mars.2015



le 31 mardi
//時間がない// 読みたい本は渋滞だし、新規に加わるものだから、生涯かけても読破出来そうもない。時間がない。ポケーっとする時間も必要だし、睡眠時間も。今、考えているのは、夕食を抜く生活をしたら、40分くらい時間が生まれるわけなのだ。それは健康にも良いし。
//平日、したいこと一覧// 読書 DVD鑑賞 南信州新聞を読む 精神統一 お茶の時間 ボーっとする ネットでアレコレ 将棋のゲーム少々


le 30 lundi
//名曲中のマダム名曲// 院須田を見ていると、本当に楽しい。それは人の価値観が如実に現れる。何してる?とかの絵日記みたいなものですが、9割は何を良く見せるかの写真。それが食べ物がメインの人もいれば、読者モデル勝手連みたいな人たちがいたりとか、いろいろ。 あと、芸あるのに、全く気にせず良き輪を広げている人は好きです。  自分でいうのは何ですが、僕は食には拘っていると思う。「良い食材」と言う意味では、自慢しても良いのですが、食べ物の写真は極力載せないことにしています。それは他の人がする役回り。 僕が僕でいる今の意味は、やはり、この手で作られる作品だと思うので、そちらをこれからも。


le 29 dimanche
//正直// ほんと、正直。
三足香炉もしくは三足蓋物は集中して作ったので、今週は別なものを。急須を作らねばと昨日今日。ところが、昨日は急須一個だけ。今日は14時になるまで一つも作れませんでした。14時に何が起きたかというと、三足香炉を作ったのです。そしたところ、あれよあれよと立派なものを作り上げました。分かっているのです、作りたいモノと作っているモノが一致しない時の不調さは。ところが、急須を作らねばという気持ちが、急須を作りたいはずとして轆轤を回す。そりゃ嘘ついているわけですし、惨憺たる結果。

さてさて、まもなく四月。4/4-5の週末は花祭り。相生山のお寺さんは、まるで小乗仏教の寺院みたいで、日本離れしている。ここに集う人たちも風変わりで、出店も面白い内容。行かねばならぬ。4/11-12の週末は多治見陶器まつり。こちらも行かねばならぬ。  今月も時間が足りない。


le 28 samedi
//お疲れさまでした// あれから三年経過するのですね。
赤いアプリは便利なもので、来た初日から見破ったと言うか、それは相手方も同じでしょう。
好みでもない人が、毎週末来る不気味さは、避ける態度で良く分かりましたが、
僕が心底陶芸に没頭していると分かるのに時間はかかりませんでした。  
僕の生き方は変わりそうにありませんが、これからの大の活躍お祈りいたします。


le 27 vendredi
//あれから一晩経ちました//

背景が黒の写真も面白いものですね。


le 26 jeudi
//花を生けませう//

庭に咲く木瓜と椿にハサミを入れてマダム焼の花器に生けました。


le 25 mercredi
//無常なる価値と、永遠の輝き//

陶芸をしてから、モノの価値について一人禅問答をしていますが、それは耕す人が一度は感じる不思議でもあろう。さて、この記事はモノの価値について僕にいろいろと投げかけます。

当時は価値あるお賽銭を、たぶん何かのために使うべしと土に埋めたのでしょう。
埋めたお金は、いつまで効力を発揮するのか!?
仮に、壺一杯の賽銭で社殿が建てられるとします。その価値は、いつまで保持されるのか!?
今、社殿が建てられるか!? 結局、眠っている間に瓦一枚買えるかの価値に、ほぼ無価値になってしまう。  ところが、壺の中にあるのが純度の高い大判小判だとしたら、今でも社殿は建てられるだろうし、いや、余ったお金で参道も整備できるかもしれません。

そう考えると、今、手にしている貨幣は、金貨でない限り、仮初の価値しかないのです。
労働の対価は、永遠の価値で支払われるものではない。体制が変われば、労働の結実、定期預金も無価値として遇されることは理論的にはあるし、政変なくても、土の中では必ずそうなる。やはり、突き詰めれば、貨幣とは別の軸で心の充足を担保しないと、人生の価値は他人任せになり過ぎるきらいがあると思うのだ。

le 24 mardi
//一言一句改め//南信州新聞を購読してからの最初の一年間は意地でも一言一句読みましたよ。でも、それは楽しみながら読むのとは違って、二年目以降は目を通し、気になる記事は赤鉛筆でなぞるなどして写真にとりSNSで、ちょっとした話題を提供したり。

去年、あまりにボーナスが悪くて閉口したまま、唯一した購買行動は、丸善で縦書きのノートを4-5冊買ったのみ。それ以来、南信州新聞の読者文芸のコーナーから気になる歌を書き写すのを日々の慰めにもしております。


le 23 lundi
//気になったら戻ること// 困っている人を助けると、こちらまで嬉しくなる。 最初は人を待っているのかと思っていましたが、やはり戻りまして声かけして良かった。
困っている人を助けると、こちらまで心満たされる。僕にしてあげられる小さな手助けで、その人の困難が解決されるなら、なんて嬉しいことでしょうか。

思うに、そうなる予兆はあったのです。会社を出て、スイッチを消し忘れたと思って戻ったのです。おそらく消したはずなので、そのまま帰れば良かったのですが、いったん戻り確認する。これが良かったのでしょう。

地下鉄の階段の踊り場で、盲導犬と佇む女性が一人。これまた戻り声をかけると、ここがホームだと思っていたらしい。誘導したら、ちょうど電車が来て、彼女とはお別れ。名古屋駅から無事に帰宅できたのかな? 

足るところと足らざるところの組み合わせが、この世の中だと思う。彼女に、これからも上手い組み合わせで生活が運べますように。


le 22 dimanche
//23日に書いています// 日曜は4時に置き、月に一度の早朝座禅。そして作陶というコースで、帰宅すると疲労困憊。少し横になったら、もう起き上がれなくて2時間ほど、これでは風邪ひくし、起き上がろうと意識しても体は泥のように床にダラーっと、疲れもここに極まれり。


le 21 samedi
//価値とは何ぞや// 求める者に対して提供する側に、若干なりとも不足が生じた場合、価値が生じる。つまり渇いた人が大勢いても、沢の水が潤沢なら、水は有難くても価値はない。有り余るのだから。ところが富士山の山頂では、ペットボトルが市中の何倍もの値段になる。渇きに対応できるほど用意できないから。

陶芸をしていると、価値について考えることが多い。
数十時間前までは、ただの粘土なのだ。ところがこの間に幾つかの行程を経て別モノに生まれ変わり、モノによっては価値が生じる。

多くの人に欲しいと思わせるモノを作りだすのだが、それにはなかなか対応できない精密さがある。
この場合、価値が生まれる。そして僕はセコイのだが、世間で言う精密さを当の本人は苦も無く作り上げれる技量を確保できたとかするなら、採算ベースに到達するだろう。

急須・香炉は最たるもので、粘土の使用料は少なく、かつ工芸品の様な変身も可能な領域。それを簡単に作れる秘密を体得したら、まさに僕は粘土から価値を富を作りだす、まるで中央銀行総裁のように、とんでもない存在に変身できるのだ。


le 20 vendredi
//ただひたすらに感謝// 今回も須らく最善の形で解決されました。これに感謝することの喜び無上なり。 そして心の内に宿題を感じ取りました。澱みを育てるな!と。

21:30から食事会。人生で最も遅くから始まる食事会ですが、なんとか終電に間に合いました。ただ、清算は後日の特急サヨナラ。

le 19 jeudi
//リセットの祈り// 大祓。本日致しましょう。澱みを育てて、それが悪さする。一切を洗い流し、清らかにしなくては。今回もまた須らく最善の形で執り行われたことにかんする感謝を捧げる喜び。  


le 18 mercredi
//枠を限定しない//院須田ちゃん。お仲間の大半はブロックしていて仲間内で安全を確保しています。稀に、国境開放の方もいまして、そういう人は、フォロワーとか見ていても要素は強いものの多民族国家です。この大らかさと訴え出れる芯の強さに憧れますね。


le 17 mardi
//150年の灯// これは驚きました「信徒発見
秘密を一代限りの心の内に秘めるのなら可能かもしれませんが、あの当時、露呈されたら死罪なのは容易に想像がつく。それを何代にもわたって伝え続けたところに、真の美しい信仰の姿を覚えます。(宗派心得違いなる見て見ぬふりもあったとは聞きますが)

時は過ぎ、ようやく長崎に大浦天主堂が出来たときいた潜伏した信者が、外国人神父に信仰を打ち明けたのが150年前。例えるなら日本狼が大台ケ原で発見された!!と同じ衝撃です。


le 16 lundi
//買うと高いものなのよ// 棚。

総工費、2000円。信じられないでしょ。頭良いのです。
それも30分あれば完成で、しっかり固定しているにも関わらず釘は一本も使わず。
板は、一枚ものよ、ベニヤじゃないの。

le 15 dimanche
//この達観は何だ!!!!//辞める辞めないとか、そういう話しがありまして明日、どうするかが決まるのですが、まったく心乱さないのは何故!??? かなり有望株なので、いないとなると乱れて当然なのですが、全く考えにも及ばない一日でした。成るように成ると、堂々としたものです。

//棚作るぞ!// 急須専用棚を作るぞ。もう、平面に置く時代は過ぎ去りました。あとはニューヨークの様に摩天楼です。


le 14 samedi
//0点、いやマイナス150点// 今日の陶芸は行かなくて良かった、では済まされず、行って災難を被った。つまり素焼を大量に壊してしまったと、、、、、、、、、、トホホ。

お話しにならないとは、このことなのです。


le 13 vendredi
//来週から//一日につき5日分の新聞を読むことにします。もはや過去の情報なのですが、購読ですからね無駄にはできません。
それをやり終えて時間があればDYNASTYの続きを。


le 12 jeudi
//難しい//いや、難しくない。規範を逸した者の報告を上げるとなると、事実の確認をする以前の話であったとしても、今後、陰に陽に不利益を被るかもしれない。それが分かっているので、由々しき事態の報告を握りつぶしていたら、僕の存在は無いのと同じだ。

確認する 処分する それは上司が決めれば良いことで、僕は事実を握りつぶしてはいけないけれど、些細な情報だからと、フィルターにかけるには、ちと、問題の程度が悪質である。

僕も事実の確認をしたわけではないので、あくまで噂話であるとか未確認であるとか、そういうことを前提に話すのだろうけれど、話すことは露呈することになる。後ろめたい気持ちが全く無いわけではない。でも、例えば汚染水が漏れていたとするなら、処罰される人の顔が浮かぶからと、見て見ぬふりをするだろうか!? それが少量で問題ない。いや、大問題かは、上役が決めることなのだから、僕は正直にならなくては、難しくないことだ。ただ、やはり生きていく上で、情に厚い人であり続けるべきだと思う。鬼の顔も仏の一つの表情ということで。


le 11 mercredi
//心のどこかに連帯を!!// 大震災や年越し派遣村とか、この20年暗いニュースは多かった。出来る行為は募金程度ですが、その募金も生活が破たんしては本末転倒。そう考えると、微力以下の貢献しか出来ていないのだと思ったりもした。
苦しい生活をしている人がいる。同情する。でも、何も出来ない。これが現実である。
ただ、それは日本国民の大半が該当するものだと思うのだ。被災者以外の国民は支援できたとしても、本当に個々人の行為は微力。いや微力以下。そこに敗北感を覚える必要はないのだと、この3-4年思っています。
大半の微力な国民が忘れてはならないこと。それは【連帯】の精神。
何か災難があったとしても被災者以外は、時の過ごし方は千差万別。この多様性の中に、多様な国民の心の中に、連帯の精神がどこかに存在すること。これが重要なのだと思う。
苦労している人たちの存在を忘れない。ただ僕たちも生きていくのに精一杯。だからと言って忘れてはダメ。同じ国民として心のどこかに連帯を!!

これからも災害の類は襲いかかるだろう。ただ社会を存立させる上でも、通常を継続できる人は継続しなくてはならない。行為としてはオセロの様に反するのだが、心に連帯が無ければ世の中は見捨てる行為が蔓延し殺伐とするだろう。国家の方針として棄民などあってはならない。国家の方針として救済は必要である。その方針を可能ならしめるために通常を継続しなくてはならない。そして、方針を見届けるためにも、我々は心の中に連帯の意思を生かし続けなくてはならない。仕事の合間に黙祷をすることは、裏付けと意思を担保する重要な示威行為。


le 10 mardi
//つづき//倹約には精神論が付随するものだと思うし、それが正しくて初めて成功する。
要は人間は須らく何で心を満たすかで生きているのだし、それで迷ったり怒ったりするのだ。
何十回と書いていますが、知恵の無い人は、考える面倒を放棄して、支出で安易に得ようとする。支出が成立するのなら問題はない。ただ往々にして心の隙間を埋めるために借金をしたり詐欺行為をしたりして、その果てに生活が破たんする。

心満たす術を得るのだ!!!!!
つまり、楽しいことに没頭して、その間は他事が頭に湧かず、その行為の後に心地良い疲れがあって良い睡眠につながる。この偉大なる行為に過分な支出が伴わないこと。
僕は陶芸ですが、家庭菜園であったりマラソンであったり日曜大工であったり。


le 9 lundi
//お金の、使わない方//使い方じゃないよ、使わない方。
しげしげと通帳を眺める。定期の割合を高くしても、利子に喜びを見いだせる時代はもう来ないのかもしれない。貸金庫みたいなものですよ。現金が家に無いだけ。
と、いって何で増やすかと思案したところで、それは元本割れのリスクもあるわけよ。
そう考えると、最も安全で、しかもあり得ない利率で貯蓄が増える、この黄金の方法は、「使わない」で貯蓄にまわす、しかないのだ。その利率たるもの大博打にあたった以上です。
節約して10万円を貯金する。何かで10万円増やそうと思案しても、もはや怪しい金融商品しかないし、利率で期待するなら三代先の話。

節約はケチではなく貧乏でもなく、走り幅跳びの世界一の選手並みに金持ちになる道を大胆に進んでいるのだ。一に貯蓄、二に貯蓄。


le 8 dimanche
//悪態を垂れ続ける//という一つの防衛生活。こういう人が身近にいて辟易しています。
直接のやり取りは無いので僕から行動を起こすのは一方的すぎるので、今のところ手段がないのですが、出来るなら近づいて欲しくないのですが勝手に近くに来るので辟易。

昔話で言うと、このあと、当然の報いが来て、「おわり」になるような生き方。酷過ぎる。
ただ当の本人は悪態を垂れ続けること、連戦連勝と思っているので高揚感というか場の悪さなんて全く考えにも及ばないのでしょう。 まあ、この先どうなるのか静かに見守るしかありませんが。


le 7 samedi
//気持ちに沿うと// 夢中になれる。難しいこともやり遂げれる。これが一致していないと、簡単なものでさえ、醜い仕上がりで精一杯となるのだから、実に不思議なものです。

そろそろ作らねばならない。で、作っても大したものは出来ない。
今日は、これを作りたいと意に沿って夢中になると、満足した仕上がりになる。
求められたものを、ただそれが為に作っても大したものは出来ない。
夢中で作ったモノの中から、何かあげた方が、僕としては自然なのだ。


le 6 vendredi
//金曜日の直帰// これが金曜日でなければ、翌朝、車にて出社なのですが、これを言い訳に夜、車を戻しがてら、久々に飲みにいく。 
結果的に、もう一軒寄りまして終電で帰宅。楽しいひと時でしたが、歳をとったのでしょう。こういう一時は、毎週末は無理。やはり、僕は血肉に陶芸が染み込んでいる。何をしても翌日の朝から作陶なのだと、、、、羽を伸ばすと言う感覚は、陶芸をする過ぎり、もう無いような気もする。


le 5 jeudi
//寝過ごした// 一駅寝過ごすと、ちょうど折り返しの電車が来るので、結局、最寄りの駅には一本遅れた電車に乗るのと同じ到着時刻になる。

//ピクピク// 目がピクピク痙攣し始めると、1-2週間後、花粉の症状が一気に出てくる。今年は去年を上回る痒さだと思うのだ。ピクピクからするに。

明日は金曜日。金曜日の次は土曜日-日曜日♪


le 4 mercredi
//慣れたとはいえ//消費税が10%になったら、僕は、甘んじること無く新たに何かを切り詰めるのでしょうが、それが何であるのか、まだ開拓地が見出せません。
さて、5%から8%に増税になりまして、僕はというと財布に金が溜まる。これは語弊がありますが、ようは3%以上の対策を体が覚え、消費から遠ざかる人間になってしまったということ。
ある意味、日本人は対策の出来る国民だと思うので、消費税を上げると、その分だけ税収が増えるとは限らないと思います。削りに削って手元に残す金額は従前の幅を確保。
思うのです。消費税は5%に下げて、消費を活発化させるものの、医療費に関しては自己負担割合を引き上げるべきだと。


le 3 mardi
//美しい音//雨の音。このようなしとしと降る雨の音は好きです。
電気の無い時代。もちろん日本家屋ですが、雨音を聞きながら揺れる行燈の光で、何かを読んだり、ただ火鉢から鉄瓶の音だけが聞こえてくる、そんな環境に身を置きたい。


le 2 lundi
//どこかで//大新聞週間を設けねば。溜まる一方です。来週はDVDもお預けで徹底的に読むとしましょう。最近、ニュースや新聞を見聞きしなくても一日は無事に過ぎるものだと、変な意味で新境地を開いてしまった。いかんいかん。


le 1er dimanche
//大スランプ// この1カ月ほど大スランプです。
おそらく、作るべきモノと作りたいモノにズレが生じているのだろう。何で不一致なのかは僕にも分からない。昨日なんて、全て壊して粘土に戻しましたよ。とにかく圧倒的に時間が足りないので、旅行とかなにかで行けない週末が生じると、取り戻そうとする自分と、新しく作りたい自分が同居し、全く上手いものが出来ないのだ。ただ、1mmとか0.5mmの世界で格闘する集中力は、ある種、別な一切からの解放もあって、脳の大半は休んでいるのでしょう。これが心地良いのです。



 
 
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