きていけるのは、ネット環境が良く、そしてCSで世界の番組が見れるから。  この15年ほどで何と選択肢の多くなったことでしょうか。

本日は、床屋さんと、家に持ち帰った仕事。それで日が暮れる。

//175円⇒195円// そんな値上がりのカップ麺。毎日、これに105円のソーセージパンを付ける。その繰り返しが月-金の五日間としましょう。

全く工夫しなければ、値上げを受け入れるだけ。一日、ダイエットと称して105円のパンをなくせば、出費は以前とだいたい同じ。一方、値上げの時代に貯蓄するとなると、一日、195円のカップ麺をなくしパンのみとする。

些細なことですが、流れに身を委ねるのは楽だけど、貯蓄は減るよりも増えるほうが楽しいですよね。

結局、何かの存在をなくし、空いた時間を意味あるものにしてこそ、賢い消費者でしょうか。  

享楽の出費を項目化し、何かを削る。そうすると時間が生まれる。 
その時間が退屈であったり卑屈であると生活の質は下がるだけ。
それなら、今まで通り生きていたほうが良い。

今、考えていることは、ゼロ円の、もしくは格安なる上質の時間。
この頭の体操は風邪を医者に頼らず治す楽しさと同じ。

le 18 vendredi
//金曜の夜の夢は笑う// 土曜日に書く日記。金曜日仕事が終わって、家に戻り寝る。何の夢だか、それが愉快で笑っていました。愉快な話は立て続けにあり笑う夢の中。   

それは仕事の緊張感の裏返しだと思う。二日の解放に安堵する自分。
金曜の夜に笑う。つまり日曜の夜には真剣になる。

今週は、月-金まで誰よりも遅く仕事が続きました。しばらくは、この調子でしょう。

le 17 jeudi
//何故、死んではいけないのか!?// この質問に答えるのは難しい。残された者が寂しいから。それだけで論破できるだろうか? きっと未来は明るいから。そう言い切れるだろうか? その人は未来も絶望しているので全く根拠無い話である。  しかし、死んではならない。  その答えを言うならば、僕はこう考える。

死後の世界はあるかないか誰も分からない。

ここは平等に確率を1/2としましょう。

さて、なにも無い世界ではなく、実は天国と地獄があり、自殺したものは永遠なる飢餓と劫火の中で彷徨う・・・・としたら、どうします???

あらゆる宗教書では自殺した者の行くべき世界は酷い有様。まずは調べる。

例えば、死後も世界が続くなら、人生は長い。
今、自殺して、残りの「人生」が、この比ではない永遠なる苦しみである確率、それが1/2。
そんな歩の悪い賭け事をするなんて正気ではない。アナタは一度、冷静になり、そんなヤクザのような賭けの世界に入るべきではない。

この世が苦しくても、この世は「人生」の中では短い。この世のために長きに亘るあの世を台無しにするな。

何故、悲嘆を回避するために大いなる悲嘆を手にしなければならないのでしょうか。そう言い切れる確率、1/2。



僕が思うのは、人生が無事平穏で終わる人は少ない。ある人は大地震に遭遇したり、台風の直撃で家が倒壊したり、火事にあったり、交通事故、犯罪に巻き込まれたり。考えれば切が無い。健康を害したり、頼れる身内が無くなったり、気づいたら借金の山。


例え、善良で法を守っていても災難は訪れる。ただ、善良なる者には、その程度は低いだけ。そう思っています。

さて、何かの理由で、人生が嫌になるけれど、それを言い訳に自殺したら、1/2で、この嫌さを上回る嫌さをおそらく永遠に味わうのです。

例え苦しくても、生きてみるのが最善だと言い切れる確率、1/2。

人生の大仕事。1/2の賭けで挑戦する人はまず居ません。家を買うにしても結婚をするにしても慎重に考える時間がある。

le 16 mercredi
//島と、テクテク歩き// 僕が日記に「してみたい」ことを書くとき、それはストレスがほんの少し溜まっているのかもしれない。 資格試験とか、他にも拘束されたりする日が続くと、そんな日記を書いている自分。

訪れたい島と言えば、琵琶湖に浮かぶ沖ノ島。世界中ほとんどの人が思い浮かべる「常識」は、島は海水から顔を出すもの。  島の回りも淡水。そんな島の生活に興味があります。 地図を見れば、琵琶湖も東側は大規模な干拓と堆積で昔は島なのに今は地続き、と分かります。遥か昔は、琵琶湖も東側に島が点在していて、それはそれは風光明媚だったのでしょう。


次に、テクテク歩き。実は僕は歩くのが好きで苦になりません。その気さえ湧けば10キロくらいペースも落とさず歩いてしまいます。

そんな、何か先に目的のあるテクテク歩きがしたい。
旧中仙道を、テクテク歩きしたい。
木曽路をテクテク歩きし、ダウンしたら、最寄の駅から帰れば良いし。
諏訪湖を一週歩きたい。

テクテク歩きをすると、何かを考えたりしているようで、実は無意識というか意識水準は低い。ただ先に歩き、脳が機能するのは交通の障害の把握だけ。
体は動かせど脳は沈静化しているのでしょうか。

あとは、どのルートを歩くべきか。
僕は電車の旅をあまりしませんが、チト、テクテク歩きをしてみようかしら。

le 15 mardi
//明日は水曜日// 三連休の偉大さは、火曜から始まる「短さ」でも実感できます。今週末は、ヘア・サロンでしょ。それと自主出勤、どうしましょうか。


雨が降り、傘を差さない。雨雲の上の雷神は拍子抜け。
意に介さないというのは人を強くします。

le 14 lundi
//転地療法// 場所を変えて生活すると症状も改善する。転地療法。
昨年末からのケチケチモード。それはそれで意味があり、内に篭ってもエレガント、と一定のラインまで極めました。今後も、原油バブルが崩壊するまで諸々の物価は上昇しますが、たいした問題ではないでしょう。

そんなケチケチ・モードが最近の流行でしたが、この週末は焼津。好きな寿司を好きなだけ食べてきました。大満足。残念ながら富士山は見えなかったけど、そういう意味で再訪の残余を残しておいたとも解釈できます。
転地療法でした。葛城の喉もだいぶと改善されました。寿司のおかげです。


やはり両口屋是清が食べたくなり、八事店に顔を出し自分用に買う。むふふ。

le 13 dimanche
//富士山は幻の山// 富士山の見える距離に行っても、7−8割方は見えずじまい。残りは見えたとしても朧であったり、笠がかかったりが1-2割。霊峰ですよ。

寒中見舞いを書くための旅。年中行事です。今年も焼津。寿司は旨かったのに富士山は見えず。ただ、次回も必ず行くだろう旨い店を発見できたのは収穫でした。

富士山は見えませんでしたが、行動パターンは前回とほぼ同じ。



まず、連続して、上海鮮丼(1600円也)と上握り(2500円也)
そのあと散策です。花沢の里。


今回も100円の無人販売を利用しました。100円の青島みかんと、聖護院大根二本と、白菜漬け。

由緒ある寺院の脇に、新しい石仏。水子供養。
不意に涙があふれ出ました。
「この世に命を得ることは難しくと尊いことです・・・」
生きているこの事実に感謝して、両親に感謝して。
できる事なら、両親の思いを大切にしたい。

生きる意味なんて考えることなく、
頑張って生きることに意味があると思いました。


少しだけ顔を覗かせた青空。未だ東の空は曇天。
大崩海岸から静岡市に入り海岸でボケ〜〜〜〜


夜は一件寿司屋によって地魚握り(1600円) しかし、物足りず市中を徘徊して、素晴らしき寿司屋を見つけることができました。写真を撮れる雰囲気ではありませんでしたが、実に素晴らしい店。6500円飲み食いしましたが、名古屋では確実に1万以上の世界です。

それからホテルに戻った焼津の夜でしたが、調べたところカクテルは少し郊外に。中心市街地にあれば、夜ももっと楽しくなったのに。


歳をとったと思うのは、質に重きを置き始めました。
酒を提供するなら、その一杯に工夫と良質なものが使われていること。
お茶でもコーヒーでも、ケーキでも美味しいものに足が向きます。

それとタバコ吸いの僕が見事なる転向だけれど、
煙りモクモクとする空間には足を運べなくなりました。

le 12 samedi
//自主出勤の果てに、、、// 明日明後日は焼津行きです。天気晴れと、熱田のイオンのテレビで見ました。


休み明けからの仕事。
これもまた須らく最善の形で執り行われます。

週末の夜と、平日の朝、それに眠る前、もう何年も欠かすことなく「祈りの時間」を設けています。 あたらしい文句で祈りましょう。心を落ち着けて。

願うことせずして、願い事は叶わず。
祈らずして、加護を期待せず。

le 11 vendredi
//迎合する記事// いろんなマスメディアがあって、特に不快なのは、話題を2のちゃんねるに求める二社。誰某のブログが「炎上」したら、それを記事にする。一方、その記事を、ソースを貼り一段の「信憑性」を確保したということで、スレッドに転載し、★10とかになる。持ちつ持たれつ。

//限界集落// この問題も気になります。  日本の美しさは、山々に点在する小さな集落に寄る所が大きいです。  そこで僕が思うのは、セカンド・ハウス制度。  第二居宅は、限界集落の空き家を積極的に活用。  もう、タダで提供するくらいに。  全ての家庭に、第二居宅があり、場合によっては、第二居宅のシェア制度があっても良い。

考えられる利点は多くありますが、まず第一に、大規模災害の避難用として。
大震災や台風で住居が破壊されて、半年とか一年、戻ることを拒否される場合、第二居宅制度は活かされると思います。

次に、第二居宅にある学校への一時的な入学の融通。登校拒否とか鬱病の治療にも有効かと。

第三は、第二居宅があれば別荘気分。海外に落とす金も減る。

第四は、僻村の活性化。

第五は、閉塞感の打破。大都会で、一生賃貸と諦めている家庭に、第二居宅は家庭菜園もできる余裕ある土地付き家屋。

僻村に別荘を建て、そこに都会人が住む光景は良く見られます。ところが、やはり村の集落とは全然違う場所で交流が無い。村八分ですよ。それよりも限界集落に飛び込む形で住んでみる。いつでも好きなときに堂々と住める権利を有する。これを格安で分け与えれば、休日や連休の日本国民の動態にも変化を来たすでしょう。

唯でさえ少子化に人口減少社会。これをカバーするのは、以前にも増して日本国内での人口の移動を活発化させること。それを著名な温泉街との往復ではなく、限界集落に向ける。 

都会で狭く暮らしている気分転換を海外に求めますが、それを限界集落に誘導する国策が、日本の伝統文化を保持する意味からも必要なのではないでしょうか??

le 10 jeudi
//風邪は治すものなのに・・// 声が葛城ユキになり、長引く。風邪は、極初期の兆候を感じ取ったら食事療法とか温熱療法で自分流に治すのに、長引いています。  疑わしいのは、風邪なのかアレルギーなのか。こうも治らないのは風邪ではないような気もするのですが・・・

//10年前の1/3らしい// 貯蓄率は減衰の一途。この最大の理由は労働者派遣制度。息子が、こんなに頑張っても親父より豊かさを享受できない。彼が怠けているからでしょうか?   怠け者はいつの時代も底流で滞留していれば良い。 理不尽なのは、努力しても、食うだけの生活しか保障されない、この現実。 この理不尽は、制度的正当性のもと包み隠されています。 これでは出生率も下がりますわな。 

le 9 mercredi
//最も地元に密着しているのは、、、// そういう信頼度もNHKが一番だと思っていました。ところが岐阜にいたっては岐阜ラジオ。僕は親類縁者に岐阜人は一人もいないけれど、やはり隣接する県で年に何度も足を運ぶ。

岐阜ラジオ、午前9時からのワイド番組は、驚くほど地域密着で聞いていてとても面白い。そもそも弱小ローカル局でもある岐阜放送。生きる道は地域密着にあり!と判断しているようで、他のどの放送局よりも地域への傾倒は著しい。また、後押しするものに岐阜新聞という地方紙にしてはしっかりした媒体を持ち合わせている強みかもしれません。

とにかく思うのは、コンビにも潰れる世の中だけれど、岐阜放送は確実に生き残ると。

さて、地域密着と言えば、コミュニティFMが思い起こされます。しかし、FMだけあり、コミュニティーなのか音楽なのか良く分からない。時間のほとんどを話で費やすAM局は、それが毎日のこと、素晴らしい働き振りです。

le 8 mardi
//完 済 人// 朝から嫌な地下鉄の広告。まず、モデルとなっている男の顔が、生理的にダメ。 内容としては複数の消費性ローンで困り果てた人が、借金を銀行に肩代わり。つまり一本化してあとは銀行の金利で支払いをする。始めてこの類の広告を見たときは、面白い発想の金融商品だと食い入るように見てしまい、周りからは疑われたかもしれません。

しかし完済はごまかし。借金は続く。

ところで、これにはトリックがあるような気もする。

「サラ金」  グレーゾーン金利で訴訟が絶えない

しかし、訴訟もせずに「おまとめローン」で一本化すれば、
その部分を含めて100%返さなければならない。
新しい銀行に負債を負っているので。

そして、おまとめ系金利とグレー無きサラ金金利の差はあまりありません。

全てが裁判を起こす前に、おまとめ系に借り替えてもらう。

le 7 lundi
//すぐに言葉に出すから// だから僕はモヤモヤも初期のうちに打ち消すのかもしれない。  今回もそうあって欲しいけれど、どうでしょか・・

風呂の中で思ったのは、

平和に生きていくことと、

幸せに生きていくことは、

別物なのではないかと。



平和って、角を立てずに、丸く丸く納めて、静かに暮す。
幸せって、もっと能動的なんでしょうね。たぶん。



泣いたり怒ったり、整理しきれない感情の爆発で表現が不安定。
しかし、それは安定への道程なのか。
それとも、分裂への道なのか。

やはり、どんな状況でも、言い換えればシーンでも
それを自分なりに伝える言語力。これが何よりもの救いなのでしょう。

le 6 dimanche
//発電マットレス// マットレスに導管を巡らす。配置としては、上下表面をグルリと回る導管。   そこに熱を吸収しやすい液体を入れる。
マット上面。つまり人間との接地面で温度が上がり、それは流動化し、下方に流れる。  この動きで発電はできないだろうか???

とくに夏場は、体温吸収もできエコ発電。どうでしょう???


永久機関は無理。と、するなら、必要に迫られる動力・熱源を拝借すれば、それはエコ発電。  風呂の残り湯は温かい。あの熱ももったいない。同じ原理で発電はできないものだろうか?

全てのドアに発電装置はできないだろうか??

そういうアイデアはドンドン湧くけれど、結局は発電量の少なさが無意味と成すのでしょう。


全ての車の下部に磁石を設置します。
交差点手前の停止線には白い塗装の中にエナメル線。
文系の発想でチンプン&カンプンですが、それで発光ダイオードの信号機は賄うことは無理なのでしょうか??


究極は、温暖化で増加した大気中の熱量。これを効率的に吸収しエネルギーと成す。中国やアメリカみたいに温暖化対策には無頓着な国家があります。ならば、彼らが輩出する負の遺産をプラスの原材料とすれば、日本は変な意味でタダ乗り。

それを二酸化炭素と考えていましたが、どうも難しい。ならば、この気温を熱源としてエネルギーとみなして、電気に変換できないのでしょうか???

灼熱のアスファルト。そこに、上記の導管を張り巡らす。そしてそれは手前のビルの給湯室にいき、水を湯とし、さらに導管内の移動で「水車」を回す。
いやいや、水車は効率が悪いというなら、先日のNHKで見た智慧を拝借し「リンス」をまぜスムーズな移動液体として、そのなかに細かな磁性を帯びた鉄粉を混ぜる。


1980年代に得た知識ですがソビエトの科学技術のアイディーア。
あの国は、広大無辺。無辺とは言いすぎですが、世界一の大きさ。そして原生林と凍土。   電車や道路を施設するより、都市に空港を作り点と点を飛行機で結ぶ。  

さて、衛星から長さ何キロもの銅線を地球にたらす。複雑に変化する磁場から電気が生まれ、衛星はシベリアの小都市に向かってマイクロ派(?)を照射。小都市の衛星アンテナは、それを受け止め電力と成す。

こういう妄想は、実に楽しいです。


さて、視点をミクロに戻せば、冷却ベルト。
ベルト内に、上記の導管を巡らし、体温で発電し、ベルトの小型ファンをシャツ内に向かって吹かせれば、夏なのになんて快適。冷却熱を促し、結果的に冷房に頼らない。
もちろんファンの形状は細長い水車型。で、ないと場所とりますからね。


PCの熱も利用したいです。マウスを動かす手の動きも発電に変えたい。
例えば、オフィスの椅子。椅子そのものは動かないとしても、重心のバランスは細かに動きます。それを電気に変えられないだろうか???
椅子に、中身はジェル状の座布団を敷く。重心の傾きで中のジェルは移動する。それから発電するとかね。
つまり、ジェルの中身にやはり無数の磁性を帯びた鉄粉を入れる。水に絵の具をたらすように、毎日、何万通りにも変化するはず。その磁場の変化を椅子が受け止め発電と成す。

le 5 samedi
//音楽版更級日記// 更級日記は源氏物語を求める少女の姿から始まります。それと同じくして、10年以上求めてきた音楽がやっと手に入りました。

それは、  の純粋な一曲として。ナレーションは無し。ただ、バックコーラスの「ワールド・ワールド」は入ります。



仕事、落ち着いたら小説でも書きましょう。


これは前々から匂わせていますが、こちらの小説は必ず性愛の描写があります。それは一切ない。そして、往々にして見受けられる、甘い考えの果て。人を騙した果て。

ただ未だにハッキリしないのは、誰の目を通した表現か。我輩は猫である。これが一番楽な設定。  ただ、そんなありきたりはできず、本人か、本人を良く知る人。作者としては良く知る人なのですが、それで書けば限界がある。

le 4 mercredi
//平和に生きたい// これは常々思うこと。世界平和云々ではなく、小さな自分の生活が平和であって欲しい。  この平和への希求は僕の生い立ちの上の結論。  そして平和でいられる究極の答えは「一人でいること」でした。

誰かと居るから争いになる。誰とも関わりを持たなければ生涯平和。

ところが、そんな平和な生活は僕の両親には苦悶の種。何とかして結婚しろ!と。 
 結婚。それは僕の浅い人生の結論では平和とは対極の世界。

自分が平和に生活すれば、自動的に親不孝。

と、言って、「結婚すれば良いこともある」という両親の言葉は空虚以外の何物でもない。結婚が、結婚生活が平和なら、僕は飛び込んでいくでしょう。そして全ての人の憂いも取り去ることができ、なんて幸せなんだと体感するばす。

ところが、結婚の効用を賭け事のように「良いこともある」程度での推奨は、まったく説得力もない。 本人達も、実は何が良かったのか分からないのかも。

ただ古い人間として、人生の階段は一つしかなく、それを進まない我が子を、見ていられぬ存在になっているのは確かですし、それはズレているにせよ真心から出る発言。


あ〜〜〜あ、イヤイヤ。

平和に暮せば一方が苦しむ構図。

こればかりは僕の頭では解決も不可能。あとは全てを神様・仏様に委ねて、それを受け入れるしかないのでしょうか????


神主さん、和尚さん、神父さん、それぞれに聞いたら、なんて答えるのでしょうか???????????

苦しみを一人背負い、他の救いとなれ!!!

それとも、

信じる道を進み、できるなりの孝行に徹しよ!!!


誰も傷つけたくないし、傷つきたくないから、一人を選んだのに。
どうすりゃいいの。

le 3 jeudi
//出た出た嫌な癖// 後回しにする癖。これは小学校の頃から。どうせ、いつかはすることだし、早めにすれば、落ち着いて取り組めて身にも付くのに、それでもしない。目の前の安楽が全てに優先される。  病的なのは、何か探し出してさえ、やるべきことを後回しにする始末。

この心理を分析して、そして 克服したいわ。

克服。それは自分なりに病理を解明できて納得し表現できたとき。その時、この目の前の安楽選択病が克服もできるのかと思う。

例えば、そういう戦時体制を採用できるときもあるけれど、それが長続きせず、平時の感覚にはならない。結局、戦時と認識するのは追い詰められてから。

食べ物は好き嫌いなく食べれるのに、どうして物事の取り組みには、こうも好き嫌いが激しいのだろうか???

//目標//は、声高に叫ぶ反動を痛いほど知っているので、あえて言いません。強いて公言できるのなら、今年はシャンプー類は買わない。溜まりに溜まったホテルのシャンプー類を使い切ることを優先します。

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去年の年末からガソリン価格がアホのように値上がり。それと共に諸々の物価も値上がり。それ以来、生活の全てがケチになりました。 小さな倹約を毎日心がけると、それが平素の生活となります。

この年末年始も、少しは買い物をしましたが蓄財の休み。蓄財というのは大げさだけれど、やはり使わなければ財布に溜まる。  ところが日本国民の全てが、そのような生活スタイルを選択したら企業の倒産は多発。そして、さらなる不安によって蓄財というか生活防衛に走る悪循環。つい5-6年前まで長い不況に苦しんだ日本。政府が八方手を尽くして、この連鎖を解こうとしました。

その一つが、労働者派遣制度の拡大。
その効果は役割を果たし、役目を終えたと思う。

最悪から脱するために安価な労働者を容認したけれど、
日本国民のほとんどが安価な労働者になれば、国内での金の巡りは悪くなる。

ところがグローバリゼーション。大企業は世界で儲ければ会計上助かるので足元の日本国民の生活レベルを上げようとは、ほとんど思ってもいない。

よって、日本の今後の経済は弱含みに移行すると思います。

まず物価高に対処できない国民の行動は内向的になり、消費の減退。
年金生活者も、天井知らずの物価高を不安に思い内向的。
正社員も、程度こそ小さいですが、以前よりは支出しない。
経営者は従前以上の強気な消費生活だと思われます。

問題は、それで良いと思う考えが主流。

近々に到来する国内不況は、産業界をリードする大企業群にとって以前ほど恐怖ではない。

//晴天の万国旗// NHK第二放送。40分のラジオドラマを放送していました。目頭が熱くなる。  

僕は、実は、とても冷徹なところがあって、ある意味、「情」を暖めるところもなく育った側面があります。  それは犬猫を虐待するとか、老人に席を譲らないとか、そういう次元ではありません。それに関して言えば対極の立場を今でも鮮明に守っています。  冷徹というのは、人としての付き合いに「情」まで発展させない一定のライン。    

詳しく書けば、長くなり半生記になりそうです。
こういう冷たさは読書にもあり、まず小説は読まない。
あんな絵空事なんて実生活に関係ないと。

ただ、数値には換算できなくとも、知識量に表れなくても、目頭の熱くなる人間的な物語を、僕は漁るほど読まなければ、心の植林も難しいのだと思っている。

le 2 mercredi
//激奨!!完璧なる名古屋弁動画//


le 1er mardi         
Nouvel An
//思いを巡らす全ての人に、、// 
     新年のご挨拶とご多幸をお祈り申し上げます。 


この「思いを巡らす全ての人に・・」という一節は何年か前、苦労して見つけ出したもの。   その時、忘れようとしても思い出す嫌な人がいました。平素から祈りの時間を設けているのに、それを相殺するかのような地底からの声。   なんとか忘却できないものかと思案して見つけ出したのが、この一節。     愛するべき者と同列に、僕の脳裏に浮かぶ人、全てに分け隔てのない祈りの文言。

さて、2007年をまとめてみました。

【@=B A=C】は画像は同じですが、BGMが違います。
【D E】は、おまけ。別な画像。

【B C D】は、既に10年以上も前に放送を終了したFM東京のお昼の看板番組、細川俊之の【ワールド・オブ・エレガンス】からエレガンスなCMを。
実は、これはマニアの間では喉から手が出るほど欲しいお宝音源なのです。
CMやナレーションの伝えんとしているメッセージは、時が経ても未だに新鮮に語りかけてくれる秀逸な作品。

        @   A     B   C     D   E 



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