令和7年1月janvier.2025 le 31 vendredi 金曜日 //意識してから//毎晩、活動量の多い夢を見ていることに気が付きます。これですっかり眠気が取れているのですから、本当に不思議です。前にも言いましたが、日中の記憶の整理ではなさそうです。それは内容の全てが日中の経験とはかけ離れたものだからです。毎晩、奇想天外な内容を夢見ている。きっと何かしらの意味があってのことでしょう。人間の活動で、無意味を続ける意味が無いからです。 それにしても陶芸が大好き。この湧き上がる創作意欲は、私の頭で産み出される範囲を遥かに超えている。私の魂を構成する陶芸家の思いが、考えることなく素晴しい意匠を私に与えてくれる。だから私は毎回、考えることなく制作できるのだと思う。言うならば直感の繰り返し。 この仕組みを他者に証明はできませんが、陶芸を始めてからすぐに思いまして、以来一貫して私と共に歩んでいます。この感覚はとてもと貴いもので、一人でする陶芸を遥かに陵駕する結果を齎してくれる。普通ならショートするであろう思考回路が、私は受け取るだけなので活動を続けられるのです。 東京をはじめ首都圏に人口が吸われているようです。人が集まればこそ成り立つ分野もあると思いますが、大東京圏の偉大さは人口の過密が裏付けるのであって、人一人の能力で言うと、劣化するために吸い込まれているように思えてしまう。圧倒的な集団作品のために吸われるのだろうが、分母が多いから凄味があるのであって、人海戦術というか人間の能力で言うと劣化集合の輝きに思えてします。 どちらが正しとか言うことはできませんが、一度きりの人生、価値観の二極化はますます顕著になるのではないでしょうか?? 私には楽天的なところがあって、いずれドローンが自宅まで適切に配送してくれる未来が来るでしょう。それと車椅子とまでは言いませんが歩行能力が劣化する老人用に安全な一人用移動運搬車両も出来るでしょう。色々考えると、大都市で立体的に住むより、地方で平面を確保して住む方が文明の利器を使える環境になると思うのです。 昔は不治の病と恐れられたHIV/AIDS これも、ある一時期、節制して警戒感を持っていれば、不治の時期を脱し、進歩した医療の波に乗れる。要点は、後日来る救いの波が来ても手遅れでないこと。これは、あのコロナ騒動でもいえる構図だと思います。警戒するべき時期というものはあって、これを疎かにすると、後日の進歩から漏れ出る存在になってしまう。話しを元に戻すと、今は健康に留意し足腰が衰えることの無いよう、その辺りの警戒は緩めない。この緊張感を保持していれば、後日の進歩が快適な生活を提供してくれると思うのです。 le 30 jeudi 木曜日 //歩けません//日中、新工房の周りを散策。北風の強い日でしたが、一時、余りに風圧が強くて前に進めませんでした。風は強いと聞きましたが、こうやって経験を重ねて、第二の故郷を作り上げていくのでしょう。 忙しいことには変わりありませんが、今は鎖国状態の私の外交。これは陶芸に専念したい気持ちの表れなのですが、最近、別なる感覚を覚えます。それは今後、私の作品を通して爆発的に広がる外の世界に対応するべく、その余裕の確保ではなかろうかと思ってしまうのです。 le 29 mercredi 水曜日 //文章を綴るという休息//その日の作業を終えて、ほっとする時、それは休息の時間でありますが、どうやら私にとって文章を書くことが、それに当たる感覚がするのです。制作と書くことは脳細胞の使う領域が違うので、理にかなっていると思う。 新工房の作業台は、三段ベッドを利用した中段。立派な机になっています。この高さが絶妙で、普通の椅子では低すぎる。よって、車の屋根を洗う時に使う横長の脚立みたいなのを椅子に見立てて使用。使い勝手は問題ありません。これが一方でありまして、反対側には椅子に当たる物は置いていません。立ちながら、読み書きや作業するのに丁度良く、我ながら使い勝手の良いものを創ったと感心しています。 le 28 mardi 火曜日 //切り替え上手//今年から新工房を行き来する生活ですが、例えばもっとも不経済な行動は、出発前日は移動の準備で仕事せず、着いた当日も荷解きを理由に仕事せず。勿論、戻るにしても同じことが発生するなら、全く移動の意味が無くなります。出発前日はテキパキと準備して1時間もかけない。よってたっぷり仕事。移動当日の、移動時間は気晴らしの時間でもあります。これを余暇と思いましょう。着いたら、荷解きは30分以内にする。そして半日は制作に充てる。 二拠点制作になると、例えば名古屋を4日、新工房を3日とします。こうなると、どちらの時間も愛おしくなり、この限られた枠内で休日を挟みこむことは物理的に無理だと判明します。よって、移動最中が唯一の気晴らしに。道の駅に寄ったりすれば、唯一の行楽。 //果たして我々は同じものを見ているのだろうか??//顕微鏡も望遠鏡も昔のラジオもダイヤルを回して焦点を合わせると見えたり聞こえたりする。ピントが合わないとボンヤリするのでしょうが、そのボンヤリをハッキリ見てしまう眼球の筋肉が優れた人、つまりピントの合う領域の広い人が居るような気がするのです。同じ世界に居ても、アレもコレも楽しく、野に咲く小さな花にも愛でる心のある人はいます。感受性の豊かな人は、狭い人に比べ、実は多くのものがハッキリと見えているのかもしれません。言い換えるなら、いつも難しい顔をする人の見ている空間は、あまり情報量が無いのではないかと思うのです。素晴しい青空の元、散歩するだけで心弾む人は、口がへの字の人には感じない、ある種の情報を確実に受けっとっていると思うのだ。それが幸運というものではなかろうか??つまり、幸運の糸口は、ある人にとっては毎日無数に存在し、無い人にとっては明日も全く気が付かない。 時代はデジタルになり過ぎてしまいましたが、ラジオのチューナーを回すとある幅においてラジオ放送が聞こえます。デジタルだと一点に焦点が行き、その両隣に思いを馳せる感覚はないのでしょうが、実際はある一点だけでなく幅を持って受信することができる。感受性の豊かな人、第六感の働く人、言い当てることの出来る人は、幅の領域で未来を見ている。直感で動く人は、その幅が広く、幅に片足を入れたら、それは真実と確信する。 こう考えると、詰まるところは、その人の度量、心の器の広さなのだろう。成功者の多くが器が広いと思うのですが、それは決断や判断、行動が確実に人より早いからだと思う。あれこれ言いながらちっとも決断しない人は、実際に見ている(受信する)世界が遅いので情報もなく決められないのだと思う。誰よりも真剣に考えている!!と言っても、器の狭い人には、それは「たかが知れている」程度だと思う。現実を知るに入る情報が遅すぎるからだ。 le 27 lundi 月曜日 //月曜日//曜日の感覚が全くありません。本日は月曜日なのですが、その感覚が無い。陶芸が好き過ぎて、私の生活から休日が無くなったのです。なので、制作するのか出店するのか、、毎日はどちらかに所属するだけ。こう考えると、休日とは好きでもないのに、その仕事に駆り出される人への、お詫びなのでしょうか。 わたくしにとって陶芸は夢中が継続する、素晴しい環境なので、全く問題は無いのですが、中途半端な興味とか嫌々する陶芸であったら、この休日の無い環境は耐えられないと思う。誰かを雇うわけでもなく、一日の限界は24時間。25時間あればと思っても一日の限界は24時間。この限られた時間を如何に使うかは知恵と工夫に掛かっている。3歩歩くところを2歩にするのも知恵と工夫ですが、それら個別の案件ではなく、私が最も心することは、陶芸への情熱を常に盛んに燃やし続けることだと思う。夢中だからこそ疲れない、不平不満もない、勇気がみなぎり以前は無かった突破力を身に付けることも出来る。 陶芸で魂を謳歌する!!とは去年、宣言したことですが、こういう情熱に巡り会えたことは、圧倒的に感謝するべき出会いであると思う。人生を賭けても良い情熱の対象があるなんて幸せ過ぎるし、条件的にも有利だし、恵まれすぎていると思う。感謝するべきことに満たされています。 le 26 dimanche 日曜日 //講演会に行く//本日は常滑で講演会がありまして久しぶりに知多半島へ。この方は黎明期から存在を知っていまして、そのどんどん世界に進み行く姿と流暢な英語に、すっかりファンになっていたのです。名古屋に居るのも今の内だろうと思いまして参加した次第。 私も4年前までは、変わらないことを最も願うこととして、現状がひたすら続くことを祈っていました。昨日の日記に詳細を書きましたが、それ以降は、もう二度と変化を拒む生き方はしないと、何かするなら変化量の多い選択を心掛けています。本日の講演者は、私と同じ心境の変わり目が大学入学時であったそうです。そう思うと、私はどれだけ怯えながら生きていたのだろうと思います。もう、呆れるくらい根拠の無い恐怖を形作っていました。 彼は言いました。「チャレンジしたことは必ず未来で繋がる」と。たとえ失敗したという経験であったとしても未来で意味ある繋がりがあると。だから「ワクワクしたら、GO」だそうです。 私は幸せだと思います。こういう講演を聴いて、それを実践できるのですから。頑固頭の上司がなにもかも制約する世界ではないのだから、もっと自分の直感を信じて、果敢に挑戦していこうと思います。 なんだか、今年も全く時間が足りなくなりそうです。これを解決する手段として、とにかく夢中で事に当たるとしていますが、それでも時間が足りないので更にもう一つ。 【直感を信じて行動する】 行動に至るまでの彼是の思案は、その時間もないし臆病風を呼ぶだけなので、そういう作戦会議は致しません。失敗も糧になるのなら、即行動して経験値を上げていきます。そのために最も心することは直観力を高めること。小田原評定はしない替わりに、直観力を高める精神修養を日々行うとします。 一日は24時間で一年は365日。50で挑戦する新しい世界。時間は全く足りないのだから、夢中と直感を味方にして、濃厚な24時間365日になるように致します。 le 25 samedi 土曜日 //もっともっと美しいものを//窯出し。蓋を開けて中を見ると素晴しい焼き上がり。踊りだしたくなるような焼き上がりが全ての棚にあって、これはもはや私しか表現できない美的世界であると身震いするような窯出し。そんな神様からの賜物を受けるような瞬間が、私の世界の、ほんの少し違うところに待機しているような気がします。私は確実に近づいていることだけは分るのだ。 嫌だから転職する人は多いと思う。ですが嫌なことは姿形を変えて近づいてくる。今言えることは、自分の情熱に素直に従って行動すると、好きと夢中で満たされて嫌なことの、その存在の余地がなくなる。長い人生で、時に激しい違和感を感じるのは、それは正解だと思うけど、行動の基準を夢中にしないと違和感は付いて回ると思うのです。 もっともっと美しいものを生み出し、それで人生を拓きたい。 でも不思議なのは、窯元の息子でもないし陶工の姿を見て育ったわけでもない。まして美大や藝大とは無縁で、38歳のころ、たまたま一人利用した陶磁資料館・陶芸館での4時間が全てでありました。2011年2月の終わり頃の日記に、この日の衝撃は綴られているのですが、この脳天を劈くような雷に打たれたかのような異常な脳波は、以来衰えることなく今に至る。 それから10年間は週末のみの趣味でしたが、途中から自宅に作業場も設置。趣味の域を超えるかのような、例えるなら、いよいよ芽を出すころの種子みたいなものでした。 この10年の間に、大きな出来事が二つあり、今から思えば、あれは人生行路を変えよとの、遅々として決断しない私への催促であったような気がする。最初の出来事がそれに当たるのですが、それは肺癌嫌疑騒動。あの頃、仮に余命数か月とか言われたら、陶芸に専念してその時を迎える覚悟がありましたが、嫌疑は嫌疑のまま終わり、ふたたび決断しない自分に戻りました。勇気が無かったのです。そして母方の祖母が他界する二つ目の出来事がおとずれる。この衝撃はすさまじく、家族・親族の枠組みが変わらないのなら、いつまでも安穏と過ごせると思っていたのに、その枠組みが崩壊した瞬間でもあったのです。 時はコロナ禍で社会は数次に亘る非常事態宣言。祖母の百箇日法要を過ぎた頃、私の奥にいる私が口を開くかのように、この時初めて母上に陶芸で人生の道を変えると宣言しました。 語りはしないものの、聞く者の不安は大きかったと思いますが、そんなことに怯える私でもなく心が座ったというか決断したのです。そして陶芸で生きていくために二年間専門的に学び、この間、新工房の整備も並行して進めると同じく宣言。コロナの非常事態にこの決断は正気の沙汰ではないように思われたでしょうが、この閉塞感漂う時代を準備期間として利用しないと後日、私は激しく後悔すると、強く未来を予知するかのように確信したのです。 そして48歳のころ、25年間勤めていた会社を退職。50歳に瀬戸時代を終え、只今52歳で今年53歳。 今、漠然とではありますが違う思いを感じています。陶芸への情熱は一貫していますが、今までには無い落ち着きというか懐の広さというか、キャッキャ騒いでいた少女が大人の女性になるというのか、なにかもう一段上の騒がしくない情熱、成熟した夢中を感じるのです。何が理由でこうなったのかは定かではありませんが、近々、見える世界も変わっていくのだろうと未来を確信しています。 この決断をして良かったと思います。特に父親の老化が顕著で、いずれ老化の波は親しき近親者に及ぶのは必至。柔軟に対応できるのも、この生き方を選んだからだと思います。と、申しますのは、親の介護を誰がすると兄と問答することになれば、独り身であるし、より収入の低い者の方が損失も低いと言われようものなら反論できないし、それと同時に亀裂も生じるでしょう。それで会社を休みがちになったり、休むにも限度を超えるようになって、結局、退職を選ぶようなら、今と変わらぬ姿であったとしても、私の心は何なの恨みと共存する質の低い日常であったと思う。 全く、神様御先祖様に導かれたかのような最善の選択をしたと、深く感謝するばかりです。 le 24 vendredi 金曜日 //新しい油揚げ//工房の火鉢に網を掛け、細かく切った油揚げを焼く。それを肉に見立てて焼き肉のタレで食べると、菜食主義者の焼肉みたいで、なかなかに美味しい。火力は火鉢のみでの工房飯に拘ってします。お湯を沸かしてカップラーメンが一番知恵もなく健康にも悪いので、この安楽への道は最初から禁忌とし、それ以外で知恵を絞る。結論から言えば餅を焼くのが一番健康的。これも焼き肉のタレで食べると美味ですが、タレの添加物は見て見ぬ振りしてます。。。あと野菜は海藻になってしまいますが、三重県のスーパーで今が旬のワカメを食べています。あれは食べ過ぎるとヨウ素の取り過ぎで甲状腺に害悪があるのですが、旬ですから美味しいのです。。。 le 23 jeudi 木曜日 //アフリカの可哀そうな子供//今から40-45年前の記憶で語るならば、アフリカを襲う飢饉で、飢えのあまりお腹だけ飛び出した子供の写真を何度も見た覚えがあります。特にエチオピアは毎年飢饉に襲われている。 あれから人類は50億人ほど増えたと思うのですが、あのようなお腹の出た子供の写真は久しい以前から見た覚えがありません。 人口は二倍以上三倍に迫る増加で、かつ飢えも解消されている。この奇跡のような技を人類は成し遂げたわけでありますが、副産物としては地球の温暖化が、この奇跡を証明する裏の答えでもあるのでしょう。 人類はある側面で奇跡のように進歩しているものの、地球の調和は大きく崩れている。表面だけでなく裏面にも奇跡を起こすなら、温暖化ガスを何とかして還元し、死なない夏に戻して欲しい。 そうそう昨日は新工房で100%まで充電できたので奈良県御杖村の道の駅まで炭を買いに行きました。4000円になってビックリなのですが、それでも一番安い価格ではあると思う。あと豊田に気になる炭屋さんがあるので一度買いに行きたいのだ。そして本日は徒歩で近隣を散歩。田舎と都会の隣接地域で、鄙びた情緒を味わうには無理ある一帯ではありますが、この土地にまた新しい日々が展開していくのだろうと、人生の不思議を想いながら歩きました。 le 22 mercredi 水曜日 //出来ました!!//新工房でも名古屋同様充電環境が整いました。非力なEVにとっては新工房でも自宅充電が出来るようになるのは、大助かり。今までは名古屋に戻るための充電を何処かでしなくてはならず、結構な手間でしたが、帰路無充電で着きそうです。 今年から新しい生産体制に移行していますが、新工房の機動性にブレーキの掛かる事象が散見される。着いたら着いたで調子良く制作とはいかない。あれが足りない、これが足りないと名古屋に忘れた彼是が顔を出すのです。これが複数拠点の弊害ではあると思いますが、弊害ということは利点もあるわけで、これを最大化させ問題を極小化させていきます。 //不況になったら//死ぬまでに大恐慌は来ると想定しています。しかし2-3年忍従すればまた回復することも確信しているので、対策を考えるなら2-3年の対策。この答えを、本日閃いたのです。まず、これの予行演習ですが、それはコロナ禍の日々。私はこの閉塞感は一時的なものだから、陶芸の勉強に当てるべき絶好の期間と認識していました。つまり災難が到来して本業がままならない時期は仕込みに徹する。 この仕込みですが、もう一度勉強する意味が無いので、何をするかと言えば原土から粘土を精製。この製土作業に徹しようかと閃いたのです。不況の街角に立って糊口をしのぐ姿は時間の無駄だと思うので、これ幸いと言わんばかりに原土から粘土を精製し、回復の時代に備えようかと。そのためには粘土の見込みがある土地を確保しなければ。これが私の安全装置。 le 21 mardi 火曜日 //信州お野菜特別便//いつもありがとうございます。いつもする頂く時の短い会話ですが、近々の出来事や近況などを話します。私のあまり変わらない報告が続きましたが、ようやく新工房での制作を語り始めることが出来ました。変化を添えることが出来るのは、新しい喜びです!! 名古屋工房と新工房の二拠点体制ですが、このような生活に早く慣れたいものですが、慣れて安住することはなく、ここを新たな拠点として果敢に世界を広げていこうと思います。 le 20 lundi 月曜日 //手まわし轆轤の生産性//これはこれで秀でています。電動はフラットプレートに威力を発揮しそう。昨日今日と2.5号-3号サイズの植木鉢を作っています。二日で30個。30個しか挽かないと、その程度と思われそうですが、手回しの場合は、その都度完成させるので、30個仕上げました。あと、デザインはその時の感覚なので全て違います。同じものを作る意思がなく、別々に作るからこそ楽しくて、これからも、このスタイルだけは変わらないと思います。 蛹を突き破る蝶。この枠の中に居て、もぞもぞとし、行くべき場所はこの枠の外にあると、蛹を破る期日をモゾモと日々待っている。この感覚が何年も前からあって、まだ蛹に中なのですが、気力は外に外に出ようとしています。春に芽吹く種子の感覚にも似ているのでしょう。今は、ここに存在するけれど、ここは仮に過ごす所だと。 //投資//貯金以外の運用をしない私ですが、前職を辞めて、その貯蓄も一部切り崩す。普段の生活から、する事、成すことの9割以上が陶芸関連で、仕事も陶芸に決めたとたん、切り崩した貯金は自己投資という性格に変わりました。粘土買うのも投資と言えば投資。その粘土が購入価格以上に化けるなら、立派な投資になります。電気窯も工房建屋も諸々の備品も、これから富を生み出してくれるなら、投資。 お金って不思議です。特に貯蓄したお金ですが、これはパワーを蓄えて、指定した時に放出するようなものであると。使ってしまえば消えてなくなるお金ですが、貯蓄してそれを後日、使うと決断すると大いに私を後押ししてくれる。お金にはパワーがあるのだ!!! では、それを何時行使するかというと、老後に備えてと考える人が圧倒的に多いのでしょう。私も、その考えに賛同していましたが、この選択をしてから、それは【今だ!!】と認識を変更しました。 この自己投資が大いに運用されるには、私の作品の良し悪しにかかってくる。圧倒的に美しく他に無いものを提供できてこそ、切り崩した貯金にも光が当たるのだろう。いくら設備を整えたにせよ、そこから産み出される作品が見向きもされないものであるならば、自己投資は失敗ということになります。このように考えると、最優先は粘土から如何にして美しき作品を提供するのか!?これより大切なことはないと思うのです。 美術館に行くにも砂鉄を採りに行くのも、美しい作品を世に生み出すためでなくてはならない。 le 19 dimanche 日曜日 //夢の構造//今朝方も内容量の多い夢を見ました。内容としては以前見た夢ではありますが、ここ2年以内に見たことのある、内容の世界へ。ただし、特質すべきは、重なった画用紙みたいにそれぞれに夢が上映されていて、その中の一枚に入り込むという目次のような内容も見てしまいました。 夢の中で私は、おそらく世界は同時多重に存在し続け、そのどれかに入った途端、私の見る世界に魂が吹き込まれるのだろうと。 //一か月ぶり//名古屋作業場にて、ほぼ一か月ぶりに作陶をしました。これからは名古屋で仕上げるのは素焼まで。素焼き以降の工程は新工房に移ります。迷うなら変化の大きい方を選ぶ!とは昨年の大晦日に書きましたが、新しい分野の制作を始めたところです。 制作の条件が良くなるなら、比例する以上に、もっともっと美しいものをこの世に生み出したい。50歳から始めた第二の人生。作品を、この世に広めれるのも20代の若者に比べたら圧倒的に短い。この短い提供期間に、如何に美しい作品を広くお届けできるか。こう考えると、全く時間が足りない。ますます時間が尊いものになってきます。 他を探しても見当たらない、高貴な作品を、更に美しいものに仕上げて、この世に誕生させるのだ。 le 18 samedi 土曜日 //楽しい砂鉄採り//仕事の一環ではありますが私にとっては余暇の様なもの。目の前は遠州灘。寄せては引く波を見ながら、5個の磁石をワンちゃんのように紐でつないで砂浜をお散歩。5時間超。大量に採取出来ました。 海岸に立つと伊良湖岬の先まで砂浜が続きます。そして伊勢湾の向こう志摩の山地が見えるのですが、地図を思い浮かべて考えると面白い。日本列島で70kmの直線を引くと、かなりの遠方になります。考えてみてください。その端に私が居て、線の向こうを見ているなんて想像もつきませんが、海岸線に立つと、この不思議を実践しているのです。 //ありがとう10万キロ//本日、車の走行距離が10万キロを突破しました。この車を買った時、どういう基準で計算したのか忘れましたが、8万キロ以上乗ると、乗った分だけお得になるとはじき出したことがあります。これからはお得を蓄えなくては!! le 17 vendredi 金曜日 //仕事なのか余暇なのか//本日は多治見と瑞浪の陶磁の美術館巡り。腕を休める必要がある場合や天気を見て作陶を延期する時など、替わる過ごし方で最も多いのは陶磁関連の美術館巡り。陶芸が大好きなので精神的には娯楽なのですが、見聞を広める意味で言うと仕事の延長線。よって純粋な年間休日が10日も無いのであります。 //加藤幸造//多治見では瀬戸黒の人間国宝であった加藤幸造さんの展示を見ました。深い感銘を受けましたので、もう一度、時間をかけて見ることとします。加藤幸造さんの端正な瀬戸黒はとても好きなのですが、この展示を見て判明したのは、私の知っている知識はそれのみであったということ。 陶芸を始める前の油絵や、瀬戸黒に至るまでのあらゆる焼き方、老齢に入ってからの水墨画。この人の作家人生を知る展示なのですが、好奇心に素直だと、こんなにも彩り豊かな一生を送れるのだと、多彩な展示に感銘を受けました。 瀬戸黒の人間国宝ではありますが、これは作家の一側面であって、この人は折々の感心事に純真に夢中に取り組み技量を高める。そして興味が移れば、また新しい境地に没頭して技量を高める。素敵だと思います。好きな事、関心のあることに素直に没頭する。素直で夢中だから、そのどれもが技術的に素晴らしい領域。 好きで始めた陶芸家は多いけれど、何かに束縛して領域を一つに絞って作家人生を終える人も多いと思います。ですが、加藤幸造さんのように、その人を現す展示を企画したら百貨店のような多様で彩も豊かな展示が可能になるなんて、この人は、魂の全ての領域を解放したのだと思う。 le 16 jeudi 木曜日 //思わぬ効果//手回しと電動ろくろでは向かう姿勢が違います。手回しは、机で軽作業する普段の姿勢ですが、電動ろくろは、前かがみ。これがですね思わぬ効果。下痢ではないのに、快便の連続。お腹が痛くもないのに、何度も便通。なんだか名古屋人を洗い流して三重県人になるような通過儀礼のように思ってしまいました。 と、言いつつ名古屋に戻ってきましたが、こちらでもお通じが。 le 15 mercredi 水曜日 //電動ろくろ//昨日から新工房入り。昨日から本日の朝まで、途中睡眠として5時間ほど中座しましたが、粘土づくりに専念。それから始めて電動ろくろで制作。今の今まで、瀬戸時代の例外を含めれば、手回し轆轤で制作の日々でした、とうとう機械化を受け入れました。まあ名古屋工房は、そのままなのですが、こちらは手回しの利点を最大限に発揮する作品作りとしたいです。 それから工房用の火鉢を購入しました。餅を焼き、工房飯とするのは一つの憧れであったので、ようやく夢が具現化しました。 余りに疲れたので20時に就寝。 le 14 mardi 火曜日 //お日様は偉大//お日様があるから粘土は乾くし、陽だまりは暖かいし、植物は成長して実をつける。人の心に希望をもたらすのもお日様の輝きであって、万物を視認したり色彩を覚えるのもお日様。 基本的には照射量は変わらないものとして、こうも大きく気温が上昇するには、大気の組成が昔と違うのでしょう。これを調和させるために諸々の努力がある一方、全く無視して大いに二酸化炭素を出す、それが豊かさの裏付けと考える向きは、今も隠然たる力を保持している。もはや人間の善意に基づいて環境を改善する時間的猶予はないと考えるなら、人間の欲の結果、二酸化炭素が緑化によって吸収され、それでもって富を実感できる仕組みの方が、取り組む優先順位としては圧倒的に上位だと思う。 トランプさんが、緑化して大儲けする構図を確立したら、サハラ砂漠は米国の安全保障上、米国の領土とするのが正しいと言い始めるかもしれませんね。でも、地球の危機的状況を考えるなら、人為的な国境線よりも砂漠の緑化は、絶対上位であるはずなので、緑化できるなら、緑化帝国主義は支持できるかも。 le 13 lundi 月曜日 //新種の忙しさ//制作の場所が一か所だと、疲れ果てて寝たにせよ続きは足元にあって心配することもない。ところが今年の私ときたら、未練ある移動とか頻発するかもしれません。去年同様忙しいことには変わりありませんが、内容はかなり変わります。道具バスケットを作りました。道具箱では収まらないので、スーパーの買い物かごみたいなものを調達しまして、不足することの無いようにあれこれ詰め込むのですが、これも回数を重ねれば、道具の区分けも出来るでしょうし、一般の道具箱で事足りるかもしれません。 それから旅行は年に一回です。現状は前職の収入を下回る選択をしているので、その辺りは自分を厳しく律します。旅に出たければ、出店場所を遠方にして、その道中を楽しむとします。実際そういう作家さんは、とても多いのです。 去年知り合った浜松の作家さんは、まさに上記の、出店して旅を楽しむスタイルで、どこどこの温泉を巡り乍ら行くとか楽しそうに話してくれます。幸い、交通社の経験で、その温泉の話についていくことが出来まして、私も、航続距離の長い車を買えるようにしなくては!!と、そういう意味でも、もっと楽しく制作に邁進しましょう。 その浜松の作家さんは、去年の恵那市で知り合い意気投合。ですが、普段連絡のやり取りもなく、例えば、後日、駒ヶ根で浜名湖で出店した時、その方も同じ行動パターンであり、そういう時に楽しく再会する。この接点は私の理想とするところです。平素は、それぞれに頑張り、その線が交差する時、再会を喜ぶ。 le 12 dimanche 日曜日 //名古屋⇔新工房//地図の上では一般道が最短であります。一方、高速を使うとまっすぐ南下するだけの所を大阪の引力に引っ張られ「く」の字で南下。高速の利点は四日市の渋滞を回避できる点にありますが、四日市通過の時間を通勤ラッシュに重ならないようにすれば問題は回避されまして、一般道に軍配。今年は毎週のように新工房往復が始まります。あちらでも充電できるよう専用のコンセントを設置すれば、途中充電もなく、さらに時間短縮で行き来出来ます。 //不思議な夢を見た//古代中国の寶のようなものが、ポツンと鮮明にずっど夢見てる。四角い立方体で角は丸みを帯び玉で出来た、瑪瑙の風合で上下構造。冗談の底はエメラルドのような輝き。夢の中で、これを作るんだ!!!と、これはどうやって再現するのかと思案。風合は瑪瑙なのですが、曜変天目茶碗とかには瑪瑙を投入しますが、あれはフッ酸が出て危険極まりないので、瑪瑙に似た風合いだけど瑪瑙は用いず再現するのか!?とか。 激しく内容や光景の変わる夢も見ますが、今回は、小さな宝物が一個あるのみ。 瑪瑙のような釉薬を作るべき。 le 11 samedi 土曜日 //明るく元気よく//頑張る人の応援歌♪ 新工房の窯、初稼動!!と申しましても、事前に空焚きを何回かする必要があって、その第一回目。 日本の新しい曲など全然聞きません。そもそも接する機会が無いので、良いな!と思うことさえ無いのですが、この曲は例外です。瀬戸を卒業して、始めての知らない土地での出店。浜松の遠鉄百貨店の下の広場なのですが、ここに店を出すと、日に何度も大型モニターからこの曲のサビの部分が流れるのです。私がフランスの70-80年代の曲が好きなのも、昔、南信州をドライブした時のお供であったからです。何かしら、心の風景に溶け込む音楽に出会うと、生涯、聞き続けてあの頃を懐かしむでしょう。 //去ることを厭わない//人生は螺旋階段のようなもので、志を持ち続けていれば、凸凹はあっても確実に進歩・進化・成長・発展・拡大していくものだと信じています。理由は簡単で生物は環境の変化に進化という対応でもって生き延びてきたのだから、強い意志さえあれば変わるのは当然なのでしょう。(※大前提として、生物の進化には現状を乗り越えたいという遺伝子さえ組み替える程の強い信念は必要) 人の一生が螺旋階段であるなら、そういう人生を選んだとしたら、登り続けることであって、意志という歩幅で、以前、横にいた人の姿も小さくなったりする。嫌とか喧嘩別れとかでは無くて、進歩とはそういうものなのでしょう。 浜松の出店で私は多くを学びました。あの街かどに立っていることで世情にも接しました。でも、記念碑的な場所で思い出もあるのですが、「この場所とはこのへんで」と次に進まなければならないと、好きだけどお別れが私の進む道と去ることを選びました。 le 10 vendredi 金曜日 //神話の構造//現在メダカちゃんは冬眠中。春に全員元気に泳ぐかしら??さて、現在一か所に20匹ほどいるメダカちゃん。特別に大きい雄の一匹がいまして、彼を始祖1号としましょう。 1号には奥様がいまして、子供も沢山もうけました。この間、1号は奥様以外の4匹くらいをイジメまして死に追いやる。とうとう1号と奥様の世界。卵や稚魚は見つけ次第、別に移送。 その奥様が死んで、とうとう一匹に。夏なのに放心状態で冬眠するかのような姿になりました。 1号に新しい仲間を4匹放流。この内の一匹を後妻に迎える。新しい卵も生みましたが別に移送。 1号と後妻さんと3匹の世界が続く。1号も反省したのか、他をイジメることも無くなりました。 この秋、別に移送した卵や稚魚が1cm位に成長したので、親元に返す。前妻と後妻の子供たちで構成。⇒現在に至る。 さて春以降、また卵をたくさん産んだら、これを別にしまして子供の国とします。ここで神話が生まれます。増えすぎたメダカちゃんを一部新工房へ移送すると、子供たちだけなら神話は産まれないけれど、越冬したメダカも含ませたなら、三重県に行っても、「昔、名古屋の火鉢を利用した水槽ではと、、、」 三重県には無い世界の口伝が始まる。 この三重県には無い世界観の部分が【神話】 この構図で日本神話を見て見ると、それは九州は高千穂周辺での生活であり、また大和に移る移行の物語、そんな気がします。神話の確証は奈良盆地にはないけれど九州には繋がりを発見できるかと思うのです。当然、高千穂時代にも神話はあるのでしょうが、それは高千穂に至るまでの世界。大和では神話でもって九州の記憶を保持しましたが、神話の前の神話は構造的に難しいのでしょう。 //勝手過ぎるから行けない//インスタとかで素敵なお店を発見する。魅力的な食べ放題のお店とか色々あります。さすがに誰かを誘わないと行けそうもないお店が特に魅力的なのですが、そこでいつも立ち止まる。常々、一人が好きで孤独道を説いていますが、店に行きたいがため誰かを誘うのは、甚だしく相手方を侮辱する行為に思えてしまうのです。この構図は、された相手も不愉快千番だと思うので、どれだけ美味しそうなお店を発見したとしても一人で行くか諦めるかの二択になってしまいます。 //講演会に申し込む//こんな私ですが、どうしても会いたい人が講演会をするとのことで申し込みを。地方紙は、地元の一般市民の活動や声が紙上に載る。snsは、世界版の地方紙で、個人の活動が表に出てくる。その人を知ったのは2年ほど前ですが、以来、感心しながら発信を読んでいます。 本日は数年ぶりに見るような雪の朝。 le 9 jeudi 木曜日 //本日は//午前中にタカシマヤ美術画廊へ。外出の案件はこれ一つでしたが24時間券を購入したので、街の雰囲気を歩いて確かめ、古書展も何軒か除く。 名古屋駅から伏見までは歩きました。丁度、昼休みの時間で前職の人に会うかもと思いましたが、誰一人すれ違うこともなく。前回もそうですが、この辺りを歩くと不思議な感覚になります。時空が歪むというか、この選択をしていなかったら、またいつもと同じように、この辺りでお昼ご飯を食べ、そのあと、あの店でコーヒーを。それは今も続く昼の姿であったかもしれない。もし、違うなら配置転換しかないのだが、そう思うと、あれは果たして私の人生だったのかと思う。変わらなければ今も同じ。変わるとしても自分の意思ではない。 //芸の世界から教えてもらったこと//もう何年もこちらの世界との交流も途切れていますが、本日の街歩きで思ったのは、芸の世界から私が学んだ最も尊いことは横浜でのホームパーティーで、ある方との会話から。この日記に何回か書きましたが、やはりあの言葉は、以来私に圧し掛かり、それでもって今があると思うのです。 その方はヴァイオリンか何かを趣味で弾く人でありましたが一般の楽団に所属していました。それで私は聞いたのです。「どうしてこちらの楽団に所属しないの??」と。そうしたら彼は言います。「こちらの楽団に所属しても、それでは私は成長しないから」と、一般のレベルの高い楽団に所属して「もっと技量を高めたいから」と述べていました。 この短い会話は雷に打たれるくらい衝撃的で、芸が陥るある種の安楽の罠の、その存在に気づく契機となったのです。世界を壁で囲い、その中での出会いとか注目は、技量を高める意思があるなら全く時間の無駄だと。 芸になったことは、それは運命的なものでしょうが、広い世界に所属する一人の人間がたまたま芸であって、言うならばそれだけのこと。 私は陶芸で魂を謳歌すると決めたので、芸の枠は全く無用になりました。陶芸を通じて広がる世界に進むべき道があると思います。 le 8 mercredi 水曜日 //貯金//貯蓄から投資へ!と何年も前から促されています。私は株をやらないのですが、ここ数年、残高は減っています。減った理由はただ一つ。陶芸で生きることを選択して、それに費用が掛かるからです。減ってはいるものの自分への投資だと思っています。 好きで始めた陶芸なので、今でも支出の98%は陶芸関連。これが前職の頃は趣味的消費でしたが、今では全てが投資的支出。100円ショップでいろいろ買いますが、それは道具類として買うだけで、支払った以上の成果が出るなら投資としては成功。人生、基盤が変われば、以前は単なる支出だったものに投資的な側面をもたらすことができる。 釉薬の実験は面白いので、原料を買ったり道具類を調達したり。仕事なのですが、以前では趣味の範囲。今では、購入した原材料で素晴しい釉薬を産み出し、それで富が産まれるのだから、人生はなんて楽しいのでしょう。私は、もっともっと美しいものを創りたいという衝動に身を任せ、それを多くの人に知ってもらいたいと動くのが、移動の大半。支出もそうだけど行動の、時間配分の圧倒的割合が陶芸であり、それ以外に過ごすことは極めてまれである。こんなに仕事人間で、年間休日もないのに不満の一つも無いのだから、【夢中=仕事】の図式がどれだけ私を強くしてくれるのだろうと、選択一つでこうも変わってしまう不思議を思います。 le 7 mardi 火曜日 //結晶釉の更なる高みへ//私が結晶釉の世界に没頭した理由は、一体何であったのか??何かの作品を見て感化した訳でもない。まして結晶釉の師匠の下に弟子入りした訳でもない。それなのに、人生の舵を切るほどに没頭するのは、それが使命なのだと思うのだ。ただ金銀使わなくて高貴な表現をしたい、それだけの思いで、ここまできました。 結晶釉は未だ実験途上の世界であり、私が現在を担当しているのだと思う。と、申しますのは、全く釉薬に無学の私が、瀬戸の教育とは別の軸で、つまり独学で今に至るのは、先代を引継ぎ次代に手渡す繋ぎの役割を私が担っているのだろう。 つまり今後、何を作っていくかという制作の大黒柱は、結晶釉がより美しく表現される造形である。こういう柱を立てたら、何を作ろうか迷うことも無くなる。真に迫る美しきものを作り、広く遠く多くの方へお届けしたいものです。 le 6 lundi 月曜日 //久しぶりの雨//空気がしっとりしまして、雨の美しさを思います。冬は真っ青な空が一番好きですが、確実に季節が進みつつある足跡のような、雨の日も情緒的で心地良い。 年末年始は、お正月の準備とか大掃除とか、陶芸とは別で忙しかったですが、それも本日で終了。明日からは、通院の付き添いとかが加わりますが、陶芸に復帰です。それと近々、高島屋に行かなければ。嬉しいことに美術画廊に展示してもらった器が売れましたので、桐箱持参なのです。今年も、新しいことにも果敢に挑戦し、陶芸で謳歌していきましょう。 le 5 dimanche 日曜日 //仕事始めの前日//懐かしく思い返します。前日の晩飯以降は心の臨戦状態で、長い休みの間に家族会議が開かれ辞表出す人がいるのでは!?と胸騒ぎがしたものです。翌日、課員全員の顔を見た時は、仕事始めというのに一気に疲れが押し寄せるのが毎年のこと。日々の全員の安全とか、不確定な要素も多い職場だったので、祈ることは毎日の勤めでしたが、仕事始めの前の晩は、30分くらい祈ったものです。 今は納めも始めも無い環境で、休みの輪郭も定かではありません。純粋な休日は年間10日もありませんが、兎に角好きなので嫌々働く感覚もなく、仕事の定義が全く変わりました。私が働くその意味は、我が魂の思いをこの世に具現化すること。去年もそうだったし、今年も同じ。 明日は午前中は頼まれごと。午後からはホームセンターと100円ショップで、陶芸工具の区分け作業に、エントリー作業。 le 4 samedi 土曜日 //寝るということ//何故だか使っていない時計が夜中の12時にアラーム音を出す。当然起きて消しましたが、うすうす思っていたことが確信に変わりました。 すっかり熟睡していたのを起された!という図式なのですが、起こされて判明したことは、あの時間であっても、長々と夢を見ていました。先日、トイレに行くか迷っている浅い睡眠時でみる夢の事を書きましたが、いやいや、寝るということは夢を見ること。浅い睡眠時の夢は覚えている確率が高いのであって、深い睡眠時でも覚えていないだけで運動量の多い夢を見ているのだと。つまり、寝るということは夢を見ること。そして、何かしら意味があるから、夢を見るのだと思うと、その意味するところは別の世界のような気がする。そちらに意味があるから、そちらの世界を覗く。 不意に、深い睡眠から目覚めた時にも、夢を見ていたことは何回かあります。 つまり、表向きは睡眠は脳を休める行為なのでしょうが、休むからこそ、存在に気が付く領域もあるのだと思います。人間の進化で意味なきことを持続させるなんて考えられないので、夢には極めて大切な意味が含まれていると思う。 さて本日は、朝の四時に起きて砂鉄採り。これも陶芸の材料集めではありますが、冬の晴れた遠州灘で海を見がてら砂鉄を集めるのは、とても心地が良いものです。7時間ほど一人で黙々と磁石使っての砂鉄採り。本当に陶芸が好きなのだと思う。大の大人が、嬉々として飽きもせず没頭。それもあっという間に7時間が経過しました。 le 3 vendredi 金曜日 //迷うなら、変化の大きい方を//今年の出店計画を考えていましたが、同じ日付に複数ある場合、他を圧する理由が無くて、それぞれに一長一短あって判断に迷う時、以前の私なら無難な方を選びました。ですが、そういう生き方は散々してきたので、判断に迷ったら、変化の大きい方を是とすることにしました。具体的に言うと、一宮と彦根で迷ったのですが、彦根を選ぶというわけです。 //志は高く//尊敬する作家さんがいまして、将来、日本の世界の宝に成ると信じていますが、彼が無名の頃、その心の内が無名に相応な小さなものでは決してなかったと考えます。海をも山をも越える壮大な志が連綿と続いたからこそ、今があると。こう考えると、大反れたことを言うと嘲笑したり誹謗する外野は、結局、外野席の人であって、尊敬する作家さんが若き新人の篤き心を笑うことは決してないと考えます。自らの若き頃に重なると思うから決してない。 この世に何を産み出すかは、まず最初に心に起点が置かれるのであって、その心が人の目を気にしたり、臆病に震えたり、信ずる心が無ければ、その先も、この弱々しい心理が形になるだけで、所詮、その程度の物になる。勝負は既にあったというわけであって、取り組むだけ時間の無駄です。 揺ぎ無き心は、いつの日か具現化されます。いや、具現化させるということは、ある一定以上の揺るぎなき心の熱量が必要なのでしょう。考えれば当然であって、皆、心に思ったことが全て実現したなら、この世に調和も無くなり破綻してしまいます。ですから、何かを形作るのは、それに相応しい熱量があって始めて許されるのでしょう。新しきものを創造するとは、無秩序に許されるものではない。この大調和の世界が納得して、始めて発現する。つまり数多の失敗は、情熱が本物かどうかの試験であって、これを超えるものは自ずと少数になるのは、大調和を維持していくうえで必然のように思うのです。 ですが、発展したり変化するのも生命進化の常であり、篤き思いのある者に道は開かれているのも事実であって、連綿と持ち続ければ発現することでしょう。その連綿を苦もなく持ち続けることは、再三言及する【夢中】であって、簡単に言うなら飽きの来ない好きな気持ち。その【好き】に基づいて生き抜くのが魂が求める道なのかと思うのです。 le 2 jeudi 木曜日 //高貴で美しいもの//魂の観点で物事を見ると、私がこの世に生み出すものは、震えが来るほどに美しきものであって、売れそうだからとか、そういう視点は排除しなくてはならないのだろう。 独善の美であっても良い。突き破れば、独善は消え失せていくと分っていても、年中そればかり作るわけではない。その要素が伺える、小品。これとの組み合わせで美的世界を構成していきたい。 この結論に至ると、やはり高貴なものを仕上げたうえで、そのエッセンスを小品に現わすべきであり、下からの積み上げではあってはならない。 le 1er mercredi Nouvel An 水曜日 //あけましておめでとうございます//今年の3/31で前職を退いてから、4年が経過します。つまり翌日4/1からは4年と1日と月日を重ねるのですが、この間、すること成すこと初めてのことばかりで新鮮な毎日です。何度年が変わっても、1年生、慣れないことばかりです。 様々な方面が新しい環境になる。いちいち臆病になっていては全く先に進めません。生活に慣れてきたと感じるのは、まだまだ当分先のことになります。ですが、良いことも多くありまして、その筆頭が気分がとても若々しいものになるのです。今年は53歳になりますが、陶芸で身を立てる20代の若者とある種同じ環境なので、そういう人と話したりすると、同期の感覚になります。 制作には何種類かありまして、 ●売れるもの ●作品展用 ●創作的なもの この創作的なものにも幾つかあり、商品としての新しき試みもあれば美術工芸品向けのもの、それと勝手に手が動くもの。 今年も貪欲に作って参ります。迫真の制作。鬼気迫るような意気込み。 時間が足りないと叫んでしまうことは幸せなのだと思う。私が心することは、意味もない綱引きを心の中でしないこと。出社拒否ではありませんが、行かなくてはならないけど行きたくないと、布団の中で答えの出ない綱引きは絶対にしない。寝る時は寝るし、起きる時は全身に新しい命を吹き込むように布団から出ます。勇気が無くて実行に移さないとか、面倒だから明日に延ばすとか、誰も尻を叩いてくれない環境なので、その辺りは厳密に。ただ自己奮発の自動装置は、陶芸への愛であって、夢中になりさえすれば、懸念事項は自ずと解決されると考えます。 ですから、次は何しようとか、実験的な事、美しい曲線を純粋な心で思い描く日々が何にも増して大切だと思います。常に陶芸のことを考えるけれど、それは楽しくて、これを具現化させたいと願うもの。 どんどん走り、突き詰めて、【凄味】を出せるように精進して参ります。 |
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