平成30年3月 mars.2018


le 31 samedi 土曜日
//おかしい!??// たいていの風邪は一晩寝たら治るのに。喉が痛い。扁桃腺がやられてしまった。こりゃ自己治療では難しいかも。


le 30 vendrdi 金曜日
//こりゃあかん!!// 風邪ひいた模様。今週末は寝て治す!!


le 29 jeudi 木曜日
//桜舞う// 初夏のような陽気。もう桜舞い始めているところがあります。入学式では葉桜かと。今年の夏は暑いのでしょうか。もはや夏の暑さは人の死を呼ぶ。夏に恐怖を感じるわけです。


le 28 mercredi 水曜日
//三好のキンブル//良いものがありましたが、まだ買う段階ではありません。まずは片づけて屋根を設置して、それから。登山で言ったら登山口でもなく、家でリュックに荷物を入れている段階。。。。。。


le 27 mardi 火曜日
//キンブル//作業台とかを探すためにキンブルは欠かせない存在。本日は有松のキンブルに寄りましたが、こりゃ三好かな。明日にでも。


le 26 lundi 月曜日
//今週は5日//平日にでも少しは前進していますように。片付けの事ね。本当に、引越ししないとガラクタは圧縮して詰め込まれているものなのですね。。。。。


le 25 dimanche 日曜日
//夏への対策// 仮に屋外物置に電機炉を設置した場合、夏の日中の暑さ対策をどうするのか。締め切るとマイコンがイカレるはず。開けっ放しだと夕立が降れば大惨事。太陽光で充電し、それで扇風機か換気扇を回し続ければよいのですが。手前のシャッターの下部は開け、側面にも小さな窓を開ける。あとは熱気を外に出す仕組み。雨が降っても大丈夫なように。


le 24 samedi 土曜日
//昼から温泉//午前片付け、昼から温泉。マルハ温泉。久しぶりに知多半島をのんびりドライブ。
気温も高くなり電気自動車のバッテリーの調子が良い。夢は美麻で土探し。ですが、まずは設置なのですけれども、思った以上に難儀です。


le 23 vendredi 金曜日
//現状は//片づけたモノの行き先が確保できずに大苦戦。必用であったものでしたが、今では不必要なものも多く、それはゴミであるので分別の対象。もう、ちっとも捗りません。この週末も片づけに専心ですが、もうマイナスからのスタートでちっとも水面に達することができないのです。


le 22 jeudi 木曜日
//今週は//水曜日が祝日だと、本当に楽です。もし、日本が週休三日の国になったら、三連休ではなく二日働いて水曜休みで二日働く。このようなパターンであってほしい。


le 21 mercredi 水曜日
//平和的に//ギャフンと言わせる。この感覚は人間につきものですが、この感覚こそ、人を狂わせる。ギャフンと言わせても、八方円満でも行きつく先が目的とするところであるなら、後者を選んでこそ今後の道も明るいのだと思う。何を言われても、それは軽蔑されても侮蔑されても、常に八方円満に収まることを心に描く。  そうは言っても、あの顔を見るのは嫌だ。こういう人は多い。ギャフンと言わせるのではなく、あの顔の持ち主も円満になるよう心に描く。それこそ目的地に確実に行く方法だと思うのだ。誰を恨むこともなく反発することもなく、時に軽蔑や侮蔑をされても、それは平和的な移行のための後押しだと有難く思うべきなのだろう。
短気な人は、表面の嫌悪ですぐに動くであろうから、この感覚は分からないと思うが、保守的な人間にとって我慢と忍耐と持久の果てに感じる【嫌悪】は嫌悪ではない。変化のための外圧であり、そうでもしないと動かないのが保守的な人間なのだ。

ギャフンと言わせる。襟を正して貧乏になる。ギャフンと言わして離反する。それではダメなのですが、そういう頑固な現実が実際にあるなら、ギャフンと言わすことなしに平和的に。そう、平和的に、あくまで平和的に。


le 20 mardi 火曜日
//相反する正義//非道だ薄情だ強情だと言われても、皆、それぞれの行いは各人が信じる正義による。 最も平和的な解決もあるだろうが、一方の強情な正義は、双方円満にはほど遠い。最も円満な解決は、道を違えることなのだろう。所詮、並行は無理なのにそうしようとするから歪む。それなら相手方を並行の相手とせず、道を違えることこそが最も平和的。相手方を非難することもなく、その強情な正義も尊重することだし、自らの正義も保たれる。

やはり、我々は散らばったマッチなのだ。たまたま接近しているだけであり、微妙に違う角度を進めば距離も離れる。大学の頃、あれほど親しき仲間たちも今は全く音信不通だ。それが自然なのだと思う。好きに進んで、そして出会う仲間もあろうが、それは時間とともに離れる存在なのだ。無理に長時間保とうとするから歪になる。どんなに強制力を働かせても離れゆく存在。それが当たり前なのだ。当たり前を何とか修正しようとするから歪む。去ることに怯えるな。


le 19 lundi 月曜日
//皆神山//この山は不思議だと聞いて、早速調べてみたら、あれよあれよと出てきます。松代大本営の天皇御座所は見てみたいものだし、あの蕎麦は食べたいし、加賀井には寄りたいし、そして陶芸に良さそうな土も見てみたいし、落ち着いたら必ずもう一度。充電繰り返して馳せ参じます。

//このような結末はありけり//Aによって窮地なB。Bのための声援や祈りが通じBは助かるのだが、それはAの自滅によってもたらされる。そういう展開はあると思うのだ。Aの方が圧倒的に強いのに、Bが強くなって助かるのではなくAの自滅によって助かる。
そういう皮肉は、小さな戦いに勝ち続け、損を背負う。平穏なら確定していた利益が霧散する。小さな戦いに勝ち続けて困窮する勝利の日々。
こんな皮肉な世界からは一刻も早く離れたい。次元の違う新しい生活。
そんな祈りを捧げたら、新しい世界に出られるのではなく、皮肉の供給源が自滅するかも。


le 18 dimanche 日曜日
//天才現る//交通社夫妻の旅行、二日目。帰りに加賀井温泉に寄りましたが、この湯は大変に宜しい。こんな名湯が町の郊外にあるのだから全くの驚きです。さて、帰りのしなので人身事故。帰宅は深夜と諦観していましたが、天才タロー師が駅員にアレコレ指示して、あれよあれよと問題なく指定席。おまけに遅延扱いで、あれまっっっていうお値段。もし、僕がここまで到達しようものなら間違いなくタイムアウトだったでしょう。

一泊二日の旅行でしたが、可愛いヤギちゃん。味噌を混ぜて何とかして食べたうどん。アナウンサーもびっくりな女将。松代大本営。今回も楽しくて格安な旅行、ありがとうございました。


le 17 samedi 土曜日
//旨い蕎麦//この週末は交通社夫妻の旅行。別所温泉で泊まったのですが初日の最も秀でた思い出は、刀屋さんの蕎麦。大盛を頼んだのですが、それが900円で5人前。安いなりの蕎麦かと思いきや、これはこれは旨い。もともと蕎麦よりうどん派なのですが、ここの蕎麦は旨い。麺が、これは江戸時代と変わらぬ製法だとおもうのだ。長さも厚さもまちまちで、刃のあとがとても心地良い。

いろいろな食事処で感動し通い詰めたりもしたウーマンですが、ここの蕎麦屋はまた行くことでしょう。リーフでふらっとはあり得る話なのだ!!!!!!!!!!!!!!!!!!


le 16 vendredi 金曜日
//壁から50cm//離して!!  問い合わせしていた電気窯屋からの返答。拙宅では、この50cmはかなりハードルが高い。思っていた場所は変更必至。旅行前に頭いたーー。


le 15 jeudi 木曜日
//何から手を付けようか!??//作業台!?? 電気窯!?? 全く頭が混乱する。週末は温泉旅行なので一度頭を整理する良い機会なのだろう。そうそう、旅行の準備もしなくては。


le 14 mercredi 水曜日
//来週の今日は//お休みですね。春分の日。まもなく昼と夜の時間の長さが逆転する。そういえば、金曜日帰宅してまだ日が明るいと、そのまま車を出してマルハ温泉に行ったりしたものですが、秋分の日が過ぎて、その感覚が久しくなくなっていました。間もなく解禁の予感。


le 13 mardi 火曜日
//何考えているかというと//寝る前に何考えているかというと、【時間】

種を植え芽が出て茎が伸び花が咲く。花に脳があるのなら【時間】とは誕生して今に至るまでの幅。
それを見つめる女の子がいる。女の子が種を植え観察日記を執る。女の子にとっての時間は、生まれてから身に沁みついた時間の区切りであり、その長さというのは生まれて記憶が残るころから今までの間。だから花の一生は語れる。
そして、女の子を見つめる母がいる。母の時間とは、花の一生も娘の成長も語れる。
そしてそして祖母の人生とは花の一生も孫娘の成長も娘の半生も大いに語れる。

花も孫娘も母も祖母も【今】が生命の最も新しい瞬間の更新の連続ですが、それぞれに感じる時間の長さは命の長さそのものである。

地球は太陽系は銀河系は、そして人間の語る大宇宙は。
ビッグバンですべてが始まった宇宙(というが)。その瞬間から今までが宇宙の時間ですが、
その一部始終を遠くの宇宙から観察している存在があれば、彼らのより長い存在の幅こそが真の時間

つまり、時間とは絶対的に感じる「感覚」はありますが、真の存在の長さというのは、そこに何もない状態の時代から見つめていた存在に寄るのだ。だが、その存在さえ遠くで一部始終見ているものがいたとしたら、それこそ彼らの長さこそが真実である。この
より遠くから客観的に観察する存在の、永遠なる隣接により、巨大すぎる宇宙は成り立っていて、、、、、、



ここからは更に思いついたことですが、上記の遠くから見守る関係性は永続していて、【遠く】と書きましたが、実は遠くというより
隣接した関係性。隣は隣を見ている。さらに隣も。この永遠なる隣の関係性が、僕たちの宇宙にも言えて、見ることはできていませんが、見ることのできる位置に隣接していて、、、、つまり、誰が一番遠いかではなく、隣がいつも客観的に【隣の宇宙の一生】を観察できる位置にいる無限の関係性で成り立っているとしたら、何か未来とは大それたものでもなく、見つめ見つめられる関係から当たり前のように存在する気がする。

時間で言う未来は確かにあるのだが、自分自身は今の自分の新陳代謝が最も新しい瞬間ではあるものの、その存在を未来人は望遠鏡で眺めている。未来は過去を観察しているが、その過去は自らこそ現在だと思っている。

自分の命の未来は見えないけれども、絶対的に偉大な存在として君臨するものが観察しているのは、例えるなら未来人が僕たちを観察するような関係性。それが主でありアッラーであるのか!????

昇天とは良く言ったもので、遠くから僕たちよりも長く存在する場所から僕たちを観察する。

さて、未来人は過去を観察できるけれども、過去の有り様は十分にアドバイスできる関係ではあっても、その過去をコントロールできるのは過去に生きる【自分】しかいないのだと。過去の自分は今こそが最も新しい瞬間だと信じて疑わない。奥義があるとするのなら、自分自身の選択は自分に寄るものなのだが、【神】として称される昇天した先のお隣さん(未来)に今後の神託を、アドバイスを託すのは大いに正しいことであると思う。世にいう絶対的なものとは、そこに位置するのではなかろうか。そこに依拠すれば正しい答えを売るのは不思議ではない関係性。

要は、その辺りの通信をどう構築するのだが、未来人が僕たちを眺めているとするのなら、僕たちは訴えかければ良い。そんな人はまずは存在しないのだから、きっと存在に気付いてくれる。心静かに絶対的なものに語り掛ける。それが奥義なのでしょう。上記の存在に向けた祈り。これが未来との通信だと思う。


le 12 lundi 月曜日
//図上訓練でも// 細部に細かく再現すると疲れるし未だ急須一個すら完成しません。再び土に触れるその時まで、細部に妥協のない図上訓練で感覚を鈍らせることなく。

それにしても電気窯の設置場所が決まらない。


le 11 dimanche 日曜日
//瀬戸行き//焼き上がりがあるか確かめに行きましたが、残念、引き取りは最短でも21日まてせお預け。伝えなければならない人が勢揃いで、今後の作陶館の利用頻度を伝えました。残るは、あと一人。まあ、噂で伝わることでしょう。毎週末居るのが居ないのだから。
それから瀬戸のギャラリーで展示を見て、市之倉によって瑞浪の幻の喫茶店に行ったのですが、ここはopenの看板があるのに、昼寝していた作家が「今日はやっておりません」と一言。同じく困り果てていた女子二人組と店から去る。

明日から月曜日。やはり心のどこかにソワソワするものを感じるので、心静めて寝るとします。


le 10 samedi 土曜日
//昼から常滑// 朝早くから作陶図上訓練。正午近くまで。それから気晴らしに常滑へ。途中、あろうことか常滑チャーシューの正面駐車場が開いていたので、そこでお昼を済ませ、とうの森陶芸研究所に展示と講演会を聞きに行く。実際に轆轤は回せなくとも、陶芸と接点ある過ごし方だけは維持したい。


le 9 vendredi 金曜日
//明日明後日を考える//金曜日。引き続き瀬戸に通えたなら、何も考えず、そう、何を作ろうか程度しか考えず週末に入るものの、もはや、いかにして有意義な週末にするか金曜日は、その思案に充てねばならない。しかし、未だ答えは見つからず。
とりあえず、図上訓練をすることは決めていますが。


le 8 jeudi 木曜日
//小さくても//無限の世界よ。各種制約の中での自由は、これは楽しいのです。自由は作り出して広がるというもの。今後、制約の内容は変わる。新しい制約の中で自由を謳歌する。工夫して知恵を出して広大無辺に自由を謳歌。

そろそろ出来ることから一つづつ。


le 7 mercredi 水曜日
//日記書いていて良かった// 自分の作業場ができたら、それこそ孤独は深化する。この7年間は実に多くの陶芸仲間と交流しましたが、それも外出して初めて出会えるのですから激減は確実。夢中に疲れが上回ったときなど、以前の日記を読み返したりすると、そう、陶芸を始めてからの7年間の日記は夢中のつづら折り。きっと僕が僕を励ましてくれると思う。


le 6 mardi 火曜日
//何を再生しようか!?//全く何も実現していないのに、妄想は小さな作業場で何を再生しながら作陶するのかという楽しみ。土曜日、朝の7時から作陶し始めて14時まで続けたら7時間。この7時間は重要な単位で、陶磁美術館での最大滞在時間。これを2回(土日分)の14時間は一週間の作陶最低ライン。つまり以前で言うところの最大時間幅と同じ。
タブレットを設置して、【せとさんぽ道】など連続再生させる心地は、陶芸を始めたころの、よく見た妄想が実現したということです。

今後、僕の交友方面は陶磁美術館を卒業した人たちとの再会。専門教育は受けていませんが、情熱だけで立ち向かう同志との集まりです。


le 5 lundi 月曜日
//90cmの60cm///160cmの120cm そんな寸法どりに一喜一憂。上手く行けば作業台が棚が現行品の流用で対処できそうで、これに関しては時間も費用も大幅減。ですが、これだけにあらずして、取りそろえることは他にも数多。

一番の問題は、電気炉を設置するための基礎の水平工事。DIYで乗り切ろうかと思いましたが、どうやら、ここには投資が必要みたい。


le 4 dimanche 日曜日
//刈谷⇒西尾// 瀬戸にもいかない日曜日。暖かいベッドで昼寝が選択できる環境は人間を怠惰にする。陶芸をする以前の、斜面集落探訪や地方都市で過ごす週末に目覚める前の頃、僕は昼寝ばかりしていて過ごしていた。あれは人間を怠惰にする。

昼、刈谷市に行きレタスの苗を二株買って西尾に行き赤みそとたまり醤油を買い戻る。

さてと明日から月曜日、5日間仕事です。そして5日目の9日に退職する人がいます。その人の事を考えると祈ることしかできませんので、祈ることを致しましょう。心を込めて。


le 3 samedi 土曜日
//お知らせ//準出禁勧告を受けてからちょうど一週間が経過しました。本日は、施釉しに2時間だけ瀬戸に行く。そこで、今後私は、このような方向に進むと数人にお知らせ。
正午過ぎに帰宅。昼寝なんかしたのは、この7年間ありましたっけ!??
グッスリ寝て、夜に寝付けないのも困ると思いまして家の前の公園を3km走る。

9モソのハウリングに「ひまー」とかよく書かれていますが、目的もない午後を過ごし、暇な人の週末とは、このような感覚なのかと、これは衝撃です。これが常態化したらパチンコや酒などに走り、質の悪い人生に転落するのでしょうね。


le 2 vendredi 金曜日
//机上の空論//図上訓練。準出禁勧告によって新窯設置の動きに動いたばかりですが、実際、心置きなく陶芸を楽しむことができるのは半年後だと思う。この間、僕は図上訓練をしなくてはならない。陶芸の感覚は7年間身に沁み込ませたので、新しい環境と素材とその組み合わせに頭が混乱しないように、まずはテストピースも兼ねて何を作るのかと、その子細を図面に興し当分は忠実に効率的に実施していかねばと考えております。


le 1er jeudi 木曜日
//偉そうなことは思っていても// 陶芸の哲学というか、美とか価値とか、それらを含めた哲学みたいなものがありまして、そうは前々から思っていても、瀬戸の作陶場所でこれらを披露することは場違いであり思いは秘めたままでした。

陶芸は楽しい。だが、その本質は陶芸にあらず。何かが違えば絵画であり詩歌でもあった。
その本質とは、無から、ほぼ無に等しい価値から、美や賞賛や感嘆、そして価値や富が見出される不思議。こう思うと、世の中は無限の富に満ち満ち溢れていると思うのだ。神様が大黒様が恵比寿様が万物の創造主がもたらしてくれる雲の上の世界でもなく、その「楽園」というものは現世界であると思う。この美や価値の具現化にいかに近しい場所に存立するかが重要な要素だと思う。


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