令和7年3月mars.2025

le 29 dimanche 日曜日
//良い風//日々の楽しみと言ったらメダカちゃんを見ること。こどもの国の成長も頼もしくて、三重工房から帰ったら、大きなベイビーちゃんになってたりするのです。日々の不思議は、全ての人にそれぞれの生活があり、風景もまた違って存在する。 面白いのは陶芸家にならない、つまり退職しない選択をしたとしても、私には私なりの世界が展開している。決断や選択はしてもしなくても命ある限り、その人なりの個性的な世界が展開されている。

30の手前で禁煙をしました。考えれば禁煙をしてもしなくても私はそれなりに存在しタバコがあるかどうかの生活が展開されている。ただ選ぶ世界は常に一つであり、禁煙した以上、喫煙しているだろう私の生活は想像するしかない。この逆に、未だに喫煙していたら禁煙する私の世界は想像だけの世界である。


le 28 samedi 土曜日
//3個から2個へ!!!//10000円売り上げるのに何個必要なのか!?最初にこの活動をした頃は5個以上でした。これを4個で到達したいと願い、それは達成。達成したらしたで、次は3個と願い、これもほぼ達成するようになりました。今、2個で10000円になるような制作をしています。一回り大きく、釉の美しさを顕著に。これを成し遂げたなら到達できると考えます。


le 27 vendredi 金曜日
//意味がある//陶芸で魂を謳歌する!!とは以前にも述べました。何を目標とするかは詳細に描くのか大まかに描くのでは表現も大きく異なりますが【陶芸で魂を謳歌する】は、まさに後者の標語になります。未来の大まかな着地点を言葉で定めたわけですが、こうすると不思議なもので、この間の全ての出来事が、大目標に向けて必要な事象になってくる。

先日の出店は久々の試練であったと言いましたが、それでもあの二日間は必要だったわけである。本日、某美術館のショップ関係者から連絡がありました。あの2日間に私の作品を見て下さったのかお買い上げしてくださったのか、何かしらの接点があり、私の作風を知ったうえでの問い合わせ。

この世に生を受けた喜びと意味と、目指す世界を心に抱くと、抱き続けると、不思議と全ての事象が、この大目標に向けて必要な存在となる。凸凹であっても、どの瞬間にも貴い意味がある。

どんな草木の種も、よそ事は考えず、兎に角発芽して大きくなり花を実を、と願っている。これ以外の事は考えていないともいえる。するとどうだろう。全ての種子は願いを叶える行動をとる。どの段階を切り取っても大目標には必要な動きをする。

これは生きる上での大ヒントであり、種の願いのようにシンプルで浮気しないものであると、あとは身動きの全てがシンプルな願いのために必要なものとなる。多くの人間が挫折したり苦しんだり迷ったりするのは、所属や行動、願望が魂の本質的な物とはかけ離れているので、答えも見つからず苦労するのだろう。

//人間//そうすると本質的な願いとは生殖なのか!?と問われそうですが、私が思うに命が単純に近づけば【花と実】【生殖】なのだろうが、私たちは人間であり言うならば魂の次元が違う。人間に産まれてきた以上、人間故の人間しかできない何かがある。その何かが魂と響き合う本質的存在なら【
生殖とは違う花と実】であり、この目標に向けた一切の動きに迷いも無駄もない。要は【生殖とは違う花と実】を持っているものと、違うものを持っているものとでは、日々の質や意味が全く違ってくるのだと痛感する。ネット掲示板でsnsで人の悪口を言ってスカッとしている人は、本来の目的を知らない存在であり、彼の過ごす毎日は、驚くほど魂に残酷であり非生産的である。どれだけ頑張ろうが違う線路を選んでしまうと人間が本来持つ能力や運命は開花しないのだと思う。


le 26 jeudi 木曜日
//虹//不安定なお天気。ですが夕方、激しい通り雨のあとは夕日が射す。そして大きな虹が間の前に。この虹が、二重構造で、お隣りにも少し薄いのですが虹がありました。虹って、その始まるところに行ってみても、虹を認識できるのでしょうか??近づけば消えてしまうのが虹のような気もする。


le 25 mercredi 水曜日
只今、6/27 遡って記述
//みんな頑張る、それぞれに//こういう感覚は瀬戸を卒業してから顕著になりました。と、申しますのは、卒業したら各人自由。陶芸という熱き思いを胸に秘めたまま、今後の戦略は各人の自由。これが時期に差はあれど、各人各様の新しき姿がぽつぽつと伝わってくるのです。みんな頑張る、それぞれに。

//本末転倒//道を切り拓けるかどうかは、作る作品の美的水準に依拠する。これが大前提。ですから、懸命に美の開拓をするべきなのに、他が気になって彼の動向を知ろうとか、そういう情熱は本末転倒だと思う。その人を知ったところで、その人は、その間にも更に美的水準を高めるのだから手の届く存在にはならない。。もし追いついたり陵駕したいと思うなら、自身の水準を高めるしかないのである。暇な時間は無いはずである。


le 24 mardi 火曜日
//敗因//先日の出店の敗因が分りました。それは私がつまらない顔をしていたと思うのです。どうしてこうなったのかは書きませんが、販売の喜びを全身で感じることもなく、心此処に在らずでつまらない顔。 こういう言葉にならない私から発する波長みたいなものが多くに伝わり運・不運を運んでくるのでしょう。

さあ、仕切り直しです。陶芸の喜びを全身で表現する毎日にしていきます。


le 23 lundi 月曜日
//輝く!第53回・世界ウーマン節//本日、53歳になりました。自分の人生から定年と老後という枠を取り除いたら、年齢に意味が無くなってしまいました。元気に聡明で活躍する。美しい造形を産み出し続ける。これが出来るかどうかに意味があって、スラスラできるなら90歳でも若々しく活き活きと【現役】 出来なくなるのなら、30代でも40代であっても老人。

ただ私は48歳で退職し、50歳で瀬戸での学びの日々を終え、本日53歳。これが美大出の若者だと私の倍の活動期間があり、それも若くて体力のある時期を陶芸に専念できる特権がある。よって、私の心には常に時間が無い!!という感覚があって、私が人と会わない理由もここに存在します。

もし私が陶芸の手を休めて誰かと会うとするなら、その人には学ぶところがたくさんあるからです。工房を飛び出してでも、その人から学びを得たい!!でも、そういう出会いは平素は無いので、私は誰にも会わないのである。

久しぶりだからという理由で会うことは決してない。寂しいから暇だからという理由で会うこともない。冷たいように聞こえるけれど、その人から話を聞き学びたいと思うなら、彼が年少でも師として伺います。その人の過去に何か問題があったとしても関係ありません。師として伺います。そういう意味においては平等なんです。私自身もそうでありたいから、これからも陶芸に全身全霊を注ぎます。情熱をもって夢中を語れる人に。それが工房を出るパスポートなのだと思う。


le 22 dimanche 日曜日
//厳しい結果//昨日以上に厳しい結果となりました。52歳最後の本日、なかなか印象に残る結果です。それでも今回の谷は以前の山の頂であり、継続する限り螺旋階段のように凸凹はあっても上昇・深化・進歩・発展するものである。

//人生とは不思議な出会い//私の隣のガラス作家さんが、私、アナタと同級生ですよと本日話しかけてくる。私の名前を見て気が付いたそうです。約40年ぶりの再会。中学の頃、席も隣でベラベラとお喋り。私は陶磁器で彼女はガラス。 今もお互い地元に住んでいて、今後も何かと接点が出てくるのかもしれません。映画のような話ですが、不思議なものですね。人生とは会うべき人と適切な時期に会うものなのかもしれません。

//一歩踏み出す勇気//人生の扉を開くとは、自らが勇気をもってその扉を開けることだと思う。相手方の反応に不安があるかもしれないけれど、その不安を理由に扉を開けないのは、開けて拒絶されることと同じ結果を、開ける前から受け入れる事である。ああ、失敗した!!という結果を挑む前から手中に収めるのであり、何もしないというより敗北者である。でも、挑戦しない人は確定していないから、現実に敗北して次を考える人より、遥かに遅れた存在になるのだろう。

実験も果敢に挑んで失敗すれば、その方向でないと次に進める。実験さえしない者は、成功しないのはもちろんのこと、それが失敗であるかも理解しておらず、得るものが無い虚しい存在である。そうであるなら、失敗は次に進む方角から無駄を一つ排除した段階であり、継続する意思があるなら、既に意味ある前進をしたことになる。こう考えると、いくら立派な事を言っても口だけの人ってのは聞くに値しない。


le 21 samedi 土曜日
//厳しい初日//まさかまさかの厳しい結果に終わりました。人は大勢初詣のような会場なので、原因を集客に求めてはいけません。いつの日か谷は来るものだと覚悟はしていましたが、じっさいにやって来るとは。


le 20 vendredi 金曜日
//三回目の夏//明日明後日と名古屋で出店。夏と冬に一回ずつ。これで三回目の参加になります。情熱を持ち続けること。夢中であり続けること。この精神的基礎の上で継続すること。

慣れてきたと言っても出店は毎回水物。どうしても拭えない緊張感というものはあります。今晩は早く寝るとします。


le 19 jeudi 木曜日
//あまりに変な夢//本日は三重工房日帰り。よって早起きしたのですが、驚くべき夢を事細かに見ましたので記します。前職、総務部がある小さいほうの階段(全く同じ構造ではない、以前にも見た)に多くの女性社員が歩いている。その中できらびやかな私服姿の美人な女性が一人。どこかで見た趣。もしかしてnb江ちゃん??と聞いたら本人が嬉しそうに答えてくれる。そしてずいぶん可愛らしくなったね!と私の言葉。

次に同じく前職のy林氏。千種区から昭和区あたりの光景。地図も出てくる。ですが、実際にはその様な場所はありません。この位置関係は何度も夢に出てくる。地図(川名公園辺り)には戦後の造成で古墳の一部が削られた場所。私はこの場所で白いフィットがひき逃げをする現場を見る。さて翌日、y林氏が私にあの辺りに居たのか??と理由を誤魔化しながら狼狽して聞いてくる。あまりにも怪しい。y林氏は仕事中毒で夜中まで仕事をし、会社の車で勝手に帰宅。その帰路での事故。場面変わって、若社長にこんな不審な問いを受けたと報告。社長は白いフィットから給油カードを取り出し裏面を見る。すると翌日、n善という契約スタンドで洗車している事実を発見。それで証拠を消したのだと事故を確信。更に場面変わって、急に経営者として不行き届きの責任を感じたのか、何かソワソワし出し調べ始めて夢が終わる。

//別の世界がある//この夢で確信するのですが、夢は脳内で勝手な光景を作り出しているのではなく、あまりに出来過ぎた夢の世界に、実際にその様な世界もあるのだと。極端に言えば、もし日本が真珠湾攻撃をしていなかったら、その後の歴史は変わるように、夢とは様々な可能性のある世界の一つを覗き込む行為なのだろう。そうでなかったら、何度も似た背景の夢は見ないはずである。その背景というのは起きていて考えられるようなものではないのだ!!


le 18 mercredi 水曜日
//水曜日の休日//久しぶりに休養に徹しました。とは申せ、全く陶芸と無縁であったかというと、そうではありません。朝一番に若干、時間を費やしただけ。あとはゴロゴロと。こういう日は何か月ぶりでしょう。やはり窯焚きしたら冷めるまでは物理的にも距離を置いて、手許から窯を遠ざけるべきです。近くにあればソワソワするだけで、名古屋に居るとどうしようもないので、本日みたいに休養も出来るわけです。

こういう日でありましたので、本日は思う存分、メダカちゃんを観察できました。これは私の特技で、何時間でも飽きることなく見続ける、そういうものがあるのです。見ることによって、何かの法則というのか習性みたいなのを見つけ出す喜び。これはメダカに限らず庭を歩く蟻であっても同じです。彼等の世界の仕組みを見出せるように、ただただ見続けることが出来るのです。

この特技が、釉薬の開発に生かされていると思う。材料の配合とか計算式にはあまり関心が無く、ただただ眺めて、その反射からまだ気が付いていない【意味】を汲み取る。


le 17 mardi 火曜日
//造形と段階の一致//何をすべきかは自分で決めているようで、ただ受け入れているだけ。例えば造形で言うと碗。この碗を沢山作って美を表現したいと思っているのに、【今はその段階ではない】との声が聞こえるのです。碗は作るべくして作る段階があり、それを待てと。この声を無視して作っても、一向に作れなくなるのは毎度の事なので、最近は心の声には素直に従っています。ですが私のこれからの道程で、碗を作る時が必ず訪れるのも分っています。造形と段階が一致した時は実に不思議で、以前はあれだけ失敗していた形が全く問題なくスラスラと何個でも。

本日は、これまた次の釉薬が頭に湧きまして材料を多治見まで調達。自分があの釉薬に挑むなんて全く考えていなかったのですが、それをする段階が近づいたようです。


le 16 lundi 月曜日
//前回の反省を生かして一旦帰る//前回は窯炊き後も滞在して、それで一刻も早く窯出ししたいと強引なところもあって7-8枚は冷め割れしてしまいました。今回は、いやこれからは一旦帰ることにします。名古屋ですべきことをあれこれしていたら、待ち遠しいという感覚もなく、十分に冷えてから窯出しできます。


le 15 dimanche 日曜日
//寝たり起きたり//二台の窯を動かし、一台は還元。ガスバーナーも使用します。どうしても確認して操作しなければならない温度帯があって、睡眠時間がコマ切れ状態。寝たり起きたりです。

イスラエルのイラン攻撃には驚きました。これを受けてイランが報復したらイスラエル側は代償を払うことになるという!!勝手過ぎないか。 ガザでは突然の攻撃を受けたのがイスラエルであって、その後の大規模反撃も、仕方ないのかと思ったりしましたが。一方、イランはウクライナ侵略をするロシアを援助している。宗教国家なら、ロシアに大義の無いことに憤って欲しかったのですが、正義や教義とか関係なく、まさかのロシア支援。これへの神的な報いと解釈しましょう。 ただネタニヤフ首相は後日イスラエル国内の声でもって断罪されると思う。プーチンもそうだが、退いたら政治的に居場所が無くなる理由だけで戦争を拡大・継続する指導者は最低であるし、今後じわじわと自国民の怨嗟の声も加勢して追い込まれてほしい。


le 14 samedi 土曜日
//三重で聞く長野//私の加入している唯一のサブスクはラジコプレミアム。信州はsbcラジオの「武田徹のつれづれ散歩道」を聞くが為に加入しました。これを聞きながら陶芸に没頭するのは素敵な時間です。前職の頃、まともに陶芸出来るのは週末だけ。そしてそのどちらかは買物に付き合うようになって半減しました。それでも土曜日の朝早くに起きて轆轤を回し、sbcを聞いて時折窓の外を見るだけでも私はなんて幸せなのだろうと思ったものです。本日も同じで、場所が違うのみ。陶芸が生業になりましたが、幸せな時間が同じなんて、私はなんて幸せなのだろうと思う。


le 13 vendredi 金曜日
//三重に行って分かったこと//9モソは都度確認しています。その地域地域に名物おじさんというか特異な人物は居るもので、それはハウリングの確認。正直言えば良い歳をしたおっさんが、途切れることなくハウリングをするのだが内容は支離滅裂。一貫しているのは性交のお相手探し。一種の情緒障害に起因する行動だと思うけど、不安を育てる素地がある人は不幸だと思います。端的に言ってそれは【暇な時間】 
性欲を年相応にせよとは言いませんが、暇な時間の穴埋めがお相手探しになっている構図は、私も一歩間違えれば陥る闇ではあると思います。

人が狂う時、それは空白の時間を埋める術を知らないことに起因すると思う。人生誰しも確率はあるとは思いますが、突然現れた空白の時間。一日だけなら寝て過ごせは良いものの構造的に埋められない空白の時間が存在し始めると、人は狂うのだと思います。お門違いな恨みに走る人もいれば奇異な行動で耳目を集めようとする人。でも構造的に現れる空白時間は、自身の何かしらの充足によってでしか解決できないと思うので、これが恨み、未練、嫉妬、などに答えを求めると、その行動に周りは引いてしまう。酒や薬物、ギャンブル、迷惑・犯罪行為であっても同じこと。

再三言うのですが、
人生は何で心を満たすのか!? これに帰結すると思っています。この万人に与えられた課題は全くの自由で、お手軽なものから努力の先にある物まで千差万別。ここに人の知恵や叡智というのか人生哲学の存在意義があると思うのです。考える人は考えたなりに、考えない人はそれなりに。


le 12 jeudi 木曜日
//作る喜び//磁器土を大量購入したので、これを用いています。世間的には扱いにくい土ですが、慣れると問題ありません。気を付けることは鉄粉とかが入ると目立つ生地の白さ。磁器土を扱う限り赤土や黒土は名古屋で扱うしかありません。

//どこを向くのか//例えば、ショート動画とかで、犯罪の検挙の瞬間とかを見ると、この人はこの手の内容が好きだと次々に同様の動画が出てくる。私はこれが怖くて警戒するのですが、知らず知らずに情報が偏り、目に届く情報が【人の心の荒び】ばかりだと、その人の今後の人生に幸運は齎さないと思うのです。コメント欄や匿名掲示板に何かを批判し続け、論破し悦に浸る人に、その後の日々に何の幸せが到来するでしょう。陰で言う分には問題ないと言い続けても、それは大問題。実際に陰で言うから、相手方を傷付けないのかもしれませんが、負の言葉や攻撃的な言葉を言い続ける人の脳は、自家中毒を犯してしまって、呪いの言葉の行先を自分の人生の何処かの地点に定めたと思うのです。

//リズム乱す者へ//陶芸家になってから痛感するのは、土と対峙するわけで、それは一対一の世界ではありますが、視野を広くすれば美の競い合い。真剣勝負です。ここに雑音を寄せてくる存在があるとするなら、全くの害悪でしかない。ですが無人島に行かない限り誰かと接点を持つわけで、リズムは乱されることの方が多いと思って妥当なのかもしれない。結局、心の置き所で、雑音であれ何であれ軽やかにかわし続けるしかない。これが出来てこその陶芸家なのだろう。余計なことが頭に浮かぶなら、美の競い合いには勝てません。


le 11 mercredi 水曜日
//上に上に//豊田の粘土屋さんから乾燥棚を貰いました。これは、何処か廃業した製陶所の備品らしいですが、ペンキもはがれていたので黒い塗料でお化粧直しをしました。これでどんなに作っても、棚に収まるので収納が横に広がらず、上へ上へ。

この棚は粘土屋さんを通して窯を買ったので、タダで戴けました。本当にありがたいことです。買うとなるとどこを探して良いのか分からないし、おそらく特注品なので高いと思う。

でも、作るのは明日とします。


le 10 mardi 火曜日
只今、6/16 遡って記述します。
//今回は長いです//帰宅日未定の集中制作。ということで午後に三重入り。この日は届いた棚を工房に入れるための掃除とかで制作はしませんでした。明日は棚にペンキ塗り、制作は明後日から。


le 9 lundi 月曜日
//次にすること//有り難いと思うのは、次に何をすべきか教えてくれること。轆轤を回していたら、次はこのようにせよ!と何度も何度も頭に浮かぶ。よって、その段階に来たら言われた通りの事をするまでですが、事前に考えても思い浮かぶ内容ではない。これを御導きと認識しているのですが、30番釉薬も言われた通りに調合して完成させました。どれだけ頭を捻ったとしても思い浮かぶ調合ではないので、正しく天啓。

本日、前職の企画部門のインスタが私をフォローしました。前にちらっと書きましたが、とうとう公式に認識されたというのか、私もお返しでフォローしときました。皆さんお元気にしているのだろうか?? 人が去っては入って、だいぶと雰囲気も変わったのでしょうか?? ご近所も変わったのかな?? 

私は私が選んだ道を引き続き頑張ります。私がすべきことは、更に更に美しい作品を作ること。腕力で人海で怒声で突き進む世界ではない。何をすべきかは簡単明瞭であって、人にはできない美しい作品を作り続けること。飽きられる前に驚きを提供し続けること。

ですが他の陶芸作家さんとか気にならないのです。美しいなと心奪われ、その都度尊敬する作家さんは漆芸にいます。憧れは漆芸作家さんなのに私は陶芸家。でも違和感は感じていません。


le 8 dimanche 日曜日
//乾燥問題//これからの季節乾燥に時間がかかります。こういうことを見越して、今、素焼の山があれば問題ないのですが、現実は作って素焼きなので、乾燥に時間がかかると全体に遅れが生じる。

今、作れば売れる段階に入りましたが、全てが売れるわけではありません。長く辛抱すればその時作ったものが売り切れることもありましょうが、それでは意味が無い。私が目指すべきは、短期間で売り切れるように、作れば程なく売り切れる。こういう作家になれるよう楽しく精進を重ねます。

美しく他では見たこともない風合い。そういう作品を作って参ります。

//スマホ依存//非粘土での事象ですが、何かしていた時、ふとスマホを見ると果てしなく中断してしまう。次に控えていることの遅延など全く問題にせず見入ってしまう。この辺りを矯正しなければなりません。誰かに雇われていたら、こんな行為は職場放棄に等しいです。私が雇う立場でも、こんな人を見たら辞めてくれ!!になってしまう。スマホを見る時は、意味あって見るのであって、何かありそうだ!??と見る行動は禁止とします。

//あの人は今!??//私が競い合うとするなら、それは陶芸なり漆芸なり対象に真剣に取り組む作家さんである。別に敵対意識を持っているわけではありません。その反対です。彼等と親しく交友を重ねることが可能となるためにも私の産み出す作品が、その分野で第一級品にならなくてはならない。相手方が一目も二目も置くような作家になってこそ、入ることの出来る世界はあるはずです。そういう意味では、まだまだ力不足。美しき作品を生み出す、何かが足りていないのは確かであって、二度焼三度焼きと回り道してばかり。スマホなどに気を奪われず、制作に心血を注いでこそ拓ける道もあるのだと思う。


le 7 samedi 土曜日
//同期//異なったメトロームが互いに影響しあって、最終的に同じリズムになることを同期というそうです。私になぞらえるなら、思いも行いも一致すること。心技体の一致で制作。
私が指先を動かす、その前に私は頭の中で制作の思いを描いている。つまり思いも行動も私のリズムに同期しています。これがどれほど有難いことかと思います。

実際の行動と夢中を同質化することは個人的には難しいことではありません。しかし、これが会社であるなら、この行動と夢中の同質化を構成員全員に広げなくてはならない。この場合、どうしても齟齬が生じてくる。社長の情熱と同じものを従業員が持ち続けることは血縁でもない限り無理なのかもしれない。
この場合の対策としては金銭的刺激でもって齟齬を穴埋めし行動と夢中の同質化に参加してもらう。それしかないと思う。このように考えると、その対策を実施できる裏付けとして夢中であるべき事業の競争力が必要になってくる。これが健全であるからこそ金銭的刺激の原資にもなるのだ。

つまり美しく価値のある物を作り出せてこそ、始めて人を率いることが出来るのでしょう。
よって社長というものは、その系譜の根源に、美しく価値あるものを産み出す創作家に起源を求めるのであって、その商品に価値がある限り、2代目三代目は作家でなくても通じるのでしょうが、商品に価値がなくなったのに、4代目だからと言って社長に就任すると、全く意味不明な指示とかをするのでしょう。4代目に必要なのは、新しく価値のある美しい商品を開発する創作家の気質であり、屋号は引き継ぐにしても、内部的には王朝交代のように扱う商品の交代なのだと思います。

もし私に何か大ヒットする作品が誕生したにせよ、その栄華は作品に力ある間に限られる。作品の生命力が全てと言っても良いのだが、それらは短いものであると常々思ってこそ適当なのだろう。



le 6 vandredi 金曜日
//制作の喜び//久しぶりなので調子の面ではイマイチでしたが、作ることの喜びは今であっても新鮮。この継続される夢中がある限り、私は力強く存在して良いと思っています。    私は魂というのか産まれてきた意味に沿った生き方を選び今に至るのであって、私が心するべきは、この陶芸への思いをいつまでも美しく奏でること。雑音や中断を強いてくる要因があるとしたら、まずはさらりと気にせず遣り過ごす心持ちでもって対応し、次に物理的にも遠ざける。このようにして最大かつ軽やかに対応し、我が調べを命尽きるその日まで奏でていきます。


le 5 jeudi 木曜日
//心此処に在らずの集合体//①倒産する会社というものは、事業内容に従事する者が、皆が皆、心此処に在らずして在籍しているのでしょう。もちろん、そんなことは言わないのですが、誰一人として心底好きで仕事をしていない。働きながら別の世界を夢見ている。そして経営者も、扱う事業に愛着もなく心此処に在らず。彼もまた別な世界を夢見ている。上から下まで本心を隠しながら、怒られない程度に何かしている。

②この負の流れを断ち切るためには、改革を断行してやる気を産み出すしかないのでしょうが、別の世界を夢見る集合体に、効率化とか言っても笛吹けど踊らず。結局、金銭的刺激、それも減らす項目ではなく増やす項目の大胆な実行しかないと思いますが、おそらく②に至るまで放置する経営者は、そんな金があるなら手放してたまるか!!という強い信念の持ち主でしょうから、結局、改革は頓挫するか、空手型の口約束か、もしくは恐怖を与える改革に舵を切るしか選択肢が無い。

③よって全てが頓挫する。

伸び行く会社というものは、この逆を考えれば良いのであって、扱う事業を深く愛する経営者の姿に従業員も感銘を受け働く時間が好きになる。気づくことがあれば知恵を授ける相互の関係も生まれ、この先の良き姿を見ずしてどうする!!と、皆が思う構造体となる。

さて、私は一人。
①陶芸と情熱が一致し続けることが全ての源泉である。
②この勢いを信じて果敢に挑戦する。
③成功も失敗も全て受け入れ、その勇気と結果を無駄なく学びある利益として収穫する。
④③で得た知見を①の情熱でもって、②の勇気でもって活かす。
⑤繰り返す。


le 4 mercredi 水曜日
//父上にとって//本日は本家に日帰り。父上にとって、あと何回行けるのか分りませんが、介護しながらも懐かしい景色へ。それから青梅を買いましたので梅肉エキスを作りました。この効能は素晴らしく、常に摂取できる環境を維持しています。


le 3 mardi 火曜日
//申し込みと落選と//本日は買物と出店の申し込み、そして落選の通知。そろそろ秋の申し込みも行って、これを見ながら夏の過ごし方を決めていかねばなりません。

//創作欲//今、爆発的に高まっています。しかし、所用が前座にありましてなかなか先に進めず。まあ勇み足を戒めるには丁度良いのかもしれません。駒ヶ根では広島の作家さんに会いました。彼は一昨年、岐阜で隣だった人。彼は言います、次の週末もまた岐阜だと。それなら連続して滞在されるの??と聞いたら、一旦帰って制作しなきゃ!!と。

先日の日記で、心理的観測基準に前職の価値観があると書きました。これを卒業しなければとも書きました。これから私が思うとするなら、こういう作家さんの日々の過ごし方なのでしょう。彼等は会社の方針ではなく自分で決めた頑張り方をしている。参考の宝庫だ!!


le 2 lundi 月曜日
//戦後処理//朝一から車の荷物を取り出して片付け。それからお風呂に入って粘土屋さんに在庫の確認をしたところ、あるとのことで豊田まで240kg分仕入れる。帰宅してからはカインズに行って工房用の材木と帰りに髪結い。

ロクロこそ触りませんでしたが、名古屋に戻ってからも良い動きです。

今日は粘土屋さんで良い会話が出来ました。値段設定や、造形の在り方。値段設定は、もっと高めでも良いと思います。今は平均三個売れたら10000円を突破する価格帯ですが、2個で10000円となるよう高くても買ってもらえる制作に励みます。もっと良いものを、さらに良いものを。美しく安全であるものを。

//電気ケトル//駒ヶ根に行く前、強い衝動が湧いて電気ケトルを買いました。詳しく書くと買いなおしました。最初のは、蓋を開けてみたらびっくり!!プラスチック容器の中に電熱線があり湯を沸かす。これは私の健康哲学に反しまして、もったいないですが名古屋を出発する前日にオールステンレスのを買いなおし。

神様に守られていると思うのは、出店先でコーヒーを飲んだらマグカップに罅が入りました。急遽、その日に作ったものを取り下げます。一つ気になるのは前日にお買い上げしてくれた人。ところが翌日、更に欲しいと買いに来てくれて事情を説明し返金。それでも欲しいというので、不具合内容を説明したうえで、ペン立てにでも使うとのこと。よって無料で差し上げました。

電気ケトルを買ったのは、まさにこの為だったのです。そして、今後の制作の戒めとして、熱湯でも耐えられるように底を厚くせよと、併せて私に通達。更に有難いことに、意中の人が翌日も来てくれたこと。どれだけ守られているのかと心から感謝するのでした。

私は今、心底制作したい。この教訓を生かしたうえで更に美しいものを産み出していきたい!!!


le 1er dimanche 日曜日
//ああ、楽しかった//二日目も無事終了。22:30頃帰宅しました。駒ヶ根の出店は二回目ですが、こうやって経験を重ねると自分が強くなっているのが分かります。二回目にして、去年も買ったからとリピーターさんが何人か。選挙の辻たちではありませんが、行動を積み重ねてこそ得られるものもあるのだと、こういう意味でも強くなったと思うのです。

作家仲間との会話もこの世界の醍醐味。普段は皆が工房で制作し、こういう環境で再会を喜ぶ。仲間が増えているのも嬉しいですね。

 
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