令和4年10月octobre.2022


le 31 lundi 月曜日
//これに尽きる//産経新聞、よくぞ申した。

10月も本日でおしまい。来年の今頃は、私は全く別な生活を送っている。あれほど安定を望んでいた私ですが、今後の生活に安定という要素は消え去ります。それでも臆するところが全くないのですから、不思議と申しますか魂の叫びでありましょう。江戸時代の農民のようです。耕さないと飢え死にする。怠けていると飢え死にする。分不相応な生活をしても同じこと。常に汗や泥にまみれて耕し、それでようやく飢えずに生きていける。それでも天候不順で飢饉も来るであろうし、たまの豊作であっても貯えて後日の備えとする。何か一つでも不真面目に当たれば身を亡ぼす。

11月と12月は全く持って忙しくなります。それでも祝日や週末は来る。もう一度、砂鉄は採取しに行きたいものです。あと古書店巡りも。

そうそう、本日、定期の歯医者。何年ぶりでしょう?5年以上かも。虫歯を発見。


le 30 dimanche 日曜日
//昼の焼肉//9門で人と会いました。私が誰かと会うのは、おそらく3年ぶりかもしれません。頻繁にログインしていますが、誰かと会うことは、この程度です。

 そもそも誰かと会うという意味合いが良く分からないのです。どういうことかと言いますと、例えば性的でない事柄において話が盛り上がり近接するとなると、芸の枠組みで物事をとらえる意味が全く発生しないのです。性的な意味合いなら、その縛りがあって当然ですが、それ以外の会話とか出会いに芸の輪郭を構築すると、大した学びもないと。より素晴らしい師は広大な外の世界に存する。狭い世界の中に拘る意味合いが全く見出せません。広い世界で渡り合わなければと、これは常々痛感することです。

では、分かり合うために数回会うってのもどうでしょう。私には馴染みのないことです。相手方に非が無くても、好感が持てても、交際するがゆえに時間が削がれてしまいます。私にとって一人でいることの意味合いは圧倒的で、これを陵駕する出会いは人生にないであろうし、仮に考えが変わった時には老人で見向きもされない。でもですよ、一人でいることを存分に楽しみ有意義な時間や人生であったなら、それは長く付き合っている者同士のみ味わえる人生の幸せと同様に、成分は違えど私にしか味わえない佳きものがあると思っています。要は、孤独であっても、本人が納得しない生活であったなら、それは大問題ですが、邪魔されたくないと思うほどに熱中する過ごし方ならば、没頭してその先にある世界を楽しみに待つ生き方も、素晴らしいことだと確信するのです。


le 29 samedi 土曜日
//洗車//朝、買物を済ませ、正午前後の2時間、久しぶりに洗車をしました。閉口する汚れ具合。それから古書店で買い求めた書籍に目を通す。最近、浜松の古書店に足繁く通うのですが、そこで求めた書籍を調べると、国会図書館のデジタル資料程度しか行き当らない貴重本を手にしていたと分かります。

女子手紙乃技折』 流麗な文字は一部しか判読できません。祖母が存命していたら、喜んで読み返していたでしょう。仏壇に供えるつもりで買い求めましたが、今後、休息の折に筆を執り手習いするなど、私の今後に相応しいものだと思ったりもします。


le 28 vendredi 金曜日
//20:15//20時過ぎまで瀬戸にいた。7:00前には瀬戸に居たので13時間の滞在。帰宅時刻がラッシュのも過ぎていたので道路もすいすい、1時間弱で到着。
流石に、風呂に入って寝るだけの金曜日になりました。


le 27 jeudi 木曜日
//もう木曜日//朝、ニコニコしながら歩いていたね!と言われました。マスク姿なのに、全身から漲るオーラでしょうか。そう言われる時間を見つめなおしたら、確かに私は夢や希望に満ち溢れる想いを胸一杯にして歩いていた。 朝はいつもそう。駅からの道のりは、いつもこのようなことで胸一杯にして歩いています。

聡明な青年がいます。彼は言う、毎朝早起きして90分の読書の時間を設けていると。その倍は生きている私ですが、私の今後を考えると、通勤時間が無くなる分、否、それは勤労時間に充てて、休息に読書という生活を常態化させたい。老いてもなお、読書から得られる知識や慰め、充足感は多いでしょう。


le 26 mercredi 水曜日
//落花生//大きな殻に反して中身は小粒。そんな落花生との出会いは実に多いけれど、昨日頂いた落花生は大きな殻に隙間なく実が詰まっており、驚くべきは、それ以外の詰まり方がなく全て100点満点。ありがちな大味でもなく、美。半世紀の人生で、最も上質な落花生でした。それも圧倒的一位。


le 25 mardi 火曜日
//水の中のバナナ//本日は信州お野菜特別便。いつもありがとうございます。今回は物珍しいものまで。事前に受けた説明以上にバナナでありまして驚くやら面白いやら。冬期に休眠する水生の球根の形が、全くバナナそのもの。花は植物の「華」でありますが、この植物に限っては、水の中の球根の姿。


le 24 lundi 月曜日
//新作ではないけれど//頼まれごとの特別な器は、焼成に失敗して只今作り直しの最中ですが、どうやら時間切れのようで、現在手元にある、秀でた三碗のうちの一つを、これに替えようかと思っています。それと香炉も一つ。こう考えると、特に秀でたレベルの器ってのは、なかなか焼き上がらないものだと今更ながらに思います


le 23 dimanche 日曜日
//感銘//戦中に発行された書籍には、進め一億火の玉だ!と血気盛んな文体も多いですが、それとは全く別世界で、例えば朝の情景とか深夜一人で勉強する心境を綴った学生の手記など、圧倒的に美しい世界を少年たちは成立させている。まったく夜学に通う学生の手記など、現代の同年代が束でかかっても全く足元にも及ばない美しい言語表現の世界。

それは小説でもなければ出版物でもない。学内の小冊子みたいなものであるが、私は古書店で買い求めることが出来た。奇跡の出会いだ。これからは、美しく書かれた市井の随筆など、心の慰めになるよう手元に揃えたい。


le 22 samedi 土曜日
//慰めの本//砂鉄採りと古書店に寄るために浜松へ。今回は採取の方法も改良したので、おおくの砂鉄、陶芸で言うところの黒浜を得ることが出来ました。

浜松の古書店では、美術関連は一冊のみ。残るは新しい生活の私の慰めになるような戦前の本であったり料理書であったり。
 私を狂わすのも私である。何かで頓挫した折、突破する勢いを怠惰に替える私の心があるのかもしれない。否、奔放で時を忘れる自由もある。これを激しく警戒するのだが、何かで心が折れそうになることは、避けては通れないと認めたうえで、さて、どう対処するのかと。心が健全なうちに考えるべきであると思っています。

まず、陶芸に全力投球で、余暇は寝ること。これは理想である。

私は自分の時間軸を邪魔されたくないので、15年ほど芸の交友関係を努めて閉鎖的にしてきた。新天地でも同じ傾向であろう。だから覚悟もしています。避けてきた分、寂しいときに都合よく声を掛けてくれる人もいないと。そして必ず、声を掛けてきてほしい瞬間も到来すると覚悟していますが、人生の魔が潜むとしたらこの時であると思っている。私にとって甘える気持ちは、都合良すぎるのだ。

だから、古書店に通っています。戦時下の夜学学生の、季節の美しさを愛でる随筆を読む時など、全く時を忘れさせてくれる。そういう本を多く揃えることは、美術書よりも大切なことなのかと、今日は思ってしまいました。


le 21 vendredi 金曜日
//同じ時間//瀬戸から自宅まで車で移動すると、最短で~50分。これは全く道路が混んでいない時間です。ところが朝夕の混雑時に重なると115分前後。まったく電車で通うのと変わらなくなる。電車だと30分くらい、グッスリ寝るので、これを考えると、車とは乗る時間帯を乗る前に考えるべきである。


le 20 jeudi 木曜日
//予定通りには、、、//今週中にするべき事が、5割程度の達成率。失敗を想定していなかった。
帰り際の西の空は、あと5分もすれば真っ暗闇になる、弱い太陽光の残像が黒に近い橙で僅かに鈴鹿山脈の上空あたりに確認できる。これも美しい。
1km程の駅までの道は、いつも鼻歌を謳うか何かしら美しい詩の文言を考えている。朝も同じである。


le 19 mercredi 水曜日
//寒さを楽しく想定する//まだ整地もしていないのに新工房の暖房をアレコレ考えています。名古屋のそれと比べれば驚くほどの拡大であり、全体にくまなく暖房するなら薪ストーブ以外に選択肢はない。それはそれで考えるとして、それ以外を想定するなら、円筒形の石油ストーブと火鉢。この火鉢ですが、陶芸で優れた形状を焼成できないかを楽しく考えるのです。

以前、戦時下の生活を見る展示で代用製品として陶器製のストーブが展示されていました。ただ炭も豆炭も、そのカロリー以上の熱エネルギーは得られないので、如何に無駄な放射を抑え、意図する方向に温熱を放射させるか、ああ、考えるだけで楽しい。


le 18 mardi 火曜日
//作り直し//特別な焼き物の焼き上がりが納得できるものではなく、急遽、作り直し。この不具合の原因が劣化しつつある電熱線だとしたら、事態は深刻であります。兎に角、もう一度焼けるよう急ぎましょう。


le 17 lundi 月曜日
//美しい雨//こんなにも美しい雨が一日降り続くなんて。ともすれば雨の話題となれば豪雨の被害ばかりですが、今日の雨は江戸時代の人が美しく情緒深く感じ入った、あのころの雨音もしない絹のような繊細な降り方。

毎日は、何処か必ず美しい。否、この瞬間でさえも何処か必ず美しい。それを見出し受け止められる心があれば、なんて贅沢な生き方なのでしょう。
 今日から、また別の意味合いで忙しくなりましたが、忙しくても何処か必ず美しい。それと共に歩む私でありたい。


le 16 dimanche 日曜日
//特別な焼き物//窯もだいぶと傷んできました。あと、何回焼いたら電熱線が切れるのかと、その劣化を見つめます。
 本日は、釉薬の精製と特別な焼き物の施釉と本焼成。それから、これより挑むことを整理しましました。

明日から1月上旬は、激烈に忙しくなります。最後の追い込み。ワクチンの4回目は、追い込みで疲れた時の休息に併せて摂取します。年内の休憩は、これ一回かも。

特別な焼き物は、明後日には窯出しかな。納得いけば、島根に旅立ちます。


le 15 samedi 土曜日
//祈りの時間//退職してから、私の生活は名駅ではなく本日も瀬戸に赴く。その意味は、技芸の向上。これに専念する間に新工房の完成を見る。現実は、工房のおおよその場所のみ確定。技芸は、果たして向上したのだろうか。私にとって、大いに焦るとしたら、工房の未完成ではなく、この間に技芸の向上が見られないこと。後者が未達だとしたら、そもそも退職する意味もなく、この間の収入を建設費等に充てることも可能である。当然の事であるが、私は、その当然よりも尊い意味を、技の習得に見出したのだ。

私は、自分に試験を課す。必ず合格しなければならない。不本意な結果なら忍ばせた短刀で腹かっ切る覚悟で、挑み受ける。これより、この間の集大成を良き結果として見せれるように、特別な造形期間とする。優劣は公開することにより白日の下に晒され弁解の余地も無くなる。

今晩は、祈りの時間、瞑想の時間を長く設けましょう。分っていることは、身と心の一致を見ていない現在の浮いた私。精神の心身の統一を座禅をしながら求めていこうと思います。

仕切り直しです。こう宣言すると、他の、雑多な事柄がますます小さくなる。例えば被害妄想があるとしたなら、それはそう思う時間の余裕があると言うことである。何か嫌なことがあって、知りうることもないのに、その背後を詮索して嫌な思いの真相を追求するという解釈のもと嫌な思いの拡大再生産、つまり被害妄想を広げる構図ってのは、人生の伏兵みたいなもので潜む危険である。良き事柄の反対があるとしたら、その改善があって向上するなら、そうすれば良いし、そもそも、ただ単に嫌なだけなら葬り去るだけである。

これより私は準備期間の集大成に入る。下らないことを考え始めたら、私は集中していない証拠であり、改善策を考えれば、再び集中するだけである。


le 14 vendredi 金曜日
//24時直前//帰宅して、それから脱出組の会合。帰宅したのが日付変わる直前。皆さん、ちっともお変わりない。実は、前に所属していたところの噂とか悪口だけをいう会合なら、これを機に距離を置こうと考えていましたが、そういう内容ではなくなり、別々の道を歩むそれぞれの会話であり、楽しい会合となりました。

美術展に提出の作品は惨憺たるものですが、これは事実。明日、持ち込みですが、これを機に心機一転、この二年の集大成を良い形として、新しき路に進む良き思い出となるよう、ただただ丁寧に全力で。


le 13 jeudi 木曜日
//窯出し// ムラがありすぎて、もはや急ぎで作って思惑外れる結果となりました。まあ二年連続選外で伝説になるかも。

兎に角、大爆発事故以来、二週間全力で進みましたが、結果は冷淡です。それは言い訳なしに受け入れて、仕切り直ししなくてはならない。


le 12 mercredi 水曜日
//動員動員七日目//本日還元焼成。窯出しは明日の午後にはと願うのですが4㎥なので金曜日になるかも。

前にも書きましたが、新工房に移行したらyoutube premiumに加入しようと考えています。作業の継続性が主たる目的ですが、spレコードのリストを作り真空管アンプで再生させて作業するのは、今から考えても楽しきことです。


le 11 mardi 火曜日
//動員六日目//素焼き窯出し、施釉、窯詰。ここまで完了。明日は一番の山である還元焼成。

本日は帰宅時に、美しい朧月夜を見ました。来年の今頃は、秋の月を何処で眺めているのでしょうか。私は引き続き思う。秋も深まり寒さを感じ始める頃、いかにして暖を取るのかと。火鉢で暖を取る時、私は去年の今頃を味わい深く思い起こすのであろう。


le 10 lundi 月曜日
//開設21周年記念日//21年前から続けているHP日記。明日からは、21年と一日になります。
変わらないことに意味があると骨の髄まで染み込んだ超保守派の私も、振り返ると、その時々に夢中になるものはあって、それに巡り合うと飽きるまで没頭する。12年ほど前、興味の先が陶芸に変わり今に至るのですが、飽きるどころか、只今は広い場所を求めている最中です。

今日も朝から図面の引き直し。これは面白い作業ではあります。条件に応じた理想の形を考えたら、配置もまた理想の形に。数時間後、これで良いだろうと図面を見直すと、私も魂は未来にいます。とても心地良い妄想なのですが、何度も何度も差し戻しで、今晩は良い夢を見るのでしょうが、近々、ウキーーーと消しゴムを片手に書き直すのは経験が語る。でも、合格しないと私に明日はない。

いつも読んでくれる皆さま、ありがとうございます。合格したら、ここに速報します!!


le 9 dimanche 日曜日
//差し戻し//たぶん七転び八起き以上に転んでは起き上がっている。図面引き直しです。ただ、場所は確定しているので、前にあった五里霧中状態ではない。そういう意味では良いのですが、流石に作っては事情が変わる繰り返しも、まあそろそろ終焉を迎えたいのですが、本日はその体力もないので明日とします。


le 8 samedi 土曜日
//調子悪い//pcの調子が悪いです。以前にもあった画面のちらつき。不要なファイルは削除して身持ちを軽くして様子見かな。ただ買い替えにsonyはあり得ない。あのタイマー事件なのですが、それが噂される以前に、そう思う節が二軒ありました。つまりpc、二台も買い替え。

本日は、工房の図面引き。明日持参して、現地にて打ちあわせ。


le 7 vendredi 金曜日
//動員五日目//素焼しました。週明け窯出しで、即、施釉-窯詰め。この施釉が最後の分かれ道。火曜日は忙しくなりそう。水曜日は還元焼成で合間に粘土買い出し。木曜日は忙中閑ありのお休みの日で、金曜日が窯出し。土曜日が搬入。来週は木曜日以外は動員令発令です。でも金曜日は脱出組の会合。


le 6 jeudi 木曜日

//動員四日目//動員令を出していますが、第一の山は通過。来週、前半に一山。後半に一山。
疲れの出てくるところですが、睡眠時間は少しでも多く確保して、季節の変わり目を乗り越えましょう。


le 5 mercredi 水曜日
//動員三日目//細部を作りあとは金曜の朝に素焼。それまでに、どれだけ乾燥しているのかがポイント。来週は施釉に本焼き。

未だ新規にコロナに感染する人はいる。案外近くに出現したので、早く寝て体力の保持に努めますね。


le 4 mardi 火曜日
//動員2日目//労力動員二日目。ほぼ完成しました。明日からは細部を綺麗に。よって疲れました。帰りの電車では危うく乗り過ごすところでした。

今も眠気が襲っているので、今日の日記はこれにておしまい。お休みなさいませ。


le 3 lundi 月曜日
//動員一日目//労力動員一日目。頑張った甲斐があり、形が見えてきました。明日は細工物。肉厚のところから作り、乾燥時間を確保させる作戦です。
朝から夕方まで一心不乱。一日があっという間でした。明日も慌てず丁寧に、迷わず丁寧に。


le 2 dimanche 日曜日
//日本伝統工芸展//最終日にようやく。目当ての某漆芸家の作品は名古屋に来ていなく残念でした。今回一番見入ったのは白い壺。この釉薬の美しさは、これからの目標になります。伝統工芸展は何度も見に行っていますが、陶芸よりも心惹かれる作品と出会えるとこが好きな展覧会です。今回はたまたま壺だったというわけ。

それから古書店を5軒。価格帯が大都市価格でポイポイ買う気にはなれず。非陶芸の本で『きけわだつみのこえ』を買いました。戦没学生の手記です。巻頭に、勇ましきことだけを述べて散った手記も多かったけれど、それらは掲載しない本とすると。この編集方針には反対したいのですが、如何ともしがたく。ただ死を皮膚に感じた者たちの手記は、今後の私の怠惰を戒めるには最良であると思い、これは工房に置いておく一冊になります。

明日から、目も回る忙しさ。心することは慌てず。一個一個確実に丁寧に。だからこそ、次の造形は私の心をそのまま映し出します。丁寧な分迷う時間はないからです。


le 1er samedi 土曜日
//砂鉄採り//浜松に行きました。今回も山のように古書を買う。買えば買うほどまた買いたくなるから不思議。途中、遠州灘の海岸で砂鉄を採取。これは陶芸で言うところの黒浜という原料で釉薬に使えます。一時間浜辺に居ましたが、次回の改良点はとアイディアがどんどん浮かび上がる。砂浜の黒い粒粒が鉄だと思うと、もっとガッポリ可能かなと。

浜松の書店では半値と言うこともあり、思いつく本はどんどん購入。積み重ねたら1mは越えます。次に行くときは、少し陶芸から離れて、私の心の隙間を埋めるべく慰めの本を買おうかと。何度も言いますが、今は語り合い笑いあう仲間との環境ですが、これも終わりが見えてきました。私は今後、深い孤独と並走して創作してまいります。これは楽しみではありますが、虚無感の到来も意識しなくてはならない。強がっていても心が折れそうになると想定して、その時、道を誤らないように、寂しき時間を癒す良書を手元に山積み。これを強く思うのです。良き相談相手を良書に見出す。手元にあるから、危うき所で助かると思うのです。

 
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