令和4年9月septembre.2022


le 30 vendredi 金曜日
//大爆発//10/15提出のオブジェが大爆発したことにより、仲間内で私が最も遅れた立場になってしまいました。これより臨戦態勢で挑みます。
 ただ不思議なことは、時間もないので私の得意とするところの一発勝負。これは当初の趣旨とは違いますが、心の底で作りたい形。慌てず挑みましょうぞ。


le 29 jeudi 木曜日
//10月から労力動員//展示に向けて完成品を一個一個増やしていきます。
週末は星ヶ丘三越に行って日本伝統工芸展を見に行きます。美しきものを魂に焼き付ける年に一度の機会です。

先日、33歳の好青年とお話ししました。それこそ、つい先日結婚され、仕事は古いビルを地域再生の目玉にしようと活発に活動されている。でも、一番心惹かれたのは、積極的に話したり人の世話をしたり、社交性の素晴らしさ。夢を咲かすには心の水やり。これが出来ている人だと眺めていました。


le 28 mercredi 水曜日
//国葬感//昨日は朝から晩まで窯の前でしたので、国葬の中継もニュースもラジオでさえ聴くこともなく、本当に執り行われたのかと、今でも不思議な感覚です。賛否両論ありましょうが、当日に抗議する人は、なにか日本人の感覚を超えた恨みに生きる文化圏の人にも思える。
 
 全力で反対したにせよ、その当日を迎えたなら弔意は示さなくても静かにするのが日本人のあるべき姿だと思うのですよ。一部の人は、貶めるのが主目的で、その姿が醜かろうが意に介さない。これは日本人の感覚ではない。反対するにせよ、その姿が醜きことは私たちの文化には無いと思うのです。よって、一連の行動は反対は方便で、この機会に日本社会を貶める、これが主目的だと。


le 27 mardi 火曜日
//地蔵のYさん//とあだ名される大陶芸家のもとへ窯焚き。その由来は、座っていても物がどんどん届けられるとの事実を友人が揶揄したとのこと。
それもそのはず、布袋さんのように笑ってばかり。一流の作家で実績もあるのに自慢することも嫌味を言うことも一切なく、とにかく聞いては笑い話しては笑う。子供のようなおじいちゃんです。

瀬戸に来て良かったことは、理想の年寄りの姿を拝見することです。その人の技量も尊敬の対象ですが、畏敬する人が面白い。これこそ目指すべき老いの姿であります。
 陶芸の道を選んだからには、技芸を上達させ、手技に畏怖の念が宿るように高めていきたい。それでいて面白い人であり、自慢や嫌味の言わない人間でありたい。全方位修行の対象です。


le 26 lundi 月曜日
//お野菜直送便//本日も信州のお野菜とお花の特別便。いつもありがとうございます。
頂く野菜に季節を感じ、作況の話では今年の天候を思い出す。雨の多い夏であったと改めて認識。

そういえば何年か前、暖冬の信州で雪はなく冬の畑は乾燥した大地。砂塵が舞い上がる光景を覚えています。私にとって、長野県は特別なのですが、こうして縁が途切れず季節季節の収穫を頂けるのは健康にも情緒にも有難いことです。


le 25 dimanche 日曜日
//心技体//心と手が一致せず、ロクロの前に居ても全く生産的ではない。作りたいものと作るものが一致しない時は、こういう現象が起きる。これを回避するために泥漿鋳込みの型は用意するべきである。流し込んで排出するだけで形成されるなだから、ある意味考える必要がない。
よって、どんな状況であれ生産が出来る環境にしなくてはならない。
頭冴えたときのロクロ。気乗りしない時の鋳込み。ただし、型は一級品。


le 24 samedi 土曜日
//美しきものを見つめよ//【フィラデルフィアゾンビ】と検索するとアメリカの麻薬中毒者の集まる街の姿がyoutube上でこれでもかと出てくる。かなり興味深いのですが、この手の映像を見ると、その様な動画がお勧めのように沢山上がってくる。この一週間、ゾンビの姿ばかり見ていました。

恐ろしい世界をのぞいていました。知識として薬物中毒者の果ての姿を知ることは良いことですが必要以上に深入りすべきではない。私が今後歩む道は、今日の空のような快晴な心持。美しきことや情緒的なことに身を任し創造するべきである。

音を聞くなら秋の虫、火鉢の炭を継いだ音。


le 23 jeudi 金曜日
//心地良い休日でした//冷たい雨が降り続く休日。本日は休養に徹すると心に決めまして、一切の疲労物質が取り出せたような気分です。気温下がっての昼寝とか読書とか、リセットできました。
明日は自宅工房の整理と作陶。あと消石灰を40kg購入したので湿気の無い保管をしようかと。

本当は石灰透明釉を沢山作りたいのですが、今後、主たる作業場が移るので、これはそちらでの作業かな。あと釉薬製造時に消石灰液が目に入ると強アルカリ故失明の危険があるので、フェイスシールドをして防護していますが、これの追加購入もしなければ。


le 22 jeudi 木曜日
//戻ってきた//15日の日記で記載した人が戻ってきました。以前と変わらず。その人がどんな声なのか、どんな字を書くのか、とか100年考えても答えは分かりません。分からないことを考えるより素晴らしいことを考える。清潔感がある。いつも同じ時間の電車は、遅刻など許さない自分に厳しい人。たまに読む参考書は、仕事への熱意。
と、100年考えても答えが分からないことよりも、知りうることから素晴らしきを考える。

いつもと同じ電車に乗る生活は、これを終えたら生涯経験することはないだろう。知らない顔見知りは、もう出会うこともない。だからこそ、これからの私は、人の素晴らしさを覚える人間でありたい。瞬間の出会いを大切にし、次はないと、掛ける言葉に迷うなら掛けてみる生き方。躊躇せず工房の外では積極的に。


le 21 mercredi 水曜日
//奈良//コミュニティーFMを聴きながら作陶するのは私の喜び。これは今後も変わらないでしょう。最近、奈良のコミュニティーFM局が自主制作番組に積極的でとても嬉しい発見をしました。聞けば聞くほど、その町が好きになる。奈良は縁遠い街でしたがこれを解消する一助になればと思います。

今日も涼しい一日でした。夏が終わり秋になる季節の変わり目。私の救いは、どの季節でも何かしらの美しさを感じる。どんな日でも空を見て風を受けて陽の傾きを感じても、どれをとっても美しいと感じる。変わらないことを切望していましたが、変わっても美しいのだろうと、今後、50にして新しい発見の数々になるのでしょうか。


le 20 mardi 火曜日
//寒さ対策//台風が過ぎて一気に気温が下がりました。同じく長期予報で秋冬は寒いとのこと。電気もガスも高騰している中の暖房対策です。

やはり考えるのは火鉢になります。そのために豆炭と炭は必要ですね。ただ豆炭は素直な値上がりが想定されますが炭は田舎の心意気によっては据え置きのところがあるのかもしれません。これを探しに目ぼしいところに行かなくては。

さて新工房の暖房となると薪ストーブが理想なのですが、老いてからの薪の確保と煙突の掃除は面倒。石油ストーブを手元に置くのが現実的になりますが、私の好きな火鉢は積極的に用いたい。
あと井戸水クーラーの熱交換は例えば水温が16度だとしたら、理論的には16度までは昇温してくれるのでしょうか。冷房のことは聞きますが、その逆は聞かないので、無理なのかな?


le 19 lundi 月曜日
//英国女王陛下国葬//中継を見ながら作陶。国葬も終わる頃、霊柩車に移し替えて国民の前へ市内を通行。これと同時に全ての聖堂の鐘が一斉に止むことなく鳴り始め、感動を覚えました。

明日も午前中は待機かと思いましたが、台風は九州を通過したあたりから勢いを弱め、同時に動きも早くなり、明日は通常の朝を迎えれそうです。


le 18 dimanche 日曜日
//作陶は明日//台風の備えと読書で過ごした日曜日。作陶は明日にします。一つの理想に嵐の迫りくる中、轆轤を回す。これぞ上質な孤独の時間ではなかろうかと。美しいとさえ思う。

ドラマでありロマンである。今の仲間とも残り僅か。若き者は若きなりの選択。私のように、この道しかないものには、その道を。 兎に角、皆が皆、明日という日を歩むのですが、その道は別々。心に沁みるのは、皆、それぞれに語る思いがあってその道を選んだこと。想いがあって一つに集まり、そして想いがあって別々の道を歩む。この中から世界的な大陶芸家も出てくるのでしょうか。

若い人は確実に60年以上陶芸に専念できるのですが、私としては30年で80歳。尻すぼみになります。なので余暇も含めて陶芸とその周辺に身を置くことが肝要。貫禄は増しても重役のような身分ではなく、若き者の2倍3倍情熱を傾けなければトントンにならないかと、この遅きに決断した重みを痛感するのです。


le 17 samedi 土曜日
//積み上げると//160cmほどの書籍を購入しました。54冊になります。最近、何処かに行くとしたら浜松で、目的は古書店巡り。

今、古書店を巡っては積極的に購入しています。大半は陶芸-美術書。今は聴いても答えが返ってくる環境ですが、これも終焉が見えてきました。工房には本棚を設置します。今後、不明な問題に出会っても、私は自力で解決せねばならない。この二年間で悟ったのは、疑問は湧いて出てくる。例え専門教育を受けていても、陶芸に従事すると疑問と遭遇する。

もう一つの目的は、健全な慰め。作家として生きていくことは孤独との付き合い。私に耐性はありますが、それでも笑いあう仲間もいない環境において精神を健全な枠内に納めなくてはなりません。諸々の工夫は必要ですが、その一つとして読みたい本を山積みにする環境を作り、自暴自棄とか酒や散財に逃げないようにする装置です。


le 16 vendredi 金曜日
//御縁が無かった//その人とは、とかではなく生涯において色恋とは無縁であったと、そんなことは何度も日記に書いていますが今更ながら思うのです。これは芸が1000人集まっても一人くらいでは。一つ寂しさを上げるとすれば、そういう感情がとうとう一度も生まれることは無かったと。
仮に、そういう感情が生まれたとしても、この貴重な思いは、50を過ぎた者にとって成就されるこのもなく、かえって心の傷になると思う。よって私は、心のどこかで万が一にも、その様な感情が湧いてはならぬと言い続けているような気もする。

//楽しみにしていること//何かに属していると卒業や定年まで孤独とは無縁。早々、私は孤独の住人になりますが、その大孤独において、どの様な感情が生まれるのか、それは今から楽しみにしている。と、同時に、健康に悪い孤独か、良い孤独かどちらの生活になるのだろうかと。強制力が働かない状況において自分を律する事が出来るのか、これも楽しみな実験です。


le 15 jeudi 木曜日
//その人は//朝の電車で見かける人が、月曜日からお見かけしない。通勤でも通学でも同じ時間の同じドアから乗り降りすると、区間ごとの気になるさんはいるものです。転勤なのかシフトが変わったのか出張、退職、コロナ療養、色々考えてしまいますが100年考えても正答を得ることはできない。

都会の魅力は知らない顔見知り。そんな人と全く違ったところで会ったりするとドラマです。今にして思うのは、これは田舎には無い都会特有の人間ドラマ。


le 14 mercredi 水曜日
//本棚//工房の本棚には揃えたい本がある。それは作家の本棚にたまに見かけるものなので、もう10年近く前からの憧れ。他にも目星をつけた本はあります。この三連休は、唯一の買い物として古書店巡りかな。

//変な夢//年に1-2回見る。それは気分も悪い夢。一つは都会の大きなビルで、そこにはお仲間が相手を探し、その場にて行為する雑多なビル。夢の中では、何故来たのだ!と何とかして、そのビルから去ろうとする。もう一つは、同じく都会の雑居ビル。こちらの飲み屋が犇めいている。心情としては上記に同じで去りたいと。昨晩の夢はこれで、空気は汚く不健全で不健康。おまけに私の事、悪く言われている始末だし。愛想良く手招きされるけど、早く去りたいわと。

それにしても、日中は暑い。秋風が勢いよく秋が来たと、そんな日は9月にあるのだろうか。


le 13 mardi 火曜日
//古い日記//20年超書き記す日記。ランダムに過去の日記を読み返すことは私のひそやかな楽しみ。2017年の10月には【匂わせ】ているものの、何を言わんか私には分かるので、ああ、あの頃かと。

それは肝臓の陰が比較的大きなガン細胞なのか、色んな段階の検査途上の頃。結果的には、生検まで行って血管の曲がった陰であると判明。安堵するのに、一年後のフォローまで含めると2年の出来事でした。最悪を想定すると5年生存率が2割だったのですが、あの頃、特に腐ることなく普段通りの生活が出来ていました。日記は語る。とにかく今、この一瞬を一生懸命生きよと。毎日はこの繰り返しに尽きると。

これはお釈迦様の一節ですが、これからの人生を考えても、やはりこの言葉に尽きます。

未来を彼是思う癖は、なかなか治らないのですが、平生、私は瞬間瞬間一生懸命過ごして就寝に付かなくてはと。  おやすみなさい。


le 12 lundi 月曜日
//三段ベッド作業台//新工房の最大の目玉は三段ベッドを利用した作業台でしょう。本来ある左右の転落防止柵は取り付けず、その三段全てに板張りをし、中段のみ、1300幅とします。50mmの天然木を打ち付けて、この面で作業します。
下段は足置きと荷物置き場。中段は作業面、上段の一方はオーディオ。一方は本棚。
これを考えるだけでも、本当に楽しい。手回し轆轤の作業は、この作業台で行いますので、急須や香炉といった精緻な細工物専用になります。この他に蹴ロクロと、当初は考えていませんでしたが電動ろくろも一台購入しようかと。

電気窯は二台。いづれ超小型実験炉も欲しいのですが、これは後日の目標です。


le 11 dimanche 日曜日
//細部//終日、新工房の設計図。 細かなところの辻褄が合うように、楽しいけれど素人考えです。13.5坪ですから27畳になるのですが、これが全てです。まあ粘土は屋外軒下になるにせよ、ここに全てが収納されます。土練機は置けそうにないので菊練り人生のスタートです。

結局、未解決なのは土練り用の丈夫な作業台。750*750を考えているのですが、市販のダイニングテーブルなど非力過ぎて使えない。特注は避けたいので、何か良いアイデアはと思うのですが、これは明日からの宿題です。

ようやく動き出した。


le 10 samedi 土曜日
//賑わい//三年ぶりのせともの祭り。ビックリな賑わいでした。皆、こういうイベントを待ちに待っていたのでしょう。さて、何が変わったかというと、いや、何が目についたかというと、それはタトゥーしている日本人の多さ。彼らも老いて30代になって、それを見せている。

同時に、歩きに歩いて、各展示を見て売れる人そうでない人の違いを観察していました。通り過ぎる人は2秒。彼らが立ち止まるか、もう一度寄るか。作品の凄味もありますが、2秒を意味あるものに展示の工夫は大きな要素を占めると思いました。


le 9 vendredi 金曜日
//女王陛下//私が生まれたときには、すでに英国の女王陛下で、それ以外の元首を知らないってのも、今に思うと不思議で、感覚としては英国は永遠に女王陛下が治める国だと思い続けていました。 この底知れない畏怖の念は命の限り統治する、これに起因すると思うのです。昭和天皇にも同様の畏怖を感じました。国を治めるもの、老いとかは関係なく、その命であるという、畏怖。

お悔やみ申し上げます。


le 8 jeudi 木曜日
//井戸水クーラー//屋根に太陽光パネルは一旦見合わせ。と、申しますのは、その電力でクーラーを稼働させるよりも断熱塗装と井戸水クーラーの方が秀でているかと思いまして。

【太陽光発電利点】冬の暖房や、工房の電力にも利用できる。二重屋根になるので、それ自体、断熱効果あり。
【太陽光発電欠点】経年による発電量の低下。台風などの災害のリスク。撤去の際の費用。エアコンはフィルター清掃頻繁に。

【断熱塗装&井戸水クーラー利点】台風などの災害とは無縁。フィルターそのものが存在しない。安価。
【断熱塗装&井戸水クーラー欠点】暖房は別途対策が必要。夏場のみに特化した設備。

因みに、電力は三相を導入予定。


le 7 mercredi 水曜日
//4.5の9.9//内寸が分かりました。南北4.5m東西9.9mの空間です。何もなければ広々としたものですが、ここに窯や作業場など諸々置くと圧迫感は出てくるでしょうね。そこで考えたのが、作業台は二種類。一つは陶芸教室にもあるようなしっかりした造り。もう一つは作業台を二つ並べて、その間に板を。場合によっては撤去や移動が簡単な造り。

あと棚をどうするか思案中。乾燥棚は、それこそ脚立二台に板を置くのもありのような。


le 6 mardi 火曜日
//120目//釉薬は一度、120目の篩で濾すことを常とします。新工房が出来てもミルは置けそうにないので、粉砕された原料の粒子に頼ることになります。ただし、時に大きな粒子は焼け残りを呼び、釉の表面をザラつかす。これを除去して、除去した物は乳鉢にて良きものとする。

今週末は三年ぶりのせともの祭りです。行ってみようと思います。


le 5 lundi 月曜日
//その先を語りだす//共に学ぶ人たちとのご縁もあと半年。9月になって、その先をぽつりぽつり語り始める人がチラホラ。何度も言うことですが、人との出会いは、散らばったマッチ棒。僕らは、その芯なのです。一つの輪の中に芯が集まっているものの、マッチの向いている先はそれぞれ。たまたまご一緒にいる縁を頂いたわけですが、時が来れば、それぞれの道を歩む。それが半年後です。

人生の50の辺りで、このような深い味わいのある日々が過ごせたこと、それ自体が有難く感謝です。この後、再び会う人もいましょう。それはそれぞれが進んだ形での新たな出会いとして、そうありたいものです。


le 4 dimanche 日曜日
//3:30//夜中に一匹の蚊で目が覚める。蚊取り線香を取り出し、もう一度床に就く。どうでしょう。庭からは実に豊かな虫の音です。何て贅沢。

本日は久しぶりに施釉、本焼き。明日は月曜日。車でお気楽な瀬戸ではなく地下鉄と名鉄。慣れるまで疲れそうですが、電車内での過ごし方を上手にいたさねば。寝るならグッスリ寝て、何かするなら実のあるものに。


le 3 samedi 土曜日
//窯屋さん//本日は多治見に行き初めての打ち合わせ。
右往左往の新工房設置場所も、敷地内の一角に新設なので流石に別な要素も湧いてこないと思うのです。この道を進むのかと、そろそろ動き出すのでしょうか。

窯は大型を一基。これと現行と同じサイズのものを、もう一基の二基購入かな。もったいないけれど、小さな窯で焼成して問題なければ大きく進む。この二段構えで歩留まりの向上に努めたいと思います。小さい窯には、この【試験】の他に【素焼】【還元】の専用窯としての性格も付与です。還元は基本的に抑え気味で。これは窯を痛めるからです。よって負荷の少ない素焼き窯と併用。


le 2 vendredi 金曜日
//都会の光景だった//二か月ぶりに公共交通機関で瀬戸に行く。同じ時間の同じ電車。そうしたら、同じ顔に出会えました。彼もまた、この時間のこの車両と決めた朝の時間割があるのです。そして思ったのです。これは都会に存在する光景だと。

私の新天地では、移動は徒歩か車になる。土地の縛りは強いかもしれませんが、地縁とか関係なく、方面と時刻で繋がる都会の独特な人の集合を、私はいつの日か懐かしく思うのでしょう。


le 1er jeudi 木曜日
//二年前//今日は不思議な感覚の一日でした。二年前の今日は祖母が昇天された日。その一日前まで私の一番の願いは、一族の面々の顔ぶれが変わらないこと。誰もが息災で銘々の生活が滞りなく。大晦日や新年の祈りもこればかり。保守的な私は変わらないことに価値を見出してきた。変わらなければ、慣れた生活を続けて行けば良い。これこそ平安で幸せなのだと。

その想いは二年前の本日、幕を閉じた。祖母が他界した時、私には新しき生活軸が生まれると、これも祈ると同時に思い続けてきたことです。今のままでは立ち行かなくなると。詳しく話せば、祖母の四十九日が終わったときに決心しました。この漠然とした想いを現実の行動に移す時が来たと。そのために何をすべきか、更に具体的なことは11月の終わりあたりでしょうか、そのとき進むべき正確な方向を定めた。ただ不思議なことは、私の中の何処かがテキパキと決めてくれて何の不安もなく、言い換えれば絶対に合格するであろうと、はるか以前に確信があって、私は安定した生活から去ることを決した。

あんなに保守的で怖がりだった私ですが、蓋を開ければ、満を持した感覚というか、大それたことをしても全く不安に思わない。生涯で、ただ一つ挑戦するために然るべき時を待ち続けた、自然界の何かの命のようです。

 
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