令和2年9月 septembre.2020


le 30 mardi 水曜日
//何をする人ぞ//明日から東京もgo to解禁。これで条件が一律になりました。

snsとは凄いもので、人の週末の姿とか顕わにしてくれる。もちろん、編集後の世界ですが、それでも誰それがどこに行ったとか何を食べたとか詳しく知ることができる。行くと、食べると買うは圧倒的な報告例。次に体験とかかな。僕はというと作る。この作る割合はとても少ない。作るは芸術家の専売特許でもないのだから、もっと参加すればよいのにと思います。


le 29 mardi 火曜日
//愛のない人//怒りに任せる時、そこには愛がない。その顔は愛のない鬼。それは家族に見せるべきものでないし、人間社会において他人に見せるべきではないのだが、それか出てしまうほどの怒りには、表から見ても裏から見ても愛の存在がない。

心底から怒りを表出する人は、つまるところ、そういう気持ちを抱いているのだろう。それは純粋な表現。


le 28 lundi 月曜日
//4.5日//金曜日は午後休を取得したので、今週は4.5日の労働になります。
最近、思うこと多々ありけり。
今までは、何も考えずに陶芸を楽しんできましたが、これより、今陶芸する意味を咀嚼したうえで没頭するべきかと。


le 27 dimanche 日曜日
//木枯らし一号みたいな//終日、心地良い北風が。九月の寒暖差は激しい。今年は順調に秋になってくれて嬉しいです。素晴らしい青空でしたが、今日も自宅陶芸。

まもなく人間ドッグだから、月曜日から健康的に生活をしましょう。


le 26 samedi 土曜日
//未来のことは分かりませんが//何でしょうね、この陶芸に対する熱というものは。人生の岐路においてというと大げさですが、陶芸ができる環境かどうかは、私が生きる場所であるかどうかということだけは確かだ。これだけは一寸の迷いもない。


le 25 vendredi 金曜日
//ありがとうございます//今回もありがとうございます。久しぶりにお会いできお話も弾みました。毎週土曜日は、豊明の農協に野菜を買いに行くのですが、今週は、その必要もありません。高原野菜とお花を沢山いただきました。

積もる話は、ちっとも減りませんでしたが、11月の旅行で大いに語り合いたいと思います。


le 24 jeudi 木曜日
//これは恵みなのだ//旨いトマトは塩害の地で育つ苗にあったりする。ストレス故、旨い。

全く持って卑怯で許しがたくて、いやいや嫌悪というか、気持ち悪い。今まで腹立つことであったり悲しいことなのだと思っていたが、それは気持ち悪いことなのだと。この気持ち悪さが養分だとすると、トマトにすれば、それは全く見事なものよ。


le 23 mercredi 水曜日
//そりゃ50も近づくわけで//この前、48の誕生日だと思っていたら、もう3か月も経過。
祖母が偉大だったのは、97まで生き抜いたことによって、死の間際を一人で背負っていたこと。これより、次に他界するのは親の世代になりました。そりゃ、50も近づくわけよ。


le 22 mardi 火曜日
//事件が//陶芸をしていたら兄夫婦が敬老の日ということでやってきた。夜遅くまで居た。それはそれで良くて、この四連休は充実した時が過ごせたものだと思っていましたが、事件が!!!

僕の人生は、この繰り返しです。


le 21 lundi 月曜日
//どっぷり陶芸//朝から夜まで、陶芸です。心地良い時間。明日もそんな感じで。

あれほど実感していたオババ様の気配が、居なくなったとしみじみ思う気持ちが薄らいでいることに気が付いた。

魂は、巡るところを一通り巡った後、昇天するのでしょう。
この歳になるまで祖母がいたことこそ実に実にありがたいことだと思っております。


le 20 dimanche 日曜日
//14時前//朝から買い物や陶芸をして、14時前から飯田市南信濃和田に向けて出発。水汲みですね。観音霊水。

さて、充電はというと100%で出発し、稲武の道の駅で30分充電(無料箇所)⇒道の駅・遠山郷で30分⇒道の駅・新野で10分⇒日進のコンビニで20分。来月からは、日進の20分の分を自宅充電すれば良いので、名古屋から飯田市南信濃和田の往復に、10分×4コマが必要に。まあ、稲武の無料が大きいのですが。本来なら、有料。この場合、20分は充電していると思うから、実質10分×6コマ分のドライブコースになります。

因みに帰宅は22:30 昼過ぎに出て、往復一般道で、日帰りです!!!!


le 19 samedi 土曜日
//彼岸会//田舎のお寺で彼岸の法要。祖母のお寺さんになることから参加しました。
時々思う、いや、日に何度も思う、「あああ、もう居ないんだと」
つまり、祖母のいる感覚を身近に思うときがあるのだ。

未だに梅花講の御詠歌を聴くことができ、そして少しは吟じることができて良い時間を過ごせました。


le 18 vendredi 金曜日
//眠りが浅い//つまりだ、普段は何も考えることなく持ち越し案件もなく予定とか設計図もないので、ぐっすり眠れる毎日。ある意味、慣れた環境での安住。

最近、眠りが浅い。明日は早起き、三重県です。


le 17 jeudi 木曜日
//有休は//10月に集中的に取りましょう。いよいよ週末から四連休。初日は三重県。翌日は長野県。3-4日目は自宅陶芸、と考えています。

来月から充電は課金制になります。実は、期限ぎりぎりまで無制限の恩恵を浴するのではなく、予行演習をしています。どのくらい容量が減ったら10分、20分と充電すれば効果的かと。来月からは10分×20回までは月額4500円(税別)で利用でき、それ以降は10分300円の課金制。

現在が約3000円で無制限なので、単純に1500円は余計な出費ですが、なんとか納まる計算になります。


le 16 mercredi 水曜日
//爪伸ばす陶芸家//youtubeで陶芸家は爪を伸ばさないと見ましたが、私は伸ばす方です。短くして轆轤回したことがありません。無意識のうちで実施していると思うのですが、この爪を箆代わりにしていると思う。


le 15 mardi 火曜日
//始めと終わり//恐ろしい年だと九月も、いやいや10月初旬も35度とか訳の分からない年もあるのだが、今年は始めと終わりの温度差が激しいそうな9月になりそうですね。

最近のカレンダーは12枚ではなくて6枚。9-10月を秋の写真で飾っているのだが、これを9月初めに見る違和感はすさまじい。ただし、今年の九月は初旬こそ暑かったものの、太平洋高気圧が早めに去りそうな気もするのです。


le 14 lundi 月曜日
//来年は!?//今週末は四連休ですが、オリンピック、来年実施するのなら、8月と9月に、今年と同じお休みなのよね。それはそれとして、10月にも3連休は欲しいものです。

そうそう、いよいよリーフ5年間充電し放題の特権も今月末で切れてしまう。週末からの四連休は、二つほど遠出はありますが、陶芸もしたいし。


le 13 dimanche 日曜日
//一つづつ//じっくりと、一つづつ。進化の過程も、それは少しづつ代わり適応していったと思う。革命のように一切を否定したうえで成立するのではなく、少しづつ変化し新たな姿となす。

実に不思議だ。まるで、そうなるように導かれているような。感謝しか申し上げようがない。


le 12 samedi 土曜日
//菊の御紋//この意匠には、いつも感服する。驚嘆する。さりげなく、小さく施しても圧倒的存在感がある。もちろん天皇家に由来する歴史の重みがありますが、僕が考えているのは、小さくても品がある文様。

考えすぎると加飾も過ぎて大きくなってしまう。小さくてシンプルで格式のある文様。もちろん、歴史の裏付けはないので、そういうハンディを負ってでも成立する文様を探しているところ。


le 11 vendredi 金曜日
//一級技術//私の陶芸は幅が広い。生活が懸かっているのではないので、気ままに作り、オブジェ・人形以外は何でもといったところ。その幅の広さは驚かれると思いますが、その中に第一級の水準の作品があるかというと、全く無い。

一級技術を一つか二つ持ち、二級技術を二つか三つもって陶芸世界を構成したいと思う。


le 10 jeudi 木曜日
//44-5年前の記憶でした//私の美的感覚の決定打は、3-4歳の頃、先日亡くなった祖母の家で100日前後過ごした日々。大正元年の純日本家屋でしたる昭和57年台風10号被害で全壊するまでは何度も泊まった家です。

その時の記憶は私の人生に、美の立ち位置を決定づけた貴重な体験。何が心地良く美しく価値があるのかと。改めて考証したら44-5年前の記憶だと知り、驚くばかり。三つ子の魂100までは嘘ではありません。


le 9 mercredi 水曜日
//未だに//ふとしたことで、お婆様が、「ああ、もういないんだ」とその少し手前までいるような感覚に襲われる。あれこれ考えて、お婆様のことを思うのだが、それは意味の無いことになったと。

いづれ49日を迎え、見事に昇天されるのですが、この間、悲嘆に暮れるばかりではない。時間は無機質に巡り有機的な汗や笑いなどがあふれる。

ちょうど一週間前、祖母の眠っている顔を見ました。穏やかで20歳くらい若く見え笑みをこぼし、いまにも生き返るのではと何度も思った。ところがおヘソの辺りから見上げるように眺めると、そのお顔は僕を戒める表情に。

いづれ、私のすることを戒める人もいなくなる。一切の選択は自己の責任にあり、それに至るまでの道程に意見する人も消える。だからこそ、祖母の戒める顔は私の宝になったと。何かに迷ったとき、堕落を選択しそうになった時、私には一歩立ち止まる心の光景が残っている。


le 8 mardi 火曜日
//窓から見える景色//旅をして、坂道を精一杯の力で自転車を漕ぐ少年の辿り着く家から見える光景。彼の窓から見える光景は、僕には分りませんが想像するに面白い時間です。

「窓」は僕にとって知らない誰かさんを物語るうえで大切な窓口。

地方都市の飯田。斜面集落の中井侍。そんな気になるところに住む人の、窓の外の光景。

今、具体的な光景が広がりつつある。


le 7 lundi 月曜日
//陶芸陶芸と叫んで//9年と半年。その昔は地方都市で過ごす週末や斜面集落探訪。南信州南信州と叫んで10年。

もともと時間の過ごし方が人と違い、良きと思ったものは飽きるまで没頭する。

陶芸陶芸と叫んで9年と半年。こればっかりは全く衰える気配がない。さらに探求して、特別な造形世界を形成したいものです。


le 6 dimanche 日曜日
//御玉手箱//如何にして蒔絵に近づけるか。これは私の脈々とした思い。
この写真は、私が陶芸を始めて2か月が経過したころの作品。

あの頃の、持てる技術を総動員して、少しでも蒔絵のような出来になればと思い作りました。
その思いは今も変わらず。陶芸でいかに蒔絵に近づけるか。上絵ではなく、それ以外の技法で。それを思案して少し作ったのが本日の自宅陶芸です。


le 5 samedi 土曜日
//無言館展//戦没画学生の遺作。それは単なる遺作ではなく、召集令状が発せられ遺言のように魂を込めて描いた数々。

朝から四日市市立博物館に行って参りました。日曜美術館でその存在を知り、四日市で日曜までと昨日知り、本日は朝一番から。

戦死した絵の脇には略歴が。その生年月日が先日亡くなった祖母の大正11年を前後する年齢。
生き抜いた祖母も亡くなる歳月。その激動の時代を語る人は、いよいよ根絶するのだろう。


le 4 vendredi 金曜日
//目出度きもの//今月1日の夜も、僕は帰宅後陶芸をした。今日も。
訃報は悲しいのですが、心のどこかで97年も生き抜いたことは、実に素晴しいことではないか!!!!と。
世の中には生を全うできない人も多く、全うしたとしても短き人もいる。
この年月に、戦争の日々や昭和57年の台風10号被害とか、数々の苦労を生き抜いたことも実に実に素晴しく、見事に生き抜いたことは、目出度きことではないかと。

9/1の帰宅後、僕は目出度き台盤を作っていました。月に照らされる二羽の鶴。祖母を迎える祖父の姿です。



le 3 jeudi 木曜日
//荼毘にふす//祖母の夫は平成元年に他界。祖父の葬儀は土葬でした。(最後から二例目の土葬)。その祖父の母、曽祖母の葬儀も土葬でした。僕にとっての【死】とは土葬にて土に還りるのが魂の循環として自然の形態でした。幸いに、日本の伝統的な葬儀の在り方を体験できたのは、今となっては貴重な思い出です。言うならば、犬神家とかの映画に出てくる葬儀そのもの。もちろん、家で葬儀をする形式です。親族や集落の女性は裏方で接待の準備。男性は食事と酒を飲む。

本日、祖母は葬儀の形態も一切改まって、坊さんこそ縁あるお寺の坊さんでしたが、葬儀ホールで、それも参加を絞り込んで。出棺の前に祖母のお顔を拝んでも、昨日と変わらず、ふっくらとして穏やかで。それが、これより火葬されるのかと思うと、理解を超える儀式の始まりでした。

それから二時間後に御骨。

理解を超えているので、残酷というよりも、無理してでも現実を受け入れ気も改めよという、そう、土葬は死と魂の循環を理解する葬儀の在り方で、火葬は、改めよと問いかける在り方。そう思えて仕方ありませんでした。97歳という長寿も手伝って、火葬で、気も改まり、後ろ向くこともなく生活に戻る感覚は、これは昔の人の知恵なのかと思う。


le 2 mercredi 水曜日
//穏やかなお顔//祖母との面会は、その穏やかなお顔でした。棺に納まる祖母のお顔を、ただただずっと眺めていて涙だけはとめどもなくあふれる。祖父母との思い出は、まさにこの祖母であり、穏やかでふっくらとして、20歳は若く見えるお顔は、今に生き返るのでは!?と思えるほど瑞々しかったです。死に方は生き方だとすると、それは美しい人生の終焉だったと言えるでしょう。


le 1er mardi 火曜日
//祖母他界//今朝の6時9分。大正11年生まれの祖母が昇天されました。97歳。合掌。

去年の三月、自宅にて転倒骨折。緊急入院後、施設で生活していました。この間、二度、脳梗塞を起こしましたが、叔父の献身的な介護もあって、女学生の頃、夢中になっていた平安文学の「くずし文字」も読めるくらいに回復。これは100歳も夢ではないと思った矢先に、コロナの規制が入り、祖母は施設で事変への理解も及ばず大変に寂しい思いをしていたことでしょう。回復した症状も、あっという間に悪化。

それから第二波前に規制が緩和され叔父の介護が始まる。そして、少し改善の兆候が見られ、もう一度介添えが進めば、また回復するのかもと期待していましたが、第二波の帰省再び。

それでも機会あれば面会の機会も設けてくれましたが、二日前に一時的に意識が明瞭となり、帰り際、何度も「寂しい」と言って以来、意識も混濁し、本日を迎える。

しばらくは忙しくなりそうです。

祖母に心からの感謝の思いを、そして叔父の献身的な介護に感謝の思いを申し上げます。


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