mars.2008


le 31 lundi
//どちらが潤すのか??// 特定財源で地方の土建屋に仕事が流れる。それとも、暫定税率が撤廃され人の動きが活発化し都会の観光客が大挙して訪れる。
仮に後者なら、その分増える二酸化炭素を何とかしたいものです。
それが解決されれば八方全て丸く収まるような。

でも、温暖化ガスを減らすのは、もう絶望的なのでしょうか。

話は別に、穀物価格も高騰。
国内の荒れ果てた休耕田も採算ベースに乗ったりして。
それが叶えば、農村にも新しい風が吹くというものです。

le 30 dimanche
//篭る日曜日// 土曜日は予定も狂って時間が生まれる。よって髪結ひに出かける。その後、リサイクル映像文化販売所にて、掘り出し物はないかじっくり見て回りましたが、意図するものはなく帰る。ドラッグストアで5000円程度アレコレ買って家へ。

本日は晴れていたなら、下見に遠山郷まで行くのでしたが、雨が降るとの予報。終日大人しく家に篭る。

したことと言えば、宿の予約を済ませ、岐阜ラジオを聞きながら地方の風情を味わう。



人に語れるといえば、それが目的で嫌味にも映りますが、いかに個性的な時間を重ねるかが人生の味わいだと思います。
それを平日に具現化しようとすれば難しい。仕事の楽しさは、往々にしてコツコツとした努力の末の姿。
だから、週末にこそ個性的な味わいを。

遠山郷のHPを見ると、楽しさを地域地域が手作りで産み出しているのが分かる。そういうイベントに参加する勇気があれば、これまた充足な思い出になるでしょう。

年金を得るためには働かなければならない。
食べる為にも、着る為にも、住む為にも、勤労は大切な行為。

働くことは大事で、それは食欲と睡眠欲の次に大切なのかもしれない。  結婚しなくても性欲がなくても生きてはいけるけど、働かなければ生きてはいけない。

その尊い勤労を長続きさせるのが休息。
勤労と休息は一軒真逆な関係ですが、上手な組み合わせは勤労を大いに後押ししてくれる。

ただ、週末は疲労を取るために何もしないでは、それもやがて破綻するでしょう。身体の休息は大切ですが、勤労とは別の活動的な何かを味わう。勤労とは別の、新鮮な血液の流れ。大切なことだと思います。

le 29 samedi
//怪しいおじさん。その二// 昨日の日記を書いていて、二人は同一人物のような気がしてきた。それを知るのは僕だけ。共通点は痩せ型の人。ただそれだけですが、僕は昔から、そういう勘は冴えるのですよ。

もう、会社の誰かですよ。きっと。誰かに用がある。その彼は知らん振りをするから、わざわざ来て用があることを示している。

たぶん、この段階でコンタクトがなければ、会社に入ってきて、○○さんは居ないか?と聞くでしょう。

今は彼の「優しさ」から、表だって波を立たせることはしないけれど、この次の段階は違うと思う。

おそらく借金取りでしょうね。


そういう噂のある人は一人居る。

彼は追放処分になっても相当ですが、社内の人間にも数百万の借金があるらしく、今は天引きとのこと。辞めさせたいけれど、辞めさせるわけにもいかない。 変な意味で雇用が保証されている。

ただ思うのは、道理として社内の人間に友達金融を頼むのは、初期の段階ではないはず。方々手を尽くしての末の話だと思う。
その、どの方か知らないけれど、踏み倒しているのでしょう。
その彼が、我慢ならなく、とうとう顔を出す。

仮に、この話が真実だとしたら、彼以外には関係ないことですが、それでも会社の人間は不安に思うし、ともすれば会社の品位を落としかねない。ますます自主退社して欲しい彼だけど、天引きが故、勤めている。

結果として、社内の借金が清算できたら、居るに居られない状況になって、会社を去るのでしょう。

le 28 vendredi
//怪しいおじさん// 二日目だとのこと。その存在を知ったのは今日。深々と帽子を被りマスクをする男が一人、2時間くらい立っている。会社の前で。通りをはさんで向かいにもビルがあるので、向かいのビルの人は前日から知っていたようです。怪しいおじさん。
一体、誰に用があるのでしょうか?????

正確に言えば、会社の前のあるエリア。我が社とは限りません。ただ、両隣、お向かいさん、どこかの誰かに用があるのでしょう。

怪しいおじさん。もう、その存在を知ってしまったので、月曜日は注視するのでしょうね。ハテマタ誰に用があるのかしら??

こういう不可思議で不気味な現象が起きたとき、身に覚えがないのは心が救われます。仮に、思い当たる節のある人が居たなら、そりゃもう気が気ではないはず。それが自分ではなくても。

そういえば書いていて思ったのですが、一週間前か10日前か、向かいのビルの駐車場に見慣れない軽自動車が停まっている。最初は、用がある人と思っていたのですが、誰も思う節がない。そして無人かと思いきや、人が乗っているではないか!!!!!

痩せた中年の男が携帯をいじっていた。
「あの〜 ここはウチの駐車場ですが・・・」と声を掛けた僕。
その男は、後ろの車が出るのかと思ったのでしょう。
「出られるのですか?」と聞く。
「いや、出ませんが、ここはウチの会社です」と。

その軽自動車は、近く路駐をし、彼はまた携帯をいじっている。

怪しいおじさんも痩せていました。軽の彼もそんな感じがする。
もし、同一人物なら、会社の誰かに何か用があるのかしら?

le 27 jeudi
//伊那市にも泊らなければならない。下諏訪も。// 雪の心配もなくなり、まずは今年初めての毒沢行きを検討して。。。
そして伊那市で桜とソースカツ丼の夜も楽しみたいし。

//三伏峠// 日本で一番高い峠。2615m。いつかは登ってみたいと思っていましたが峠の小屋が閉鎖されたそうです。
 

山を登るなら山頂を目指しますが、僕は、この峠には惹かれるものがあり、いつの日かはと思っていました。
峠。それは山を越え向こうに用事がある。その人の道。
それが2615mってどういうことでしょう。
もちろん車ではいけません。江戸時代の人になった気分で登ってみたかったのですが、小屋がなくなってしまい、かなり戸惑ってしまいます。

le 26 mercredi
//お昼ごはん// 旧・南信濃村の「かぐらの湯」には食事施設も併設されていますが、ここは山肉文化圏。猪や鹿、熊の肉も食べることができます。もちろん、宿の夕食に、それらは出るはずですが、なにせ山深い民宿なので、鍋にする程度でしょう。専門店を探して、山肉を食べるのも興があるかも。

//秋葉街道・和田宿// 今も生活する古い集落。全く観光客向けではなく、どこの田舎にもありそうな古い集落。ただ、そこをブラリ歩きするだけ。そういう緩やかな時間を楽しみます。
この和田宿ではお昼と温泉。食後はブラリ歩き。
田舎の集落には、味噌・醤油屋。和菓子屋。酒屋があります。
そこに顔を出して、地元のものを買うのも、これまた味のあるブラリ歩き。

それにしても遠山郷を紹介するHPは読みやすいし情報量も豊富。
何もない旅なのに、いろいろと何かはあるようです。それが現代の時の流れとは背反する、鎮座まします何かなので、たいていの人は過ぎ去ってしまうのでしょう。

le 25 mardi
//日本人は馬鹿になるのか!?// 3/31から各紙揃って文字を大きくするらしい。7-8年前にも一斉に大きくしたはず。大変に危惧しています。20年前の紙面の半分の情報量になるのかと。

紙面が増えれば文句はありません。そういう対策は聞かれないし、そもそもパルプ価格も高騰。そして新聞の広告欄の訴求性が低下している今、紙面増刷は無理でしょうね。

老人が増え、その対策なのでしょう。新聞離れを食い止める対策なのでしょう。

その優しさが、情報の「安さ」につながると思う。

これは新聞に留まらない。

ネットでは各種言論に対するコメントが百家争鳴。
しかし、何もないところで議論が沸騰するわけでもなく、
「ソース」と称して、元ネタを貼り付けた上で言いたい放題。
その元ネタがうすっぺらくなるのだから、悪循環になると思う。

新聞は、ネットで簡単に得られるコピー紙面コピー情報に読者を奪われていますが、その対策が情報量の少なさになるのは本末転倒だと思う。

欧米の高級紙のように、サイズは二周り小さくても分厚くて、情報の豊富な新聞を切望します。

老人が増えるということは、読みやすい紙面はもちろんですが、一日の暇つぶしにもなる分厚さが求められると思うのです。

ゆとり教育は批判の対象になりました。日本人の知識を先導する新聞もゆとりでは、こりゃダメですよ。

もし、紙面もそのまま文字は大きくするのなら、言い回しに熟語を多用し、その不足分を補うべきですが、それがまた難しい紙面につながると「優しさ」を選ぶなら、もう新聞は没落の一途だと思う。

le 24 lundi
//何もない旅// 四月の中ごろに、皆様のウーマン旅行社が企画する旅があるのですが、今回のテーマは「何もない旅」

ともすれば聞こえてくるものは僕たちの声以外は天竜川の流れと鳥の声。そして1-2時間に一回飯田線の音。

あまりに不便で観光客を迎える努力が、都市部に十分伝播していない。
よって、そこに訪れるものは、極めて高い志のあるもの。何かの強い意思がなければ、こんな不便な場所には足を運びません。

お誘いするのは旅の戦友並みの旅なれた人たち。
この何もない風情がきっと分かってもらえるはずだと確信して、何もないルートを考えています。

le 22 samedi et 23 dimanche
//富士山と寿司の旅// 

le 21 vendredi

//医食同源// 例えば風邪の引き始めに四川ラーメンとか韓国の料理を食べれば発汗作用で風邪も撃破できるものと考える人は多いはず。そういう医食の知恵はあります。

しかし頭を捻っても分からないのが、
花粉などのアレルギーと胃腸風邪。
この二つは何を食べたら治るのでしょうか???

特に、ここ三年ほど思うのが胃腸風邪。
まさしく白髪が増えるのと同じで、一つの老化だと思っている。

そんな風邪は引いたこと無かったのに、毎年、1-2回、
胃腸風邪に悩まされる。ただ元来の自力更生精神で抗生物質には頼らない。と、いって医食同源の観点から何を食べたらよいのかも分からない。

胃腸風邪と花粉は、悶々として過ごす他ないのでしょうか?

le 20 jeudi
//血が滞りましたが、//ある意味、理想な祝日でした。
外は寒くて激しい雨。雨音さえはっきりと聞こえます。
雲の厚さは、日中なのに薄暗く、やむ気配の無い雨。

こういう時に暖かいベッドに包まり、AMラジオを聞きながら
本を読んだり、再び眠ったりするのは、理想です。

春眠暁を覚えず。

これは春の惰眠の理想形だと思いますが、
それとは違い、外気の寒さとの対象が非常に宜しい。

十分に寝ました。
週末は晴とのこと。

やりたいことは沢山あります。
ただ、そのどれもこれもイマイチ後押しに欠ける。

特別な人がいるのなら、重い腰も上がるのでしょうが、
単身だと前言を翻しても誰にも迷惑はかからず。

富士山と寿司。
諏訪の毒沢。
伊那のソースカツ丼。
春の鳥の声の収録。
ハイキング。
貯蓄に専念。


こういう諸案はありますが、
特別な人が、コレにしたいと言ってくれたら、
それを台無しにしないよう、アレコレ事前に調べたりしますが
ダメですね〜〜〜
どう転んでも良いや、という曖昧さ。結局何もしなくても迷惑かからないし。


これに限らず、自分は誰かを誘うってことをしません。
例えば会社の飲み会でも席を動きません。
楽しい空間は動いて見つけるものではなく
自分の手元で耕すもの。

幸い、不定期ですが、誰彼となく声を掛けてくれます。

ただそれに頼ってしまうと、次の週末のように不毛なパターンもあるのです。


自分から声をかける。
果敢になりましょう。

le 19 mercredi
//どうやら今年はダメのようで// 毎年訪れる川売の梅の花。あの集落全体が梅の花に埋もれる様は圧巻で、例えるなら秀吉の醍醐の花見の梅版でしょうか。

最近の暖かさが訪れるまでは、寒気も居座る三月の初め。
見頃と言えば先週末だと思うのですが祇園にいたので無理。
明日、訪れる予定ですが雨が降れば無理。そして散るのでしょう。

そもそも起きれるのかも疑問。
週の真ん中にポツリと訪れる休日もありがたや。
明日のことを気にせず過ごせる夜って、ありがたやありがたや。

le 18 mardi
//敵失というより限界か// まず民主党の日銀総裁人事に対する取り組みには失望します。そもそも小沢さんは知将なのかもしれませんが某国の将軍様のようで表に出ず、ひたすらに不気味で国民に訴える力が無いような・・ 

それでも民主党が凋落の道を歩まないのは対する自民党の敵失。いやいや、限界だと思う。

元首相の扇動政治も終わってしまい、天秤に掛ければ、失策の民主党であっても、まだ自民党よりマシ、という感覚でしょうか。

そう考えると、自民党は次の選挙で瓦解に進むような。
前首相の参院選大敗は、自民党にとって大罪で、
もはや次期総選挙で2/3以上は確定的に無理で、そこで栄華も終焉。
ここにきて前首相も健康を取り戻し、何か叫んでいるようですが、彼がした自民党への亀甲縛りは除名にも等しいと思います。
穏やかな現首相を揶揄する声はネットで盛んに聞かれますが、
今の不自由は前首相の責任そのもの。

穏やかな声を放つ人がダメ政治家ではない。
意気盛んな言を並べても、選挙で大敗すれば、
党にとって意味は無し。

自民党関係者からすれば、怨嗟の声が向けられるのは
現首相ではなく、まさに彼そのものだと思うのですが。

le 17 lundi
//良く分からないのですが・・・// 円高になると原油の輸入価格は下がります。ところが原油そのものが暴騰。これらがせめぎあっても、来月再来月には値上がりすると思いますが、どのくらい緩和されるのかが知りたいです。

//雪の心配がなくなりました// 結局、タイヤチェーンもどきも使わず春に。予備にもう一つ購入したのに。

道に雪がなくなっても、標高の高いところに新緑を見るのは五月の連休頃。あの写真を撮るのに勢い余って行っても荒涼とした風景。

le 16 dimanche
//町屋サイズの生き方// あのサイズなら、一人暮しにちょうど良い。

町屋に泊って思ったのは、昔の人は調度品など最低限に抑えた質素な生活だったのかと。そうでもしないと、あの狭さで一家が生活するには限度もあると思うのです。そもそも昔の生活スタイルは家に溜め込まないのかもしれません。
自転車操業というのは語弊があるけれど、生きていくために働く毎日。家に溜め込む暇も費用もない。そんな庶民の姿を思います。
布団と季節の着物。あとは簡易的な食器の類と火鉢に鉄瓶。
小さな座卓と硯箱に行灯が一つか二つ。
それで十分に生きていけた都市・京都の生活リズム。


そんな町屋に一人住めるなら憧れます。
コンパクトなPCと小さなオーディオ関係。それと季節の衣料を用意して、不足するものは街の中で満たす。

何もないから狭くても快適。これは一つの極意でしょう。

le 15 samedi
//町屋を借り切る// 僕は旅を共にしてくれる友人には実に恵まれていると思う。
今まで何回個性的な旅をしたことでしょうか。
今回は、祇園の町屋を借り切る京の夜。

それぞれが好き勝手に家を出て散策し戻る。
なにせ場所が良いので、旅の拠点基地。

名古屋から近いですね。のぞみで35分くらい。
こうもガソリンが高くなると、電車で行く意味が際立ちますし、
そもそも京都は車で訪れる街ではないと思います。

例えば、関西圏の友達と京都で落ち合うのも面白いかも。
それまでは好き勝手に散策して、その時間が着たら行動を共にする。

二人の距離は近くても遠くても、時々離れて時々近づく。
これは僕の付き合いの、一つの理想ですが、
京都はそれを満たしてくれる街です。

le 14 vendredi
//不幸に思うほどの悪循環// チベット弾圧。これが共産主義にして最悪の民族主義を併用した江沢民一派の政権なら、別の評価もしたでしょう。 
あの聡明ではない前政権の澱みを何とかして取り除こうとしている胡錦濤政権には大ダメージ。処理を不始末にすれば北京五輪にも影響を及ぼすかもしれません。そうすれば任期途中での宮廷クーデターで江沢民一派が返り咲くのは確実と見ています。

ただ、前政権より開明的であっても、チベットの独立は許すまじ。その兆候があったら無慈悲に弾圧するのが規定路線のようで、ここに一党独裁の弾力の限界を見ます。

このタイミングの暴動は、その効果を最大限に発揮するために今の時期なのは分かります。ただ、これが功をなし胡錦濤政権が瓦解すれば、元も子もなくなるような。

実に悪魔的なものの見方をすれば、事、須らく順調に運び江沢民一派が返り咲いたとすれば、一時的な強圧的な占領も発生するでしょうが、中国全体の勢いを削ぐ効果は出てくると思います。

世界の趨勢が「中国の代替探し」へと移行させるためには、
やはり民主的でない側面が国際的に強調されるべきだと思うのです。
そういう意味で、胡錦濤政権が瓦解するのは、悪魔的な見方として、ある意味理にかなっている。


話を戻して、やはり青蔵鉄道の開通は問題のようでした。
漢民族の流入が増え、臨界点を早めたのでしょう。
穏やかにチベットを支配するには、
漢民族の割合を減らすべきなのに。

le 13 jeudi
//よほどの悪人で無い限り// 無理を言っているのは分かっている。それだけで十分としましょう。「こんなに無理言いやがって」と意思表示してはダメ。無理を言っているのは相手も分かっているのだから、それを際立たせるのは、「楽しかったです」と言えるほどの平素からの余裕。
それが楽しかったのかどうなのかは相手方は判別しない。ただ無理を言って、この相手を労わる返答に感服するのは確実です。

ところが、何かを頼むと、ブツブツ言い続ける人もいる。正直者といえば、それで終わりですが、そういう正直は馬鹿正直なのでしょう。

ブツブツ言わないと、際限なく仕事が舞い込み貧乏籤を引くようなもの。そう考える向きは確かにあると思うし、入社間際の自分は恥ずかしながら、それでした。
短期間の観察からすれば、その自己防衛は功を成すと思う。
その短期間の甘い汁を、それから得られる全てと思うからダメなのですね。 嫌味な性格がもたらす答えは、引いては寄越す波のようなもので、延々と。

le 12 mrcredi
//近くて遠い国// 京。  その気になれば日帰りも十分に可能な京都。自由席は乗りませんが、それでも我慢できる35分ほど。
京都は実に近いのに、何かと不便で混雑の365日というイメージが出来上がっていて、素通りの毎回。

この週末は京都。旅慣れた仲間と行くので大船に乗った気分です。
ただ見所が多すぎるというのも・・・・
飽きさせない街ですが、飽きるくらい堪能するとなると半生を費やすべきなのか。

le 11 mardi
//3月20日でしょうか// 毎年訪れる、川売の梅の花。一気に春めいて、その盛りは、まさに今週末なのでしょうが、15-16は祇園で過ごす夜。ってことで3/20が最後のチャンスのような。

天気にもよりますが、そのあとに斜面集落を探索するのも一つの楽しみ。

今年は二月の終わりでも全然春めかず寒かったのですが、
堰を切ったように訪れる春でしょうか。
右往左往する暇なく、見頃は足早に去る春でしょう。

le 10 lundi
//この淡々たる思いは何ゾヤ// 本日を持ちまして前任者が退職。その意味するとこは、少年から大人へ。まっ、独り立ちってところですか。  右に進めば良いのか、左なのか、はてまた、聞き流すとか、そういう匙加減の頃合も、もう教えてはくれない。

いづれ、そのような日が来るとは分かっていました。
動揺するとか、悲しみで一杯になるとか、居なくなってセーセーしたとか、何かしら劇的な感情の高ぶりみたいなのが襲うかと思いましたが、全然ありません。

もう明日から会うことも相談することもできないのに、淡々としている自分。

これは自分が成長したとかではなく、僕の性格の一側面が如実に現れたのだと思っている。

結局、守り守っても手放すとき、瓦解するときはサラリと訪れる。
そして人間は、新しい一歩を踏み出さなくてはならない。

前時代が崩壊したとき、その瞬間から意味を成すのは新時代の構築。  

例えば引継ぎなんてのは好例で、前任の得意分野に思いを巡らせ、自分は新しいことを覚えなくてはならないのに、それを上回る「親切」というか友情出演。
もちろん親切に教えることは大切ですが、やはり、それをも上回る勢いで新しい部署に熱心になるべき。

牛乳をテーブルから落としたとき、何も考えず瞬時に雑巾で拭く人と、あーあ、こんなに広がっちゃったと見つめた後で、ため息をつく余裕もあって、拭きに入る人。


僕には、凄い冷徹な側面があると思う。切り替えが早すぎて、昔の友達は恐ろしいものも感じたそうです。新しいところに意味があって回顧するなんてのは非生産の極み。これは言い過ぎですが、そういう感覚はあります。

支離滅裂な日記になりましたが、
不思議なことを書くとすれば、こんな冷徹な僕でも、意味もなく涙が溢れる、あるシーンがあります。
それは自分にとって縁がないというか、参加できなかった世界というか、悔しさというか、なんでしょう。

一人、旅をするとき、そんな光景に出会うと、意味もなく目頭が厚くなります。それを言うと大笑いされるので控えますが、涙の正体は、僕から最も離れたところで繰り広げられる人間の距離の近さ、その憧憬。
有体に言えば、僕は本丸を巡る内堀が広すぎる。それが無い人たちの姿を見るとき、ジーンとくるのです。

le 9 dimanche
//震えと新回路// 祈りは科学的な行為だと思っている。今思うのは、震えと新回路。

お寺の読経。あの低音で単調なリズムで、毎日同じ繰り返しを長いことする。教会での賛美歌。神社の祝詞。

共に共通するのは、震え。

例えば適当に読経の真似をすると、鼻の奥から、言い続ける限り微細な振動が脳に伝わります。賛美歌の真似事でも、周波数は高いですが、やはり歌い続ける限り微細な振動が脳に伝わります。

これは全くの奇なる発想ですが、微細な振動は脳の神経回路の開設に一役買っていると思っています。

例えば苦手意識を克服するとき、祈らない。無言で祈る。普通の会話として祈る。読経のようなリズムで震えを与えながら祈る。

僕が思うに、ここには明確な違いが生ずる気がするのです。

ただ、これを証明する術はないのですが、
僕の頭で考えるなら、共通項。

長きに亘り存在するものには意味があり、別物に共通項があれば、そこに特別な意味があると。

小学校の頃、皆で音読します。
口に出せば覚えやすい。確かにそう思いますが、
その覚えやすいのは、振動による側面支援だと思うのです。

コーランでも賛美歌でも読経でも祝詞でも、ヒット歌謡ではなく、単調として、でも聞き入れば、どうやら振動を続けるリズム。そこに願い事を綴ると、刷り込み付けが容易になるのかと思っているのです。

le 8 samedi
//コレに尽きるでしょう// 

le 7 vendredi
//いつまでもお元気で// 本日は前任者の送別会。35名が集まりました。時代の変遷を感じます。いつまでも居ると思う人が居ない。そういう意味では時代の変遷を感じますが、それでも新しい光景は瞬く間に日常の姿になります。
別れは寂しいけれど、その寂しさなんて職場に数時間さえ存在する余地はない。
日常は回転する輪の如しで、物思いに耽る余裕なんてない。ただ、彼への感謝は真心を尽くして現し、一時の別れを大切にしたい。

感謝の気持ちは溢れます。これからの健康も願います。

そして日常の回転は変わることなく僕に皆にやってくる。

le 6 jeudi

//ムフフな夢をご紹介// その前に、本日も外食。焼き鳥とバー。
さて、戻りましてムフフな夢は炭火焼肉。

シーズンになったらキャンプしますが、今年のムフフは、上質な肉を買い込み、塩コショウで味わう。その肉のレベルを松阪牛のカルビ並みにしてムフフ。

七月の三連休は大白川に二泊三日の予定。



つい二週間ほど前は寒かったのに、春の訪れも感じるこの頃。
雪の心配がなくなれば、今年一回目の毒沢に行きましょう。

le 5 mercredi
//豚トロ一枚// 炭火焼肉。豚トロを一枚、落としてみる。そうしたら炎がぼうぼう長いこと・・・
これを何枚も食べたら、そりゃデブになるわ。昨日も今日も、夕食ときたらコレ。 そしてバーに行き濃い酒を飲む。

特定健康保険食品の脂肪分の吸収を抑えるウーロン茶が出回っていますが、果たしてどれほど抑制できるのでしょうか。100gの油を摂取したら、、、、、全然見当付かないや。

le 4 mardi
//呆れるほど合理的// 道路を横断するとき、危険を最小限にするため真横に渡ります。
これは年末に衝撃の体験をしたのですが、(一度チラッと日記にも書きましたが)関西人の彼は合理主義の塊で、全然渡ろうとしない。
どうして渡らないのかと言えば、後方の車を見て、絶対の安全があるまで手前を歩き、その絶対の安全が到来したら対岸まで斜めに歩き、歩行距離を短くするのだと。 それに付き合わされましたが、安全といっても30度くらいの線で果てしなく続くような斜め横断は、やはり恐怖そのもの。

そんな彼は合理主義が故、干されました。
会社は、意味がなくても自己犠牲を発揮する場所。
ところが彼は意味が「ない」と判断したら、何の決め事も果たすことなく、自分にとって意味のあることに専念し続ける。
この自分本位の合理主義が故に忌み嫌われ、左遷されたのですが、左遷先の仕事は自分にとって意味がないので、もうすっかりダメ人間。

彼が改心したと救済されるのは、意味がなくても頑張る姿。言い換えれば自己犠牲の発露なのでしょうが、30度の斜め横断をする彼には、明日もまたやる気ない姿で時間を消化するのでしょう。

le 3 lundi
//飽きない// 
それにしても毎日、時間の過ぎるのが早い。出社して気が付けば昼。そして夜。
片や、仕事がなくて過ぎる遅さを味わう苦痛もあるそうですが、このアンバランス。どうでしょう。

今月は20日からCSでおんな太閤記がスタートします。
それもあっという間に到来でしょうか。

le 2 dimanche
//今回もまた、須らく最善の形で//解決されたことに感謝申し上げます。

考えてみると、僕が祈らない日は土曜日だけのような気がする。平日は朝、欠かすことなく、その日の無事を記念する。そして何よりも日曜日の夜は丁寧に明日から始まる一週間の無事を祈る。土曜日は唯一仕事から解放された日といって良いでしょうか。

まるで自営業者のようです。彼らは日々商売繁盛を神棚に向かって祈りますが、似たような緊張感。

ただ何度も言いましたが、祈らないのと祈るのでは自ずと得られる答えも確率として違うと、僕は固く信じています。

人が何千年と祈る行為を放棄しないのは正にソレ。

世の中はデジダルで1か0のような感じかもしれませんが、
例えば身近な人が亡くなったあとで、しばらくするとお別れの挨拶を感ずるように、多くは感ずるものの証明できない事実は存在すると思うのです。仮にそのような世界が存在するとしたら、祈る行為の訴求性は絶大だと思うのです。



似たような日記は沢山書きますが、祈る効用の連鎖というか祈りの科学を解明したいものです。数学は大の苦手ですが、言葉の綾ではなく、れっきとした筋道。実は仏教の経典は極めて理系的だとNHKラジオで聞いたことがあります。愛することの効用が、言葉の綾ではなく、筋道だったものとして証明しているそうです。

le 1er samedi
//ウーマン。ケチケチ講座三日目// 美しくケチる。
//ケーキを食べて倹約する// 30%の倹約が悲壮感漂うものであっては失格。美しく楽しく、さらに言うなら豊かな生活を享受しているかのような倹約。この技術。結論から言えば、ここにどれだけのアイディーアを挙げれるかが成否の別れ目だと思う。

●テントやコテージ、車中泊。
倹約のために一切の旅行を放棄したなら大晦日、無味乾燥な一年に後悔するかもしれません。旅はするけど格安で。
ネットで調べると、案外、無料のキャンプ場ってあるのです。無料は無理でもテントさえあればキャンプ場に格安で野営できる。そういう旅の思い出は、十分に語れるものであり、充実した生活感さえ漂う。
素晴らしい湖畔にテントを設営する週末は、温泉宿の上げ膳据え膳はないけれど、思い出深い夜になります。
少し大規模なら、コテージなんて借りるのも手。
高級な肉を仕入れ、炭火で炙って食べれば、料理旅館も退散するかもしれません。
毎年、御嶽山、田の原駐車場でテントを設営します。(セダンでは寝れないので)見上げれば天の川も濃厚な満天な星空。なんと贅沢なことでしょう。

●美味しいケーキに切り替える。
街一番のケーキ屋さんに行って、のび太が言った「最高級フランスケーキ」を惜しげもなく買う。それを美味しいお茶と共に頂く午後は、ちょっとした出費は伴いますが、片道100キロの日帰りドライブとの交換条件なら、そこに惨めさは感じられません。しかし、実際にはドライブの10-20%程度の出費に抑えられるのだから、倹約術の大勝利。

●地下鉄使って美術館へ
博物館でも何でも良いですが、上質な記憶として残せるかが人生の質だと思うのです。ちょっとお洒落して、朝から展示を愛でて美味しいランチを食べる週末は、記憶に残る時間であり、時間量から計る出費は実に格安。しかし悲壮感はない。

●一週延ばしてムフフ
コレは実践済み。床屋に行くのを一週間延ばす。延ばされたその週末は不快なものもありますが、だから家で豊かに過ごせば良いのです。部屋を掃除して、窓を拭いて、好きな音楽を聴き、見たいDVDをこの週末に定め、昼寝に興じ、美味しいケーキとお茶を楽しめば、必然的な内向生活も豊かで実りある一時。一年積み重ねれば、結構な額が浮きます。

●歩く!登る!
時間量と出費の関係。時間があるのでパ●ンコに行くようでは絶対にダメ。  時間があるなら健康づくりのため、皆さんの家の近くにある旧街道を歩いてみるなんてのも面白い。時間投下量は膨大なのに、この間に使う金額は実に少なくて済む。知的に面白いし健康のためにも良い。同じことは山登りにも言えます。存在する時間を楽しく過ごすのに、ほとんど出費を要しない。この理論で言えば究極の倹約は恋人との長時間に亘るアレに行き着きますが。

●ビジネスホテルを利用した観光旅行
温泉は日帰り。料理はその街で最も美味しい専門店に行く。だけどお泊りは、ビジネスホテル。一切合切を温泉宿に頼ることなく、美味しいところは、つまみ食いの良い旅を。

●その日の疲れはその日に癒す
平日を勤労に特化する。出費の傾向を分析すると、平日の夜に、憂さ晴らしのような金の使い方が目立つような・・・・
平日は勤労に特化して、疲れを癒すのに、睡眠に勝るものは無し!と早めに寝れば、週末は実に爽快に迎えられるはず。
そして、そんな週末は朝早くから旧街道なんて歩いてみれば、自分の一週間の出費なんて、驚くほど格安で抑えられること間違いなし。

●値上げの理由が見当たらない享楽を持つ
パンは小麦が寝上がれば小売価格も高騰する。しかし、レンタルDVDは原材料価格の高騰の波を正面から受ける内容ではない。それはスカパーの契約でも同じ。そういう値上げの理由が存在しにくい享楽の項目もいくつか手元に保持すべし。



5-10%の倹約なら、これほどの知恵を絞る必要もないのに、やはり30%となると難しい。極意があるなら、そういう倹約をすることが心底楽しいと思えるように。


物価高騰の現在、「無駄に時間が余る」そういう風に感じるのは、特に警戒するべき心理的状態だと思います。

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