令和元年9月 septembre.2019


le 30 lundi 月曜日
//調べて思うに//昨日発覚したぎふちゃん騒動は、やはり衝撃的。本日も調べてみたものの昨日以上の情報はなかった。聞けなくなると思いだすのがオカダミノル氏の数々の楽曲。以前は日に何曲も聞くことができ、それはやはり土曜日以外の毎日で、ぎふちゃんというものはそういう選曲の傾向なのだと違和感も無くなり、聞けて当たり前とある種の安心感もあったのですが。。。安定してあったものが存在しなくなると、なくなって初めて喪失感の大きさを知ります。

ただ、あれほど耳に焼き付いたオカダミノル氏の楽曲も考えてみるとぎふちゃん以外では一度も聞いたことはありませんでした。そのぎふチャンが方針を転換したのだから、もう二度と聞けれないのでしょう。  やはり、何があったのかと。とにかく、騒動を知るのに一か月遅れた。。。


le 29 dimanche 日曜日
//オカダミノル//あれ!?今日も別番組。と、本日異変を確信して調べると、それは何かすごいことが起きているようです。前も、今月は別番組をお送りしますと聞いて、そして昼の番組でもいないし。。。。あの時は、長年の功労によって特別休暇が付与されたものだと、待てばまた聞けれると異変に気づかず。  

岐阜ラジオは好きな放送局で、この日記にも度々書いています。日曜の前の番組、【三輪博子のジョイフルサンデー】が大好きで、これがオカダミノル氏に変わったときの喪失感は酷いものでしたが、彼の番組もまた日曜の午後には欠かせない存在となりました。昼の番組で本地さんが去りオカダミノル氏に変わったときも、大いなる喪失感を感じましたが、それも効き続ければ慣れたものになってきました。そして、他にも、ぎふちゃんで番組を持つようになり、会長からの特別な寵愛というか配慮があるのか、出演番組の多さは飛ぶ鳥も落とす勢い。自身の曲も頻繁に流れるし、あきらかに特別な配慮があったのだと、それは聞く者が等しく思うところだったと思います。

それがある日を境に、その存在はなかったかのように。。。。北朝鮮では、粛清された幹部は過去にさかのぼって記録等から一切を削除し、そもそも最初から存在さえしていないような処理が施される。  調べても何も出てこないので、僕はこれを思い起こしました。

5chではいろいろ書かれていますが、何せ【一身上の都合で】の一言だけ。これが憶測を呼ぶ原因なのですが、そう処理せざるを得ないところに、大人の社会では、コレコレの出来事ならば、この位のことはありうると、ますます憶測が書かれる。まあ、週刊誌がワイドショーが追っかける人でもないので、この騒動は自然消滅なのでしょうが、僕は岐阜放送が大好きです。名古屋の放送局はエリアが広いので、名古屋のこと愛知県のことをそこまで詳しく報道しません。ところがぎふちゃんは、地域のことを掘り下げ、地域と密着し、とても詳しく。僕は名古屋市民なのですが、この放送内容はとても素晴らしいと思います。今はラジコで簡単に聞けれますが、昔は地域密着の、聞けば旅をしているような感覚になる岐阜放送をノイズと戦い、時に夕方は和歌山放送と戦いながら聞いたものです。  これからも地域密着の放送局として聞くに価値ある地域の放送局として岐阜県のことをこれでもかと放送してもらいたいものです。


le 28 samedi 土曜日
//言って見るもの//棚板を買いに多治見に。その他いくつか買いまして4万を超える額に。そこで言ったのです。お宅で電気窯かったのですが割引きとかないの!??と。そうしたら1割引いてくれました。ここは製造元でありますが、同じ価格で瀬戸に卸して販売もしています。では何が違うかというと窯購入者に対する割引。額が大きかったので、お得感に満ち満ち溢れる。それから瀬戸に行き別の陶芸用品も。なんやかんやで5万を超える増税前の駆け込み。


le 27 vendredi 金曜日
//明日のこと//あすは多治見に棚板を買いに行きます。
今週は四日の労働。これは三連休の置き土産ですが週が明けたら5日の労働。そろそろ有休でも取ろうか。


le 26 jeudi 木曜日
//その人の手相//一瞬だけ見て瞬時に確信したのは、ある時点で価値観の大転換というか人生というか生活の全的リセットがおこる。過去の一切が反映されていない白紙だったので、僕は空恐ろしくなったものです。それは挫折とかではなく、死。

それは勝手な思い込みかもしれませんし。


le 25 mercredi 水曜日
//助ける人の選択肢//困った人は助けるとしても人には限度がある。今助けている人に何の見込みもなく心の貧しさはますます深刻になると諦観したのなら、今まさに助けを必要としている別の人に対象を変えるべきだと思う。  そう思うと、助けられる人も、つまるところは心の問題。その心に救いがたい醜悪さを見、これと付き合うのはもはや時間の無駄と判断したのなら、決断は早い。


le 24 mardi 火曜日
//いつから。//とにかく作って素焼きをし、そして本焼きを3-4回繰り返して、一つの仕切りとします。そして、新たに作り出す。昨日がその仕切りの日だったので、すぐさま再開と言いたいのですが、まずは一通り片付けて。そして何より大切なのはモチベーションの高揚。空白期間は、それはそれで心地良いからです。

棚板の購入検討しなきゃ。


le 23 lundi 月曜日
//棚板割れた//8%の間に買えるだろうか!!??? 予備も含めて5枚は買おう。28の土曜日は瀬戸か多治見か。  今回の窯の焼き上がりは、なかなかに良いものもありましてじっくり眺めたりして過ごしておりました。もちろん、満足するものではないので楽しい意味での改良点はたくさんあるのですが、初期の頃のような根本的な間違い探しではなく、次回は何を変えようかというピンポイント。だいぶと救われております。


le 22 dimanche 日曜日
//良きが上にも良きものを//これは大倉陶園の社訓みたいなもので、採算度外視の道楽と批判されても良いから良きものを。結果的には素晴らしい評価を納めることになりましたので高い理想は良いのだと。僕はというと原材料や環境に採算度外視なんて考えられないので、では何をもって【良きが上にも良いものを】なのかは、やはり努力とかこだわりとかたゆまぬ思考錯誤なのだろう。
良いものが焼きあがっても、そこで満足せず、さらに良いものを。これが凡人にできる【良きが上にも良きものを】


le 21 samedi 土曜日
//ここではないどこかに//僕は体で覚えるタイプなので、釉薬の配合も傾向を暗記して、それぞれの増減はその時の気分次第で偶然の産物に期待するところがあるのです。釉薬ノートとか一冊もありません。ただ、常に新しい試みはしたいと思っても、そろそろ釉薬ノートは作るべきなのかと思ったり。


le 20 vendredi 金曜日
//今週末も三連休//台風が来るとか来ないとか。秋の快晴の三連休は無理です。まあ、僕はというと今も焼成中で、もう一度焼く予定。これで、この前の素焼きは全て施釉したことになります。この間に一度は多治見に行く予定。


le 19 jeudi 木曜日
//マダム・オールドマダム//ノリタケや大倉の磁器でも昔の作品はオールドノリタケなど呼ばれまして価値あるものになっております。私のマダム焼。瀬戸に通っていたころの作品をオールドマダムとしますので、持っている方はくれぐれも大切になさってください。決して増えるものではありません。希少価値は必然です!??


le 18 mercredi 水曜日
//人には無い//3本の柱。その三本の柱のうちに2本用意する。香炉に急須に結晶釉。これを高い水準で維持する。三本の柱が自立すれば、その間に二本独自の技術を擁立する。定年する時には最低三本の柱は自立させたいものだ。


le 17 mardi 火曜日
//死ね死ね//このような単語を使うことは人として道理に反する。アニメの世界でそういう会話を見聞きし過ぎて育ったとしても、現実に死ねという言葉を口にする人に、それは幸せとは対極の現象が近づくものだと思うのだ。同じ水やりをするにしても死ねという人はバケツに水を投げつけるようなもの。表土を流し芽は出ないだろう。それら汚い言葉を平然と発する者に周囲は閉口し、心の中では死ねに類する激しい嫌悪感を抱くものだ。そして、そういう言葉にならないある種の思いを一身に浴びる人(発言者)には、やはり幸せとは対極の現象が近づいてくるものだと思う。道理だ。


le 16 lundi 月曜日
//冷却の合間に//祖母のお見舞い。医師からは老衰の症状が血液検査から読み取れると。食欲があっても栄養の摂取が低下しているのだと。確かにお元気でしたが前回よりかは衰えている。もはや大病とかなくても死は迫っているような気がする。そして、来るべき時が来た時の処し方も、また迫りつつある。人生は保守的であっても選択を迫られる案件が到来する。その時、人は現状を案件との天秤にかけるのだが、保守的な人間は常に現状に重きを置いた。それは現状の存在が人より重いと思うからだ。保守的な人間が別の選択をするとしたなら、それは已むに已まれずというより愛想尽かしたと表現する方が正しいだろう。詰まるところは、行きつくところは人の心。人間性。


le 15 dimanche 日曜日
//せともの祭り//実に実に楽しかった。染付の実演をしている作家さんと会話もできたし諸先生方ともお会いできたし。実は、地元のコミュニティーFMの実況を土曜日に聞きながら施釉。これが実に楽しそうで、本日出かけたのですが、いや本当に楽しかった。


le 14 samedi 土曜日
//施釉//今回も実験的な試みばかりで、こりゃ失敗も多いでしょうが、良い輝きが一つでもあればと切に思うのです。それならテストピースにすれば良いのですが、作品に実験を任せる。よってダメージも大きいのです。ただ、新規がなくて焼き上がりが想定されているものばかり作ると今の楽しさは減るのだろう。


le 13 vendredi 金曜日
//さあ、始まります//三連休の前夜祭。そうそう、次の窯は花器を作ろうかと思います。Y師から頂く高原野菜と見事なお花。そのお礼にマダム焼を進呈するのですが、次は花器だろうと。ほんと、立派なお花で、ぜひとも信州にマダム焼の花器を。


le 12 jeudi 木曜日
//ソワソワ//お盆開けてからの最初の三連休。お天気も良さそうだし、皆さんそわそわ楽しそう。僕はというと週末のせともの祭りに行ってみたいです。大きな旅行に出るわけでもあれませんが、存分に楽しめそうです。


le 11 mercredi 水曜日
//あの人もこの人も//USBが壊れている。なにかその強烈な電磁波にでもやられたのか!??  さてさて、行きつけの食事処のランチが今月末で終了とのこと。これは困った。街に大量難民が発生する。人は来るのだが受け手の人員不足が最たる理由でしょう。


le 10 mardi 火曜日
//乾燥する日々//とにかく作陶は楽しいのだが、置き場100%になり素焼きまでの乾燥が一時の憩い。ある意味貴重な時間なのですが、憩いが休憩になって他の何かを全くしないのは問題である。と、言いつつも山のような南信州新聞を読み進める気力は湧かない。


le 9 lundi 月曜日
//華やかな九月//今週末は3連休。それが二回で、そろそろ有休でも取ろうと思うし毎年のことですが9月から年末にかけて祝日が多い。なにかと華やかな気持ちになりますが、あと4日お仕事頑張ります。


le 8 dimanche 日曜日
//見入る疲労感//大倉陶園の展示を見に多治見へ。もう何回目でしょうか。毎度のことですが、僕は見ると見入ってしまうので、それだけで疲労困憊になる。特に今回は、途中のソファーで眠りました。どれだけ見ても見入ってもあれだけのものは作れませんが、それでも無意識のうちに、どうやって作るのだろうか、その手順はと見入る。

全くの文系人間ですが、僕は、例えば機械なら全自動機械化の工場なら、どうやるのだろうか!?と想像して手の動きを変えることは良くあります。見ているのてすが、脳内では新しいことにチャレンジしている。たから疲労困憊するのでしょう。


le 7 samedi 土曜日
//3時間は無駄でした//コンビニとかで売られているエナジードリンク。あれ、瓶の栄養ドリンクより効果あります。カフェインなのでしょうね。とりすぎても毒というから気をつけねばなりませんが。
さてさて、朝の六時から休憩を何度も取り入れ24時まで作陶していましたが、最後の3時間は諦めて寝ていれば良かったです。エナジードリンクで空回り。それにしても良いお天気でした。


le 6 vendredi 金曜日
//マッチと天秤//マッチ箱から散らばったマッチ棒が僕らであって、硫黄のところが、まさに人。近くに集まるものだら仲間であり同僚。ところが硫黄は近くても木の部分の向きがそれぞれに違う。

僕らは今、仲間であり同僚なのだが、人生が進めば別れて当然なのである。

と、これは僕が何度も書く記述。そして折々の天秤。同じく人生が進めば現状と問題として現れる対象物がその価値を争うときがある。たいていの場合は現状が勝つ。ところが現状が劣悪だったり軽い存在になり下がると、対象物の選択肢も十分ありうる。去る人は対象物が重かったりするのと同じく現状の軽さに前途を悲観するのだろう。


le 5 jeudi 木曜日
//据わる・据える//なんでしょう。この安定感。腹を据える・度胸が据わる。未来のことですから、それが根拠もない自信だと揶揄されるのは当然ですが、不安に思うところが全くない。

小学生の頃、人の人生は既に決められていて・・云々と聞いたことがあり、それを耳にした僕は夢もないのだと、この考えを否定したものでした。  ところが、諸々の事象や環境が散らばっていたものが引力によって一つに集まりつつあるように、全てが一つの方向に動き出そうとしているのだから不思議。

もし、昔聞いたように、そういう運命だとしたら、それらに対する【接点】に対して、お前のせいだ!!!とか言ってはならないのです。嫌味の一つでも言ってやろうとするのなら、本来の趣旨からズレる。待ちに待ってようやく地固まる。


le 4 mercredi 水曜日
//何でも書くのですが//書かないことの方が実は大切なのかと。僕にとって書くことは自分自身に対する自問自答。これが落ち着いたり考えが煮詰まったり。ところが書くことによって、案件は過去の性質になり場合によっては【頓挫】することもままある。熱い思いを外に出して、何が熱かったのかねすっかり忘れる大失態。その折衷案が【匂わして書く】ことなのですが、今になって振り返ると、このたとえは何が言いたいのか焦点不鮮明な記述もままある。


le 3 mardi 火曜日
//瀬戸から//愛知県陶磁美術館に通っていたのはマルマル6年間。あの頃、週末のほぼ全ては陶芸館で、年に数回の特別企画として瀬戸物まつりなどに顔を出す日がありました。あの頃、これが本当に楽しくて楽しくて、事前に情報を仕入れたり。その第一弾が八月の終わりに常滑で。常滑焼祭りから順に始まり11月のクラフト展まで秋の企画は実に多いのです。

ところが夏の暑さに常滑が一番手から撤退。3年ほど前から瀬戸物まつりが地域一番手に。今年は9/14-15。一日くらいは顔を出そうかな。


le 2 lundi 月曜日
//あの顔は生涯忘れない//人生の岐路や何かの選択に迫られたとき、それは天秤みたいなもので諸々の価値を秤にかける。今日見たあの顔は生涯忘れることなく、その秤に乗せるべきだと確信した。そういう意味では、一つの迷いみたいなものは要素として消えた。

そう、それは、まるで用意された道のようなもの。迷い多きものにとっての開削みたいな。変化は拒んでも、人は死ぬし家族の枠組みは変わる。その先の道みたいなものが、進むべき道への確信みたいなものを痛感した。あれは一つの答えだ。否定しようもなく修正できるわけでもない一つの明瞭な答え。


le 1er dimanche 日曜日
//調子良い//朝から作陶。本日は、こればかりしていましたが調子が実に良かったです。あと、3日くらい作陶したら素焼きに回せるかな。

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