令和7年5月mai.2025

le 31 samedi 土曜日
//試みから得る知見//今回は0番釉薬の勢い。前回は植木鉢。売れる売れない経験があるない、に関係なく、良さそうだからと試みて商品化すると、試みた者のみが得る知見がありますね。頭で考えて先に進まない人も居ますが、これでは全く得られない未来への道。失敗もありますが、これでは失敗するという知見も試みた者の特権。ましてや善きに転じたことなどは天恵です。

初日が終わりました。ホテルが旧市街から離れていて、飲みに出歩く場所柄でないので大人しくしています。


le 30 vendredi 金曜日
//朝から自由時間//大切な用事は、木曜日が金曜日に変わる瞬間であったので、あとは自由な時間になります。私は去年と同じ行動なのですが、駒ヶ根と伊那の地元の博物館とか資料館に寄り、田村食堂のソースカツ丼を食べる過ごし方。このお店は20年近く通っていまして、ソースカツ丼しか頼まないのですが、昔の1.6-7倍に価格は上昇していますが、味はそのまま。肉厚が薄くなるとか、そういう残念感の無い値上げの方が好感持てます。

私は私なりの人生を歩んできたわけで、それはある種の限界がある。つまり何かにつけて、前職の頃だと!?とあの頃に心を戻して今の不思議を思うことです。これに意味があるとするならば、前職の人と会話してこそ得るものがあると思うのですが、実際は誰にも会っていませんので、昔に軸足を戻す意味が全く無いのです。 過ぎてしまったことは戻らない、もし今でもあの場所に居たら?と考える無意味さときたら思考の無駄遣いと心するべきなのでしょうが、私は大学を卒業してから25年一つの職場で働いて今に至るので語る世界があまりにも狭い。

私が目指すべきは、これより益々世界を広げ私自身も進出し、経験する世界を格段に広げ、懐かしむ時代の選択肢を広げるべきなのです。つまり、自分用のリトマス試験紙で、いつまでも前職の頃と比較するようなら、それは私は全く成長していないと言うことです。


le 29 jeudi 木曜日
只今、6/2 遡って記述。
//本日から駒ヶ根//仕事なのですが、陶芸が心底楽しいので、この駒ヶ根行きも小学生の遠足の前夜みたいな感覚です。最近、思うところがあって、制作でも販売でも活動の山を越えた時、「ああ、楽しかった」この感情が最初に来て、「ああ、疲れた」という昔の感覚を脱したということです。

生きる上で何を選択するのか!?は千差万別ですが、選んだ内容に心底惚れ込むと、つまり夢中ということですが、疲れよりも喜びが上位にやって来る。何かに属する生き方を辞めた私にはこの感覚こそ力の源泉。給金で賞与で表彰で昇進で人を動かす仕組みがない以上、心の置き所が全てなのです。そういう意味では、自分の好きに妥協しなかったことが幸いしています。もし、私が何か違った選択をしていたら、今、味わっている喜びの感覚は、そうではなかったのかもしれません。


le 28 mercredi 木曜日
//自分で決めて動く、その量の違い//良く考えて、いや直感的でも良い、自分で決めて動く、その量の多さが人生の質だと思う。 例えば、北朝鮮の人民は朝から晩まで働いているけれど、自分で決めて動いていないから国土に輝きが無いし人民は死んだような顔をしている。

自分で決めて動くと、その基準は「ワクワク感」 これは夢中に直結する。夢中こそ、人を朝から晩まで
駆り立てる原動力だけど、強制力は働いていないので、時間における納得感は充満している。

私が考えるべきは、雑な夢中ではなく丁寧な造形を作品を夢中で作る。この感覚に弱いところがあるので、まずは作業前の掃除は必須とします。


le 27 mardi 火曜日
//志あるなら//これとは相容れない感覚の持ち主というのか昨日の日記で言ったら、相容れない考え方の人とは、振り子が同期しないように距離を置くべきだと思う。やり過ごしても良いと思う。兎に角、否定的な感覚の人とは関わらないことに尽きる。

なんだか感覚が異なるとか違和感を感じるのは、深層心理的に正しい信号であると思う。動物的勘で危険を察知する能力のように、一緒に居ては宜しくない方向に流されるとの緊急地震速報みたいな人間の能力だと思う。

ですが、その途端に啖呵を切って絶縁するのは問題行動であるし、この場合は意に介さないでやり過ごし、将来的には別なる道を選ぶ決心だけはすべきだと思う。


le 26 lundi 月曜日
//工房大掃除//水曜日の窯出しまで連続して滞在です。そうそう、不思議なことは「同期」 見たこともあると思いますが、チグハグな動きの沢山のメトロノームが自然に同じリズムになる現象。あれを同期というそうです。仕組みとしてはそれぞれが発する振動が影響しつつ一つにまとまる動きだそうです。全く不思議ですね。

そこで思ったのです。何だか陰気な場所だ!!と思う感覚は正しくて、その空間は全体が負のリズムで動いているのでしょう。工房をお掃除して思いました。汚い環境では人の心を打つ作品は産まれないと。これからは作業の前に掃除を組み込みましょう。


le 25 dimanche 日曜日
只今、5/28 遡って記述
//美濃の大返し//秀吉の電光石火の移動劇ではありませんが、売れる見込みのない状況で風も強く作品も飛んだり。表向きは割れると公園利用者に危ないという理由で、13時に先行して撤収。全く時間の無い状況で出店したこともあり、見込みない状況に甘んじる余裕もないとのことで決断しました。。家に帰り、30分で荷物を下ろし充電時間に仮眠。高速を利用して21:30に三重工房へ。ここからがまた忙しく、日付変わって4時まで施釉窯詰。そして点火して寝ました。


le 24 samedi 土曜日
//エネルギーの渦//本日と明日は松本で日本最高峰のクラフトフェアがあります。あいにくのお天気ですが物凄い人手と瞬時に伝わってきました。松本のあがたの森公園。ここに日本で最高峰の技術を持つ作家が最高の作品を携えて集結する。考えると、作家側の圧倒的エネルギーが集結しています。そして、物凄い人というのは、買い手側の情熱も凄まじい。全国から松本に集い意中の作品を買う。彼等のエネルギーも圧倒的で、一つの公園に凝縮している。そして買い手とはまた違ってバイヤーとかギャラリストも集い、意中の作家を見出そうとする。この三種類の膨大なエネルギーが一つの公園に集結する。まさしくエネルギーの渦。

//新しい結晶・新しい物語//今日と明日、三種のエネルギーがぶつかり合い、幾つかの新しい展開が始まります。作家のエネルギーと受け手側のエネルギーが見事に結合して新しい結晶が生まれるのです。東京で、金沢で仙台で個展をしませんかとか、○○百貨店で取扱いたいのだけどとか。三種の思惑が、新しい世界を構築し始める。

//本日の私//某所で出店。あいにくのお天気は松本と同じですが、こちらは訪れる人がいません。出展者でさえ当日キャンセル頻発で「空き地」が多い。そして13時に本日は閉じるとしましょうとの主催者からのアナウンス。エネルギー密度がスカスカで、新しい結晶という何かの展開もありません。何も生まれない空間でありました。何か収穫があるとしたら、この日記を書く【気づき】だけです。

//一人のエネルギーではなくて//私がどんなに頑張っても、第一級の作品を作っても、情熱的な相手方があって初めて新しい世界の扉が用意される。そういう意味では松本は新しき扉を求める者にとっては最高の場所であり、ここを目的地としなければなりません。作家としては車にガソリンを入れるのではなく、松本の席を用意される作品を作ること。これら第一級の作品群があってこそ松本に行けれるのだ。

//不思議//それでも二個売れました。全く売れる要素の無い状況だったのですが、不思議ですね。こればかりは不思議-不可思議-摩訶不思議。条件が悪いのに、私の作品から放つ何かが人の心を掴んだのでしょう。

//まとめ//本日、雨降るテントの中で考えていたのですが、私はただ作るのではなく一級品を作る作家に成長すべきであり、成長こそ人生のパスポートなのである。このパスポートがあるからエネルギーの渦に身を投ずる事が出来るのです。出店を重ね経験値も増しましたが、大切なことは闇雲に出店の経験を重ねるのではなく一級品を携えて天王山で勝負していく一年の過ごし方。新しい物語を始めたいならば、エネルギーの渦に身を投じる作家でなければならない。これからは不足を補う制作ではなく一級品を作り上げて、そのエネルギーで新しい扉を開いていくことにします。これに気が付けたので、本日はとても良い一日でありました。私に無駄は何も無いのだ。


le 23 vendredi 金曜日
//雨の日の楽しみ//明日明後日の出店は雨の中。雨の日にわざわざ訪れる人も居ないと思うので、如何にして過ごすのか。まず寒さ対策。風邪を引いたら元も子もないので厚着の用意。それから本ですね。いつも忙しい時間を過ごしていますので、たまにはこういう晴耕雨読のような生活も休養ということで楽しむことにします。暇な作家同士で交流するのも楽しい時間になりそうです。

お天気はどうすることも出来ないけれど、どの様な心持ちで過ごすかは各人に任せられる。


le 22 jeudi 木曜日
//自分が何歳か分からない//良い意味で若々しく感じています。あと一か月ほどで53歳になるのですが、その感覚が全くありません。年齢は記号だと言うけれど、強がりでもなんでもなくて本当にそんな気がするのです。最大の要因は定年という儀式を自分の人生から排除したこと。その次は前職を辞めてから、陶芸一年生の気分で何事も取り組んでいること。特に前者は甚大で、勤めていたら定年まであと何年。延長雇用を選ぼうか?転職しようか??年金は何歳から??とか人生後半の複数の観測基準を全て白紙にしたこと。私は死ぬときは陶芸が出来なくなった日で良いと思っている。つまり生涯現役。老後というものは仕組みの上でも消し去りました。

こういう人とは違う生き方を選んだわけです。多くの芸の定年後は時間とお金に溢れているので、再び集合する力学が働くのかもしれません。集っては旅行に行ってばかり。飲み屋に行き浸り。ですが私は生涯現役なので、引き続き今のまま。

あと10-15年もしたら大量に芸のリタイア組が発生するでしょう。彼等がどういう行動を示すのかは興味があります。もし伴侶がいるなら、これが理想の過ごし方でしょうね。流されることなく豊かな時間を作っていく。ところが独り身の場合だと、どうなるのでしょうか?? よほどの人生の美学や哲学のある人なら、山小屋で離島で理想の場所で一人で生きていく事もあるでしょう。そういう人は魅力的ですね。ただ、これには大いなる決断が必要で、それをやり抜く力こそ、人生後半の美学と哲学だと思う。

ところが特に考えることもなく定年を迎える芸の方が大多数だと思うのですが、この多数の行動様式も気にはなります。一つ想像するのが大都会の芸タウン周辺に住み、安否を確認し合いながら飲み屋を中心として日々を重ねる姿。

産まれた以上、死ぬわけですが、特に考えないとしても確実に老いの日々はやって来る。最も辛いのは時間を退屈に思ってしまう過ごし方。兎に角、することが無くて退屈。今日も退屈、明日も退屈。これこそ最も警戒すべきことで、退屈でも生きているのだから何かを選択する。ここに人生の落とし穴があって、お酒にギャンブル、薬物と一瞬退屈は回避できるのでしょうが、退屈を克服する何かを自分では見つけていないので、時間が来たら同じ虚無感に襲われる。

老後という時間帯が20-40年単位で出現する私たち。退屈や寂しさは最大の敵。何か見出すとしても老いるよりかは若い頃のほうが何かと有利だと思うのです。人生後半の観測基準。その時に『何かを見出していたら』また別な選択肢も出来るわけで、選択肢はないよりあった方がはるかに良い。

私が考えるのは【陶芸を通しての】人的交流の拡大です。


le 21 mercredi 水曜日
//朝から23時まで//昨日の続きです。 私は同じものは作りません。でも年に一度は技量の保持向上のため同じ形状を何十個作る修業は必要だと思っています。話は戻りまして、このマグカップも一見似ていますが、それぞれに気まぐれを添えています。これは新規の技術の確保にとても効果を発揮する。飛び鉋で、このタイミングは同じことを繰り返していたら決して出会えなかった技術です。面白いテクスチャーになりました。


le 20 mardi 火曜日
只今、5/22。遡って記述。
//マグカップ//この前の集中制作期間では間に合わなかったマグカップの制作をお昼ご飯食べてから。今年は梅雨が早いのでしょうか??湿度が高い。 梅雨前線が南に停滞するなら、この時期は確かに暑いのですが空気は乾燥して初夏の陽気。

実に不思議。頭では、この形を作ろうと考えても、指先はかたくなに拒否。特別難しい形状ではないのですが、その形は一向に作れない。こういう時は素直に諦めて、「今はこの時期ではない」と思うようにしています。


le 19 lundi 月曜日
//信州お野菜特別便//いつもありがとうございます!!小一時間ほど時折お会いして互いの近況を話し合う、素敵で理想な時間の過ごし方。普段はそれぞれに夢中に過ごす時間があって、時折近況の報告。

さあ、明日からも頑張りませう!!

//貴き活動//私が陶芸家になった情熱の深さは、この日記を読んでくれる人には分かってもらえると思います。まさしく、この道に進むために私がこの世に生まれてきたと言って正解で、その時期も、色々と経験を積みあとは魂が燃え尽きるその瞬間まで、陶芸に専念せよと、これも最適の時期であったと思います。そして何を作るとか考えているようで考えていません。正確に言うと、導かれるように頭や手が動くわけでして、私はただ専念するだけ。全く、陶芸の一切は神がかっていて私には貴いのです。無から有が生まれる。粘土の塊から美が生まれる。美から価値が生まれ、それで私は生活する。一粒万倍日のように、美や価値、別に言うなら上限の無い富に携われるなんて、貴くて尊くて。


le 18 dimanche 日曜日
//美的感覚を鋭敏に//凄味がある作品をこの世にお届けしたい。私が越えるべき人々は既に独自の鋭敏な美的感覚を持つ作家達。彼等を模倣するわけでもなく、ましてや敵対するわけでもなく、私独自の美的感覚でもって彼等と対話できるような作家になりたいのだ。

分析するに、私は釉薬の開発を先行したようである。次は鋭敏な美的感覚あふれる形状の開発。これと決まったら沢山作って私の今までの釉薬を掛けてみたい。ロクロの技術を上げなくては。


le 17 samedi 土曜日
//見られている//ずっと前から分かっていたことですが、私のインスタは前職の人も、その存在に気が付きまして何人か拝見してくれます。実際のところは、思っている以上にあの人もこの人も見ているのでしょう。もちろん大歓迎なわけでして気分を害することなどありません。ただ彼等は伏せて「いるつもり」で覗いてくれる。だからと言って投稿内容が変わるわけではありません。私は私の道を進むまでのこと。遠慮したり恥ずかしがる気持ちもありません。

この人凄いな!!!と思える人は、私、○○です!!とコンタクトを取るようにアクセスしてくれる人。ただ、その様な人はいません。単純に私の動向が知りたいだけなのでしょう。


le16 vendredi 金曜日
//思いつきDIY//制作し途中に衝動が走る。日中に二回ホームセンターに行き、木材をカットしてもらって、窓の片側半分の箇所を、内側から縦型ブラインドのように斜めにづらしながら、風は入るけれど視界は遮られる、そんな釘一本も使わない大工仕事をしました。次に工房に行くときは、残り半分のカーテンを設置します


le 15 jeudi 木曜日
//焦りを越えて//今のところ作ったものが全て売れる訳ではないのですが、幾種か不足感があります。私の性格は、十分な在庫が無いと落ち着かないので、朝から晩まで工房に籠るわけですが、本当は落ち着いて丁寧に作りたいのです。なんだか選ぶカードを間違えているような気もしますが、丁寧よりも急いでしまう。

まずは納得のいく良品を多く揃えたうえで、丁寧に作る時間に入れるよう頑張らねば。



le 14 mercredi 水曜日
只今、5/18 遡って記述。
//集中制作期間-初日//次の土日にも制作できるなんて、心にも余裕が出てきますね。その初日なわけですが、16時過ぎに地元の温泉に行きます。ここで30分ほどゆっくりして、併設の図書館で、地元の昔話の本を読み、近くのスーパーで食材を調達して工房に戻る。

それでも最終的には時間はあってないようなものだと痛感するのは毎度のこと。


le 13 mardi 火曜日
//集中制作期間//次の土日は出店も無いので今回は磁器土で集中的に制作します。フラットプレートと長方形皿を、二日にかけて制作したら、マグカップかな。余裕あれば椀物も作ってみたい。

//スマホ依存から脱却を//いかんいかん、昨日今日と暇さえあればスマホばかり見ている。見たところで何ら生活の向上に寄与しない低俗な内容も実に多い。一日は24時間で365日。こればかりは万人に平等。私は遅くからこの道に入ったので、現役でいられる期間は若い陶芸家の半分でしょう。この半分のうちテキパキ身体が動かせられるのは、さらに半分と仮定すると、そうなんです!!!!!今、スマホ見ている余裕は全くない。


le 12 lundi 月曜日
//美しい鼻声//初めて男を見た。



最近、週末毎に出店でしたが、漸く、再来週末と時間的余裕が出来ました。5日ほど集中的に作って、三台の窯をフル回転するかな。


le 11 dimanche 日曜日
//長岡では地獄絵図//今回の低気圧で長岡のイベントは4時ごろの強風で軒並みテントが倒壊し、伝わる処によりますと地獄絵図の様相であったらしい。よって二日目の開催は困難とのことで中止が決まったそうです。

昨日の強風が、長岡では今朝方だったのですね。

私にとっては楽しいあわらでした。帰りも鯖江まで高速を使い、ここからは全て一般道で11:15に帰宅出来ました。


le 10 samedi 土曜日
//北潟湖//昔から地図を見るのは好きでした。目では地図から情報を得ているのですが、心の中では見知らぬ地形を、その情報をもとに構成しているのですが、これは今でも同じことをしています。

日本海でも能登半島の西側から東尋坊迄、まっすぐに続く海岸線には独特の光景がありまして、それは海岸に沿って内陸にいくつもの湖があるのです。今回、その一つの北潟湖を見ることが出来ました。湖は、谷が堰き止められて出来た地形も多いのですが、この辺りの潟と呼ばれる湖は、平地に存在する湖。答えは巨大な砂丘の何本もの襞の間に誕生した湖。よって周辺の土壌も、かなり内陸に行っても砂地なのです。

この日は風が強く、なかなかハラハラした出店になりました。


le 9 vendredi 金曜日
只今、5/12 遡って記述。
//なんと!!!!//前日搬入ということで、金曜日の出発。目指すは福井県あわら市。今回は二泊とも車中泊なので、浮いたお金で美濃まで高速を。そこから北上して油阪峠を越えて福井入りする予定でした。ところが郡上八幡の手前で大規模崩落のため通行止めとの案内が。まったくう回路もないのに、かなり北上してからの案内。想定外とはこのことで、さて富山周りで行くか、振出しに戻るか緊急脳内会議。東海環状自動車道が本巣まで延伸していたのは幸い。一旦南下して、環状道を本巣まで。そこから初めての道ですが冠山トンネルを利用して越前入り。

大災難だったのですが、初めての徳山ダムの威容は良い学習になりました。一つの村を廃村にしてまで建設した徳山ダム。ダム湖の大きさは、圧巻で、行けども行けども湖は続く。日本海の分水嶺に近いところまでダム湖なのは、全くの驚き。

鯖江から北陸道を利用して、14時前には到着出来ました。かなり風が強いのでテント設置はあぶないと、荷物を降ろし養生だけして、芦原温泉へ。塩素の匂いこそしませんでしたが、温泉成分が何であるのか全く分らない【湯力最弱】の記憶に残る温泉でした。


le 8 jeudi 木曜日
//子連れ狼//面白過ぎます!!!!!!!!!!!!!!

















le 7 mercrdi 水曜日
//関係ないことだ!!//昔の話をします。 とある人物と縁を切りました。詳細を書くと長いので割愛しますが、縁を切ってからも復縁を迫られるというか、別に恋仲でもないのに、友情を清算されるのは勝手だと、ちょっとしたストーカーじみた行為もされました。 そして彼はこんな事を言うのです。私を嫌う理由は「Aさんのお金を盗んだことか? それは関係ないことだ!!」と。返答さえしませんでしたが、その話は既に聞いていました。

ここでビックリな構図が浮かび上がったのです。

友情関係を解消する。その理由は直接関係ないけれども犯罪行為を見聞きしたから、これを理由として友情関係を清算する。こういう感覚は勝手であり関係ないことだと!

この心理には驚きました。その人が私には関係ないところで犯罪行為を犯し、後日、私はその事実を知る。その事実に鑑み、今後の在り方を考え、友人には相応しくないと判断し絶縁する。これって世間では当り前の行動規範だと思うのです。ただ大人のマナーとして特段理由も述べず解消の方向に持っていく。

これを勝手だと言われては本当の事を言っても良いのですが、絶縁すると決めた以上、関わりたくないので、それさえ言わず無視しました。情状酌量の文言で既に社会的制裁を受けているとの言葉は良く聞きますが、こういう周辺の態度の変化も一種の社会的制裁なのでしょう。あり得ない犯罪の事実を知った以上、関係を見直されるのは当り前のことで、その範囲は当人が思っている以上に広い。

結局、別な道を選んだわけです。その道は私にとって何ら興味も関心もなく、正直言えば嫌悪する世界。ですが、その世界が好きで選んだわけですから、別々の道に分かれていくことは自然なわけでして、月日が経てばどんどん遠ざかり地平線の向こうに行って見えなくなるのでしょう。こうして、私には私の、彼には彼の世界が広がって、一切の共通点も無くなるのだ。


le 6 mardi 火曜日
//非常の措置//名古屋に戻って参りました。あと一日あれば計算も成り立つのだけど、全く時間が無い。よって窯出しした素焼を釉薬と一緒に名古屋まで持ち帰り、名古屋で焼成。上手く焼き上がれば、新作も新作を福井に持っていくことはできそうです。

ついでに今朝の夢は、これまた前職で、なぜか私は大量の段ボールを何処かに納品しているのだが、ここでトラブル。低い立場なので、次回の条件を低くしてなんとか収拾する。夢の中で私は強く思う「下請けになってはダメだ」と。 

誰かに頼まれたものを作るのではなく、良いものを創り誰かに買っていただく。前者の構造に組み込まれると、再三の指示とか変更とか、全く時間の浪費ばかりで、そういう売り上げは、作り手として避けるべきだと。そんな時間があるのなら、もっと良いものを創りあげ、広く買っていただく方が、自らの立場も高めると思うのです。


le 5 lundi 月曜日
//三重工房//一泊二日の予定で三重の工房です。彦根⇒名古屋⇒三重工房。今週は上半期で一番忙しくなりそう。ですが、忙中閑ありで、温泉に行ったり本を読んだり早く寝るし。

今朝方、凄い夢を鮮明に見ました。夢はよく見るので書かないようにしていましたが、今回は特別。未だに前職の夢なのです。

Y林氏が社長に、達筆で筆で描いた江戸時代のような書物を渡す。これはY林氏直筆で、社員一同ビックリ。その内容がすごいのです。
「社長が動かなければ社員は動かず」と最初のページ。これを手渡された社長は、「はじめて信頼できる部下を持つようになった」と皆の前でY林氏に言う。そこに何故か私もいるという光景。


前日は彦根で苦戦して、そういう夢を見るならまだしも、全く関係のない光景を見るのですから、夢というよりかは、何かのお告げ!??


le 4 dimanche 日曜日
//彦根日帰り//お天気は素晴らしかったのに、久々に苦戦しました。企画としては彦根市の予算もありまして、「立派」なのですが、粋な彦根市が市民向けのGWのファミリー企画で、催しも盛りだくさん。つまり今回の出店は企画の前座みたいな扱いで、クラフト品を買うことが目的のお客は最初からいないという構造。  今回、一宮と彦根、どちらにするか悩みましたが、一宮は買うことが目的の企画であり完全に私の選択ミス。  最近、売れるようになってきたと思っていたのですが、それは売れる場所に居たからです。会場選びは本当に大切だと実感。

ただし、赤字ではありませんでした。何度も言いますが、初年の5月の浜松城は二日で0円。継続とは、凸凹であっても確実に成長している。今年の凹みは以前の山の頂上である。こんな感じで、また苦戦を感じる日もありましょうが、それでも継続なのです。


le 3 samedi 土曜日
//お米10kg//本日、平和堂でお買い物。なっなんと備蓄米とおもわれる安いお米が入荷の瞬間。徒歩での散歩お買い物でしたが、帰りは戦後の買い出しみたいな感じでヒーヒー言いました。さて、懐かしい顔を二人見かける。声を掛けるタイミングは無かったので通りすぎましたが、一人は中学の同級生、もう一人は前職で同じだった人。後者は私より先に辞めましたので、私も辞めたと知っているのかどうだか。6年ぶりくらいに見るお顔でしたが、私もあの位に変わったと思われるのでしょうか??

全く人生は【散らばったマッチ】論。これは何度も唱えるのですが、マッチの芯が私そのもので、棒の向きはその人の進む道。たまたま、ある時期において近接し同僚であったり同期・同級生であるのですが、時が経てば、その人なりの道を進み別々の世界を見る。行った先でも、仲間は存在するのですが、時が経てば、また別なる道を歩んでいく。死ぬまでこの繰り返しであると。


le 2 vendredi 金曜日
//引き下がる時//夕食後も引き続き作陶。ところが、ある時点を境に全く出来なくなる。それまではスラスラ作れた形状がである。一時間粘ってみたものの、結局一個も作れず諦めるたのだが、こういう現状は良くあるのだ。

自らを観察すると、今日はここまで、とか、この辺りで引き下がれとか、陶芸は大好きで他を削っても没頭するのですが、これを戒めるように、ある時点を過ぎると、簡単な形状でも全く出来なくなる。この不思議な信号の受診と同時に引き下がれば良いものの、「いや、そうではない」と勝手に解釈してしまうのですが、これが間違いと気づくまで、本日は一時間も要しました。

自分の事が分っているようで分かっていない。時には第三者目線で冷静に見つめなくては。


le 1er jeudi 水曜日
//勘違い//今月の出店ですが彦根の次は福井なのですが、この間、何もない週末が挟まっていると勝手に思い込んでいました。
ところが間髪入れずに福井と判明。全く時間が足りなくなりました。




 
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