mai.2015



le 31 dimanche
//父上退院//約一カ月の入院生活も本日をもって終了。言葉が通じないムクちゃんは、どんな驚きをするのかカメラ回しましたが、餌と散歩を提供する人が変わったためか、さしたる変化がない!!!! 動物って凄いわ。数時間後、この人に吠えるとおやつがもらえると思い出したのか、父上に昔の反応を。。。


le 30 samedi
//およよ//心ゆくまで作陶に専念したのですが、なんとなんと出来たのは急須二個だけ。。。やはり、この間のお見舞いとかで密度が低下した反動なのでしょう。明日は行けれないので、この不調、来月まで持ち越しです。


le 29 vendredi
//車検24万円//また、車検通しました。たぶん、新車購入という感覚は、これから先も湧かないでしょう。維持費がかかっても愛着が減らんのです。それに週末の瀬戸への往復だから、痛みは少なくなるはずだし、当分、元気で走ると思うのですよ。


le 28 jeudi
//退院も視野に//今月の初め松の木から転落の一報が入り、即、入院。いよいよ退院の具体的な日取りが囁かれるように。。。まあ、退院したからと言って、従前の枠組みには戻りませんので、暫くは、+αなんですが、週末の陶芸はフルで行けれそうな気もしてきた。


le 27 mercredi
//暑い暑い//何年か前、空梅雨で日差し降り注ぎ暑い5-6月。そして梅雨前線が北上して夏が来たのではなく日本の南岸で消滅し太平洋後期朝に覆われ酷暑の夏となる。それと同じ夏になるような気がするのです。恐ろしや恐ろしや。


le 26 mardi
//あのラーメンを食べてしまったら、、//次に食べるとしたら3回目ですが、その三回目が出来そうで出来なかったのが本日。知多半島の某所で研修。その帰り、行けば行けれるのでしたが、明日も終日研修で、仕事が溜まる恐ろしい環境でもある。涙涙で名古屋に戻るのでした。


le 25 lundi
//産業革命//梅肉エキスの産業革命。あれほど苦労した梅肉エキス作りも、今年は品質も落ちず時間短縮の革命を成し遂げました。去年一昨年と、それなりに改良しましたが、時短と比例して品質は落ちていたので、今年は万々歳ですよ。来月、本格的に梅を収穫しまして一年分作りましょう。


le 24 dimanche
//茶と梅と檜の一枚板//そんなモノを求めて。時期は過ぎましたが、ほったらかしのお茶の木から茶の葉を摘み、家で蒸して揉んで乾燥させましたよ。来年は、大量に生産します!!!!!!


le 23 samedi
//作陶2時間// 今週は2時間だけ。釉掛けと急須一個だけ。そのあと、ボヘミアン・グラス展を見ました。そして、今から、三重県へ。


le 22 vendredi
//この疲れは何だ!!!//堰を切ったように。金曜日の夜にあちこち出歩いた体力や気力は確かに無いな。まあ、40になったのは僕にとって大事件で、それから2年が経過したのですが、見るべき先が老後のアレコレですから。


le 21 jeudi
//あちらでの公表は//一カ月を過ぎた時点で。それまでに退院できれば良いのですが。


le 20 mercredi
//うどんのように// ①青梅にセラミック包丁で切り込みを前後ろの一周と右左の一周、そしてベルトのように一周の三か所入れる。②丈夫な肉厚の食品用ビニール袋に入れ、縛る。③うどんのように足で踏む ④種と身分け、身をミキサーに入れる ⑤木綿の袋に入れ圧縮して汁を集める ⑥煮込み梅肉エキスとする。  上手く行けば、従前の1/5位の時間で品質も落とさず作れるのですが。


le 19 mardi
//梅肉エキス// 毎年作っては、女工哀史顔負けの過酷な作業で、今年こそはと改良は試みるものの、それは質の低下も伴いまして、如何ともしがたく。実は、その、今年こそを、また考え始めています。 


le 18 lundi
//伸びるそうです// ナニが!? アレが!!

老いの掌 

マダム白天目茶碗  銘 老掌 ろうしょう


le 17 dimanche
//敗軍の将//都構想否決されましたね。他人事とは言え、ハラハラドキドキの開票速報。
注目の橋下記者会見。負けたとはいえ完全燃焼後の爽やかさ漂う、、、、あんち橋下なのに、、、いや、見事な記者会見でした。やはり本人も敵を作り過ぎたとは言っているし、自分の様な人間は長く権力の座に留まるべきではないとも。そういう危惧しているところは感じていたのだと、、、意外でした。   あと、大阪の自民党市議団の会見も素晴らしかったです。地に足付いた政治活動の見本ですよ。


le 16 samedi
//久しぶり// 飲みに行きました。実は、2万円食い逃げ逃亡犯として1ケ月超。支払いの時、終電で「あとで払うから!」とそそくさと。ようやく支払うことが出来ました。 たまには夜の街に出て飲みに行くのも大切だと。


le 15 vendredi
//終わりました//5日連続の仕事も、この間、忙しくて、気がつけば終わりました。明日は作陶も取りやめ。ちょっと違った金曜日の晩。


le 14 jeudi
//質//「しち」じゃないよ、「しつ」です。妄想禁止は僕にいろいろと考えさせる。つまりだ、妄想は脳内の愛撫としては満たされるかもしれないけれど、現実の生活において、その質の向上には一切関与しない意味無きものなのだと。だからお釈迦様は、今を一生懸命生きろと言われるのでしょうか。この、妄想に逃げず、今、この瞬間を一生懸命生きることが、その人の人生の質の向上の最たる要因になるのではなかろうかと。 それに、今、この瞬間を一生懸命生きると言い聞かせるのは、怒りや迷いなど感じさせず、目の前のことに引き続き専念させてくれる。やはり、実生活の質の向上には寄与している。


le 13 mercredi
//妄想の戒め// 人を呪わば穴二つの意味を最近知ったように、妄想をしてはならぬとの仏の教えがあるのも最近知りました。これはインパクトがあって、僕は全く逆の妄想生活・妄想人生を歩んでいましたから、例えるなら、禁煙してたての、あの間の持たせ方の違和感に通じます。妄想せずして、何を考えるのかと。。。。したい、妄想は山ほどありますが、してはならぬと。心の平安は何で保てと言うのでしょうか。。


le 12 mardi
//秋の5連休は// ゴールデンウィークは惨憺たる内容でしたので、秋に期待するものです。まあ、遠出はしませんよ。結局、作陶なんですが、4日作陶の1日美術館巡りとか、そういう過ごし方が出来るだけでも、僕には有難い内容。海外に行く充足感と大差ないです。それほどまでに作陶が好き。


le 11 lundi
//今週は長い//週末までに5日も連続して働かなければならない。つまり、ゴールデンな日々は昨日まで続いていたと言うわけね。はやく5日の連続勤務が当たり前の感覚に戻りたいです。


le 10 dimanche
//面会// 閉口したのは、面会したら言い争いが始まる展開。


le 9 samedi
//慰め// 轆轤回している間は、何も考えない。いや、考えているものの、モノづくりの一点のみで、それは瞑想に近い感覚だと思う。生活していれば感じるだろう雑多な信号がないのだ。


le 8 vendredi
//華やぐ要素の無い、金曜の晩// 帰宅して、犬の散歩。そして19時で終了の面会時間。慌てて動いて、本当の意味での帰宅後には、もう寝るしかないのです。


le 7 jeudi
//もっと勉強せねば// 願いを神に委ねて信じれば叶うと言う宗教もあれば、妄想なんてもってのほかという宗教もある。今を一生懸命生きるために妄想なんてもってのほか!と言うのも分かる。過ぎた過去や来てもいない未来に悩むのはアホというのも分かる。
ただ、未来を全く思わず生きることは果たして可能なのだろうかと。僕が良く言及する陶芸の場合、週末はコレコレしたいなあ、と、思うことはあります。それを否定されて、轆轤の瞬間に全てを賭けよとと言われても、それは正しいことなのかと。仏様は少し先のことさえ思いを巡らさなかったのかと。この考えの整理がつかず、ちょっと悩んでいます。


le 6 mecredi
//内向的な連休も最終日// お見舞いにも行かなくてはならないし、作陶は取りやめ。残る時間は家でのんびりと。コミュニティーFMを聞きながら南信州新聞を読んで茶を飲む。
そうそう、速報値なんですが、この5連休出費は9330円!!!! まっ内向の極み連休でしたからね。


le 5 mardi
//風薫る五月の作陶// 揺れる木々は新緑の透ける緑。暑くもなく寒くもなく。何も考えず、ただひたすらに轆轤を回したい。アイデアは泉のごとく湧いてくるし、これは尽きることもなし。


le 4 lundi
//遠出をしない連休// 今年は作陶に専念というわけにもいかず、まあのんびりと過ごさせてもらっています。そう言えば連休前、旅行のお誘いを受けましたがお断りして良かった。予定を調整して行ったとしても父の緊急入院と重なったわけだし。。。。


le 3 dimanche
//非陶芸の一日// 父のお見舞いなどイロイロ。
snsが発達すると、いろんな人の連休の過ごし方がリアルタイムで知ることが出来ます。
皆、それぞれに思う過ごし方をされていて、あの旅をした時の高揚感を味わっているのだと、旅をしない僕もちょっと想像して味わったりしています。


le 2 samedi
//転落の相// 我がウーマン家の男子には転落の相が付きまとい、それでもって人生が終了してしまう事例が数多とある。本日、父上が梯子から転落し肋骨を何本か折り、救急車⇒入院となる。もともと偏屈な性格で人の言うことを聞かない。退院してしばらくしたら、また同じことをするのでしょうが、今度こそ命奪われるような気がする。人生にあるだろう救いのカードを我を通してしまったため安易に一枚消費してしまった。本来なら避けられた災難なのに。

正直に申せば、何かしらの諦めがあるのだ。好き勝手に生きる選択の因果の応報を、もう周囲はハラハラ心配する必要もないのではと。諦観でも達観でも良い。

これで連休のアレコレは全てご破算になってしまった。知らぬ存ぜぬは親子ですから出来ませんので仕方ないのですが、ボケてもいないのに、退院後、また人の言うことを聞かず転倒したら、もうどう接すれば良いかと。座敷牢に入れなんて言ったためしはないのですよ。梯子に登って枝切るなんて危ないからヤメテ!と。自由の剥奪でもないのに聞いてもくれない。若い時から、そうでしたもの。イヤハヤ。

ただ、その先には穏やかな死ではない死が待っているはず。死という生命の1-2位を争う儀式において、不本意や痛み、後悔の念でもって挑む死は、達観の死や穏やかな死とは全く違う、その先の道があって当然だと思う。前にも書いたけれど、死んでから「人生を選択」し、こっちの道を進もうとは出来ないのだ。死んでからも何かしらの行程はあるだろうが、それは生前や死ぬ間際の質で決まるものだと。


le 1er vendredi
//ちょっとの、、//仮眠が、本格睡眠になってしまって、5連休前夜の浮きだつ時間を台無しにしてしまった。最近、こんな金曜日の晩が多すぎる。

 
 
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