令和5年7月juillet.2023


le 31 lundi 月曜日
//今月は?//忙しく過ごしたようであり、長い7月でもあったようだし、それでいて何もしていないような気もする。アレもコレも今月の事ですが、何一つ達成感はない。

と言ってみたものの深遠な計画があるわけでもなく、私は何事もその時の感情で動いている。行き当たりばったりともいえますが、元来保守的であり、右脳的感情人間ですが動くよりも我慢して様子を見る、これがいつも上回り、ある種の破滅型な生き方からは回避出来てはいましたが、その代償として遅々として進まない日常でもありました。

皆、何か秘めていて生きていると思うのだが、そういう秘めた思いが今の私にあるのかと言えば、特段無いし、創作の上でも同じことが言える。この辺りは変態的な心持ちで居たいのだが、左手の養生を考えることが、ともすれば私を冷静に向かわせる。

気になる人はいる。共通点がある。今知るその人の為人以外に空恐ろしく純粋な秘めた思いを抱いて、いつか具現化しようと淡々と生きているところ。彼等は、そんなことは誰にも言わない。持ち合わせていないのではなく、言う必要が無いと心でただひたすらに向き合っている。ただただ憧れであり空恐ろしいと思う。


le 30 dimanche 日曜日
//日曜の郵便局//最近、郵便制度のピークは過ぎて以前の速さで届かないのですが、緑郵便局に行き速達で御願いしたら明日の午前中には届くとのこと。助かりました。本日は出店のエントリー作業など。

日記に何度も書いていますが、クーラー付けずに生活する知恵と工夫。今年はまだ一回しか稼動させていません。汗を掻き風で気化熱が生じると、とても涼しい。

思い描くこともあるし、挑んでみたいこともあるけれど、それは全てが整ってからだと思うのです。明日や明後日ではない。では、この間、何して過ごすのかという意味合いが、実は後に控えていることよりも大切なのかもと思います。時期が来るまで怠惰でいることの自由もあるのだが、同時に懸命に過ごす自由もある。両手に全く違う自由のある生活。明日は月曜日、勤めていたら選択肢はないけれど最悪を選ぶこともない。今の私は言い訳をしながら最悪を選ぶこともできるので、本当に気を引き締めねばと思う。それと制作する時、これが創作であるように、もっと心を純粋に喜びをもって挑んでいきます。


le 29 samedi 土曜日
//夜の涼しさよ//扇風機で十分過ごせます。明日は朝一番で100円ショップ。それから緑郵便局。

ここ数日、制作のペースがダウンしている。八月もあっという間に終わるのだから、もっと作らねば。売れる見込みのある良品を山と在庫することが一人で制作販売するものの安全領域。これがあってこそ他の何かにも挑戦できるし急用にも休養にも対処できる。トヨタとは正反対ですが、在庫奨励なのです。

今晩は遅い時間に珈琲をがぶがぶ飲んだので、少し夜更かししましょう。
何かモヤモヤする。一致しないのだ。二速で進んでいるのに、神の采配は三速とか四速、ひょっとしたら5速かも知れない。そういう感じのアンバランスだと思う。現状の速度と、それをはるかに上回る情熱の堰が切れようとしている。焦りとか危機感とかそういうものは感じないのだが、情熱と制作が一致しないモヤモヤは抱え続けているのが正直なところです。

でも全てにおいて意味はあり、私が情熱に任せて日々を過ごせば早々に身体を痛めるのであろう。進むべき速さは決まっていそうなので、モヤモヤを感じつつも助走をつけて挑んでみよ!と解釈することにします。


le 28 vendredi 金曜日
//二連休//二日も連続して休むなんて!! 朝一番に美容院。それから地下鉄24時間券の本日分を消化しに街に繰り出し、帰宅してからは最近買い揃えた本を読む。

夕方からは風が強まり、夜には涼しい風となる。これは日中の反動が大きいのであろう。もはや日本の夏は熱帯と心得て、如何に自然に情緒的に過ごすのかを思案しなければならないと思う。12時から16時までは、この暑さで活動するのは生物学的に問題ありとして、午睡など木陰で休養する。夕方から22時頃まで労働し、翌日も朝早くから働く。こういう生き方をしなければと思う。

勝手に思うのですが、36度を越えたあたりから暑さのあまり空気が膨らみ、その結果、湿度が下がる、そう思うのです。その逆に朝の30度辺りの湿度は梅雨ではなかろうか??そんな感じです。
湿度の高い日本では打ち水は逆に不快感を増すだけとも言われますが、それは昔の夏で、正午前から16時にかけて、日陰ではたっぷり水を含ませると、かなり効果的な打ち水効果を得られると考えています。

そういう実験を試してみたい。工房のコンクリートの床面は、正午前からモップで水拭き。たっぷり水を含ませて、部屋の奥から手前に拭く。自然乾燥するまで立ち入らなければ足跡もつくまい。あとは窓を全開に扇風機と換気扇で風を起せば、かなり涼しくなるのかと考えています。

//夕方からの風について//これは夕立による局所的な温度の低下により気流が発生すると思います。朝からの気温上昇で入道雲が発達し、とうとう行きつく高さに到達して上空の寒気と接触。水滴が重さに耐えきれなくなり夕立。まさに夕立は日中を耐え忍んだご褒美でしょう。これを自然の摂理と心得、どの時間に働き休息するか、温帯であった頃の常識を改めるべきでしょう。


le 27 jeudi 木曜日
//非陶芸活動日//再度、矢田ギャラリーで展示即売会に行きまして一点購入。ついでの古書展巡りは、本山-鶴舞-桜山。今回はかなり良い物が買えました。リルケの『アルテの手記』は前々から買いたかったのですが、良いのが見つかりました。

夜は信州お野菜直送便の日。夏野菜のほかにも、高原のお花を抱える程に戴きました。毎度のことですが、ありがとうございます!!

暑さの質が変わりました。36度を越えてくると、それ以下で感じることの出来た、何処かに覚える涼しいの要素も全く無くなり、亜熱帯から熱帯の気候に移り変わった感覚です。


le 26 mercredi 水曜日
//涼しい//

天井をかなり高くしました。二階建ても可能なのですが、それを一階として天井を高く。この効果は覿面で、暑い日の暑い時間なのですが、中はとても涼しい。最上部に換気扇を2基設置しているので、これで熱気を排出すると空気の流れも起こりそうです。扇風機は沢山買い置きしているので、これで心配された夏も乗り切ることが出来そうです。冬は天井に溜まった熱気を拡散して暖房効率を高めたいです。ストーブ一台で過ごせるかな??

内装は、あとはコンクリートを張るだけ。左側は制作空間なので板張りはしません。適宜、横板を用いて壁の凹凸を棚にしようかと考えています。右側は窯場です。耐火ボード張りました。ここだけ天井を低くして壁に換気扇も。排熱を拡散する前に放出しようかと。冬場は逆に暖房に用います。

コンクリートを張るので、夏場は床に散水して気化熱でさらに涼しくと考えています。

ただ、これからいろいろ配置すると、狭く感じる工房なのでしょうが、そういう時は高い天井か外を見ることにします。


le 25 mardi 火曜日
//お人形の力//昼から瀬戸時代の仲間の展示に。今の時代でお人形だなんてと言われそうですがオリジナルの可愛い造形でこの世に生み出す彼女は、物凄い可能性に満ちています。私が浜松で20個売る金額とお人形一個のお値段が同じで、ポンポン売れるのだから、全くの脱帽です。お人形の時代ですね。

//静かになりました//最近の工事で大きな通りの舗装を透水性に仕上げました。アスファルトにある無数の染み込み穴が音も吸収してくれて、車の騒音が劇的に小さくなる。さて、この工事は予算の関係で西に500mより向こうでは数年前に完了。あの当時、舗装の変わり目に立っていると、その違い歴然で頼もしく思ったものです。今回の工事で透水性舗装が一体化されたのですが、その新旧の境に立ってみると、新舗装のほうが明かに消音性能が高い。結局、水の通り道も永年の埃でつまり、音を吸収しなくなりつつあるのが歴然と分かりました。


le 24 lundi 月曜日
//23:30//日中は車の一年点検と歯医者もありまして、結局、仕事終えたのが23:30。職住一体なので救われますが、通勤に1時間だと過労死ラインですよ。

最近、亜熱帯の人間になったのか、最高気温が37度を越えるくらいから暑いと感じるようになる。それ以下だと扇風機で十分。夜なんて涼しい風も吹くし、扇風機も消すくらい。そもそもクーラーを付けないと寝れないって、生物として破綻していると思うのですね。夏の停電=死 って、もはやこの地で生きているのは自然的に不自然。そういう考えもあって、なるべくクーラーは稼動いない生き方を選んでいると、不思議と耐えられるようになる。


le 23 dimanche 日曜日
//寺田虎彦全集//前々からネットで買おうと思っていたのですが、本日巡り会えたら即読めると朝一番で鶴舞まで。何の確証もないのですが入って早々に見つけました。

全く人と違う時間軸を歩んでいる。まあ、これは昔からのことですが今はただ書架に好みの蔵書が増えることを喜びとしています。いづれ落ち着いたらインスタで読書をメインのアカウントも作るつもりです。


le 22 samedi 土曜日
//23:40//午前中は買物、午後から半日作陶しました。23:40まで。最近はyoutubeで名探偵ポワロを見ながら作っています。

流石に手が痛いので、明日はお休みにするかもしれません。


le 21 vendredi 金曜日
//300kg//値上げに気付いたものの、本日、粘土を300kg買いに岐阜県瑞浪まで。昨晩は22時前まで作陶していたので、腕を休めるにはちょうど良い企画。

途中瀬戸の街に行く。二年間、毎日通っていた至近も通る。今思うと、あの日々はなんであったのかと思う。これは否定的な意味ではなく、あの当時は懸命に過ごしていましたが、過ぎてしまえば間奏曲みたいな印象で、通り過ぎただけの日々でした。記憶や知識、つまり私の内に見えない存在として脳内に蓄積されただけで、今後あの敷地で私が何かするわけでもない。そういう意味において人生不思議だなと思うし、これで良かったとも思う。

結局、【今】に尽きると思う。今、私は何をしているのか? 今、あの人はどう生きているのか? その今を構成するのが過去の積層であり、あまり感慨に耽っても意味はないと思う。その感慨を含めて過去は今として滲み出る要素であるのだから。

【今】を別に言うなら、何に情熱を燃やしているのか?ってことでしょう。今を見れば、その人の情熱が分かる。素晴らしい作品を世に出している人は、やはり情熱がそれであるからだと思うし、詐欺や悪事の類に熱を上げるなら、その人の今は、やはりそういうものであろうし、今後、逮捕されたならば過去が今に滲みだしたと言うことである。

今の繰り返しに尽きるのだから、今を一生懸命に【良きを選んで】生きなければと強く思う。そういう意味では選択肢は限定されていますが難しいことでもない。


le 20 jeudi 木曜日
//40%up!!!!//粘土屋さん、価格4割増し。腐るものではなかったので、山のように買いだめするべきでした。。。。 それでも底値のお店ですから有難い限りなのですが。これによって我が作品も考えねばなりませんが、例えば1000円の品を1400円にはしません。1400円で売れるような品を新規に作るだけ。つまり商品に対する粘土の割合は少ないので、比例的思考で自動的に値上げするのではなく、1400円2000円でも買って下さるように商品価値を高めることに重きを置くべきであると。努力は価値の創造に向けるべきだと考えます。  より洗練されて美しい物。この創造に尽きます。

もちろん材料は最少で事成す工夫は必要ですが。


le 19 mercredi 水曜日
//増産体制//2月と8月は暑さ寒さの影響で企画がない時期なのですが、作家さんはここぞとばかり増産するとのことです。その逆に春や秋は企画の連続で作る暇もないとのこと。私も、今日から生産体制に入りました。心を込めて、手許に置かれる方の幸せや豊かさに通じるような作品を作ります。

この夏は名古屋の作品ですが、名古屋で最後まで作るのはこれがおしまいなので、急ぎつつも心を込めて丁寧に。


le 18 mardi 火曜日
//戦後処理日//朝一番から片付け。それから白い釉薬に紛れ込んだ金属の除去。
暑い一日でした。浜松は風の強い街で、オマケにビル風。常に強い風が流れこみ屋根まで付いているので最高の立地なのですがね。

本日、ダイソーでA5サイズのバインダーとルーズリーフを買った。紙穴に入らない。どちらかがズレて作られている。明日、セリアでルーズリーフ買うとします。

明日は朝から工房の掃除をして制作に入ります。9月以降出店を増やしますので、兎に角良品を多く揃えなくては。毎回時間切れなので、出発時点で既に不足気味と認識し、とにかく作ります。
良かったと思うのは、何が喜ばれるのか?という形を知れたこと。闇雲に作るのではなく、方向性を絞ってあとは気分次第で作っていきたいと思います。


le 17 lundi 月曜日
//今回の浜松は//良かったことは、今回来て下さったお客さんで、2-3名の方がリピーターでした。これは有難い。100人の2-3人ではなく、母数はもっと少ないのに2-3人。私の作品や方向性は間違っていなかったと、そういうことを知れたのも同じ企画に参加してからです。ところが本日、親しく話をした出店者さんがいうには、この企画は名古屋からくる意味がないとバッサリ。ピークは過ぎて劣化しているとのこと。もっと幅広く出店して、何処が相性良いのか知ることだし、毎月のイベントより半年に一回の企画を何度も参加する方がはるかに良いと。確かにそう思うところもあります。新工房が完成するまで浜松で様子見は考えが甘かったです。

本日は昨日の倍の売り上げ。三日間の成績は前回と同水準。
教えてもらった青などの色彩から訴える試みは良かったです。Y師に感謝申し上げます。


le 16 dimanche 日曜日
//こんな人初めて//お隣りさんは秋田から来た人。初日も道に迷い、驚いたことにその日は何処に駐車したのか忘れてしまい自分の車を見失ったと朝一番で聞きました。地理には強いので、とりあえず助手席に乗せて、まず最初にどちらに曲がりましたか?と探すものの、その次から全く失念。手がかりは、個人の駐車場で青い看板で1400円との記載。私の設営時間もあってとりあえず20分ほど探しましたが断念する。戻り、京都から来ている82歳の元気な老人がタブレットで1400円の看板をグーグルマップで探し出し、ようやく解決。個人の経営でもなければ青色は一部で赤色の看板でした。そういう人でもありますから、82歳の老人と一緒に歩いて探し出し解決。

この日の売り上げは、更に悪い。名古屋に戻る。


le 15 samedi 土曜日
//浜松・初日//閑散としていてビックリしました。どうやら三連休で皆さん遠出をしているらしい。それでも頑張った方なのかなとは思いますが、先月に比べて前進している感覚がない。この水準で生きていこうとすると、毎日出店しなければならない。

毎回、朝に店構えを構築するのですが、この時間が本当に楽しい。今日はどんな出会いとか広がりがあるのかと期待で胸がいっぱいになります。

帰路、浜松のカインズで展示補強用の脚立を買う。コロナ化以前は5800円程度のものが9800円と大幅な値上がり。


le 14 vendredi 金曜日
//コーヒーはいかが?//何度も見てしまう動画。opの回転ムラにともなう音の波も、冒頭から衝撃的。


6月の温泉で、青い作品は人の目を引くと思うよ、と教えてくれて、それから実験の日々。綺麗と汚いが毎回紙一重ですが、結晶釉にはありがちなこと。ここを乗り越えて素晴らしい輝きに到達しなければなりません。今、少しだけ良い焼き上がりが手元にあります。これを浜松に持参するのがとても楽しみで、青の魅力を教えてくれたことに今一度感謝申し上げます。

そして私が忘れてはならないのが、「買って買って!」と勝手な思いではなく、今までに買ってくださった全ての人に、私の作品から豊かな時間が始まり幸せが広がり繁栄にさえ転ずる、そういう感謝の祈りを毎日心を込めて申し上げなければと思うのです。万物の霊長とは良く言ったもので、物事をこのように考えることが出来るのも人間故だと思います。

あともう一仕事残っていますが、これを今から取り掛かることにします。


le 13 jeudi 木曜日
//怖い皮肉//にがい涙 みたいな題名ですがお風呂に浸かっているときに頭に浮かんだので書くことにします。今、湯上りですね。

天に唾吐くという例えがありますが、自身により深刻な悪影響をもたらすのは悪口より皮肉なのかと思ったわけです。相手方に対して、否定的な核心を攻撃的に直球で浴びせるのが悪口だとしたら、皮肉は表面上穏やかさに覆われているものの、しっかり否定的核心を伝える高度な文章表現。
どうして皮肉を上位に持ってくるかと言えば、悪口なら棘はあっても5秒10秒で言い放ち、それは既に過去のものとなる。一方、皮肉はそれを完成させるために30分、一時間、場合によっては半日一日と頭の中に否定的核心を持ち続けているわけで、これは角が立たないなどの言い訳をしようが、それこそ表面的で、非生産的思考を長時間持ち続けるわけです。昔、聞いた話ですが、皮肉ばかり言う人が占い師の所に行ったら、人相に出ているのでしょうね、「そりゃ貴方、ガンになるわ」といきなり言われたそうですが、それこそ核心を突いた言葉であったそうです。

大人は角を立てないようにと皮肉を考えるものですが、悪口よりも心身に深刻なダメージを浴びるものなのかと思ったわけです。悪口も皮肉も言わない、それが理想ではありますが、何か良い知恵はないかと考えたら、関心を持たない、これに尽きそうです。名前は忘れましたが某女優さんは、ネットの意見など全く見もしないと言っていました。聞く耳を持たないと言うことではなく、罵詈雑言・皮肉溢れる世界と接点を持たない、そういう生活の知恵。何かしら活動していたら、探せば悪口の類には出会いそうなものですが、そういう世界と接点を持たなければそれで良い。悪口や皮肉は言わせておけばそれで良い。勝負あったとはこのことでしょうか。


le 12 mercredi 水曜日
//スコール//夕立とかのレベルではない。15-20分くらいで止むのですが、これが一時間続いたら100mm超の雨量なのかと。貴重な経験をしました。雨が止み家の前の公園へ。まず流れ込む小さな川があるのですが、近くに来ると何処かの渓流のような水の音が聞こえる。それから池の視察。この池は数年前から貯水に重きを置き、夏季は水位を下げている。以前は入ってきた分だけ自然に下流に流れる池でした。ところが水位を下げ夏季は水中の導管を通り排出。ダムのような作りですね。さてスコールのような大雨が止み池の水位はどうなったのかと覗いてみたら、水位は上昇。導管の処理能力を超える流入があるのですが、かといって堤を越えて流れ出ることもなく、ダムとしての機能を立派に果たしていました。導管が無ければ何の調整機能もなく下流は暴れ川になっていたのでしょう。あの大雨が2時間くらい続いても対処できそうな能力です。

//私の話し相手//実に不思議なんですが瀬戸を卒業して会話の相手も激減。少しは物足りないとか寂しいとか退屈な思いでも湧き上がるのかしらと思ったのですが、その心配は杞憂でした。実際、会話量は激減していますが、そういう不足感みたいなものを感じない。おそらく、毎日この日記に書きながら自分自身と対話していることが精神衛生的に助けられていると思うのです。他の人は定かではありませんが、私は毎日自分自身と対話しながら生きている。考えてみれば不思議なものですが、黙読で読書するとき、心の中で読む私の声が聞こえるのと同じことです。自分自身に問いかけたり、あれこれ思案して、時にこの日記に日中の会話を整理した形で掲載します。


le 11 mardi 火曜日
//頑張っても足りない//時間が足りません。あと一日欲しい。

//ボヤんとしている//毎日座禅の時間を設けて、自分を律しているのですが、祈りの文言でも良いのですが、なにかその核心を突いていない。枝葉の事ばかり考えているのです。般若心経のように膨大な御経をこれにまとめた!みたいな、核心的な姿勢が今の私に足りていない。いやいや、何が核心なのか突き詰めて考えていない気もする。
祈りとは全く自由なので枝葉の事ばかり思ってしまって、それで疲れて核心に到達しないのです。

やはり、何故私は陶芸をするのか? という核心が自分の言葉に出来ていない。それは信念とも言えますが、本当の信念で良いのか?神様に聞こえが良いように誤魔化していないか??自分に対する問答が足りていません。

陶芸の思いはこの日記で重層的に書いています。これは正直な気持ちですが、では、陶芸をするために産まれてきた私の、その陶芸ってどの様なものなのか!??と聞かれたら端的に答えることが出来ないのです。志は大きく職を辞してまでこの道を選んだのですが、その情熱の核となる気持ち、つまり私は陶芸で何をしたいのだ!!!???という答えが霧の中なのです。

今初めて書きますが、前職の頃、課を預かる立場に11年いました。あの頃、私の祈りは自分ではなく全て課員に向けていました。夜寝る前、毎朝の地下鉄で、朝一番に会社に着いた時、無事故であり全員の無事・職場の安全と欠かすことなく真剣に祈っていました。(金曜と土曜の夜だけはその祈りもなく、これが私の週末の解放感でもあったわけです) 
あの頃の祈りは核心を突いたものでした。今、私自身のために祈れる環境なのに、前職の頃のあの真剣な祈りがないのです。同じことをしていても、ボヤんとしている。未だに前職の夢を見る答えは、あの当時には毎日持ち合わせていたある種の真剣な思いを、ここに呼び戻すための働きかけであったのかと、書きながら思ってしまいます。

下手をすると大事故を起こしてしまい人の命を奪ったり本人が死んでしまうことも、かなりの割合で潜んでいた11年であったと思うのですが、そうならないためにも祈る時は真剣であり、自分の事など全く考えられませんでした。全く利他の祈りであったともいえますが、その水準の真剣さと純粋さを今の生き方に合わして再構築せよ!と言うことなのでしょう。


le 10 lundi 月曜日
//遠藤ミチロウ先生//朝の日記です。窯の待ち時間。


この人の素晴らしさは、「狂気」を何かに頼ることなく表現していること。裸一貫というか頼ることなく全身から溢れ出す才能。

最近特に思うのですが、芸術性を装うために全身にタトゥーや過剰なピアスをする者がいる。過剰であればあるほどアーティストなのだろうか? 彼らは裸一貫になった時、真に発信できる才能はあるのだろうかと思う。その才能が狂気の淵から湧き上がることは分っているので、薬物に溺れてその世界に近づこうとか、すでに狂気を帯びていると装うために全身にタトゥーや過剰なピアス。まるで一流の料理人気取りであっても出汁の取り方も知らず化学調味料で誤魔化すかのようです。

空恐ろしいと思うのは、タトゥーで装うことも薬物に頼ることもなく、言い換えればそのような道を外すことを激しく嫌悪する一方で、彼等が頼ったり誤魔化してまで手に入れたい狂気(=芸術性)を、一般人の様な姿形の者がポイポイ手に入れ表現していく、裸一貫の才能。遠藤ミチロウさんは、この手の才能の持ち主だと思うのです。

全く穏やかで、どちらかというと大人しく目立たない感じの人です。

空恐ろしいと思う人は、全く穏やかで大人しく社会秩序を守り道理を弁える人が、何かしらの表現活動で常人離れした作品を世に出すこと。そういう人は、タトゥーで装うことも薬物に頼ることもなく結果を淡々と出しているので、心底敬服します。

//某師//夜の日記です。本日、友人とメールで話す。もう驚いたのなんのって!!今月、定年されるとのこと。えええええええっっっ。時の過ぎる勢いを感じざるを得ません。その人は、昔から律することの出来る人で、いつも颯爽と自らに与えられる時間をとても上手に使う生活であったと、そう思っているのですが、それは正解で、定年を視野に入れて、既に今一度高度な勉強をされているとのこと。素敵だと思います。

私も進むべき道を陶芸に定めましたが、もし、この決断をしなければ、いづれ定年の洗礼はやってくる。それとも定年延長・再雇用とかで洗礼を遅らすことを選ぶのかもしれませんが、それでも定年はやってくる。人間は生まれるのも死ぬのも一度限りですが、定年という節目も一度くらいのものでしょう。それを見定め如何に対処するのか、某師の決断は、本当に尊敬します。その時決めれば良いや!という時間の無駄を予め排しているのは自己を律することの出来る人だからでしょう。

これから、一人また一人と感慨深い定年後の選択を見聞きするのでしょう。でも人生の最大の味わいは、この先に用意されていると思うのです。だって、老後の有り様は自分で形作るものですから。


le 9 dimanche 日曜日
//それでも//施釉の日。今回は二重掛けのテストピースなのですが、湿度高くて一回目が乾きません。朝から難渋しましたが、もはや本日は諦めるしかないと、早めの入浴と夕食を終えてから、今なら大丈夫ではなかろうかと試したところ問題なく先に進める。結局、21:30まで施釉窯詰をしまして、これで本日の睡眠時間も窯が稼動するので無駄な時間は消え去ったと言うことです。

//信念・哲学など//外的な強制力がない生活を続けています。朝何時の電車とか、そういう縛りがないのでありまして、言い換えると怠ける自由を両手に溢れる程、それは身近で山の様。
私はその都度煥発して奮い立たせて毎日を生活するべきですが、ただ闇雲に頑張ると気負っていると、それは怠惰の呼び水になると思う。

毎日、数回、信念の煥発を美に対する哲学の煥発を興しまして、我が心身をあるべき道に置かなければなりません。その信念と哲学は理論的に構築されていて、重層的に思考的支援のある一貫としたものでなければならない。そういう鍛錬は、この日記や座禅の時間で行っていますが、お経のような我が信念・哲学を網羅する誦句のように仕上げなければと考えています。


le 8 samedi 土曜日
//何もない部屋//これで最後の暗示なら良いのですが。前職の夢は、本当によく見る。今朝方は企画ビルに行ったあと、以前、私の居た場所に戻るのですが、そこが全くの空き室で何もない。この何もないことが「卒業」の現れなら良いのですが。100万回前職の夢を見たからと言って私の人生に何の影響も貢献もないのだから、いい加減卒業したいのです。

本日は午前中に告別式。午後から工房の掃除と窯出し、一部施釉に染付と、最近は土日に関係なく作業しています。

時間が全く足りません。これは陶芸に限らず瞑想の時間にも該当します、。読書なんてのはたまの贅沢になりました。人生が大きく動くとか大きく動き出すとか聞くこともありますが、私が思うに、それは信念と生き方が一致した時に発揮されるのだと、これは最近特に感じることです。身体は一つ、一日は24時間、なのに睡眠や食事、入浴も必須である。この必須さえ嘆いてしまう情熱の圧迫を全身で受け止める信念に対する生き方の一致、ここに進化というか進歩や発展に爆発的な向上をもたらすのだと確信します。私はというと、ようやくスタート位置から動き出した所ですが、目には見えませんが何かその物凄い勢いを感じます。
でも、これは特別な事ではなく、人気の作家さんなど口には出さなくとも、既に同じ感覚を味わっていた結果なのだと思います。


le 7 vendredi 金曜日
//今回はこれまで//本日素焼をしました。7月の新作もこの素焼までとなります。本日も左手を休める日としました。明日もかな?

2011年2月26日の日記が私の陶芸記念日となる内容。この日に一人、当時は愛知県陶磁資料館でありましたが、そこの陶芸館に行った衝撃を記しています。この日から今日までこの日記は私の陶芸に対する熱き思いが連綿の綴られているわけですが、有難いことは、常に進歩と発展と向上の方向に内容が進展していることです。小さな種が大木になるように、一貫して成長・繁茂する。

小さな種は成長して繁茂することしか願っていない。これ以外の願いなどないから、延び行く様は凄まじいものがある。人間は彼是諸事情が絡んでくるし良きにつけ悪しきにつけ情報も過多。我が命のまっすぐな道を私は2011年2月26日までは見つけることが出来ませんでした。今は何故生まれてきたのかという答えも陶芸にありますので、この思いは上述の種のように純粋で一貫しています。思えば、陶芸に出会ってから、生活の非陶芸の分野を削ぎ落し時間確保に努めて来ましたが、これも思いの純粋さから導き出された姿なのでしょう。

この20年を越えて書き続けている日記ですが、2011年2月26日を境にして、全く変わっています。


le 6 jeudi 木曜日
//霧//早朝、出発して三重県へ。鈴鹿を過ぎたあたりで一面の濃霧に遭遇。最初は曇天かなと思いましたが、そもそも晴れのお天気のはずなのに解せないと。すぐさま霧に覆われていると判明しました。山間部の濃霧は何度も経験がありますが、これは伊勢湾と外気温の差から生じる大量の霧で久居辺りまで延々と続く。全く初めての経験で、気候的に名古屋と何が違うのだろうかと、これは結構関心のある分野でしたが、いきなり殴られるほどの衝撃。

こうやって少しづつ生活における三重県の割合が増していくのでしょう。


本日は棟上げ式でした。【小さくても志は高く】
この新しい工房で、我が魂の信念の具現化を喜びをもって行います。
諸々落ち着くまでは、まだするべきことが山ほど残っていますが、何をするにも最善で楽しく朗らか、積極的で。


le 5 mercredi 水曜日
//半日遅れている//連日の頑張りで左手が痛くなったので、今日は0.5日の作業だけで切り上げ。明日は終日腕を休めます。

昨日に引き続きすづしい風が吹きまして、夕方からは雨。雨が降ると思います。いつか理想的に過ごそうと。そのために少しづつ準備をしていますが、実際楽しめるのはいつになるのでしょうか?
それは大それたことではなく、その季節の気象の風情を楽しむ時間。往時の知恵も拝借なのですが、これからの日本は一年の半分以上は夏で、さらにその半分が初めて経験する高温。この命にかかわるような夏に、如何に風情を覚えるのかは知恵の拝借以上に新しき工夫も必要です。

熱帯に生活する人の情緒的生活。土人的に半裸で過ごすとかではなく、麻の浴衣を用いたり。日本ハッカを育てて、これを軟膏に加工して身体に塗ったり、水盤にハッカを浮かべ布巾で絞り身体を湿らす。このハッカの葉を香炉に入れ清涼な香りは漂うのか?煮出した二ホンハッカの水で拭き掃除。煮出した液を素焼の壺に入れて気化熱と香りを楽しむ。さっきの軟膏が出来たら、鼻の穴に塗るのも効果的。


le 4 mardi 火曜日
//あー疲れた//その疲れも、夢中が途切れた時に、一日の仕事を終えた時に感じます。
明日も朝から全力投球です。

瀬戸を去って4か月を迎えました。あの時、花火がさく裂したようにバラバラになり、昨日までは当り前に集っていた仲間も、全く遠い存在に。インスタでたまに動向を見たりもするけれど、それぞれに頑張っているのを感じます。ですが彼等にはまた新しい仲間がいて新世界が展開されていますが、私はというと全く一人です。月に一回浜松には顔見知りも出来ましたが、まだ名前さえ知りません。

そういうことだ!!未だに昔の面々を思い浮かべるのは、只今の人間関係に拡大が見受けられないからだ。明日もまたロクロ挽いているときに、そんな思いが湧いてくると思うのですが、瞬時に切り替えて、未来の人間関係の広がりを思い浮かべることにします。


le 3 lundi 月曜日
//頑張ったけど//座りっぱなし。糖尿病を予防するためには30分に一度立ち上がって軽く動くとか、まあ腰痛対策にも通じそうですが、本業ですからね、そろそろ知恵を付けなくてはと思います。

新工房が稼働したら、昼食後に掃除とか洗濯、間食後に買い物、夕食後に片付けとか食後の運動を組み込まなくてはと思います。

【新工房時間割】
5:00起床 座禅 
5:30昼食仕込み 健康ウォーキング
6:00読書 経理的な仕事
7:00工房掃除⇒勤務
11:30仮眠
11:45昼食 寛ぎ
12:30片付け 掃除 洗濯
13:15工房勤務
16:00間食 (夏季)シャワー 
16:30買物 夕食準備
17:45夕食 片付け
18:45工房勤務
21:30風呂 読書 事務的仕事 寛ぎ
22:30~23:00就寝

と書いてみましたが、一日が28時間あって睡眠時間などを増やしたいものです。自分専用の工房が出来たとしても思ったよりも専念できる時間が少ない。一日一食+間食で時間確保ってのもあるのかも。


le 2 dimanche 日曜日
//あの頃何してた?//コロナの第九派が発生中とか聞きますが、もはやコロナに怯える時代ではありません。では、警戒して怯えていたのはどの辺りだろうと振り返ってみると、その終わりが今年の春頃までで、始まりはというと2020年の年初辺りから。

世界的に行動を抑制したり、かなり異常な事態でした。日本に限らず世界的な試練で在ったと思うのです。今考えているのは、この間、何して過ごしたかと言うことです。
●何時も以上に忙しく臨戦態勢であった。
●じっと耐えていた。
●規範を無視した。
●いつもと同じ日々を繰り返していた。
●新しいことに挑戦した。

このどれかに当てはまると思うのです。ある作家は、全ての個展などが中止になり時間が生まれたので新しいことに挑戦した、と発信していたり。でも、そういう作家は今でも活躍しています。
三年と3-4か月程、私はどうであったのかと振り返ることは、長い日記なので容易に可能です。まだ答えは出ていませんが、良い選択はしたと思います。


le 1er samedi 土曜日
//やってみませう//7月になりました。今月も楽しみです。さて新工房での生活が始まっても今まで同様、二食生活になります。最初の食事が昼食になるのですが、これを永平寺のような粗食を噛み締める内容にしたいと考えています。御膳に、梅湯、粥、香の物、煮しめ。これらをゆっくり噛み締める昼食にしたいと考えています。

でも、しばらくしたら間食も解禁で夕食もしっかり食べます。現状は昼食時からラマダン明けのような内容になるので、ここに今一度厳しい戒律を添えようかと。



 
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