令和7年3月mars.2025

le 31 lundi 月曜日
//寒い//朝から戦後処理という片付け。昨日今日も寒かったらしいですが、頑張る気力でさほど感じませんでしたが、今日は身体の真から寒さを覚えます。明日は4月になるというのに。

春の陣とは言いますが、販売の合間合間に制作する時間は確保できますので、気分切り換えて活動量を増加させていきましょう。不足気味の分野があって、それを作るべきなのですが、その形状を作りたいという情熱と一致させて生産性を向上させようと思います。


le 30 dimanche 日曜日
//楽しくて仕方が無い//感極まるというのか、そう強く思う瞬間がありました。私が納得した形状を作り出し、これに値段を付けて売り方もその時々に試行錯誤を重ねてと、全てに決定権があって、決断さえしたら100%思いのままに実行できる。勤めていたら不可能な権限が私にあって、その結果、お客さんが嬉しそうに買ってくれる。

誰を傷つけるわけでもなく、迷惑も心配も掛けず、言うならば活動量と喜びが比例する新しい仕組みを作り上げては改良を重ねて、比例以上の二乗三乗のように大胆に活動の次元を高めていく、その過程に身を委ねているという現実は、ただただ有難く思うのです。瀬戸を卒業して三回目の春の活動。三つ歳を重ねるわけですが、強くなっている自分を実感します。この道を進めることの全てに感謝します。


le 29 samedi 土曜日
//尊き活動//今日と明日は恵那で出店。陶芸は、私がこの世に生まれた理由であり我が使命。作るだけではなく広くこの世にお届けすることも私の尊き活動。この販売に新しき形態が確立するまでは、私の実活動になります。恵那山は、まだ雪山でした。桜咲き始め、恵那山は雪山。

つくづく思うのが、するべき時期があっての行動。遅いとか早いとか意味が無くて、するべき時が最高のタイミングであって、私で言うと植木鉢をこの時期に作ったということです。


le 28 vendredi 金曜日
//単純であった//昨日の補足ですが、人生の苦労は夢中に出会うまでの道程であるとしました。考えてみれば単純な理論で、夢中に没頭する生き方になると、凡人には到底我慢できない苦労を全く感じなくなるどころか、楽しくて仕方がない状況になる。もし、今していることが苦痛で仕方ないとするなら、それは一つの答えであるのだけれど、そのことが楽しくて没頭するようになるなら、そこに苦痛はない。

要諦は、その夢中に人生を捧げる。【人生と夢中が並走する】そういう構図を作り、苦労という感覚を放逐させる。これは素晴しく、苦労は感じませんが怠惰ではなく、むしろ一般の労働生産性よりも遥かに高い活動を永続させる魔法の仕組みでもある。その夢中なのですが、散発的に多種多様であっては意味がない。新しいゲームに飽きるまで夢中になるものの、しばらくして次の発売を望む、であっては意味がない。人生の苦労があるとするなら、命ある限り没頭する夢中との出会い、その日までの生活であると思う。

そして、その夢中の扉を開けた者の中から、一定以上の熱量を持つ者のみに願うべく新しい世界が与えられるのだろう。

まとめるなら、
努力が報われるのは、一定以上の情熱を注いだ者のみであって、全ての努力者に与えられるものではない。よって夢も努力も中途半端であるなら、いつまでたっても変わらない。成功の扉を開く熱量は膨大であって、それで漸く重い扉は開かれる。

ここに知恵があるなら、努力という側面を【夢中】に置き換える。夢中にさえ置き換わったら、膨大な熱量を産み出す一連の行為になんの苦労もなく取り組める。往々にして脱落というのは、努力に付随する苦労に嫌気が差すからであって、夢中には嫌気の取り付く島が無いからである。

その夢中を人生とする!!このくらいの覚悟が無いと、魔法の図式は成立しないであろう。それは、新作ゲーム機のようなものではなく、一生に一つか二つかあるかどうかで、程度の低い好きには見出すこともないであろう。繰り返すが、人生に苦労があるとするなら、その一つか二つの夢中に出会うまでの日々であるのだ。


le 27 jeudi 木曜日
//通信制限//通信障害が復旧しないまま!!と憤っていたら、まさかまさかの通信制限が掛かっていました。三重工房にwifiを設置すれば良いのですが、あまりに忙しすぎて、この有様。

今から8年前というと平成29年。それは夏の頃であったとのこと。そういうニュースを読みました。私は何をしていたかというと、相変わらず陶芸に没頭していましたが、それを職業にはしていなかっただけのこと。例えば、お酒を飲み過ぎて身体を壊し、以来、禁酒したとします。それは人生の途上の一つの後悔であるわけですが、後日、深酒が祟り人生が生命が潰えたなどの知人のニュースを見聞きしたとします。こういうことがあると、人生の後悔や躓きは、広く俯瞰してみると全く別の性格を有しており、それ故、今の生活があるのだと解釈することができる。

こう考えると、人生で起こり得る全ての出来事には良き意味があり、言い換えると、善きことしか起こらないのだけど、近視眼的に見たり解釈により惨事と捉えたりするのだろうか?

例えば塀の中に数年の制裁を受けたとしても、出所後、命と時間の大切さを知り、今後の全てを魂の全てを善行で燃やし尽くす、芸術的領域で燃やし尽くす、社会貢献に徹するとか、強烈な善への転換として捉えることが出来たとしたら、収監さえも豊かな人生のための構造物であったと認識することができると思う。

要は、受けてしまった災難であっても、その後に何をするかで、人生は豊かに味わい深いものになるのだろう。よって、過去に後悔することは無意味であり、この先、後悔の無い時間の過ごし方に徹するという強い認識を持てるかどうかだと思う。

もし人生に試練があるとするのなら、魂を燃やし尽くすほどの情熱を探し出すこと、その道程にあるのではなかろうか??残酷ではあるが、それは一つしか選べないとして、不退転。覚悟なのだ。

人生の扉は、選んだ道の先にあって、選んだ道で、どれだけ没頭し夢中で情熱的であるのか?その熱量がある一定の水準を越えた時、また新しく高い次元へと人生は吸い込まれ展開されて行くのであろう。よって、魂を謳歌する一本だけの揺ぎ無い不退転の道を探し出すことは容易ではないし、ここに人生の苦しみや試練があると思うのだが、絶望することもない。

とくに大きな失敗や災い災難に遭遇して、無駄に時間を拘束されてしまったりしても、その嵐が去った時、無駄にしてしまった時間が長いほど後悔が大きいほど、進むべき道は鮮やかに見えてくるのだろうと思うのだ。心するべきは、その鮮やかな期間はそう長くはない。再び目的もなく塞ぎ込みダラダラとするなら、その曇った視界が人生そのものになる。道を探し出すことは、ますます困難になっていくのだろう。

長くなりましたが二階建てでありまして、
まずは夢中に没頭できる不退転の一本の道を見つけ進むこと。
次に、その道において、どれだけの情熱を注げるか。これが一定の水準を超えた者のみ、新しく高みある人生に次元も上昇するのであろう。

どうしてこう考えるかは、今月の17日の日記で書いています。


le 26 mercredi 水曜日
//不思議//13時まで一個も売れませんでした。それもそのはずでお客さんは昨日の半分以下。平日の出店であるし、売り上げ0も仕方ないと思ったのですが、13時過ぎてからぽつりぽつりと有り難いお客さま。

近場での出店は本当に楽でした。4/5-6も同じ会場で行います。

これは当然の成り行きなのですが、私は全くと言っていいほど友達の数が0に近いです。もし私に暇だとか寂しいという感情があるなら、結構辛い立場に身を置くのだと想像するのです。今回、近場で出店しましたが、北海道で出店したとしても同じような心境です。知り合いとかが来るわけでもなく初めてさんとの会話なのですから。

制作も三重に拠点を構えましたので作家仲間がいるわけでもなく、この交流の狭さは後の爆発的拡大に備えてのことなのかしら??と思ってみたり。


le 25 mardi 火曜日
//平日に//今日と明日は平日なのですがモリコロパークに出店。まるで京都での活動がはるか昔のような感覚になります。愛知万博20周年記念事業の一貫で、相当な予算が下りているのでしょう。出展者には至れり尽くせりな企画です。

今回初めてエレガント植木鉢を出店しました。もっと早くから挑めば良かったとお客さんは少ないのですが手応えはありました。


le 24 lundi 月曜日
//忙しい月曜日//朝一番から戦後処理という京都の片付け。それが終わったら開戦準備。明日から二日間、また出店があります。ですが平日なので明日明後日と出店で休息ということになります。良き御縁がありますようにと願うばかりです。

//尊い活動//私の人生で陶芸は魂の渇望と一致する生き方。これは先日も書きましたが、制作で満足するだけの存在なら、私に陶芸の御導きは無かったと考えます。私は、衝動をつまりインスピレーションを我が身において体現し、それを具現化するのですが、どんどん作って私の周りに山となるでは、陶芸で魂を謳歌するという尊い生き方を現わしていません。作ったものをどうするかというのが、作ると同様に大切である。

極論を言えば、仮に体現し具現化したものを、作るだけ作ったものを、焼き上げれば、そのまま捨て去るという行為があったとする。その活動に高貴なるところは全くなく、物質はもとより魂への冒涜でもある。私の雷に打たれたような陶芸との出会いの意味するところは、作っては廃棄するものではない。私の作品には衝動の熱量が充満しており、、言い換えれば熱量を納める容器が作品であって、この具現化された作品をとおして、広く熱量をお届けする。それが販売活動なのだが、全く尊いものであると実感する。陶芸と言っても、作るだけの陶芸では、半分の世界なのだ。作ったものを広くお届けすることも陶芸であり、これが陶芸で魂を謳歌する、残りの半分である。


le 23 dimanche 日曜日
//ありがとうございます//京都の出店も無事に終わりました。御縁を頂いた多くの方に心より感謝申し上げます。イベントの集客ですが、どうも開催回数が多いのかお客は思っていたよりかは少なかったです。ですが見知らぬ名古屋の私の作品を買ってくださった方には心より御礼申し上げます。作品を通して皆様方の生活が豊かになることを願っています。

下鴨神社近くでの出店。行きは逢坂の関を越えて洛中へ。帰りもそのルートを選ぶと大渋滞が予想されるので、針路を北にとり大原経由の琵琶湖大橋利用、それから八風街道を利用して桑名を過ぎて名古屋まで。25分の充電を除けば4時間で自宅まで。まったく予想以上に快適で京都が大変に身近に感じる良い体験でありました。今度は行きも琵琶湖大橋を利用して大原女で洛中に入りましょうぞ。


le 22 samedi 土曜日
//京都//出店は重ねても前日は気も立っているのでなかなか寝付けず。こういう時は、前倒しして現地近くで仮眠をとる方が睡眠時間を多く確保できたりもします。金曜の10:45に出発し八風街道を利用して大津経由の京都入り。宝が池の駐車場で時間まで仮眠しました。

初めての出店でしたが、京都なりの傾向が顕著。それはお買い上げくださった7割が外国人旅行者。英語の勉強不足を痛感するのも京都ならではのことでしょう。この日は同志社高校当たりのaコープで夕食を買い、そうそうに宝が池に戻り車中泊。寝るには酷な環境ですが、あまりに疲れていたので熟睡出来ました。


le 21 vendredi 金曜日
//導く範囲はどこまでも//陶芸で魂を謳歌する!!と宣言しました。私の陶芸への傾倒は皆が認めるところでしょう。陶芸歴14年ですが、この思い、未だ衰え知らずですし、この道は私の運命だと思っている。この天から与えられた才能なのですが、ただ作っては焼く作っては焼くに意味があるとは思いません。私が陶芸家になった導きの真なる所は、この天から与えられた才能を具現化し、多くの人に、この天の具現化をお渡しし、言うならば天恵の拡散であると信じます。

私の存在としては、ただただ天というのか宇宙というのか導かれるようにして作る体現者であって、体現し具現化したうえで広く多くの方々に天の恵みをお届けする。ここまでが一連の流れである。その益で、私は命続く限り体現者でありうのだから、作るとともに売るという高尚な活動も、これも定められた私の進む道、御導きであると思うのです。

そりゃそうだ!!こんなに陶芸に魂を吸われて生きる道さえ変えたのは、作るだけで終る話ではないからだ。売るというお届を、今現在は私の活動として行っていますが、この個所に共演者が現れるかもしれません。彼の力を借りて作る以外の活動を広く進めるのも、天恵の拡散には大変に重要な事だと思っています。私の作品に携わりたい!!という申し出があるように、人の心を動かす美しき作品を作って参ります。


le 20 jeudi 木曜日
//あっちでも、こっちでも//朝4:30には家を出て、三重工房を9時過ぎに発つ。窯出しと最小限の作業だけ。それから名古屋一号窯に戻り、こちらも窯出し⇒窯詰め。あまりに忙しくて本日が祝日の感覚がまるでない。昨日の寒の戻りの影響で、帰りに鈴鹿山脈を見ると連なる雪山。頻発する暖冬の年は、雪さえ見えない山脈なのに、3月も後半なのに、この光景は何十年ぶりでしょうか??

昼と夜の時間が同じになりました。明日から夏至にかけて夜はどんどん短くなっていきます。


le 19 mercredi 水曜日
//臨戦態勢//いよいよ春の陣が始まります。新工房の作品も一部にはありますが、まだ動き始めたばかりなので新作の割合は低いです。そのあたりは秋に挽回するとして久々に出店の準備。明日、三重工房と名古屋工房の窯出しをします。これが春の陣の最後の窯で、明日は特急の焼き直し窯も焼成しますが、それは京都の帰りに窯出しとなります。

来週は三重での制作は無理であり、その次の週に缶詰め制作で追加分を作っていきましょう。


le 18 mardi 火曜日
//例えウ●コを漏らしても//老廃物の一切を排出するような下痢気味の時があって、それは収まった後、小便をしようとしたら、少しお漏らしして、慌てて大便器に入る50代の男性は語らないにせよ多く存在すると思うのですよ。その漏れ出た感覚が尻の谷間に収まっているなら、涼しい顔して出てこれば良いのですが、まれにおパンツを汚パンツにしてしまう50代男性も、語らないだけで多く存在するのではないでしょうか!??たまたま誰も居ないトイレだったので助かったようなものですが。

尿意を感じ、川越インターで高速に乗れば長島で快適なトイレ環境が待っている!!と思ったものの、長島の23号沿いにもトイレがあるとの知識があって、そちらに向かったものの、誰もいなかったから良かったんですよ。

でも天真爛漫なところがあって、これは吉兆であると。窓も全開のその後の運転は笑顔でした。にほん昔話に出てきそうな目出度いことが興る前触れみたいなものじゃありませんか。私に、どんな目出度きことが到来するのかしら?と考えると、この週末から春の陣。京都の出店を皮切りに各地に赴きます。今後の新しい展開に繋がる素晴しい出会いがあるに違いないと確信するのです。京都から全国に海外に新しく展開する陶芸家に私はなるのだわ!!と、お告げを神妙に受け取るのでした。

                                                  ('3')/実話。


le 17 lundi 月曜日
1泊2日の三重工房。只今(3/18)帰宅したので遡って記述します。
//初還元//どこのガス屋さんに聞いても答えは同じで一時は大掛かりな工事になると覚悟していましたが、親切な某ガス屋さんが窯屋さんとかに連絡してくれて、極めて簡単な接続法で還元出来る環境になりました。さっそく初還元で焼成。電気窯で還元できる便利な時代ですが、電熱線は痛むそうです。還元焼成後の焼成は酸化にして炭素を消し去ることが要点だそうです。

//全く違う世界は//扉一つの向こう側。前職の頃から陶芸には没頭していました。口では私もその列に参加しているのですが、実際の生活は会社員。想いと現実がまるで乖離した世界で、現実だけが私を明日に引っ張る。つまり、明日も朝の同じ時刻に地下鉄に乗る生活。どれだけ陶芸への情熱を口にしてもだ。ところが今は全く違う生活をしているわけですが、突き詰めれば辞表一枚出しただけで、こうも変わるわけです。

私は現状に満足しているわけではない。陶芸の世界に身を投じた結果が、この程度の陶芸世界であってはならない。でも、それも扉一つ向こうの世界にあるのだと信じる。今と理想が大きく乖離したとしても、自分自身が1000km向こうに行かなければならないとか、そういう距離の制約など存在せず、今の生活圏において、見えないだけで隣接している世界なのだ。だから扉があるのであって、石の上にも三年とか1000km行けば扉もなく成功の世界に入れるわけでもない。

//扉は重い//生物は環境に応じて確実に進化する。だが、嫌だ嫌だと思っただけで簡単に進化することもない。全ての嫌だに進化を与えたら、その後の世界の調和は崩壊する。進化が許されるのは、
現状を乗り越えたいという熱量がある一定以上に達した揺ぎ無い信念の持ち主にのみ与えられるのであって、それはその後の調和を考えるなら少数なのだ。多くは脱落し、扉を開いた少数が後に多数を形成していく。生命の進化はこの繰り返しのようにも思える。私はこの仕組みを調和を維持するための真理であるとも考える。

よって人間は生きていくうちに不満を抱えるのは当然であって、大多数はその不満を克服することもなく、見て見ぬ振りや諦め、言い訳などを介して共存しながら生きていく。もし、この環境から脱却したいと願うならば、その熱量は一定以上の高みに達しないと物事は動かないと考える。先程、辞表一枚と書きましたが、それは過ぎてしまえばの表現であり、やはり決断に伴う生活の激変、安定や慣れ今までの積み重ねの一切を手放す勇気と気概が含まれての行動であり、熱量なのである。

願う姿が具現化している世界のその扉は確実に隣接している。だが開けるとなると、そのための情熱は必要であり、多くは今当り前にしてある環境であったり何かしらを手放してこその変身であり、そこに躊躇するなら進化は得られないであろう。生物の進化は、脱したい世界から脱した時、自らの姿さえ捨てて大きく容姿を変えている。捨ててこそ立つ瀬なのだ。


le 16 dimanche 日曜日
//還元か還元止めか//まもなく還元焼成も可能になります。これにより一気に色の世界が広がるのですが、春の陣までに残された本焼成は一回。それを還元で行うつもりですが、通常の還元か還元止めにするかで迷っています。文字は似ても非なる世界で、どちらも出したい色の条件。

色の世界が倍になると言っても、釉薬バケツが増えるのではなく、燃焼法を変えるだけなので、全く安上がりというのか、新たに準備しないのは大助かりになります。


le 15 samedi 土曜日
//搬入//三年に一回のコンクールのため作品を瀬戸まで搬入。帰宅後にまだ追加できると作陶をしたのですが、全くダメで仕上がりません。とても簡単な形状でも全く出来ない。4時間くらい粘りましたが、作らないことに意味があるとして撤退。連日の疲れが癒えることなく蓄積されているような。

休息こそ最善という日もあるのですね。


le 14 vendredi 金曜日
//非常の措置//釉薬一式は新工房に移転したのですが、時間が足りないので、一つに絞って名古屋に持ち帰り、夕方から施釉窯詰。あっちで焼いてこっちでも焼く。フル回転です。

これは人生の不思議なのですが、、新工房が出来るまでは名古屋で全てを行いました。井の中の蛙状態で、今にして思うと、このような環境で頑張っていたものだと感慨深いものがあります。後日、更なる工房を作ったとしたら、この不思議をまた感じるのでしょう。一生懸命頑張るなら、場所に拘り過ぎるべきではないと実感。


le 13 jeudi 木曜日
1泊2日の三重工房。只今(3/14)帰宅したので遡って記述します。
//第一級の忙しさ//本日は勝負どころと覚悟はしていましたが、朝の6:30から12時間連続の施釉窯詰⇒本焼き。更に4時間半後に窯の蓋を閉じるため寝るに寝れない状況。この4.5時間の間に温泉に行って食材を調達して調理もしましたので、朝から晩まで目の回るような忙しさでした。この状況が一か月前ならかなり楽なのですが、整備途中の工房の出来る所から動き出しているので、そういう意味でも忙しい毎日です。


le 12 mercredi 水曜日
//見所について//

0:19-0:22 男を誘惑するような指の動きと思わせぶりな表情
0:45-0:47 腕を上げるものの脇を隠す俊敏な動き
1:01-1:03 音楽に合わせて髪を下げては振り上げる。全く見事なリズム感。
1:09-1:11 音楽に合わせて腰をくねらす、全く見事なリズム感。
1:30-1:58 間奏に合わせて優美に踊る姿。
2:14-2:28 派手に踊らなくても豊かに伝わる大人の女性の誘惑。

時間が無いというのに、どうしても皆様にお伝えしたくて。

ここからは少し真面目に。徒党を組むとは言い方悪いですが、聞くに堪えない個人の才能の欠落をクラス単位より多くの人員を搔き集めて集団で誤魔化す某国歌謡界の芸の劣化は甚だしく、尊敬する要素がどこにも見出すことが出来ません。どんなに多くの聴衆が居ようとも個人の芸で満足を与える、そういう気概のある人をアーティストと呼びたいものです。千の万の聴衆が居ようとも一人で対峙する。

少しの昔とでも言いましょうか、良く飲み会に誘われました。その都度断って今は話さえありませんが理由は単純で、名古屋まで出てきたからとか場が盛り上がるとか、その程度の誘いなのです。なんで、その人の時間を盛り上げるために給仕でもあるまいし、会うという次元が低すぎて少し不快でもありました。こんな事を書くと人間味の無いことをと言われそうで今まで伏していましたが、結果としては正しかったと思っています。

話していて楽しい人は、生き方が個性的で私には無い豊かな生活の人生の知識を会話を通して教えてくれる人。これに尽きます。そういう人は全く尊く、ご本人は自覚してはいないと思いますが、その平素の生活は私が到達することの出来なかった、もう一つの憧れ。

だから、個人であって集団ではないのです。もし集団で訴えるのなら北朝鮮のマスゲームみたいに個性を殺す覚悟で一つの美的世界を構築するべきであって、不足感を埋め合わせるように寂しいから暇だから面子は多い方がよさそうだからとか、そんな理由で集団に与することは何ら発展性もないので時間の無駄ということになります。

陶芸でも同じで、誰と誰の仲の良し悪しで、話す話さないとか個人の自由を奪うような一種の圧力は、それは集団の弊害なのでしょう。全く自由な個人が、{好き}というその思いでもって話しかけ新しい世界を構築する、そういう展開こそ、助け合いの美しい姿だと思うのです。この人がこの作品が好きだから携わりたい!!未来や時間の過ごし方は、個々人の情熱の先にある連帯であり展開でありたいと思うのです。


le 11 mardi 火曜日
//強制乾燥//と申しましてもヒートガンで乾かすと急激過ぎてひび割れを生じさせる場合もあるので、マイルドだけど最速の領域を目指した乾燥。特に本日は雨なので天日干しも無理。そこで窯の中に小さな火鉢を入れ、空気は流入するようにしつつも窯内の温度を上げて乾燥させようと。

明日は朝から素焼きなので、本日は春の陣最後の制作。翌朝に素焼は強引すぎますが、この試みが上手く行きますように願うばかりです。

明日はまた別の意味で忙しくなりそう。


le 10 lundi 月曜日
//5泊6日//忙しくなるといつも同じことを考えます。あともう一週間あれば!!と。近場の海外旅行から帰ってくるような、5泊6日の三重工房での集中制作も終えまして19時前に帰宅しました。明日は終日、名古屋ミニミニ工房で制作。これまた粘土のまま三重工房で素焼。この素焼が春の陣最後の作品になりそうです。


le 9 dimanche 日曜日
//TVを見ない生活//時間に余裕があればwifiを設置しチューナーレスtvを導入する手はずでしたが、夏ごろでしょうか??tvのある母屋へはトイレの時と寝る時、それだけしか入りませんので全くtvを見ない生活になりました。名古屋に居ても殆ど見ませんでしたが、いちおう選択肢はありましたが、工房内にはそれさえありません。

それにしても陶芸が好きです。朝起きてから、早くて22:30 遅くて日付変わるまで工房で作業。まるで受験勉強みたいに缶詰め状態ですが、手が荒れても、全く気になりません。好き過ぎて【時間が足り!】ないだけが浮かび上がる毎日。


le 8 samedi 土曜日
//歩く暇がない//こんなに制作に集中できる環境なのに時間は相変わらず足りないまま。父上を見ていると足腰の劣化が老いを厳しいものにすると痛感していますので、座ってばかりの生活は何処かで軌道修正なのですが、時間の不足は課題の先延ばしで見て見ぬ振りなのです。

三重工房にいる間、外出と言えば毎日の温泉に「ぎゅーとら」という地場のスーパーでお買い物をするのみ。かなり以前から名古屋一号窯での本焼きを中断していたので、その影響が今現れているのです。


le 7 vendredi 金曜日
//名古屋に居て聞こえないもの//名古屋に居ても色々な鳥の声は聞こえたりしますが、三重工房ではトンビの声が耳にはいるのです。小さい頃、山と山の間を悠然と舞うトンビの声は、あの時であっても情緒的に感じたものでした。それがこの工房でも耳にするのですから、なんて幸せな事でしょう。

三重工房での活動は始めたばかり。未だ完成には至っていませんが見切り発車です。雪の舞う日は経験しましたが雪景色を見ることはありませんでした。小雨降る時はありましたが窓を叩き付ける雨の日は今だ訪れていません。夏の酷暑の頃は想像するだけですし秋の虫の声はまだまだ先の話。色んな天気を三重工房で体験して、私はこの土地の人になっていくのでしょう。


le 6 jeudi 木曜日
//オートファジーの効果//三重工房では火鉢と七輪でチャチャっと調理しています。一番の御馳走は炭火焼肉ですが、たいていは小さなお鍋料理。一応栄養バランスは取れていますが、品数の少なさは慣れるしかありません。さて瀬戸に通って半年辺りから一日16時間断食を生活に取り入れ、晩ご飯を食べたら次の食事は昼食にしています。この二回の食事ですが三重工房に来てから効果は絶大で、作業時間の確保に役立っています。まあ、毎日のお風呂が温泉になってしまったので、浮いた時間はそちらに使われているとも言えますが。この生活をすると、温泉をどの時間にするか全く自由になります。そういう意味では地元の年寄りみたいなすごし方でもありますが幸せでもあります。


le 5 mercredi 水曜日
5泊6日の三重工房缶詰。只今(3/10)帰宅したので遡って記述します。
//模擬展示//三重工房初日。まずは来週末に瀬戸の美術館に搬入する作品の組み方を検証して模擬展示を。今回の滞在は春の陣直前の山であり、制作できる最後の期間。半磁土を使用するために、作業スペースの鉄分の除去など一刻も早く取り掛かりたいのですが、出鼻挫かれる事前準備。

そうそう名古屋から粘土の状態の作品を13個移動させましたが、もみ殻に詰め込む作戦は大成功で全無傷で三重工房に。


le 4 mardi 火曜日
//パソコン危機一髪//何やっても、動かなくなったのですが、始めてみる緊急画面のお助けコーナーを辿って何とか復活。今年のどこかではノートパソコンを新調したいと思っています。ですが只今、春の陣の準備中でして全く時間が足りません。

忙しさも一定のレベルを超えると二拠点制作は不利になると少し実感。対策としては、滞在日数の延長になります。仮に5日滞在して二日を名古屋にしたとします。この二日に買物に行ったり、場合によっては通院の介助をするとなると名古屋での制作は出来なくなります。こうなってしまうと三重県勤めの週休二日の会社員と変わらなくなる。私が絶対に構築すべきは、例え一日の滞在であっても、陶芸に関する過ごし方。

今日は思いがけない出会いがありました。これも不思議な御導きであって大切にしなくてはと思います。


le 3 lundi 月曜日
//今にして思うと//こういう解釈ができるなんて考えてもいませんでした。例えば黒歴史とでも言いましょうか、自分にとっての禍根があって、後悔したり一生の傷ってものは誰にでもあるとは思います。そういうものは時間が経過しても善きに解釈できるものではないと考えていたのですが、人生は不思議なもので、その禍根があったからこそ救われていたのだと後日判明するのだから、御先祖様の導きというのか神様なのかは分りませんが、御導きというものは在るのだと確信するのです。


le 2 dimanche 日曜日
//これを区切りとして//あの瞬間は心に焼き付きました。まさか、まさか、と思ったのですが、全てが伝えられた瞬間、自分のことではないのに、妙な心筋の緊張というのか、キーーーンと張り詰めた何とも言えない感覚に襲われました。あまりのショックで、その日の夜はなかなか寝付けず夢か寝ているのか定かでない、そんな睡眠が続きました。起きてからも、そのことばかりが頭に浮かぶのだけど、誰かと話して落ち着く内容でもないし、一人胸の内にしまうのですが、これ故、そのことばかりが連日頭に浮かぶ。ですが、所詮は他人事。これを区切りとして、どうにもならないことに思いを馳せるのは止めるとします。私が考えることは、より美しい作品のことであって、これとは縁遠い領域に心を向かわせない。

明日は朝と夕方に通院の付き添い。その間に、郵便局に行って手続きやら書類に目を通す。なるべく簡潔に済ませて、時間を確保したら作陶しなくてはなりません。今までは素焼まで名古屋。それを三重工房に移動させていましたが、時間が無いので、乾燥だけはして素焼以前の状態の移動になります。幸い、もみ殻が優秀な緩衝材であると判明したので、今回もそれに期待です。


le 1er samedi 土曜日
//四日間//今年から、名古屋と三重の二重生活でしたが、とうとう三重県のほうが4日と比重を新工房に。本日の19時に名古屋に戻って参りました。施釉から始まり窯出しまで、なかなか充実した日々で、もう一日長く滞在しても良かったと。。

春は晴れていても白っぽく霞が掛かったようなお天気。空の青さで言えば、冬こそ最上ではあるものの、本日の春の風は心地良い。南東から温かい風が入り続ける。聞くところによると、夏になると、海風がどんどん流れ込む地域だそうです。

早く寝たいのですが四日前にさかのぼって日記を書いていたら、只今、3/2です!!


 
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